GATEKEEPERS  四神奇譚

文字の大きさ
上 下
86 / 206
第二部

第六幕 都立第三高校 教室棟一階

しおりを挟む
生徒指導室に際こむ陽射しが弱まり、夕闇の気配が色を深め始めていた。校舎内の賑わいは次第に弱まり、近くの人の気配は遠ざかり始めている。既に放課後になり校内に居るものは部活棟の方が比重が多いだろうし、教室に残っている生徒の数も減っているのだろう。先にこてんぱんにのされた五人の生徒の方の親に、事情を説明するのに時間を食ったのも大きい。五人とも打ち身と言うには大したこともなく、捻挫すらもしていない。精々尻に青アザができる程度だろうが親を納得させるのには、説明が難しかった。途中で七組の鈴木貴寛が黒木が何をしていたか報告に来てくれなかったら、その黒木佑の親は訴える気満々といった勢いだったのだ。二人を八人で囲んでいた上に相手が足にハンディキャップを持っていて杖をついていると聞いても、全く怯みもしないで子供の正当性を訴えたのは流石に黒木の親だけだった。流石に黒木がしたことを全て鈴木に暴露され、巻き込まれた七人に有ること無いこと吹き込んだとハッキリ証言されては黒木自身が認める他ない。お陰で後は当人同士の話し合いで、何とか納められそうな気配ではある。

まあ、手痛いしっぺ返しは受けたから、そうそう手は出せんだろうな。

七人のうち二人が自分の指導する柔道部の生徒だったのは悌順にも痛いが、虐めに荷担するというよりはカンニングやら不純な行動を諌めるつもりだったのは理解した。兎も角重量級の二人が自分より二十キロ以上も軽い相手に、手も足も出ずに叩きのめされたからには少し気持ちも改まるだろう。

「そっか、杖術かぁ…その杖、丈夫だもんな。」
「ああ、これ?中に芯が入ってる。」

和やかに交流を図っていた筈の二人の会話に、予想外の物騒な発言を聞き付けて悌順が呆れ顔を浮かべる。何処の高校生が歩行用の杖に芯なんぞ仕込む必要があるんだと言いたげな視線を気にするでもなく、どれ貸してと孝が杖を借りて重さを確かめている。

「これ、重さどれくらいなんだ?」
「中はスチール合金だから合計で一キロちょっと。」

普通の杖は大概が重さ250グラム程度なのだ。孝は知らずに軽いなと素直に納得しているが、杖としては全く軽くない。よくある鉄パイプは外径五センチが一メートルで約三キロとして、その杖は外径は約二センチの長さが約八十センチ程。何でそれを悌順が計算できるかは兎も角、お前それは歩行杖と言うより鉄の棒じゃないかと、思わず机の上で脱力したくなる。その自前の凶器で、よくまあ相手の骨を粉砕しなかったなと呆れ果ててしまう。

礼慈が来たら苦言を呈することにしておくか……。

ふとその視線が周囲の色の変化に気がつく。窓の外が夕暮れと言うより血のような赤い色に包まれていくのに、悌順の表情が変わる。夕暮れと言うには鮮やか過ぎる、まるで血で染め上げるような真紅。それが空だけでなく周囲まで、赤く染めつつあるのに悌順は微かに腰を浮かせた。無言で窓辺に向かう彼の背を見ながら、智美の視線も訝しげに追う。ガラスに映りこんだ悌順の顔が、不意に険しいものに変わり戸惑いすら滲ませて振り返る。

「香坂……。」

その視線に浮かぶ言葉の先を呼んだかのように微かに智美は目を見開き、不自由な足を庇うようにしながらも孝を促し立ちあがる。そして、その時二人は何か酷く違和感を伴う感覚を初めて感じた。まるで背筋に冷たいものでも押し当てられたかのような悪感が走る感覚に身を震わせながら、智美は彼にしては最大限に急ぐ足取りで悌順に歩み寄る。

「……どういう事?」
「しかけてきた。こんな場所で……。」

二人の会話の意味は分からないが、ただならぬ気配に孝は覚えがあるかのように眉を潜めた。逃げ場のないその室内から退路を確保するかの様に廊下に足を踏み出した瞬間、三人の視界が歪み空虚な空気にのみこまれる。
時間が遅いとはいえ、全く人気がない筈ではない。なのに、まるで境界線を引いたように廊下の先が、異空間にでも変わったかのように暗い淀んだ闇に呑み込まれている。周囲はボンヤリと霞んで見え、窓の外まで濁って闇に沈んでいた。周囲の異様な変化に戸惑う孝と智美を背に微かに舌打ちをした悌順は、その闇を見透かすかのように闇の中を見据える。

