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外伝 思緋の色
第一幕 想い
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普段は穏やかでどんな物事に動じない氷室優輝が、目の前で完璧に戸惑っている。武の足に隠れるようにして優輝を見上げている鳥飼信哉は、武から優輝という人間の話は既に聞いていた。何故か緊張感を漂わせる優輝の姿に、信哉まで緊張している。
「何だよ、信哉。教えてただろ?」
とは言え実際はよくよく考えてみれば、その時二十五歳の優輝は元々一人っ子だと聞いていたし、既に十年もの月日を隠者のような生活の中で送ってきたのだ。武の様にまだこの生活を始めて一年足らずという環境と違い、仲間と『院』としか深い付き合いのない縛られた生活をしてきた中で子供と触れ合う機会などきっと皆無だっただろう。
そういう訳で、無理やり連れて行った澪の自宅で奇妙に緊張した優輝の姿を見る羽目になったのだ。ここ数日通った(通いつめたというか)武の成果か、幼い少年はオズオズと足の影から出るときちんと初めて見る青年に向かって小さな頭をぺこりと下げる。
「はじめまして、鳥飼信哉です。」
「えらいなァ~、信哉。ちゃんと挨拶するんじゃん。」
武に褒められて満更でもないのか子供ながらに少し得意げな表情を浮かべる信哉の体を無理やり抱きかかえてグシャグシャと頭を撫で回すと子供らしい歓声を上げて幼い少年が笑う。その姿を微かに戸惑うように微笑みながら見る優輝の姿とすっかり遊び相手と化した武と信哉の姿に台所から呆れたような澪の声がかけられる。
「家を集会所にする気?全くもう。」
その声は言葉の割には満更、嫌そうでもない。
それに気がついて幼い子供の笑い声は、今更ながらに凄いものだと優輝が二人を見つめる。
異例とされた女性の仲間にその子供。
こうして接するとは思っても見なかったが、確かにこうしていると何だか普通に生きている実感がするものだ。その様子に気がついたように少し前からの彼の仲間である青年が、ニッと意地悪な笑みを浮かべるのに気がついた。
「優輝だってホントはもっと早く来て見たかっただろ?信哉可愛いからな。」
思わず馬鹿言うなと返しておいて、興味津々の幼い視線に思わずたじろぐ。ほんとは早く遊びに来たかったの?とその目がキラキラしているのに、優輝の顔にまで思わず苦笑が浮かんでしまう。
「ゆーきお兄ちゃんっていうんでしょ?」
「ああ、氷室優輝だ。よろしくな、信哉。」
真っ直ぐな子供の無邪気な視線は、ほんわかと暖かい室内で周囲の冬を感じさせる気候とは相反してまるで春の澄んだ青空の色をうつしたかのようにキラキラと好奇心で光っている。
「優輝お兄ちゃんは、どこにすんでるの?近い?」
「まあ、そうだな。」
「どこ?何分?歩いていける?」
「何分かな、車で五分位じゃないか?」
「車で五分って近い?」
「う、うーん、どうかなぁ。」
五分と経たない内に少ない語彙で質問攻めにされて、思わず頭を抱えた優輝の姿に腹を抱えて武が笑う。なぜなになんでの質問の仕方は子供特有だが、されたことのない優輝には未知の領域の筈だ。
「優輝お兄ちゃん、何歳?」
「二十五だよ。」
「すごいねぇ!僕と沢山違う!」
「あはは!二十近く離れてたらおじさんだな、優輝。」
「何だと?!お前だって十以上だろうが!」
子供の力なのか普段とは全く様子の違う口調で大騒ぎしている三人の奇妙な状況に、その家の主である艶やかな黒髪を綺麗に一つに束ねた澪が呆れ顔でお盆を手に室内に顔を出す。
