GATEKEEPERS  四神奇譚

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第一部

第二幕 都市下 真見塚道場

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ゲートキーパー四人が揃って活動した夜から数日。
あの後もニュースは台風がゆっくりと北上し温帯低気圧に変わったことの他、世の中の凄惨な事件ばかりを報道している。あの工事現場からは別段事故などのニュースもなく日々は大きな変わりはなく流れて、都下の片隅は穏やかな平日の長閑な静けさに包まれている。
そんな麗らかな陽射しの下、古くからの住宅地にある寺を背後に広大な敷地を有した一角。道路に面した表門の横には古風な威厳の感じさせる古びた木材板に筆書きで『古武術 真見塚流』と勢いよく達筆に書かれている。今では珍しい純和風な門構えの奥には石敷の小道が連なり、奥には古式ゆかしい佇まいの家屋に広大な庭。庭の方に敷かれた石敷の小道の先には、大きな建物が玄関とは違う入口を開いている。小道の両側はキチンと庭木の手入れがされ整えられて、日本庭園の趣すら感じられていた。
昼の午前というせいか庭の中の道場には人気はほぼないが、壁も床も光るほどに丁寧に磨きあげられている。そんな板張りに今も活気のある門下生を、指導しているのが一目で伺える。

古武術とは古くから続く日本固有の伝統的な武術の事を言うのだが、簡単に言えば剣術や柔術、忍術等があげられる。現在よく聞く高校などで学ぶ事のある柔道や剣道または合気道等は、古武術から分かれてできた新しい武術の事をいい、現代武術とそれらは呼ばれている。実際には古武術はその大本は時代を生き抜く為の実践的な攻撃が多く、現代ではその危険性から除かれた技法なども数多く存在しているのだ。門柱にあった古武術とは、そんな日本の伝統的な武術の総称をいう。大正時代に技術を磨くだけの『術』ではなく礼儀を重んじるものとされて『古武道』と呼び名が変わったが、表書きが変わらないのはそれ以前からここで道場を続けている証だろう。とは言えこの道場でも古来からの看板を掲げているものの、殆どの門下生は現代武術である合気道を学んでいる。それでも表書きが変わらないのは、道場主が認めた特定の者にだけ伝承という形で古武術・武芸十八般と呼ばれる物の中から特に組討術・和術などの伝承された武術を教えているからだった。組討術とは本来は捕手術の内の一つで、分かりやすく説明すると十手等の扱いを含めた技術のことである。現代で言えば警察官が必須としている逮捕術に相当する技術だ。和術は柔術と繋がるもので、基本としてこの道場で教える古武術は対人戦の中で捕縛に繋がる技術を教えているということになる。つまりは道場の開祖は恐らく公的な警察のような機関で、その捕縛に関わる仕事をしていて指導者となったと想定されると言うことだ。
現在の道場主である真見塚成孝は齢60前後の壮年に差し掛かる男だが、培った武術が体表から滲み出るかのような精悍な身体つきをして動きもゆったりとしなやかだ。ふと道場とは廊下で繋がる自居に座していた彼は、まだ誰もいないはずの道場に満ちる凛とした強い気配に腰を上げた。

芳しい畳の香りに溢れる道場の中には、射し込む日の光を相手に舞うような姿が一人そこにある。しなやかな舞うような滑らかな動きは畳を擦る音もなく、息を上げる気配もなく完璧と言うしかない。そんな古武術の組討の型を一人の青年が通しで演武していた。時に舞う様に緩やかに時には空を切るような激しく鋭い動きなのに足が畳を擦る音もたたず、息を切らすこともなく汗をかくでもなく、微かに道着のシュッという衣擦れの音だけが響いている。
この青年、名を鳥飼信哉という。
あの山間部の人気のない夜の闇の中で、白銀の衣装を纏い白虎と仲間達からは呼ばれていた青年である。
彼は事情があって現在は表立っては道場に通っていないが、過去に門下生の一人として真見塚成孝から直接指南を受けていた。現在も門下生でもないのに道場を使っているのは、成孝から自由に道場を使う許可を以前に貰っているからだ。一通り演武を終えても青年は鍛錬の賜物なのか、一つも息を荒げず汗もかいた様子もない。まるでこれから始めるかのように道着に一つも乱れもなく初めてシュと微かな音をたてて、道場の上座へ向かい正座するとしなやかな動作で誰にでもなく深く一礼した。門下生が来るにはまだ大分時間があるのを知っている青年は、背筋を正したまま目を閉じ深い溜め息をついた。細身の長身に整った顔立ちは、涼やかな眼元とあいまって女性でなくともハッとするほどの美形である。しかし、それでいてその体からは、どこか人を寄せ付けない雰囲気を放っている。

