GATEKEEPERS  四神奇譚

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外伝 はじまりの光

第六幕 鳥飼澪三十五歳 追憶

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それは何気ない一言が発端だった。
心をざわめかせる奇妙に赤い月の光を眺めていた幼い少年の元に、あの自分の曽祖父だと名乗る爬虫類のような視線をした老人が唐突に姿を見せたのだ。彼は何時になく穏やかな口調で少年に語りかけ、その姿は確かに彼の祖父に似ている気がする。

「おじいさまは、どうしてここにいるの?」
「……お前と同じだよ。」

その言葉の意味は正直彼には理解ができなかった。何が同じでここにいるのか説明してもらいたかったが、同時に説明されてしまったら彼は二度と家には帰れなくなる気がする。それを知っているのか、老人は掠れた声で先日難解な漢字ばかりの本が読めたのかと抑揚もない声で問う。その話をするこの人物が好きではなかったが、彼に一番話しかけるのはこの老人であったからしかたがなしに読んだと正直に答えた。老人は微かに満足気に彼を見つめ、微笑みもせずにまた新しい本を差し出す。老人が彼に読ませようとするのは難解な古い歴史の本ばかりだった。中には黴臭く、埃にまみれたモノもある。
自分にも読めないと言いながら渡す事もあるその本を彼の頭脳は何なくといて読んでしまうし、一度読んだ物はけして忘れない。

両親はそれを瞬間記憶とかカメラアイとかって言ったっけ?

幼い少年は年に不釣り合いな記憶力でそう思い起こした。両親は彼にその能力がある事と類い稀な知能を喜びはしたものの、普通に育つのが一番だと言っていた。
それを全て覆したのはこの老人の存在だ。
ある日使いの者が突然家にやって来て、自分が来ないと両親に何かが起こるかもしれないと言われた。それが理解できなければよかったのに、自分はその言葉の意味を理解してしまった。

だから、ここに連れて来られちゃったんだ。

今も泣いて自分を止めようとする母の声が耳に残っている。
あれからもう何ヶ月と経ってしまったけれど自分は両親に再会する事も出来ずに、ただ難しい本を読み知らない土地で知らない人に囲まれているのだ。これはいったいどういう事なのだろう。誰も自分には教えてくれない。自分が知るのはこの難しく黴臭い本に書かれた奇妙な歴史ばかりだ。

「お父さんとお母さんに会いたい。」

少年の言葉にその血縁であるはずの老人は何時も聞く耳を持たなかった。しかし今日は何かが違っていた、老人は何時もはその言葉を無視するのに不意にその言葉にこう呟いたのだ。

「お前の両親は死んだ。先月交通事故で二人とも死んだのだ。」

少年はその言葉を無造作にはなった老人をまじまじと見つめた。何かの冗談を言ったのかと思ったのだが、けしてその眼は笑いもせず嘘もついていない事が分かった瞬間、彼は愕然としてその場に本を握りしめたまま立ちすくむ。

二人とも死んだ?

死んだって言うのは祖父と同じ、二度と自分に話しかけたり笑ってくれることがないということ。それが本当だとしたら、何故自分に最後の別れすらさせなかったのか。そう問いかける瞳に目の前の老人は表情も変えない。

「どうして……。」
「お前にはもう、不要なモノだからだ。」

呆気にとられて彼は血が繋がっている筈の老人を見つめる。祖父に何処か似ている老人。そう言えば祖父は自分の父親が、昔突然来た政府の役人に連れていかれてそのまま死んでしまったと話していた覚えがある。つまりこの人物がその曾祖父なのかも知れないが、目の前の老人は死んでもいないしそれ以上に人間らしさが感じられない。

不要?僕に両親が?なんで?