「ずいぶん楽しそうね、信哉。」
「お母さん!優輝お兄ちゃんね、二十五歳なんだって!」
「あら私と一つしか違わないのね。信哉、あんまり沢山聞いてお兄さんを困らせたら駄目よ?」
はーいと答えてはいるものの、どう見ても信哉のキラキラした好奇心の瞳は止める気がなさそうだ。信哉にしてみれば身の回りにこの年頃の男性は皆無だったのだろうから、楽しくて仕方がないのかもしれない。
「いやぁ、やっぱりおじさんに見えるよなァ。」
「しつこいぞ!武。」
「ちょっと、優輝さんにそう言うと私もおばさんってこと?」
「え?!」
一歳しか違わないっていったでしょと澪が冷ややかな視線で武を見下ろしたのに、武は慌てて信哉を抱き上げ質問は終了と話をそらす。抱き上げられて膝に座らされた信哉は、改めて母と優輝を比べて眺めたかと思うと首を傾げた。
「お母さん、お兄ちゃんが僕のお父さんなの?」
不意打ちの子供の声に一瞬、周囲の動きが凍りつく。
心底真面目に聞いている子供には罪はないし、大体にして年齢的にもありえないことではない。それに、幼い彼にしてみれば自分の家に来た初めての大人の男の人達なのだから、そう思っても仕方がない。かもしれないが、唖然としていた澪が突然声を上げて笑い出すのを、二人の青年は凍りついたまま聞いていた。
「ち、違うよ、信哉。お兄ちゃんが困るでしょう?」
今だ釈然としない顔をした少年の頭を優しい母親の顔で撫でながら、家主は手際よく食卓を整える。
そう言えばこの美しく真っ白な雪のような清廉な雰囲気をした女性は誰と子供をもうけたのか、それを聞いた事もなかったことに気がついた。死んだのかもしれないが、それにしては写真の一枚も飾られていない。こんなに綺麗な人なら相手は喜んで結婚したのではないだろうかと、内心思うのに彼女は気にした風でもないのだ。武は少し心の中に釈然としないものを感じながら信哉を膝に乗せて、彼女の手際の良い姿を眺める。
まだ少し微笑みを残しながら台所と今を往復する彼女を手伝う優輝の姿に、何だか奇妙に胸の内が騒いだような気がして思わず武は首を傾げていた。
※※※
微かな胸のざわつきの意味が未だ分からず、数週間が過ぎたある夜の濡羽色の闇の下でふと武は朔夜の星空を見上げる。
その身に纏っているのは緋色の焔のような色合いの異装。後ろの身頃が長く燕尾服のように翻る裾は和色の赤と朱、そうして紅が焔のように織り込まれている。
異装はそれぞれの能力の具現化で、元々の形は同じでも裾や袖は微妙に異なるものだ。急所は大概覆うようになっているのか喉元は詰襟のように高い、防具のようなものもそれぞれの身体能力似合わせて具現化するようだ。空手を身に付けている優輝の防具が拳を保護するような特殊な形をしているのは元より、朱雀になってからカポエラを身に付けた武にはいつの間にか足に防具が具現化するようになった。新しく仲間になった澪の異装は銀糸の織りこまれた純白、ピッチリ身に張り付くような旗袍めいて自分より短い裾は太股辺りで翻る。
初めて女がなったんだもんなぁ、前例なしじゃ異装の想像もできねぇし。
普通なら右衽の襟あわせがマトモな服なのに自分達の異装は全て左衽なのは、優輝曰く自分達は死人と同じだからじゃないかという。だが、武の視界の白虎の姿は左衽でも生気に満ち溢れて見え、豊かな胸元が強調された異装は一際綺麗だ。
幼い子を持ち母である澪の動向が気になるのは、自分達にとって異例だからと思っていた。しかし、それだけでは説明がつかない気持ちが、あれからずっと武の胸にはわだかまっている。