この間の、帰りがけに聞いた言葉が心をざわつかせる。

正座のまま彼は自分のざわつく心を抑えようと、目を閉じたままもう一つ深く息をつく。異装を纏う白虎と化した自分自身も何時の頃からか感じていた違和感、閉じた筈のゲートが何時までも開いたままのような臭いを四六時中感じていた。しかし、向かってみてもゲートは閉じられたまま。それなのに何処か腑に落ちない臭いが、そこにはまとわりついている。それを仲間の言葉で改めて指摘されたという事は、信哉自身がよく分かっていた。

忘れている…何かを…。

静かな空気の中、まだ強い凛とした気配を放ちながらポツリと信哉は心の中で呟く。そうやって思いにふけり目を閉じていると、既に故人の実の母の顔がうっすらと脳裏に浮かぶ。



※※※



今まで例のない先代白虎。
そう呼ばれる事を最も嫌った歴史上唯一の女性の能力者だったのが、彼の母鳥飼澪だった。そして彼女は白虎となる前に自分という直系の血縁者を残した。尚且つ彼女は忌の際ではあったとはいえ存命中に代替わりし、能力は更に前例のない実の子供に引き継がれた。
歴代のゲートキーパーは母以外は、皆男性と記されている記録がある。この記録がどこまで信憑性があるかと言われると疑問は残るが、記録の保管をしている者は嘘をつく必要性がないので信憑性が高いとは言っている。しかも、この記録では能力を得る条件だと考えられている1つに、当人以外の血縁者の存命率が概ね零に等しいことが分かっている。つまりは天涯孤独の者が能力者となる条件の一つで、遺伝性の可能性を限りなく低くしている。とは言えこの能力を得てから結婚した例は幾つか記録にあったようだが、例え結婚しても伴侶が短命であったり異常がなくとも子供を成さないままだったとしか残っていない。組織である『院』と呼ばれる場所に密かに残される記録となれば、能力者の子供は諸手をふって手に入れたいものだろうからこの記録は恐らく真実なのだろう。
母は院という組織を嫌っていた。
母が能力者として院に確保された時には、既に信哉が産まれた後の事で白虎になる前に産まれたのか、なってからの子供なのかで騒動だったという。結果として白虎になる前の子供だということで信哉は隔離されるとはなかったが、実際にはその点は疑わしい部分もある。それに女で能力者となった途端、他の能力者と婚姻するよう手配しようとした者もいたと聞いたこともある。能力者が産んだ子供だからと、やはり幼かった能力が継がれる前の自分を検査対象にしようとした者もいたらしい。そんな非人道的な組織のあり方を、澪は心底嫌っていた。
そんな母から、白虎として代替わりした更に異例な自分。
信哉が十七の時に亡くなる直前の母の目の前で異能が出現した、あの時の澪の悲鳴の様な声が心に刺さる。

『そんな!貴方は関係ないはずよ!!』

ふっとその言葉を振り払うように背筋をまた正し首を振り、信哉は再度深い息を吐いて思いを馳せる。
そうして目の前で代替わりした自分に、死の瀬戸際で母は涙を流した。それでも、彼女は彼女が知りうる全てを教えてくれた筈だ。だが、その中にゲートキーパーとなった者が知らない事は、ほんの僅かしか無い。そのほんの僅かも対して驚くような事柄でもなく、自分達が能力者である内は障りのないことなのだ。今のゲートキーパーの知識の大部分が信哉自身が教えた事なのだから、それは当然で忘れていると思える何かは微塵もなかったように思う。あれから何度思い起こしても、それらしき言葉は記憶に全くなかった。
つまりは伝えられなかった何かが、長く続く前任者達の過去に存在していた可能性があるかもしれないということなのだ。