古老は大儀そうに読む様にとだけそっけなく言い放つと部屋を去っていく。まだ六歳の少年は渡された本を握りしめたままその後ろ姿を呆然と見送っていた。



※※※



そこから抜け出す計画は以前からもう立てていた。
部屋の壁の戸板が一部緩んでいるのも知っていたし、この部屋を見回りに来る人間の感覚も知っていた。
そこまでわかっていて彼がそうしなかったのは、自分の両親の事があったからだ。それが今老人の言葉で均衡を崩され、彼はそれを守る必要がなくなってしまった。
だから幼い少年はその足で、建物を抜け出して自分の家へと方向を定めて歩き始める。しかし、竹林に落ちる闇は深く、そして酷く冷たく、幼い足で駆けるには酷く困難だった。
宵の帳の落ちる暗闇の中、その古めかしい建物を見回る人影の隙をついて物陰からずけ出すと幼い足は、必死でその場所から遠ざかろうとしている。彼が連れてこられるときに周囲を注意深く観察し、把握しているなどとはあの老人もあの屋敷の者達もまだ気がついていない。何しろ、彼らはここに来て訓練を重ねたから、彼が才能を本格的に発揮したと考えている。本当はとっくの昔から自分の能力の事は祖父と母から聞いていた。祖父は嫌なことも良いことも覚えてられるんだから、良いことをたくさん覚えろと話していた。祖父の従弟にあたる香坂智春という人は、警察官になって悪いことばかり記憶して辛い思いをしたんだと教えてくれたのだ。その人が幸せなことを記憶すると、世界が変わると話していたらしい。母も幾分その能力が有ったと言うが、子供ができると嫌なことが減ると笑っていた。こんな場所に閉じ込められたままでいたら、祖父の従弟みたいに辛いことばかり記憶することになってしまう。

ここから逃げなくちゃ。

どうしても幼い少年は自分の家に帰りたかった。
そこが今どうなっているかは分からなかったが、どうしても自分の家に帰りたかったのだ。自分の目で確認しないことには、何も始まらないしあの老人の言葉を鵜呑みにもしたくない。
何度も転び、栗毛に茶色の枯葉が絡みつき泥にまみれる。
手足に出来る擦り傷の痛みも、何もかも構わず幼い足で少年は必死で駆けた。

はやく…。

しかし、やはり頭脳と体力は伴わない。少年が夜の竹林を抜け出すには幼すぎた走り続けるほどに、傷が増え、足は疼く様な熱を持ってズキズキと痛みを放ち始める。
まだ思うほどあの建物から離れた訳でもないというのに、その幼い体にはジワリと既に疲労の色が滲み始めていた。息を切らせ、頬を枯葉で擦りわずかに白い肌に血を滲ませながら、少年は必死で竹林を歩き続ける。どれだけの時間を闇の中を描き分け進んだろうか、やっと樹木の陰に車の往来が微かに見え、彼は息をついた。
疲労しきった脳裏に両親の笑顔が霞む。
あの暖かい家に帰ろう、彼はただそれだけを思いながら必死に歩きつづけていた。

暗闇すらよく見通せる澪の視覚が、ふと星の弱い光の下で竹林を一心に歩く幼い幼年の姿を見つけていた。
おぼつかない足元。
幼い子供特有のふわふわした茶色の髪には何度転んだのか枯葉がつき、その息が激しくあがっていることに気がつく。澪はその場に立ち尽くし、まるで雷にでも打たれたような後悔の気持ちにとらわれた。

子供に、何の罪があったというの?

彼女は自分に気がつかずに必死に公道を目指すその姿を見つめる。
あの隔離されたような建物中で、その姿の主は八ヶ月も一人で耐えたのだ。こうして逃げ出したくなるほどの環境で、あの幼い小学生にもならない子供はどんな思いで過ごしてきたのか。両親がいるかどうかは知らないが育ってきた環境から連れ出され、たった一人であの閉鎖的な場所に閉じ込められていた。友村礼慈の時のように澪は少なくとも彼の顔を見に行くべきだった、例えそれが澪の自己満足の偽善に過ぎなかったとしても。
彼女は痛む体を引きずるようにしてその姿を追い始めた。
普段の彼女なら一瞬で追いつけるはずなのに、痛みのせいか力が入らずその足はなかなかいうことをきかない。まるで普通の人間のように幼い子供の歩く速度になかなか追いついてくれない自分が酷くもどかしく、そしてどんどん抜けていく力がとても奇妙な気がした。声をかけようとするのに声はのどに張り付いたように掠れ、うまく音をなさない。
彼女は、一先ず追いつくことだけを考えて、よろめく足を叱責しながら竹林をぬって歩く。

こんな時に・・・。

そこで自分が不意に気を失いかけていることに気がついて、澪は微かな困惑を覚える。しかし、子供のおぼつかない疲労した足取りは、全てを手放して気を失う事を許さない。一心に真っ直ぐ歩く足取りは、酷く彼女を不安にさせるものだった。あのまま公道に飛び出しでもしたら、この周辺は人気もないから下手をすると危険な目に遭いかねない。
とまって、そう言おうとしている言葉すらも音にならずに何か生暖かいものが咽喉にせり上がるのを感じながら、彼女は自分がまた息子のことをふと考えているのに気がつく。

