GATEKEEPERS  四神奇譚

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外伝 思緋の色

第五幕 代わりに

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院の者達の手に渡る前に救急車が、辿り着いたのはある意味では幸運であったと言えた。
一緒に乗った救急車の隅で震える幼い少年を抱きしめて「大丈夫」と言い聞かせる。その言葉が実際には自分に向けて言っていた事に気がつきながら、武は救急隊員の質問に分かりうる事を答える。酸素マスクに時々染み渡る血の色は酷く鮮やかで、その上普通の人間ではわからない体内の焦げ付く匂いが彼の感覚にはまざまざと映っていた。
澪が処置を受けている間に追いついた院の者によって、少年だけは院の関連する病院へ連れて行かれた。それを阻止する事も出来たかもしれないが、全ての気力は萎えてしまったかのように武自身の抵抗力すらも削ぎ落としてしまったかのように思える。病院の公衆電話で重く暗い心のまま信哉の携帯に電話をしようとした時、武は自分の手が震えているのを見下ろした。彼は血が出るほどに唇を噛み、その手をミシリ度音がする程に握り締める。

……何故だ……どうして……守れない?

苦悩の表情のまま電話機のプッシュボタンを押す自分の中に渦巻く感情をどう表現したらいいか、武には全く分からないでいた。
処置の方法がないだろうことは想像できていた。
一先ず信哉が来るまで病状は話さずにいて貰いはしたが、それは目に見えている気がする。医師のどうして生きているのか分からないとでも言いたげな表情を目にしなくても、それは彼等には分かりきった事だったかもしれない。
一時救急病棟の部屋に移されベットで浅い呼吸をしながら酸素マスクの下で白く曇る息を吐く彼女を見下ろす。武はそっと澪の傍に歩み寄りその手に触れた。白く青白く氷のようにまたはまるで金属のように冷たい手が、武はの手のぬくもりにふと気がつく。

「澪………、あの人も呼ぶか?」

微かに開いた目は漂うようにその言葉の先を想い浮かべるようにしたが、澪はやんわりとそれでいて明確にそれを拒否した。その想いは何処に行くのかと武は表情を歪める。もう時間がない事すら目に見える状況で、ずっと想い続けた人間にも会わずに逝こうと決意させる澪の心はどんなものなのだろう。

「………澪……、俺は。」

何を言えばよいのかは分からないままに、言葉が口から溢れ落ちた。長く抱えた想いを伝えるにはこの時は残酷すぎて、余りにも遅すぎる。そう分かっているからこそ言葉は続かずに、消毒の香りが漂う空気に溶けていく。不規則に刻まれる人工的な心電図の音に霧散された。それを知っているかのように微かに澪の手がそっと武の手を握り返す。

『………て、たわ……。』

マスク越しにくぐもったその言葉が全ての答えだったような気がして、武は微かに苦悩に満ちた笑顔を浮かべた。全てを知っていた・武はもうその答えだけでいいとすら思う。知っていても答えられなかったから知らないふりをしてきた澪の想いも今は、もう何も変えようのない過去に変わろうとしている。不意に氷のような手に微かな温かさが戻り、その手はしなやかに武の手を包んだ。

『…る、……の子を……守って………しの、変わりに。』
「………狡いな、お前は………断れないと知っていて頼むんだから。」

彼の苦悩に満ちた微笑みに、彼女は微かに涙を浮かべて微笑む。

自分のかわりに守って。

それは奇しくもも彼女の息子も同じようにして、彼に向けて願った言葉に他ならなかった。武はそっとその手を握り締めて彼女の顔を見つめ、彼女も浅い呼吸の中でじっと彼の表情を見つめている。微かに震える声で「分かったよ」と呟いて武は、空いた手で彼女の柔らかで艶やかだった髪を撫で、そっとその陶器のように白い額に口づけをして身を離す。最初で最後の行為を彼女は微かに微笑んだだけで答える事もないままに武の瞳を見つめ返す。
そして、一時眠りに落ちるかのように目を閉じた彼女をその場で見下ろしてから、彼は病室から踵を返し彼女から託された者を迎える為に歩み去っていた。
信哉が病院に訪れた直後、二人きりになった彼女と息子が何を語ったのかまでは分からない。だがその会話の直後澪はショック状態に陥り、そのまままるで脆く白い花の花弁が散るかのように彼岸の彼方に旅だった。それは引き止めようもないあっという間の出来事だった。



※※※



十一月の冷たい霧雨の最中に行われた葬儀は酷く簡素なもので、訪れる人も殆どいない。それは、親戚のいない彼女には仕方がなかった事なのかもしれない。それに武も彼女の願うとおり信哉の父に伝える事もしなかったこともある。ある意味人目につく死のおかげで、彼女はこうして彼の息子に見送られる事ができたともいえた。
その青年は冷たい霧の様の冷たい小雨の中で全身をその中に曝しながら立ちつくしていた。アスファルトは今も変わらず音もなく小雨を受けてしっとりと霧を放つように煙って見えたが、まだ冬を迎える前とはいえ酷く冷たい雨がその身を芯まで凍りつかせるかのようにも思える。
青年の背後には彼を見つめる心配げな数人の姿があるが、誰もその背から放たれる拒否の気配に近づく事もできないままに彼の後姿を見つめていた。やがて、彼の幼馴染で親友でもある青年が堪えきれずに歩み寄るのを見やり武は目を細める。

