GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第一幕 所在不明

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それは闇から闇を渡り歩き息を潜めていた。
脱兎の如く逃げ出すのに多くの力を使ってしまった上に、傷を癒すのにも血が必要な事態。こうなる筈ではなかったのに忌々しい麒麟のお陰で、計画は頓挫した。しかも底の主の奴が自分を捨てゴマに使用としていたのに気がつく。

忌々しい……

どれもこれも計画通りに行かない腹立たしさは、まるで人間のようだ。長い間人間の中に潜んでいる内に、あの人の皮を被った奴等と等しく人の感情というやつをどうやら学びとってしまった。人の感情は不可解だが憎悪と愉悦は分かりやすく心地よい、反面憤怒は不快で悲哀は理解しにくいものだ。別段身に付けたからどうというものではないが、身につければにんげんというものの反応が理解しやすくなった。そのせいなのか今度は闇の底に身を沈めるのが、酷く退屈で怠惰で堪えがたくなったのに気がつく。

忌々しい……

心地よかった筈の闇が、停滞した澱みであると知ってしまった。表側がこんなにも満ち溢れているのは表で生きているからなのだ。底の主は何かを得るために自分を放置してきたのは分かったが、それをみすみす奴のものだけにするのは腹立たしい。何とかその一端を囓り取ってやるためには、どうしても本来の力が不可欠だ。

それには…………

月の光のない闇の中から影を伝い這い出すと、四つ足の体を木立の奥で丸める。やがて深い闇夜の中からズルリと体を引きずるようにして延び上がったのは、四つ足の獣の姿ではなく病的なほどに青白い手足。
退廃的で蠱惑的な腰つきで、その体が闇の中に浮き出す。
一瞬開いた瞳は白眼のない真っ黒な瞳だったが、瞬きをする内にその瞳は普通の人間に塗り変わる。そうして女の姿をしたものは、衣類を纏うことなく生まれたままの姿でその場に立ち尽くす。
木立の向こうには大型の重機と、コンテナのような簡易宿泊所。
窓には幾つか明かりがあるが、中にいる人間は思ったより多くないのは泊まらず帰宅した人間もいるからに違いない。日差しのある内に人間が多いところを襲いたかったが、そうすると忌々しい四神とその配下のゴミどもに気がつかれてしまう。それを避けたいのは、更に力を使うのは嫌なのと……

ザリ……

思考を遮るように砂利を踏む音がする。見れば簡易宿泊所から出てきた中年の男が、木立の片隅で立ち小便を始めていた。暫く音もたてず見守ると、今度は蛍のように小さな灯火が灯る。そうして紫煙がくゆるのに、それは僅かに眉を寄せた。

人間は相変わらず煙を好む……。

過去山の中での魔除けとして、人間は煙草を利用した。勿論現代のものとは少し違うが、あの煙というやつはあまり変わらず陰気や邪気を吸着して祓ってしまう。最近では煙草自体に添加物をタップリ入れて毒に変えてやったから、それほど煙を纏う人間はいなくなってきている。それなのに何故かゲートの近くにいる人間には、まだ割合煙草を嗜好品として嗜む者達も多い。まあ、香木を使われるよりはたいしたことではないが、この間の人間の子供が香木を使ってこちらの裏をかいたのには正直面食らった。今時香木の使い方を知っている子供がいたとは思わなかったが、どうやら四神の手下の子供だったようだ。
フーッと長い息で紫煙が吐き出され、その臭いが四方に散るのにそれは再び眉を潜めると青白い指の先から一筋の風を生み渦を巻かせた。真っ黒な闇の中で木立がゾワゾワとざわめき生暖かい風が巻き起こり煙が四散するのに、煙草を燻らせていた男は戸惑うように視線を上げる。月の明かりもなく生暖かい風だけが、ドウドウと吹き抜けていく。

「雨でも……くるか?」

独り言のような声がそういうのにそれは、そうだと胸の内で同意する。雨は雨でも血の雨だけれど、確かにこれから雨が降るのには間違いがない。ザリ……ザリ……と砂利を踏みながら、煙草を諦め足で踏み消した男がシートで覆われた道具を確認に歩く姿を視線だけが追う。

何が一番楽しいか…………

そう考えながらそれは、音もたてずに木立からスルリと這い出した。
裸足の足がシャリ……と砂利を踏み、それはまるで歩くのに痛みを感じるようによろめいて見せる。すると物音に気がついて振り返った男が目を丸くして、それの姿を見つけザクザク音をたてて駆け寄った。

「あ・アンタどうしたんだ?大丈夫かい?何か事故にでも。」

そこまで言いかけた男性の口を噤ませたのは、そのものがチロリと唇を舐めて見せた酷く鮮やかな血の色をした舌の色に引き寄せられたからに他ならなかった。木立の合間から歩み出たその姿は、工事現場の無骨なライトの下でもはっきりとわかる程しなやかでありながら丸みを帯びたなよやかな女性の裸身の姿だった。当然なんの前触れもなく抜群のスタイルの全裸の女が、町からは車で来るしか交通手段のない森の中から飛び出してきたのだ。思わず自分が着ていた上着を女の方にかぶせながら、その女性が性的な被害にあったのではないかと勘繰る。

最近はそんな事件が当然のように起こるから、この人もそんな被害者か?

