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30代の話 Terminal
63.オーバードーズ
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全ては闇の中に消え去った。
記憶も感情も、何もかもが闇の彼方に存在して意識の中には何もない。
機械的な人工音だけが傍にあり、痛みも何も存在しない世界だった。
何かを見た気もする。
何かを感じた気もする。
だけど、それに身を委ねようとした意識を引き戻す何かが存在していた。
意識が世界を知覚した時、それはまるで意味を成さないものだった。
それがやがて苦痛を伴う痛みに変わり、得体の知れない恐怖になって意識を貫いた。
委ねようとした何かは既にはるか遠く、やがてその全ての先で知ったのは多くの苦痛だった。
体の痛み、喉の痛み。
それだけでなく動く事のできない関節の痛み。
呼吸を自分ですることの出来ない痛み。
無理矢理膨らまされる肺の痛み。
首も固定されているようで、同じ向きにされる痛みが走る。手も足も鉛のように重く、それ以上に指先すら動かせない。意識があるのに腕を微かに動かす事すらできなかった。
それは、やがて自分自身が四肢をベットにきつく縛り付けられているからなのだと分かり始めた。その上口元には気管の奥深くまで入り込んだ管で顔すらも固定されていたからに他ならない。だがそれも、後になって理解できたことであり、その時の自分はただ朦朧とした世界の中で苦痛に喘いでいた。
ナニガオキタノ?ダレカ…ワタシハダレナノ?…タスケテ…ダレカ!
全てを失った世界は、自分を怯えさせ苦悩の渦に巻き込んだ。
意識の沈降と浮上を何度も繰り返しながら、やがて意識は自分の回りにあった時の流れがゆっくりと近づき始めるのを感じる。それは更なる苦痛と苦悩を産みだしながら、やがて彼女に自我を取り戻させていく。
私は、生き残った。
400以上にも及ぶ錠剤を噛み砕き飲み干した私は、嘔吐した吐物を気管に詰まらせて窒息し死を迎えようとした。だが、その日に限って運命のめぐり合わせは、父を普段よりも一時間以上も早く帰宅させ、私の母親も普段の倍以上も早くに帰宅させた。それは毎日を知っている私にしてみれば万に一つ程の偶然の積み重なりで、殆どありえない出来事だった。その結果私はほんの数分にみたない間、呼吸が止まった状態で発見されたのだ。
私は直ぐ様父が呼んだ救急車が駆けつけるまでに、母の手で救急処置をされ息を吹き替えした。その後も停まりかける呼吸に救急病院に搬送され、気管にチューブを挿入され人工呼吸器をつけながら数日死の淵を彷徨った。
そうして、医師に最悪の事態を考えておくようにと宣告され脳死状態になる確率か高いと言われた私は奇跡的に帰還した。それは多くの偶然である必然が重なった結果だったのだ。
そうして私がハッキリと自我を取り戻したのは、四日の意識不明から回復した後のことだった。しかし、周囲が私が意識があることに気がついたのは入院して六日目の朝の事だった。そこまで二日間、意識を取り戻すと同時に味わった事のない苦痛の中で私は声にならない声で叫び続けていた。
ダレカタスケテ!!イタミヲトメテ!イタイ!!
