GATEKEEPERS  四神奇譚

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外伝 はじまりの光

第二幕 鳥飼澪二十四歳 邂逅

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腰の辺りに届く長い絹糸のような艶やかな黒髪をきりっと後ろに一つに束ね、澄んだ美しい瞳と女性らしい丸みを帯びた淑やかさを感じる動作を滲ませる肢体の優雅な美女。
彼女は自分より屈強で大柄な男二人に挟まれて廊下を進んでいた。普通なら、彼女が守られているのかと思わせるような状況だが、それは酷く奇異な風に周囲に移る。それは廊下のほの白い明かりの下で、どう見ても落ち着きなく彼女から成るべく体を離すようにして歩いている二人の男と、その表情からも明らかな怒りを滲ませる彼女の気配のせいだった。
彼女は促されるまま大人しく、男達の示す先へと微かな木の香りの漂う廊下を進んでいる。時折すれ違う自分の横の男と自分達を迎えに来た男と同じ僧衣をまとった男達が、あからさまな好奇の視線を投げつけてくることに澪は心底うんざりしつつあった。しかし、その表情は冷たく取り澄まして表面上に大きな変化は見られない。


もし彼女がその気になれば横の二人の男くらい簡単にのして帰ることは容易だった。しかし彼女がそれをしないで我慢しているのは、ひとえに我が子信哉の存在があったからだ。
ここから先は信哉は一緒には行けないと唐突に説明もなく言われ、つい先程無理矢理繋いでいた手を引き離されてしまった。
勿論そんな手荒な行為をした、ここに連れてきた僧衣の勘に障る目つきをした男を容赦なく投げ飛ばし気絶させることは忘れなかった。ところが久々の彼女の本気の行動は、澪自身にもかなりの衝撃を与える結果を生んだ。ここ数年、彼女は本気で演舞も行っていなかったし、仕事と称して鍛錬も少なくしていた。それなのに、まるで体は今も激しい鍛錬を重ねたもののように軽々と動き、以前にも増してその技は鋭くまるで研いだ真剣のように光を放ち閃く。ほんの一瞬で目の前から姿を消すように動いた彼女の行動は、正に電光石火という表現が適している。自分の倍以上もある男の体はまるで手鞠のように廊下どころではなく、横の板べいを叩き割った。

何てこと?!

まさか人を投げ飛ばして壁を破るなんて、コントでしか見たこともないし普通ならば有り得ない仕業だ。呆れる澪の目の前で血塗れになった男が壁から救い出されるのに、澪自身が呆然とする。それなのに男達の仲間らしき者達は、粛々と後片付けをして引き離された信哉をお預かりすると言われてしまっていた。今横にいる二人が心底怯え切っているのもやむをえないことなのかもしれない。ただ、それよりも澪の心には、やはり離されてしまった信哉の不安げな瞳が記憶にこびりつく様に漂う。

信哉…。

古めかしく一見寺院のように見える、それでいて寺院の本堂はない。それは連れられてきた時の入り口の門柱には、一枚板で書かれた『護法院』としか書かれていないのだ。寺院なら流派や宗派がある。しかも、この夜の帳の中で活動する僧の数が異様だし、藍色の僧服の者の中には髪を伸ばして束ねている者もいた。それに年代も様々に見える。
近郊に住んでいて山際に建物の存在は、昔から見ていたのに実際には何があるのか気になりもしなかった。巨大な敷地の奥深い建物の廊下を踏む男達の足音だけが響く。同じように歩いていて足音もさせない澪は、ふと廊下の横の広大な日本庭園を見つめる。

寺院でもないようだし、それに神社とも違うようだわ…。

ざっと見渡す限り、それらしき物を示す建物はやはり何処にもない。寺院であれば本堂や僧坊がある筈だが、僧坊らしき区画はあっても本堂が存在しない。神社だとしても本殿も社務所らしき場所もない。あるのは社庭とも言えそうな広大な日本庭園のみだ。
どちらかと言えばただ寺院に似た造りをした広大な建物というだけ。そんな佇まいに澪は首をかしげる。その漂うひんやりとした夜気もそれを肯定しているかのようだ。

