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第二部
第三幕 所在地不明
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翌日の闇夜の中で冷たい夜風に裾をひらめかせながら、まるでホバリングでもしているように宙に浮かんだ緋色の異装の青年が金色に月の光を反射させている。その横には長身で体格のいい黒髪の短髪の年嵩の青年が黒衣を纏い、青年の話を聞いていて表情を変えた。その話しとは言うまでもない昨日のあの竜胆と言う女の出来事の顛末全てなのだが、その話の最後の事態に思わず彼は表情を暗くした。
「そりゃ…最悪だな。あいつが一番気にしてる事だからな…。」
呟くように言ったその声に横に地表に降りもせずに無造作にしゃがみ込んだ緋色の青年が、紅玉の瞳を微かに不安げに曇らせた。溜め息混じりに俯きいつもにも増して、苦い表情をしている玄武の姿を見やる。
あの出来事の直後朱雀の前では、まさに不機嫌オーラを如実に体中から発しながら平静を装おうとする青年の姿にいたたまれない気分になった。母親も同じ四神の白虎であった事は事前に耳にしてはいたが、その事があれほど白虎自身を動揺させ同時に憤慨させる事とは思いもよらないことだったのだ。
「なあ、玄武。親子で四神になるのってそんなに珍しいことなのか?」
「ああ?お前、話したろうが?覚えてないのか?」
玄武が呆れたように言うのに、朱雀は最初の辺りの話なんかまともに聞いてないと申し訳なさそうに呟く。そう言えば朱雀が仲間になった時は、院に拉致紛いに連れ込まれることもなくなっていた。同時にそれはまだ心の傷の癒える間のないままに、完全に見知らぬ人間から唐突にお前は能力者で自分達の仲間と言われるということだ。院に隔離され無理やり人体実験で認識させられるのとは違い、心の傷の癒えない内に仲間と説明されても納得していなかったのはやむを得ない事かもしれない。玄武は溜め息混じりに頭をかきながら口を開く。
「あのな、四神は男だけがなるもんだとずっと思われてたんだ。事実今まで分かってるなかで、女性で四神になったのは白虎のお袋さんたった一人だ。」
「へ?」
玄武の話に唖然とした朱雀に、玄武は以前にもした話をもう一度説明する。
何故か四神に選ばれるのは男だけで、しかも概ね二十歳前後で親も親戚もいないような者。近年の寿命が延びた世の中では、自分以外が急な事故や病気などで亡くなる事例が最も多い。身よりのない男子がなるから遺伝性は確認されず、しかも、結婚しても子が出来なかったり伴侶が早くに亡くなったり。つまりは四神になると家族を作り守ることも難しくなるようだ。大概の四神は短命で三十代後半まで役目を続ける事は稀、十代から役目について三十を過ぎて役目を続けた者の方が珍しく数えるほどだという。そう言う意味では既に十一年も役目をこなしている白虎は歴代でも、かなりの稀有な能力者と言う事になる。
その歴史の中で唯一の女性だった四神が、先代の白虎。
彼女は役目に就いた事だけでも異例と言われたのに、継いだ時に既に一人子供がいたのだ。しかも、それまでは男だけで前任者と後任者の間には、血縁もない者同士が役目を継いでいた。だが、女性白虎の後を継いだのは、彼女の産んだ子供だったのだ。それも歴史の中では一度もなかった異例の事態だった。ただし、それ以外の親族や親に関しては通例と同じく先代の白虎はも今の白虎も、結局事故で親を亡くしている。
白虎である鳥飼信哉はシングルマザーとして自分を苦労して育てた母親が、ゲートキーパーとしても苦悩している姿を見ながら成長していた。そして自分の父親が生きていて、自分からそれには触れなかった母親の苦しみの意味も知っている。そして今では自分が父親と血の繋がった弟の存在を認めたくても、認められない立場になったのだ。
「……そりゃ、怒るな。あのおかしなねぇちゃん、分かってて煽ったのかな?」
「どうだろうな。アイツが素直に気がついた事とか感じた事を俺らに説明すりゃ別だろうけどなぁ。」
あの性格だからなと西の方角でいつもより荒々しい金気の気配を感じて、玄武が微かに溜め息をつく。朱雀もそれに困惑の表情を受かべる。