それは今までにない矛盾した願いだった。
それが矛盾した願いである時がついたのは、私自身もっと先になっての事ではあった。しかし、呼吸すらも自分で出来ない苦痛の中の世界で私はもがき喘ぎ足掻き、悲鳴を上げている。そして、それは自分がどうしてそうなったのか理解できない世界では、ただ逃れる光を求めて闇を彷徨うようなものだった。
※※※
やがて意識が戻り自我が蘇る。
自分が自分であると自覚すると共に、痛みが和らぎ体の症状が落ち着くのが分かる。挿入されたチューブに押し込められる空気に反発して、自分で呼吸ができる事をやっとの事で証明するのに二日間もかかった。視線かあったと思っても、周囲は私の視線に気がついてくれないのだ。チューブを噛もうにも口にはそれを防ぐ器具がはめられていて、舌しか動かない。手足を動かそうにも拘束具で固定されていて、意思を伝えるほどの動きにならない。しかも、意識かないと思っているからか看護師の言葉や処置の手荒さに心と関節が悲鳴をあげる。
「あれ、意識ある?」
その声に必死に瞬きをするが、もう一人の看護師が気のせいでしょと鼻で嗤う。そうされていることに、私は心底恐怖した。意識があると気がついてもらえないままだったらどうしようと怖くてしかたがなかった。その部屋は24時間真っ白に光が当てられていて、どれくらいの時間が過ぎたのかもわからず私はただ怯えていた。
そんな中で自分は私であることが認識されて、世界を知覚し始める。時に手足を縛っていたものが外されるのに、意思を伝えるほどに力の入らない手足を恨めしそうに眺める。私の周囲の時間は私だけを取り残して、矢のように過ぎていった。そうしてやっとの事で僅かに指先を曲げ伸ばしした頃、どこか見覚えのある顔が私の瞳を覗き込んだのに気がついた。
「アキコ、少しよくなった?」
どこかで聞いた声が私の頭を撫でる。その手の温度に私は雷に打たれたように、その人に向かって目を向けた。私とその人の視線があったと思った。そうすると、看護師と違ってその人は私の瞳を覗き込むように近づく。
「アキコ?見えてるの?」
目を覚めて初めて分かってもらえた事に、私は激しく瞬きをして僅かに動く指先を曲げた。その人は意思表示をする私に泣きながら頭を撫でる。
「アキコ、分かってるのね?どうしたの?痛いの?」
イタイ!!イタイノ!イタイノケシテ!!タスケテ!
私は必死に訴える。
気がついてくれた人が一生懸命に、痛む場所を当たらないようにしたり位置を治してくれる。触れるのは暖かい手だった。とても暖かくて、私が知っている手だった。
オカァサン……。
心のどこかで呟く声に私は自分が涙を流しているのに気がつく。目の前の人は私の母だった。私の意識があることに最初に気がついたのは、誰でもない自分の母だったのだ。涙すら拭えない私の頭を撫でながら、看護師に私の意識があることを伝える母の姿を感じながら私は暫く泣き続けた。
自分の自我に気がついた時、自分の中にあった矛盾に私は心の奥底を震わされるような気がした。自分が死ぬために行動を起こしたのに、私はずっと死にたくない・助けてと叫び続けていた。
私は死にたがっていない…。
それは明確な矛盾だった。
私は心から死を願っていたはずだった。
だからこそ、そのための準備を重ね、そのために遺書をしたためて全ての準備をして実家に戻ってきたはずだった。そう、そのはずだったのに私は死に向かう痛みに抵抗し、生きる事を選んだ。生きたい・助けてと心の中で叫び続けて、死の淵から這い出してきた。そして、生きていることを実感しようと、僅かに動く場所を探し体を取り戻そうともがいた。
今までの死ぬ事だけを考えていた長い時をあっさりと突き崩すような心の奥にある願い。
それは純粋で、死を願う心よりもはるかに深い芯を持って確かに私の中に存在していた。
それに気がついた夜。
既に意識も戻り急性期を脱したと判断された私は、救急病棟から精神科に移されていた。
