GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第六幕 都立第三高校 外環

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校舎の一部だけが異界に変容しているのに、暗い車内からでも分かる黒曜石の光を宿す瞳は目を細めた。

「……敷島。」

微かに緊張した声で後部座席から放たれた言葉に、運転席の敷島湊は視線を上げる。
現在二十八歳になる敷島湊は、彼が十歳の時に自分が周りの人間と違うものを見ているのを知った。彼は最初は気のせいだと思い、次にはそれに怯え両親に訴えたが、誰にも見えないものは信じてもらえない。やがて彼は周囲から精神科疾患を疑われる事になる。通院し薬を投薬され、一時は異常は改善したと思われていた。しかし、彼が十八歳になると同時に唐突にその異常は再び彼に襲いかかり、彼は抵抗も出来ずに闇の中に引きずり込まれることになる。危うく闇の中で命を落とす直前、敷島は深淵の闇を貫く白銀の光に助けられたのだ。
その後自分が見ているものが、幻覚ではないと知ることになった彼には二度と薬は効果を現さず、彼の視界は異様な存在を見ることを止められない。彼はやがて家族からは完全な異常者と扱われ、家族の縁を切られる運命を辿る。

申し訳ないけど、あんたの事は死んだと思うから

実の母親に気味悪がられそう告げられた時に、自分は一度死んだのだと敷島湊は思った。そして、穴に引き込まれた経験を持ち異界を見る敷島湊は、院に送り込まれることになる。ここで敷島が知ったのは、自分は病気ではなかったと言う真実と四神という者達の存在だ。
実際に彼が持ち合わせたのは、異界への穴を見る方の力。院という組織の中でも、穴を見るだけでなく闇の中に潜む蜘蛛のような姿をした人外を見ることもできる。穴の場所を特定するのも五キロ範囲位であれば、ほぼ九割以上の正確さを持つ。それほどの能力は、院としても高い能力者の部類なのだという。
そんな彼は本来なら、他の能力者と共に実働部隊になるのが普通だ。だが、敷島湊は他の者とは異なり、特別に式読や星読の傍に仕えている。それは彼の思考過程が、式読達二人に近いから。院を束ねる式読香坂智美と星読友村礼慈に、古老達とは違い信用に足ると判断されているからだ。

「……電話を。」

星読の硬い声を聞きながら敷島が車載の電話を手渡すと、友村礼慈は溜め息を一つついて各所に指示を出すための電話を掛け始める。
その日午後三時半頃に式読が通う学校からの連絡を受けて、ここに向かった時には二人ともこんな事に陥るとは露ほども考えてはいなかった。学校へ向かう途中で唐突に異変を感じたのは、夕日が異様な血の色をしていると感じた瞬間のことだ。
辿り着いた学校の前には黒く淀んだ煙のようなものが尾をひき、校門から玄関までを何かが通過した後が未だに鮮明に残っていた。

これが見えない者には、何となく周囲が薄暗い程度にしか感じないだろう。

礼慈が電話をしてほんの数分の間の後、遠方から激しいサイレンの音が鳴り響き始める。主の通う学校を中心に辺りは一気に物々しい空気に変わっていた。
表向きは校内に危険物が仕掛けられたという短絡的ではあるが、もっとも効果的な方法。一般の人間は制服姿の警官に促されながら遠ざかっていく。だがその実で誘導をしている警官ですらも真実を知る事もなく、報道すら規制をされている。
その中で、更に礼慈の瞳に見えるのは、校舎の片隅に渦巻く異様な気配の妖気と対峙する二つの光だった。そうして大きな地響きと同時に、白銀の閃光と闇に煌めく黒曜の輝きが空を貫き周囲を大きく揺らした。

「始まった………。」

呟く礼慈の声に敷島も微かに息をのむ。見えない人間にはそれがどんなに恐ろしい光景なのか全く理解できない地獄を覗くような光景。
当然のように高校生が通う校舎に黒々と小さな異界が、音もなく口を開くのが見える。その中心にある二つの光が、穴と拮抗するように空気を貫く閃光を放つ度に地面までビリビリと震え
轟音が響く。敷島もこんなにも間近で、四神の戦闘を見るのは助けられたあの時以来だ。

「……院を動かすしかない…ですね。」

血のように赤い夕焼けが広がる宵闇の中で、それは一見すると何度も爆発が起きているように見えた。異界を一瞬切り裂いた四神の白虎と玄武が放った気の片鱗が飛び散り地響きを鳴らすのに、その異界は直ぐ様口を閉じる。まるで四神ごと闇に飲み込もうとしているように見えるのに、辺りはまだ人間が多すぎるのだ。

