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30代の話 Terminal
61.お願い
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私はぼやけた世界の中にいた。それなのに心の中は激しく燃えさかる憎悪が、自分の身の内をジリジリと焦がしていくような気がした。
自分が愛したはずだった男。
だけど男は何度も自分を裏切り、自分を傷つけてきた。
そして今、何よりも酷い裏切りをして見せた。
自分の保身の為に私を落としめた。最低の方法で。
それは、自分だけに向けていた深い憎悪が明確に彼に向かうのに十分な行為だった。
私は様々に思いをめぐらせる。
あいつを殺して一緒に死ねばいいだろうか?どうやって殺してやったらいいだろう、どうしたらあいつを苦しめて殺してやれるだろうか。
だけどそれは直ぐに心が否定した。
私は自分を消したいほど憎み、同等に男を憎んだ。だけど、一緒に消えたいとはもう少しも思えなかった。同時にこの世から消えるなんて、真っ平ごめんだった。
そして、その考えに至ると男を殺したとして、自分がその罪を背負うことが嫌だと気がついた。私はその男を殺したという汚名を被るのがいやだったのだ。
自分が許せない。
自分を消してしまいたい。
あいつが許せない。
あいつをこのままのさばらせたくない。
その濁って淀んだどす黒い感情だけが心の中を巡り、私は息が詰まりそうな気がした。
不意にその空気の中にさした一条の光のように携帯がメールを着信した。電話に動揺した男が、隠し忘れた私の携帯が男の机の上で振動音をあげていたのだ。私はフラフラと立ち上がり、携帯を手に取るとメールに目を向ける。
『…変わりないですか?』
その書き出しで始まるメールに目が向いた時、私の感情は大きく揺らぎ雷にでも打たれたかのようにわなないた。かと思うと、私は声を上げて泣き出した自分に気がついた。
自分を案じる父親からのメールが淀んだ心に酷く痛かった。父親は何度も何度も送ってきてくれていたのだろう、それに私が返したのではない味気なく素っ気ない返事のメールが残されている。それに私は、虚しさと悔しさのないまぜになった思いで泣き続けた。
汚い感情だけになってしまった自分の姿を恨めしく思いながら私は長く声を上げて泣き続け、やがて再び自分の心臓が奇妙な音を立てるのを感じる。
ここではいや……家に……、家に帰ろう…。
私は嗚咽を上げながら、受話器をとり懐かしい番号を押し懐かしい景色と思いに向かって懇願した。私は自分の決意の半分だけを伝えながら、懐かしい世界に向かって懇願したのだ。
「お願い…助けて、連れて帰って…迎えに着て…お願い。」
ただならぬ私の泣きながらの声に両親は迷う事無く、もう一人で外を出歩く事の出来ない私を迎えに来ると約束した。そして、私は安堵したように受話器を置くと今だ止まらない涙もそのままに、痛みを感じる胸を押さえながら震える手でペンを持ったのだった。
私は無表情に座り込み一点を見据えるようにして、帰宅した男を迎えた。男はぎょっとしたように息を飲んだが、何も話しかけもしないのをどう感じたのだろうかソロソロと家の中に入る。ご機嫌取りに買ってきたお菓子を手渡そうと愛想笑いをするその男を、私は酷く冷ややかな視線で見つめながら口火を切った。
「実家に帰るから、迎えに来てくれるって。」
一瞬その言葉にもう見慣れた不快な表情が男の顔には浮かぶ。それでも私の睨み付ける視線の異様さに、今は文句を言えるわけでもなく不承不承と言った風でその言葉に同意した。男の姿を横目に思い体を引きずるようにして衣類をバックにつめようとしてふと私は悲しげに手を止めた。
もうそこに男はいない。リビングにそそくさと姿を消して私独りしかいない。
そこでふと私は戻ってからの一年間の自分の姿がまざまざと目に見えるような気がした。
一年間、一度も私は服を買っていなかった。
一年間、私は化粧品も購入していない。
一年間、髪すらも切っていない。
一年間、私は自分の為に買ったのは薬ばかりだった事に気がついて私は涙が零れそうになる。
一体この一年はなんだったのだろう。
ふとそんな想いが心を過ぎる。
