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第二部
第三幕 鳥飼邸マンションエントランス
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「ほんとに助かったよ、ありがとな?ヤス。」
気を使って自分と仁を自宅まで送ってくれた幼馴染を今度はエントランスまで送りながら溜め息交じりに信哉は視線を落とした。一夜を全く眠らずに過ごし疲労が鈍い頭痛になっている。それを伺わせる顔色の悪いその表情を見やる悌順も、同じく流石に疲労を滲ませた表情だ。それでも彼よりは幾分ましに見える顔色で悌順は肩を竦めてみせた。少なくとも明日は日曜だから、お互いにこれから少しは休息がとれそうな気もする。昨夜の残っている分は、状況を見て活動となりそうだ。
何気ない仕草で部屋に置いてきた仁のことを見上げるように、悌順は宙を仰ぐ。
「しかし…あれはどういう事だ?信哉。」
「何か必要としているようだがな。俺にも良く分からない…。」
信哉の自宅の私室でベットに潜り込んだ青年を思い出したかの様に、信哉も一様にその方向に視線を向けた。記憶はないと言うが疲労が蓄積しているのは確かなようで、帰った途端疲れたと仁は口にしたのだ。
事実として記憶を失った青年の中に、何が潜んでいるのかは未知数であるとしか言えない。麒麟に見えたあの陽炎が本当に彼の中にあるものなのかも、麒麟の種類の中に炎駒と呼ばれる赤い鬣のものがいるという事実も、彼の中にそれがいる証明とは言い切れないのだ。そして、当人が記憶にない謎を含んだその言葉の先に、何が待つのかすら予測も出来ない事ではある。
マンションのエントランスを抜けて明るい陽射しの中に踏み出した二人は、目を指す光に眉をしかめた。
「あれ?兄さん、土志田先生?」
陽光の中で響いたその声にやっと光に馴染んだ視界の中に、信哉の異母弟・真見塚孝の姿があった。思わず信哉はあれほど止めるように言っておけと注意してるのにと、天然なのか呑気な真見塚夫婦に頭を抱えたくなる。けして、自宅に弟が遊びに来るのが、嫌なわけではない。問題なのは自分を嗅ぎ回っているらしい女の目的が掴めない事なのだ。雪は合気道関連のスキャンダルとでも思っている様子だが、もしゲートキーパーに関連することだと暴露されては困るものもある。
「よぉ、真見塚。」
微かに教師の表情を覗かせて隣の悌順が声音を変えたのに気が付いて苦笑しかけた信哉は、その視線の向こうに見えた姿におもむろに嫌悪の表情を浮かべた。ツカツカと珍しく硬い表情で孝に歩み寄りその腕をとると、驚いた孝の表情も余所に自分の背に庇うように立つ。その行為に目を丸くしている孝と、信哉の視線の先の姿に気がついた悌順も理由を察したかのようにそっと二人に歩み寄った。
「丁度いいところに居合わせたみたいですね?鳥飼さん。」
能面の様なその美しい表情のない顔は、笑みも浮かべずに冷ややかな視線でその場にいる三人を順繰りに眺める。既に忠志の話で空虚だったと聞いていたその女性の姿に、同じ感覚を感じて悌順も眉を潜めた。
美しいモデルの様なスーツ姿でしなやかな脚線美をさらす竜胆貴理子は、それ以上歩み寄る事もせずに順繰りに探る様な視線で眺める。微かにその形のいい眉を動かし、陽光全くに似合わない薄暗い皮肉めいた笑みを唇に貼り付けた。
「紹介して下さらないのかしら?」
「必要ないね。」
何時もと全く違う棘のある言葉に、背中越しの孝が驚いたように目を丸くして見上げる視線を感じる。
「鳥飼さんの弟さんね、……そちらは弟さんの担任の先生でいらっしゃるんですよね?」