「あれでは四神が本来の力で戦えない…。」

辺りを包む人垣が消えなければ、四神本来の動きは出来ない。しかも頭上にヘリコプターが飛び始めたのに気がついて、敷島は舌打ち混じりに夕日の落ちる空を見上げた。咄嗟に車載テレビをつけると、既に一報が入ったらしい上空映像が流れる。
いち早く情報を入手したマスコミが、校内への侵入者の存在を報道したのに車載電話を使いながらの礼慈の表情が険しく変わる。

「敷島、出所を確認してください。」

礼慈が院の者の配置で手が回らない為に、敷島にニュースソースを確認するよう短く指示を出す。手早く各所に連絡をとり始める敷島を横に、血のような夕日は次第に闇に塗り込まれようとしていた。



※※※



校内に残された我が子を迎えに来た親達の人垣が、学校からは離れた場所で生まれ始めている。既に薄暗い闇の中に沈んだ正門ではなく、裏側の普段敷島が車をつける方の出入口。そこから少しずつ抜け出した生徒達の姿が、校舎から静かに吐き出され始めていく。

敷島が連絡をとった先で確認されたのは、校舎内から外部へのの電話での通報だった。見知らぬ人物が突如校内に侵入したのを発見した教師の一人が、その不振人物を一階の教室の奥まで追いかけたようだ。その後の状況は不明だが、その教師は何かに吹き飛ばされたという。教師は何に吹き飛ばされたか分からないというらしいが、そこから爆発物を所持した人間が校内にいるということになったようだ。
ある意味では先に爆発物を持ち込んだことにするよう手配したこちらの動きと、現実が完全に連動していて滑稽にすら思える展開だ。その教師の方は腕の骨折だけで命に別状はないが、脱出が進まないのは他の生徒や教師の安否確認が長々進まないせいもあるようだ。

未だに智美からの連絡もない。

礼慈が何度かかけたが、電波が届かないとアナウンスが流れるだけだという。こうなると敷島の主もあの異界の中に巻き込まれている可能性も捨てられなくなってきている。

「…ちょっとスミマセン。」

コツコツと車窓を叩く音に敷島が溜め息混じりに窓を開くと、騒動に駆り出されているのだろう私服の刑事らしい青年が中を覗きこむ。暗がりにほぼ同じ年頃の青年は、厳しい口調で話しかける。

「車の移動をさせてください。ここは禁止区域に……。」
「この車にはお構い無く、刑事さん。そのように聞きませんでしたか?」

敷島の声に相手は眉を上げて、聞いてませんがと不審げに口を開く。車種や車内の装備を見やり、青年は訝しげに眉を潜めて運転席の敷島の顔を見下ろす。どう見てもまともな風には見えない状況に、改めて疑問を感じたらしく油断なく敷島達の様子を観察している。その背後から年嵩の刑事らしい男が声を張り上げた。

「何やってんだ!風間!こっち来い!」
「は、はい、でも遠坂さんっ…。」
「聞いてなかったのか?!その車はカクヒだ!」

カクヒとは彼らが使う最上級の極秘事項の事だ。少なくともこちらの動きを邪魔しないようにしてもらいたいと視線で敷島がいうと、風間と呼ばれた青年は酷く不満そうに顔を歪ませて車から離れていく。
警察官だけでなく私服の刑事まで駆り出されたはいいが、何にせよこの周辺の人間自体を離して貰わないことには事態は何も進展しようがない。

「まずは彼らが動きやすいよう、早く子供を出してくれればいいんだよ、あんたら。」

車窓越しに警察を眺めて忌々しげに小さく呟く敷島に、背後から嗜めるような礼慈の声が響く。
人垣は益々増えるばかりで、黒山の人だかりといえる。どれだけの生徒が残っているのかも、この内のどれくらいが野次馬なのかも見ただけでは判断がつきそうもない。せめて子供を取り戻した親が離れてくれれば、規制線をもっと広げてしまえばいいのだ。既に飛び回るヘリには報道規制を手配している。

後は中の人間と人垣だけ。

それさえ何とかすれば、こちら側も校舎への近づきようもある。既に学校に近い幾つかの家の電気が消えていくところを見ると、半径何百かの範囲で避難は着々と進んでいるようだ。
夕方過ぎだったから校内の生徒は少しは減っていた筈だし、少なくとも裏門から出ている分には危険性は僅かにだが下がる。恐らく校内に機転の回る人間や、僅かだがあの暗闇を感じ取れる本能的な感覚を持っている人間もいるのだろう。

