GATEKEEPERS  四神奇譚

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第一部

第二幕 同時刻都市下 土志田邸

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都下の片隅のマンションの一室で、本来の年齢よりずっと幼く見える顔立ちの華奢な体つきをした青年は、ふと読んでいた本から視線をあげた。
窓の外には澄んだ十月の空がどこまでも澄んで蒼く広がり、微風にベランダの洗濯物が気持ち良さげに揺れている。しかし、その瞳は青空をじっと見ているようで実は見ておらず、まるで何かが遠くに見えているような不思議な視線を浮かべる。そして、その視線は何かを見定めようとしているかのようにスウッと目を細めた。
宇佐川義人は世にも不思議な視線を浮かべながら、同時に自分の中で息づく何かがザワザワと漣の様にざわめくのを感じていた。

また…だ。

血管の中を自分の知らない何かが漣となって動き、全身にざわめきを起こしている。しかも、それはゲートが放つあの焦燥感にも似ているが、何処か子供が翌日の遊園地の期待感に落ち着かないのにも似ていた。

何なんだろう、この感じは。

宇佐川義人は産まれたと同時に母が故人になったため、気がついた時には父子家庭だった。しかし、父がカメラマンという職業の特性で世界を飛び回っていて、母の姉である土志田の伯母夫婦に育てられた。昔から親がわりに育ててくれた伯母夫婦は、義人は勘が鋭いとよく言った。自分自身は分からないが、自分達が帰宅する前に当然時間どころか玄関を開ける鍵のタイミングまで見て知っているようだと伯母達は笑っていたものだ。何の事はない仕事から帰ると義人がタイミングよくドアを開けて来るので、よく驚かされた事が理由らしい。その息子の土志田悌順も、今でこそすっかり慣れてしまったが義人の勘の良さに幼い頃はよく目を丸くしていたものだ。

土志田の両親が悌順が大学生の時不慮の事故で急逝し、次いで自分の父親も数年の内に事故で急逝した。土志田も宇佐川も親戚に急逝が多く、今では従兄弟二人しかハッキリと血縁とわかるものはいない。現在そんな訳と他にも幾つか偶然も重なり、土志田悌順と義人は同居人という形で落ち着いている。元々一緒に住んでいた土志田家も未だあるのだが、悌順がそこに住みたくないと行ってマンションをルームシェアで借りることにしたのは数年前の事だ。恐らく従兄弟とずっと暮らしていたその家は、思い出が多すぎて悌順自身も辛くなるのだろうと義人は思う。義人自身も預けられ暮らした家を見ると、自ずと涙が溢れそうになるのだから。

それにしても正直に言えば悌順と義人にそれぞれ能力が宿ったと言うことについては、義人は内心では偶然にしては出来すぎていると常々考える。幼馴染みの鳥飼信哉も実はそうだと聞いて、先ず考えたのは何にしても出来すぎだという考えだけだった。

方や生まれついて天才的な古武術の才能を持った幼馴染み。
方や柔道で国体選手に選ばれ行く末はオリンピックかと騒がれまでした従兄弟。
次いで、小さい頃から恐ろしく勘のいい自分。
三年前に仲間入りしたもう一人の青年は別段特殊な所はないと本人は言ってはいるが、正直なところそれを言葉通りに受けとることは流石の義人でも無理だ。何せ学校は違えど同じ歳の槙山忠志の事は高校生の時に聞いたことがある。隣の都立第二の槙山と言えば同級生の何人かは、あああの体操部のと答えるはずだ。
義人は溜め息混じりに考えながら、普段の癖で義人はそっと両方の目を手で塞いだ。
四年前に義人の体内で不意に出現した異能によるせいなのか、ただでさえ鋭かった感覚が更に研ぎ澄まされ今や自分でも気味が悪くなるほどだ。特に視覚に関して言うと、何時か壁の向こうでも透けて見えてしまうのではないかと不安になる。
日常に仕事として看護師をしている分、観察眼のよさに関して言えば利点も多いのは事実だった。体調を悪くする前に体の不調を見抜けるのは看護師として有益ではある反面、時には見抜きすぎて不審の目でも見られる。それは、青龍の気のせいか・木気のせいか、はたまたただ吹き付ける風の戯れなのか怒りにも似た気持ちで瞳を塞ぐ。やがて義人はフウと溜息をついて顔をあげると、読む気の失せた本をパタンと閉じた。住み慣れた室内は何処もきちんと整理され掃除も行き届き、住む者の几帳面な性格をうかがわせる佇まい。日の光の射し込む明るい室内で義人は、明るい木目のフローリングの床に視線を落とした。

