GATEKEEPERS  四神奇譚

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第一部

第二幕 土志田邸

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新月なのか月明かりのない夜の風の中で、気温は冬の気配をにじませて冷たくその青年の頬を撫でていた。ガラリとその背後からサッシを開ける音が響き、一人の人影がゆったりとした動きでベランダに出てくる。
かなりの長身に筋肉質だが均整のとれた体をした土志田悌順は暖かい部屋から出ると、微かに寒気を持った夜気の漂う外にブルッと小さく身を震わせる。そうして、先にそこにいた鳥飼信哉に片手の缶ビールを渡し、自分の分のプルタブを音をたてて引きあげた。

「院と連絡を取る気か…?」

微かに信哉の体が強ばるのが、隣りに感じられる。夜影の高層ビル群をはるか遠くに見つめながら、受け取った缶のプルタブを引きあげ信哉は少し口に含んだ。年少組とはいっても既に彼等も二十四歳なのだが、ガラスの向こうで二人で騒ぎながら鍋をつついて食事を続けている。手すりに両肘をついて遠方のビル群を何気なく眺め、溜息とともに信哉は小さく頷いた。

「何で?俺はあんま賛成できねぇな。」

幼馴染みの硬い表現を横にベランダの手すりに背をもたれさせて悌順は浮かない表情で室内を見やる。その表情を見なくとも彼の表情を知っているかのように、信哉は思わず苦笑した。

「安心しろ、直接正面から行く訳じゃない。」
「わーってるよ、それくらい。」

二人は冷たい夜風の中で、それぞれに物思いに耽る様にそれぞれの体勢で黙り込む。
数年前この二人は『院』という組織に『ゲートキーパー』として身元を確認されていた。先に確認されたのは白虎の鳥飼信哉、その三年後に玄武として土志田悌順。
二人は揃って数年の間、院に人体実験の対象として扱われることになる。特に白虎は特別な事情をもっていて、その実験は苛烈だったという。
玄武が人体実験の対象になって一年後、院の頭が世代交代をしたことで二人の人体実験の日々は唐突に終わりを迎えることになった。そうでなければ、土志田悌順は表の仕事である教師にはなれなかっただろう。そういう意味では傍目にも多彩な才能を持つ幼馴染みの信哉が、半ば世間から身を隠すように生活する理由の一端はその実験にあったかもしれない。
彼ら二人は自分達と同じ経験を、室内の二人には経験させたくなかった。だから、ゲートキーパーとなった者として、初めて院に逆らうことにしたのだ。彼らは身を隠し院との直接の連絡を取り合う関係を絶つ。実際にはその計画自体は、既に彼らの先代のゲートキーパー達が密かにすすめていた事でもあった。計画をタイミングよく実行できたのが、彼ら二人と今は亡き先代の朱雀だったというだけだ。

今では連絡も自分達から最低限しかとらなくするためと色々と骨を折ったのは既に昔の話だ。今や彼ら二人は院の信用できる少数との連絡しか受けていない。
実は四年前に青龍になった宇佐川義人と二年前に朱雀になった槙山忠志の二人は、院には名前どころか身元すら伝えないでいる。勿論院が本気で探し出す気なら、正直なところあっという間に二人は見つかるだろう。しかし、彼らゲートキーパーを探し出せる能力を唯一持つ星読と呼ばれる役目のものが、彼らの密かな協力者ならどうだろう。そして、院を束ねる現在の若い当主が、彼らの一番の協力者なら案外隠し通すのも可能なのだ。そんな事を何とはなしに夜風の中で二人ともが、思い出しているようだった。

「俺は……先代からこれ以上の事は聞いていない。何を忘れたか、考えても思いつかない。」

ポツリと呟いた信哉の言葉に悌順は無言のまま缶を手にその顔を見やった。静かな声だが、その声と表情には少しの悲しみが滲んでいる。それは彼自身が口にした先代という言葉のせいだろうと彼は気がつき、あえて何も言わないままに暗い天を振り仰いだ。

