GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第六幕 都立第三高校 教室棟一階

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目の前で彼女の体に起きるその変化は、正常な神経であれば眼を覆いたくなるようなものだった。青白く陶器のようだった滑らかな肌、その指先から異変が生じ始めている。
ホラー映画さながらに周囲の闇の中で、青白く浮き上がっていた筈の彼女の白磁の肌。それが唐突に指先から色を変え始める。指先が突然土気色に変色し、爪は青から紫に変色していく。まるでそれは指の先、末端から死んでいく。死に伴う変容を思わせる変化は、所謂九相図の早回しのようにすら見える。それに本人だけが気がついていないように、黒い世界に沈む艶やかな白い腕は斑に黒ずんで朽ちていく。なのに、双眸だけがギラギラと鈍い憎しみの色を生気に変えて伺わせてみせた。
もしその視線で人が殺せるのであれば、一瞬にして死を迎えるかのような酷く深い憎悪の瞳。それを二人は言葉もなく、息を呑んだまま見つめた。時を待たず変質していくその姿に、彼女に真実を告げていいのかどうかすら二人には判断が出来ずにいたのだ。それを知ってるのか知らないでいるのか、その女性は歪み始めた体に妖気の風を全身に巻いてズルリと足を引き摺るように滑らせる。竜胆貴理子の様相に、信哉は躊躇いを捨てきれずに視線を揺らす。

「…やむを得ない、……一先ず引き剥がすしかないな。」
「剥がしたらどうなると思う?」
「分からん、全くだ。」

微かな吐息と同時に呟く信哉が不意に上着を脱いだかと思うとしなやかな動きでシャツの両腕を捲くる。隣の悌順も一枚上着を脱いだかと思うと微かに身構えるのに気がつきながら、その女性はまだ残る顔の中で眉を潜ませた。

「確かにな。でも…どうやって引きずり出す?」
「……木気なら、俺達二人ならやりようもあるだろ。」

火気でなかったのだけは幸いだと呟く信哉に、確かにと悌順も呟く。静かに自分を見据えた二人の青年の姿に、彼女は微かに眼を細める。一瞬その二人の体から放たれた対になるかのような白銀と黒曜の鮮やかな光の帯が、彼女の濁った眼を痛いほどに射し貫く。数度の瞬きののち目の前の二人の姿に、彼女は微かに感嘆の息をついた。
眩いそれぞれに自分自身の体から輝きを放つ者達は、その光をそれぞれの両手に灯火のように揺らめかせる。両手にだけ灯された光は、彼女の手に絡む風とは正反対の清廉さを纏う。光を纏った途端、青年達の持つ気配は今までとは全く別質なモノに変化していた。例えれば薄いベールを一枚脱いだようなものなのに、その中身は純度の高い宝石のように光を放つ。光を纏う二人は示し合わせているかのように眼で会話を交わす。

「………それが貴方達の隠しているもの?」

竜胆貴理子は視線をずらす事も無く微かに口元を歪ませた。唐突にその口元から激しい妖気と共に甘い香りが溢れ出し、二人はその臭いに眉を寄せながら彼女を見やる。甘さは熟れた果実のようにも感じられるが、同時に腐臭のようにも感じ取れ不快感が信哉の眉をしかめさせた。
二人の視線をまともに受けながら、そこにいた竜胆貴理子は奇妙な動きをみせる。体は動いていないのに首だけ奇妙に捻じ曲げたように、首を傾げたのだ。それはまるで首の骨が外れたように真横に傾いでいく。唐突にその首元から、妖気が吹き出し暗く低い言葉が放たれた。

「……≪……真実はそこにあるぞ?蒼子?≫」

不意に溢れ出たその言葉は彼女の物ではなく、異質な気配を放つ異形の声に他ならなかった。彼女の中から響き渡る性別も何もかもが、闇の中に在る様な深く暗い声。それは首を切り裂いたように真一文字にひび割れた、黒ずんだ肌の中から響き渡る。

