GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第二幕 護法院僧堂

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友村礼慈の日々は、ほぼ単純に繰り返し行われることで経過していく。日課はまず朝の御祓に始まって、式読の青年を起こし支度をさせて学校に送り出す。それからは院の活動の報告を聞き取り、それぞれの動向と怪我人がないかどうかの確認。次にするのは新しい穴の存在がないかどうかの確認作業を行う。必要であればもう一度御祓を行い、穴や不穏な気配の確認作業を行って、能力に合わせて必要な人数を配置し移動を開始させる。それでも彼らの前に辿り着けないこともあるのだが、全く準備をしないよりは幾分かましだ。同時に自分達には手が余る規模であれば、確認作業だけの指令も必要であれば配慮する。大概自分達の手に余るような規模であれば、日が落ちて暫くすれば四神の方が優先して行動するのは分かってもいるのだが。
そんな訳で都市の喫茶店で1つの出来事が起こったのと同時刻。午前の日課を終えた黒曜石の瞳を持つ青年は、一息ついて朝に語っていた事案に意識を向けた。

新しい能力者の確認。

それも星読に先ず課せられる仕事でもあった。
普通の人間が持たない筈のゲートを関知したり閉じる力は、普通の霊能力とは一線をかくす。普通の霊能力とは違って、ゲートを関知するものには何故か人外がつきまとうらしい。しかも、院にはいる前の人間には、人外どもはからかい混じりのつもりなのか直ぐ様噛みついたりしないようだ。恐らく恐怖で狂っていく過程を面白がっているのだろう。何時までもつきまとい幻覚のように体を這い回ったり、皮膚の下に潜り込んで追い詰められるのはさぞかし不快なことだと思う。そしてやがては、狂気とともに闇に飲み込まれる。飲まれる前にこちらで保護できれは、今度は能力に合わせて闇と戦う羽目になるのは皮肉な話だ。つまりこんな能力をもったら最後、狂うか戦うかしか道が残されない。人間の幽霊を見るだけなら、まだ普通の人間として生活していられるというわけだ。
その判断も兼ねて星読が、能力がある可能性があるかどうかを確かめる。何故なら星読には大概の能力者は光っているように見えるのだ。四神の光ほど強くはないが、幾分かの灯火を持っていれば院で引き受けることになる。そうしなければ狂わされると分かっているから。

その手には事前に渡され、既に目を通した資料が一部。手渡された資料に目を通した友村礼慈は、訝しげに微かに眉を潜めていた。その資料は彼が今から遭うことにしていた人物の身辺が書かれた筈のものだったが、書類には殆ど空白ばかりが広がっている。大概の資料には指名も年齢も住所まで記載され、その先に何が見えているのかや、何を感じている等の記載。その他には通院歴や投薬等の情報と一緒に薬に対する効果がまとめられている。大概の院の能力者は精神科に通院し、鬱病や様々な診断を受けて投薬をされ微妙に効果を見せている節を伺わせる。ところがある一定の緩和の後に、更に悪化することの方が多く大概は闇に怯えるようだ。全てではないがその傾向があることが多いものだが、手の中の書類にはその類いどころか名前すらも中途半端だ。

雲英……きら…確か全国的には百人もいない苗字だった筈。

ほぼ空欄の書類を何時までも眺めていても埒が明かない。溜め息混じりに立ち上がった礼慈は、僧衣を纏い長い髪をゆったりと束ねた姿で廊下を足音もなく進んでいた。相手が待たされているのは、寺院で言えば僧堂に当たる部屋でそこを目指して向かっている。すれ違う僧衣の男達が礼慈を敬うように畏まって頭を下げるのを横目に、目的の部屋の前には僧衣ではない男が待ち構えていた。

「……これは…どういうことでしょうか?」

室内に入る前に礼慈は、思わず目の前にいるその場所には不釣合いなスーツ姿の中年男性を見つめ問いかけた。公務員らしい折目のつくようなスーツをまとう中年男性も微かに困惑しているように、眩しそうに目を細め友村礼慈を見返し口を開く。

「実は見つかった際に彼は全ての記憶を失っており、覚えているのはその名前だけでして。」

記憶喪失という言葉に礼慈は目を丸くして、もう一度その書面を見つめなおした。それで空白ばかりなのかと納得しながら、唯一書き込まれた名前の欄を眺める。

ということは、これは名前の可能性もあるのか……

苗字にしても名前にしても、それしか記憶がないとは余りにもそっけなさ過ぎる。そう考えると同じような状況にある人物が丁度もう一人いることを脳裏で思い出す。黙りこんで眉を潜めた礼慈の姿に、慌てたように公的な機関の使者も口を濁す。機関としても様々な手段で身辺を捜査したが身元は判明せず、そして彼が不思議な能力を持っていることが分かってここに話が来たということもその言葉から理解できた。不思議な能力に関しては相手は上手く説明の言葉を持たない様子で、手も使わずに物が割れたりすると話す。虫の幻覚等は無さそうな話に、礼慈はめを細めた。