自殺未遂をした者や観察を必要とする患者が入れられる監視された部屋、身の回りに何一つ置かれないナースコールすらない殺風景なベットの中で、自分では思うままにならない体を捩りながら私は涙を零す。声を上げて泣くにはそこは余りにも管理されすぎていたから、声を必死に殺して泣いた。
自分の心の中にある生への渇望を自覚すると同時に、私は自分が今まで歩いてきた道を思った。私が愛情と憎しみで歩いてきた長い道をまざまざと脳裏に思い描いて、声を殺して泣き続けている。
私は、生きたい……。
その願いは鮮やかに私の心の中に光をさすかのような気がした。その時やっと私は、泣きながら自分が選ぶべき・自分が本心から願う道を心の奥で探し始めたのだ。
※※※
「何を飲んだのか教えてくれるかな?」
窓越しの日差しの中で微かに窓の向こうに夏の熱気を感じた。穏やかに問いかける医師の言葉にベットの上半身を起こした体勢で私は医師に視線を向けた。今まで私の意識がハッキリしなかった為に聞けなかった事を、医師は静かな声音で問いかける。
私ははっきりとはしない記憶をさぐるようにしながら、自分の中にある全てを掠れた言葉ではっきりと口にした。
人工呼吸器が外れた後私の声はしわがれた老婆のように掠れていた。大きな声を出すことはできず、何かあっても看護師を呼ぶ術もない。それでも目の前の医師の質問に、私の言葉には明確な意思があって医師は眼を細める。
「では、何故飲んだのかいえますか?」
「夫婦の関係が…上手くいっていない、からです。」
言葉に滲んだ私の意思に医師は、今後どうしたいのかと問いかけた。
私は一瞬目を閉じて自分の心に問いかけるように口を閉ざしたかと思うと、やがて真っ直ぐに医師の顔をベットの上から見つめ返した。
以前担当医だった医師が私の返答に不思議な困惑の表情を浮かべた理由が、今は分かるような気がした。あの時の私の答えは何一つ具体的でなく、私が明確な答えを出すことから逃げていた。それをあの時の担当医は感じたのだろう。だから、また今度来なさいと言われたのに、あのまま関東に逃げてしまった。
でも、もう逃げる事は終わったのだ。私ははっきり発音できるよう気を付けながら、ゆっくり言葉を発した。
「離婚を、考えています。」
それは、自分の中の気持ちにけりをつけるかのようなはっきりとした意思表示だった。
医師は私の瞳を覗き込んでいたが、やがて微かに頷くと私の今の状態を丁寧に説明し始める。それは、私が既にそれらの内容を理解できる精神状態であるという判断が下されたに他ならなかった。
多量の薬は全ては排出されず体内にも幾つかの爪あとを残した。肝機能障害と同時に過剰に投与した薬を嘔吐した際にそれが気管に詰まった。そのために私は一度完全に呼吸停止した。逆流した薬剤により気管が焼け、酷い肺炎を起こし人工呼吸器をつけることになった。一週間で自発的な呼吸は出来るようにはなったものの、二週間では熱は完全にはひききらなかったのは現実だ。それに急激に増えた体重が、彼女の心臓にもかなりの負荷をかけていた。
だが、精神科の病棟での生活は思う以上に過酷だった。自分がしたことを思えば自業自得なのだが、私は隔離病室にいることに限界を感じていた。
私と同じことをしたか、もしくは一般病室では危険な患者だけが四人から五人入った病室。危険防止のためだろう、コンセントもナースコールのようなルートのあるものも周りには置かれない。それなのにその部屋は、昼夜一睡も出来ないほどの緊張感に溢れていた。
看護師の詰所と入り口一つで繋がっているのに、その部屋の中は誰が突然暴れだすか・誰が突然叫びだすのか分からなかった。誰がどんな動きができるか想定もしないのに、男女関係なく入室していると分かってから私の緊張感は強くなった。何故なら隔離病室の中は何かが起こったとして、今声の出ない彼女は誰かを呼ぶことも出来ない。そして、隔離病室であるが為に男女混合の病室である事も男の暴力に曝されてきた私には恐怖だった。意識不明の時に挿入されたチューブに声帯を潰されていたのと嘔吐した薬で焼けてしまったため、喉の痛みは引くこともなく全く声にならない。この状態から抜け出したと証明して見せるには何をしたらいいのか、私は回線の切れたような頭脳を必死に回した。
