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外伝 思緋の色
第六幕 思い
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院の内部全てに聞き耳があるとは考えられないが、用心に越したことはない。過去に澪が何度も忍び込んでいたことは誰にも知られていないようだったし、自分が庭園に降りた時にも人気が無い時点では式読も普通に話していた。そんな理由から恐らく流石に個人の私室には耳は無いだろうとも判断していた。夜気に紛れ窓から音もなくするりと忍び込んだ姿に、その少年は息を呑んで自分を見上げる。
「……よ、元気そうだな?」
音もなく天井から舞い降りしゃがみ込んだ彼の姿に、幼い少年は瞬きをしながら夜具に中から少し身を乗り出した。茶色の髪に色素の薄い瞳は、異国の血でも混じっているかのように可愛らしい造形をしていて知らなければ少女と間違いそうなほどにも見える。しかしその瞳は何処かあの古老に似た光をも宿していた。
「あの時の人だよね?」
幼いが確かな言葉は既に理知的な響きを持っているのに、彼は微かに微笑んだ。しゃがみ込んだ彼の瞳は異能の為に鮮やかな紅の色に染まっているが、その目の前の少年は臆することなくズルリと体を引きずる。その姿に微かに彼は眉を潜めた。
少年は自分の自由にならない足を引きずるようにして、彼に向かってにじり寄った。その足には夜着の隙間から酷く大きな引き連れが見え、それがあの時の傷であったことに気がつく。
病院から有無を言わさず連れて行かれた彼に何が起こったのかは分からないが、少なくともこれでも最善は尽くされての姿なのだろう。
「足は…あの時の傷か?歩けそうなのか?」
「うん、杖を使って歩くことにはなるけど、リハビリしてる。仕方ないんだ、僕が悪かったから。」
酷く大人びた口調で呟く少年の言葉に微かに胸が痛むのを感じながら、彼は少年を見下ろすとそっとその頭を撫でた。それは何時か彼にかの人や幼かった少年がしてくれたのと同じ優しさで、少年は驚いたようにその手の先を見上げる。
「……お前のせいじゃない、ココのせいだよ。今のココのな。」
その言葉に少年は初めて不思議そうな瞳の色を宿しながら、過去に見た幼い少年と同じ子供らしい笑顔で微笑みかけていた。
少年はまだ六歳になるかならないかの筈だ。しかし、時に酷く大人びて聞こえる口調は、この環境がなせるものなのかそうでないのかは分からない。それでも彼に見せたその笑顔は歳相応に見えて朱雀は、微かに苦悩に満ちた瞳で彼を見つめた。少年は静かにその笑顔を胸におさめる様にその瞳を暗く陰らせて、朱雀を見上げる。
「僕のせいで、あの人は亡くなったんでしょ……?」
不意に放たれたその言葉に彼の表情が凍る。
それは紛れもない事実ではあるが、全てが少年のせいとはいえない。白虎として完全とは言えなかったかもしれないからかもしれないし、新しい白虎が成熟し役目に耐えうる能力だからだったかもしれないし、八握脛との先頭で澪が無理をしたせいかもしれない。自分が院に向かうという彼女を一人きりにしたせいかもしれないし、武が見守っていなかったからかもしれない。そうして、少年がその日に限って院を抜け出し、逃げようとしたせいかもしれない。
だが、こんな子供にそれを言って何になるというのだろう。
全てはその運命に向かって歯車を組み上げて、逃げることすら出来ない運命だったとも言えるしそうではないとも言える。微かな痛みと共に湧き上がる怒りを感じ取ったかのように少年は酷く真摯な眼差しで月明かりに光る瞳で朱雀の真紅に輝く紅玉の瞳を覗き込んだ。その瞳の色は、朱雀の怒りを押さえ込むように真っ直ぐに彼の仲間で見透かすかのような輝きを宿している。
「僕はそれを知らなくちゃいけないって。」
少年はゆっくりと、明確な澄んだ声で武の注意を引き戻した。それはけしてその事実だけを悔やむ心だけの存在ではない、そんな意志の強さを思わせる声音で思わず彼は怒りを何処かに忘れさせられた気分になる。
