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第二部
第七幕 都立第三高校 第一体育館
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微かな動きで眼下の状況を見回した、玄武は龍の片腕に掴まりながら眼を細める。数メートル下にある世界はまるで台風か竜巻でも映像にしたかのような風の渦が巻き起こって、かろうじて原型を保っていた壁を花弁のように捻じ曲げていく。
「全く…好き勝手しやがる。」
溜息交じりの声に微かな苦笑を浮かべながら、まだ普段に比べて教師の気配を漂わせる玄武の姿を蒼水晶の瞳が見つめた。その視線に気がついた様に玄武はヒュウとその腕から黒い光の帯を延ばす。その蒼い鱗の首元にフワリと足をかけた彼は、そのしなやかでユッタリと波打つような龍の肢体を眺めた。
「…平気か?」
自分を気遣う声音に蒼水晶の瞳が色を増して、玄武の顔を見つめた。
かつて自分が犯した過ち。
それが心に刻むつけた思いは、酷く深くそれまでの彼を揺るがすものだった。だが、それ以上に青龍にとっては、今やその声の主や仲間の方が何よりも大事だ。そしてその感情は何かに惹かれるように、自分の中に押し込めていた激しい衝動すら従わせて表に溢れようとしている。
だから、許さない…。
母校の体育館で済んだから良いでしょうと口にして見せたが、本心ではそれすらも許しがたい。逆鱗に触れるという言葉が存在するが、本来ならば激怒して怒鳴り付けたいとすら思う。ただ怒鳴り付けて何か感じるような相手ではないから、無駄な怒りを表面に出すのが無駄だと考えているだけだ。それよりは、自慢げな策を尽く踏み潰してから、賑やかに微笑みかけてやった方が絶対にスッキリする。そう口にした青龍に、玄武が目を丸くするのが見えた。
風が擦れる摩擦でパチパチと体が放電するような音を立てるのを感じながら青龍は、眼窩を冷ややかな瞳で見据え鋭く低い咆哮を上げた。
「青龍…。」
『大丈夫、頭は冷静ですから。』
その脳裏に言葉を放ちながらも浮かぶのは先ほどの黒い球体に浮かぶ2人の姿と、灰になるように崩れた女性の姿だった。龍は低く呟くように言葉を暗がりで青く輝きながら繋ぐ。
『…ただ、あいつを許せないだけです。』
一瞬その様子を伺うように見た玄武の視線が震えるように揺らいだのは、その脳裏に先ほどの女性が掠めたせいだと青水晶の瞳は本能的に感じる。だがそれも彼のせいではなく眼下にいるあの風の中のもののせいに他ならない。風に吹き散らされた炎の中心にいたものは黒い消し炭のような体のまま上空に浮かぶ三人の姿をゆっくりと見上げ、その体より真っ黒い瞳と半円に白く抜けるような笑みを顔に貼り付けて渦巻きの中心にいた。
≪さぁ、新しく何をしようか?私が存分に楽しめる様でなくてはな?≫
巻き起こる風の中心でそう嘲るものは不意にその身を捩り、その先から生まれた風の刃が四方に向かって乱れ飛ぶ。音を立てて光を含んだ風と炎が、その刃を弾き飛ばす。それを窮奇は微かに楽しげな様子で眺めながら身を捩り続ける。外形だけを人の形を残したそのものの姿は酷く歪な人形じみていて、今までにない不快感が青龍の神経を逆撫でする。
『玄武。仕掛けます!』
答える隙もない瞬間の動作をまるで予期していたように、首元に掴まった黒い光の帯が還元して自分の水気を龍の体内に向けて流し込む。水気を与えられて鋭い咆哮をあげる青龍は、今までにない激しい風を鋭い刃に変えて真正面から風に向けて矢継ぎ早に放った。
鋭くまるで雷光が駆ける。あまりにも激しい摩擦に帯電した風が稲妻を纏い、轟音を弾けさせて僅かに残っていた床を切り裂くのが少し離れた上空を舞う既に神獣の姿に変異した朱雀の視界にも移る。