動こうとすると呼吸ができず喘ぎ、酸素が足りないと魚のように口をパクパクとする。起き上がって長時間座ることも、目眩がして困難を極めた。それでもそうして見せないと、私が回復していると証明できない。気がつけば、私は食事をしていない自分に気がつく。喉の痛みと苦痛にばかり目が向いて、食事をしていないことすら気がつかないでいたのだ。
点滴をしに来た看護師を、出ない声でやっとの事で捕まえる。めんどくさそうに私を見た看護師に微かに苛立ちを感じるが、私のしたことを思うとしょうがないとも思えた。
「そろそろ食事は、出ませんか?」
その言葉に看護師は、そういえばと考えを変えたのが分かった。自発的に体を動かし始めたせいか、少しずつ溺れそうな呼吸は収まり楽に動けるようになりつつある。これで食事もとれれば回復していると、証明することになると思えた。
実際には、全く食べ物を受け付けなかったことも小さな幸いにして、恐らく10キロ近く体重を落ちていたのだろう。そのせいで心臓にかかっていた負担が軽減され、呼吸が楽になったのだ。だが、それをさておいても回復を証明しないとこの部屋から出られない。
私の願いもあって、食事が出たのは翌日の朝だった。
三部粥にコーンスープ。形のない野菜の煮物。
それでもいいと口に運んだ私に思い知らされたのは、自分かしたことの罰だった。
口の中も薬で焼け爛れ、重湯の味が粉薬のようだった。コーンスープも野菜の煮物も全て同じ味。水ですら同じ味で喉を流れていくのに私はやる気を失った。
「久々だから、無理しないで。まだ、味がわからないと思うし。」
昨日とは違う割合優しい対応の看護師が、私の固まった様子に入り口から声をかける。味がないならともかく、全てが薬の味に感じるなんて、罰にしては神様もやってくれるものだ。その食事は流石に数口しか飲み込めなかったが、その直後病室内で他の患者が立ち上がり奇声をあげ暴れたことで私は腹を据えてその味を我慢すると誓う。
ここを出て、元気になって、離婚しないと。
それだけを繰り返す。
結果、私は意識不明から回復して一週間。期間とすれば約二週間ほどで退院した。
勿論完全に状態がよくなったわけではない。
必死に回復しようとする私は、退院の切望し両親の経歴を考えて医師もそれを許可した。勿論、私自身の精神状態もそれが可能と判断される材料となったのは言うまでもない。が、加分に隔離病室の環境から何とか脱出したい私がいたことは事実だ。そんな様々な事情があって私は実家に戻った。
そして、晴れて実家に帰宅した私は、あえて自分の携帯に電源を入れようとはしなかったのだ。
記憶も感情も、何もかもが闇の彼方に存在して意識の中には何もない。
機械的な人工音だけが傍にあり、痛みも何も存在しない世界だった。
何かを見た気もする。
何かを感じた気もする。
だけど、それに身を委ねようとした意識を引き戻す何かが存在していた。
意識が世界を知覚した時、それはまるで意味を成さないものだった。
それがやがて苦痛を伴う痛みに変わり、得体の知れない恐怖になって意識を貫いた。
委ねようとした何かは既にはるか遠く、やがてその全ての先で知ったのは多くの苦痛だった。
体の痛み、喉の痛み。
それだけでなく動く事のできない関節の痛み。
呼吸を自分ですることの出来ない痛み。
無理矢理膨らまされる肺の痛み。
首も固定されているようで、同じ向きにされる痛みが走る。手も足も鉛のように重く、それ以上に指先すら動かせない。意識があるのに腕を微かに動かす事すらできなかった。
それは、やがて自分自身が四肢をベットにきつく縛り付けられているからなのだと分かり始めた。その上口元には気管の奥深くまで入り込んだ管で顔すらも固定されていたからに他ならない。だがそれも、後になって理解できたことであり、その時の自分はただ朦朧とした世界の中で苦痛に喘いでいた。
ナニガオキタノ?ダレカ…ワタシハダレナノ?…タスケテ…ダレカ!