信哉があからさまに舌打ちするのが分かり、悌順も僅かに眉を動かす。信哉の周囲を探っている女が、同時に生徒でもある香坂の身辺も嗅ぎ回っているのは既に幼馴染みの宇野智雪が電話で連絡してくれていた。幼馴染みの宇野智雪は何故かそういう情報を入手するのが上手く、度々表の仕事では助けられるが法にふれるような事をしているのではと悌順は心配だ。今回の情報だってどこから入ったのか絶対に教えようとしないから、今度飲みながら説教しようと思っている。とは言え、信哉を嗅ぎ回って、まさか父親と異母弟まで掴んで、しかも自分の身元まで調べてあるとは思わなかった。
「さあね、あんたに関係ないでしょ?もう来るなと言いましたよね?無駄な時間を使うのは嫌いなんだ。」
冷ややかな切りつけるかの様な気配を放つ普段見た事のない異母兄の姿に、孝は蒼ざめて見える凍りつく様な表情を眺めた。今まで見た事の無いその感情の発露は、隠されることなく真っ直ぐに目の前の彼女に向けて放たれている。それに孝は微かな戸惑いを感じていた。信哉は理由もなくそんな行為を、相手にするような人間ではないのだ。
「あら、無駄かどうかは話してみないと分からないでしょ?」
不意に彼女は悠然と腕を組みながら目を細めると、硬質のハイヒールの音を響かせて初めて三人に歩み寄った。そうして、スルリと準備していたかのような手品師のような手際の良さで名刺を悌順に向かって差し出す。
「竜胆貴理子と申します。初めまして、土志田先生でいらっしゃいますわね。」
やはり悌順の名前まで掴んでいたのかと、悌順は内心で舌打ちする。信哉の身辺だけなら合気道関連のゴシップ狙いもありうるが、香坂の身辺とあの船舶事故まで絡んで調べるような話題は悌順にも一つしか浮かばない。恐らく信哉も同じことを考えて、孝との接触を避けたいのだろう。何せ血縁とは言え真見塚家の人間は、自分達の裏の仕事には全く関わりがない。だか、問題は相手にはそれはどうでもいいというところだ。何処からでも手掛かりになる話題さえ掴めればいいのだろうから、この手の相手は始末に終えない。
微かに冷淡な笑みをその口元に敷いて名刺を受取った悌順は無造作にそれを一瞥したかと思うと、彼らしくない行為に出た。しなやかな手首の動きだけでその名刺を捨てた悌順の動きに、孝は更に驚きを隠せない様子を見せる。目の前の女性はそうされるのが分かっていたような無機質な瞳で、足元に舞い落ちた名刺を眺めたままだ。
「色々と伺いたいんですよね、鳥飼澪さんの事とかご友人とか。」
苛立ちを顕にした信哉の視線を無視して屈むと、床に落ちた名刺を深紅に塗られた爪で拾い上げる。
「鳥飼澪さん交通事故にあわれたのに、死因は多臓器不全なんですよね?持病もないし、事故は軽症。なのにほんの数時間しかもたなかったんですってね?奇妙ですよね?」
「いい加減にしたらどうです?無神経なうえに失礼だな?あんた。」
初めて口を挟んだ悌順の棘のある声に、初めて竜胆貴理子は虚をつかれたかのようにまじまじと彼の姿を眺める。不意にその瞳が暗く闇のように揺らめきが漂い浮かんだ。それを眼前に信哉と悌順が眉を潜めたのを見やりながら、彼女は始めて艶然とした何か得体のしれないものを含んだ笑みを浮かべた。
「………やはり、あなたも仲間なのね。」
呟くように彼女が溢した言葉に、信哉と悌順の表情が強ばる。背後にいる孝には分からないだろうが、二人には目の前の女が何を言わんとしているかが感じ取れた。暗く淀んだような視線で唇を歪ませる彼女は、艶然と目を細めて二人の姿を眺める。
この女、ゲートキーパーのこと、気がついているのか…?