そんな事を考えながらも、目は隠しもしない乳房や陰部から離せるわけもない。青白い肌は泥や何かしらの体液で濡れている風でもない、何かされる前に隙をついて逃げ出したのかもしれないけれど。思考を遮るように生暖かい風が吹き付けてきて、府と頭の中に別な考えが過る。

もしかして……そういうことを期待してこんな格好で…………

そんなわけはないと思うのに頭の中に沸きだした邪な思考に、強い風の音の中だと言うのにゴクリと喉がなる音がした。それならという思考が頭の中を欲望で支配していくのを見透かしているように、暗闇の中でまるで黒目だけのように見える瞳が自分を見つめているのを感じる。
人気のない場所に現れた全裸の女。
工事現場は男ばかりだし、しかも仮説の簡易宿泊所にはむさくて金のない男ばかり。

「一先ずあっちで休もうか?暖かいものもある………。」

その言葉に邪な欲望が透けているのに、女は大人しく男にしたがってシャリシャリと軽い音をさせて歩き出す。これは本気でそういうことを期待してこの格好で来たに違いない、そう勝手に男は興奮に舌舐めずりしながら残っていた奴は幸運だとニタニタと笑う。アダルトビデオ真っ青のお楽しみだとドウドウと木立が風で揺れているのも忘れて、背後に女の姿をした化け物とも知らずに宿泊所の扉を引きあける。そうして間もなく宿泊所に灯っていた電気がフッと消えて、そこは不気味な生暖かい風が全ての音を飲み込んでいく。



※※※



そこで起きていたことは、まるで無声映画のようだった。
誰も言葉を発することもなく突然姿を現した全裸の女を真っ暗な室内に引き込んで、数人係で組み敷き乱暴が始まる。男達は殆どがどれもこれも同じ思考に飲み込まれ、この女は期待してこんな格好でここに現れたのだとしか考えられなくなっていた。全裸の女とは違い、男達は服を完全に脱がないのも尚更その感覚を強める。ただ性欲を満たすためだけに、全裸で姿を現した女に乱暴を働いているのは現実とは思えない。
それぞれに女の体に触れ欲望を満たす内に獣のように舌を出して、荒い息を吐きながら欲望を思うままに吐き出す。

これが望みだろう?

そう言ったのが自分なのか、他の男なのか、それとも女なのかもわからない。その凶行がどれくらいの時間行われていたのかすら、女の存在が男達の頭から奪い去ってしまう。理性も常識もマトモなものなんかは何もかも奪われて、体ごと深い闇の中にズブズブと音もたてずに沈んでいくようだ。
やがて酒池肉林の饗宴の最中にそれが起こった時、誰一人としてそれが何なのか理解できないままだった。
鈍くヒュパ………いう風の切れる音が室内に響く。
突然吹き込んでくるドウドウという外に吹く風が、真っ黒な木立を揺らしているのが耳に届くが何故それが聞こえてくるのか。生暖かい風が体に吹き付けてきて、何処かが開放されたのは感じるのに視覚には何処が開いているのか全く見えない。手探りで探せばいいのかもしれないが、何故か身動きできずにただ棒立ちになっている気がする。気がするとしか言えないのは闇の中で何も見えないからで、立っていると思えるのは裸足の足の裏に簡易宿泊所の床らしきものだけが唯一感じ取れているからだ。
まるで周囲から闇が覆い被さってくるように、室内は真っ暗な闇の中に沈み込んでいた。吹き荒れる風の中に見えているのは闇の中に浮かび上がった、周囲の闇より黒い鈍く光る黒炭のような丸い瞳。そして唐突にその舌にクパァと半月のような、牙を並べた獣の口が現れる。

熊?いや…………ライオンか虎か?

幼い我が子を連れて動物園に行った時の事が、ふと頭を過る。我が子は柵の中の獰猛な肉食獣の気だるげな姿に、大興奮で口を開けてと歓喜の声をあげていた。やがて欠伸をした肉食獣の口の中に並ぶ鋭い牙に、息子は目を丸くして自分を振り返り凄いね!とあどけない純真な笑顔で笑いかけてくる。
幼い我が子は既に高校生になるが、あの頃の記憶が浮かんだ瞬間自分が何をしていたのかと我に返った。何故ここに肉食獣がいるのか?女との情事に溺れすぎて、野性動物が傍ににじりよったのに気がつかなかったのだろうか?それにしても熊なら兎も角……目の前にいるのはどうみても熊の口とは思えない。虎かそうでなければ、あり得ないが海中のホオジロザメか何かのような。それとほぼ同時に周囲の仲間も同じように我に返ったが、それはもう遅すぎて

口が……

そう思った時には視界にあるのは、全てがその巨大な口の中の光景だった。近づけばその牙は一本が十センチもあり、口の中だけで視界が覆われてしまう程の巨大さ。女はどこに行っただろうか、逃げられただろうか。

頭から

最後に考え始めた言葉すら言い切る前に、巨大な口が閉じられてブチンと全てが闇の中に飲まれていく。



※※※



本来の姿を闇の中で現して窮奇は、自分が模した姿に群がっていた餌を一口に頬張ると咀嚼を始めた。熱くて甘い血潮。中には古びて煙草の煙の染み付いたものもあるが、それでも吹きかかる熱さは心地よく体の中を満たしていく。

ゾブ、ゴリ

あり得ない音をたてて丸のみにした頭を囓り、噛み砕くと中から甘い果肉が弾けてくる。ベロリと半円の口を舐めて、凍りついたままの餌を更に頬張り噛み千切って咀嚼を続けた。食い散らかし血潮をほぼすすり上げた窮奇は、ドウドウと揺れる木立の音を気にするでもなくニィと口を開くと悠然とその場を立ち去る。
後に残ったのは千切れて食い散らかされた、人間の体のほんの一部だけ。生き残った者はおらず、それが発見されるのは暫く後のことだった。
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