全てを失った世界は、自分を怯えさせ苦悩の渦に巻き込んだ。
意識の沈降と浮上を何度も繰り返しながら、やがて意識は自分の回りにあった時の流れがゆっくりと近づき始めるのを感じる。それは更なる苦痛と苦悩を産みだしながら、やがて彼女に自我を取り戻させていく。
私は、生き残った。
400以上にも及ぶ錠剤を噛み砕き飲み干した私は、嘔吐した吐物を気管に詰まらせて窒息し死を迎えようとした。だが、その日に限って運命のめぐり合わせは、父を普段よりも一時間以上も早く帰宅させ、私の母親も普段の倍以上も早くに帰宅させた。それは毎日を知っている私にしてみれば万に一つ程の偶然の積み重なりで、殆どありえない出来事だった。その結果私はほんの数分にみたない間、呼吸が止まった状態で発見されたのだ。
私は直ぐ様父が呼んだ救急車が駆けつけるまでに、母の手で救急処置をされ息を吹き替えした。その後も停まりかける呼吸に救急病院に搬送され、気管にチューブを挿入され人工呼吸器をつけながら数日死の淵を彷徨った。
そうして、医師に最悪の事態を考えておくようにと宣告され脳死状態になる確率か高いと言われた私は奇跡的に帰還した。それは多くの偶然である必然が重なった結果だったのだ。
そうして私がハッキリと自我を取り戻したのは、四日の意識不明から回復した後のことだった。しかし、周囲が私が意識があることに気がついたのは入院して六日目の朝の事だった。そこまで二日間、意識を取り戻すと同時に味わった事のない苦痛の中で私は声にならない声で叫び続けていた。
ダレカタスケテ!!イタミヲトメテ!イタイ!!
それは今までにない矛盾した願いだった。
それが矛盾した願いである時がついたのは、私自身もっと先になっての事ではあった。しかし、呼吸すらも自分で出来ない苦痛の中の世界で私はもがき喘ぎ足掻き、悲鳴を上げている。そして、それは自分がどうしてそうなったのか理解できない世界では、ただ逃れる光を求めて闇を彷徨うようなものだった。
※※※
やがて意識が戻り自我が蘇る。
自分が自分であると自覚すると共に、痛みが和らぎ体の症状が落ち着くのが分かる。挿入されたチューブに押し込められる空気に反発して、自分で呼吸ができる事をやっとの事で証明するのに二日間もかかった。視線かあったと思っても、周囲は私の視線に気がついてくれないのだ。チューブを噛もうにも口にはそれを防ぐ器具がはめられていて、舌しか動かない。手足を動かそうにも拘束具で固定されていて、意思を伝えるほどの動きにならない。しかも、意識かないと思っているからか看護師の言葉や処置の手荒さに心と関節が悲鳴をあげる。
「あれ、意識ある?」
その声に必死に瞬きをするが、もう一人の看護師が気のせいでしょと鼻で嗤う。そうされていることに、私は心底恐怖した。意識があると気がついてもらえないままだったらどうしようと怖くてしかたがなかった。その部屋は24時間真っ白に光が当てられていて、どれくらいの時間が過ぎたのかもわからず私はただ怯えていた。
そんな中で自分は私であることが認識されて、世界を知覚し始める。時に手足を縛っていたものが外されるのに、意思を伝えるほどに力の入らない手足を恨めしそうに眺める。私の周囲の時間は私だけを取り残して、矢のように過ぎていった。そうしてやっとの事で僅かに指先を曲げ伸ばしした頃、どこか見覚えのある顔が私の瞳を覗き込んだのに気がついた。
「アキコ、少しよくなった?」
どこかで聞いた声が私の頭を撫でる。その手の温度に私は雷に打たれたように、その人に向かって目を向けた。私とその人の視線があったと思った。そうすると、看護師と違ってその人は私の瞳を覗き込むように近づく。
「アキコ?見えてるの?」
目を覚めて初めて分かってもらえた事に、私は激しく瞬きをして僅かに動く指先を曲げた。その人は意思表示をする私に泣きながら頭を撫でる。
「アキコ、分かってるのね?どうしたの?痛いの?」
イタイ!!イタイノ!イタイノケシテ!!タスケテ!