手を使わないで物を割る……能力者とは違うか……?しかし、記憶喪失……か。

それは、つい一ヶ月ほど前に姿を現したある一人の青年を髣髴とさせる自体ではあるが、今は逆に何処か釈然としない気持ちに礼慈を追い込む気がする。分からない者に何を聞き続けても何も得られるわけでもない。

「一先ず…会ってみましょう…。」

溜め息混じりにそういった礼慈の様子に、目の前の中年の男性はホッと安堵の息をついた。政府が知っていて隠している裏の世界を垣間見るような気持ちになるからかもしれないが、現実主義者といえる男性にはこの場所に来る事はさぞかし苦痛な事に違いない。何故なら、ここは普通ではない能力を持つ人間の巣窟とも言えるし、恐らくは彼の息子よりも若い黒曜石の瞳を持つ青年のほうが彼よりも上に立つ場所だ。政府にすら発言力を持ち悠然とする友村礼慈の姿は、理性で分かっていても感情がどうしても納得できるものではないのだろう。優美にも見えるしなやかな動作で、多くの僧衣の男が畏まるようにして礼慈の姿を見送る。それを何時も見つめながらそんな事を感じているだろう中年男性を横目に、礼慈は微かに物思いに耽りながらその部屋へと足を踏み入れた。
一瞬、彼はその見たものが分からずに立ち止まり、その場に無言のまま立ち竦んだ。その様子に後をついて室内に入ろうとした男が訝しげに横から彼を伺うのを感じながらも、礼慈はその場で目を見開いてそこにいた青年の姿を見つめる。男は訝しげに低く呟く。

「…彼が雲英ですが……?星読殿?」

その男の声にも全く耳を貸さないままに、礼慈は立ち尽くし無言のままマジマジとその姿を見据えていた。
雲英と呼ばれた空虚。
そう表現するのが一番適当だった。そこに誰かが存在する気配すら感じない、全く何もない空虚な空間がただ室内に広がっているのだ。人は誰しも微かに何らかの気配を放っているものなのに、目の前の青年に全くそれを感じない。まるで目の前にいる青年は陽炎のようで、空間に気配の波風一つ感じられないのだ。長い間ここで礼慈は多くの人間に出会ってきたが、こんな奇妙な人間には産まれて初めて出会った。それはある意味で酷く不快な違和感を感じさせ、礼慈はそれに戸惑い眩暈すら感じている。目の前には一見普通の何処にでも居そうな自分と同じ年頃に見える青年が、独りでボンヤリと黙りこんだまま居るだけだ。

「あなたは………一体……?」

微かな震えを帯びた礼慈の声音に戸惑いが混じり、その声の先にいた青年はふと気がついたようにゆったりとこちらに向けて視線を上げる。空虚な硝子玉のような瞳が、礼慈に焦点を結んだ瞬間、不意にその青年の奥から気配が沸き上がった。その面立ちは全く似ていないのに、礼慈もよく知る人物を髣髴とさせる澄んだ金属のような冷え冷えとした気配を放つ。一瞬にして普通の人間ではあり得ない筈の金気だけを体内に満たし僅かに滲ませた。金気の気配の青年が、確かにそこには存在している。

普通の人間が何かに偏る気を持つ事は不可能…な筈

そう礼慈は心の中で呟きながら目の前の確かに金気を持つその青年を、驚きも隠さないままに見つめた。人間の体は一つの気だけでは生きていられない。五つの気が均衡を保って循環し、陰と陽の要素を保たないとまともには生命の維持等出来ない。だからこそ四神は特殊な能力を持ちうる。僅かな歪みは人間の内にはあり得るが、空っぽは有り得ないし金気だけも有り得ない。

二人目の白虎?いや、それにしては金気としては弱い。

白虎に近いかもしれないが金気の塊の白虎に比べれば、彼が白熱灯であれば懐中電灯程度なものだろう。それでも普通の院の能力者とは雲泥の差があるに違いない。だが、直前の空虚が酷く気にかかる。この者を預かるべきなのか、そうではないのか。この青年は一体何者なのか、礼慈には考えもつかない。つまりは礼慈には、この状況をそれをどう判断していいか分からずにいたのだ。

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