「こちらです…。」

まるで迷路のように何度も曲がりくねりながら、廊下を奥へ奥へと促される。進めば進むほど明かりは酷く薄暗く、仄かに心もとなくなっていくが、男達は慣れている為か戸惑う事もない。そして澪自身も特に視界には問題を感じずに進んでいる。
澪がもしもの時の為に廊下を歩いてきた道筋をキチンと記憶しているとは思っていないだろうが、男達は無表情を装ったまま再び角を曲がった。そして不意に突き当りのように現れた扉の前で立ち止まった。その前にまるで門番のように立ちはだかる別な男が彼女をチラリと一瞥すると、扉の内部に向かって声を上げる。

「式読様・星読様、御出ででございます。」

その声に扉の中から、くぐもってしわがれた老人らしき声が「入りなさい」と告げる。しかし、扉が開くその前に澪は、その室内に息を潜める二つの不思議な気配に眉をひそめていた。そして、それを知っているかのように二つの気配もまるで彼女の様子を伺うかのようにじっと動きを止めて息を潜めている。

これは…いったい何なの?

その感覚は言うなれば、自分自身と酷く似ている。表現の使用がない不思議な感覚。兄弟とか血縁とかそういう類ではなく、何か生命の根底に通じるような閃く光り輝くような、自分と似て非なる者がその室内には確かに二人いる。そう澪は心のどこかで確信していた。そしてそれはけして室内の声の主ではないということも彼女は感じ取っていた。
声ははるか遠く奥から聞こえるが、二つの気配はもっとずっと入り口に近い。澪は男に促されるままに、更に薄暗く光源の少ない古い畳の香りのする室内に足を踏み入れていた。
廊下より更に薄暗い室内に足を踏み入れた瞬間、一瞬周囲が暗闇になったかのような感覚に包まれる。しかし、澪の瞳は光源が殆ど無いにもかかわらず、真正面の最奥に座る人影を見つめていた。広く薄暗い古い畳の室内には微かなかび臭い生家の倉に似た古い空気が漂うように籠る。
真正面の最奥に居る人影は二つ。
先ほどの声の主はそのどちらかであろう、酷く年老いてしわがれた老人が二人並んで僧衣を身にまとい置物のように微動だにせず彼女を見つめている。澪はその二人の老人の姿を横に、眉を潜めた。

先程の気配が消えたわ。

そう感じた瞬間、不意に彼女の頭上から激しい殺気が放たれたかと思うと声が振り落ちてくる。

「はァ?!!女じゃん?!!嘘だろォ?!」

鋭くまるで熱気を放つような殺気をその全身から放ちながら不意に影が頭上から踊りかかった。しかし、澪はこの声の主を視認しようともせず気配だけで舞うようにしなやかな動作で体を捻る。目標がスルリと体をかわした事で掴みかかろうとした手が無防備に空を掻く。次の動作にその声の主が移ろうとする前に、澪の細く白い腕が弧を描いてシュルリと腕に絡みついた。
声の主が腕を引く前にその腕はまるで手品のように絡みついた手に返され、勢いよく腕を掴みあげた。かと思うと一瞬のまもなく畳に、その体ごと音を立てて叩きつけられる。その衝撃にキョトンとした相手の体をシュッと回したかと思うと、澪はあっという間に体ごと相手を裏返して組み敷いた。捩じ上げられた手が悲鳴を上げるのも構わず組み敷きながら、叩きつけた衝撃で受身も取らなかった相手が気絶しているかもしれないと一瞬思考が澪の心を過ぎる。

「い…いってぇ!!何しやがんだ!!離せよっ!!」

予想外に激しい勢いのある声がその腕の下で乱暴にも聞こえる口ぶりで放たれて、思わず澪は薄暗い室内の僅かな光の中でその顔を覗き込む。初めて視認した声の主の姿はどう見ても彼女より年下だろう若い青年にしか見えない。特に何か鍛えている様子もないその体で、よく受身もとらずに気を失わなかったものだと内心感心しながら、冷ややかに表情も変えずその青年を見下ろす。
組みしかれた青年は畳と彼女に挟まれてあからさまに悔しげな表情で、何とかその腕の下から逃れようともがいている。やがて、どうにも出来ず終いに悔しげに澪を下から睨みつけた。
その姿に不意に微かな笑声が彼女と組み敷かれたままの青年の真横の暗がりから響き、澪は微かに視線を向ける。その暗がりの中には長身で細身の壁にもたれかかる青年らしき姿があった。その時初めて、その気配を感じて澪は微かに眉を潜める。