私は必死に訴える。
気がついてくれた人が一生懸命に、痛む場所を当たらないようにしたり位置を治してくれる。触れるのは暖かい手だった。とても暖かくて、私が知っている手だった。
オカァサン……。
心のどこかで呟く声に私は自分が涙を流しているのに気がつく。目の前の人は私の母だった。私の意識があることに最初に気がついたのは、誰でもない自分の母だったのだ。涙すら拭えない私の頭を撫でながら、看護師に私の意識があることを伝える母の姿を感じながら私は暫く泣き続けた。
自分の自我に気がついた時、自分の中にあった矛盾に私は心の奥底を震わされるような気がした。自分が死ぬために行動を起こしたのに、私はずっと死にたくない・助けてと叫び続けていた。
私は死にたがっていない…。
それは明確な矛盾だった。
私は心から死を願っていたはずだった。
だからこそ、そのための準備を重ね、そのために遺書をしたためて全ての準備をして実家に戻ってきたはずだった。そう、そのはずだったのに私は死に向かう痛みに抵抗し、生きる事を選んだ。生きたい・助けてと心の中で叫び続けて、死の淵から這い出してきた。そして、生きていることを実感しようと、僅かに動く場所を探し体を取り戻そうともがいた。
今までの死ぬ事だけを考えていた長い時をあっさりと突き崩すような心の奥にある願い。
それは純粋で、死を願う心よりもはるかに深い芯を持って確かに私の中に存在していた。
それに気がついた夜。
既に意識も戻り急性期を脱したと判断された私は、救急病棟から精神科に移されていた。
自殺未遂をした者や観察を必要とする患者が入れられる監視された部屋、身の回りに何一つ置かれないナースコールすらない殺風景なベットの中で、自分では思うままにならない体を捩りながら私は涙を零す。声を上げて泣くにはそこは余りにも管理されすぎていたから、声を必死に殺して泣いた。
自分の心の中にある生への渇望を自覚すると同時に、私は自分が今まで歩いてきた道を思った。私が愛情と憎しみで歩いてきた長い道をまざまざと脳裏に思い描いて、声を殺して泣き続けている。
私は、生きたい……。
その願いは鮮やかに私の心の中に光をさすかのような気がした。その時やっと私は、泣きながら自分が選ぶべき・自分が本心から願う道を心の奥で探し始めたのだ。
※※※
「何を飲んだのか教えてくれるかな?」
窓越しの日差しの中で微かに窓の向こうに夏の熱気を感じた。穏やかに問いかける医師の言葉にベットの上半身を起こした体勢で私は医師に視線を向けた。今まで私の意識がハッキリしなかった為に聞けなかった事を、医師は静かな声音で問いかける。
私ははっきりとはしない記憶をさぐるようにしながら、自分の中にある全てを掠れた言葉ではっきりと口にした。
人工呼吸器が外れた後私の声はしわがれた老婆のように掠れていた。大きな声を出すことはできず、何かあっても看護師を呼ぶ術もない。それでも目の前の医師の質問に、私の言葉には明確な意思があって医師は眼を細める。
「では、何故飲んだのかいえますか?」
「夫婦の関係が…上手くいっていない、からです。」
言葉に滲んだ私の意思に医師は、今後どうしたいのかと問いかけた。
私は一瞬目を閉じて自分の心に問いかけるように口を閉ざしたかと思うと、やがて真っ直ぐに医師の顔をベットの上から見つめ返した。
以前担当医だった医師が私の返答に不思議な困惑の表情を浮かべた理由が、今は分かるような気がした。あの時の私の答えは何一つ具体的でなく、私が明確な答えを出すことから逃げていた。それをあの時の担当医は感じたのだろう。だから、また今度来なさいと言われたのに、あのまま関東に逃げてしまった。
でも、もう逃げる事は終わったのだ。私ははっきり発音できるよう気を付けながら、ゆっくり言葉を発した。
