GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第二幕 護法院奥の院

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散々な出来事を飲み込んで帰宅した智美に、早速報告された内容は彼を一瞬戸惑いを浮かべた。制服を脱ぎ気楽な服装に着替えている横で、制服をキチンと整えハンガーにかけている礼慈に視線を向ける。

「金気?……ただの人間がか?」

問い返した栗毛の青年の言葉に、黒曜石の瞳に僅かな不安を覗かせて礼慈は微かに頷く。昼の出来事をやっと自分の中で話せる状況になったというのに、重苦しい不安はまだ拭えず胸の奥にわだかまる。その気持ちを上手く表現できないままに礼慈は着替えを終えて杖を手にした彼を見つめた。
自室を出て長い廊下を歩きながら、智美は礼慈の報告に考え込む。礼慈の報告で雲英という青年の大体の情報は得ることが出来てはいる。年の頃合いは礼慈とほぼ同じ程度、しかし記憶喪失で自分の事は『雲英』という名前なのか苗字なのか分からない名前しか分からない。勿論警察の方では雲英という名前なり苗字なりを持つ行方不明者の検索はされているだろうが、結果としては該当者なし。同様に歯列や歯科、体の治療痕等も検索されていたが、こちらも結果は同じ。それはまるで白虎の家で保護されている青年と代わりがない。しかも、向こうの青年は土気を発揮できるというのに比較して、こちらは金気ときている。ここ何百年というより四神が出現して以来の、異例と呼ばれる事態が立て続けに起き続けているのだ。

千年に一度の緊急事態か…嫌になるな、ほんとに。

正直なところ、異例という偶然も重なると必然としか思えなくなってくる。

「本当に…人間…か?そいつは。」

廊下を歩く智美の固い声音の問いに、横の微かに礼慈が黒曜石の瞳を振るわせるのに気がつく。彼自身もそれを危惧していたことはその瞳の震えからもハッキリと理解できた。あの時に一瞬感じた空虚さの後の金気の気配の存在。空虚さが金気を放つ前の自然な反応なのかどうかすら、彼自身も初めて見たものでどう判断していいのかがわからないのだ。同時にそれは礼慈自身は今だ会った事はない青年が放つ不思議な気配が、分かっていても土気と判別を礼慈が出来なかったせいでもある。彼は自分の能力が感知という点ではかなり優れてはいるものの、けして万能でないことを明確に知ったばかりなのだ。

「まだ、分からないんです。私にも……。」

空虚な状態の人間が存在しても良いのかと問われると、礼慈にも答える事ができない。智美は珍しくモニタールームではなく先に杖を向けて、ユッタリと歩き続ける。その足が僧堂に当たる方面に向かっているのが分かって、礼慈も後に続きながら溜め息をつく。

「そんなに落ち込むなよ、礼慈もやっぱり人間だな。」
「私だって落ち込むことくらいあります。」

苦笑い混じりの皮肉めいた智美の声に、礼慈は不服めいた声で答える。長く過ごしてきたからこその会話だが、ふと思い出したように礼慈が目を細目ながら小さな声で問いかけた。

「電話で聞きましたが、虐められてるんですか?」

思わぬ言葉に智美の顔が微かに苦い笑みを浮かべ、夜風に響く微かな笑い声を溢す。

「いいや。」

何気ないその言葉と笑いに、礼慈は訝しげに眉を上げて更に言葉を繋ぐ。

「……多人数に囲まれたようだと聞きましたよ。」
「お前も言ったろ?普通の基準を学んだ方がいいと、目下観察中だ。中々面白いな、同じ年頃の人間の思考過程は。」

悌順が電話で礼慈に報告したのは智美にも分かっているが、そう簡単には虐められるタイプでもなければ見ての通り変なところを楽しんでいる。そう言う意図の基準を得るために通わせたかった訳ではないが、まあ友人も多く出来た辺りはいいことなのだろう。幼い頃から隔離され大人だけの世界で生きていく事を強いられた智美にとっては、確かに同年代の嫉妬や僻み等は知らないものだ。本当は同年代の感情の動きや恋愛や、友人との語らいのような綺麗なものを知って欲しいところなのだが。

「それにしても、怪我を。」
「するわけない。」
「……させないようにと言いたいんです。」

そっちかと智美が思わず苦笑いする。
足の悪い智美はリハビリの結果、杖があれば普通に日常生活を送るには支障がない。ところが智美の日常生活は普通とは異なるもので、彼は必要に応じて護身術に杖を使う方法を身につけていた。所謂杖術とか杖道とも呼ばれるものだが、警察にも警杖術というものがある。智美の記憶力は体の動きや流れなども記憶するから、上達は早く正直なところ大人でも叩き伏せる程の腕前だ。しかも、それにあわせて自前の杖に鉄芯を仕込む辺りが、尚更智美らしいといえばらしい。お陰で立場上危険な目に遭う可能性がなくもない智美としては、足が悪いのを隠れ蓑に襲撃者を叩きのめすのには打ってつけで反撃に躊躇いがない程なのだ。

