鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話105.予感4

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パチパチと瞬くように光るきらびやかなネオンサインを窓辺に、背を丸めて立つ長身の男性が瞳の見えない光を反射させる眼鏡の向こうからジッと言葉もなく街並みを見下ろしている。その窓の外には、何時もと変わらない夜の闇にも負けない鮮やかな電飾。これからの年末商戦を控えたキラキラした花街が変わらず広がっていて、何時もと変わらない賑やかな客引きの声が窓ガラス越しでも微かに聞こえている。
唐突に事前の連絡もなく、事務所を構える場所は違えど同業者とも言える仕事をしている窓辺の男が現れたのはつい先程の事。勿論『同業者です』と宣言したわけではなくて、その男が全身から醸している気配が長年花街で同じ仕事をしてきた自分のよく知るものだったのと、…………正直言えば草臥れたトレンチコートにアイロンのかからないヨレヨレのシャツ、濃いブラウンの髪と瞳に縁無し眼鏡。近年の探偵小説のうらぶれた感を醸す容姿は年齢不詳の上にどう見ても『あんた、その格好は狙ってやってんのよね!?』の世界だからだ。
そしてこの天井に迄届きそうに見える威圧感を持つ男だけが事務所を訪れたのではなく、応接セットのソファの万智の対面には所謂プラチナブロンドなのかアッシュブロンドという色にも見える見事な髪をしたブルーダイヤみたいな瞳をした典型的外国人美少女というか美女と言うか。

これ、確か瑠璃りんが大学に聴講生としてきたとか言ってたお嬢じゃない。

八幡万智の娘・八幡瑠璃が通い始めた大学の文学部に現れたドイツ系アメリカ人お嬢様を外部の人間である万智が知っているのは、娘の友人がこのお嬢様と仲良しで様々な情報を仕入れ万智に妙なお嬢様の情報を流したからだ。それにしてもあの天然巻き込まれ体質の娘の同級生は、相変わらずだが胡散臭い人間から大好評の人気者な訳である。当人の溺愛彼氏は元裏社会のドンの孫弟子の立場だし、その元裏社会のドンにもハムスターみたいな愛玩動物のように見守られ、記憶力が微妙に問題な稀代の殺人鬼にはお茶のみ友達認定されてしまった。

マキマキってほんと強力よね、うん

しかも宮井麻希子は目の前の妙な男と共に現れた、万智から見たら得体の知れないリリアーヌとか言うお嬢様とも仲良しこよしらしい。とはいえリリアーヌ・オフェリア・フラウンフォーファだか言う面倒なお名前のお嬢様と万智自身は面識がないので一応は客として紅茶でもと万智が腰を上げたら、何処かからヌッと現れた執事みたいな影の薄い男が『自分がやります』等と言って魔法みたいに道具は奪われサッサと買い置きしてあるティーバッグの安物とは全く別物みたいな匂いをさせる紅茶を淹れて特別な上客用のティーカップを勝手に使われていた。そしてそれを当然の如くお嬢様に差し出して、ソファの背後に忠犬宜しく気配を消して能面みたいな感情の浮かばない顔で立つ。

何処から見つけ出したよ?!それ!!お前は案山子か!!

そう思わず叫びそうになったが整った顔立ちなのに全く感情が浮かばない顔で、その男は言葉もなく何処を見ているか分からない視線で立ったままなのだ。もうこうなると『あんたら何なの?!』と万智としては大声で言いたいのだが、窓辺の同業者の威圧感に言葉にならない。どう考えてもここで乱闘なんかになっては万智の方が不利に違いないし、どうやらこの3人は街の顔役と言えば万智と花街の誰かから聞き出し、ここをワザワザ訪れてきたらしい。
そして優雅にお茶を飲む妖精みたいな外国美女と野生の熊か虎のような肉食獣の威圧感を全身からブワブワと醸す同業者の男、そしている筈なのにいないとしか思えない影の薄い能面みたいな顔の執事の3人が何の要件なのか話し出すのを今か今かと待ち構えている。そんな予期せぬ来訪者に八幡調査事務所所長の八幡万智は、応接セットのソファに腰掛け肘をつき棒つき飴を咥えながら妖艶な口元を歪ませて痺れを切らしたように口を開いた。

