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第二部
第七幕 都立第三高校 第一体育館
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予測通り金気の白虎の動きを削いだ迄は上手く運んだ筈なのに、攻撃の激しさに後退してしまったのは誤算だった。向こうの建物に少しでも長く留まれれば、結果はこちらのものだった筈だ。盾にしようとしていたものの一つを、自ら手放し失ったのをそれは微かに忌々しく感じていた。朱雀の力は小さな誤算だったが、今目の前の水気の本能的な敵意は大きな誤算だ。
「た、すけて、おね、がい」
切れ切れに朦朧とした意識で悲鳴をあげる、もう一つの首の声に本能で動いている玄武は怯みもしない。隠すこともなく自分に向けられる敵意は、迷うこともなく全力で水気の刃を解き放つ。四神の中には稀にこの状態になるものが過去にもいたのは確かだが、今ここでそうなられては自分の盾は同時に枷にもなるのが忌々しい。
そのものにとって金気とは違い、水気は相剋ではない。とは言え相侮というものの存在もあるのだ。水はあまりにも勢いが強ければ木を押し流す存在でもあり、金気の次に手練れと来ればまずは気勢を削ぎたい存在でもあった筈なのに。忌々しげにその場を動く事のできない程の水勢に、風で凪ぎ払いながらそれはもう一つの首をわざと玄武に向かって突きだした。
「いやああぁあ!!!」
神経に妖気の手を伸ばしもう一つの首の脳髄に苦痛を与えて、甲高く切り裂くような悲鳴をあげさせる。
「玄武!!駄目です!!」
思ったとおりに青龍の鋭い悲鳴のような声が放たれた。玄武の水気の刃を相殺するように仲間のモノである風が、本能的に動く玄武の体に絡みつき動きを鈍らせる。それでも僅かな水の刃は空を切り裂くように寄りしろの腕を咲き、首は怯えに満ちた声でもう一度悲鳴を上げた。
「………くそ…………。」
ゴフッと抱えていた信哉が再び床に大量の水を吐き出して、低く呻き舌打ちをしたのに朱雀は我にかえる。信哉は低酸素で意識を失いかけたところに、先に意識を失ったと思われる玄武が生み出した水に飲まれて危うく溺れかけたのだ。
「……白虎……、あんなの、ありなのかよ……。」
自分たちがする事は人間を食う化け物退治でその化け物の出所になる場所を閉じる事。つまりは社会の表には出てこなくとも正義の味方の筈で、全ては人間を助ける為の行為だった筈だ。
なのに今目の前で起きているのは、助ける筈の人間を無視して攻撃を繰り出す。まるで化け物同士の戦いで、殺戮の為のような世界の気がして朱雀の心が軋む。自分の中にもあれと同じ事が起こるなら、自分の能力は何もかも焼き尽くす爆弾と同じだ。今の自分を生み出した緋色の世界の中で全てを燃やし尽くす炎。あの炎が焔となって自分のみに流れ込んだあの時のように、激しい痛みを伴った記憶が朱雀の強く守る者でありたいと思う心までも軋ませた。
「やめろ……ッ…。」
呻く様な言葉の下で微かに身じろぎした信哉が、もう一度咳き込むのを感じながらも朱雀の視線は凍りついたように動かないままだった。
「やめろよッ!!玄武!!そんなの…ッ!」
「……すざ、く。」
悲痛な朱雀の放った声に、その腕の中で信哉は身を起こし周囲の状況を把握しようと霞む視界を必死で立て直した。自分を抱える不安に震える朱雀を見上げる。
二年。
まだそれしか時を経ていない。