「そうなると、俺たちでもなく先代でもない、もっと以前に何かがあったという可能性がある。」

冷たい夜風に当てられながら、信哉の顔に何時もの感情を感じさせない冷静な表情が再び浮かぶ。その表情とは逆に穏やかにも感じられるほど静かな声音で信哉は、手元の缶に視線を落とす。これまでの数日彼自身が考え抜いて、辿り着いた結論をまとめる様に口にした。

「俺達が何を忘れたか分からないが、俺達には今残された手は一つしかない。」

その信哉の言葉が嫌になるほど正論で的確に的を得ているだけに、悌順は唸り声を微かに溢して手元のビールをグッとあおった。夜気に冷えたはずの体が昔の嫌な思い出に、微かに熱く怒りに染まったのを感じる。それでも納得が出来ないと言う感情をあらわにしたまま彼は、信哉の顔を見つめると憮然とした表情で見る。

「だからって、院で何が分かるんだよ。」

悌順が思い浮かべる玄武に成りたての頃の鮮やかな記憶は、院の施設に隔離されて自分に行われた毎日の検査と観察と言う名の監視。そして、悌順は無理やり見せ物の様に、再三強要され異能を使わせられた。人間が何もない大気の中で自由意思で水を生成する姿は、さぞかし面白い見世物だったのだろう。玄武が水気を持つからとはいえ、人間を重りをつけた状態で水に沈めるなんて正気の沙汰とも思えない。しかも、自分がそれでも死なずに水を操ってのけた時、正直自分は人間じゃなくなったんだと考えたのは事実だ。日常もないモルモットの様な八年前の人ではないモノとしての扱いの日々。しかも、自分は一年間で解放されたが、信哉は自分より三年も長くそれを耐え続けていた。人体実験は今でこそ失われたが、院は彼らの本来の仕事を未だ監視し続けている。

「俺は基本的に奴らを信じてねぇぞ、信哉」
「分かってるさ、ヤス」

信哉は目を細め、再び溜め息をつくと缶に口をつけると微かな苦笑を悌順に向けた。

「でも信頼できるものも今は少しはいる、そうだろ?」
「あいつらのやり口はかわらねぇし、俺は気にいらねぇよ。」

院が未だに仕事の監視を続けている事が、悌順に不審を抱かせている。悌順は彼らの仲間がいつか同じ目にあうのではないかと心配し、それが更に彼の院嫌いを更に増長させている気もする。

「しかし、向こうには俺たちの知らない古文書も少しはあるはずだ。友村や香坂に調べて貰うしかない。」

その言葉の後も暫く冷たく頬を撫でる夜気の中で、信哉と悌順はベランダで佇んでいた。信哉は残りの二人が楽しそうに騒ぎながら食事をしている室内に背を向けたままだ。悌順はキッパリとした口振りの彼に、ベランダに背をつけて缶をいったん口にくわえると、自分の短髪の黒髪をぐしゃぐしゃと乱暴に掻きまわしながら目を伏せた。

「くーっめんどくせぇ!何で先代からの口伝とかねぇのかな、俺らぁよ。」

悌順の言葉の本意が、自分の仲間を心から心配してのものだと言う事を知りつつ信哉は微笑む。水気の性質をもつ玄武である彼は、無造作でぶっきら棒で無神経に見えるし人をからかってばかりだ。しかし、昔から本当は酷く優しい。全ての者に優しすぎるほどに優しすぎて、それだからこそこうやって人のために怒るのだ。