それに白虎と玄武が辺りに被害が及ばないよう必死にガードしている。

礼慈と敷島の目には相手との均衡を保とうと、二人が気の放出を必死に微調整しているのが分かる。それを見れば恐らくあの小さく密度の高い異界には、人外が関わっているに違いない。周囲を守りながら尚且つ異界を広げないで人外と戦うには、学校はあまりにも部が悪すぎる。
緩慢にも感じる時が流れ、暗がりの中で道を親に伴われ促されて下校していく生徒たちの姿が次第に途絶えていく。数人の教師の姿が、戸惑いながら警察官に促されて規制線まで下がるように声高に叫ばれている。

「まだ……なんです!!」

女性教師の鋭い声に、年嵩の教師も一緒になって制服姿の警察官にに詰め寄っていた。他にも少し年上なのだろう女性教師も警察官に詰め寄る。

「まだ、恐らく校内から出てきてないんです!」
「わかりましたが、あなた方は退去してください!」
「生徒もいる可能性があるんだ!」
「先生方は規制線外に仮の中継所をつくってますから、そこで確認作業をしてください!」

教師と警察官で押し問答になっているが、正直なところさっさと規制線を広げてもらいたい。そう同じく考えているのだろう敷島が苛立つように舌打ちをするのが聞こえる。

「こういう事態の時のマニュアルでも作っとけばいいんでしょうね。」

運転席の敷島が吐き捨てるように呟く。僅かな時間の合間に救急車が数台走り去り、未だに響く地鳴りに規制線は次第に範囲を広げていく。規制線から離れるよう促される教師達の姿を、暗い車窓越しに黒曜石の光を宿す瞳は無言のまま眺めた。張り詰めるような空気の満ちた車内で彼は、息をつく様子すらも感じさせず人垣が消えるのを辛抱強く見つめている。
完全に人間の好奇心までは断ち切れないが、見れば悪くすれば狂うか自分達と同じ世界の住人になるかもしれない。そう考えたら、こんなにもジリジリと人垣が消えるのを、待ち続ける必要はないかもしれないと礼慈は考えている自分に気がつく。

普通であることを人間が全員捨て去れば、こんな無意味な時間はなくなるのではないだろうか……

黒髪をゆるく束ねた彼は暗闇の中で目を細めた。その思考は香坂智美に聞かせたら、今の彼は恐らく憤慨しかねない。最近の彼はやっと普通の高校生らしい環境に馴染み始めて、自分の中の高校生である香坂智美を知り始めた。礼慈は逆に小中迄しか通うのを許されなかったから、残念ながら彼には経験できなった環境に智美は自分をみつけ始めている。それは普通の人間の世界で、香坂智美はそれを大切なものと認識し始めていた。
それを自分達の勝手な思考で奪うような事は、恐らく智美は許さないだろう。

あなたが私達にとって大事な存在で、他の同級生の命とは比較にならないとは一つも考えもしないでしょうね、智美さんは。

その目に明確な形を持って映る繭のような形をした妖気の塊が、異界の中心に姿を表したのが正にその時感じ取れた。それは強い妖気を殻にした存在で、二人は忌々しげに見つめる。それは巨大で有り得ないほどに禍々しく、見える者の瞳には底なしの穴を思わせる闇の色をしていた。やはりその場に人外がいたことの証明に、礼慈は目を細める。

こんな形で襲ってくるなんて…。

今までは必ず傍に地脈の穴の存在が先にあった。少なからず時を経た穴があってこそ、人外は現れるのだと誰もが思っていた。しかし、ここに来てその考えは間違いだったとしか言いようがない。
礼慈は驚愕と同時に自分の甘さを呪った。
前回のことを考えれば、ゆうに考えうる現実だ。何しろ、一ヶ月前と少し前、今までに例のない大妖とされた人外饕餮は、その強大な妖力を持って地中深くに伸びる地脈を無理やり捻じ曲げて都市の真ん中で穴を開いた。人外同士は人間同士と同じく闇を介して、情報をとりあっているのではないだろうか。そして一度起きたことは、二度目が起こる可能性は高い。そしてそれ以上の異変が、既に事の起きる為の片鱗はもう何年も前から幾つもあったのだ。

都合がよすぎます、五代の血縁者が今更ここに。それもこの時期に現れるなんて。

それを今更悔いても仕方がないことはわかりきっていた。そしてどう考えてもその存在も、この事態に関わっていることも予想できた。唇を噛みながら彼はただ早く人気が切れることを一心に願いながら、その邪悪に闇よりも黒い繭の中でまるで霞む様に感じる2つの気配と、未だ行方のわからない智美の身を案じていた。
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