だからお前はまだ知らないことも沢山ある。
信哉は掠れた激しい咳をし、忌々しげに濡れた自分の体を見やりながら首もとのネクタイを引き抜く。腹立たしいのは狡賢いと分かっていたのに、みすみす手をこまねいていた自分自身だ。恐らく木気と推定していたのに、一番狙われる筈の自分は態々相手に手の内を曝した。家族が存在することも、五代武が自分にとって兄と等しかったことも、みすみす敵に差し出したのは鳥飼信哉自身だ。
「白虎…。」
「…まずは……止める…ぞ。」
掠れながらも決然とした声音は滴る水を振り払い、僅かに戻り始めた感覚を確かめる様にしながら自力で立ち上がる。再び立ち上がる彼という存在に、自分の中が我に帰ったように安堵したのに朱雀は気がつく。折れかけた心が彼の存在で、再び支えられていくのだ。
信哉は低い声で慣れない事をすると何時も酷い眼に会うと愚痴を珍しく溢しながら、深い呼吸を繰り返し勢いよく白銀の光を放ったかと思うと異装に再び身を包む。
そして、水気とは相性の悪い朱雀に向かって声を潜める。
「玄武は俺と青龍で何とかする……。お前は、校舎の端の部屋に奴が向かないようにしてくれ、頼む。」
「部屋?」
予想外の白虎の言葉に朱雀が眉を潜め、白虎は息を整えながら呟く。
「奴が変な動きをしたら止めてくれ…多分、……あそこには孝と他にも生徒がいる。」
その言葉に何故あの状況にまで二人が陥ったかを、やっと理解した朱雀は微かに眼を見開く。
目の前にいるあの意識を持ったままの首の一つだけでなく、入り込んだ途端妖気に遮られたように全く感じない向こう側。そこにまだ生徒の存在があるとしたら、二人にはここで戦う事もままならない。その余りにも張り巡らされた狡猾な策に一瞬怒りが滲む。それを何とかしようにも校内にも多くの人間が残ってもいて、彼ら二人には一先ず時間を稼ぐために相手の能力を相殺するしか方法がなくなったのだ。
朱雀と青龍がここに辿り着くためには、少なくとも校内を動き回れる人間がいなくならないとならない。つまり、自分達二人が辿り着けば、校内はあの教室以外無人だと判断できる。
「先に教室にいんのを助け出した方が……。」
言いかけて気がついた先にある思考を言葉にしないでも、言葉を読んだように白虎が微かに首を横に振る。
「それは……最終的に、どうしようもない時でいいし、もしそうなったら俺がやる。」
「……俺は別に構わないぜ。」
「いや、必要であれば俺がすることだ…。」
その朱雀の意図する言葉にたいして、白虎は遮るように珍しく悲しげに微笑んだ。真っ先にそうすることが一番と分かっていたのに、白虎がそうできないのは彼にとって家族の存在がどんなものであるのかを滲ませていた。
そうする事が、本当は一番いいと分かっている。
それでも出来ないのは、そうしたら恐らく家族を失うからに他ならないと彼も考えているからだ。
「白虎でも俺でもおんなじだよ、仲間なんだし。」
だから朱雀は何時もと変わらぬ陽気な笑顔を返し、白虎に顎をしゃくってその緋色に輝くような金糸の硬い髪を揺らす。孝達を助けに行けば、自分の姿を彼の前に曝す事になる。それは相手が身近であればあるほど、彼らの守りたかった日常を失わせる結果に繋がる。だが、もう迷う時間も少ないのも事実だ。
「あ…あぁあああああぁっうう!!いやぁっ!!!」
身を抉られる痛みと神経を握られる痛みに悲鳴が上がる。黒い斑に染まる哀れな存在の悲鳴がその場の空気を切り裂き、その場にいる意識を保つ者の全てを釘付けにする。ほぼ同時に何故かもう一つの首が、クワッと深淵の瞳を見開き唐突に激しい怒りの咆哮をあげた。