勘の良さも度を越せば普通じゃないんだよ。

だから義人はあえて大きな病院ではなく、外来診察のみのクリニックに看護師として勤めている。既に看護師の免許をとった時には、義人はゲートキーパーになって既に三年が過ぎていて信哉と悌順のサポートもあった。それでも、やはり気をつけないと色々と気取られてしまう事も出てくる。穏和なクリニックの院長や長年勤めている年嵩の看護師は、何度も義人が非凡な観察眼を発揮するのを見てきたが敢えて何も言わないでくれていた。同時に二年ほど前友人の紹介でクリニックで働くようになった一つ年上の同僚も勘の鋭いタイプで、色々気がついている節はあるが見ないふりをしてくれている。だがどれも皆義人を思って、見えていても見えないふりをしてくれる優しい人ばかりだからだ。信哉も悌順も忠志だって、それぞれに日常を送るのに苦労しているはずだ。そう考えて、義人は少し哀しげに心の中で呟く。

僕らがどれだけ普通を願っても、そうはいかない

その考えは厳しくも優しい義人の心に楔のように突き刺さり、彼はふと仲間の事を思った。
看護師である自分と青龍である自分。文筆業を生業にしている白虎、高校で体育教師をしている玄武でもある同居人・今は定職はないものの夢を追う朱雀。それを考える義人には、普通に普通の人として生きたいと願っても、叶うはずもない事が良く分かっていた。無意識に膝の上に手を組むと、再び義人は目を閉じる。そうしていると、自分に異能が現れた日の事が昨日のことのように思い出される。

父の死の知らせが届くより前に、突然堰をきるように体の内から湧き上がる力の存在がわかった。体の奥から吹き出した力が、風に変化し自分を中心に四方に放たれていく。体の中に植え付けられた種子の芽吹くような、何かが解放される強い解放の感覚。そして、同時に心に植え付けられた強い使命感の出現。

聞くと仲間でも感覚はそれぞれ違うのか、表現が異なっているのに後から気がついた。玄武は自分の奥から水が沸き上がるような感覚だったというし、白虎は自分の奥が冷えきり刃物で切られるようだったと表現した。朱雀には聞いたことはないが何と言うか想像できる気がするし、あまりその頃の話に朱雀はまだ触れたがらない。まだ、たった二年前ちょっとのことの上、朱雀は目の前で起きた出来事を乗り越えるには時間がまだ足りないのだろう。

何故自分達は、この異能に選ばれたのか。

何時も義人は最終的にそれを思う。玄武と白虎は、今の代のゲートキーパーは異例な事が多いのだと言った。でも、それがどういう意味なのか彼も朱雀も詳しくは聞かされていない。何故自分達は選ばれたのかと考えていた義人の脳裏に酷く苦い思考が囁きかけた。

皆血縁…家族というものに縁遠い

既に四人が四人とも両親はいないのは、それぞれの付き合いからもわかっていた。しかも、親戚らしい親戚もいない者ばかりが、仲間として活動しているのは分かっている。能力は遺伝はしないと言われていると白虎は話したが、その顔が苦渋に満ちていたのは分かっていた。遺伝しないのであれば、自分と悌順が選ばれたのは偶然になるからだろう。それを思い出した瞬間、義人は不意に激しい嫌悪感に包まれた。まるで、能力を継ぐものの選択が何者かに好きに操られているかのような気分がして、義人にしては珍しく露骨な嫌悪の表情を浮かべた。それは一瞬にして自分の周りの暖かさが白く凍りついたかのような感覚で、見慣れた部屋の真ん中で義人は体を震わせていた。

血縁…家族というものに縁が薄いから……?

その考えは強い嫌悪感になって宇佐川義人の心に暗雲をもたらした。先代についてはあまり詳しい話を白虎も玄武もしたことがない。実際に自分がゲートキーパーになった時には朱雀の能力者は既に故人だったし、青龍の能力者も当然存在しなかった。二人は自分達の前任者の話を一度もしようとしなかったが、実際はどう考えても交流があった筈ではないのか。

今になってこんなことに気がついて、今までの人たちはどうだったんだろう、そんな考えがどうしても離れなくなったのは何時からだろうか。

その思いは義人の心に深く咬みついている。義人はその考えからどうにか逃れようと首を振った。まるでそれを知っていて狙ったようにスマホの微かなメロディが響いて、空気が変わるのに義人はホッと息をつく。

