GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第七幕 都立第三高校 一階渡り廊下

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黒い煙の塊が白虎と玄武のそれぞれの体の周囲を、球形を形作るように渦を巻いていた。激しい渦が勢いよく二人の周囲から、気体というもの自体を吸い出していくのが分かる。実際には木気の妖気が辺りを侵食するのを拮抗させるために、目の前の二人はその能力の半分ほどを使っていた。相剋の金気と相生の水気。木気に対して陰と陽の関係で力を拮抗させ、相殺し続けていたのだ。本来ならそんな手間のかかることなんてしたくはないが、校内には人間が残りすぎている。しかも、たった壁一枚向こうの教室には、式読当人と白虎の弟がいた。



※※※



校内に入る瞬間、考えたのはただ一つだった。

まずは生徒を出すための時間を稼ぐしかない。

学校に辿り着いて直ぐ異変に気がついた白虎・鳥飼信哉は校内に入ると真っ直ぐに一階の奥にある生徒指導室に向かって駆け出した。血に染まったような母校の昇降口には奇妙なほど人間の気配がなく、本来なら履き替える筈の靴も今回ばかりは見逃してもらうしかない。そして、昇降口から右手に曲がって教室棟に足を踏み入れようとした瞬間、廊下の途中で壁に叩きつけられ座り込んでいる人影に気がつく。奇妙に脱力した手首をぶら下げた教頭の福上雄三を見つけて、一瞬死んでいるのかと背筋が冷えたのを確かに感じる。

「先生!」 

それでも、青ざめた福上が視線を上げて驚きに目を丸くしたのに、内心安堵の吐息を溢したくなった。福上の視線に信哉は躊躇いがちに、呼び出されて来たんですと短く告げる。その言葉の意味が分かったのか、福上は呻きながら何が起きたのかを簡潔に呟く。
香坂智美と真見塚孝の喧嘩の件で相手方の家族と生徒を送り出した後、福上は苦虫を噛み潰したような思いで通用口から校舎を横切り生徒指導室に向かっていた。

香坂は足にハンディキャップを持ちながら優秀な頭脳を持つ転校して半年ばかりの生徒。方や真見塚孝は一年生から学力優秀、品行方正な生徒。大きな問題を起こしたのは二人とも初めてだ。
真見塚が実は鳥飼の腹違いの弟なのは自分は知っているが、兄と同じように友人を守る気で参戦したのは分かる。だからと言って相手を叩きのめしていいというわけではない、まあ相手が倍以上の人数だったのと大きな怪我がなかったのは何よりだが。

そんなことを考えながら歩いていた福上は、眼前に学内の教師でない女性が当然のように昇降口から入り込んだのを見た。思わず福上は部外者の女性と思われる人影に駆け寄り、その肩に手をかけた。ところが次の瞬間、気がついたらこうなっていたと呻くように言う。

部外者の女性。

その言葉を福上が告げた時点で何が起きようとしているのか、信哉には薄々理解できた。丁度体育の他の教師が駆けつけたのに、骨折している福上の事を頼み信哉はほんの数十メートルもない筈の廊下の先を見据える。

「鳥飼。」
「さっさと弟とその他をつれてきます。先生達は他の生徒さんを避難させててください。」

キツい声でそう告げる信哉のことを、福上はよく知っている。そう簡単には鳥飼信哉を止められないのも、少なくとも隣の体育教師よりはるかに信哉が身軽に動けて強いのも理解していた。困惑する体育教師を制して信哉の背中に気を付けろよと呟くように言い、肩を貸され避難を始める。そうして、一階に人間の気配が消えたのを確認して、信哉は真っ直ぐに前を向いて再び闇の中に沈む廊下を進み始めていた。



※※※



一瞬意識が過去の記憶に飛んでいたのに気がついて、白虎は思わずヤバいと頭が呟くのを聞いた。ミシミシと空気のなくなる体の周囲では見る間に気圧が下がり、お互いに気で緩和されているとはいえ圧力に意識が飛びそうになる。呼気は既に肩や腕に向かって氷に変わって張り付き、まともな人間ならとうに手足が氷に変わっている筈だ。相手は直接的な攻撃が効かないからと回りくどい手を使い、真綿でジワジワと首を締め上げるように攻め込んでくる。妖気からは自分達の能力で逃れることが可能でも、酸素を失うことは対応する能力がない。それでも例えば水の中なら玄武には対応する事が出来ただろうが、ただの無酸素には対処しようにもどうにもならないのだ。そう分かっているのに、まだ手が出せない歯がゆさがそこにあった。