侮った……まさか、こんな時間にここでしかけてくるとは…。

隣の教室に誰も生徒が居なければいいがと、心の中で呟きながらジワリと滲む汗を感じる。
不意にコツリと硬いヒールの音が、先の見えない廊下の闇の中で響いた。その音に微かに三人が身を固くするのを、知っている様にその音は闇の中から浮き上がり進み出る。その瞳は酷く冷淡な氷の様な光を浮かべていたが、全ては虚無の中に沈み浮かぶのは憎悪の色だけの様に見えた。

「…り…竜胆…さん。」

擦れる様な孝の声に、横の智美は訝しげな表情の中で目を見開く。そこに立ったのは陶器の様に白い肌をした、微かにいつか見た者の面影に似た鋭い眼元の美しい女性の姿だった。

…………彼女が……。

智美の視線の先で、その女性は感情の動きの無い瞳で三人の姿を真っ直ぐに見つめていた。唐突に彼女は微かに歪んだ笑みを敷いて、不意にその身から禍々しく歪んだ気配を溢れさせる。コツリともう一歩三人に歩み寄りながら、スーツ姿の彼女は静かに上目使いに彼等を見つめている。

「……あぁ…丁度良かったわ、先生とお友達も一緒に連れていたらお話が聞きやすいわ…。」

彼女は静かに邪悪に微笑みながら歩みを進めようとしている事に気がついて、悌順は小さな舌打ちをした。香坂智美はともかく真見塚孝の前で力を使う事以上に、校内で力を使う事に躊躇いは隠せない。それを察したかのように智美の視線が困惑を浮かべて彼を背後から見上げた。力を使うには孝と社会の存在があり、ただ逃げるには自分の存在が枷となってしまっている。

「………部外者は校内に勝手に入らないものですよ?…木崎……さん?」

探る様な悌順の声に彼女は微かに目を細め、二人の前に立つ教師の姿をまじまじと眺め不意にその瞳を揺らした。聞き覚えのない名前に眉を寄せる孝を微かに背後に押し戻して、彼は視線で智美に生徒指導室の中に入るように促す。智美がそれを察したように身を動かしたのを確認しながら、彼は冷静さを取り戻そうと深い息をついた。

「……何故その名前を知ってるのかしら?土志田先生。」
「さて?……何故だろうな?」

勢いよく扉の閉じる音と同時に生徒の姿の無くなった廊下は、まるで黒い闇に塗り込まれ包みこまれたかのように色を失っていく。その気配の意味を静かに探りながら悌順は、忌々しげにその存在を見つめた。

「随分手荒だな?アンタも。」

その黒い世界が広がった部分がモノクロに変わっていくのを見やりながら、彼はある意味で安著に似た思いを覚えながら目を細めた。その世界はまるで以前入り込んだ異形の『ゲート』の姿に酷似していると彼は判断している。そうであれば、ここに入ってこれる者はごく限られた者になる上に誰かに見られる可能性もない。

「そうかしら?真実を知るためには、時にはこういう方法も必要でしょ?」

その歪んだ微笑みは、目の前に立ったその青年が不意に全身から冷ややかで気流を動かすような湿度を伺わせる気を放った瞬間驚愕に塗り変わる。ピリピリと空気が震え目の前の女性の瞳に、不意に陰りがさしたかと思うと表情が微かに歪んだ。

「そうか……やっぱり貴方も…あの声の言ってた仲間なのね?…丁度……いいわ。」

目の前の青年が全身から放つ水気の気配に全くたじろぐ事もなく、その女性は不意にその広げられた両手から強く激しい風を巻いた。

「…?!」
「………なら、貴方も彼を知っているんでしょう?」

邪気に溢れてはいるがそれは明確な木気の気配で、周囲に溢れ鋭い風となって空を裂く。その存在に両手で視界を庇いながら悌順は微かに舌打ちをした。あまりにも辺りに満ちる妖気が濃すぎて、その気配が彼女自身のモノなのか、内在する人ならざるものの気配なのか判断する事ができない。そして、それ以上に水気で彼女に直接攻撃を仕掛けるには、根本的な躊躇いが悌順の中には在った。攻撃しようとしてもこの場を破壊するのは、ここで働いているということ以上に、直ぐ傍に残された二人の存在が大きすぎる。そして目の前の人間としての人物の視線と言葉に、不意に強い躊躇いが沸いたのだ。それを知っている様子で彼女は、再び歪んだ微笑を浮かべている。

「知ってるのね?……彼は何処にいるの?」
「あんたは……知って……どうする気だ?」

彼女は不意にその言葉に戸惑うようにたじろいだ。
その表情に浮かんだ困惑があっという間に広がり一瞬風が揺らぐのを感じた瞬間。それを悌順が見逃すはずもなく、その体ははるかに人よりも速いしなやかな動作で彼女の腕を掴み後ろ手にまわした。そのまま、背中に回した手を押さえ込みながらその細い背中にヒタリと手を当て内部の気に向かって探るように手を伸ばす。気を探ること事態は彼にとって得手ではなかったが、そう言っていられる場合でもない。その存在のありようだけでも、一先ず探り出したかった。