数奇な運命。

そんな言葉で収めたくはなかった。
しかし彼と横にいる長月想が今まさに目にしているのは、そうとしか言い切れない現実でもある。

唯一の女性であった白虎の血を引いた青年が白虎を継ぐ。
≪異例≫と呼ばれた彼女の残した、最後の呪わしい奇跡。

病院で見たときには気がつかなかったが、今はもう目の前ではっきりと確認が出来るほどに青年は強く白く輝く金気の気配を内在している。それは武だけでなく想をも動揺させ、その上既に背後に監視を始めている院の者の気配すらも感じさせていた。親友に抱き寄せられて、彼女の死の後初めて涙を零した信哉の姿に不意に鮮やかな彼女の記憶が重なり武は思わず唇を噛んだ。
彼女が旅立った時、信哉は自分を責めなかった。
できることなら、彼女を守れなかった自分を恨んでくれたらいいのにとすら武は思ったのに、彼はそうせずにただ全てを受け入れようとしている。受け入れて、彼の母親がそうであった様に自分たちと同じ道に足を踏み入れようとしていた。そして、今の自分には彼のその決意すらとめることができない。それは、彼を守ると約束した言葉に反したような気がして彼の心に鋭い痛みをもたらした。

「………武さん。」

想が微かにとどめるような声を出し、その手をとって彼自身が気がつかないままに肉に食い込むほどに強く手を握り締めていたことを気がつかせる。穏やかに、それでいて鎮痛にも響く声で小さく想は口を開きながら、その真っ白くなるほどに力のこもった手を開かせて几帳面にたたまれたハンカチを当てた。

「僕は………間違っていた気がします。」

静かな言葉の意味を問い返すまもなく想が踵を返すのを見守る。そして、今も未だ親友の上の中で涙をこぼす鮮烈な新しい白い光の存在を感じながら、彼はふと霧雨の中・天に昇り逝く彼女であったはずの細い煙の行き先をじっと見つめていた。



※※※



普段の温和で穏やかな面差しを何処かに置いてきた様な鋭い視線で青龍が、式読の前に進み出るをの朱雀は心ここにあらずといった風に見つめていた。あと少しの時間の後この場に来るであろう者の姿を思うと、彼の心は棘が刺さったような痛みを感じる。

守るといったはずの者が、ここに来る。

それは、自分がした約束をたがえてしまう事のような罪悪感があった。たとえその青年がそれを望んだとしてもだ。

「……ここの成り立ちは間違っています。僕等も、あなた達も。」

鋭い青龍の声音にふと視線が上がる。
怒りすら感じる蒼水晶の瞳は青い光を全身に纏っているかのように輝きながら、確かに目の前の古老を見据えながら口を開いていた。

「だから?」

にべも無い古老の返答に微かな苛立ちを滲ませて青龍の体から微かに風が散り、彼の怒りの深さをあからさまに周囲に示す。だがその風はまるで壁に吸い込まれるように消えていくのに、朱雀は目を細める。それでも彼がそうして感情を表すのはこれが初めてなのかもと気がついて朱雀は、それを止める事も無くただ見つめた。

「全てを闇に葬るなんてばかげている!僕等は道具じゃない!拒否する事だって出来るはずです!」
「したければ、するがいい。その代わり何が起こる?」

古老の答えに一瞬彼が言いよどむのが分かる。その答えを思いつかないのかもしれないし、言いたくないのかもしれないと朱雀は目を細め静かに口を開いた。

「無駄だ……青龍。今のココにはココを変える力なんかないんだからな。」

自分の言葉に怒りを滲ませた彼が振り返り、行き場の無い感情が自分を睨みつけるのを感じた。無言のまま歩み寄ってくる彼の視線が酷く鋭さをまして風をはらむのを見つめながら、酷く冷静にその姿を見つめ返す自分の存在に気がついて朱雀は微かに自嘲めいた笑みをこぼす。本当は殴りつけようとでも思っていたはずだろう青龍は、不意に浮かんだその笑みに戸惑うように朱雀を見た。

「…朱雀………、貴方は……もう同じ問いをしたんですね?彼に」

人の気を詠むのに長けた彼の言葉に、朱雀は無言のまま微笑む。その笑みの中にどれだけの事を読み取ったのか、彼はその視線を伏せると思うように出来ない苛立ちの中に唇を噛んだ。

「それでも……間違ってる…僕等は……。」

青龍の瞳に宿る苦悩の色を朱雀はじっと見つめながら、微かに響いてくる足音に気がついた。それは微かではあるが確実に強い意志を秘めて、この薄暗い闇の入り口のような部屋に向かってくる。同じようにその足音に気がついた青龍が、微かに痛みを感じるかのような表情で自分を見上げたのに気がついて、彼は軽くその肩を叩いた。
自分はなにを守りたかったのだろう。
最初はただ自分が戦う事で何かを守れると思っていた。
見知らぬ何かという脅威から見知らぬ誰かを守れる事に優越感すらあった気がする。だが、それは彼女と会って変わってしまった。

自分は自分の直ぐ傍にあったものを守りたかった。

それだけが願いだった。そして、その願いは破れてもなお変わらず、今も続いている。この白と青の存在を守りたい。

それだけを望むのは傲慢だろうか?偽善だろうか?

彼はふと心の中でそう呟く。自分たちの存在すら揺るがしかねない全ての出来事を過ぎて、今扉の向こうから新しい仲間が姿を見せようとしていた。

「式読様・星読様。おいででございます。」
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