「しんじつ……。」

虚ろな声で竜胆貴理子の唇が動く。彼女の言う真実は、五代武という青年の生死についてだけなのか。彼が何を見て、どう過ごしてきたか全てなのか。どれだとしても、今の状況でそれを和やかに語り合えるとは思えない。
割れた首から放たれた声は目の前の二人を一瞬凍りつかせるものではあったが、その行動までは止める事は無かった。弧線を描き振り下ろされた人ではありえない速度の白銀の蹴りを、スーツ姿の彼女は身を捩るようにして交わした。その隙をついたように素早く背後に回った黒い帯の様にも見える燐粉にも似たきらめきを見せる光を纏う大きな手が、彼女の後頭部にひたりと当たった。

「?!!」
「ちっ、人の体に寄生する人外なんて見たことないな?」

不意にその手から意図的に体に染み渡るような清廉な水の気配が満ち体内を揺さぶる。それは人間の体の六割以上を占める水を意図的に動かし、汚染された何かを追い出そうとするような浄化の作用を引き起こした。それを遮る妖気の風を放とうとした木気を翳す彼女の両腕を、目の前に躍り込んだ白銀の金気が相殺しながら腕を掴む。

「?!」
「悪いが、そうそう勝手な動きをされるのも困るんでな。」

驚きの瞳で真正面から白銀の光を放ち両手抑え込んだ青年の手を見下ろしながら、不意にその体は痙攣を起こしたように黒く染まった部分を斑に覗かせながら仰け反った。それでも後頭部から離れない手に彼女は、今までと一変して虚無の仮面を剥ぎ取る。グギと鈍い音をさせて背後にいる青年を、頭だけが仰け反り逆さまの視界で無理やりに見やる。

「エクソシストは勘弁してくれ、気持ち悪いんでな。」

ヴンッと体の中の水分が漣のように体内を駆け巡る感触に、彼女は呻き声をあげた。だが、同時に彼女の後頭部に手を当てている悌順も、その体内の違和感に眉を潜める。首の割れ目は近づいて視界にはいると、まるで井戸の縁のように黒く濁って見えて不快感が増す。

「何だか……変だっ!」

違和感の正体が掴めず悌順が放った言葉に、腕を押さえ込み木気を相殺し続けている信哉が表情を変えた。虚ろな瞳は一度悌順を睨んだ筈だが水気を受けて、今は白く濁ったように生気を失いつつある。唐突に首の割れ目から、妖気が吹き出したかと思うと腐臭が沸き立った。

≪蒼子。お前が求める者を殺したものが…ここにいるぞ?≫

その言葉に一瞬二人の眼に動揺の色が走る。そして、そのものはその瞬間を、待ち構えていたようにけして逃しはしなかった。激しい風がその体を包み込み、取り押さえていた筈の二人の体を弾き飛ばす。弾き飛ばされ床を滑るようにして、信哉は忌々しげに舌打ちしながら体勢を立て直した。同じように弾き飛ばされた悌順がスニーカーの底の跡が残るほどの勢いで床に足を留めるのが見える。
指先に風を巻く彼女の指は発する風の衝撃の強さにズタズタに裂け始めているのに、一滴の血を流すこともなく痛みも感じている様子もない。

「ヤス!」
「……水分が、殆どない……。」
 
悌順が唖然としたように呟くのに、信哉は忌々しげに舌打ちをした。そんな二人の前で彼女は裂けていく両腕を気遣う様子もなく、ボンヤリと目の前にいる白銀の光を眺め微かに戸惑うように呟いた。

「…殺した?」

それは彼女にとっては想定外の言葉であるように、微かに囁く声に深い戸惑いが滲む。そんな筈ではないと言いたげな声で、彼女は傾いだ瞳を瞬かせる。

「……殺された?……死んだ?」

彼女の深い戸惑いの色に被さるように、その体内に潜んだ邪悪な気配が唐突に嘲笑う。戸惑う表情を押さえようと差し上げた自分自身の両の手の指が、彼女の視界に入った瞬間。その戸惑いは驚愕に塗り変わる。
既に二目と視られないほどに、腐るように崩れ肉が裂けて残骸のようになってしまった自分の指。痛みもなく血も出ない朽ちた指先に、彼女は思わず呻き声をあげていた。