「…不機嫌すぎて殆ど話してくれなかったけど、その女なんか変だったらしいんだ。玄武。」
「変?」
先にはおかしなと表現もした竜胆貴理子という女性について、不機嫌オーラを隠しもしない白虎が言葉少なに呟いた事。玄武に問い返された言葉に頷きながら、朱雀は昨日の青年の少なく短かった言葉を思い返すかのように目を細める。
「……空虚だッて。意味わかる?」
「空虚……?」
その言葉に微かに黒衣の裾をひらめかせた玄武は、訝しげに眉を潜める。二人は夜気に身を晒しながら、はるか遠く夜の空の下に放たれる白銀の怒りに荒々しい満ちた気配をもう一度振り帰っていた。
※※※
しなやかな動きでその四肢から風を放ち、月夜の下を真っ直ぐに地表に向かって弾丸のように滑り降りる。氷のように冷たい夜風が頬を切りつけるように撫でていく。迷いもない行動は自分にとっては違和感もなく、数秒で何千メートルも滑降しても体内には何の変化も感じない。最初はこの感覚に驚き内心楽しみすらしたが、今になっては当然の事になり過ぎて何も感じなくなってしまった。
締観と言えば聞こえがいいけど…ね。
眼前に近寄る真っ暗な地表に抜け落ちたような穴の周囲の木々は、秋枯れと表現するには些か枯れ果てすぎていて穴からは湿度が密かに臭う腐臭を含んだ冷気が漂う。風を織り込んだ木気を四肢から放ち、まるで舞うように青い薄絹の裾をはためかせて青年はその穴を包み始める。僅かな抵抗を示す微かに病んだ気の気配を見つめながら、ジワリと力を上乗せしていく。
唐突に舞う様に蒼い薄絹をはためかせていた青龍は、自らの手の中で閉じかけたゲートが歪に膨張した感覚に目を見開いた。
それは自分の放つ力と拮抗し、閉じさせまいとするかのように反発したかと思うと青龍の放っていた木気を容易く真冬の風のように冷たく切り裂いて四散させる。
「……まさかっ…?!!」
その言葉が口から溢れ落ちた瞬間、何かが空気の中に冷え冷えとした妖気を孕み周囲の生き物を侵食した。木々の枝が次々と枯れて、乾燥して割れていく。自分の持つ木気とは正反対の木気の力が、ドッと足元から渦を巻くようにして青龍に向かって吹き上がった。両腕で顔を庇う様にしながら青龍の青年は、一時に枯れていく周囲の草木を感じ取りながら自分の目の前に起こった異変に目を細める。そこには深い闇が龍脈とは違う形で月影の中から姿を表そうとしていた。
《久しいな、青龍。》
その声は地を這うようにして彼の耳に響き、青龍は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
目の前の闇の中に底知れないもう1つの深い闇が居る。そしてその二つの闇よりも深く暗い深淵の瞳は、真っ直ぐに彼を見据えていた。そのモノは何モノにも例えがたい妖気をその瞳から放ちながら、それを全身から外に漏らすことすらしない。ただ、そのものが放つ気配だけが漏れ落ちる妖気の風になって、周囲の全てを枯れさせていく。
《人外》……、それも…青龍を知っている?
自分の気を何とか探ろうとする青水晶の瞳をした青龍に気がついたかのように、闇の中でそれは微かに含み笑いを溢す。その気配はどう考えても饕餮をはるかに越えた妖気を隠し持っているように見えるのだ。青龍は背筋が凍りついていくのを感じながら、全身にまるで龍鱗のような震えが起きていく。
目の前のそれは、まるで青龍のことなどたいした脅威でないといいたげな仕草でもあり、青龍は微かに唇を噛んだ。
《おや、代替わりしたのか、青龍よ。なんとも幼いな、今度の青龍は。》
嗤いながら呟く声には、先代の青龍をよく知っている節が臭う。それが何を意味しているのか分からないが、酷く不快感が心に膨らんでいく。
《だが、先代と良く似ている。怒りに暴走しやすそうに見えるな、若き青龍よ。くく。》
微かな嘲笑を含む声に彼はぎくりと体を震わせた。
その言葉はその闇のモノが遥か以前から自分達の動きを知っていた証明のようである事がわかる。その上その言葉は彼を動揺させるための言葉でもなく、ただ目の前の自分を観察した結果を口にしたことが気配から感じ取れるのだ。
『星読』が代替わりする以前に蘇った大妖。