《馬鹿な!!》
四神も預かり知らぬ壁の向こうで、贄であり自分の盾でもある無力な筈の人間が予期せぬ行動を起こしたのだ。自分と同じ木気の何か、しかも、精製されより純度の濃い清廉なモノがほんの一部の妖気を一瞬中和した。しかも、自分の張り巡らせていた根をより分け、岩戸を抉じ開けるように穴を穿ってみせたのだ。
《そんな馬鹿な!!》
今の人間の子供にはそんな知識も技術も、しかも、妖気を相殺するような高純度の物など手に入る筈がない。長くこの世界に潜む間に自分が調べたのは、昔の陰陽師のように高純度の元素を使いこなせる者が人間にどれだけいるのかと高純度の元素がどれくらい流通するかだ。
完全な陰陽師はほぼ姿を消し、擬きにはその能力の片鱗もない。しかも、高純度の元素自体が多くは別な意図で消費され、枯渇していると知った時。人間とはかくも愚かな生き物なのかと、笑いが止まらなかった。
そして、自分はその二つを更に減らすために、多くの事をしてきたのだ。能力の高そうな人間を一所に集め火を放ったり、それに類する人間を選んで食い殺したり、純度高い元素を積んだ乗り物を海の底に沈めたり。
人間は表だった被害だけに泣き喚き、自分達が更に追い込まれていくのにも気がつかない愚かな生物。
我々のような知恵と力を兼ね備えた上位生物の餌になることを喜ぶべきだ。
なのに、四神ならまだしもたかが人間の子供に、自分の妖気で織り込んだ頑健な繭のような檻に穴を開けられた。激しい怒りを伴いその身から噴き出す妖気が自分の寄りしろを焼き、更なる激しい悲鳴がその場に満ちていく。それに目の前で本能のままに向かってくる水気が、僅かにその瞳を震わていせた。
霞み遠退く自我の中に、爆発するように弾けた神経を凍りつ貸せていく鋭い痛み。彼女は自分の口から絶叫が放たれるのを感じ、目の前にいた全ての者をその視界に捕らえた。身を焦がす痛みは体の表面からではなく、体内の奥底から全てを凍りつかせる激しい怒りを伴うように自分の中で暴れまわる。
タスケテ!!!
その言葉すらも声にできずに彼女はただ叫び続け、その声をもうひとつの彼女の首は楽しむように嘲笑う。
身の表面を貫く痛みを与える黒曜の輝く青年を自分の体で止めた蒼い光を持つ青年が、まるで全てを見透かしたかのように自分の瞳を覗き込む。それを朧気に感じながら彼女は、その世界の片隅に緋色の光を見つけていた。
※※※
その意識があったのは冷たい雨の中だった。
ガラスを突き破り投げ出された自分の叩きつけられた体。
ありえない方向に捻じ曲がってしまっている四肢。
燃え盛る自分が乗っていた筈の車の焔。
行けない…会いに…。
それが最後の思考になりかけているのを、開いたままの瞳で彼女は黒い煙と焔に飲まれる両親を呆然と見つめていた。
両親から聞いていた名前。
ただ一度でいいから一目だけ会ってみたかった、実の両親と姉弟。本当にそれだけだったのに。
≪あわせてやろうか?≫
断片的に変わっていく意識の中に、その声は酷く深く響きわたる。闇の底に沈んでいくような意識の淵で、それは自分に蠱惑的に囁きかける。
本当にあわせてくれるの?
痛みも既に遠のき始め世界は酷く狭く変わる。世界は薄暗く灰色に霞んで、雨だけが酷く冷たく氷のようで現実的だった。このままここで死んでしまう。それが分かっているのに、その声は自分を誘っている。
あわせてくれるの?