「…………そんで?あんたら、何でここに来たわけ?」

何時までたっても要件を切り出さない3人にぶっきらぼうに問いかけてみたものの、影のような執事は口を開く筈もないから先ずは除外だ。万智には同業者の男か妖精みたいなお嬢様のどっちかが、要件を伝えるために口を開くのを待つしかない。いや、断れば良いなんて簡単なことにはならないのだ、何しろ彼らは万智がここに居るのを確定してから現れている。それはつまり万智の家族が近郊に暮らしているのも知っている可能性はあるし、ついでに一寸だけ本音を言えば何の要件でこんな時間にやって来たのか興味もなくはない。何しろ今は事務所の事務員も居ないし、普段なら万智自身も来たくしていても可笑しくない……というより実際には夕飯を食べ家族団欒を過ごすために万智は一度家に帰り、仕事のために戻ってきたというのが正しい。最近飲食店や居酒屋の面々から少し気になる話を聞いたのもあって、某コンサルティング業のの盲目の情報屋と情報交換しようと思ったのだ。

「This city is strange…………。」

低音の足元に響く声が、花街を見下ろし『奇妙な街だ』と呟く。『奇妙』と表現されるような要素が、眼下のネオンサインに溢れる街の何処にあると言うのだと言いたげに万智は訝しそうに目を細める。万智に見えるのはとっては笑まれ育った見慣れた街に過ぎないのに、男には何か特殊で不思議な世界に見えているみたいかのだ。そして男は窓辺から視線を反らすこともなく、こちらを振り返りもせずに再び呟く。

「A lot of goats are mixed in…………。」

意味の分からないことを呟く男の背中に、万智は更に眉を潜めてしまう。沢山の人に溢れる花街に向かって、一体何の揶揄なのか『大量に山羊が紛れ込んでいる』なんて言う意図が初めてこの男と接する万智に正確には分かる筈もなく。何しろ言葉通りの野性的な山羊のような動物なんて街の中にはいる筈もなく、野良と言っても猫か烏程度しか街には目立たない。

「何が言いたいわけ?」

ただし万智だって他国で『山羊』がどんな意味合いを含む存在なのか位は少なからず知っているから、男が人を見てそう言うのに何を言わんとしているかは薄々分からないでもない。山羊というものは繁殖力が旺盛なことから好色のイメージが強く、それが花街という場所の前身である遊郭と結びつかないわけではないのだ。そして同時にキリスト教圏では山羊は好色さから罪と悪との連想が強く、悪魔の姿として用いられることが多い。確かにここいらはそういう好色さを持っている土地で、しかも人知れず様々な悪事を働く人間も多いのは事実だ。

「ワタシタチ、知りタイ事が、あるんです。」

不意に窓から視線を外そうとしない同業者の男ではなく、目の前の人物から少しぎこちない発音を含む日本語で話しかけられて、万智は思わず目の前に座る妖精お嬢様に視線を戻していた。



※※※



「きょーぉ!!」

辿々しいのに、力一杯の発音。それを耳にして思わず目の前に座っていた榊恭平が、破顔して悶絶しかけているのはやむを得ない。何しろ目の前にお座りして満面の笑顔で恭平に向かって紅葉のような手を伸ばしているのは、やっと少し前に一歳を過ぎたばかりの幼馴染みの愛娘・村瀬真緒である。そして言うまでもなく、ここは村瀬夫妻が愛娘と幸せに暮らすマンション。スッカリ室内は子供用品で溢れていて、村瀬家が愛娘中心の生活をホノボノと送っているのは言わずもがな。その言葉を真緒の背後で聞いていた篠が、思わず苦悩の大きな声を上げてしまう。

「真緒!なんでパパより先に恭平なの!!?パパでしょ!!そこは!!」
「真緒ー?」
「きょー、ちゃ!」

幼馴染みの家にそれ程には頻繁に通ったつもりはないのだが、恭平が折に触れ真緒のためのベビーグッズやら何やらを村瀬家に差し入れていたのは事実だ。それのせいとは言わないが、何故か真緒は年若い妻のため産休迄とった父親である村瀬篠ではなく、幼馴染みの恭平の方を先に呼ぶことを優先してしまった。そんな訳で恭平を満面の笑顔で迎える真緒に、『パパ』をお預けされ続ける篠が苦悩に頭を抱えてしまう。

「篠ちゃんが、あんまりしつこすぎるからよー。」

なんて事を言い呑気に笑う妻・村瀬真希を更に背後に、しかもハイハイをする真緒は真っ直ぐ父ではなく恭平に進むわけで。当然のごとく一足先に一歳少し過ぎに『ママ』と呼ばれるようになった真希は悠然と余裕の顔で微笑んでいるわけだが、お預け中の篠にとっては笑い事ではすまない。