冷静で狡猾で、妖気をその身に溜め込んだ想像もできないほどの存在。そんなものがあり得るのだろうかと、半分疑いもあったが、目の前の闇の中から這い出そうともしないそれは、少なくとも七年近く前に亡くなった先代青龍を知っている。しかも、青龍の特性と言うか性質も知っているとなると、随分長い期間何人もの四神を見ていたようすに思えた。
その証明のようにそのモノは闇から用心深く全く出る事もなく、ジワリとゲートの気を侵食し始める。
《お前達はまだ、人の皮を被って人のふりをして生きているのが好きなのか?青龍。》
遥か彼方で自分の状態の異変に気がついた仲間達が、こちらに向かうのを感覚的に感じる。それでも頬を伝う冷たい汗に青龍は四肢から風を放ちながらその闇と対峙した。
「僕を惑わそうとしても無駄だ……。僕は……。」
《ほぉ?そうか?では、お前達の人から外れる力は何処から来た?そんなことは承知の上か?》
闇は微かに楽しげな含み笑いと共に、青龍に向かって低く唸るように語りかける。それは気配の中で生まれた冷たく冷ややかな言葉という刃物で青龍の頬を撫ぜ、まるで誘いかけるかのように地を這う言葉を放ち続けていた。そうしながら言葉の先で、けして敵である自分の事を攻撃をしてこようとはしない。
それなのに自分の放つ木気自体が相手の気配に負けて、漏れ出ているだけの相手の妖気を帯びていく。青龍はそれを直に感じ取り戸惑いながら、その相手に引きずられつつある気を引き寄せる。己の本質すら闇の中に隠す、その狡猾で残忍な存在は闇の中で不意に半円の口を開きニィと笑って見せた。全身を見せたわけでもなく、こんな風に気を引きずられ飲み込まれていくことなど今までに一度も経験したことがない。冷たい風のような妖気が金気なのか水気なのか、木気なのかすら判別ができないでいる。
自分達の力が、どこから来たのか?
そんなことは誰も知りはしないし、何処にも答えを残してはいない。何しろ最初の者達が次の者達に直接出会える事もないし、院にすらその伝承もないのだ。だが、目の前のものはそれを、自分達は知っているのだと臭わせている。それだけの知識と溜め込まれた妖力の存在は、どんなに上手くやったとしても青龍一人で叶うとは思えない。
《怯えが風に見えるな、青龍よ。先代の青龍と同じだな、死を覚悟するか?》
死と言う言葉を玩具のように告げられ、しかもそれは強ち冗談でもない。恐怖に飲まれそうになる心を奮い立たせようとした瞬間、唐突にその黒い瞳の自分が飲まれていくのが分かった。
※※※
長月想
名前も聞いたことがないのに、その名前が脳裏に踊る。それが自分の前に青龍立った青年の名前だと言うことが何故か理解出来ていた。目の前には闇の中で嗤う黒い深淵の瞳、そして半円の月のように白々と闇に浮かぶ口。
《くく、驚いて言葉にもならないか?》
何故か長月想は驚愕しながら目の前の闇を見つめ、同時に自分の手を見下ろす。その手には何も感じない、相手に木気が呑まれ能力の大部分を失ってしまった自分が。何故こんなことが出来るのか分からず、相手の嘲笑を受け長月想はゲートを背にして立ち尽くした。
「いつからお前は……」
戸惑い呟く長月想の言葉に、闇の中のものは低く笑った。何時から等どうでもいいことだと言いたげな闇の中は、ふと虚空を眺めると笑いながら長月想に向けて爪の先を折りとり棘のように投げつけた。黒い閃光がその棘を中心に四方に稲光のように弾けると、それは全て木の枝と根に姿を変えて長月想の体を飲み込んだ。気がつけば長月想の体から大量の木の枝と根が、彼の体をはりつけにするように存在した。その枝葉と根が長月想の残り僅かな魂まで削り始めていく。彼の脳裏には、彼が共に過ごしてきた三人の仲間、そして新たに仲間になった二人の姿が走馬灯のように駆け抜けていくのが見える。
※※※
背筋に悪寒が走り、青龍は思わず息を飲んだ。
自分も長月想と同じ顛末を辿る可能性は高い。
今何をするべきかすら、考える事ができないでいる自分。逃げることも戦うことも出来ない事実に戸惑う青龍の内面を見透かすようにそのものは、ユルリとゲートを更に押し広げただけでなくゲート自体を侵食しながら、虚空をその闇の中から見上げる。
《おやおや、お仲間が到着だ…、また機会があったら話す事にしよう。》