「ちゃんと、あの人の思いを知ってなくちゃいけないって。」
「思い………」
小さく頷くと少年は、しっかりとした視線で彼を真正面から見据えたまま口を開く。
「僕等も、貴方達も同じ人間だから……全部大事にしなさいって。」
その言葉を伝えたのが誰で何を意図したのかが不意に湧き上がるように心を過ぎった。
白く鮮烈に儚かった人。
その人がもう一人の幼い子供に伝え続けていたのであろう言葉。鮮やかな思い出が不意に駆ける様な気がして、朱雀は揺れる視界を抱きながら少年を見つめ微笑んだ。自分よりもっと先に何かを変えようと動いていたのは、やはり澪だったのだという事が痛いほどに胸に刺さる。ふとその顔に浮かぶ苦悩に満ちた微笑を彼の手の下から少年は見上げながら、不思議そうな表情を浮かべた。
「名前は?」
暫くして穏やかに問いかけられて栗毛の少年は微かに微笑むと「二人目だね。」と擽ったそうに笑う。その言葉の意味を図りかねる朱雀の表情に少年は自分の頭を撫でる大きな暖かい手にそっとまだ小さくほっこりと暖かい白い手を添えた。
「ココの人は、僕の名前は要らないんだ。礼慈だけだよ?僕の名前を聞いたの。」
その言葉に過去に澪があの星読の少年の名前をやっと突き止めたと呆れ顔で言った姿を思い出す。朱雀の戸惑う表情を知ってか知らずか少年は至極嬉しそうに子供らしく微笑んで、その手の主を見上げた。それは、月光の下という奇妙な状況ではあったが、少年本来の姿である気がして思わず彼も微笑む。
「僕は智美。香坂智美って言うんだ。おじさんは?」
「おじさんか、ま、お前からみたらおじさんだな、俺も。」
苦笑いしながら武は少年に向かって自分の名前を告げる。そう、ここから一歩ずつ変えていくしかないのだと心の中で呟きながら。
※※※
「つつっ……あのくそハゲ……。」
「聞こえてるよ、白虎。」
「聞こえてるように言ってんだよ、人を玩具にしやがって。」
研究所の廊下を歩きながら若い白虎が、徐に舌打ちしながら前腕の火傷のような跡を猫のように舐める。唾液で治癒するわけでもないが、普通の人間よりははるかに回復力は早い。だから、研究所では四神の能力の根源を探るだのという建前で自分達には散々なことをし続けている。しかも白虎が前例のない母子での能力の遺伝を証明したことと、母親の遺体が早々に火葬され灰になってしまったことで研究所の管理統括をしている男の白虎への拘りは異様の一言だ。
「この間なんか、あのくそハゲ、見ず知らずの女の人相手に公衆の面前でセックスしろって、変態にもほどがあるだろ。」
「えっ?!」
ブチブチと文句を言う白虎が腹が立ったから、ベット粉微塵にしてやったら女の人が白目で倒れたという。勿論ここに外部の女性が入るわけはないから研究所の職員なのだろうが、二十歳になろうとする青年にやらせることではない。恐らく遺伝の性質を確認するために、白虎に生殖行為をさせたいのだろう。それにしたってマトモとは思えない。今のところ二人は精子を採ってこいとは言われていないが、朱雀曰く何時かいってくるが無視しておけとのこと。ここの隠し部屋にそれらのものが保管されているのは、当に知っている上でのことだ。
「気持ち悪くないのかね、マトモな頭とは思えないよ。俺には。」
「まあね、世の中には人をモルモットにしか感じない人間もいるってことだね。」
二人は呆れ返ったように会話しながら、一見すると病院の待合室のように見えるロビーに脚を踏み入れた。
かの女性が彼岸の彼方に去って、その忘れ形見が白虎となって僅か三年足らず。
若葉の微かに茂り始める頃に起きた豪華客船の水難事故はテレビでも大きく報道された。客船の規模は乗客は約600人、船員は約240人、世界を回るロングクルージングも航路の中にはある。ラウンジやプール、映画館などもある豪華客船。それが夜半の航行中に、船底に異常を生じ海中に沈んだ。救助ヘリやマスコミの撮影映像には、救急挺に乗り込めず船体にしがみついて家族の名前を叫ぶ乗客の姿が残されていた。救急挺が足りなかったわけではない。ただ、先に沈み始めた場所にくくりつけられた救急挺を使えなかったのと、海水温が飛び込み泳ぐのに適さない温度だったのと、回游するサメの姿がチラついていただけだ。ヘリで数人ずつ助けるのも間に合わない、明け方の朝日の中で船員の半分以上と乗客の100人ごと水面に沈んだのだ。