「………離せ。」

微かな呻くような彼女の声音を無視して、その中身を更に探る。次の瞬間不意に弾けるようにその背中が逆立つような気配に襲われ悌順は、咄嗟にその手を離し女性の体を突き飛ばした。廊下の突き当たりの扉までたたらを踏んだ彼女は、悌順の姿を眺めながらユラリと体を揺らす。突然その体から陽気を陽炎のように立ち上らせて彼女は、揺らめくように体勢を立て直した。その動作に付随するかのようにベコンと重く鈍い音を立てて彼がつい先程までいた部分の床が落ち窪むのを眼にしながら、彼は忌々しげにその姿を見つめる。
やはり場所も状況も悌順にとっては酷く部が悪い。そう思った瞬間目の前のその女性の体から激しく鋭い風の刃が乱舞しながら放たれた。

「ちっ?!!」

咄嗟に空気中の水分を凝縮して水壁を作る。それでも風はそれを幾つも切り裂いて、幾分弱まりはしたものの一直線に自分に向かって来ていた。防ぐにも避けるにも、刃が大きすぎる。そう覚悟を気めた一瞬、白銀に光る弧線がそれを床に向かって叩き落した。

「何が起きたかと思ったら…随分だな?全く。」
「何でお前が…?」
「毎回代理になると録な事がない。」

呆れたように答える珍しいスーツ姿の幼馴染の姿に内心安堵しながらも、床を抉る大きな爪あとに微かな溜め息を漏らす。やむを得ないとは言え周囲の被害は避けたかったのだが、もうそうも言って入られない状況ではあった。

「…で、何で木崎さん、貴方はここに?」

冷ややかな声音で彼女を見返したスーツ姿の青年に彼女は微かに眼を細め、佇む二人を順番に見やりながら更に歪んだ笑みを浮かべる。その名前に反論もしない彼女は、暗に木崎が自分の名前であると認めているように見えた。

「………あの声の言う通りなのね?……やっぱり…貴方達。……普通じゃない。」
「貴方ほどじゃない。それなりに常識もあるし、俺達は普通ですよ?」

まるで試すかのように言うスーツ姿の信哉の声を彼女は憎悪に鈍く光る瞳でじっと見つめている。かと思うと、まるで魔女のように、呻きながらその体を折り曲げた。

「…彼は今、何処にいるの?鳥飼……。」

硬く澄んだ氷のようだった声が微かな濁りを帯び始め、まるでその体は歪に揺れる。全身が歪んでいくような気すらするの姿を見つめながら二人は微かに眉を潜めた。目の前のいる女性の体は表面は虚無で覆いつくされている。しかし、その内面から滲み出す邪気は、もう隠しようのないものに変質していた。そして、それはある意味でその体の本来の姿すらも感じさせるものと変化していく。

「…白虎……、ありゃあ…。」
「……最悪な予想の方が当たったな。」

その場に立ち鋭い視線を投げる二人の青年は衣服は普段のままでも、その気配は夜の姿と変わりがなかった。その場は濃密な三つの気に溢れ、まるで嵐の真っ只中にいるかのように轟々と空気が渦を巻き、割れる事はないが窓ガラスがビシビシと鋭い音を立てて震える。その激しい音の中で四神の北と西の守護者は、過去からの問いかけを浮かべるものの姿を息をつめて見つめていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

未明の駅

ゆずさくら
ホラー
Webサイトに記事をアップしている俺は、趣味の小説ばかり書いて仕事が進んでいなかった。サイト主催者から炊きつけられ、ネットで見つけたネタを記事する為、夜中の地下鉄の取材を始めるのだが、そこで思わぬトラブルが発生して、地下の闇を彷徨うことになってしまう。俺は闇の中、先に見えてきた謎のホームへと向かうのだが……

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

僕が見た怪物たち1997-2018

サトウ・レン
ホラー
初めて先生と会ったのは、1997年の秋頃のことで、僕は田舎の寂れた村に住む少年だった。 怪物を探す先生と、行動を共にしてきた僕が見てきた世界はどこまでも――。 ※作品内の一部エピソードは元々「死を招く写真の話」「或るホラー作家の死」「二流には分からない」として他のサイトに載せていたものを、大幅にリライトしたものになります。 〈参考〉 「廃屋等の取り壊しに係る積極的な行政の関与」 https://www.soumu.go.jp/jitidai/image/pdf/2-160-16hann.pdf

実体験したオカルト話する

鳳月 眠人
ホラー
夏なのでちょっとしたオカルト話。 どれも、脚色なしの実話です。 ※期間限定再公開

不労の家

千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。  世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。  それは「一生働かないこと」。  世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。  初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。  経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。  望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。  彼の最後の選択を見て欲しい。

処理中です...