GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第五幕 都市下 南口公園

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まだ薄らと星の瞬く明け方の空を見上げながら、十二月の冷え込む朝の気配にその青年はホッと息をついた。ここ数日一人で出歩く事を父から禁じられていたものの、特に自分の身の回りには変化もなく何時もと変わらぬ日々が過ぎていく。異母兄である信哉の身の回りに、胡散臭い女性が嗅ぎまわっているから身辺が落ち着くまでは出入り禁止を申し渡されていた。しかも実感がなかったせいで訪問したのにタイミング悪くその話の当人と、兄と一緒のところで出くわしたせいで一人で出歩くのまで禁止されてしまったのだ。
数日の事とはいえ兄に接近禁止な上に、出歩くのまで禁止されてしまっては息が詰まりそうだった。何より接近禁止という方が孝にとっては、実は息がつまるどころの問題ではない。同級生からも呆れられているのは分かっている。それでも十一も離れた兄の存在は、甘えるには難しいが一人っ子の孝にとっては大事なのだ。敬愛する兄から父に硬く来訪を拒否されてしまった上に、直接面と向かって口頭でも来訪を拒否されてしまった。それだけでも心痛ただならないというのに、そのうえ一人で出歩く事も禁止とは子供扱いにも程があるとつくづく思う。
ふと、弱まる夜気を感じながら孝はホウと息をついて母屋の方をそっと眺めた。とは言え母の体も弱く、遅くにできた子供というものはそう思われるものなのかもしれない。
彼自身表立って両親に逆らう気はなかったが、それでも早朝のランニングくらいは気兼ねなくしたいと言うのも本音。普段している事を禁止されてしまうと、どうも毎日スッキリしない。その日は夜中に何だか胸騒ぎがして眼がさめてしまった事を幸いに、冬の日曜の朝の静けさに紛れこうしてそっと家を抜け出している訳だ。

父さん達が起きる前に戻ればいいよな。

そう心に言い訳しながら、夜気の中を軽く走り出す。
暫し眼が覚める前の街の静けさを漂わせる道を堪能しながら、少し重くなったようにも感じる足を溜め息混じりに見やりながら足取りを確かめる。ほんの数日少しランニングをサボっただけで、簡単に自分の体がなまってしまうのがよく分かる。
彼自身もともと父親の血のせいか運動神経はいいのだろう、道場でも才能があるといわれて必死に努力を重ねてきた。それでも時折人の口に上がるのは自分の異母兄でもある鳥飼信哉の名前の方で、何時でも彼がこなくなった事を惜しむ人の方が多い事は歴然とした事実だ。悪い意味ではなく彼は見た限り毎日の鍛練をしているわけでもないし、孝のように毎日努力を重ねている風でもない。それでも、数週間前に宮井慶太郎と古武術でやりあっていた二人を、まるで初心者でも相手にするように意図も容易く信哉は一瞬で抑え込んだ。完璧な組打術だけでなく合気道も、柔術や他の古武術もその身に染み込んでいるのだろう。信哉がそれを習ったのは自分よりも十歳も年下の時で、今は更に磨きがかかり父より手練れだと密かに父も認めている。先日の事も父が宮内の父親と結託してやったのは、その後の説教の時に「どうだった?少しは近づけそうか?」と問いかけた父の悪戯な瞳からも分かっていた。

天武の才…か。

幼い頃はわからなかったが、今こうして自分が身につけたものを見れば彼がどれだけ才能があったかが分かる。でも、彼は道場にはいない。もし、今も道場に通っていたら、あの才能はあれ以上の高みにいたのだろうか。同時にそれをあえて捨てるほどの気持ちは一体なんだろうかと、何時も彼は思いをめぐらせた。最初は自分と母親の存在のせいかとも思った。だが、それを問いただしに始めて訪れた部屋で彼は酷く優しく穏やかで、その上過去に一度見たことのある写真の女性と同じ綺麗な微笑で自分を見つめる。けして自分を責めるでもなく大人を攻めるでもなく、それでいて確固たる自分の意思を示すその毅然とした姿に孝は、面食らい戸惑い彼を兄として好きになったのだ。