聡明で美人で一人で子供を育てて、四神としても自分より遥かにしなやかで強靭な澪。
自分にないものを沢山持っている澪が羨ましいのだろうか。
そんなことを考えながら思わず梢の上で首をかしげていると、不意に足元で気配が沸き立った。
「何、油売ってるんだ?白虎はもう最後の終わらせに行って戻ってくるぞ?」
事実、彼女の仕事は酷く手際がよかった。
優輝、いや仕事中は玄武だ。玄武に言わせるなら、気の使い方が根本的に違うのだという。玄武自身十年かけて掴んできたものを白虎は、幼い頃からの古武術の鍛錬で既に身につけているのだという。そうなると、武術に関しては素人だった朱雀にはかなり分が悪い。その上、朱雀はその性質上か感情的に成り易いせいもあって、未だ気の扱いも上手くないのだから思わず彼は梢の上で肩を落とす。
「なんか、俺自信なくしちゃうなァ……。」
その声に不思議そうに梢を見上げていた青年が、ひゅうんと空を切って傍に降り立ちまじまじと朱雀の顔を覗き込む。その視線に浮かんだあからさまな好奇心に思わず朱雀が憮然とした表情を浮かべ、玄武の顔を上目遣いに睨みつける。
「何だよォ……玄武。」
「もしかして……おまえさぁ……。」
ソコまで言いかけた玄武がふと口を噤み、朱雀は眉を潜めた。何だよと口を開きかけた瞬間、不意に白銀の衣装をまとった彼女が足元に音も立てずに、その長い漆黒の髪を尾のように舞わせて足を止めていた。呆れたように二人並んだ姿を彼女は、下から見上げる。
「ちょっと、二人で何遊んでるの?私自分の分は終わらせたから帰るからねっ!」
「あぁ悪いな、ちゃんと残りは始末して帰るから、白虎。」
急ぎ足で姿を消す彼女の後姿はあっという間に闇の中に彗星のように尾を引いて二人から遠ざかって行く。玄武が白虎の気配に気がついて口を噤んだことに気がついて、朱雀は不思議な気持ちを感じながらその遠ざかる背中を思わす目で追う。
しなやかな綺麗な彼女。
急いでいるのは、彼女の同じアパートに住む友人に一時息子を預けているからだ。まるでパートタイムのような状況だが、彼女自身はまだ幼い息子一人を置き去りには出来ない。それに実際、翻訳の仕事もしている今までも数度仕事の関係で預かってもらったことがあるらしく友人の土志田という同じ年の子供を持つ人は快く預かってくれて入るらしい。だが、それでも彼女自身の負担は出来るだけ増やさないように勤めているが、確実に彼女をこうして縛る時間は増えただろう。何しろ院と来たら嬉々として、彼女に人体実験をしたがっている。
「お前さ、彼女のこと………好きなの?」
不意に彼女の背中を目で追っていた朱雀の頭上からかけられた声に、彼自身が一瞬意味が分からず固まる。
暫しの間隔。
そして言われたことの理解が落ちてきて、思わず朱雀は慌てた様に横の青年を振り仰いだ。
「な・何言ってんだよ!あんな………。」
何か言おうとするがその先が続かない。
その青年の顔が見る間に朱に染まるのを見つめながら、仲間であり友人であり、そして今では彼の兄弟のような存在でもある玄武は納得したような表情を浮かべる。闇夜の中でもはっきり分かる朱に染まった顔で、慌てふためき弁明する朱雀青年の様子を適当にあしらいながら、ふと玄武はこの場合恋が成就したらどうなるのかなと心の中で呟いた。
それはあっても良いような気がするが。
「おい!ちょっと待てってば、何納得してんだッ!玄武ッ!」