さっきの気配は、この二人のだわ。

その驚きを美しい顔の中に隠したまま澪は室内にいる四人の姿を順繰りにもう一度見回した。

「離せっつってんだろォが!!」

組み敷いた青年の声をあえて無視したまま澪は、きっちりとその体を組み敷いた手を緩めない。彼女を無言で見つめたまま身じろぎもしない正面の二人の古老の姿を厳しく冷ややかな視線で射抜くように睨みつけた。

「これが、あなた方の礼儀ですか。」

凍りの様に冷たく凛とした美しい澪の声に、やっと二人の古老はネジが巻かれ動き出したかのような印象を感じさせた。手際のいい澪を感心したように見て、ホッとくぐもった笑い声を立てた。やがて、二人のうちやや年嵩に見える古老が、笑い声を含んだ声で口を重々しく開く。

「朱雀殿は血の気が多すぎるのでな、申し訳ない。」
「朱雀…?」

古老の放った言葉を噛締めるように呟いた澪は、もう一度その腕の下で畳と自分の間に挟まれた青年の姿をまじまじと見つめなおしていた。
ほの暗い畳敷きの室内にはごく弱い光源しか存在しない。
最奥にいた古老の声に思わず腕の下に居る青年の姿を見下ろしながら澪が全く力を緩めないでいると、焦れた様な怒りの声をその青年が下から睨みつけながら張り上げる。

「いってェつってんだろ!!いい加減離せよっ!!」

畳に押し付けられたその青年が熱い熱気の様に感じる殺気を放つのを止めた事に気がついて、澪はその抑え込む手を緩めた。彼は捻じられた腕が痛むのだろう、腕を抑えながらキツイ視線で澪を睨みつけたまま少し体を退ける。やはりどう見てもその青年は二十歳になるかならないかにしか見えない。それは酷く幼く未熟な様にも見えて、澪は彼の姿をまじまじと見つめた。

「……んだよ。」

その視線に彼は負けず嫌いなのだろう、微かな殺気を含む視線で改めて澪を睨みつける。再び彼女に向きなおった青年の姿に、部屋の最奥にいる今まで口を閉ざしていた古老が高圧的な口ぶりで口を開きその動作を遮った。

「やめておけ、朱雀。」

先程のもう一人とは異なる傲慢な感じすら受けるその威圧するような声音に、ふと彼女は二人の古老に改めて、その場に背筋を伸ばして立つと視線を向ける。
その声の主の自分を見る視線に、何の理由もないのにふと嫌悪を感じている自分に澪は気が付いていた。それを知ってか知らずかその古老はそのまま彼女を見下ろす様にして言葉を繋ぐ。

「白虎は、今はなき古武術の最後の伝承者でもある。おまえ程度では歯牙にもかかるまい。」

その古老の威圧的な物言いに、目の前の青年の表情が今までとは違うものに変わる。それは先程までの彼女へ向けた殺気とはまるで違う侮蔑するかの様な酷く冷やかな表情で、彼女の耳に小さな舌打ちの音が聞こえた。そして、澪ともう一人にしか聞き取れないほどの小さな声で「くそ爺どもめ」と小さく呟いたかと思うと、まるで予備動作も見せずに鳥の様にヒラリとはるか頭上、床からは三メートルも高い場所にある太い梁に飛び上がる。その動作に内心酷く驚きつつも、澪は必死にその動揺を心の中で押し隠した。彼女は古老達と自分の傍に居る二人を見つめる。

この人たちは、本心から仲間という訳ではないのね。でも。

冷静に周囲の様子を判断しながらも澪は、最奥で相変わらず身じろぎもせず座ったまま自分を見下ろす古老を表情も変えず見つめた。古老が口にした、自分に向けられたと思われる名前を繰り返す。
ほの暗く鈍く彼女を照らす微かな光の中で、その表情は硬く凍りついたままだったが微かに声には戸惑いが滲んでしまう。

「白虎?」

澪のその声音に気がついた様子で最奥の上座に座る古老の片割れが目を細めた。最初に口を開き『朱雀』の名を口にした方の者が、ゆったりと遠目にも黒曜石の様に輝く瞳で、彼女を見つめながら「さよう」と囁く。その声音は酷く穏やかだが、どことなく得体のしれない感覚を抱かせる声音だった。


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