「何でぇええ?!ほら、真緒!パパって!!」
「だーっ!!!きょーちゃ!!!きょー、ちゃ!」

背後から捕獲しようとする父親の手を断固拒否し恭平に向かってジタバタしながら名前を連呼する真緒に、まさに天国と地獄の様相の幼馴染み2人である。それをリビングテーブルに寛ぎながら眺める、こちらも幼馴染み村瀬真希と榊仁聖は苦笑いするしかない。

「恭平さんって人気ねぇ。」
「恭平、鳥飼ツインズにも大人気なんだよね。子供に好かれるんだよなぁ。」

何せ自分も4歳のころにその魅力に惹かれた一人に含まれてしまう仁聖としては、これまた重ねて苦笑いするしかない。というのも恭平は鍛練に通う鳥飼道場の双子からも大人気で、鍛練終わりに母屋に顔を出す恭平を見つけると早熟な鳥飼ツインズは大興奮なのである。そしてそのお陰で四倉家から頻繁に鳥飼家のお世話にやって来る、鳥飼梨央の昔からの弟分とかいう津田宗治から目の敵にされているのだ。ここでの説明は割愛するが、元任侠一家の四倉家に子供の頃から育てられてきた津田は今も昔も梨央のお世話を人生の支えにしていて、目下一歳未満の乳飲み子2人を抱えているのに梨央は看護師を再開している。梨央が居ない時には鳥飼信哉が2人の面倒を見ることになるので、津田は頼まれているわけではないが足繁く鳥飼家に通い続けているのであった。(ただし夜間の泊まり込みは鳥飼夫妻が断固拒否しているというので、津田は泊まり込みはしたことがないそうである。)

「目の敵って……。」
「だって仁も澪も人見知り期間に入った途端に津田さんにギャン泣きしてんだよ。」

そう遂に愛想の良さで引く手数多だった鳥飼ツインズが、生後8ヶ月を越して人見知り期間に突入したのだ。ところが何故かツインズは特定の人間にはケロッとしているらしくて、その中には当然ながら恭平(と仁聖。仁聖がカッコなのは、最初に抱き上げると少しだけツインズが『ん?』という顔を見せるからだが、残念ながらギャン泣きまでは至らないので、鳥飼夫妻から『セーフ』認定をされた。というかツインズは人見知りがハッキリしていて、ダメな相手には完全にギャン泣きするそうである。)が含まれている。当然の事なのか槙山忠志はツインズにとっては自分達の兄弟認識なのか人見知りに入らなかったし、祖父とでも認識されているのか外崎宏太も全く平気らしい。しかも鳥飼信哉の幼馴染みである土志田悌順も宇佐川義人も、やって来てツインズを抱き上げればこれまでと変わりなくキャッキャウフフしている。それなのに日頃誰よりも遥かに顔を会わせている筈の津田には、ツインズは漏れなく揃ってギャン泣きするというのだ。

「ぶっ、切なっ!!何それ。」
「ほんとだよ、仁はまだしも澪なんかそっくり返って泣くしさ。」

それこそ引き付けでも起こしそうな勢いで反り返ってなく鳥飼澪に、暫く鳥飼両親からツインズに接近禁止令を出された津田の殺意の籠った視線が恭平達を睨むのが怖くってさぁと仁聖が苦い顔をする。何しろ人見知り選択権は全てツインズにあるのでどんなに津田がこっちを憎悪で睨んでも仕方がないのだが、津田としては同じ他人の筈の榊家2人ツインズから容認されているのがどうにも許せないらしい。

「津田さんって人、そんなに顔が怖いの?」
「いやぁ、普通だと思うけど?比べたらよっぽど越前ガニの方が怖いって。」

その越前ガニとは2人の高校時代の世界史教師のことで、授業中に何故か黒板の前を左右に横歩きをする癖があって昔からそう呼ばれている中年教師だ。当の越前も去年同じく英語教師をしている櫻井女史を妻に娶り、子供を授かったばかりである。それにしても越前よりはふた回り近く年の若い津田も、そこと比較されているとは思わないに違いない。

「子供ってあっという間に大きくなるから、もう少ししたら落ち着くわよ。」
「うわ、貫禄のママ台詞。ヤバい!それ。」

何ですって?!と眉を上げる真希に、仁聖は母親の貫禄をつけ始めたなぁと改めて微笑む。真緒のお誕生日には何も出来なかったからとこうしてやって来た榊2人と共に、白々とした冷たい冬の空気から窓ガラスで守られた村瀬家の長閑な空気がホノボノと漂っていたのだった。
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