実家に帰る為に着る服も靴すらもない自分の醜い姿。
荷物をまとめようにも、入れる服すらない。入れる下着すらない。私はいったいどうやって生活していたのだろう。私は一体周りからどんな風にみえていたのだろう。
涙を零しても助けてもらえない自分。
助けて欲しい男はもうただ憎むだけの存在になり、今やその憎悪は深く根深いような気がする。
しかしそれ以上私は自分自身が憎かった。
誤った方法を選び続けた自分。
誤った選択を正そうとできなかった自分。
そして今もなおこの場所で、夫である男の間違いも正せず、それ以上に自分の身を立てられずに泥棒にまでされてしまった。
そして、全てに甘んじて布団の中に潜り込み全てから逃避してきた自分。
全ての元凶は自分なのだと私は自分を呪っていた。
何もかもは自分が招き自分が悪化させたのだ。
そう私は自分を呪う。
でも、それも後、僅かの事なのよ。
私は殆どものの入らないバックの中に、先ほど震える手でしたためた手紙と何とか集め続けた薬を大事な宝物のようにそっとくるむようにして丁寧に包み込んでいた。
そしてそれをいとおしい気持ちで撫でながら、どうか今度は願いがかないますようにと心の中で呟く。
そして、それから数日とたたないうちに私は電車に乗れない・外を歩けない自分の為に、無理を押して自家用車で迎えに来てくれた父親に伴われて懐かしい実家へと帰途についていたのだった。
久々にあった私を見て父親は酷く狼狽した瞳を浮かべた。
それもそのはずだろう。
久々に再会した小柄な私は、その体では考えられないほど醜く太り少し歩くだけで息切れがするような状態だった。それはまさに病的に見える太り方で、父親はいたわるように私を車に乗せながらも、夫である男には何一つ声をかけようとしなかった。何故なら、その太りかた以上に初夏の陽気の最中に冬物の靴を履きパジャマのような服しか着る物のない私の状態で、いかに私が一人で一年間過ごしてきたのか・男がどれだけ夫として私の面倒を見ていたかが分かったからだろう。その地獄のような日々が、まさに目に見えるような気がしたのかもしれない。そんな様子に幸か不幸か、私は何も感じないままの瞳で数年自分が住んだ場所を車窓越しに眺める。
―――ここも見納めだ。
そう私は心の中で呟き、微かに安堵の微笑みを浮かべていた。
自分が愛したはずだった男。
だけど男は何度も自分を裏切り、自分を傷つけてきた。
そして今、何よりも酷い裏切りをして見せた。
自分の保身の為に私を落としめた。最低の方法で。
それは、自分だけに向けていた深い憎悪が明確に彼に向かうのに十分な行為だった。
私は様々に思いをめぐらせる。
あいつを殺して一緒に死ねばいいだろうか?どうやって殺してやったらいいだろう、どうしたらあいつを苦しめて殺してやれるだろうか。
だけどそれは直ぐに心が否定した。
私は自分を消したいほど憎み、同等に男を憎んだ。だけど、一緒に消えたいとはもう少しも思えなかった。同時にこの世から消えるなんて、真っ平ごめんだった。
そして、その考えに至ると男を殺したとして、自分がその罪を背負うことが嫌だと気がついた。私はその男を殺したという汚名を被るのがいやだったのだ。
自分が許せない。
自分を消してしまいたい。
あいつが許せない。
あいつをこのままのさばらせたくない。
その濁って淀んだどす黒い感情だけが心の中を巡り、私は息が詰まりそうな気がした。
不意にその空気の中にさした一条の光のように携帯がメールを着信した。電話に動揺した男が、隠し忘れた私の携帯が男の机の上で振動音をあげていたのだ。私はフラフラと立ち上がり、携帯を手に取るとメールに目を向ける。
『…変わりないですか?』
その書き出しで始まるメールに目が向いた時、私の感情は大きく揺らぎ雷にでも打たれたかのようにわなないた。かと思うと、私は声を上げて泣き出した自分に気がついた。
自分を案じる父親からのメールが淀んだ心に酷く痛かった。父親は何度も何度も送ってきてくれていたのだろう、それに私が返したのではない味気なく素っ気ない返事のメールが残されている。それに私は、虚しさと悔しさのないまぜになった思いで泣き続けた。
汚い感情だけになってしまった自分の姿を恨めしく思いながら私は長く声を上げて泣き続け、やがて再び自分の心臓が奇妙な音を立てるのを感じる。