海中に沈んだ者の殆どの遺体は回収されることもなく、最悪の海難事故として数ヵ月後に捜索の幕を閉じることになる。巨大な船体は偶然深い海溝の中に落ちていき、それをサルベージする方法も見つからないのだ。
新しい玄武。
その出現に向けて多くの備えをしていた。それなのにその力が生まれると殆ど同時に院の手が回ったのを知った時には、もう代替わりも近い式読の用意周到さに思わず呆れた程だ。
そして、その当人を見た時に朱雀も青龍も、改めて数奇な運命という言葉を心の中で感じていた。新しい玄武は、僅か三年前に白虎の母でもあった澪を送った時に、あの場にいた青年の姿だったのだ。
土志田 悌順……信哉の幼馴染。
流石にここに来て身につけた冷静な仮面の向こうではありながらも、白虎は戸惑いを感じさせる視線で自分の幼馴染でもある青年の姿を見つめる。打ちのめされた心の痛みをまだ引きずりながらそこに立つ青年の姿を見つめながら、朱雀はふっと過去にいた者の姿を重ね合わせている自分意気がついた。そこに立つものは皆同じように見える、ふっとそんな囁く声が心を過ぎる。
「…朱雀?」
小さな白虎の訝しげに問う声に、我に返った朱雀はふっと目を細めた。
自分達以外の誰かが耳をそばだていると思われるこの部屋。
だが、それ以上にここにはもっと別な何かが存在しているかのような気がした。この薄暗い部屋の中には多くの四神だった者達の思いが、まだ漂っているかのような気がする事がある。
「いや、……なんでもない。」
薄く微笑んだ彼の表情に白虎は微かに不思議そうな視線で彼を見つめた。今の白虎と同じ年・そしてこの新しい玄武と同じ年代頃に朱雀になった自分も、きっと同じに見えたんだろうと彼はふと自分を思い返す。そして、まだ若い彼等も何時か自分と同じように新しい朱雀を向かえる日が来るのかもしれないとも思う。その気持ちをまだ知らないとし若く有能な白虎の姿とまだ戸惑う様子を見せている玄武を見つめながら、どうしたら彼らを守れるだろうかと朱雀は静かに思いをめぐらせていた。
「……よ、元気そうだな?」
音もなく天井から舞い降りしゃがみ込んだ彼の姿に、幼い少年は瞬きをしながら夜具に中から少し身を乗り出した。茶色の髪に色素の薄い瞳は、異国の血でも混じっているかのように可愛らしい造形をしていて知らなければ少女と間違いそうなほどにも見える。しかしその瞳は何処かあの古老に似た光をも宿していた。
「あの時の人だよね?」
幼いが確かな言葉は既に理知的な響きを持っているのに、彼は微かに微笑んだ。しゃがみ込んだ彼の瞳は異能の為に鮮やかな紅の色に染まっているが、その目の前の少年は臆することなくズルリと体を引きずる。その姿に微かに彼は眉を潜めた。
少年は自分の自由にならない足を引きずるようにして、彼に向かってにじり寄った。その足には夜着の隙間から酷く大きな引き連れが見え、それがあの時の傷であったことに気がつく。
病院から有無を言わさず連れて行かれた彼に何が起こったのかは分からないが、少なくともこれでも最善は尽くされての姿なのだろう。
「足は…あの時の傷か?歩けそうなのか?」
「うん、杖を使って歩くことにはなるけど、リハビリしてる。仕方ないんだ、僕が悪かったから。」
酷く大人びた口調で呟く少年の言葉に微かに胸が痛むのを感じながら、彼は少年を見下ろすとそっとその頭を撫でた。それは何時か彼にかの人や幼かった少年がしてくれたのと同じ優しさで、少年は驚いたようにその手の先を見上げる。
「……お前のせいじゃない、ココのせいだよ。今のココのな。」
その言葉に少年は初めて不思議そうな瞳の色を宿しながら、過去に見た幼い少年と同じ子供らしい笑顔で微笑みかけていた。
