GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第一幕 鳥飼邸と真見塚道場

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既に時間は夜半過ぎで白銀の異装は目立つとは言え人目には見えるわけでなし、何一つ文明の利器を使用しない帰宅の仕方には防犯カメラもあったもんじゃない。つまりはどう考えても数十分で帰宅できる範疇ではない場所から、四足で駆けて徒歩で戻り一足飛びに高層マンションの屋上に降り立ち、当然のように普段の姿で階段を降りる。屋上で異装を解いて階段を降りてくる姿を見つかったとしても、まあその一寸前に上に上がったのはカメラにも写っているわけだし、たいして人目にはつかないものだ。そんなことを考えながら溜め息のような吐息を1つつく。

あんなへまをするなんて……。

地脈の流れに押し流されて気を失うなんて今まで一度も経験がない。しかも何かを見た気がするのに、その片鱗しか思い出せない理由もわからないのだ。

水面…………

片鱗だけだが水面を底から見上げた気がする。何か深く悲しい気持ちの中で、それを見上げ何かを選択した気がするのに、それが何か思い出せない。ただ単に夢と気にしなければいいだけなはずなのに、あれはどこか心の琴線に触れてくる。思い出さないといけないことのように心に刺さり、不快感だけを刻み込んでいるのだ。思い出せないことを無理してもと溜め息をついて開いた扉の直ぐ目の前にいた姿に、信哉はギョッとしたように眼を見開く。

緋色の異装に金糸の髪

玄関の扉を開けたまま思わずその場で固まってしまった自分に気がついて、信哉は慌ててその体を室内にすべりこませる。溜め息混じりに後ろ手に扉を閉じて、そこに座り込んだ姿を緋色の目立つ異装を見下ろす。この格好でカメラに写るかどうかは気にしたことがないが、普段はベランダから出たりしてる訳で監視カメラを確認しておくべきか?……まあ、この頭だし写ってたらコスプレってことでどうにかなるとは思うが。

仁は既に自室で寝ていたのだろうが、ここでなくとも奥に入っていればいいのに。

特殊なこの緋色の姿が誰かに見つかるわけではないが見える自分としては、その緋色は暗がりの中に浮いているかのように見えて信哉はまた溜め息をついてしゃがみ込んだ。

「どうかしたのか?怪我でも?」

信哉の溜め息混じりの声にピクンと頭が動いたかと思うと、緋色の青年は膝から顔も上げないまま頭を振る。その見たことのない姿に信哉は眉を潜めた。
かなり離れていたから気の気配でゲートが閉じたのを確認して、それぞれに解散したはよかったが、どうも反対の二人にも何かが起きていたらしい。それ気がついて膝に顔を埋めたままの緋色の異装を纏う青年の硬い金色がかった髪を撫でる。

「一先ず、中に入れ。此処じゃ話にもならん。」
「俺………。」

小さな震える声に立ち上がりかけた足が止まり、もう一度しゃがみ込んだその視線が微かに緩まる。クシャクシャと音を立てて撫で回された頭が微かに震えて、上げられた顔が思わぬほど幼く見えて信哉は普段の様子で苦笑を浮かべる。

「ここで話を聞くのもいいけどな、一先ず着替えてからにしよう。着替え位は貸してやるから。」

闇の中に光るようなその優しい声に僅かに頷いた青年が、異装を解きながら立ち上がり、穏やかな微笑を投げながらも信哉は内心の溜め息を隠せそうにもない自分に気がついていた。



※※※



翌日の陽射しが頭上に過ぎたあたり、予期せぬ来訪者の姿が真見塚家の門戸を潜っていた。二人ともそれぞれは確かによくこの門をくぐる青年達ではあるが、後ろの1人は少し緊張した面持ちでその後に続いている。その場にはやや不釣合いにも見える金色がかった髪に少しきつい目元は、緊張の表情を一緒にいる自分より長身の青年に向ける。

