鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話86.悲しい恋の行方10

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昼間に来訪者があったとはいえ、既に夜の帳が落ち始めた家の中は普段と同じ邑上誠と祐市だけのものに戻っていた。シン……と静まり返って物音1つしないリビングの窓の外からは、秋の夜長に微かな虫の鳴き声のようなモノまで聞こえている。庭はそれほど広くはなくて、ほんの猫の額程しかないのは言うまでもない。それでも都会の中の住宅地に平屋で庭付きとなれば、もし借家だとしてもかなりの金額になるのではないだろうか。

来年になったら、庭も少しいじろうね、誠。

そう最初の日にカーテンを開けて見せて振り返った祐市が、車椅子の誠に向けて微笑みながら話していた。これから冬を越して春になってもここに2人で暮らせるの?そう戸惑い疑問を溢した誠に、祐市は『もうこれからはずっとここで2人で暮らすんだよ』と柔らかな陽射しに照らされ微笑む。それはここを購入したと言うことなのだろうかと、少しだけ戸惑ってしまう。過去に市玄が所有していた土地は、等の昔に上物を撤去した上で売却していた。その直後に何処かの不動産社長が一部を購入し、有名建築家に依頼して邸宅を建てたのは知っている。でも、まぁあの家で何十人も酷い目にあったわけで、それが染み込んだあの土地はその後曰く付きの場所になり変わったらしい。そんなのはまぁ今は関係ないことだが、結局はまた上物を撤去され、更地にして売りに出されるとか。

…………普通の幸せ…………

2人ともがこれまでずっと市玄のせいで闇の底でしか生きていなかったから、そんなマトモで普通な幸せに暮らすなんて言われても直ぐには信じられない。そう呟く誠に『それでもそうだから』と、祐市は朗らかに笑ってみせていた。それからここで暮らし始めて、祐市がずっと何故か大切な人のように誠の世話をしてくれて。しかも何故か眠っていた間に、祐市からキスまでしてきて。誠はそんなあり得ない筈の何もかもに毎日混乱しながらも、それらは祐市から市玄を殺した自分への感謝の現れなのかなと勝手に推察していた。

でも…………それとあの女の話は別な筈だ。

祐市が最初で最後に心底惚れた唯一の女性。誠自身としては、昔過ぎて既に名前すら記憶にない世の中で1番に邪魔な女。祐市がその人との幸せな家庭を築く寸前に、市玄に彼女を差し出して何もかもを滅茶苦茶にしたのは誠なのだ。市玄が勝手に発見して手を回したように見えるよう誠は仕組んでいたのだけれど、絶対に何処からも情報が漏れないとは言いきれない。何しろそのために手を借りたあの悪魔自身が、完全に信用出来るとは誠にも言いきれないのだから。だからもし何かの切っ掛けで祐市が真実を知ってしまっていたなら、祐市は市玄どころでなく誠を誰よりも憎悪するに違いない。
まぁそんな昔の話は兎も角、…………兎も角としてしまわないと誠は難しいことを考えられる頭ではなくなってしまったから、今から何かを画策しようにもどうせ出来ない訳だ。しかも祐市からの問いかけで感情のコントロールの出来ない誠は、完全に泣きじゃくり出して泣くことが止まらなくなってしまっていた筈だった。

…………?……???

しかし気がついてみたら何故、今こうして祐市の胸の上に乗せられた形でベットにいるのだろう。穏やかな寝息と虫の音を耳にしながら、目下誠は呆然としている。確かに泣きじゃくる誠を抱きかかえて、泣き止むようにあやしてくれていた祐市の声は何となくだが記憶にあった。でもいつの間にか過換気症候群になって酸素が上手く吸えなくて記憶が朦朧としていって、そしてふと目が覚めてみたら何故かこうしてベットイン。しかも先日『一緒に寝るのはもうなしね?』と祐市の方から笑顔で宣言してきた筈なのに、狭いベットに一緒に眠っていたわけで。

包み込まれて、暖かくて、気持ちいい

いや、そこで幸せを噛み締めている場合ではないのかもしれない。あの時の誠の返事に祐市は何と思ったのか。それに関しては、興奮してしまったせいなのか記憶が全く覚束ない。今はこんな状態の誠でも、過去にやってしまった罪は罪だ。もしここから目が覚めた祐市に断罪を再開されてしまうのだとしたら。

堪えられない!今、僕は

この自分の状況で、こんなにも心底頼りきっている祐市に断罪され捨てられたら。この幸せを感じて慣れてきつつある自分が、何もないあの病院とか警察に置き去りにされるとしたら。それを考えると幼い子供みたいに怯えて震えてしまう程、それが怖くて仕方がないのに。それを避けるにはどうしたらいいのか、せめて車椅子にのって昼間みたいに何処かに籠ればいいのか。そんなくだらない対抗策しか思い付かずにジタバタと踠く動きが大きすぎて、転た寝していた祐市も全くもってタイミング悪く目覚めてしまう。

「誠、起きたの?どうした?夢?」
「ど、どうしたって……、にぃ、さん。」

こうなると慌てているせいで尚更、上手くその先の言葉が紡げない。胸の上で戸惑い震える誠の姿に、祐市はふと大きな欠伸を1つついて見せて、まだ眠たげにその身体を無造作に抱き寄せていた。恐らくこれは祐市が寝ぼけているのだと思うけれど、胸元に頭をギュッと押し当てられポンポンと子供にするみたいに撫でてくる。