くくっと含むような忍び笑いを残して、そのモノはその場所の生命を引きずるようにして闇の中に沈んでいく。気配が闇にはじけ全てが元に返ろうとした瞬間、地を蹴って駆け込んできた白虎の姿が視界に入り、青龍は硬く張り詰めた緊張の糸が一気にはじけるのを感じていた。
「そりゃ…最悪だな。あいつが一番気にしてる事だからな…。」
呟くように言ったその声に横に地表に降りもせずに無造作にしゃがみ込んだ緋色の青年が、紅玉の瞳を微かに不安げに曇らせた。溜め息混じりに俯きいつもにも増して、苦い表情をしている玄武の姿を見やる。
あの出来事の直後朱雀の前では、まさに不機嫌オーラを如実に体中から発しながら平静を装おうとする青年の姿にいたたまれない気分になった。母親も同じ四神の白虎であった事は事前に耳にしてはいたが、その事があれほど白虎自身を動揺させ同時に憤慨させる事とは思いもよらないことだったのだ。
「なあ、玄武。親子で四神になるのってそんなに珍しいことなのか?」
「ああ?お前、話したろうが?覚えてないのか?」
玄武が呆れたように言うのに、朱雀は最初の辺りの話なんかまともに聞いてないと申し訳なさそうに呟く。そう言えば朱雀が仲間になった時は、院に拉致紛いに連れ込まれることもなくなっていた。同時にそれはまだ心の傷の癒える間のないままに、完全に見知らぬ人間から唐突にお前は能力者で自分達の仲間と言われるということだ。院に隔離され無理やり人体実験で認識させられるのとは違い、心の傷の癒えない内に仲間と説明されても納得していなかったのはやむを得ない事かもしれない。玄武は溜め息混じりに頭をかきながら口を開く。
「あのな、四神は男だけがなるもんだとずっと思われてたんだ。事実今まで分かってるなかで、女性で四神になったのは白虎のお袋さんたった一人だ。」
「へ?」
玄武の話に唖然とした朱雀に、玄武は以前にもした話をもう一度説明する。
何故か四神に選ばれるのは男だけで、しかも概ね二十歳前後で親も親戚もいないような者。近年の寿命が延びた世の中では、自分以外が急な事故や病気などで亡くなる事例が最も多い。身よりのない男子がなるから遺伝性は確認されず、しかも、結婚しても子が出来なかったり伴侶が早くに亡くなったり。つまりは四神になると家族を作り守ることも難しくなるようだ。大概の四神は短命で三十代後半まで役目を続ける事は稀、十代から役目について三十を過ぎて役目を続けた者の方が珍しく数えるほどだという。そう言う意味では既に十一年も役目をこなしている白虎は歴代でも、かなりの稀有な能力者と言う事になる。
その歴史の中で唯一の女性だった四神が、先代の白虎。
彼女は役目に就いた事だけでも異例と言われたのに、継いだ時に既に一人子供がいたのだ。しかも、それまでは男だけで前任者と後任者の間には、血縁もない者同士が役目を継いでいた。だが、女性白虎の後を継いだのは、彼女の産んだ子供だったのだ。それも歴史の中では一度もなかった異例の事態だった。ただし、それ以外の親族や親に関しては通例と同じく先代の白虎はも今の白虎も、結局事故で親を亡くしている。
白虎である鳥飼信哉はシングルマザーとして自分を苦労して育てた母親が、ゲートキーパーとしても苦悩している姿を見ながら成長していた。そして自分の父親が生きていて、自分からそれには触れなかった母親の苦しみの意味も知っている。そして今では自分が父親と血の繋がった弟の存在を認めたくても、認められない立場になったのだ。
「……そりゃ、怒るな。あのおかしなねぇちゃん、分かってて煽ったのかな?」
「どうだろうな。アイツが素直に気がついた事とか感じた事を俺らに説明すりゃ別だろうけどなぁ。」
あの性格だからなと西の方角でいつもより荒々しい金気の気配を感じて、玄武が微かに溜め息をつく。朱雀もそれに困惑の表情を受かべる。
「…不機嫌すぎて殆ど話してくれなかったけど、その女なんか変だったらしいんだ。玄武。」
「変?」
先にはおかしなと表現もした竜胆貴理子という女性について、不機嫌オーラを隠しもしない白虎が言葉少なに呟いた事。玄武に問い返された言葉に頷きながら、朱雀は昨日の青年の少なく短かった言葉を思い返すかのように目を細める。
「……空虚だッて。意味わかる?」