「な…?こんな時間に……大丈夫なのか?」
「ある意味で一番自由が利くし人目もないからな。先生には言ってあるからいいだろう?お前だってもう大分通ってるんだし。」

ラフに見える軽装姿の信哉は肩にディバックをかけながら、勝手知ったると言う様子で道場の中に足を踏み入れる。確かに忠志も紹介されてここに暫く前から通い始めてはいるが、こんな鍛練に関係ない時間に勝手に入り込んだことはない。まるで忍びこんでいる気分だが、信哉の方は当然みたいに更衣室に向かう。
一瞬早まったかなと思いながらも、以前だったら信哉はこういうことは絶対承諾しなかっただろうと思う。本来なら何の知識もない自分が最初に道場で稽古をして欲しいといってもけして信哉は了承しなかっただろうし、最近の身体能力を見たら自分が普通の場所でこういうものを習う事もできないのは明確だった。でも力を押さえる訓練から体術を身に付けるのにはいいと、真見塚成孝を紹介してくれて相手にも少し特殊なタイプだから他の奴には相手をさせないよう便宜まで図ってくれたのだ。
ただそれ以降ここで信哉と向かい合ったことはないし、ここに来た時に信哉と顔を会わせたことはなかった。何気なく聞いたら信哉が密かにここに通っているのを知っているのは、あまり人数が多くない。師範や師範代くらいじゃないと知らないし、最近信哉の相手をしたことがあるのは師範で道場主の真見塚成孝だけなのだ。忠志も元々体操をしていて運動神経は抜群にいいから、そろそろ初段は取れるといわれて袴をつけるようにはなったが、まだ段位をとれないのは合気道の初段には実は鍛練の期間も必要なのだ。
合気道の基本といわれる正座をしながら息をつき前を見ると、凛とした道着姿の信哉は逆に何時もよりもずっと落ち着いているような気がして忠志は息を呑む。自分には必死になればなるほどどうしても得られないものがそこにあるような気がして、ふと昨日の青龍の眼を思い出す。



※※※



青龍の青い水晶の瞳に射ぬかれ冷静になれと叱責されて朱雀が周囲を見渡した時、視界に写ったのはまるで地獄の釜の中のようだと思った。下にいた青龍には見えなかったろうが、自分の放った火球はまるで落下した星のように海中にまでクレーターを作っていたのだ。守るべき地表を熱で変質させ海中の生物が熱に当てられて浮かび、岩が熱で硝子化してキラキラと光るほんの縁に青龍がいる。相剋、相生、頭に過る言葉と同時に、操っている筈だと思っていた筈の炎がほんの僅かにしか、青龍からそれていなかったのに気がつく。それに気がついた瞬間、ゾッとしたのだ。また周囲のものを巻き込んで燃やし尽くしてしまう。自分は……



※※※



「一先ず、考え事は後にしておけ。忠志。」

柔らかく窘める声にハッと我に返った忠志に、周囲から聞けば師範以上の実力を持つというその青年は静かに礼節をとった行為で軽く頭を下げて仕切りをつけていた。それから……

「ちょ…ちょっと待て、信哉!ストップ。」

頭を下げてから約一時間。
ゼイゼイと肩で息をつきながら汗だくになり膝に手を置いた忠志の姿を、信哉は涼やかな表情で見下ろす。合気道とは違う実践的な組み打という武術の基本的な動作を簡単に教えられ、同じことを繰り返し同じように動いているというのにその差は歴然。滴る汗を拭いながら上目使いにその顔色一つ変えない表情を忠志は見上げる。信哉が特に接近戦に長けているとはいえ、この体力差と技術差は恐ろしい。思わず感嘆しながらも、同じ動きをしていて何で何処が違うのかがまだ忠志には分からない。同じ動きをしているのに信哉は何でこんなにケロッとしてて、こっちは汗だく?しかも同じ技をかけようにも信哉が忠志にすると一瞬で転がされるのに、信哉にやろうとしても大黒柱にでもぶつかっているみたいだと必死に息を整える。