《……お前の望みをかなえてやるよ?》
その闇はググゥッと見開かれたままの彼女の瞳を、鏡を覗き込むように屈みこんでくる。ほんの数ミリの目の前にいる筈なのに、何故かそれが目の前で闇の淵のような半円の口を開き笑うのが分かった。その笑顔は自分の願いを親切で叶えようというものではないのに、自分はそれをわざと見過ごす。
《お前の体に我を宿すなら命の代わりをしてやろう。》
それでもあえるなら。ひとめでいい、あわせてくれるなら。
断片的な彼女の言葉に闇は満足げに笑い、更に屈みこんで彼女の見ていた灰色の世界を埋め尽くした。
※※※
写真でしか見たことのない筈の弟の姿を思い起こさせる。全く顔立ちも髪の毛も違うのに、佇み異国の緋色の服の裾をはためかせる姿。真っ直ぐで仲間を信頼していると隠しもしない姿が、会ったことのない筈の弟を彼女の脳裏に立ち上がらせる。
微笑みながら子供の手をひき道を歩く彼の姿。
仲間だと考えている人を見守る瞳。
揺らがない強い決意を秘めた横顔。
どうしてそう感じるのか分からない、ただその青年の持つ緋色の雰囲気が彼女の中を激しく揺らす。そして彼女は唐突に痛みの中で、自分の記憶を自覚する。何度も握り潰され忘れたように消されてきた自分の中の記憶には、何度も夕暮れの中遠くから見つめていた彼の姿が確かにあった。
私の中の炎と同じ、焔を宿した黒髪の青年。
何度も直ぐ傍迄辿り着いていたのに、何度も何度もこの今自分の神経を握るものに記憶ごとそれは握り潰されてきた。それを知った瞬間、不意に彼女は胸の奥に留めていた炎が焔に生まれ変わるのを感じた。それは鋭い怒りの焔に変わり、失われかけた意識の全てで噛み付くように内側のものを押さえ込んだ。
《何だと?!!蒼子?貴様何をする気だ?!》
予想外の彼女の抵抗に、その内側にいたものは初めて驚愕に声を荒げた。動きを止めた瞬間、音もなく水の刃が深々と腹部にめり込むように突き刺さっていく。腹部に埋まっていく感触すら分からないのに、筋肉が引き連れて緊張しギチリと刃を挟み込んだ。
自分ごと体内のそれを貫く水の刃を、力に変換しようと足掻く妖気を感じとる。だが、彼女はそれを許さなかった。水は彼女の体内に元々ある焔にふれ、勢いよく蒸気に変わり四散する。
武
何故か違うと分かっているのに、心の中で彼女は緋色の姿に向かって囁く。彼女は戸惑うこともなく指先の崩れ落ちている手を伸ばすと、目の前の黒曜の光を放つ青年の腕を残された指と掌でしっかりと掴んだ。ボロリと指の第一関節から第二関節が更に崩れ落ちて行くのを見つめると、目の前の青年の瞳か微かに揺れるのが分かった。
動きの止まった玄武の背後から、青と白の異国の服を纏う二人が四散する水を引き留めようと二つの光で彼を押さえ込む。
《蒼子!!離せ!今こいつらを!》
黙って
彼女は心の中で鋭く叫ぶと、その腕から青白く輝く焔を吹き上げた。自分を掴んだ腕から吹き上がった澄んだ光のような焔に、青年が目を見開くのが照らし出される。
《あ!蒼子!馬鹿な!》
「た、すけて、おね、がい」
切れ切れに朦朧とした意識で悲鳴をあげる、もう一つの首の声に本能で動いている玄武は怯みもしない。隠すこともなく自分に向けられる敵意は、迷うこともなく全力で水気の刃を解き放つ。四神の中には稀にこの状態になるものが過去にもいたのは確かだが、今ここでそうなられては自分の盾は同時に枷にもなるのが忌々しい。
そのものにとって金気とは違い、水気は相剋ではない。とは言え相侮というものの存在もあるのだ。水はあまりにも勢いが強ければ木を押し流す存在でもあり、金気の次に手練れと来ればまずは気勢を削ぎたい存在でもあった筈なのに。忌々しげにその場を動く事のできない程の水勢に、風で凪ぎ払いながらそれはもう一つの首をわざと玄武に向かって突きだした。
「いやああぁあ!!!」
神経に妖気の手を伸ばしもう一つの首の脳髄に苦痛を与えて、甲高く切り裂くような悲鳴をあげさせる。
「玄武!!駄目です!!」
思ったとおりに青龍の鋭い悲鳴のような声が放たれた。玄武の水気の刃を相殺するように仲間のモノである風が、本能的に動く玄武の体に絡みつき動きを鈍らせる。それでも僅かな水の刃は空を切り裂くように寄りしろの腕を咲き、首は怯えに満ちた声でもう一度悲鳴を上げた。
