鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話104.予感3

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どんなに忘れようとしても何度も何度も闇夜を照らす鮮明な月のように自分の心を惹き付けて、挑みかかる危険な獣のような瞳に見つめられると息が詰まってしまいそうになる。その薄暗い室内には様々なポスターが隙間なく貼り尽くされていて、元の壁は何処にも見当たらない。勿論普通の部屋にあるべきベットやテーブルは一応は簡易的な物が存在しているけれど、壁に一つの窓もなく外の光の射し込まない内部には壁と言う壁に人の顔が大写しになって四方から中心を見つめ続けていた。
それは大小の差はあるが、同じ人物の顔だけが大写しになった物。
勿論身体の写るものもあるけれど、どれもが顔を中心にしているのは言うまでもない。それらはサイズのバラバラなポスターで、意図はそれぞれに違う物だけれど写っている中心は一人。そこは何枚もの同じ人物の写るポスターで、壁中が隙間なく埋め尽くされているのだ。それらは正直に言えば正規のルートで入手出来るものではなくて、最初の一枚は上手くタイミングがあって偶々手に入れられたとしか言えない物だった。それ以外の物はそれを貼り出していた店舗の店員に金を積んで買い取ったりオークションで競り落としたりしたものや、本来なら個人の手には渡らない物を闇に紛れてショーケースを割り引き剥がしてきた物もあった。

…………仕方がない、彼を自分の手元に置くためには

この短期間でこの枚数を集められたのは、正直言えば奇跡としか言えない。何しろ一度はもう自分は全て諦め、彼のことを忘れようとしていたのだから。そんな筈の自分の前に彼は唐突に姿を見せて、自分の弱い心を焚き付けてきたのだ。
余りそこには訪れる機会がなく、自分自身もすすんではその役目をかって出ることはなかった。それなのに偶々他の人間が行けなくなって、代わりに自分が渋々その役目を変わったその日に限ってそこにそれは貼られたのだ。雑貨屋兼食料品店の壁に貼ってあっ真新しいたポスターから、彼はあの清んだ瞳で真っ直ぐに自分を見据えていた。思わず無意識に歩みよる。暫く前にここに来た時にはそんなポスターはなかった筈なのだが、新商品のスポーツ飲料水のポスターだという触れ込みで貼られていた。でも、これを撮ったのは、かなり前だということは当然のごとく知っていたのだ。けれど、僻地のここにこれが届くまで、こんなにも時間がかかったのだと気がつく。1年以上もかかってやっとここにこれが届いたのは偶然なのか。

それにしてもワザワザ自分の目に届くところに、このポスターが届くなんて…………

全身を飛沫に濡らして、濡れた肌を滴り落ちる真珠のような水滴。それは時には美しく長い睫毛に珠のように転がり、時には色っぽく濡れた唇の先で雫に変わる。そして青く清んだ氷水のような挑みかかる視線が、渇きを訴えかける獣のように真っ直ぐに自分の胸を貫く。

あぁ、なんてことだろう…………

未だに彼は秘匿しているのか大きなショーに出た訳でもなく、人前でランウェイを歩く程の期間をこの仕事で過ごした訳でもない。それなのにたった一枚の販促ポスターですら、こんなにも鮮やかに魅惑的に人を惹き付けてしまう。それがどんなに罪深く魅惑的な存在だというのかと、あっという間に忘れようとしていた思いに恋い焦がれてしまう。

「カッコいい!何このポスター?!」

一緒に買い出しに来た痩せぎすの女が歓声をあげたのに、何故か背筋がヒヤリと冷える。もしかしたら自分の目の前で、その女にそれを奪われるかもとチラリと思ったからだ。でも女はそれを欲しいとは言わなかったし、直ぐに必要なもののを書き込まれたメモを見ながら買い物に集中する。暮らしている山の中では、早々には手に入らない品物を籠に次々投げ込んでいく。何しろ買い物は週に1度程度だし、これからは雪が降るから更に足は遠退く。それをよく知っていれば、販促ポスターなんかに気を取られている場合じゃない。それは分かっているけれど、自分の心の中は既に彼に再び惹き付けられてしまっていた。