少年はまだ六歳になるかならないかの筈だ。しかし、時に酷く大人びて聞こえる口調は、この環境がなせるものなのかそうでないのかは分からない。それでも彼に見せたその笑顔は歳相応に見えて朱雀は、微かに苦悩に満ちた瞳で彼を見つめた。少年は静かにその笑顔を胸におさめる様にその瞳を暗く陰らせて、朱雀を見上げる。
「僕のせいで、あの人は亡くなったんでしょ……?」
不意に放たれたその言葉に彼の表情が凍る。
それは紛れもない事実ではあるが、全てが少年のせいとはいえない。白虎として完全とは言えなかったかもしれないからかもしれないし、新しい白虎が成熟し役目に耐えうる能力だからだったかもしれないし、八握脛との先頭で澪が無理をしたせいかもしれない。自分が院に向かうという彼女を一人きりにしたせいかもしれないし、武が見守っていなかったからかもしれない。そうして、少年がその日に限って院を抜け出し、逃げようとしたせいかもしれない。
だが、こんな子供にそれを言って何になるというのだろう。
全てはその運命に向かって歯車を組み上げて、逃げることすら出来ない運命だったとも言えるしそうではないとも言える。微かな痛みと共に湧き上がる怒りを感じ取ったかのように少年は酷く真摯な眼差しで月明かりに光る瞳で朱雀の真紅に輝く紅玉の瞳を覗き込んだ。その瞳の色は、朱雀の怒りを押さえ込むように真っ直ぐに彼の仲間で見透かすかのような輝きを宿している。
「僕はそれを知らなくちゃいけないって。」
少年はゆっくりと、明確な澄んだ声で武の注意を引き戻した。それはけしてその事実だけを悔やむ心だけの存在ではない、そんな意志の強さを思わせる声音で思わず彼は怒りを何処かに忘れさせられた気分になる。
「ちゃんと、あの人の思いを知ってなくちゃいけないって。」
「思い………」
小さく頷くと少年は、しっかりとした視線で彼を真正面から見据えたまま口を開く。
「僕等も、貴方達も同じ人間だから……全部大事にしなさいって。」
その言葉を伝えたのが誰で何を意図したのかが不意に湧き上がるように心を過ぎった。
白く鮮烈に儚かった人。
その人がもう一人の幼い子供に伝え続けていたのであろう言葉。鮮やかな思い出が不意に駆ける様な気がして、朱雀は揺れる視界を抱きながら少年を見つめ微笑んだ。自分よりもっと先に何かを変えようと動いていたのは、やはり澪だったのだという事が痛いほどに胸に刺さる。ふとその顔に浮かぶ苦悩に満ちた微笑を彼の手の下から少年は見上げながら、不思議そうな表情を浮かべた。
「名前は?」
暫くして穏やかに問いかけられて栗毛の少年は微かに微笑むと「二人目だね。」と擽ったそうに笑う。その言葉の意味を図りかねる朱雀の表情に少年は自分の頭を撫でる大きな暖かい手にそっとまだ小さくほっこりと暖かい白い手を添えた。
「ココの人は、僕の名前は要らないんだ。礼慈だけだよ?僕の名前を聞いたの。」
その言葉に過去に澪があの星読の少年の名前をやっと突き止めたと呆れ顔で言った姿を思い出す。朱雀の戸惑う表情を知ってか知らずか少年は至極嬉しそうに子供らしく微笑んで、その手の主を見上げた。それは、月光の下という奇妙な状況ではあったが、少年本来の姿である気がして思わず彼も微笑む。
「僕は智美。香坂智美って言うんだ。おじさんは?」
「おじさんか、ま、お前からみたらおじさんだな、俺も。」
苦笑いしながら武は少年に向かって自分の名前を告げる。そう、ここから一歩ずつ変えていくしかないのだと心の中で呟きながら。
※※※
「つつっ……あのくそハゲ……。」
「聞こえてるよ、白虎。」
「聞こえてるように言ってんだよ、人を玩具にしやがって。」
研究所の廊下を歩きながら若い白虎が、徐に舌打ちしながら前腕の火傷のような跡を猫のように舐める。唾液で治癒するわけでもないが、普通の人間よりははるかに回復力は早い。だから、研究所では四神の能力の根源を探るだのという建前で自分達には散々なことをし続けている。しかも白虎が前例のない母子での能力の遺伝を証明したことと、母親の遺体が早々に火葬され灰になってしまったことで研究所の管理統括をしている男の白虎への拘りは異様の一言だ。