「はい・もしもし?忠志、どうかしたの?」

ディスプレイに表示された槙山忠志の名前に、内心ほっとしつつ義人は無理に明るい声を出して問いかけた。そんな義人の様子を知ってか知らずか、電話の向こうでは何時ものあっけらかんとした声が悲鳴じみた嘆きを始める。明るい能天気な元気のよい声が必死に懇願している姿が、目に浮かぶようで義人は笑みを浮かべた。

「また?君、ほんと金銭感覚大丈夫?」
『ああ、それは言うな!分かってるけど男には引くに引けない事があるんだってぇ!分かるだろ?!』
「はいはい、引けなくなって給料日までもたないなんて、男としてどうなんだろうねぇ?」

図らずも少し皮肉がこぼれおちるのと同時に義人の心を包んでいた嫌悪感が、忠志の声のお陰で薄らいでいくのを感じた。
義人の同居人とはまた違う意味で、忠志は人を明るく元気にさせてくれる雰囲気を何時も放っている。だから、友人も多いのだろうし、二年前ほどに大きな事件を起こした幼馴染みを未だに律儀に見舞いに行っているのも知っていた。それに忠志は自分たちの境遇なんて関知しない様に、まだ真っ直ぐ自分の夢を追っていられる。そんな忠志の芯の強さが、義人には凄く羨ましい。

『だぁからぁ!お願い!義人さまっ!』

ただ、夢を追いかけるのはいいのだが、アルバイトで収入が間に合わないのは珠に傷だ。勿論、ゲートキーパーのせいで夜に充分なアルバイトに入れないという事情もあるのだろうが。
こういう時の忠志は同い年だというのに、まるで手のかかる弟。弟とはいっても実際は同い年だし、体格は彼の方がずっと良いのだが、義人は思わずくすくすと声をたてて笑った。

「仕方ないな、いいよ。じゃぁ買い物は手伝ってよ?」
『やった!流石義人さまっ!』

電話の向こうで上がった歓声に忠志の喜ぶ姿が見えるようで、またこんなことしたら甘やかしすぎだと信哉さんに怒られちゃうかなと一瞬考えが過ぎり、義人は苦笑する。

『じゃ駅前のEIYUで四時な?』
「うん、分かった。そこで待ち合わせで。じゃ。」

電話を切ると義人は気分を切り替え、立ち上がって一つ大きな伸びをする。その後一瞬だけ窓の外に視線を向けて、何かを振り切る様に歩み去った。



※※※



その二人の取り合わせは奇妙なものだった。
金に近い淡い茶髪に黒系で統一した服を着る眼元の鋭くきつい青年と、その青年より十センチ以上も背の低い華奢なシャツとジーパンのラフな格好をした童顔の青年。槙山忠志と宇佐川義人の組み合わせは店内ではかなり奇異で浮いて見えるが、実はこの店内では有名な定期的に見られる組み合わせでもある。
一見したら、ちょっと素行の悪いお兄さんに暗がりに連れ込まれ、怯えながらカツアゲされる青年という感じに見えなくもない。しかし、買い物の様子を見れば主導権が義人にあることは明白で、子供のようについて歩く忠志が時折それは食べれないとかそれが食べたいと義人に懇願している。その異様だが微笑ましくもある姿が、余計に彼らを目立たせる。それに先に言ったが、この二人の組み合わせは有名な名物の一つなのだ。

「俺、シイタケ嫌いなんだよなァ。」
「ホント、好き嫌い多いね、忠志。」

呆れた様に大量の食材を手早く義人がてきぱきとエコバックに入れている手元を、忠志はただ見ている。以前適当に詰め込んで豆腐と卵を駄目にしたことがあって、その場でお説教された忠志は学習したのか下手に手は出してこない。そんな最中ふと店外に目を向けた視線の先で、その姿に気がついたのは義人のだった。

「忠志、信哉さんだ。ちょうど良かった、呼びとめておいて。」

ガサリとエコバックと買い物袋の一つを両手に押しつけられた忠志は、外を見やると納得した様に、「はいよ」と言うと残りを詰める義人を置き去りにして先に店を出ていく。街の往来で躊躇いもなく忠志が道の真ん中に出ると、目の前を通りすぎて歩くの背の高い人影に背後から大声をあげた。

「おォい!!信哉ぁ!!」

拡声器でも使ったように大通りによく通る大きな声に、思わぬ場所で思わぬ呼びとめられ方をした信哉がギョッとした様に驚いて振り返った。道着とは全くイメージの違うラフなトレーナーとジーパン姿という普段はあまり見ない軽装で、スポーツメーカーのデイバックを肩にかけた彼の視線の先に忠志と後から追い付いた義人が加わる。