欲しい…………あれが………………

あんな販促ポスターなんかと思った。そんなものじゃなく、自分はちゃんと本人を知っていて、これまでにも直に話したこともある。例えあの時は彼が自分を記憶していなくても、あの後きっと何度も自分のことを考えてくれた筈で。もしかしたら自分のことに気がついて、友達になってもいいくらいには思ってくれているかもしれない。その思いが心に満ちていくと共に、それは誤っていると言う心の声を無視して飲み込んでしまう。いや、間違いなんかじゃない。自分のこの思いは過ちではなくてきっと真実の筈だ。何しろこんなにまで、真っ直ぐに自分のことを彼は見つめているのだから。

「ちょっとぉ?買い物早くおわらせよおよ!」

一緒の買い出し班になってしまった女が不満そうに自分に声をかけるのを聞きながら、自分はこんなところで何をやっているんだろうと思う。確かにあの人の側にいては駄目だと周囲から言われて、こんな山奥の携帯の電波も届かない僻地に言われるがまま追いやられて、既に気がつけば1年以上も経ってしまっていた。ここではやったこともないのに牛や山羊や羊の世話を朝から晩までして、何も文明の気配もない部屋で本ばっかり読んで暮らすしかない。そしてどうやら周囲の同じ歳頃の奴らは、大概が自分みたいに関東圏から一時的に社会的に隔離されるためにここに来たようだ。何しろこの一緒に来た痩せぎすの女は、何年か前に恋人と肉体関係になる前に見ず知らずの男達に拉致され強姦されたのだとか。それまでの奔放な性的関係をしていたツケを払わされたらしいが、過去のセフレの仕返しで他人数にまわされ一時的に頭がイカれたのだと他の仲間が密かに話していたのはここだけの話し。

誰もが似たような経験やら何やらで逃げたか、ほとぼりが覚めるまで隔離されているか…………

一番最近やってきた病的に痩せた男は二階の窓辺から自分達を幽鬼のように物憂げに覗きはしているが、まるで幽霊みたいに痩せこけて独りで自由に歩き回ることも出来ないらしい。その男自身何か事件に巻き込まれて、そんな身体になったらしいと牛の世話をしながら他の奴らがヒソヒソと話している。とはいえその痩せ男は他の面々とは違い経営者の遠縁の親戚らしいから少なくとも今すぐ牛の世話とはならなそうだし、どう見たってあの身体では肉体労働はできないだろう。

そんな奴らのシェルターってやつなんだ…………ここは。

そう自分でも気がついたけれど、自分がここに来た理由を考えると次第に混乱していくのが分かる。何しろ自分は別に誰かを傷つけたわけでもないし、傷つけられたわけでもない。ただ幼い頃から知っている……所謂幼馴染みのモデル業を応援していただけで、別に何も問題に巻き込まれたわけでもない。同じ事務所のスタッフになり、陰日向となり手伝いをしてやっていただけのこと。それなのに暫く全く音沙汰もなく出会えなかった彼にこうしてここでポスター越しとはいえ出会えたのは、下世話な呼び方だけれどきっと運命なんじゃないだろうか?

あぁ、また一段と男っぽくなってる…………

幼い頃はまるでお人形のように円らな瞳で、ほんの少しからかうだけで大きな瞳を涙で一杯にしていた。それなのに久々に目にしたポスターの中の彼は、凛とした涼やかな男の色気を漂わせた渇きを訴える獣。出来ることなら自分の物にして、自分の世界の中に隔離して、自分だけを見つめさせてしまいたい。あぁもしそれが出来ないなら、あの美しい瞳を誰も見ないように潰してしまいたいとすら思う。
だから自分は店員と一緒に来た女の目を盗んで、彼の視線を音もたてず引き剥がす。持ち帰るのに幾分折れてしまうのは無念だったが、今はこの視線を他人に向けさせないようにするのだけが最優先としか思えなかったのだ。
そうして暫く準備をして、自分はあの場所を抜け出した。
最近は特に何も行動をしていた訳じゃなかったから施設の人間の監視は緩かったし、元々自分はここの職員のきつい方言混じりの言葉が半分しか理解できていなかったから早々口を利いてもいなかった。だから尚更自分が何か変化したことも気がつかれなかったし、自分が我に返り彼のもとに返ろうとしているのも気がつかれなかったのは幸いだ。

ここに戻ってきてからは、彼を集めるのに躍起になっていた。

想定よりも1年の内に彼は沢山社会に顔を晒していて、しかも見るたびどんどん洗練されていくのが分かってしまう。あの山の中に送られてきた彼のポスターはかなり下になってしまったけれど、クシャクシャに折れてしまった彼の上に今の彼を張り付けたので許してもらえる筈だ。流石に先日ショーケースを割った時には警報がなって、それでも彼のために丁寧に剥がそうとしたから危なく警察に捕まってしまうところだった。

