GATEKEEPERS  四神奇譚

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第二部

第一幕 護法院奥の院

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はるか東の山麓でその夜の最初のゲートに、青龍が気を練り始めたのと殆ど同じ頃。

そこは大きな都市の西側の山際に連なる丘の上。眼下の住宅地とは異なり山際の中に僅かな照明だけが点り、うっすらと闇の中に沈むようにその建物はある。
入り口の巨大な門柱には『御法院』とだけ記され、宗派も流派も何も記されてはいない。そして、滅多に開く事のない扉の向こう側には、広大な敷地にひっそりと静まり返った寺院風に見える家屋がある。純和風の家屋という佇まいの周囲は、日本庭園と広い竹林。
その夜は風もなく月は煌々と冴え、空気は秋の気配に冷え始めている。竹林に囲まれ人の気配も感じ取れない程の静けさが、仄かな照明が蛍のようにボンヤリと浮かぶ。長い廊下で繋がれた幾つかの家屋の最奥に、その部屋は存在している。過去には古めかしい奥座敷として古老が君臨していた部屋は、今では和風の佇まいの中に異質な空間を作り足していた。佇まいには酷く不釣り合いな巨大な机の上には、数多くのケーブルに繋がれた液晶モニターが人工的な光を落としている。それは様々な映像をそれぞれに映し出していて、薄暗い室内に様々な光を射しかけていた。
休むことなく動き続けるモニターの前で少し長めの栗毛の髪を両頬に垂らしながら、一人の十七歳の青年がカタカタと絶え間なく音をたててキーを打つ音を響かせている。それを彼の背後から黒曜石の瞳を持つ黒髪の青年が静かに座り眺めていた。
眺めるモニターの中には様々な画像が映し出されている上に、様々な数字交じりの文字が絶え間なく流れているものもある。
数字は温度であったり、緯度や経度であったりと多種多様。それ以外にも地図であったり、サーモグラフィーであったりとモニターは動き続けていて目まぐるしい。背後から眺める友村礼慈には実際には、それを全て一度に観て理解することは無理だ。礼慈でなくとも目まぐるしく動く二桁のモニターを一目で理解することなど不可能だ。だが、モニターの前にいる香坂智美は色素の薄い瞳を眼鏡越しに閃かせて、難なくそれをこなし続ける。

『院』という組織を束ねる者『式読』と呼ばれる香坂智美。その能力は今までの式読達の中でも、群を抜いて秀でている。生まれつきの能力に加え、柔軟な知能は今までとは違う見方で物事を捉えることが出来た。古参の老害じみた者達すら出し抜ける狡猾さは、先代の式読にはなかった彼自身の先見の能力だ。式読成り立ちの彼に統計学迄盾にされ、やり込められて研究所を閉鎖させられた時の男の表情は中々見物だった。

でも、まだ再建を企んでもいますが。

院とはいえ一枚岩でいるわけではない。長い年月の中で、次第に組織は細分化されて政府の一部と密接になっている部門もある。研究所はその際たるもので、戦時中はゲートキーパーを戦争の兵器として利用したこともあるという。流石に当時の式読もそれは断固拒否したようだが、そこから研究所は院の方向性と反して秘密裏に拷問紛いの活動を深めたようだ。

人間に水攻めやら火攻めやら、やっている方の神経を疑いますね。

やっている人間がいて、その人間が当然のように観察しているのを四神達がどう感じたのか。院を拒否したくなるのは当然の事だと礼慈も思う。智美がそれを暗に調査していたとは、あの男は気がつきもしなかった。なにしろ上手いこと子供のふりで何も分からないようにして、年単位で裏の裏まで調べ尽くしていたのだから智美の狡猾さは侮れない。

狡猾というか負けず嫌いというか、半分は八つ当たりなんですけどね、智美さんの場合。

ここに無理矢理連れてこられ、しかも何ヵ月も能力を高める訓練を受けさせられた智美。一度はここを脱走したが、幼すぎて竹林を抜けたところで体力を使い果たしてしまった彼は、公道に出た瞬間事故にあってしまった。偶然、というか恐らくここに何時ものように向かっていた彼を助けた白虎は、二人とも病院に運ばれる事になる。そうして、彼の足は生涯治ることのないほどの怪我を負ったが、命には別状がなかった。引き換えに白虎であった、女性はほんの数時間で亡くなったのだ。通例では亡くなった四神の遺体は全て研究所が引き取り、検体として保存していたらしい。だが、公共で院とは何の関わりもない病院で亡くなった彼女の遺体は、速やかに院の者が動き出す前に病院から運び出され隙をつくようにして荼毘にふされた。そして、遺骨だけでも奪おうとした院のものを容赦なく叩きのめしたのは先代の朱雀と青龍だ。ここだけの話、その前後に起きた研究所の一室での不審火は、朱雀の行動だと礼慈も知っている。後ろ暗い目的で遺体を保管していた部屋を室内だけ完全に炭に変えられたあの男は、式読や星読である礼慈に訴えたくても訴えられないという風だった。そして、その数年後先代の青龍が命を落とした時には、先代の朱雀に容赦なく研究所を燃やし尽くされ今でもあの老害は根に持っている。