同じ血が流れてるなら、少しは追い付けるだろうか…

追い付くというよりは、これ以上離されないようにするという方が正しいのかもしれない。それでも、何時か彼のようになりたいと思うのは確かなのだ。思わず意図せず兄のマンションが見上げられる公園に足が向いていたのに気がついて、孝は苦笑いを微かに浮かべてしまう。
微かに熱を持った息を規則的に溢しながら、孝はふと前方に足を踏み出した人影に眼を留める。瞬間的に思わず踵を返したくなる感情に囚われた自分に気がついた。

「おはよう、早いのね。」

不意に駆けられた声音は前聞いたときと違って、酷く柔らかく穏やかな気がして孝はその静かに自分を見つめる女性に結局足を止める。前見たときとは違う物ではあるが同じスーツ姿の彼女は、前は結い上げていた髪を1つに束ね思ったよりも長く背中で房となってさらりと音を立てた。

「貴方、何が…目的なんですか?」

警戒した響きを持つその声音に彼女は微かに微笑む。
その微笑みは戸惑いすら含んでいるような気がして、孝は躊躇うようにその姿を見つめた。コツリと何気ない足どりで公園に足を向けた彼女に、孝は思わず従うように歩く。やがて少し木立の影に立った彼女に、少し距離をとって孝は様子を伺う。

「……真実よ。私はただ本当のことが知りたいの。」
「貴方の知りたい真実と、兄さんに何の関係があるんですか?」

白み始めた東の空をふと見上げながら、彼女は微かに眼を細める。その表情は以前見た冷淡さは微塵もなく、ただ孤独と憂いだけが滲み揺らぐ言葉がその口元から溢れ落ちた。

「貴方のお兄さんも懇意にしていた人を探しているの。もう死んでいるかもしれないけど。」

彼女の孤独に満ちた言葉は暗く重く、まるで氷のように静かに足元に振り落ちるかのように漂い消えていく。それをまざまざと目にして、孝は言葉の意味に戸惑いを感じながら彼女の顔を見つめなおした。
彼女が知りたかったのはついこの間までの合気道関係の失踪事件の事だと聞かされていたのに、今目の前の彼女は全く違う理由を口にしている。それをどう判断していいかが孝には理解できないまま立ち尽くす。その戸惑う表情に気がついたように彼女は静かに微笑んで、その戸惑いを理解したかのように柔らかく眼を細めた。

「…行方不明者を探していたのは本当よ。余りにも突然消えたから…私がずっと調べているものと同じことかと思ったの。」

彼女の言葉に自分が引き込まれつつある事と、それを受容していいのかが孝には分からない。

「貴女が調べているのと、知りたい真実は別なものなんですか?」

それは至極全うな質問だった。純粋で裏のない疑問。調べていたことと、知りたい真実の違い。それに彼女はふと柔らかく微笑むと、俯いて口を開く。

「そうね………、最初は知りたい真実をずっと探していたのに、いつの間にか違うことが関係しているような気がして、調べ始めてるって言うのが本音かしら……。」

彼女の囁くような言葉は、隠すことのない本心に聞こえる。

「長い間、人を探してるのよ。ずっと…ずっと…。そして同じような事を聞き付けて、それも関係があるんじゃないかって調べて……。」

何を指しているのかは分からないが、気持ちは分かるような気がした。探している人と同じような出来事を聞き付ければ、そこに関係があるのではと感じてしまう気持ちは分かる。

「その人は今何処にいるんですか?」
「……私の探している人はここら辺に住んでいたのよ。もう大分前の事だけど……。」

彼女は白み始めた空気を見渡すように、視線を上げた。そこまで分かっているなら直ぐに会いに行けるのではないか、そう孝は考える。

「会いに行けばいいんじゃないですか?住んでる場所まで分かっているんですよね?」
「そうしたいわ。でも今はいない。この街で消えたの、…もう五年になるのかしら……。」

そういって悲しげに微笑んだ彼女の瞳は嘘を言っているモノではないと本能的に悟った自分が、その言葉の先に続くものを聞いてみたいと思っていることに孝は気がついていた。

彼女は微かに再び東の空を気にするように眺め、その仕草を眼で追いながら孝は微かな違和感を感じる。まるで光を恐れているみたいだ、そう思わずにはいられないような仕草に見えたのだ。それでも彼女は、静かに言葉を繋ぐ。