ここではいや……家に……、家に帰ろう…。
私は嗚咽を上げながら、受話器をとり懐かしい番号を押し懐かしい景色と思いに向かって懇願した。私は自分の決意の半分だけを伝えながら、懐かしい世界に向かって懇願したのだ。
「お願い…助けて、連れて帰って…迎えに着て…お願い。」
ただならぬ私の泣きながらの声に両親は迷う事無く、もう一人で外を出歩く事の出来ない私を迎えに来ると約束した。そして、私は安堵したように受話器を置くと今だ止まらない涙もそのままに、痛みを感じる胸を押さえながら震える手でペンを持ったのだった。
私は無表情に座り込み一点を見据えるようにして、帰宅した男を迎えた。男はぎょっとしたように息を飲んだが、何も話しかけもしないのをどう感じたのだろうかソロソロと家の中に入る。ご機嫌取りに買ってきたお菓子を手渡そうと愛想笑いをするその男を、私は酷く冷ややかな視線で見つめながら口火を切った。
「実家に帰るから、迎えに来てくれるって。」
一瞬その言葉にもう見慣れた不快な表情が男の顔には浮かぶ。それでも私の睨み付ける視線の異様さに、今は文句を言えるわけでもなく不承不承と言った風でその言葉に同意した。男の姿を横目に思い体を引きずるようにして衣類をバックにつめようとしてふと私は悲しげに手を止めた。
もうそこに男はいない。リビングにそそくさと姿を消して私独りしかいない。
そこでふと私は戻ってからの一年間の自分の姿がまざまざと目に見えるような気がした。
一年間、一度も私は服を買っていなかった。
一年間、私は化粧品も購入していない。
一年間、髪すらも切っていない。
一年間、私は自分の為に買ったのは薬ばかりだった事に気がついて私は涙が零れそうになる。
一体この一年はなんだったのだろう。
ふとそんな想いが心を過ぎる。
実家に帰る為に着る服も靴すらもない自分の醜い姿。
荷物をまとめようにも、入れる服すらない。入れる下着すらない。私はいったいどうやって生活していたのだろう。私は一体周りからどんな風にみえていたのだろう。
涙を零しても助けてもらえない自分。
助けて欲しい男はもうただ憎むだけの存在になり、今やその憎悪は深く根深いような気がする。
しかしそれ以上私は自分自身が憎かった。
誤った方法を選び続けた自分。
誤った選択を正そうとできなかった自分。
そして今もなおこの場所で、夫である男の間違いも正せず、それ以上に自分の身を立てられずに泥棒にまでされてしまった。
そして、全てに甘んじて布団の中に潜り込み全てから逃避してきた自分。
全ての元凶は自分なのだと私は自分を呪っていた。
何もかもは自分が招き自分が悪化させたのだ。
そう私は自分を呪う。
でも、それも後、僅かの事なのよ。
私は殆どものの入らないバックの中に、先ほど震える手でしたためた手紙と何とか集め続けた薬を大事な宝物のようにそっとくるむようにして丁寧に包み込んでいた。
そしてそれをいとおしい気持ちで撫でながら、どうか今度は願いがかないますようにと心の中で呟く。
そして、それから数日とたたないうちに私は電車に乗れない・外を歩けない自分の為に、無理を押して自家用車で迎えに来てくれた父親に伴われて懐かしい実家へと帰途についていたのだった。
久々にあった私を見て父親は酷く狼狽した瞳を浮かべた。
それもそのはずだろう。
久々に再会した小柄な私は、その体では考えられないほど醜く太り少し歩くだけで息切れがするような状態だった。それはまさに病的に見える太り方で、父親はいたわるように私を車に乗せながらも、夫である男には何一つ声をかけようとしなかった。何故なら、その太りかた以上に初夏の陽気の最中に冬物の靴を履きパジャマのような服しか着る物のない私の状態で、いかに私が一人で一年間過ごしてきたのか・男がどれだけ夫として私の面倒を見ていたかが分かったからだろう。その地獄のような日々が、まさに目に見えるような気がしたのかもしれない。そんな様子に幸か不幸か、私は何も感じないままの瞳で数年自分が住んだ場所を車窓越しに眺める。
―――ここも見納めだ。
そう私は心の中で呟き、微かに安堵の微笑みを浮かべていた。
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