フウとモニターの前の彼が溜め息をついたのに気がついて、礼慈は音もなく立ち上がると部屋の奥でお茶を入れ始める。感知能力が基盤の礼慈には、智美のような作業は真似もできない。しかも、モニターの把握は彼でしか出来ないので、彼が出来るのは智美の息抜きの準備くらいなのだ。
智美の瞳は絶え間ないデータと情報がはいると同時にそれを分類し処理しながら、今現在各地に動いている四神と院の能力者の動向をもつぶさに観察している。ふっとその姿を見つめていた礼慈は東に弾ける様な気配が上がったのに気がついて、思わず視線をそちらに向けた。

「…青龍の仕事が一つ終わったみたいだね。礼慈。」

その仕草に振り返る事もなく、智美が礼慈に向かって何気ない言葉を放つ。逆に智美自身は優れた英知を持つ者ではあるが、何かを感知したり地脈の穴を封じる能力は有していない。
それでも彼がこの院を束ねるのは、その一種特異な頭脳とこの様々な現象を否定する事無く受容できる柔軟な思考。そして鋭い先見の才能があるからでもある。既にモニター上の画像を見て青龍の動きを判断した言葉なのだということは、もう周知の事実であった。

「ええ、そのようです。……しかし…。」

静かで穏やかな礼慈の何時になく戸惑うような声に、智美は無言で彼が入れた茶を受け取りすすりながらポンポンと軽やかにキーを押した。先程のモノとは違う他の二つのモニターが、それぞれ別な場所の地図とサーモグラフィーの画面が室内に新しく光を投げかける。それを横目に彼はキィと音をさせて椅子を回し、礼慈の物思いに暗く沈む顔を見おろした。

「最近の穴が気になるんだろ?」

その言葉を耳に憂いに光る瞳を投げた礼慈の姿に、智美は微かに目を細めた。
今から一ヶ月前の大都市での事件。あの時の事件は社会的には人的災害と認定されて、倒壊したビルは撤去され陥没した公園は埋め直されて元の公園に戻された。倒壊した方のビルは再建の目処はたっていないようだが、傍目には元通りの生活を取り戻しているように見えている。あれが本当はなんだったかを知っているのは四神と院の人間と政府の一部、そして現場にいた人間でも一部のものくらいだ。しかし、あの事件の後、実は様々な変化が一時に起こり始めていた。
地脈に開く規模の小さい穴の増加、そしてその穴自体の質の変化。それは、もたらされるべくしてもたらされた現象なのかもしれない。そうこの歳若い式読は苦悩にも満ちた思いで考える。巨大な穴を人工的に人外の存在は四神だけでなく院にとっても、普通の人間にとっても大きな脅威となりうるものだ。しかも、それは今までにない狡猾で奸計に長ける上に、何十年と潜伏しているものの可能性もあるときている。

「何だか…恐ろしい事が起きそうな気がします、このままだと…。」

不安げな礼慈が小さく呟くように囁くのを聞きながら、目の前の智美は微かに溜め息をつく。問題は今だ解決の目処もなく、自分達の目の前に立ちはだかっている。それは、彼自身もよく分かっているのだ。そう思った瞬間、不意に目の前にいたモニターの光に黒曜石の瞳を宝石のように輝かせて青年が弾かれるように視線を上げたことに智美は気がついた。
虚空を見定める様にその黒曜石の瞳は輝きを放ち、モニターの光を鮮やかに反射しながら見開かれていた。その様子の緊迫した気配に目の前に座ったまま彼の表情を見上げる。

「……今…穴の一つに違和感が…。」

微かな礼慈の震える声に智美の表情が険しく変わり、椅子を回したかと思うとモニターをざっと見渡す。そしてそのモニターの一つの上でその視線が止まり、その形の良い眉が微かにひそめられる。

「北か?礼慈。」
「はい。玄武が向かっている場所だと思います。」

そのモニターには黒々とした黒点だけが存在してる。
サーモグラフィーの画像では、大きさは変わりがなくほんのわずかな画面の揺らぎによる変色にしか見えない。しかし、その場所の状態は確かに寸前と少しだけ変化を起こしているという事をその瞳は見抜いていた。ほんのコンマ何度かの変化は、普通の人間なら気がつけもしない物だが智美にはハッキリと変化がわかる。ただ礼慈の違和感という言葉の意味が分からず、智美は思わず目を細める。既に際限迄温度は低い黒点の、更なる微かな温度の低下の表示は一体何を示すのか彼にも理解できないものであったのだ。
ふっと他の三つのモニターに存在していた黒点とは真逆の高熱源の反応が、まるで踵を返したかの様にある者は穴を閉じた直後に地をぬい地表に稲妻のような軌跡を残し駆け出し、ある者は閉じかけた穴を置いて矢のように真っ直ぐに飛び、そしてある者は逸早くその変質した穴の方向へとまるで蛇が滑る様に動き出したのに気がついた智美が呟くように溜息をつく。

「…彼等も気がついたみたいだな。こちらの者は一時引かせよう。」

智美はそう言うと、目下異変の起きたとおぼしき穴の近郊にいる院の人間がいないかを確認し始める。偶然周囲には誰もいないようだが、智美の言葉に背後にいた星読が不安そうな視線でモニターに舞う星の様な光を見つめていた。
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