※※※



幼い頃から自分が養女である事は知っていた。それは、養父母が子供を作れない体だと言う事を知っていたからだし、養父母が自分に養女であると告げたから。だけど、それに不満はなかった。養父母は自分を血の繋がり以上に愛し慈しんでくれたのだから。
あの時交通事故で養父母を失ったあと、彼女は暫くの期間の記憶がない。その間自分がどうなっていたのかも、どう過ごしていたのかも全く記憶がないのは事故のせいなのだろう。気がつくと彼女は独りになって、ボンヤリと日々を過ごしていた。

………そう言えば、養父母は私の本当の両親のことも教えてくれていた。

そこで始めて自分は、自分のルーツになる者達に会ってみたいと思ったのだ。だが、彼女がやっとの事で探し出したのは、たった独りの存在を残して皆ホテル火災事故にあって急逝したという現実。そして、その生き残りの存在も生家を売り払い何処へともなく姿を消していた。彼女の記憶のない期間の内に多くの事が起こりすぎていて、失ったものははるかに多かった。
彼女は必死で探した。
何があったのかが聞きたくて、一緒に痛みを分かち合いたくて、一緒に孤独を埋めあいたくて。だが足取りを探し出すのに更に時間がかかった。
そうして、やっと会えるかもしれないところまで近付いたのに、その人物は既に姿を消してしまっていたのだ。だから、彼女は、彼を知っている筈の人間を探し求める。警察にも問い合わせたが、何処かに消えた彼の事は一向に情報がない。まるで意図的に隠され、けして真実を見せない気にしか見えない。

何故人が独り消えて、何も痕跡すらないの?

同じような出来事が他の場所でも起きていて、それについて調べていく内に奇妙な符合が目につくようになり始めていた。
今世紀最悪の
史上最悪の
前例のない悲運
そんな文字を見る度に彼女は眉を潜める。同時に目につくのは
唯一生き残りとか唯一残されたという文字。それを調べていく内に、自分自身が大きな事件に巻き込まれる。だが、それも奇妙な符合に、同じように飲み込まれてしまった。そして、彼女は代償に警察に頼ることも諦めて、自分で真実を探す事にしたのだ。



※※※



「その人は貴方の何なんですか…?」

微かな戸惑う孝の声に彼女は静かに眼を細め、その少年の色を残す顔を見つめた。微かにその顔に重なる面影のように漂い浮かぶような気がして、彼女は静かに微かに甘い香りのするような溜め息をつく。

「……弟よ。」

彼女の表情にうかぶ憂いの意味を知ったような気がして、孝は息を飲む。自分の兄の周囲にそれにあたる人は居ただろうかと、ふと思いをめぐらせる。彼が信哉の周辺で知っているのは僅かな顔だけだが、それ以外にも兄にだって友人はいるに違いない。しかし、何かが心に引っかかった。それが何か気がついた瞬間、孝は訝しげにその目の前の女性の顔を見つめた。

「…先日、何故兄さんに母親の話を聞きたがったんですか?」

それは純粋に目の前にいる女性の年齢を見たままに考えたとしたらどうもそぐわないような質問だった。
彼女の弟であるなら少なくとも彼の異母兄よりは年下であると予測できる。しかし独りで暮らしていたとなれば同居人の同級生は除外だし、残る二人のうち一人は幼稚園からの付き合いだとも聞いているがその分・身元がハッキリしていて話にはそぐわない。それに何にせよ、十一年前に亡くなった故人である母親と関係が何の関係があるのだろう。不意に目の前の彼女の表情が、微かに変化を見せたような気がした。

「それは…。」

その変化は陽射しを受けて起きた化学変化のようだった。
眩しく眩い朝日が当たった瞬間、それはまるで今まで在った穏やかで憂いに満ちた表情が急激に溶けて崩れ、消えていくかのように見える。冷ややかで冷淡な表情をその下に覗かせて、彼女は目の前の彼を見つめると静かに口元を歪め微笑んだ。

「……簡単よ、弟とこの街で長い付き合いがあったのは鳥飼親子と数人しかいない。」

彼女は今までの柔らかく自嘲気味にも聞こえていた声音を捨て去ったように氷のように冷たい声で言い放つと、孝の存在を一瞥して踵を返す。余りの変容振りに言葉を失った孝は遠ざかるその後姿を、ただ呆然と立ち尽くしたまま見送るしかできないでいた。

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