くそ、早く…

このまま意識を失いでもすれば、自分達の完全な敗北だ。相手に二人ともなぶり殺しにされ、この異界は一気に辺りを飲み込むだけでなく、壁一枚しかない場所の智美と孝まで一緒に飲み込まれる。そこにいると悌順が視線で教えてかれていたから、そんなことは分かりきっている。

少なくとも…

霞んでいく視界。
漏れでていく酸素の勢いが微かに緩まった気がするが、それが本当かどうか、もしくは吸い出すもの自体がなくなったのかすらも分からない。同時に直ぐ隣にいる筈の幼馴染の姿も朧気にしか



※※※



教室棟と体育館を繋ぐ渡り廊下の中間に、異界の中心の芯のように存在した妖気の塊の存在をいち早く察知したのは青龍だった。規制線は学校を中心に半径五百メートルに広がり、マスコミのヘリコプターも既に上空にはいない。それを見透かして彗星のように一気に距離を詰めた青龍が鋭く辺りを一瞥して、朱雀に向かってあそこを燃やしてと示す。申し訳ないが、渡り廊下の一つは学校側に諦めてもらうしかない。
ドンッと地響きをさせて風が塊になりそこに襲いかかったと同時に、朱雀の紅蓮の炎がその塊の中に叩き込まれる。それはまるで炎の色をした水晶玉のように、教室棟と体育館を繋ぐ廊下を飲み込む。炎から逃れるように何かが体育館の扉を突き破り、黒い煙の尾をひく。それを視界にいれながら、二人は弾丸のように地上に降りると地面に足もつけずに黒の尾に向かって水平に飛びかかる。既に相手が青龍と同じ木気なのは仲間の行動で分かっていて、朱雀の全身から一層強い焔が巻き起こった。木の爆ぜるような音と香りが立ち上り、背後で崩れ落ちる仲間二人の気配を感じとる。
水平に飛ぶ炎の塊のような朱雀の視線の先に迫る異形の姿。
弾ける凄まじい怒りに目の前が朱に染まり全身が紅蓮の焔に染まるのを、彼に続いて飛び込んだ青龍が視界に入れた。

「てめェ!!」

激しい怒りを隠しもしない紅蓮の焔を纏う朱雀が、弾丸のように相手に向かって飛びかかりながら火焔弾を放つ。朱雀の火勢に相手は二つある首を歪ませて、強すぎる火焔を凪ぎ払いながら後退り体育館の床を木っ端にして飛び散らせた。

「朱雀!深追いするな!」

敵に飛びかかるのをいち早く止めた青龍が声を放ちながら、仲間の姿を確認するために黒煙を吹き散らせる。激しい攻撃を顔を歪めながら凪ぎ払っていた、二つ首の女の姿をしたものは、突然ほくそ笑むような歪な顔を片方に浮かべた。

「何がおかしい!!」

残りの二人が姿を見せたのは予測より早かった。だが、一番の問題になる金気の動きを削ぐのは、一先ず上手くいっている。ただ朱雀の力が思ったより強く、危うく焔に負けて飲まれそうになるがそれも想定の範囲だ。

≪御方神が揃いぶみか…。しかし、まだこちらにも手がないわけではないぞ?≫

余裕すら滲ませる言葉に明らかな舌打ちをする朱雀は、軽業師のように反転し体制を建て直すと再び水平に空を裂く。木気にとっては上手くすれば糧に出来る筈の火気、今の朱雀は饕餮との戦闘を視ても一番未熟と踏んでいた。

思った以上に短期間に能力を使いこなしている。

その姿に忌々しげに目を細めた片方の首。もう片方の首はドンヨリと濁った瞳で火焔の塊のような朱雀を見つめていたが、不意に焦点をむすんだ。

「……た、け………る。」

支配力が削がれてグラリと体が揺らいで放たれる言葉に、もう一つの首が歪む。ところがその声は相対している方の、朱雀まで困惑で飲み込んだ。弾けて四散する焔に眼に留め、首元から斑点状に黒く染まり崩れつつある彼女の瞳が揺れる。

「…たすけ……て、たけ……る………。」

微かに零れ落ちたか細い女の声に、一瞬朱雀と青龍の視線が戸惑うのを感じた。それを知った瞬間彼女の意識がある事を予測していなかったと言う表情に、もう一つの首は笑い声を上げ朱雀と青龍の姿を見据えた。