はいはいと適当にあしらって、自分が既にそういう感情を忘れつつある事に気がつく。長くこの仕事をしている玄武には院に隔離される時間が長すぎて、普通の生活が一体どんなものなのか忘れてしまいそうになる。玄武は「先に行くぞ」と声をかけて梢から飛び降りる。その背後では、今も茹蛸のように真っ赤に染まった顔をして何かを言う朱雀の声だけが虚しく響いていた。
「何だよ、信哉。教えてただろ?」
とは言え実際はよくよく考えてみれば、その時二十五歳の優輝は元々一人っ子だと聞いていたし、既に十年もの月日を隠者のような生活の中で送ってきたのだ。武の様にまだこの生活を始めて一年足らずという環境と違い、仲間と『院』としか深い付き合いのない縛られた生活をしてきた中で子供と触れ合う機会などきっと皆無だっただろう。
そういう訳で、無理やり連れて行った澪の自宅で奇妙に緊張した優輝の姿を見る羽目になったのだ。ここ数日通った(通いつめたというか)武の成果か、幼い少年はオズオズと足の影から出るときちんと初めて見る青年に向かって小さな頭をぺこりと下げる。
「はじめまして、鳥飼信哉です。」
「えらいなァ~、信哉。ちゃんと挨拶するんじゃん。」
武に褒められて満更でもないのか子供ながらに少し得意げな表情を浮かべる信哉の体を無理やり抱きかかえてグシャグシャと頭を撫で回すと子供らしい歓声を上げて幼い少年が笑う。その姿を微かに戸惑うように微笑みながら見る優輝の姿とすっかり遊び相手と化した武と信哉の姿に台所から呆れたような澪の声がかけられる。
「家を集会所にする気?全くもう。」
その声は言葉の割には満更、嫌そうでもない。
それに気がついて幼い子供の笑い声は、今更ながらに凄いものだと優輝が二人を見つめる。
異例とされた女性の仲間にその子供。
こうして接するとは思っても見なかったが、確かにこうしていると何だか普通に生きている実感がするものだ。その様子に気がついたように少し前からの彼の仲間である青年が、ニッと意地悪な笑みを浮かべるのに気がついた。
「優輝だってホントはもっと早く来て見たかっただろ?信哉可愛いからな。」
思わず馬鹿言うなと返しておいて、興味津々の幼い視線に思わずたじろぐ。ほんとは早く遊びに来たかったの?とその目がキラキラしているのに、優輝の顔にまで思わず苦笑が浮かんでしまう。
「ゆーきお兄ちゃんっていうんでしょ?」
「ああ、氷室優輝だ。よろしくな、信哉。」
真っ直ぐな子供の無邪気な視線は、ほんわかと暖かい室内で周囲の冬を感じさせる気候とは相反してまるで春の澄んだ青空の色をうつしたかのようにキラキラと好奇心で光っている。
「優輝お兄ちゃんは、どこにすんでるの?近い?」
「まあ、そうだな。」
「どこ?何分?歩いていける?」
「何分かな、車で五分位じゃないか?」
「車で五分って近い?」
「う、うーん、どうかなぁ。」
五分と経たない内に少ない語彙で質問攻めにされて、思わず頭を抱えた優輝の姿に腹を抱えて武が笑う。なぜなになんでの質問の仕方は子供特有だが、されたことのない優輝には未知の領域の筈だ。
「優輝お兄ちゃん、何歳?」
「二十五だよ。」
「すごいねぇ!僕と沢山違う!」
「あはは!二十近く離れてたらおじさんだな、優輝。」
「何だと?!お前だって十以上だろうが!」
子供の力なのか普段とは全く様子の違う口調で大騒ぎしている三人の奇妙な状況に、その家の主である艶やかな黒髪を綺麗に一つに束ねた澪が呆れ顔でお盆を手に室内に顔を出す。
「ずいぶん楽しそうね、信哉。」
「お母さん!優輝お兄ちゃんね、二十五歳なんだって!」
「あら私と一つしか違わないのね。信哉、あんまり沢山聞いてお兄さんを困らせたら駄目よ?」