「離婚を、考えています。」
それは、自分の中の気持ちにけりをつけるかのようなはっきりとした意思表示だった。
医師は私の瞳を覗き込んでいたが、やがて微かに頷くと私の今の状態を丁寧に説明し始める。それは、私が既にそれらの内容を理解できる精神状態であるという判断が下されたに他ならなかった。
多量の薬は全ては排出されず体内にも幾つかの爪あとを残した。肝機能障害と同時に過剰に投与した薬を嘔吐した際にそれが気管に詰まった。そのために私は一度完全に呼吸停止した。逆流した薬剤により気管が焼け、酷い肺炎を起こし人工呼吸器をつけることになった。一週間で自発的な呼吸は出来るようにはなったものの、二週間では熱は完全にはひききらなかったのは現実だ。それに急激に増えた体重が、彼女の心臓にもかなりの負荷をかけていた。
だが、精神科の病棟での生活は思う以上に過酷だった。自分がしたことを思えば自業自得なのだが、私は隔離病室にいることに限界を感じていた。
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動こうとすると呼吸ができず喘ぎ、酸素が足りないと魚のように口をパクパクとする。起き上がって長時間座ることも、目眩がして困難を極めた。それでもそうして見せないと、私が回復していると証明できない。気がつけば、私は食事をしていない自分に気がつく。喉の痛みと苦痛にばかり目が向いて、食事をしていないことすら気がつかないでいたのだ。
点滴をしに来た看護師を、出ない声でやっとの事で捕まえる。めんどくさそうに私を見た看護師に微かに苛立ちを感じるが、私のしたことを思うとしょうがないとも思えた。
「そろそろ食事は、出ませんか?」
その言葉に看護師は、そういえばと考えを変えたのが分かった。自発的に体を動かし始めたせいか、少しずつ溺れそうな呼吸は収まり楽に動けるようになりつつある。これで食事もとれれば回復していると、証明することになると思えた。
実際には、全く食べ物を受け付けなかったことも小さな幸いにして、恐らく10キロ近く体重を落ちていたのだろう。そのせいで心臓にかかっていた負担が軽減され、呼吸が楽になったのだ。だが、それをさておいても回復を証明しないとこの部屋から出られない。
私の願いもあって、食事が出たのは翌日の朝だった。
三部粥にコーンスープ。形のない野菜の煮物。
それでもいいと口に運んだ私に思い知らされたのは、自分かしたことの罰だった。
口の中も薬で焼け爛れ、重湯の味が粉薬のようだった。コーンスープも野菜の煮物も全て同じ味。水ですら同じ味で喉を流れていくのに私はやる気を失った。
「久々だから、無理しないで。まだ、味がわからないと思うし。」
昨日とは違う割合優しい対応の看護師が、私の固まった様子に入り口から声をかける。味がないならともかく、全てが薬の味に感じるなんて、罰にしては神様もやってくれるものだ。その食事は流石に数口しか飲み込めなかったが、その直後病室内で他の患者が立ち上がり奇声をあげ暴れたことで私は腹を据えてその味を我慢すると誓う。
ここを出て、元気になって、離婚しないと。
それだけを繰り返す。
結果、私は意識不明から回復して一週間。期間とすれば約二週間ほどで退院した。
勿論完全に状態がよくなったわけではない。
必死に回復しようとする私は、退院の切望し両親の経歴を考えて医師もそれを許可した。勿論、私自身の精神状態もそれが可能と判断される材料となったのは言うまでもない。が、加分に隔離病室の環境から何とか脱出したい私がいたことは事実だ。そんな様々な事情があって私は実家に戻った。
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