「仕方ないさ。」

微笑んだまま信哉は穏やかに呟く。こんな悌順が教師として教えている生徒達は、さぞ学校が面白いだろうし信頼できるだろうなと心の中で思いながら。

「俺が四人揃ったのも偶然で、四神のどれかが空席な事はままある事だからな。」

朱雀の様にと信哉が言葉を続けると、悌順がふっと横で室内を見つめている気配が横にした。
五年前朱雀がまだ前任者だった頃、東方の守護者である青龍は既に空席だった。つまりゲートキーパーは三人だけだった。これは間々有ることでゲートキーパーと人外との戦いの末に先代朱雀が亡くなって少し経った頃に、青龍の力が次の能力者として宇佐川義人に宿った。それは信哉と悌順二人にとって、先代朱雀が他の先代達と進めていた計画を実行に移す最大のチャンスだった。青龍が身の回りの知己の者が役目につくという偶然には、言葉も出なかったが彼の素性を隠し通すには大いに役立ったのだ。同時に悌順の最後の血縁者で従弟である義人が新しい仲間になった事は、二人が院から離れようと改めて心から決心させた事件でもあった。それから二年の間、実際には朱雀の席は空席のままだった。やがて大きなニュースにもなったとある火災事故の後に槙山忠志が現れるまで、新しい朱雀の存在は生まれなかった。
言った通り空席は本来なら普通のことだ。信哉の様に先代が存命中に後継者として異能が引き継がれた事は、今まで例がない事だったという。室内の二人を見つめながら、それを思うと悌順は何時もやりきれない気持ちになる。何故なら、悌順は先代白虎である信哉の母親も信哉も物心つく前から知っているからだ。
今まで例のないという唯一の女性のゲートキーパー。
そして彼女が存命中に後継者となってしまったその唯一の息子。恐らく自分が異能を発揮した時とは比べものにならないほど、彼女や信哉が院の人間から酷い扱いを受けた事は容易に想像に足りた。だが、今まで信哉はそれについては一言も洩らした事がない。それが余計に、悌順のやりきれない気持ちに拍車をかける。

「まぁ、お前がそう言うなら仕方がねぇな。」

憮然とした表情で悌順が呟くと、微かに自嘲気味な笑みを浮かべて信哉は彼を見やる。目の前の悌順が何を思って何を気にかけているかは、長い付き合いの信哉にも良く分かっているのだ。

「すまんな、色々心配かけて。」

缶を咥えたままだった悌順は缶を手に持ちかえ、その体勢のまま乗り出す様にして信哉の顔を覗き込む。急なその動作に、信哉はわずかに驚いたような表情を浮かべる。暗がりのベランダで、だいぶ近い距離で見つめあうには幾ら信哉が美形とはいえ、やや色気が欠ける組み合わせだなと内心苦笑いしつつ悌順の心がぼやく。

「あのなぁ、言っとくけど。」
「な。何だよ?」

まじまじと信哉の顔を見つめながら、彼にしては珍しくからかいの気配もなく真剣な眼差しで、悌順は彼に詰め寄った。

「行くときは俺も行くからな。先走んなよ?」

その言葉に一瞬キョトンとした表情を浮かべた信哉だったが得心したのか、やがて彼には非常に珍しく破顔して柔らかな彼の美しかった母親によく似た美しい微笑を浮かべた。

「あぁ、分かったよ。」

珍しく素直な幼なじみの言葉に悌順は、よしとだけ言っニカッと笑うとビールを勢いよくあおった。幼馴染みの気の知れた関係で穏やかに時が流れている様な気がしていた、そんな空気を突然破る様に信哉のスマホがそっけない電子音で呼び出し音を奏でた。
着信の名前を見た彼の表情が微かに変わり、直ぐ様指が受話のために動く。その表情が今迄と打って変わって、何時もよりはるかに刃物じみた冷たい表情に変化して機械的にすら聞こえる声が呟いた。

「どうした?香坂。」

信哉の告げる名前に、目の前の悌順の表情も一気に険しく硬いものに変化した。何事か話を聞いている信哉の表情が見る間に凍りつき、さらに冷えて固まった金属の様に周囲の空気までもヒヤリと凍らせる。四方を威圧するような感覚を悌順に覚えさせるほどの気配が放たれ始める。心地よかった酔いは一気に冷め、悌順の目も厳しいものに変わっていく。

「あぁ、分かった。そうか……。」

その声すらも空気が凍りつくような威圧感をおび、それは二人の周囲の夜気だけでなく室内までも浸透した。室内の二人も信哉の様子に気がついた様に、不審げな表情を浮かべ腰を上げた。室内の二人に悌順が手でそのままでいろと制するのを横目に、ちらりと信哉は彼に意味ありげな視線を投げた。

「ああ、ちょうど今一緒だ。分かった、他の二人にも伝える。」

そう言うと通話を終えた信哉が無言のまま、顎でクイと悌順に室内に戻るよう示す。信哉は全身から何処か冷え冷えとした金属めいた気配を漂わせながら室内に戻る。

「何か…あったんですか?」

義人の不審げな声に信哉は無言でテレビのリモコンを手に取りテレビをつけ、手早くチャンネルを移す。パッと映り変わる液晶画面には、赤く目立つ臨時ニュースの文字が躍っていた。偶然には出来すぎる場所に居合わせていたのか、叫ぶような慣れないレポーターの声が室内に氷のように冷たく響き渡る。