緋色の双翼をはためかせた朱雀は大気に飛び散った妖気を含んだ木気を自分が放つ火気で浄化しながら、クルリと旋回して眼下の変容を見下ろした。強い木気の刃に相殺された風の渦の中でそのものは忌々しげに口に貼り付けた笑みを一瞬更に横に広げ、それはまるで口が耳まで避けているというのに相応しい容貌に変わる。
≪忌々しい……。私の楽しみを削る事ばかりだな。≫
そして不意にそれは微かに身をかがめたかと思うとバクリと音を立てて黒一色の背面を縦に亀裂を産み落とした。おぞましい変容を見据えながら青龍は手を休める事無く鋭い風の刃でその身を襲い、その体は千切れんばかりに深い傷を追いながらも微動だにしない。
≪まぁ、よいとしてやろう。≫
そう、そのものが口にした瞬間、今迄とは質の違う鈍い地響きが起こる。深く地の奥底から響く地鳴りと同時に、上空に居る筈の三人迄引きずられ暗い闇の中に落ちていく感覚に飲み込まれていた。激しい地響きと同時に噴き上げる濁った妖気を孕む風は、全てを凍りつかせ枯渇させるかのように死臭を放つ。その風はまるで蛇のように、地表を這うように滑り出す。その風の触れる全てが腐食していく姿を眼に、蒼水晶の瞳は微かな驚きに満ちた咆哮を上げ、その風を抑えるかのように対になる風を放つ。
それすらも嘲るかのように眼下の黒い背中から不意に枝を樹木が延ばすかのように枯れ枝のような骨組みを伸ばした。
≪もう…暫し楽しみたかったのだがなぁ…。少し時間がかかりすぎたか。≫
眼下の窮奇は始めてクツクツと地の底から響くような笑声をこぼしながら、顔も上げないのにその口が更に横に裂ける様に開くのが見える。おぞましきその存在はユラリとその体を動かしたかと思うと、激しい地響きと同時に地表に大きな亀裂を生み出した。
『?!』
周囲を旋回していた朱雀の声にならない声の横で同じように青龍も玄武も鋭い痛みにも似た違和感を大気中に感じ取っていた。それは、今までになかった流れをまるで手繰り寄せるかのような奇妙な感覚で、大気をびりびりと震わせ残っていた体育館の床の残骸を溶かすかのように一気に灰へと変える。
その感覚は初めてなのに初めてのものではなかった。
『あいつッ!!』
空中を旋回していた朱雀の鋭い怒りの声音が放たれる。その周囲に向かって放たれる妖気を火気で薙ぎ払いながら、一気に下降を始める。しかし、矢継ぎ早に放たれる朱雀の火球をその体に直に受けながら、その妖異はけたたましい笑い声を立てた。
窮奇は饕餮とは違い容易く、確かに地中の奥深く流れる地脈自分の足元に手繰り寄せている。
『燃えちまえ!!』
「朱雀!迂闊に寄るな!」
その瞬間鋭い炎の矢を実に浴びながらも微動だにしなかった窮奇が腕を模したものを天に差し伸べるかのように上げた。それが視界に入ったと思った瞬間、焼けるような鋭い痛みと同時に朱雀は自分の体が平衡感覚を失ったのに気がついた。
『朱雀!!』
青龍の悲鳴のような声を頭上ではなく足の下に聞きながら、自分の体がそこで初めて闇夜の中落下しているのだと気がつく。
何がおきたのか判らないままに地表に叩きつけられようとする直前衝撃で変化が解けた自分の体を不意に抱きとめるかのような感覚がして、朱雀はグルグルと回る視界の中に白銀の光を見つけていた。その姿に何かを言おうと口を開く自分の声が全く外に出ないことに驚きを感じながら朱雀は、初めて自分の体に食い込む様な痛みを感じる。
「朱雀!!白虎!!」
地表に降り立つ玄武が駆け寄り抱きとめられた体を巨躯から腕に譲り受けて、その傷に手を当てると鋭い痛みが思わず苦痛の呻きになって口から零れた。
『玄武・朱雀は任すぞ。』
抉り取られたような朱雀の傷口は強い妖気を孕んで、その周囲を枯渇させるかのように腐食していく。それを玄武は小さな舌打ちと同時に見やる。