まさか、こんな風に使えるとは。

邪悪な思考が笑声に乗って辺りに響き渡る。僅かに想定外の事態もあったが、全ては概ね順調に想定どおりに動いて進んでいく。ここで狙い通りに全てが進めば、そのものはまた一つ思ったモノに生まれ変わる。そう思うからこそ、そのものは自分のおまけのように残った出来物のような首に、自由に助けを求めさせるのを許すことにした。

お前が哭けば四神が手を出せないなら、何度でも哭かせてやろう。

不意にその思考を遮る様に、空気がビリビリと振動しざわめくのを感じた。強く清廉な気配が妖気を打ち払うように、空気を変化させていく。その二つ目の首の表情に気がついたその場にいる全ての者が、ひかれる様にそれに視線を投げる。青龍達の背後で満ち溢れて先程までの、空気すらない空間は既に存在しなかった。
渡り廊下だったの空間に満ちているのは大量の水。
まるで巨大な球体の水槽がそこに唐突に姿をみせたように、水が勢いよく渦を巻いて体積を増やしていく。近づくのを堰き止めようとする妖気の折り目すらも容易く弾きかえしながら、満ちた水の中で揺らめくように黒い帯を身から漂わせ真正面に異形の者を睨みつけている。

「…玄武?」

朱雀の声に反応したように水は一瞬その中で玄武に向かって収縮したようにグンッと水の体積が縮んだかと思うと、全てを切り裂く水圧の切断機のように四方に向かって破裂した。

「?!!」
「玄武!!!」

それは止める間すらない容赦のない一撃だった。思わず宙に飛び退いた朱雀と青龍を危うく飲み込むほどの広範囲の一撃は、凄まじい地響きと同時に体育館の壁をまるでナイフでバターを切るように切り裂く。
玄武は全身を高圧の水で包み込んで輝くような黒い光を放ちながら、目の前にいる二つ首の異形のものの首を深く抉りこむ。相手が木気で水気を押さえ込もうとしても、その水圧が強すぎて木気の風が押し流され飛び散る。

「た、すけて!…た、」

黒ずんだ首の悲鳴が切れ切れに響くのに、玄武は低い体勢のまま声もなく体勢を立て直すと音を立てながら水を纏って前に進む。その姿は普段の玄武とは全く異なり、意図の片鱗すらも感じられない。
ギラギラと蛇鱗が夜の光を反射させ、ただ目の前の自らの敵を攻撃するだけの本能だけが全身から滲み出ている。目の前の人間の意識の存在など塵芥にしか見ていない、ただ目の前の敵を滅ぼすだけの本能。そこに存在するものに、初めて朱雀が戸惑い立ち竦む。

あんなん、見たことない……

自分が怒りに飲まれるのとは違う。自分が朱雀に変わった時に飲まれた激しい焔とも違う。土志田悌順という理性の箍を取り払った、体内の四神玄武だけの純粋な衝動。
恐らく拮抗させるために激しく気をコントロールしながら、意識がなくなったのだと青龍は苦い思いで玄武を刺激しないように背後に飛び降りる。支配下を外れた渡り廊下だった場所の水球に矢のように飛び降りると、それは均衡を崩してドパと形を崩して地面に降りそそいだ。
咄嗟に水に飲まれた反動で異装が解けていた鳥飼信哉の体を抱え起こしながら玄武の姿を見やった青龍は、一瞬苦悩に満ちた瞳で辺りに視界を走らせる。

きっと限界まで学校に被害を出さないよう、張り詰めてたんだ。

白虎や青龍にとってもそこは懐かしい母校で、玄武にとっては母校である以上に守るべき今の世界なのだ。その証明のように今彼が前に進む体育館はあっという間に見る影もなくなりつつあるが、二人が必死に守りながら妖気と均衡を保った教室棟には殆ど傷ひとつついていない。
抱きかかえた信哉に飲み込んだ水を吐かせ、困惑する緋色の青年に向かって鋭い声を張り上げる。

「朱雀!白虎を頼む!」
「せ、青龍?」
「玄武は意識がない!暴走してる!!」

怯む事なく水気を放ち続ける仲間の姿を見やりながら、青龍は過去の自分を見つめる。暴走と言い放つ青龍に気を失ったままの仲間の体を預けられた朱雀は、今迄一度も見せた事のない表情で玄武を見やる。それが、『不安』というものだと気がついたのは自分が敵と仲間を同時に相手にするという現実と、青龍が正面から向き合った瞬間の事だった。
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