異装を纏ってしまえば普通の人間には、視覚的に認識されにくくなることは知っている。だが、いると理解した上で見ているのであれば、自分達の姿を見られないわけではない。そこに星があると思って見れば、星空が見えるのと同じだ。だとしてもこの女に何処から情報が漏れているか、漏れて活動できなくされて一番の被害を受けるのは人間なのだ。ところがふと彼女は唐突に視線を揺らめかせ、二人から視線を泳がせると今まで引く気配もなかった態度を翻す。
「また、後日ゆっくりお時間頂きに来ます。」
彼女は呟くようにそう言い放つと二人の戸惑いすら無視するかのように、規則正しい音を立てて陽光の中に踵を返し歩み去って行った。
※※※
自宅へのエレベーターの中で一人宙を見る様にして考えながら悌順は微かに眉を寄せた。
竜胆貴理子
そう名乗った女性の口ぶりは的確に信哉が一番聞かれたくない部分、自分達が簡単には話したくない部分を逆なでするものだったのは事実だ。しかし、あの美しいといえる抜群のスタイルをしたしなやかな姿をした女性に感じる空虚さ。女性らしい気配は微塵も感じられず、例えばあの棘をもち毒を含むような言葉すら虚無の向こうから生み出される様な印象を感じる。だが、その瞳にはどこか見覚えがある様な気がした。誰にではなく、瞳が何かを探る様に自分達を見る姿が何処かで見た事のあるモノの様な気がしたのだ。
しかし、まいったな…。
音を立てて止まったエレベーターから降りながら、悌順は疲労した表情で頭を無造作にかく。義人の事も不安ではあるが、今は更に信哉も仁も不安定だ。とくに彼の幼馴染達は、形は違えど大丈夫でなかったとしてもそれを隠して無理をしかねない二人でもある事が分かっている。だが、それだからと言って向こうの存在が自分達の状況に手加減などする訳もないのだ。ふとそこまで考えた瞬間、その歩みが止まった。
偶然にしちゃ……重なり過ぎるな………。
そう気がついた時、背筋が一瞬冷たくなり悌順は身震いした。ここまでの多くの出来事が闇に潜むモノの画策した事だとしたら、そしてそれに自分達が踊らされているとしたら。その考えが確信ではないが不安と同時に暗く心に澱の様に音もなく淀む様な気がして彼は微かに目を細めた。
それにしても何が狙いだ?ここまで用意周到で何を狙う?
暫し暗い思いを抱いた彼は、不意にその思いを胸の奥に押し込めて隠すように青空を見上げる。そして他の者に心配をかけまいとするかの様に普段と同じひょうひょうとした様子で自宅へと続く通路を歩き始めていた。
「戻ったぞー。」
気楽な声に室内で動きを感じながらリビングの扉を開いた瞬間、こちらに視線を投げた二人の姿に悌順は一瞬思わず動きをとめた。
「おかえりー、ヤス。」
「おかえりなさい、信哉さん一体どうしたんですか?」
その言葉の先にある瞳に悌順は思わず声を漏らした。不思議そうに彼の様子を眺める義人の瞳に、悌順は思わず納得したかのような表情を浮かべる。
竜胆貴理子・彼女のあの探る様な瞳は、義人が気を見る時の瞳と似てるんだ。
気を使って自分と仁を自宅まで送ってくれた幼馴染を今度はエントランスまで送りながら溜め息交じりに信哉は視線を落とした。一夜を全く眠らずに過ごし疲労が鈍い頭痛になっている。それを伺わせる顔色の悪いその表情を見やる悌順も、同じく流石に疲労を滲ませた表情だ。それでも彼よりは幾分ましに見える顔色で悌順は肩を竦めてみせた。少なくとも明日は日曜だから、お互いにこれから少しは休息がとれそうな気もする。昨夜の残っている分は、状況を見て活動となりそうだ。
何気ない仕草で部屋に置いてきた仁のことを見上げるように、悌順は宙を仰ぐ。
「しかし…あれはどういう事だ?信哉。」
「何か必要としているようだがな。俺にも良く分からない…。」
信哉の自宅の私室でベットに潜り込んだ青年を思い出したかの様に、信哉も一様にその方向に視線を向けた。記憶はないと言うが疲労が蓄積しているのは確かなようで、帰った途端疲れたと仁は口にしたのだ。
事実として記憶を失った青年の中に、何が潜んでいるのかは未知数であるとしか言えない。麒麟に見えたあの陽炎が本当に彼の中にあるものなのかも、麒麟の種類の中に炎駒と呼ばれる赤い鬣のものがいるという事実も、彼の中にそれがいる証明とは言い切れないのだ。そして、当人が記憶にない謎を含んだその言葉の先に、何が待つのかすら予測も出来ない事ではある。
マンションのエントランスを抜けて明るい陽射しの中に踏み出した二人は、目を指す光に眉をしかめた。
「あれ?兄さん、土志田先生?」
陽光の中で響いたその声にやっと光に馴染んだ視界の中に、信哉の異母弟・真見塚孝の姿があった。思わず信哉はあれほど止めるように言っておけと注意してるのにと、天然なのか呑気な真見塚夫婦に頭を抱えたくなる。けして、自宅に弟が遊びに来るのが、嫌なわけではない。問題なのは自分を嗅ぎ回っているらしい女の目的が掴めない事なのだ。雪は合気道関連のスキャンダルとでも思っている様子だが、もしゲートキーパーに関連することだと暴露されては困るものもある。