はーいと答えてはいるものの、どう見ても信哉のキラキラした好奇心の瞳は止める気がなさそうだ。信哉にしてみれば身の回りにこの年頃の男性は皆無だったのだろうから、楽しくて仕方がないのかもしれない。
「いやぁ、やっぱりおじさんに見えるよなァ。」
「しつこいぞ!武。」
「ちょっと、優輝さんにそう言うと私もおばさんってこと?」
「え?!」
一歳しか違わないっていったでしょと澪が冷ややかな視線で武を見下ろしたのに、武は慌てて信哉を抱き上げ質問は終了と話をそらす。抱き上げられて膝に座らされた信哉は、改めて母と優輝を比べて眺めたかと思うと首を傾げた。
「お母さん、お兄ちゃんが僕のお父さんなの?」
不意打ちの子供の声に一瞬、周囲の動きが凍りつく。
心底真面目に聞いている子供には罪はないし、大体にして年齢的にもありえないことではない。それに、幼い彼にしてみれば自分の家に来た初めての大人の男の人達なのだから、そう思っても仕方がない。かもしれないが、唖然としていた澪が突然声を上げて笑い出すのを、二人の青年は凍りついたまま聞いていた。
「ち、違うよ、信哉。お兄ちゃんが困るでしょう?」
今だ釈然としない顔をした少年の頭を優しい母親の顔で撫でながら、家主は手際よく食卓を整える。
そう言えばこの美しく真っ白な雪のような清廉な雰囲気をした女性は誰と子供をもうけたのか、それを聞いた事もなかったことに気がついた。死んだのかもしれないが、それにしては写真の一枚も飾られていない。こんなに綺麗な人なら相手は喜んで結婚したのではないだろうかと、内心思うのに彼女は気にした風でもないのだ。武は少し心の中に釈然としないものを感じながら信哉を膝に乗せて、彼女の手際の良い姿を眺める。
まだ少し微笑みを残しながら台所と今を往復する彼女を手伝う優輝の姿に、何だか奇妙に胸の内が騒いだような気がして思わず武は首を傾げていた。
※※※
微かな胸のざわつきの意味が未だ分からず、数週間が過ぎたある夜の濡羽色の闇の下でふと武は朔夜の星空を見上げる。
その身に纏っているのは緋色の焔のような色合いの異装。後ろの身頃が長く燕尾服のように翻る裾は和色の赤と朱、そうして紅が焔のように織り込まれている。
異装はそれぞれの能力の具現化で、元々の形は同じでも裾や袖は微妙に異なるものだ。急所は大概覆うようになっているのか喉元は詰襟のように高い、防具のようなものもそれぞれの身体能力似合わせて具現化するようだ。空手を身に付けている優輝の防具が拳を保護するような特殊な形をしているのは元より、朱雀になってからカポエラを身に付けた武にはいつの間にか足に防具が具現化するようになった。新しく仲間になった澪の異装は銀糸の織りこまれた純白、ピッチリ身に張り付くような旗袍めいて自分より短い裾は太股辺りで翻る。
初めて女がなったんだもんなぁ、前例なしじゃ異装の想像もできねぇし。
普通なら右衽の襟あわせがマトモな服なのに自分達の異装は全て左衽なのは、優輝曰く自分達は死人と同じだからじゃないかという。だが、武の視界の白虎の姿は左衽でも生気に満ち溢れて見え、豊かな胸元が強調された異装は一際綺麗だ。
幼い子を持ち母である澪の動向が気になるのは、自分達にとって異例だからと思っていた。しかし、それだけでは説明がつかない気持ちが、あれからずっと武の胸にはわだかまっている。
聡明で美人で一人で子供を育てて、四神としても自分より遥かにしなやかで強靭な澪。
自分にないものを沢山持っている澪が羨ましいのだろうか。
そんなことを考えながら思わず梢の上で首をかしげていると、不意に足元で気配が沸き立った。
「何、油売ってるんだ?白虎はもう最後の終わらせに行って戻ってくるぞ?」