「空虚……?」
その言葉に微かに黒衣の裾をひらめかせた玄武は、訝しげに眉を潜める。二人は夜気に身を晒しながら、はるか遠く夜の空の下に放たれる白銀の怒りに荒々しい満ちた気配をもう一度振り帰っていた。
※※※
しなやかな動きでその四肢から風を放ち、月夜の下を真っ直ぐに地表に向かって弾丸のように滑り降りる。氷のように冷たい夜風が頬を切りつけるように撫でていく。迷いもない行動は自分にとっては違和感もなく、数秒で何千メートルも滑降しても体内には何の変化も感じない。最初はこの感覚に驚き内心楽しみすらしたが、今になっては当然の事になり過ぎて何も感じなくなってしまった。
締観と言えば聞こえがいいけど…ね。
眼前に近寄る真っ暗な地表に抜け落ちたような穴の周囲の木々は、秋枯れと表現するには些か枯れ果てすぎていて穴からは湿度が密かに臭う腐臭を含んだ冷気が漂う。風を織り込んだ木気を四肢から放ち、まるで舞うように青い薄絹の裾をはためかせて青年はその穴を包み始める。僅かな抵抗を示す微かに病んだ気の気配を見つめながら、ジワリと力を上乗せしていく。
唐突に舞う様に蒼い薄絹をはためかせていた青龍は、自らの手の中で閉じかけたゲートが歪に膨張した感覚に目を見開いた。
それは自分の放つ力と拮抗し、閉じさせまいとするかのように反発したかと思うと青龍の放っていた木気を容易く真冬の風のように冷たく切り裂いて四散させる。
「……まさかっ…?!!」
その言葉が口から溢れ落ちた瞬間、何かが空気の中に冷え冷えとした妖気を孕み周囲の生き物を侵食した。木々の枝が次々と枯れて、乾燥して割れていく。自分の持つ木気とは正反対の木気の力が、ドッと足元から渦を巻くようにして青龍に向かって吹き上がった。両腕で顔を庇う様にしながら青龍の青年は、一時に枯れていく周囲の草木を感じ取りながら自分の目の前に起こった異変に目を細める。そこには深い闇が龍脈とは違う形で月影の中から姿を表そうとしていた。
《久しいな、青龍。》
その声は地を這うようにして彼の耳に響き、青龍は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
目の前の闇の中に底知れないもう1つの深い闇が居る。そしてその二つの闇よりも深く暗い深淵の瞳は、真っ直ぐに彼を見据えていた。そのモノは何モノにも例えがたい妖気をその瞳から放ちながら、それを全身から外に漏らすことすらしない。ただ、そのものが放つ気配だけが漏れ落ちる妖気の風になって、周囲の全てを枯れさせていく。
《人外》……、それも…青龍を知っている?
自分の気を何とか探ろうとする青水晶の瞳をした青龍に気がついたかのように、闇の中でそれは微かに含み笑いを溢す。その気配はどう考えても饕餮をはるかに越えた妖気を隠し持っているように見えるのだ。青龍は背筋が凍りついていくのを感じながら、全身にまるで龍鱗のような震えが起きていく。
目の前のそれは、まるで青龍のことなどたいした脅威でないといいたげな仕草でもあり、青龍は微かに唇を噛んだ。
《おや、代替わりしたのか、青龍よ。なんとも幼いな、今度の青龍は。》
嗤いながら呟く声には、先代の青龍をよく知っている節が臭う。それが何を意味しているのか分からないが、酷く不快感が心に膨らんでいく。
《だが、先代と良く似ている。怒りに暴走しやすそうに見えるな、若き青龍よ。くく。》
微かな嘲笑を含む声に彼はぎくりと体を震わせた。
その言葉はその闇のモノが遥か以前から自分達の動きを知っていた証明のようである事がわかる。その上その言葉は彼を動揺させるための言葉でもなく、ただ目の前の自分を観察した結果を口にしたことが気配から感じ取れるのだ。
『星読』が代替わりする以前に蘇った大妖。
冷静で狡猾で、妖気をその身に溜め込んだ想像もできないほどの存在。そんなものがあり得るのだろうかと、半分疑いもあったが、目の前の闇の中から這い出そうともしないそれは、少なくとも七年近く前に亡くなった先代青龍を知っている。しかも、青龍の特性と言うか性質も知っているとなると、随分長い期間何人もの四神を見ていたようすに思えた。
その証明のようにそのモノは闇から用心深く全く出る事もなく、ジワリとゲートの気を侵食し始める。