じわじわと近づく地脈の気配を感じながら、先ほどまでよりも二周りも巨大な本来の白銀の光を纏う白虎の姿と蒼く煌くような鱗を鳴らす巨大な青龍の視線をまともに受け、それでもそのものは嘲笑を放つ事をやめない。それはその先に自分が起こそうとする事象を予見するかのような邪悪な笑いに他ならなかった。
『青龍!』
鋭い白虎の咆哮と同時にその四肢は床の破片を散らすように地を蹴り、それと殆ど間をおかずに怒りに燃えるような蒼玉の輝きは自分達よりもはるかに小さく、それでいてはるかに邪悪な存在に向かって打ちかかる。そのものは一瞬嘲笑をおさめながらも、二つの力を身をくねらせて避け激しく妖気を闇を塗りこむように四方の大気に向かって枝のように伸ばし続けていた。
蒼い光の含む風の刃と鈍く金属の白刃の弧線の先で、切り裂かれた黒塗りの人を模したモノは一瞬収めていた嘲笑の口元を再び曝し全ての攻撃をその身に受けて平然と立っている。
闇を裂く様にしなやかに反転し人外の姿を見た白虎は、不意にその体を切り付けた反動で宙に跳ね上がり音もなく青龍の肩口に飛び上がるとその足を重みもなく乗せる。
『白虎?』
『妙だ。青龍……奴の妖気の大本を見てくれ、その間は俺がひきとめる。』
一瞬の間もなく再び地表に降りながら真っ直ぐにそのモノに攻撃を仕掛ける巨躯の白虎の弧線を見やりながら、青龍もその言葉の意味に気がついて蒼水晶の瞳が細められた。窮奇が二十年以上も長い間膨大な妖力を密かに蓄えていたとしても、相剋の存在である白虎の攻撃を直にそのまま受ければ傷を負ってしまう筈だ。それを弾きもせず受けるその体は黒ずんでいるとはいえ、あの饕餮が追い込まれた時のような黒い血の様な妖気の迸りが全くない。青龍は大気中にうっすらと貼りめぐらされた気の流れを、同時に攻撃も欠かさないままに手繰り寄せていく。
※※※
地響きをその体に直に感じながら玄武は、微かな憤りにも似た感情の中で自分達の周囲に微かに張り巡らされている気の流れを見つめる。それは金気に触れて微かな反応を示し発光するかの様に微かに妖気を放ち、その存在がまだ周囲に根の様に妖気を貼りめぐらせているのを感じさせた。腕の中の朱雀が顔をしかめ、痛みの中で体を起こしながら玄武を見上げる。
「玄武…。」
「もう少し待ってろ、お前は効きが悪いからな。」
苛立つ様なその声を見やり朱雀は微かに目を細めた。元々相剋の関係の玄武の治癒は、朱雀には今一つ効き目が悪い。だが、それにも増して玄武の声音は酷く深く怒りに似た感情に満ちて、その存在が何なのか朱雀には何故かまだ理解できない様な気がした。深く冷たい冷やかな水の流れの奥底にある感情は僅かに波立ち表層に染み出しているが、それを掴み切る前に目の前の青年は微かにその感情を押し籠めるかのように表情を緩め彼を見下ろす。
「よし…応急的だが仕方ない。立てるか?」
完全ではない傷の存在を感じながらも塞がりかけたその疼きに変わった痛みを手で抑えながら身を起こす。
忌々しげに交戦をかわすモノを見やりながら玄武は微かに普段の彼の表情を取り戻しながら、闇の中に微細に広がる妖気を肌にチリチリと感じる。異装の下の服がどんな状況なのかは分からないが、少なくともそのまま帰れるか不安になる。
「くそ…服がもったいねぇな……。」
「着替えもってくりゃ良かったか?」
「帰りが面倒だからな、その方が助かったな。」
気持ちを切り替える様にそんな無駄口を叩きすっかり玄武の表情に変わる青年に、微かに感じた違和感にも似た先程の感情の存在を見えないのに朱雀は訝しげに眺める。それに気が付いていない様子のままその青年は微かな燐光にも似た黒い輝きをその体から溢れさせる様に一時に地表に向けて滴らせた。