事実、彼女の仕事は酷く手際がよかった。
優輝、いや仕事中は玄武だ。玄武に言わせるなら、気の使い方が根本的に違うのだという。玄武自身十年かけて掴んできたものを白虎は、幼い頃からの古武術の鍛錬で既に身につけているのだという。そうなると、武術に関しては素人だった朱雀にはかなり分が悪い。その上、朱雀はその性質上か感情的に成り易いせいもあって、未だ気の扱いも上手くないのだから思わず彼は梢の上で肩を落とす。
「なんか、俺自信なくしちゃうなァ……。」
その声に不思議そうに梢を見上げていた青年が、ひゅうんと空を切って傍に降り立ちまじまじと朱雀の顔を覗き込む。その視線に浮かんだあからさまな好奇心に思わず朱雀が憮然とした表情を浮かべ、玄武の顔を上目遣いに睨みつける。
「何だよォ……玄武。」
「もしかして……おまえさぁ……。」
ソコまで言いかけた玄武がふと口を噤み、朱雀は眉を潜めた。何だよと口を開きかけた瞬間、不意に白銀の衣装をまとった彼女が足元に音も立てずに、その長い漆黒の髪を尾のように舞わせて足を止めていた。呆れたように二人並んだ姿を彼女は、下から見上げる。
「ちょっと、二人で何遊んでるの?私自分の分は終わらせたから帰るからねっ!」
「あぁ悪いな、ちゃんと残りは始末して帰るから、白虎。」
急ぎ足で姿を消す彼女の後姿はあっという間に闇の中に彗星のように尾を引いて二人から遠ざかって行く。玄武が白虎の気配に気がついて口を噤んだことに気がついて、朱雀は不思議な気持ちを感じながらその遠ざかる背中を思わす目で追う。
しなやかな綺麗な彼女。
急いでいるのは、彼女の同じアパートに住む友人に一時息子を預けているからだ。まるでパートタイムのような状況だが、彼女自身はまだ幼い息子一人を置き去りには出来ない。それに実際、翻訳の仕事もしている今までも数度仕事の関係で預かってもらったことがあるらしく友人の土志田という同じ年の子供を持つ人は快く預かってくれて入るらしい。だが、それでも彼女自身の負担は出来るだけ増やさないように勤めているが、確実に彼女をこうして縛る時間は増えただろう。何しろ院と来たら嬉々として、彼女に人体実験をしたがっている。
「お前さ、彼女のこと………好きなの?」
不意に彼女の背中を目で追っていた朱雀の頭上からかけられた声に、彼自身が一瞬意味が分からず固まる。
暫しの間隔。
そして言われたことの理解が落ちてきて、思わず朱雀は慌てた様に横の青年を振り仰いだ。
「な・何言ってんだよ!あんな………。」
何か言おうとするがその先が続かない。
その青年の顔が見る間に朱に染まるのを見つめながら、仲間であり友人であり、そして今では彼の兄弟のような存在でもある玄武は納得したような表情を浮かべる。闇夜の中でもはっきり分かる朱に染まった顔で、慌てふためき弁明する朱雀青年の様子を適当にあしらいながら、ふと玄武はこの場合恋が成就したらどうなるのかなと心の中で呟いた。
それはあっても良いような気がするが。
「おい!ちょっと待てってば、何納得してんだッ!玄武ッ!」
はいはいと適当にあしらって、自分が既にそういう感情を忘れつつある事に気がつく。長くこの仕事をしている玄武には院に隔離される時間が長すぎて、普通の生活が一体どんなものなのか忘れてしまいそうになる。玄武は「先に行くぞ」と声をかけて梢から飛び降りる。その背後では、今も茹蛸のように真っ赤に染まった顔をして何かを言う朱雀の声だけが虚しく響いていた。
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