「………くそ…………。」
ゴフッと抱えていた信哉が再び床に大量の水を吐き出して、低く呻き舌打ちをしたのに朱雀は我にかえる。信哉は低酸素で意識を失いかけたところに、先に意識を失ったと思われる玄武が生み出した水に飲まれて危うく溺れかけたのだ。
「……白虎……、あんなの、ありなのかよ……。」
自分たちがする事は人間を食う化け物退治でその化け物の出所になる場所を閉じる事。つまりは社会の表には出てこなくとも正義の味方の筈で、全ては人間を助ける為の行為だった筈だ。
なのに今目の前で起きているのは、助ける筈の人間を無視して攻撃を繰り出す。まるで化け物同士の戦いで、殺戮の為のような世界の気がして朱雀の心が軋む。自分の中にもあれと同じ事が起こるなら、自分の能力は何もかも焼き尽くす爆弾と同じだ。今の自分を生み出した緋色の世界の中で全てを燃やし尽くす炎。あの炎が焔となって自分のみに流れ込んだあの時のように、激しい痛みを伴った記憶が朱雀の強く守る者でありたいと思う心までも軋ませた。
「やめろ……ッ…。」
呻く様な言葉の下で微かに身じろぎした信哉が、もう一度咳き込むのを感じながらも朱雀の視線は凍りついたように動かないままだった。
「やめろよッ!!玄武!!そんなの…ッ!」
「……すざ、く。」
悲痛な朱雀の放った声に、その腕の中で信哉は身を起こし周囲の状況を把握しようと霞む視界を必死で立て直した。自分を抱える不安に震える朱雀を見上げる。
二年。
まだそれしか時を経ていない。
だからお前はまだ知らないことも沢山ある。
信哉は掠れた激しい咳をし、忌々しげに濡れた自分の体を見やりながら首もとのネクタイを引き抜く。腹立たしいのは狡賢いと分かっていたのに、みすみす手をこまねいていた自分自身だ。恐らく木気と推定していたのに、一番狙われる筈の自分は態々相手に手の内を曝した。家族が存在することも、五代武が自分にとって兄と等しかったことも、みすみす敵に差し出したのは鳥飼信哉自身だ。
「白虎…。」
「…まずは……止める…ぞ。」
掠れながらも決然とした声音は滴る水を振り払い、僅かに戻り始めた感覚を確かめる様にしながら自力で立ち上がる。再び立ち上がる彼という存在に、自分の中が我に帰ったように安堵したのに朱雀は気がつく。折れかけた心が彼の存在で、再び支えられていくのだ。
信哉は低い声で慣れない事をすると何時も酷い眼に会うと愚痴を珍しく溢しながら、深い呼吸を繰り返し勢いよく白銀の光を放ったかと思うと異装に再び身を包む。
そして、水気とは相性の悪い朱雀に向かって声を潜める。
「玄武は俺と青龍で何とかする……。お前は、校舎の端の部屋に奴が向かないようにしてくれ、頼む。」
「部屋?」
予想外の白虎の言葉に朱雀が眉を潜め、白虎は息を整えながら呟く。
「奴が変な動きをしたら止めてくれ…多分、……あそこには孝と他にも生徒がいる。」
その言葉に何故あの状況にまで二人が陥ったかを、やっと理解した朱雀は微かに眼を見開く。
目の前にいるあの意識を持ったままの首の一つだけでなく、入り込んだ途端妖気に遮られたように全く感じない向こう側。そこにまだ生徒の存在があるとしたら、二人にはここで戦う事もままならない。その余りにも張り巡らされた狡猾な策に一瞬怒りが滲む。それを何とかしようにも校内にも多くの人間が残ってもいて、彼ら二人には一先ず時間を稼ぐために相手の能力を相殺するしか方法がなくなったのだ。
朱雀と青龍がここに辿り着くためには、少なくとも校内を動き回れる人間がいなくならないとならない。つまり、自分達二人が辿り着けば、校内はあの教室以外無人だと判断できる。
「先に教室にいんのを助け出した方が……。」
言いかけて気がついた先にある思考を言葉にしないでも、言葉を読んだように白虎が微かに首を横に振る。
「それは……最終的に、どうしようもない時でいいし、もしそうなったら俺がやる。」
「……俺は別に構わないぜ。」
「いや、必要であれば俺がすることだ…。」