「よぉ、真見塚。」
微かに教師の表情を覗かせて隣の悌順が声音を変えたのに気が付いて苦笑しかけた信哉は、その視線の向こうに見えた姿におもむろに嫌悪の表情を浮かべた。ツカツカと珍しく硬い表情で孝に歩み寄りその腕をとると、驚いた孝の表情も余所に自分の背に庇うように立つ。その行為に目を丸くしている孝と、信哉の視線の先の姿に気がついた悌順も理由を察したかのようにそっと二人に歩み寄った。
「丁度いいところに居合わせたみたいですね?鳥飼さん。」
能面の様なその美しい表情のない顔は、笑みも浮かべずに冷ややかな視線でその場にいる三人を順繰りに眺める。既に忠志の話で空虚だったと聞いていたその女性の姿に、同じ感覚を感じて悌順も眉を潜めた。
美しいモデルの様なスーツ姿でしなやかな脚線美をさらす竜胆貴理子は、それ以上歩み寄る事もせずに順繰りに探る様な視線で眺める。微かにその形のいい眉を動かし、陽光全くに似合わない薄暗い皮肉めいた笑みを唇に貼り付けた。
「紹介して下さらないのかしら?」
「必要ないね。」
何時もと全く違う棘のある言葉に、背中越しの孝が驚いたように目を丸くして見上げる視線を感じる。
「鳥飼さんの弟さんね、……そちらは弟さんの担任の先生でいらっしゃるんですよね?」
信哉があからさまに舌打ちするのが分かり、悌順も僅かに眉を動かす。信哉の周囲を探っている女が、同時に生徒でもある香坂の身辺も嗅ぎ回っているのは既に幼馴染みの宇野智雪が電話で連絡してくれていた。幼馴染みの宇野智雪は何故かそういう情報を入手するのが上手く、度々表の仕事では助けられるが法にふれるような事をしているのではと悌順は心配だ。今回の情報だってどこから入ったのか絶対に教えようとしないから、今度飲みながら説教しようと思っている。とは言え、信哉を嗅ぎ回って、まさか父親と異母弟まで掴んで、しかも自分の身元まで調べてあるとは思わなかった。
「さあね、あんたに関係ないでしょ?もう来るなと言いましたよね?無駄な時間を使うのは嫌いなんだ。」
冷ややかな切りつけるかの様な気配を放つ普段見た事のない異母兄の姿に、孝は蒼ざめて見える凍りつく様な表情を眺めた。今まで見た事の無いその感情の発露は、隠されることなく真っ直ぐに目の前の彼女に向けて放たれている。それに孝は微かな戸惑いを感じていた。信哉は理由もなくそんな行為を、相手にするような人間ではないのだ。
「あら、無駄かどうかは話してみないと分からないでしょ?」
不意に彼女は悠然と腕を組みながら目を細めると、硬質のハイヒールの音を響かせて初めて三人に歩み寄った。そうして、スルリと準備していたかのような手品師のような手際の良さで名刺を悌順に向かって差し出す。
「竜胆貴理子と申します。初めまして、土志田先生でいらっしゃいますわね。」
やはり悌順の名前まで掴んでいたのかと、悌順は内心で舌打ちする。信哉の身辺だけなら合気道関連のゴシップ狙いもありうるが、香坂の身辺とあの船舶事故まで絡んで調べるような話題は悌順にも一つしか浮かばない。恐らく信哉も同じことを考えて、孝との接触を避けたいのだろう。何せ血縁とは言え真見塚家の人間は、自分達の裏の仕事には全く関わりがない。だか、問題は相手にはそれはどうでもいいというところだ。何処からでも手掛かりになる話題さえ掴めればいいのだろうから、この手の相手は始末に終えない。
微かに冷淡な笑みをその口元に敷いて名刺を受取った悌順は無造作にそれを一瞥したかと思うと、彼らしくない行為に出た。しなやかな手首の動きだけでその名刺を捨てた悌順の動きに、孝は更に驚きを隠せない様子を見せる。目の前の女性はそうされるのが分かっていたような無機質な瞳で、足元に舞い落ちた名刺を眺めたままだ。
「色々と伺いたいんですよね、鳥飼澪さんの事とかご友人とか。」
苛立ちを顕にした信哉の視線を無視して屈むと、床に落ちた名刺を深紅に塗られた爪で拾い上げる。
「鳥飼澪さん交通事故にあわれたのに、死因は多臓器不全なんですよね?持病もないし、事故は軽症。なのにほんの数時間しかもたなかったんですってね?奇妙ですよね?」
「いい加減にしたらどうです?無神経なうえに失礼だな?あんた。」
初めて口を挟んだ悌順の棘のある声に、初めて竜胆貴理子は虚をつかれたかのようにまじまじと彼の姿を眺める。不意にその瞳が暗く闇のように揺らめきが漂い浮かんだ。それを眼前に信哉と悌順が眉を潜めたのを見やりながら、彼女は始めて艶然とした何か得体のしれないものを含んだ笑みを浮かべた。
「………やはり、あなたも仲間なのね。」
呟くように彼女が溢した言葉に、信哉と悌順の表情が強ばる。背後にいる孝には分からないだろうが、二人には目の前の女が何を言わんとしているかが感じ取れた。暗く淀んだような視線で唇を歪ませる彼女は、艶然と目を細めて二人の姿を眺める。
この女、ゲートキーパーのこと、気がついているのか…?
