GATEKEEPERS  四神奇譚

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外伝 はじまりの光

第一幕 記憶

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竹林に落ちる闇は深く、そして酷く冷たい。
整えられキチンと間引かれているとはいえ、竹林は竹林だ。頭上の空は堆い竹の葉に覆い隠されて、星どころか夜空すらも見えない。足元は柔らかい腐葉土のわりに、所々硬く柔らかくを繰り返して酷く歩きにくかった。そんな暗がりを六歳の幼い足で駆ける抜けるというのはどう考えても酷く困難だ。それでも何とかその困難を乗り越えないとならないという強い思いが、彼の胸の中に深く膨れ上がっていた。
宵の帳の落ちる暗闇の中、その古めかしい建物には廊下を定期的な間隔で見回る人影がある。それらがどれくらいの間隔で彼の部屋の前を訪れ、どのくらいの行動をするかを一つ一つ丁寧に記憶していく。
どの見回りがどんな癖を持っていて、大概何処を見落としていくのか。それを丹念にくまなく記憶してから、彼は寝床にシーツと枕で人のように見える山を作り上げる。そうしてソッと部屋を抜け出した彼は見回りの隙をついて、物陰から廊下を横切り縁側の下に潜り込むと先へ進む。その先には広大な玉砂利の日本庭園と綿密に計算していた竹林が広がる山野が拡がっている。今まさに彼のいる屋敷が持つ敷地が、膨大な面積の中なのは彼自身理解していた。それでもまだ普通の道を歩き通すにも幼い足で、彼は必死でその望まぬ場所から遠ざかろうとしている。

ここから逃げなくちゃ……。

どうしても彼は自分の家に帰りたかった。
自分の家。
鮮明な記憶の中の家は、柔らかく暖かな光の中に佇む。そこが今どうなっているかは実際には分からなかったが、どうしても自分の家に帰りたかった。彼は望んでこの場所に連れてこられたのではないのだ。ある日突然黒塗りの車がやって来て、彼をここに連れてきてしまった。そして、それから彼は家に返してもらえないでいる。
暗がりの竹林はやはり足元が不安定で彼は何度も転び、栗毛に茶色の枯葉が絡みつき泥にまみれていく。それでも手足に出来る擦り傷の痛みも、何もかも構わずに必死でその建物から離れるために駆けた。
その建物の奥には今まで生まれてから一度も会った事のなかった彼の曾祖父がいた。六歳の彼からすれば恐ろしく年をとった曾祖父。初めて出会ったというのに、彼を抱き締めることも、頭を撫でることもしない。着物姿で真正面に座ったまま厳格で笑い顔すら知らないような曽祖父の冷ややかな視線。その視線で最初にかけた言葉は、よく来たでもなければ互いの自己紹介でもない。

「試せ。」

その愛情の欠片も感じない一言。そして取り出される意味の分からない模様の着いた紙。それを記憶しろと言われて、同じような紙の中から、記憶したものを中から探し出す。

「当たってます。」

無味乾燥したような声でそう告げられ、彼は不安げにこの意味を問いかける視線を向ける。しかし、目の前の老爺は一言もそれについて話すこともなく、次と事も無げに告げ同じことを別な模様で繰り返させた。

「全て、当たってます。」
「よし、次」

まるで機械のように男達は、彼に紙を押し付けキオクシナサイと機械仕掛けの道具のように繰り返す。それはやがて高度に難易度の高いものに刷りかわって行くが、彼は一度として間違うこともなく答えを出し続ける。それが終わったら彼は家に返してもらえるのだと、最初は考えていた。しかし、疲れきった彼にあてがわれたのは、その繰り返し記憶し答えさせられた隣の和室。

帰してくれないの?

そう疑問を口にすることすら許されない。しかも、戸を開けて入り口を探り歩けば着物姿の誰かに、捕まり元の部屋に追い返されるのだ。
その後に続く日々。
変わらない曾祖父の冷ややかな視線で射竦められ怯える。そこで彼の普通だった毎日が全て変わった。今迄の当たり前に両親と穏やかに過ごし、普通に幼稚園に通い友達と駆け回り遊ぶ日々が失われたのだ。
能面のように表情も変えない曾祖父の傍らで、覚えたくもない難解な汚いシミの様な模様をかわるがわる記憶させられる。ほんの僅かに違う何枚もの紙の中から、その記憶した一枚を選び出す。
それは実際には彼にとってとても容易い事だったが、それを延々と繰り返すこと自体が彼には苦痛だった。何の特になるのかも分からない同じ事の繰り返しは、やがて画像や文章様々な物で行われるようになる。そして次いで記憶した順番で何十枚もの紙を並べるよう強いられる。
それまで通っていた幼稚園の友達と遊ぶことも出来ず、同じ年頃の人間とも接することなく大好きな両親とも切り離された。何が起きたのかは分からないが、何かを覚え読み解くことより暖かい両親のいる家に戻りたい。彼はただ元の暮らしに帰る事をずっとずっと渇望していた。