※※※



道場の中で静かに背筋を伸ばし正座をしたまま信哉は静かに目を閉じて、過去にそして先日の事を思い返す。青龍が告げた言葉は、玄武から既に聞かされていた。そしてそれは白虎である自分自身も、何となく気にしていた事だったのだ。

≪忘れている何か≫と、そしてゲートが開く頻度が何故こんなに増えてきているのか。

疑問は後から後から湧いてくるようだった。そして、脳裏を掠める自分によく似た母の瞳の面影。白虎の影。

それにしても、母も自分も何と奇異な星の下に生まれた事だろう…

つい心の中で呟き、またその考えを振り払おうと深い溜め息をついた。どうも考えは堂々めぐりして、考えても仕方のないような気持にすらなるのに眉根が顰められる。

「信哉。」

いつの間に来ていたのか道場の入口にフラリと現れた道場主・真見塚成孝が、道着姿で信哉を見つめていた。その声に考えを中断して目を開けた信哉は、陽射しの中に立つ道場主を静かに視線を向ける。

「珍しいですね、こんな時間に先生がこちらにいらっしゃるなんて。」

冷静で静かな信哉の声音に成孝は憮然とした表情を浮かべ、彼に歩み寄るとどっかりと目の前に胡座をかき座った。膝に肘をつき頬杖をつきながら、成孝が不満げに呟く。

「二人きりの時くらい、親父と呼べ?信哉」
「俺は、ここの子供じゃありません。先生の子供は孝です。」

冷静な視線は変わらず信哉は、慣れたもので目の前の男性にそっけなく言い放つ。
信哉は幼い頃から、澪が告げる迄もなく自分が誰かの妾腹の子供である事は知っていた。しかし、自分が通う道場の主が父と知ったのは彼が十二歳の頃だった。既に小学生になる前には目の前の成孝に直接古武術を師事を受ける事を許され、十二歳にして師範以上の能力を発揮し古武術も習得した異例の存在。天才とそう周囲に賛辞を受けると同時に悪意のある嫉妬に、自分の出生を知らされたのは随分昔になる。その同時期に真見塚の家の本妻に、孝という異母弟が産まれた事も知った。
それを知って天武の才と言われた才能がありながら、彼は道場に表立って通う事を止め門下生である事も自分から辞した。ただ、正式には門下生ではないが、初心をかえりみる時や迷いが心にさした時、こうやってフラリと道場を訪ねる事を許され一人鍛錬を重ねている。

「久々に組み手はどうだ?信哉」
「結構です。」

とりつく隙も見せない会話だが、相手を憎んでいる訳ではなく、組み手をしないのにも信哉なりの理由が存在する。

「そろそろ門下生も来る時間でしょう」

成孝を憎み切れなかったのは、肉親の情かそれとも何処かこの人好きのする雰囲気なのか、それは今も分からないが信哉はふとほろ苦い笑みを浮かべた。成孝の気持ちは信哉自身よく分かっていたが、今下手に成孝と手合わせすれば自分が昔とは違い過ぎる事に元の師匠でもある彼には感づかれてしまう。しかも、自分の異能は体術に特に顕著な変化をもたらしたから、どんなに手加減してもただの人である成孝に大きな怪我をさせかねない。

「つまらん息子だ」
「孝とすればいいでしょう?アイツだってかなりの腕になった。」

そろそろ十七歳になる異母弟の名に成孝がむぅと唸り声をあげて黙り込んでしまう。信哉はその隙をついて退去の言葉を言うと、迷うことなくその場を歩み去った。
成孝は母澪を軽んじたわけでもなく、様々な偶然の積み重ねが成孝と母澪の二人の縁を結ばなかったのを今の信哉は充分に理解していた。成孝は母を弄んだわけでもなく、母も彼を愛していなかったわけでもない。ただ、偶然の積み重ねが二人を裂いたのだ。だから成孝がこうして特に自分に目をかけるのは、自分に向けられた彼なりの愛情表現なのだとわかっている。
母が故人となり十一年、二十八歳になってやっとそれに気がつけるようになった自分に、信哉は苦く笑いながらそっとその苦さを噛みしめていた。

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