不意に足元で起こった化学変化の様な妖気の発光に、それがワザと溢れさせられた水気に反応した木気のざわめきである事に気がつき青龍は微かに口元を緩めた。自分が気を探りながら攻撃を仕掛けている事に気がついた玄武の行動で、それは張り巡らされた妖気の全体を浮き上がらせる。
『白虎!!』
空を裂くような咆哮と同時にあげた叫び声がまるで刃に変わるかのように地表を激しく抉りたて、今まで嘲笑を浮かべたいた黒い異界のものは突然その表情を変えた。その体とは全く離れた場所を矢継ぎ早に風で薙ぎ払いながら、蒼水晶の眼下に曝された地表は既に深く抉りとられた傷を刻みこまれる。
そこに向かって白刃の弧線が振り下ろされようとした瞬間、土中に没していたそれは土砂を巻き上げる様に勢いよく空中に飛び出した。
『見つけましたよ?それが貴方の本体ですね。』
宙に舞い上がった黒い影の飛び出す先を事前に読み切っていたかのように背後に回った青龍が穏やかな声音と同時にまるで圧縮した塊のような空気を放っていた。
空気の弾丸に背後から突き飛ばされたそのものは微かに驚きの息を溢しながら、空中でぐるりと体を反転させて四足の生物のように大地に爪を立てた。地面の下から見せたその姿は目の前にいる白銀の巨躯と同じ程の大きさを持つ漆黒の闇を思わせる四足の存在で、微かにそのものは首をめぐらせたかと思うとニイと真一文字に避けた口を歪ませる。不意にその前足の付け根から巻き起こった妖気を抱く対になる羽根がその体を巻き込んだかと思うとその姿は再び人を模したものに変容した。しかし、先ほどまでと違いそのものは冷ややかな瞳に冷笑を湛えて周囲を見渡す。
≪ふふふ、これは侮った。まさか気がつかれるとは。≫
その闇色の瞳は不意にジリと間合いをとりながらビリビリと大気を震わせるような濃い瘴気を纏う様な風をその四肢から放つ。嘲るような視線を如実に浮かべながら窮奇は微かに体をずらすと動きを牽制するように、青龍に向かって鋭い風のうねりを生み出した。
『流石に本体に攻撃をされたくはないらしいな?貴様も。』
白虎の静かな声音を合図にしたかのように不意に妖気の先に燃え広がった炎を忌々しげにそのものは、微かに眼を細めながら周囲に舞うように姿を見せた残り二つの異形の姿を見やった。四つの光に囲まれた深い闇は微かにその美しく整った形をした唇を歪め、まるで微笑んだかのよう見える表情を形作る。
『どうする気かしらねぇが、さっさと燃え尽きて欲しいもんだな?木気だろ。』
鋭い射すような炎の矢に大気中に舞う妖気の端を燃やされながら窮奇の視線は再び間合いを計るように蠢き、その唇が再び歪んだ。
『?!…玄武っ!』
蒼玉の輝きを秘めた激しい声音の先で不意に起きた地鳴りに玄武が思わず飛びのくのを見やりながら、そのものは激しい嘲笑の声を上げて地表に競りあがってきた地脈を己の妖気という爪で深く引き裂く。けたたましい笑声の向こうで不意に湧き出した地脈の力の直ぐ傍にある存在に、四人ともが殆ど同時に驚愕に満ちた目を見開いていた。
「全く…好き勝手しやがる。」
溜息交じりの声に微かな苦笑を浮かべながら、まだ普段に比べて教師の気配を漂わせる玄武の姿を蒼水晶の瞳が見つめた。その視線に気がついた様に玄武はヒュウとその腕から黒い光の帯を延ばす。その蒼い鱗の首元にフワリと足をかけた彼は、そのしなやかでユッタリと波打つような龍の肢体を眺めた。
「…平気か?」
自分を気遣う声音に蒼水晶の瞳が色を増して、玄武の顔を見つめた。
かつて自分が犯した過ち。
それが心に刻むつけた思いは、酷く深くそれまでの彼を揺るがすものだった。だが、それ以上に青龍にとっては、今やその声の主や仲間の方が何よりも大事だ。そしてその感情は何かに惹かれるように、自分の中に押し込めていた激しい衝動すら従わせて表に溢れようとしている。