「何で、……………ケロッとしてんだよ、……信哉ぁ。」
「別にたいして動いてないから。」
「何処がだよ?!こんなに動いてて・何でお前は息も切れないんだよ!」

お前が少し無駄な動きが多いからなとシラッと信哉は言い放つ。涼しげなの顔を恨めしげに見上げてもう一度と居住まいを正す忠志の姿を、信哉は微かに微笑みながら見やる。同じ事の繰り返しとはいえ誰かを相手にする事が殆ど無い現在の信哉としては、この状況は少し楽しいものと心のどこかで感じているのは確かなようだ。それにしても相手を引き倒すような動きだと言うのに、信哉がその気になってくれないと全く倒すことも出来ないし技さえかからない。一度覚えたろうから本気でかかってこいといわれて本気で飛びかかったものの、完全に柳になんとかで技をかけるどころではないままで気がついたら畳に大の字になっていた。

「く…………そ、化け物かよ。」
「失礼なやつだな?お前に教えたのしか使ってないぞ?」
「嘘だーっ!絶対嘘だぁ!」

呻くように不満の声をあげる忠志の声に、それでも昨夜話したよりは普段の忠志らしさが漂う。その様子に安堵したように信哉は微笑みながら再び正座をするよう促すと、身体中の気を臍の辺りに集める気持ちで全部中心に集めてみろといわれる。臍の辺りと考えながら集めて、そのまま内側へ包み込むようにと説明されるが上手くいかない。全身に気が満ちるのは感じ取れても、何しろ臍の辺りに集めることが上手くできないのだ。フムと信哉が眺めていて声をあげると、ちょっと見てろといい同じように正座をして気を集め始める。まるで体の中心に星が出来るみたいに全身の気が丸く珠のように圧縮されていき、それ以外の場所はまるで空気のように存在を消していくのを忠志はポカーンとして見つめた。

「こんな感じだ。」
「それどこまでが普通の範囲なんだよーっ!」
「せめて丹田位は知覚できてもらいたいな。」

うーっ!と唸りながら忠志がもう一度気を練り始める。あんまり力むなと言われてもどうやったら信哉のようにできるのか、忠志がウンウン唸りながら気を練る様子を信哉は笑いながら眺めた。
昨夜の忠志の話は忠志の気持ちも義人の気持ちも理解できる。自分だったら出来るから助けたいと考えた気持ちと、最小限の活動で被害を押さえなければという気持ち。どちらも当然だが、どちらも上手くいかなければこうなってしまう。元来の気質で好戦的で気の扱いの苦手な朱雀と、元来穏やかで気の扱いに長ける青龍、普段が気のあう友人であるからこそ、余計噛み合わない時はこんなことになってしまう。それでも以前は朱雀がまだ気を扱えなかったから、目に見えるほどのことが起きなかったのだ。不意にその思考と動きが止まって、自分を制する動作を信哉がするのに気がついた忠志の背後に微かな人の気配がたつ。

「少し雑念がある様だな?信哉にしては珍しい。」

いつの間にそこまで来ていたのか、道場主の真見塚成孝が賑やかな笑みを敷いて忠志の背後に立っている。普段なら母屋を出た時点で気が付く信哉がこんなに気がつかなかったのに、成孝が口にした言葉の意味が分かる。

「自分ではそうは思ってませんでしたが、そのようですね。先生。」

ゆったりした作務衣姿の真見塚成孝の姿に小さく頭を下げる忠志と平静な態度を崩さない信哉の口調。それに穏やかな物腰をした道場主は、初老の兆しはありながらも培った武術が体表から滲み出るような精悍な身体つきをして音もなく畳の上に足を滑らせた。スッと音もなく滑り出した足の動きは忠志に彼が教えた合気道の基本というものとは違う、鋭く滑る様な動きでハッと信哉の表情が変わるのが分かった。

