都市街下奇譚

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七十七夜目『復路』

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良二は周囲の喧騒に目を覚ましてローカル線が終点に辿り着いたのを知った。慌てて立ち上がると人波に紛れるようにして電車から降りて、風景の変わった辺りを眺める。

どうするか……

往路があれば復路がある訳で。農家での林檎の試食は既にお断りしたから兎も角、ここから帰る方法の検討をしないとならない。電車で帰るには路線は二通りだが、片方は今来た道で通る気にはなれなかった。もう片方はグルリと遠回りだが、ここから更に西に出て隣県に抜け南下する路線に乗り換えれば良い。その路線駅の更に西に出れば恐らく隣県の県庁所在地だ。関東方面への高速バスくらいはあるに違いないし、後は空路に海路もある。最悪レンタカーで自分で運転という手もある。

何にせよ、今来た道だけは避けないと

下手をすると明日の仕込みに間に合わなくなる可能性はあるが、これ以上の命の危険を感じるよりはましだ。不意に体が耳に入った言葉に戦くのが分かって、良二は思わず振り返った。背後には年嵩の老女が二人、自分の祖父母と似た方言で会話を交わしている。

「やちもねぇなぁ…あめかまりだか?」
「んだ、あめかまりだぁ。」

生活圏は違うが言葉の系統としては近い土地なのだと我に帰った良二は、慌てたように道の先を急ぐ。何故か祖父母の言葉に近い話し言葉を聞いていると、何時あれらに追い付かれるかと不安が強まってしまうのだ。更に西へ進み山間部を抜けて、隣県の都市部に出たら乗り換える。そうして南下して更に隣県に抜ければいい。そこまで行けば迂回して太平洋側に出てもいいし、そのまま南下してもいい筈だ。そんなことを算段しながら足早に駅の文字盤と窓口の表示を見比べて行く。
電車に乗り込んで座席に深々と腰掛け溜め息をついた良二は、何故こんなに自分は怯えるのだろうと考え込む。自分は何もしていない筈なのに、何故こんなにも怯えて逃げ回らなければならないのだろう。そう考えてみた瞬間、不意に不快感が襲いかかってくるのが分かった。

双子の兄が消え、祖母が死に、妹が消え、両親が消えた。

自分は二ヶ月も記憶がないまま、海外からひきあげてきて、気がついたらあの奇妙な店で働いている。奇妙なという表現はマスターには悪いとは思うが、あの店は時々奇妙なものが屯するのだから仕方がない。ドクドクと心臓の脈打つ音が耳元で聞こえるような気がして、良二は目を閉じると改めて自分の状況を考える。

叔母は良二も連れていかれると困るから来るなと言った。

ふったちが連れに来るからお前は来るなと叔母は言う。こっそり戻った時には、土地の古老は夜には出歩くなよ・鈴徳の代わりに連れていかれるぞと暗に匂わせた。さっきの背後の女達は鈴徳家は呪われていて、ふったちの家系だと言う。全てを順番に並べたらどうなるか。

先ずは恐らく家は何か神様に不調法な事をした家なのだ。

その罰として落雷が家の前の杉木に落ち、蝮が大量に這い出した。あの二人は落雷が最近のように話したが、祖母が若い時には既にあの木はあの状態だったと言う。つまりは先祖で何か祟られる事をした人間がいて、それがふったちの元なのではないだろうか。ふったちは年を経た動物だから、猿のふったちがいるなら極端な話人間もふったちに成りえる。

鈴徳はふったちの家系は、これで説明がきく……。

振り返るとふったちが連れに来るのは、ふったちが何かを目的にしているのか知らない良二には理解できない。ただ明確なルールがあるのは、手を繋いで振り返らなければ連れていかれないと言うことだ。

繋いで振り返らなければ……

霧に双子の兄は消えた。腹の中もこの条件に当てはまるのだろうか?当てはまるのだとしたら、もしかしたらそのせいで兄は消えたのだろうか?
両親は残った良二を守ろうと神様に祈ったが、神様の答えは願ったものとは違った。勿論それはそうだろう、祟っている神に祈って良い答えが帰ってくる筈がない。祈っているのは土地の神様で、土地神は確か蛇が絡んでいた気がする。祟られた家とその祟った神様。蛇の祟りは七代とか言わなかったろうか?
兎も角ふったちが元々鈴徳の人間なら、土地の人間がそれを捕まえて閉じ込めておくのもあり得るのではなかろうか。

いや、そんなこと考えたら誇大妄想過ぎるだろ?

人間が化け物になって人を拐うから、捕獲して閉じ込めた。なら、何故妹や両親まで消えた?鈴徳のふったちは閉じ込めていたのなら、誰が妹や両親を連れ去った?

佐々野

頭の中で何かがそう呟く。そうだ、もう一人消えた人間が居たのだった。

佐々野冬子はふったちに拐われている。

佐々野の祖母は早く連れ帰らないとと良二の祖母に訴えに来たという。そう祖母の話していた言葉を思い出した瞬間、何故か頭の中に閃いたのはインフルエンザだった。

感染?感染するのか?乗り換えるのか?

ふったちが連れ去った佐々野冬子にふったちは感染して、新しいふったちが妹連れ去り、両親を連れ去ったのだとしたら?ふったちは今何人になるんだ?捕獲できた一体も逃げ出してしまったのなら、少なくても五人のふったちがいることにはならないだろうか。

ちょっと待てよ、なんか変じゃないか?