だから、許さない…。
母校の体育館で済んだから良いでしょうと口にして見せたが、本心ではそれすらも許しがたい。逆鱗に触れるという言葉が存在するが、本来ならば激怒して怒鳴り付けたいとすら思う。ただ怒鳴り付けて何か感じるような相手ではないから、無駄な怒りを表面に出すのが無駄だと考えているだけだ。それよりは、自慢げな策を尽く踏み潰してから、賑やかに微笑みかけてやった方が絶対にスッキリする。そう口にした青龍に、玄武が目を丸くするのが見えた。
風が擦れる摩擦でパチパチと体が放電するような音を立てるのを感じながら青龍は、眼窩を冷ややかな瞳で見据え鋭く低い咆哮を上げた。
「青龍…。」
『大丈夫、頭は冷静ですから。』
その脳裏に言葉を放ちながらも浮かぶのは先ほどの黒い球体に浮かぶ2人の姿と、灰になるように崩れた女性の姿だった。龍は低く呟くように言葉を暗がりで青く輝きながら繋ぐ。
『…ただ、あいつを許せないだけです。』
一瞬その様子を伺うように見た玄武の視線が震えるように揺らいだのは、その脳裏に先ほどの女性が掠めたせいだと青水晶の瞳は本能的に感じる。だがそれも彼のせいではなく眼下にいるあの風の中のもののせいに他ならない。風に吹き散らされた炎の中心にいたものは黒い消し炭のような体のまま上空に浮かぶ三人の姿をゆっくりと見上げ、その体より真っ黒い瞳と半円に白く抜けるような笑みを顔に貼り付けて渦巻きの中心にいた。
≪さぁ、新しく何をしようか?私が存分に楽しめる様でなくてはな?≫
巻き起こる風の中心でそう嘲るものは不意にその身を捩り、その先から生まれた風の刃が四方に向かって乱れ飛ぶ。音を立てて光を含んだ風と炎が、その刃を弾き飛ばす。それを窮奇は微かに楽しげな様子で眺めながら身を捩り続ける。外形だけを人の形を残したそのものの姿は酷く歪な人形じみていて、今までにない不快感が青龍の神経を逆撫でする。
『玄武。仕掛けます!』
答える隙もない瞬間の動作をまるで予期していたように、首元に掴まった黒い光の帯が還元して自分の水気を龍の体内に向けて流し込む。水気を与えられて鋭い咆哮をあげる青龍は、今までにない激しい風を鋭い刃に変えて真正面から風に向けて矢継ぎ早に放った。
鋭くまるで雷光が駆ける。あまりにも激しい摩擦に帯電した風が稲妻を纏い、轟音を弾けさせて僅かに残っていた床を切り裂くのが少し離れた上空を舞う既に神獣の姿に変異した朱雀の視界にも移る。
緋色の双翼をはためかせた朱雀は大気に飛び散った妖気を含んだ木気を自分が放つ火気で浄化しながら、クルリと旋回して眼下の変容を見下ろした。強い木気の刃に相殺された風の渦の中でそのものは忌々しげに口に貼り付けた笑みを一瞬更に横に広げ、それはまるで口が耳まで避けているというのに相応しい容貌に変わる。
≪忌々しい……。私の楽しみを削る事ばかりだな。≫
そして不意にそれは微かに身をかがめたかと思うとバクリと音を立てて黒一色の背面を縦に亀裂を産み落とした。おぞましい変容を見据えながら青龍は手を休める事無く鋭い風の刃でその身を襲い、その体は千切れんばかりに深い傷を追いながらも微動だにしない。
≪まぁ、よいとしてやろう。≫
そう、そのものが口にした瞬間、今迄とは質の違う鈍い地響きが起こる。深く地の奥底から響く地鳴りと同時に、上空に居る筈の三人迄引きずられ暗い闇の中に落ちていく感覚に飲み込まれていた。激しい地響きと同時に噴き上げる濁った妖気を孕む風は、全てを凍りつかせ枯渇させるかのように死臭を放つ。その風はまるで蛇のように、地表を這うように滑り出す。その風の触れる全てが腐食していく姿を眼に、蒼水晶の瞳は微かな驚きに満ちた咆哮を上げ、その風を抑えるかのように対になる風を放つ。