その朱雀の意図する言葉にたいして、白虎は遮るように珍しく悲しげに微笑んだ。真っ先にそうすることが一番と分かっていたのに、白虎がそうできないのは彼にとって家族の存在がどんなものであるのかを滲ませていた。
そうする事が、本当は一番いいと分かっている。
それでも出来ないのは、そうしたら恐らく家族を失うからに他ならないと彼も考えているからだ。
「白虎でも俺でもおんなじだよ、仲間なんだし。」
だから朱雀は何時もと変わらぬ陽気な笑顔を返し、白虎に顎をしゃくってその緋色に輝くような金糸の硬い髪を揺らす。孝達を助けに行けば、自分の姿を彼の前に曝す事になる。それは相手が身近であればあるほど、彼らの守りたかった日常を失わせる結果に繋がる。だが、もう迷う時間も少ないのも事実だ。
「あ…あぁあああああぁっうう!!いやぁっ!!!」
身を抉られる痛みと神経を握られる痛みに悲鳴が上がる。黒い斑に染まる哀れな存在の悲鳴がその場の空気を切り裂き、その場にいる意識を保つ者の全てを釘付けにする。ほぼ同時に何故かもう一つの首が、クワッと深淵の瞳を見開き唐突に激しい怒りの咆哮をあげた。
《馬鹿な!!》
四神も預かり知らぬ壁の向こうで、贄であり自分の盾でもある無力な筈の人間が予期せぬ行動を起こしたのだ。自分と同じ木気の何か、しかも、精製されより純度の濃い清廉なモノがほんの一部の妖気を一瞬中和した。しかも、自分の張り巡らせていた根をより分け、岩戸を抉じ開けるように穴を穿ってみせたのだ。
《そんな馬鹿な!!》
今の人間の子供にはそんな知識も技術も、しかも、妖気を相殺するような高純度の物など手に入る筈がない。長くこの世界に潜む間に自分が調べたのは、昔の陰陽師のように高純度の元素を使いこなせる者が人間にどれだけいるのかと高純度の元素がどれくらい流通するかだ。
完全な陰陽師はほぼ姿を消し、擬きにはその能力の片鱗もない。しかも、高純度の元素自体が多くは別な意図で消費され、枯渇していると知った時。人間とはかくも愚かな生き物なのかと、笑いが止まらなかった。
そして、自分はその二つを更に減らすために、多くの事をしてきたのだ。能力の高そうな人間を一所に集め火を放ったり、それに類する人間を選んで食い殺したり、純度高い元素を積んだ乗り物を海の底に沈めたり。
人間は表だった被害だけに泣き喚き、自分達が更に追い込まれていくのにも気がつかない愚かな生物。
我々のような知恵と力を兼ね備えた上位生物の餌になることを喜ぶべきだ。
なのに、四神ならまだしもたかが人間の子供に、自分の妖気で織り込んだ頑健な繭のような檻に穴を開けられた。激しい怒りを伴いその身から噴き出す妖気が自分の寄りしろを焼き、更なる激しい悲鳴がその場に満ちていく。それに目の前で本能のままに向かってくる水気が、僅かにその瞳を震わていせた。
霞み遠退く自我の中に、爆発するように弾けた神経を凍りつ貸せていく鋭い痛み。彼女は自分の口から絶叫が放たれるのを感じ、目の前にいた全ての者をその視界に捕らえた。身を焦がす痛みは体の表面からではなく、体内の奥底から全てを凍りつかせる激しい怒りを伴うように自分の中で暴れまわる。
タスケテ!!!
その言葉すらも声にできずに彼女はただ叫び続け、その声をもうひとつの彼女の首は楽しむように嘲笑う。
身の表面を貫く痛みを与える黒曜の輝く青年を自分の体で止めた蒼い光を持つ青年が、まるで全てを見透かしたかのように自分の瞳を覗き込む。それを朧気に感じながら彼女は、その世界の片隅に緋色の光を見つけていた。
※※※
その意識があったのは冷たい雨の中だった。
ガラスを突き破り投げ出された自分の叩きつけられた体。
ありえない方向に捻じ曲がってしまっている四肢。
燃え盛る自分が乗っていた筈の車の焔。
行けない…会いに…。
それが最後の思考になりかけているのを、開いたままの瞳で彼女は黒い煙と焔に飲まれる両親を呆然と見つめていた。
両親から聞いていた名前。
ただ一度でいいから一目だけ会ってみたかった、実の両親と姉弟。本当にそれだけだったのに。
≪あわせてやろうか?≫
断片的に変わっていく意識の中に、その声は酷く深く響きわたる。闇の底に沈んでいくような意識の淵で、それは自分に蠱惑的に囁きかける。
本当にあわせてくれるの?