異装を纏ってしまえば普通の人間には、視覚的に認識されにくくなることは知っている。だが、いると理解した上で見ているのであれば、自分達の姿を見られないわけではない。そこに星があると思って見れば、星空が見えるのと同じだ。だとしてもこの女に何処から情報が漏れているか、漏れて活動できなくされて一番の被害を受けるのは人間なのだ。ところがふと彼女は唐突に視線を揺らめかせ、二人から視線を泳がせると今まで引く気配もなかった態度を翻す。
「また、後日ゆっくりお時間頂きに来ます。」
彼女は呟くようにそう言い放つと二人の戸惑いすら無視するかのように、規則正しい音を立てて陽光の中に踵を返し歩み去って行った。
※※※
自宅へのエレベーターの中で一人宙を見る様にして考えながら悌順は微かに眉を寄せた。
竜胆貴理子
そう名乗った女性の口ぶりは的確に信哉が一番聞かれたくない部分、自分達が簡単には話したくない部分を逆なでするものだったのは事実だ。しかし、あの美しいといえる抜群のスタイルをしたしなやかな姿をした女性に感じる空虚さ。女性らしい気配は微塵も感じられず、例えばあの棘をもち毒を含むような言葉すら虚無の向こうから生み出される様な印象を感じる。だが、その瞳にはどこか見覚えがある様な気がした。誰にではなく、瞳が何かを探る様に自分達を見る姿が何処かで見た事のあるモノの様な気がしたのだ。
しかし、まいったな…。
音を立てて止まったエレベーターから降りながら、悌順は疲労した表情で頭を無造作にかく。義人の事も不安ではあるが、今は更に信哉も仁も不安定だ。とくに彼の幼馴染達は、形は違えど大丈夫でなかったとしてもそれを隠して無理をしかねない二人でもある事が分かっている。だが、それだからと言って向こうの存在が自分達の状況に手加減などする訳もないのだ。ふとそこまで考えた瞬間、その歩みが止まった。
偶然にしちゃ……重なり過ぎるな………。
そう気がついた時、背筋が一瞬冷たくなり悌順は身震いした。ここまでの多くの出来事が闇に潜むモノの画策した事だとしたら、そしてそれに自分達が踊らされているとしたら。その考えが確信ではないが不安と同時に暗く心に澱の様に音もなく淀む様な気がして彼は微かに目を細めた。
それにしても何が狙いだ?ここまで用意周到で何を狙う?
暫し暗い思いを抱いた彼は、不意にその思いを胸の奥に押し込めて隠すように青空を見上げる。そして他の者に心配をかけまいとするかの様に普段と同じひょうひょうとした様子で自宅へと続く通路を歩き始めていた。
「戻ったぞー。」
気楽な声に室内で動きを感じながらリビングの扉を開いた瞬間、こちらに視線を投げた二人の姿に悌順は一瞬思わず動きをとめた。
「おかえりー、ヤス。」
「おかえりなさい、信哉さん一体どうしたんですか?」
その言葉の先にある瞳に悌順は思わず声を漏らした。不思議そうに彼の様子を眺める義人の瞳に、悌順は思わず納得したかのような表情を浮かべる。
竜胆貴理子・彼女のあの探る様な瞳は、義人が気を見る時の瞳と似てるんだ。
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