…信哉。

幼い時の手を繋いでキラキラした瞳で自分を見上げる我が子。小学生になって先ずしたのは今でこそ中のいい宮井智雪との大喧嘩で、理由がどっちの母親が美人かだったのには大笑いした。運動会の頃には土志田悌順と宮井智雪は産まれたときからの親友みたいに何時も転げ回って遊ぶ仲に。小二初恋の時は信哉の方が綺麗な女の子みたいな顔しているからと、断られたとしょげて武と優輝に大笑いされていた。
記憶は鮮明で数えきれない程心の中を過っていく。
演武大会で完璧に演武をしたと、自分を振り返り満足そうに笑う信哉。三人で紙袋二つに大量のチョコを貰ってきて、どれが誰宛か分からなくなって三人で全部開けるはめになって三人とも悲鳴を上げていたこと。中学の制服がたった数ヵ月で伸びた慎重のせいで買い替えないといけなくなってしまったこと。

何故かしら……こんなことを…考えている場合じゃないのに…

高校の入試の結果を何故か優輝も武も想まで、一緒になって見に行って三人に揉みくちゃにされていた我が子。その後に幼馴染み二人の姿に駆け寄っていく我が子の後ろ姿。そして、優輝がいなくなって物憂げに考え込む姿を見せるようになった信哉。父親の成孝と似たふせた視線は、時に澪が恋した人に瓜二つでドキリとすると同時に彼の成長が少し寂しくなる。
その思考の中で何かが遠のいていく。
目の前の子供はついに公道に辿り着き、微かな安堵の様子がその小さな背中から感じられた。そういえば、自分と一緒に信哉が院に無理やり一緒に連れて来られた時、ちょうどこの位だった気がする。彼女はおぼろげにそんな事を感じながらその小さな背中に近づく。
その瞬間、公道に上った幼い疲労しきった足はアスファルトの上でまるでよろめく様に車道の真ん中へ体を投げ出していくのが見えた。
幼い子供の体を白く染め抜くような鋭く強い白い光。
迷う隙も迷う筈もなかった。一瞬自分の子供と重なったその背中を自分の体で庇う事しか、その時の澪にできることはなかった。

だめ、このままじゃ子供の体にも衝撃は伝わる。

そう思った瞬間、彼女は不意に全てを搾り出すように金気の力で腕の中だけをくるみこんだ。背中に当たる車のバンパーの感触が酷く重くゆっくりと感じた。音も聞こえない痛みよりも何か違うものがあるかのような強い衝撃の後は、何もかもが消えて彼女は気がつくとその幼い子供を抱きかかえたまま路面に自分が倒れていることに気がつく。全てをくるんでおいたつもりだったのに、幼い子供の足が血みどろになっているのが見える。それでも意識のある幼い子供の瞳が怯える様に自分の顔を覗き込むのを感じながら、彼女はふと一滴の涙を溢す。それは痛みからではなく、彼女の感情が溢した欠片で路面に流れる自分の赤い血と一緒にアスファルトに沁み落ちていく。

信哉…。

ふと彼女は微かに残った感覚が仲間二人が先ほど生まれた気の気配と自分の気配の異常に気がついて、こちらに向かってくるのを感じた。院でも、そろそろこの子供が抜け出したことに気がついてしまっただろう。少年には可哀想だが今はそれに感謝するしかない。何故なら、彼女にはもう動くこともできないし少年もちゃんと足の治療を受けなければいけないだろう。
自分たちを撥ねた車の主があわてながら降りてきて様子を覗き込みスマホで連絡をとるのを耳にして、微かな安堵がその心に沁みる。
澪は血の溢れ出す唇に微かな笑みを強いて、腕の中の痛みと恐怖に震える小さな少年の頬をなでた。涙で潤んだその瞳はまるで澄んだ宝石のように愛らしいと澪は思うが、そう伝えるには少し時間が足りない。
彼女はただ穏やかに微笑んだまま、そっとその頬をなで続け少しでも少年が怯えないようにと願った。そしてもう一度だけ声にはならない心の中で、彼女の大事な息子の名前を囁いていた。


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