『これ程の大事故は…!』

臨時ニュースの大きな文字の出た画面の中でレポーターが大きな声で叫ぶように声を張り上げていた。その背後には真っ赤な巨大な炎がうねり、森の向こうで木々を舐める様に禍々しく踊っているのが映っていた。

『現場は現在、暴風の為消防ヘリも飛ぶことができません。また火の勢いが強過ぎ…』

大分離れているのに炎の熱気が来るのかレポーターが、小さく熱いっと呻く。レポートの声の合間にマイクに木々のはぜる音が激しく響き、声を掻き消すように拾われ入る。炎はそれ聞いているのか、まるで喜ぶように踊り更に大きく膨れ上がっていく。炎は木々を舐める様に更に勢いを増す。

『炎の勢いが強すぎ、消防ヘリも近付くことができず消防活動も…』

勢い込んで叫ぶレポーターの声も暴風にかき消されんばかりで、負けじと更に叫ぶように声を張り上げている。その悲鳴の様な声を四人は凍りついたように身じろぎもせず、室内に立ちつくしたままでただ見つめていた。

『爆発後・出火した模様で、現場にいた数十名の安否は今も不明です!!』

レポーターがそれ以上近づけないためか、風に振られるカメラが必死に望遠で荒い映像で揺れる炎を映し出していた。しかし、画像が更に乱れたのに諦めたのか、明るい光にあふれたテレビ局内の画像に変わる。そこには大きな地図が映し出されていて、その地名に四人は呆然として目を見張った。その場所はつい先日四人がそれぞれに立ち、闇夜の中に実際に見た場所だったのだ。

「…んな馬鹿な。ゲートは閉じたのに。」

忠志が呆然として呟く横で、硬い表情のまま義人も目をそらさず画面に食い入る様に見入っている。

「再び、開くなんて…。それに僕らの誰もゲートが開くのを感知してませんよ?」

ゲートが開く微かな気配は方位にも関わるが、少なくとも四人のうちの誰かが必ず感知できるものだった。だからこそ、院とは表立って関係を断つこともできたのだ。こんな風に他から情報がもたらされるのは、信哉と悌順にとっても久々の事だったが、経験の浅い義人と忠志には今まで経験がない事だ。静かに画面を見つめたまま信哉が、重い口を開いた。

「ゲートが開いたわけじゃない。あのゲートの近くか先に恐らく人外が封じられていたんだ。」

その言葉に忠志が眉をあげる。再三、朱雀になってから『人外のモノ』という言葉を彼らから聞かされて、ゲートから沸き出るモノを見てきたが、封じられる程のモノとは始めてだ。

「ごく地脈に近い場所で底に落とされていたのを、堀当てちまったってとこか。」

悌順の苛立ち呻くような言葉に義人と忠志は驚いたように目を見張った。ゲートが開いた訳ではなく、ゲートの近くか先に恐らく地表に近い場所に封じられていた『人外のモノ』を、偶然に堀当ててしまう。それは何時の時代かに一時的に力を失って休眠状態で地の底に落とされていたモノで、過去のゲートキーパーが封じたのかも定かではない。それでも万が一の確率の災厄だった。
言葉のもつ意味に一瞬室内は静まり返った。
白虎と玄武は今までに数度人外と相対した事があるが、それを思い出して義人と忠志は驚いたように目を見張る。厳しい表情のまま悌順が玄武としての視線で、朱雀と青龍の二人を見据え頭をふりながらテレビ画面から目を離した。

「何にせよ、早くいかねぇとな、白虎。」

横に厳しい表情のままの玄武を感じながら、小さく頷いて白虎は彼と同じように二人を見つめた。彼の静かな声は、何時もにも増して硬く冷え冷えとして厳しく四人の間に響いた。

「いいか、二人は必ず俺達の言う事を聞いてから動くんだ。けして自分から、直ぐには戦うな。」
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