それすらも嘲るかのように眼下の黒い背中から不意に枝を樹木が延ばすかのように枯れ枝のような骨組みを伸ばした。
≪もう…暫し楽しみたかったのだがなぁ…。少し時間がかかりすぎたか。≫
眼下の窮奇は始めてクツクツと地の底から響くような笑声をこぼしながら、顔も上げないのにその口が更に横に裂ける様に開くのが見える。おぞましきその存在はユラリとその体を動かしたかと思うと、激しい地響きと同時に地表に大きな亀裂を生み出した。
『?!』
周囲を旋回していた朱雀の声にならない声の横で同じように青龍も玄武も鋭い痛みにも似た違和感を大気中に感じ取っていた。それは、今までになかった流れをまるで手繰り寄せるかのような奇妙な感覚で、大気をびりびりと震わせ残っていた体育館の床の残骸を溶かすかのように一気に灰へと変える。
その感覚は初めてなのに初めてのものではなかった。
『あいつッ!!』
空中を旋回していた朱雀の鋭い怒りの声音が放たれる。その周囲に向かって放たれる妖気を火気で薙ぎ払いながら、一気に下降を始める。しかし、矢継ぎ早に放たれる朱雀の火球をその体に直に受けながら、その妖異はけたたましい笑い声を立てた。
窮奇は饕餮とは違い容易く、確かに地中の奥深く流れる地脈自分の足元に手繰り寄せている。
『燃えちまえ!!』
「朱雀!迂闊に寄るな!」
その瞬間鋭い炎の矢を実に浴びながらも微動だにしなかった窮奇が腕を模したものを天に差し伸べるかのように上げた。それが視界に入ったと思った瞬間、焼けるような鋭い痛みと同時に朱雀は自分の体が平衡感覚を失ったのに気がついた。
『朱雀!!』
青龍の悲鳴のような声を頭上ではなく足の下に聞きながら、自分の体がそこで初めて闇夜の中落下しているのだと気がつく。
何がおきたのか判らないままに地表に叩きつけられようとする直前衝撃で変化が解けた自分の体を不意に抱きとめるかのような感覚がして、朱雀はグルグルと回る視界の中に白銀の光を見つけていた。その姿に何かを言おうと口を開く自分の声が全く外に出ないことに驚きを感じながら朱雀は、初めて自分の体に食い込む様な痛みを感じる。
「朱雀!!白虎!!」
地表に降り立つ玄武が駆け寄り抱きとめられた体を巨躯から腕に譲り受けて、その傷に手を当てると鋭い痛みが思わず苦痛の呻きになって口から零れた。
『玄武・朱雀は任すぞ。』
抉り取られたような朱雀の傷口は強い妖気を孕んで、その周囲を枯渇させるかのように腐食していく。それを玄武は小さな舌打ちと同時に見やる。
じわじわと近づく地脈の気配を感じながら、先ほどまでよりも二周りも巨大な本来の白銀の光を纏う白虎の姿と蒼く煌くような鱗を鳴らす巨大な青龍の視線をまともに受け、それでもそのものは嘲笑を放つ事をやめない。それはその先に自分が起こそうとする事象を予見するかのような邪悪な笑いに他ならなかった。
『青龍!』
鋭い白虎の咆哮と同時にその四肢は床の破片を散らすように地を蹴り、それと殆ど間をおかずに怒りに燃えるような蒼玉の輝きは自分達よりもはるかに小さく、それでいてはるかに邪悪な存在に向かって打ちかかる。そのものは一瞬嘲笑をおさめながらも、二つの力を身をくねらせて避け激しく妖気を闇を塗りこむように四方の大気に向かって枝のように伸ばし続けていた。
蒼い光の含む風の刃と鈍く金属の白刃の弧線の先で、切り裂かれた黒塗りの人を模したモノは一瞬収めていた嘲笑の口元を再び曝し全ての攻撃をその身に受けて平然と立っている。
闇を裂く様にしなやかに反転し人外の姿を見た白虎は、不意にその体を切り付けた反動で宙に跳ね上がり音もなく青龍の肩口に飛び上がるとその足を重みもなく乗せる。
『白虎?』
『妙だ。青龍……奴の妖気の大本を見てくれ、その間は俺がひきとめる。』