「ま、学生の骨は折らないようには気を付ける。折った後が面倒だからな。」

叩きのめすのをやめる気は全くない辺りが香坂智美だ。本性を知らずに可愛らしい外見に騙される人に教えておいてやりたい、香坂智美は一見大人しそうな顔をしているが武闘派なので余計な手出しはしない方が身のためだと。しかも、頭も良すぎるので、事前の根回しや自分に被害が起きないよう画策するのも得意なのだ。

「あまり、先生に迷惑をかけないように。」
「はぁ?迷惑なんてかけてない。真面目に大人しく、教師の誤字も指摘しないでやっているよ?」

思わず頭を抱えたくなりたくなるが、智美が不意に口をつぐみ庭園を見つめ立ち止まったのに気がつく。視線の先には仄かな光源が点在する日本庭園の静かな水際に、一人で佇む青年の姿がある。茶髪と言うよりは焦げ茶に近い髪の毛の青年は、作務衣を着て水面を見下ろしている。顔立ちは何処にでもいそうな感じで頬には幾つかソバカスのような痕が浮かんでいて、瞳だけは少し印象的に水面の光を反射していた。無垢なといえなくもない視線で水面の中を泳ぐ魚を目で追っている様子は、どことなく猫科の動物を思わせる。

白虎……に、似ている…かもしれないか?

猫科を思わせる動きをする白虎の姿が脳裏に浮かんで、智美はその姿を無言で見つめていた。何かを関知する能力のない智美にはその青年の異様さは分からないが、その姿は確かに金気の能力者の白虎に通じる気がする。冷えた夜風をものともせずに一人で佇む青年を暫く見ていた智美は、やがて視線を返すともと来た廊下を戻り初めた。コツコツと床に杖をつく音に背後で青年が気がついたように、歩み去る二人を夜の風の中で無言のまま見つめる。
廊下を戻り何時もと同じ奥の部屋まで戻ると、智美は無言のまま室内に入り幾つものモニターの光を眺めた。椅子に腰掛けモニターを動かし初めた智美の背中を、礼慈は佇んだまま見つめる。

「二人目の…金気か……。」
「本物とは比べようもない程度ではあります。」

その初めて聞いた断言する礼慈の声音に、モニターの光に浮き上がるようなその姿を振り返る。そこには微かに戸惑いを滲ませた智美の表情があって、彼も二人目の金気という言葉に納得してあるわけではないのがかいま見えた。本来の白虎と比べようもない程度でも金気だけを持つ人間はいない、それは事実なのだ。そして同時に今彼らの知る白虎自身が異例中の異例過ぎて、本来の有り様とかけ離れていたとしても知る術もない。その弊害が二人目だとしても、違うとも言い切れないのだ。

「訳が分からないな、異例、異例。嫌になってくる。そう言えば爺は嗅ぎ付けてないか?」
「今のところは。」

智美の言う爺とは、研究所を統括していて智美に真っ先にやり込められた研究者かぶれの古老の事だ。未だに研究所を再建しようと根回しを続け、時には智美を黙らせようと襲わせたりもしている。それでも未だに一部の権力を維持しているのは、研究所で旨い汁を吸ったものが何人もまだ組織の中にいるからだ。先頭に立ち危険な目に遭わない場所で、弱い立場の人間をいたぶる事に楽しみを覚えた人間程質が悪いものはない。その弱い立場が実は仮初めと理解もできない程に、それに耽溺している思考は叩きのめしてやりたいところだ。だが、古老のためなら捨て石になってもいいと考える人間も同時にいるのが、呆れてしまうが智美にとって障害でもある。

「得体は知れないが、白虎程でないのに人体実験なんかされたらたまったもんじゃないからな。悪いが、爺には目を光らせていてくれるか?」
「わかりました。」

その答えに再び椅子を回して、暗い室内に投げかけられるモニターを余すことなく智美は目を向けた。モニターが放つ様々な光の中、智美は口元に手を当て何事かを考え込むかのように目を細める。ここ数年の異例と呼ばれる物事を順に考えていく。最初は史上唯一の女性の四神の出現だった。その四神が子供を出産していたこと。次は幼いのに今までにない高い能力を発揮する星読。そして、遺伝性のない筈の能力が、産まれていた子供に引き継がれた。幼い内に高い能力を示した自分も、実は異例と言われていたのだ。
最近の変異は要と呼ばれる岩の出現と、都市部での大規模なゲート。麒麟の炎駒と呼ばれる土気を持った青年の出現。そして、二人目の金気の出現だ。

様々な異例が続き、今度は何が起きる?それとも…。

そんな思考をまるで知っているかのようにモニターの中で黒点が1つあっという間に消滅するのが見える。それは西の方角でまさに今話題の青年と同じく金気の能力である存在の行動の結果だという事はよく分かっていた。白銀と鐵の毛並みを持つ神獣の姿を体内に秘めた純白の異装を身に纏う青年。
そんなことを知らないかのようにモニターの中では、幾つか表示されていた黒点がそれぞれの速度で消滅する。
四つの星のような高熱源を示す表示が彗星のように尾を引いて帰って行くのが映し出されている。暫しの沈黙の後、智美は溜め息交じりに慰めるような視線で青年を見上げ微かに微笑んだ。

「まずは少し、様子を見てみよう。」
「はい……。」

智美にそう返事を返しながらも、ついに揺れる黒曜石の瞳は不安の色を変える事はなかった。

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