「この間なんか、あのくそハゲ、見ず知らずの女の人相手に公衆の面前でセックスしろって、変態にもほどがあるだろ。」
「えっ?!」
ブチブチと文句を言う白虎が腹が立ったから、ベット粉微塵にしてやったら女の人が白目で倒れたという。勿論ここに外部の女性が入るわけはないから研究所の職員なのだろうが、二十歳になろうとする青年にやらせることではない。恐らく遺伝の性質を確認するために、白虎に生殖行為をさせたいのだろう。それにしたってマトモとは思えない。今のところ二人は精子を採ってこいとは言われていないが、朱雀曰く何時かいってくるが無視しておけとのこと。ここの隠し部屋にそれらのものが保管されているのは、当に知っている上でのことだ。
「気持ち悪くないのかね、マトモな頭とは思えないよ。俺には。」
「まあね、世の中には人をモルモットにしか感じない人間もいるってことだね。」
二人は呆れ返ったように会話しながら、一見すると病院の待合室のように見えるロビーに脚を踏み入れた。
かの女性が彼岸の彼方に去って、その忘れ形見が白虎となって僅か三年足らず。
若葉の微かに茂り始める頃に起きた豪華客船の水難事故はテレビでも大きく報道された。客船の規模は乗客は約600人、船員は約240人、世界を回るロングクルージングも航路の中にはある。ラウンジやプール、映画館などもある豪華客船。それが夜半の航行中に、船底に異常を生じ海中に沈んだ。救助ヘリやマスコミの撮影映像には、救急挺に乗り込めず船体にしがみついて家族の名前を叫ぶ乗客の姿が残されていた。救急挺が足りなかったわけではない。ただ、先に沈み始めた場所にくくりつけられた救急挺を使えなかったのと、海水温が飛び込み泳ぐのに適さない温度だったのと、回游するサメの姿がチラついていただけだ。ヘリで数人ずつ助けるのも間に合わない、明け方の朝日の中で船員の半分以上と乗客の100人ごと水面に沈んだのだ。
海中に沈んだ者の殆どの遺体は回収されることもなく、最悪の海難事故として数ヵ月後に捜索の幕を閉じることになる。巨大な船体は偶然深い海溝の中に落ちていき、それをサルベージする方法も見つからないのだ。
新しい玄武。
その出現に向けて多くの備えをしていた。それなのにその力が生まれると殆ど同時に院の手が回ったのを知った時には、もう代替わりも近い式読の用意周到さに思わず呆れた程だ。
そして、その当人を見た時に朱雀も青龍も、改めて数奇な運命という言葉を心の中で感じていた。新しい玄武は、僅か三年前に白虎の母でもあった澪を送った時に、あの場にいた青年の姿だったのだ。
土志田 悌順……信哉の幼馴染。
流石にここに来て身につけた冷静な仮面の向こうではありながらも、白虎は戸惑いを感じさせる視線で自分の幼馴染でもある青年の姿を見つめる。打ちのめされた心の痛みをまだ引きずりながらそこに立つ青年の姿を見つめながら、朱雀はふっと過去にいた者の姿を重ね合わせている自分意気がついた。そこに立つものは皆同じように見える、ふっとそんな囁く声が心を過ぎる。
「…朱雀?」
小さな白虎の訝しげに問う声に、我に返った朱雀はふっと目を細めた。
自分達以外の誰かが耳をそばだていると思われるこの部屋。
だが、それ以上にここにはもっと別な何かが存在しているかのような気がした。この薄暗い部屋の中には多くの四神だった者達の思いが、まだ漂っているかのような気がする事がある。
「いや、……なんでもない。」
薄く微笑んだ彼の表情に白虎は微かに不思議そうな視線で彼を見つめた。今の白虎と同じ年・そしてこの新しい玄武と同じ年代頃に朱雀になった自分も、きっと同じに見えたんだろうと彼はふと自分を思い返す。そして、まだ若い彼等も何時か自分と同じように新しい朱雀を向かえる日が来るのかもしれないとも思う。その気持ちをまだ知らないとし若く有能な白虎の姿とまだ戸惑う様子を見せている玄武を見つめながら、どうしたら彼らを守れるだろうかと朱雀は静かに思いをめぐらせていた。
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