ふったちは兎も角だ。現代社会の中で三人もの人間が忽然と消えたら、マトモな話トップニュースにならないか?しかも化け物がらみならゴシップ満載でさぞかしいいネタになるに違いない。あれから大分経つが叔母からは何にも連絡が来ないのは何故か。それにだ、一番おかしいのは何故自分は、警察も何も考えもしなかったのだろう。

無駄だと知ってるからだ……。

何故無駄だと知っているんだ?と自問自答しながら、瞼の向こうがふっと暗くなったのを感じた。目を開くと電車の中なのに周囲は暗闇で、ポカーンとしてしまう。周囲には人気もなく、まるで貸しきりで乗っているかのような閑散とした車両に微かなレールの切り替わるタタン・タタンという音だけか響く。
ドキドキと心臓の音が煩いほど高鳴って、この異様さに良二は思わず立ち上がった。

これは………ヤバい……。

何処かに逃げないと危険なのは分かっているが、安全なのが後ろなのか前なのかが全く判断ができない。ただジリジリと不安感と共に、何かが迫りつつあるのが分かってジワリと汗が滲む。振り返っていないし答えてもいないそう考えた瞬間、迷わず良二は振り返らずに前に向かって駆け出していた。



※※※



ビクリと全身を震わせて座席の上でと干上がるようにして飛び起きた良二は、一瞬何が何だか分からずに辺りを見渡した。どうやらあの真っ暗な車両は夢だったらしく、周囲にはそれぞれに電車の時間を寛ごうとしている客が溢れている。転た寝していて緊張のあまり、悪夢を見たらしいと気がついて良二は深い溜め息をつきながら汗を拭った。しかし、夢の中の思考は、普通の夢と違ってあまりにも鮮明に頭の中に刻み込まれている。

鈴徳の家系がふったちなら、叔母の子供だって同じ目に会うんじゃないだろうか……。

叔母とは連絡を取り合っているが、今従兄弟達が何処でどうしているかは分からない。勿論叔母の夫である叔父も同様で……おかしい……。父の妹の叔母が本家を継いで、父は分家?何で長男が分家に降りて、本家を妹が別な姓でついだんだ?

鈴徳の名前を継ぎたくないから?

段々不快感が増して行くのが分かって良二は考えるのをやめようとするが、頭は止まることなくその事を考える。鈴徳の血縁は残したいが、名前は残したくない事態が起きたので父が分家に出たのだとしたら?それが兄が消えた事だとしたら?大体にして本当に消えたのは兄だけなのか?腹の中の子供の片方だけ消えるなんてありなのか?確かに母子手帳は二つあったから、検診の何回目かまでは双子だったのだ。だけど、それは両親と祖母の話したことで、真実なのかどうなのか自分は知らない。そう考えた瞬間、不快感は大きく膨れ上がった。

自分が本当にあの家の子供かどうかなんて、疑問にする方がおかしいのは分かっているけど……
目まぐるしく頭の中を飛び交う思考に、良二はもしもを羅列してしまう自分に気がつく。
もしも、土地神の呪いが家系全部にかかっているのなら。
もしも、兄だけではなく弟も消えているのだとしたら。
もしも、自分は本当は鈴徳良二ではないのだとしたら。
もしも、ふったちが鈴徳家の人間なのだとしたら。
もしも、ふったちが感染症のように広がるのだとしたら。
もしも、人を食う化け物は鈴徳家の先祖なのだとしたら。
もしもは山のように沸き上がってきて、同時に大きな疑問に終息していく。本当に自分には何も起きていないのだろうか?ニアミスだけで、切り抜けているのなら二ヶ月の記憶喪失は何故起きているのだろうか。そう考えが収束した瞬間、恐ろしいことに気がついてしまった。

もしも……俺が捕まっていたのだとしたら

そう考えた瞬間、当たりの静けさに再び気がついた。視線をあげて見回すと全ての目が良二を見据えているのに気がつかされる。大勢の双眸が無言のまま自分を睨み付けているのに、良二は



※※※



ハッと震えに我に帰ると良二は、見慣れた町並みの中に一人で立ち尽くしていた。通いなれた『茶樹』に向かう道の町並の人の中に、良二は一人で茫然と立ち尽くしている。時間は朝の八時過ぎ、良二は記憶を無くしてからというもの時間は全て二十四時間表示にしていた。昨日の電車を降りて遠回りをして帰ろうとしてから、恐らく二十時間位記憶が飛んでいる。

何なんだこれ。

あんなに鮮明だった記憶の彼方で霞んで、既に思い出せないでいた。もしももしもと何かを大量に考えて、一番恐ろしい答えを思い付いたような気がするのだ。



※※※



どうやって帰ってきたんですか?

自分の問いかけに、良二はさあと首を傾げる。良二は気がついたらこの街にいたんだというが、そんなことは本当に可能なんだろうか。電車の中で起きた二度の変化は本当に夢で片付けていいものなのだろうかと、自分は心の中で呟くように考える。それがまるで伝わったみたいに、良二は変な話してますよね、と笑う。

自分でもね、たまに今が本当なのか夢なのかわからなくなるんですよ。

まるでここが夢の中のような気がすることもありましてね。

そう言いながら、鈴徳良二はまあ夢なら夢で覚めるまでを楽しみますけどねと何気なく話したのだった。



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