一瞬の間もなく再び地表に降りながら真っ直ぐにそのモノに攻撃を仕掛ける巨躯の白虎の弧線を見やりながら、青龍もその言葉の意味に気がついて蒼水晶の瞳が細められた。窮奇が二十年以上も長い間膨大な妖力を密かに蓄えていたとしても、相剋の存在である白虎の攻撃を直にそのまま受ければ傷を負ってしまう筈だ。それを弾きもせず受けるその体は黒ずんでいるとはいえ、あの饕餮が追い込まれた時のような黒い血の様な妖気の迸りが全くない。青龍は大気中にうっすらと貼りめぐらされた気の流れを、同時に攻撃も欠かさないままに手繰り寄せていく。
※※※
地響きをその体に直に感じながら玄武は、微かな憤りにも似た感情の中で自分達の周囲に微かに張り巡らされている気の流れを見つめる。それは金気に触れて微かな反応を示し発光するかの様に微かに妖気を放ち、その存在がまだ周囲に根の様に妖気を貼りめぐらせているのを感じさせた。腕の中の朱雀が顔をしかめ、痛みの中で体を起こしながら玄武を見上げる。
「玄武…。」
「もう少し待ってろ、お前は効きが悪いからな。」
苛立つ様なその声を見やり朱雀は微かに目を細めた。元々相剋の関係の玄武の治癒は、朱雀には今一つ効き目が悪い。だが、それにも増して玄武の声音は酷く深く怒りに似た感情に満ちて、その存在が何なのか朱雀には何故かまだ理解できない様な気がした。深く冷たい冷やかな水の流れの奥底にある感情は僅かに波立ち表層に染み出しているが、それを掴み切る前に目の前の青年は微かにその感情を押し籠めるかのように表情を緩め彼を見下ろす。
「よし…応急的だが仕方ない。立てるか?」
完全ではない傷の存在を感じながらも塞がりかけたその疼きに変わった痛みを手で抑えながら身を起こす。
忌々しげに交戦をかわすモノを見やりながら玄武は微かに普段の彼の表情を取り戻しながら、闇の中に微細に広がる妖気を肌にチリチリと感じる。異装の下の服がどんな状況なのかは分からないが、少なくともそのまま帰れるか不安になる。
「くそ…服がもったいねぇな……。」
「着替えもってくりゃ良かったか?」
「帰りが面倒だからな、その方が助かったな。」
気持ちを切り替える様にそんな無駄口を叩きすっかり玄武の表情に変わる青年に、微かに感じた違和感にも似た先程の感情の存在を見えないのに朱雀は訝しげに眺める。それに気が付いていない様子のままその青年は微かな燐光にも似た黒い輝きをその体から溢れさせる様に一時に地表に向けて滴らせた。
不意に足元で起こった化学変化の様な妖気の発光に、それがワザと溢れさせられた水気に反応した木気のざわめきである事に気がつき青龍は微かに口元を緩めた。自分が気を探りながら攻撃を仕掛けている事に気がついた玄武の行動で、それは張り巡らされた妖気の全体を浮き上がらせる。
『白虎!!』
空を裂くような咆哮と同時にあげた叫び声がまるで刃に変わるかのように地表を激しく抉りたて、今まで嘲笑を浮かべたいた黒い異界のものは突然その表情を変えた。その体とは全く離れた場所を矢継ぎ早に風で薙ぎ払いながら、蒼水晶の眼下に曝された地表は既に深く抉りとられた傷を刻みこまれる。
そこに向かって白刃の弧線が振り下ろされようとした瞬間、土中に没していたそれは土砂を巻き上げる様に勢いよく空中に飛び出した。
『見つけましたよ?それが貴方の本体ですね。』
宙に舞い上がった黒い影の飛び出す先を事前に読み切っていたかのように背後に回った青龍が穏やかな声音と同時にまるで圧縮した塊のような空気を放っていた。