「二人一緒でどうしたんだ?義人、忠志。」

容姿のわりに鋭い眼元に人懐っこい笑顔を浮かべた忠志が、毛質の固そうな茶髪の頭を無造作に掻きながらあっけらかんとした口調で言う。

「いやァ、俺・金欠でさァ。義人とヤスん家で飯食わせてもらうんだ。」

呆れた様に信哉は忠志を見下ろす。
忠志も身長は百八十センチはありそうだが、信哉の視線は、それより目線一つ高く一瞬刃物のようにひやりとする光が信哉の双眸に閃く。

「また、バイトさぼってクビにでもなったんだろうが、フリーター。」
「ちっげーよォ、サボってねーし、夜あっちが忙しくてシフトに入れなかったからだって。それにフリーターではない!ミュージシャン志望と言ってほしいなぁ信哉。」

微妙に聞いていると怪しい会話に聞こえなくもないが、二人のこんな会話は何時もの事だ。なので温和でおっとりとした微笑みを浮かべながら、義人は二人のやり取りを見守っている。信哉も義人も何も言わない事を良いことに、忠志は先陣を切って買い物袋を手にズンズンと歩き出す。

「あんまり忠志を甘やかすと、マンションにいつかれるぞ?そうしたらちゃんと家賃を貰えよ?食費代込みでな。義人。」

呆れた風にそう言って信哉は何を言うでもなく義人の片手から大きいほうの荷物を持ってやる。そんなさり気無い気遣いをする彼に義人は、にっこりと笑って「信哉さんも一緒にどうぞ。」と言う。どうやら、この大量の食材は最初からその予定で買い込み、偶然タイミングよく自分を見かけ声をかけるに至ったらしいことに気がついて信哉は苦笑した。
世の奥様方の買い物時間の最中、それぞれ大いに人目を引く男三人が揃って立ち話をするのに好奇の視線が注がれる。特に素行が悪そうに見えるが実は素直な忠志の声が通るので、更に周囲から浮きたってしまっている事に気がついて義人と信哉は好奇の視線から逃れる様にそそくさと先を行く忠志を追って歩き出す。

「……先日は、遅れちゃってすみませんでした。」

横を一緒に歩きながら義人が重い口を開く。彼は気が付いていないが、さりげなく歩調を緩めていた信哉は、穏やかに微笑みながらその顔を見下ろした。

「別に四人揃ってまでするほど大したことなかったんだぜ?なァ、信哉。」

いつの間にか歩を緩めて二人に並んだ忠志が、両手に荷物を大量に持っているとは思えない身軽な動きで振り向きざまに笑いながら言う。

「あぁ、そうだな。気にしなくていい。」

穏やかに諭すように義人にそう言ってから信哉は、冷ややかな視線で目の前の忠志を見る。

「俺は、お前が月初めで金欠になっている事の方を気にするべきだと思うが。」
「うわァ、ひっでぇ!信哉、俺と義人と態度違いすぎねぇ?」

ブーイングを始めた忠志を、更に冷ややかな視線で射すくめて信哉が止めの一矢を放つ。

「文句があるなら、二十四歳らしい言葉と行動で反論してみろ。」

スパッと言葉で一刀両断されて忠志は、これが今どきなんだよとブチブチ文句を呟きながらとっとと先に歩を進める。その後ろ姿に気取られないように微かな笑みを浮かべていた信哉が、道先の公園の上空が微かに茜の夕暮れ色に染まるのを目にとめ、視線を空に向けた。
ふと、再びあの思いが心をよぎる。

何を忘れているんだろう。

「何を忘れているんでしょうね?僕達。」

ひゅうと風が頬を撫でた。自分が思っていた事をそのまま言葉にされ思わず信哉は立ち止まり、同じく立ち止まっていた義人に視線を向けた。先を歩いていた忠志も同じことを考えていたのだろう、凍りつくように微かに不安を滲ませた表情で振り返り立ち竦んでいる。見れば、その頬を撫でる風は義人のの体から放たれ、その龍の瞳は、夕暮れの中にもかかわらず微かに青味を帯びた水晶のような輝きを放っている。二人はその瞳を見つめながら、あの時もう一人の仲間玄武が感じたのと同じ、微かだがにじり寄るような冷気を感じていた。

何かが起きようとしている…いや、もう起きている…?

そんな強い気持ちが、それぞれの心の中で強く輝くように閃いていた。

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