それでも自分の手元に来たがっているい彼のためなら

そう考える自分が歪に歪んだ笑みを浮かべているのに、全く自分自身が気がつこうとしていないのはいうまでもないことなのだった。



※※※



「これまでの小売店に届くまでに?」

そう久保田惣一は、リビングから届いた言葉に眉を潜めた。リビングの真ん中では久保田家の天使・碧希にキャッキャウフフと楽しげに居酒屋・伊呂波店主の浅木真治がの胡座の膝を座り込みペチペチと叩いている。因みに愛娘は絶賛人見知り期に入ったのだが、浅木達弟分には全くもって泣きもせず受け入れているのは当然の。その癖父親である惣一が、抱き上げるのには絶妙に拒否をする有り様だ。

惣一君、興奮しすぎて静電気出てるんじゃないの?

妻・松理に呆れたように指摘された惣一は時期的なものと元々の体質が合間って確かに帯電状態で、先日パソコンを1台クラッシュさせたばかり。お陰で目下惣一の両手首には、所謂静電気除去ブレスレットが3重にも装着されている。そんな惣一をさておき碧希の方はその壊れたパソコンの前に座り込み、動かない画面を覗き込みながらカチャカチャとキーを叩いていて。『家の子、天才!』と惣一を悶絶させたのはさておき。

「微々たる値上げっすけどね、量を仕入れてるとこには流石にジワッとダメージありますね。」

というのは最近の経営状況で長年取引をしている小売店での、酒類の小売価格が少し値上げしたという話なのだ。それ自体は輸送費やなにかで店舗特有の依頼することもある居酒屋・飲食店としては、それ程珍らしい事ではないと浅木は言うが、それでも基本の小売価格が少し上げられたのだから何か有るのかと調べはする。これが一時的ならまだいいが調べてみたら少し先行きが不透明で、しかも販売先の殆どには事前の説明があったに何故か久保田に関連する人間のいる店舗には説明が行き届かなかった。

「兄貴んとこもでしょ?」
「うちのは少し事情が特殊だからな。俺が見てないから仕方ないとしとく。」

少し酒類は笊勘定だったと惣一が苦笑いしているのは、最近勤めた佐倉に酒類はある程度自由に買い付けて良い惣一が許可してと新しい種類を増やしたところだったからだ。夜営業は最近佐倉と鈴徳良二に任せる日もあって、経営に関わった事のある良二なら兎も角佐倉の方は雇われバーテンダーはあっても仕入れ全部を任されたことがなかったのも災いした。高価な種類を一度に購入したので金額が突然跳ねあがる羽目になって青ざめた佐倉の報告に、そんな位大したことではないのだけれど普段より遥かに高いなと惣一も首を傾げたのだ。そして酒類と言えぱ如実に変化が起きそうな浅木に、何かあるか?と問いかけた訳だが。

「販路ねぇ……。」
「そこ、代替わりしてたの誰も知らなくて。それに、その会社いつの間にか消えちまってて。」

奇妙な話でこれまでは中継していた筈の輸送会社が、中間でポコッと一つ消え失せたせいなのだという。お陰でそこを中継する別な会社を探して依頼の物を保管し運ばないとならないという一手前が増えたせいで、少しだけ小売価格が上げられる事になったわけだ。本来なら大手であれば他の販路を経由させれば良いだけのことだが、特別に注文していた物ばかりを扱っていた販路での事だったので対応が難しかったようだ。それにしても他の店舗経営者にはちゃんと話が通っていたのに、という点には惣一だけでなく浅木も引っ掛からないでもない。

「なんなんすかね?ちょっと気持ち悪いっすよね。」

全くなんともないとは、流石に惣一にも言えない。知り合いのワインバー・エキリブレにはちゃんと事前に話が通っていたというし、もしかして自分がいない時に連絡が来ていた可能性もあるし、これが初めてのことでもある。勿論問い合わせたらこれまでの馴染みもあるから、脱兎のごとく小売店が駆けてきて頭を下げたというのもあるのだ。

それに、その消えた会社は今どうしてるんだ?

販路を持つような会社が突然営業をしなくなったら、その会社の従業員はなにをどうするのか?そんなことを気にしても仕方がないと言われるかもしれないが、正直会社の規模としては小さくはない筈だ。それが消え去るなんて事はあり得るのだろうか?そんな風に首を傾げてしまうのは仕方のないことだった。

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