《お前達はまだ、人の皮を被って人のふりをして生きているのが好きなのか?青龍。》
遥か彼方で自分の状態の異変に気がついた仲間達が、こちらに向かうのを感覚的に感じる。それでも頬を伝う冷たい汗に青龍は四肢から風を放ちながらその闇と対峙した。
「僕を惑わそうとしても無駄だ……。僕は……。」
《ほぉ?そうか?では、お前達の人から外れる力は何処から来た?そんなことは承知の上か?》
闇は微かに楽しげな含み笑いと共に、青龍に向かって低く唸るように語りかける。それは気配の中で生まれた冷たく冷ややかな言葉という刃物で青龍の頬を撫ぜ、まるで誘いかけるかのように地を這う言葉を放ち続けていた。そうしながら言葉の先で、けして敵である自分の事を攻撃をしてこようとはしない。
それなのに自分の放つ木気自体が相手の気配に負けて、漏れ出ているだけの相手の妖気を帯びていく。青龍はそれを直に感じ取り戸惑いながら、その相手に引きずられつつある気を引き寄せる。己の本質すら闇の中に隠す、その狡猾で残忍な存在は闇の中で不意に半円の口を開きニィと笑って見せた。全身を見せたわけでもなく、こんな風に気を引きずられ飲み込まれていくことなど今までに一度も経験したことがない。冷たい風のような妖気が金気なのか水気なのか、木気なのかすら判別ができないでいる。
自分達の力が、どこから来たのか?
そんなことは誰も知りはしないし、何処にも答えを残してはいない。何しろ最初の者達が次の者達に直接出会える事もないし、院にすらその伝承もないのだ。だが、目の前のものはそれを、自分達は知っているのだと臭わせている。それだけの知識と溜め込まれた妖力の存在は、どんなに上手くやったとしても青龍一人で叶うとは思えない。
《怯えが風に見えるな、青龍よ。先代の青龍と同じだな、死を覚悟するか?》
死と言う言葉を玩具のように告げられ、しかもそれは強ち冗談でもない。恐怖に飲まれそうになる心を奮い立たせようとした瞬間、唐突にその黒い瞳の自分が飲まれていくのが分かった。
※※※
長月想
名前も聞いたことがないのに、その名前が脳裏に踊る。それが自分の前に青龍立った青年の名前だと言うことが何故か理解出来ていた。目の前には闇の中で嗤う黒い深淵の瞳、そして半円の月のように白々と闇に浮かぶ口。
《くく、驚いて言葉にもならないか?》
何故か長月想は驚愕しながら目の前の闇を見つめ、同時に自分の手を見下ろす。その手には何も感じない、相手に木気が呑まれ能力の大部分を失ってしまった自分が。何故こんなことが出来るのか分からず、相手の嘲笑を受け長月想はゲートを背にして立ち尽くした。
「いつからお前は……」
戸惑い呟く長月想の言葉に、闇の中のものは低く笑った。何時から等どうでもいいことだと言いたげな闇の中は、ふと虚空を眺めると笑いながら長月想に向けて爪の先を折りとり棘のように投げつけた。黒い閃光がその棘を中心に四方に稲光のように弾けると、それは全て木の枝と根に姿を変えて長月想の体を飲み込んだ。気がつけば長月想の体から大量の木の枝と根が、彼の体をはりつけにするように存在した。その枝葉と根が長月想の残り僅かな魂まで削り始めていく。彼の脳裏には、彼が共に過ごしてきた三人の仲間、そして新たに仲間になった二人の姿が走馬灯のように駆け抜けていくのが見える。
※※※
背筋に悪寒が走り、青龍は思わず息を飲んだ。
自分も長月想と同じ顛末を辿る可能性は高い。
今何をするべきかすら、考える事ができないでいる自分。逃げることも戦うことも出来ない事実に戸惑う青龍の内面を見透かすようにそのものは、ユルリとゲートを更に押し広げただけでなくゲート自体を侵食しながら、虚空をその闇の中から見上げる。
《おやおや、お仲間が到着だ…、また機会があったら話す事にしよう。》
くくっと含むような忍び笑いを残して、そのモノはその場所の生命を引きずるようにして闇の中に沈んでいく。気配が闇にはじけ全てが元に返ろうとした瞬間、地を蹴って駆け込んできた白虎の姿が視界に入り、青龍は硬く張り詰めた緊張の糸が一気にはじけるのを感じていた。
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