一瞬の踏み込みで忠志の座っていた場所から信哉の目の前まで距離を詰めていた成孝の掌底が、空を切るような音を立てて信哉の片袖を掴む。
不意を突かれながらもその人並み外れた動作で信哉は、余裕でその人物の動きを先取りし反対に作務衣の袖を撒きこむかのようにしなやかな動きで反転して舞う。鋭く衣擦れの音と同時に空を切る音がしてパンと濃紺の袴から覗く素足を払われた信哉の姿が忠志の視界に入った。同時にトンと肩を押される様にした体はしなやかに宙で反転して、畳にそのまま落ちるかと思ったのに更にクルンと軽業のように反転した。
互いの袖を軽く掴んでいるようにしか見えないのに手はどちらも離れず、しかも畳の上の素足の音すら聞こえない。聞こえるのは空を切る動作の音と、成孝の作務衣の裾の擦れる音だけだ。

すげぇ

目で追うのがやっとの二人の動き。柔道のように組み合っているわけでもないが、少しでも気を抜くと体がクルッと弧を描いていなされてしまう。信哉の顔にはまだ余裕があるが、成孝の顔もギリギリとは思えない。不意に間合いを詰めて襟を掴んだ成孝の手を見た瞬間、信哉の表情が微かな変化を見せた。一瞬の視線の光が変わったと思った瞬間滑る様に成孝の腕を振り払った信哉の体が、弧を描く動作で掌底を突こうとする。咄嗟にそれを手でいなされて、その反動のままにしなやかな鞭の様な長い足が基線を描く様に空を裂く。

すげ……信哉は勿論だけど、オヤジさんって普通の人間だろ…?

いなされる動作に次第に真剣な表情に変わっていく二人の様子に気がつきながら、忠志は少し離れた場所で息を呑む。それは確実に教わっている合気道とは違う種類のもので酷く実践的で好戦的なモノのような気がして、言葉の無いままに次第に二人の動きを見つめる。
どれくらいの時間がったのか分からないままにそれを見いっていた忠志の横に不意に人の気配がして驚いたよ様に視線を返すと、何時の間に帰宅したのだろうか真見塚孝が道着姿で息を詰めてキラキラした瞳で見つめているのに気がついた。

「これって………合気道ではないよな?孝。」
「古武術です、父さんのは家の流派のだけど、兄さんのは鳥飼のものですね。組み打ちだけでじゃなく、柔術や忍び術なんかも混じってます。」

ひそやかな会話の向こうで微かに上げた息の下、不意に突きだされた掌底を避けた体の動きで返す足が道場主の腕に直接向かってビリビリと振動をあげるような鋭さで蹴りが入った。一瞬息をのんだ二人を知ってか知らずか、息をついた信哉が居住まいを正す。微かに腕を振りながら道場主が彼にも通じる笑みを微かに浮かべると、信哉も微かに苦笑を浮かべた。

「これくらいで息が上がるとはな。私も歳だな。」

息を整えながら、ふと道場の隅で息をつめていた二人に気がついた信哉が目を丸くする。一先ず礼節をと道場主に頭を下げながら、踵を返して二人に歩み寄った信哉の姿に一種感嘆の想いで其々の視線を向ける彼等に呆れ顔を浮かべながら「帰るぞ」と言った彼に、孝が不満そうな顔を見せた。

「そんな!せっかくだから稽古も一緒にしていってください!」
「孝、信哉にも事情がある。無理強いをしてはいかん。」

背後からかけられた道場主の声に未だ不満気な表情を見せる異母弟にぽんと肩を叩くだけにして、更衣室に足を向けた信哉を追いながら忠志は声を潜めた。

「今更だけど古武術って何?信哉。」

興味深々と言いたげなその忠志の表情を見やり、思わず苦笑を浮かべた彼は後でなとだけ口にしていた。

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