空気の弾丸に背後から突き飛ばされたそのものは微かに驚きの息を溢しながら、空中でぐるりと体を反転させて四足の生物のように大地に爪を立てた。地面の下から見せたその姿は目の前にいる白銀の巨躯と同じ程の大きさを持つ漆黒の闇を思わせる四足の存在で、微かにそのものは首をめぐらせたかと思うとニイと真一文字に避けた口を歪ませる。不意にその前足の付け根から巻き起こった妖気を抱く対になる羽根がその体を巻き込んだかと思うとその姿は再び人を模したものに変容した。しかし、先ほどまでと違いそのものは冷ややかな瞳に冷笑を湛えて周囲を見渡す。
≪ふふふ、これは侮った。まさか気がつかれるとは。≫
その闇色の瞳は不意にジリと間合いをとりながらビリビリと大気を震わせるような濃い瘴気を纏う様な風をその四肢から放つ。嘲るような視線を如実に浮かべながら窮奇は微かに体をずらすと動きを牽制するように、青龍に向かって鋭い風のうねりを生み出した。
『流石に本体に攻撃をされたくはないらしいな?貴様も。』
白虎の静かな声音を合図にしたかのように不意に妖気の先に燃え広がった炎を忌々しげにそのものは、微かに眼を細めながら周囲に舞うように姿を見せた残り二つの異形の姿を見やった。四つの光に囲まれた深い闇は微かにその美しく整った形をした唇を歪め、まるで微笑んだかのよう見える表情を形作る。
『どうする気かしらねぇが、さっさと燃え尽きて欲しいもんだな?木気だろ。』
鋭い射すような炎の矢に大気中に舞う妖気の端を燃やされながら窮奇の視線は再び間合いを計るように蠢き、その唇が再び歪んだ。
『?!…玄武っ!』
蒼玉の輝きを秘めた激しい声音の先で不意に起きた地鳴りに玄武が思わず飛びのくのを見やりながら、そのものは激しい嘲笑の声を上げて地表に競りあがってきた地脈を己の妖気という爪で深く引き裂く。けたたましい笑声の向こうで不意に湧き出した地脈の力の直ぐ傍にある存在に、四人ともが殆ど同時に驚愕に満ちた目を見開いていた。
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たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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僕が見た怪物たち1997-2018
サトウ・レン
ホラー
初めて先生と会ったのは、1997年の秋頃のことで、僕は田舎の寂れた村に住む少年だった。
怪物を探す先生と、行動を共にしてきた僕が見てきた世界はどこまでも――。
※作品内の一部エピソードは元々「死を招く写真の話」「或るホラー作家の死」「二流には分からない」として他のサイトに載せていたものを、大幅にリライトしたものになります。
〈参考〉
「廃屋等の取り壊しに係る積極的な行政の関与」
https://www.soumu.go.jp/jitidai/image/pdf/2-160-16hann.pdf
不労の家
千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。
世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。
それは「一生働かないこと」。
世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。
初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。
経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。
望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。
彼の最後の選択を見て欲しい。
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