見ているものが信じられない。

そんなことが現実にあり得ることが信じられないし、約束が違う。彼女は混乱した頭でそう考えながら、数歩後退り二人から離れようとした。壁沿いに後退る彼女の混乱した表情に、躊躇いが沸いたように動きが凍る信哉に悌順が並ぶ。

「信哉…。」
「水分がない……のは、手遅れだからか?」

掠れるような戸惑いを滲ませる信哉の言葉に、悌順は視線を彼女に向ける。人間の体内の水分は六割以上、だが直接触れて揺らし浄化を促そうとした体内に存在する水分は悌順の気に呼応しない。妖気が操作を遮っていると言いたかったが、それと同時に妖気を相殺していた信哉がいた。少なからず相殺されたぶんの妖気は、器である彼女を隠しきれなかったのだ。その器に残されていた呼応する筈の水の存在は、その手にはほんの僅かにしか感じ取れなかった。

「何で……約束したわ……。」

彼女は再び後退った。指はどんなに見ても朽ち果てたまま、元の色にも肌にも戻る気配もない。驚愕し同時に絶望を感じ始めた彼女は、自分自身の手から逃れようとするかのように更に後退る。

「なんでなの…?私は……武に…ただ………。」

見開かれた瞳だけが、まだ僅かに彼女らしさを滲ませていた。自分の手を見下ろしながら後退り、背中が突き当たりの戸に触れる。校舎の突き当たりの扉は、更に廊下へと繋がりその先の建物に繋がってもいた。

《殺したものを見ないのか?蒼子。》

嘲笑を含んだ首から溢れ落ちる声に、彼女は改めて戸惑いに満ちた視線をあげる。もう何を信じていいのかわからない、その瞳はハッキリとそう告げているように見えた。途端、背後の扉が背後に抜け落ちるように朽ちて崩壊した。同時に彼女の体から再び激しく湯気が立ち上ぼり、熱風が通路の中に吹き荒れる。

「…………木崎さん…、貴方は…。」

その先を続けようとする信哉の言葉を遮るかのように、その体内にいるモノが激しい嘲笑を周囲に向かって放つ。妖気の濃さに空気がビリビリと振動する。今までにない激しい妖気はその体をまるで削りとるように、ジワジワと斑だった黒ずみを広げていく。禍々しいその在り様を二人は心に浮かぶ動揺と共に息をつめて見守っていた。



※※※



マンションの屋上に駆け出した義人と忠志は、夕闇の深まり血の色を暗く落とした世界を見渡す。一度自宅に戻って仁の様子を見ていた矢先、忠志が来訪して合流したのはつい先ほどのことだった。仁の眠りは深く安堵した途端、鋭い違和感に二人は弾かれたように視線をあげる。
それは大きな気の動きと同時に、何処かゲートの気配にも似た感覚を伴う。咄嗟に駆け出した二人は、ほぼ同時に同じ方向へと視線を向けていた。驚くほどに肌に刺さる不快な気の流れは不意に出現したと同時に、仲間の二人が既に直ぐ傍にいることも感じさせる。

「なんだよ…こりゃあ…。」

屋上に駆け上がり向けた視線の先には、以前見たのとよく似た気配が柱のように立ち上がっていた。あの時は強大な範囲で街を飲み込み、暗闇に落としこんだ異常なゲート。だが今回はそれよりもはるかに密度の濃い、凝縮された感覚が二人の肌を刺す。突然微かな破裂音が空気を揺らして、義人は思わず目を見開いていた。

「……都立第三……。」

違和感の先が自分の母校でもあり、従兄が勤める学校なのだと気がついて愕然とする。夜の闇は近付いていたが、まだ完全に帳が落ちたわけでもないのに異界がそこにあったのだ。
愕然とする二人の目の前で、次第に夜の闇が更け街灯が瞬き始めている。その中でバラバラと音をたてて報道関係のヘリが動く音が微かに聞こえる。

「急ごう、忠志。」

夜の帳の中で街灯に照らされた硬い表情の義人の体が青い光を放ち一瞬で異装を纏う。その様子に緊迫した気配を感じながら、静かに緋色の気配をその身に纏う青年も頷いていた。


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