ここを出れば。

実はその幼い歳に似合わぬ優秀な頭脳は、距離は兎も角この古い建物までの道のりを的確に完全に記憶していた。恐らくそれは、彼をここにつれてきた者も、彼の曽祖父ですら気がついていなかった。
何しろ連れてこられた時、本能的に彼自身ここまでを記憶してきたとは一つも口にはしない。しかも、キオクシナサイと渡された航空写真の中に、この屋敷近郊の写真があったことは彼にとっては幸いした。本来なら六歳の子供が航空写真を見て、その僅かな情報からそれが何処に該当する航空写真か判断するのはほぼ不可能だろう。ところが彼は道路の位置とビル、線路、様々な情報を平面の航空写真から、立体として認識出来た。
隔離され出してもらえない不快感を延々と与えられた彼は、ここ数日で頭脳の中で周辺の地形を計算し尽くした。
そして先に言った通り、建物を抜け出す隙を緻密に何度も計算し確認したのだ。彼の頭脳は六歳にしてそれほどまでに、卓越した非凡な才能を秘めていたのだった。

はやく…。

しかし、明晰な頭脳と子供の体力は全く釣り合わなかった。六歳の子供は、どんなに頭がよくても体も体力もやはり六歳の子供なのだ。
暗闇を転げながら走り続けるほどに、全身の傷が増え足は疼く様な熱を持ってズキズキと痛みを放ち始める。計算から言ってもまだ思うほど、あの建物から離れた訳でもないのは分かっていた。それだというのに、幼い体にはジワリと既に深い疲労の色が滲み始めているのだ。息を切らせ、頬を枯葉で擦り白い肌に血を滲ませながら、彼は必死で竹林を進み歩き続ける。どれだけの時間を闇の中を掻き分け進んだろうか、やっと樹木の陰に車の往来が微かに見え、彼は安堵の息をついた。

ここからは…道路に沿って、東に

竹林の間に僅かに覗く暗い夜空を見上げ息を荒げて疲労しきった足で、やっとの思いで深い竹林から抜け出した。公道のアスファルトに足を乗せた瞬間、疲労に予期せぬふらきをみせた彼の体をきっかけにして世界は一変した。
鋭く目を射抜くような強い白光。
その中で自分を抱きかかえようと飛び出した人影。
そして人影の暖かく、きめ細やかな滑らかな母によく似た白く細い腕。
長く黒いしなやかな髪が波打ち、不意に弾ける様に絹糸のように光の中で舞い散るように広がる。
そして、激しい衝撃という痛み。
気がつくと自分を抱き締める腕の放つ、優しく甘い香りと一緒に鉄錆の様な異様な臭いが鼻につく。彼の視界の中には浸み出すような闇の中にも光に赤い川が、自分を抱きしめる体の向こう側で路面に幾筋もの流れを作る。そして、闇の中で扉を閉じる鈍い音が響き、咆哮の様な音をたてて走り去る車のエンジン音。
彼は両足に燃え上がるような熱を感じ、同時に氷のような冷たさを感じる。体を動かそうにも自力では動かせる感覚がなく、なんとか動くのは首から上の頭だけ。そして暗がりの世界の中に、真っ白な肌をした人が目を閉じて、彼を抱き締めている。
全ては記録画像の様に現実感を伴わず、それでいて鮮明に知覚の向こう側で脳裏に記憶されていく。
今や彼に残されたのは恐怖と困惑、そして下肢に弾けるような痛みだけ。疼く様に脈打つ痛みだけがそこには在った。



※※※




鮮明な記憶の中で何度も繰り返されるこの情景。
夢と分かっていて、二度と変えられぬ記憶の残像。
ただ今も心の中で棘の様に深く突き刺さっている。

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