痛みも既に遠のき始め世界は酷く狭く変わる。世界は薄暗く灰色に霞んで、雨だけが酷く冷たく氷のようで現実的だった。このままここで死んでしまう。それが分かっているのに、その声は自分を誘っている。
あわせてくれるの?
《……お前の望みをかなえてやるよ?》
その闇はググゥッと見開かれたままの彼女の瞳を、鏡を覗き込むように屈みこんでくる。ほんの数ミリの目の前にいる筈なのに、何故かそれが目の前で闇の淵のような半円の口を開き笑うのが分かった。その笑顔は自分の願いを親切で叶えようというものではないのに、自分はそれをわざと見過ごす。
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それでもあえるなら。ひとめでいい、あわせてくれるなら。
断片的な彼女の言葉に闇は満足げに笑い、更に屈みこんで彼女の見ていた灰色の世界を埋め尽くした。
※※※
写真でしか見たことのない筈の弟の姿を思い起こさせる。全く顔立ちも髪の毛も違うのに、佇み異国の緋色の服の裾をはためかせる姿。真っ直ぐで仲間を信頼していると隠しもしない姿が、会ったことのない筈の弟を彼女の脳裏に立ち上がらせる。
微笑みながら子供の手をひき道を歩く彼の姿。
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どうしてそう感じるのか分からない、ただその青年の持つ緋色の雰囲気が彼女の中を激しく揺らす。そして彼女は唐突に痛みの中で、自分の記憶を自覚する。何度も握り潰され忘れたように消されてきた自分の中の記憶には、何度も夕暮れの中遠くから見つめていた彼の姿が確かにあった。
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何度も直ぐ傍迄辿り着いていたのに、何度も何度もこの今自分の神経を握るものに記憶ごとそれは握り潰されてきた。それを知った瞬間、不意に彼女は胸の奥に留めていた炎が焔に生まれ変わるのを感じた。それは鋭い怒りの焔に変わり、失われかけた意識の全てで噛み付くように内側のものを押さえ込んだ。
《何だと?!!蒼子?貴様何をする気だ?!》
予想外の彼女の抵抗に、その内側にいたものは初めて驚愕に声を荒げた。動きを止めた瞬間、音もなく水の刃が深々と腹部にめり込むように突き刺さっていく。腹部に埋まっていく感触すら分からないのに、筋肉が引き連れて緊張しギチリと刃を挟み込んだ。
自分ごと体内のそれを貫く水の刃を、力に変換しようと足掻く妖気を感じとる。だが、彼女はそれを許さなかった。水は彼女の体内に元々ある焔にふれ、勢いよく蒸気に変わり四散する。
武
何故か違うと分かっているのに、心の中で彼女は緋色の姿に向かって囁く。彼女は戸惑うこともなく指先の崩れ落ちている手を伸ばすと、目の前の黒曜の光を放つ青年の腕を残された指と掌でしっかりと掴んだ。ボロリと指の第一関節から第二関節が更に崩れ落ちて行くのを見つめると、目の前の青年の瞳か微かに揺れるのが分かった。
動きの止まった玄武の背後から、青と白の異国の服を纏う二人が四散する水を引き留めようと二つの光で彼を押さえ込む。
《蒼子!!離せ!今こいつらを!》
黙って
彼女は心の中で鋭く叫ぶと、その腕から青白く輝く焔を吹き上げた。自分を掴んだ腕から吹き上がった澄んだ光のような焔に、青年が目を見開くのが照らし出される。
《あ!蒼子!馬鹿な!》
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