「もう少し、寝て。俺も、寝る。」
「は?え?」

断罪どころか、もう一度寝ろ?いや、えっと?これは…………祐市が寝ぼけているから、また朝に仕切り直し?いやいや、人間眠いから怒るのは後回しなんて無理なことだ。感情と言うものは熱量が強いものほど大きく激しい。つまり1番熱量の激しい怒りがあれば、そう簡単に寝てなんか…………いや既に祐市が転た寝していたということは、何か?さっきまで祐市は泣いて怒っていたと誠は思ったのだけれど、あの誠の返答で祐市は気が済んだということか?あの程度の返答で?いやいやいや。

「ほら、寝て。悪い夢は終わり…………ね。」

悪い夢。何もかも、そうだったら確かにいい。市玄が自分を買い取ったことも、祐市の後を継いで調教師になれなかったことも、奴隷に落とされて全てを祐市に捧げようとして暗に遠回しに拒絶されたことも。
やがて規則正しく祐市にあやされトロトロと微睡み、暖かな心音に包み込まれて誠自身もついつい眠りに落ちていく。
そうだったらいい、祐市に最後まで壊して貰えず別な男に惚れ込んでしまったことも。外﨑宏太と言う男に何もかも壊してくれと頼もうとして一も二もなく拒絶されたことも。祐市が知らぬ間に自分ではない大事な女を見つけて囲っていたことも。
スウスウと規則正しい祐市の寝息につられて、誠も更に深い深い眠りにあっという間に落ちていく。
祐市の大事な女を罠に嵌めて市玄に生け贄のように差し出し、何よりも真っ先に祐市を殺す結果になってしまったことも。あの女もあっという間に先に死んで、結局は市玄だけが醜悪に生き残ってしまったことも。溝臭く奥歯を噛み締めて呻き、存在自体が汚物のように変わっていく市玄から、何とか遠ざけようと誠が祐市の子供を密かに親代わりになり隠して引き取ったことも。何もかもが悪夢であって欲しい。
もう深い眠りの底でしかこうして思い出せない記憶の渦を感じながら、ただ抱き締められる暖かで穏やかな腕に安堵したまま眠りに落ちていく。
あの後誠は、必死で祐市の子供を育ててきた。勿論自分では最初からマトモな親になれないことは理解していたけれど、あのおぞましい市玄からも何からもこの子供を自分が守らないとならない。

大事な大事な人の生きた証で、愛されるべき子供。

自分は結局は祐市に全てを捧げたのだから、この子供が誰からも傷つけられないように、誰からも愛され幸せになれるようにしてやる。そう思っていた筈なのに、子育てというものはまるで上手くいかない。この子供には何でもしてやるつもりなのだけれど誠は自分自身が実の親も義理の親にも何かをして貰った事がないから、どうしてやるのが正しいのかまるで分からなかったのだ。だから、何時も空回りして余計なことまでしてしまう。友達になろうとしていたのかもしれない子供同士の他愛ない諍いに、裏から関与してその子供の親ごと叩き潰してしまったこともある。それが正しくないのは、誠にだって何となく分かってはいた。それに参観日とか面談とか言われても、自分がその経験がまるでないから行っても何をどうしたらいいのか訳が分からないのだ。何かを手探りしようにも誰もマトモな親でもない誠を胡乱な視線で眺めるばかりで何一つ説明してくれないし、悠生は悠生で『何ともない』と繰り返すばかり。

何ともなくないだろうに…………

幼い頃に『泣く声がうるさい』と何度か訳も分からずに誠が怒鳴り付けてしまったから、悠生は自分や祐市みたいに声を殺して泣くことを覚えてしまったのをどれだけ後悔したか。そんな風に泣かなくていい。泣きたかったらもっと他の子供みたいに声を出して泣いていいし、もっと誠に文句を言っても何も本当は構わないのだ。それを許してやれなかったのは、誠が泣いている悠生に誠が今されているみたいにあやしてやるということを知らなかったせいだった。

悠生…………

フワリとその名前を囁く自分の声。そうだ、悠生はどうしたのだろう。あの子は今どうしている?祐市と2人でこんな幸せに呑気に暮らしているけれど、あの子をちゃんと幸せにするのが自分の最後の願いの筈なのに。自分はもう永遠にマトモな人間には戻れないのだから、ちゃんとあの子にだけはお前は何も悪くないのだと伝えなくては。あの子にお前は幸せになりなさいと伝えておかなくては。

お前は大事な子供なのだから…………。



※※※



目映い朝日に目覚めるとベットに誠を抱えて横になったまま、寝落ちてしまっていた自分に気がつく。胸の上には同じくあのまま寝てしまったらしく、穏やかにスウスウと寝息をたてている誠がいる。安堵しきっているけれど泣き疲れて寝たせいで目元が赤くホンノリ色づいてしまっていて、少し腫れているのに気がついて失敗したなと悠生はズリズリと身体を引き起こす。

「んぅ、…………ぅ……。」

振動に誠が眉をしかめて可愛い声で呻くのに、思わず眺めていた悠生は微笑んでしまう。昨夜誠が本心からの言葉で自分が女性と交際するのに『嫉妬した』と話したのを忘れたわけではないし、結果論としては誠がしたことは許されることではない。しかもあの言葉が自分に向けてだったのか、悠生の父親『祐市』に向けてなのかもわからない。でも凍りついたように見えていた誠にも、そういう風に嫉妬して行動に走る程の感情の起伏があったのが分かった。何しろこれまで自分な知っている誠は冷淡で凍りついた顔しか見せない男だったから、そういう意味ではホンの少しでも誠の事を理解した気がする。

鬱々してるよりは、前向きに考えるしかないよな

この思考回路は最近の友人の榊仁聖が悠生に教え込んだ事。というのも同じ様に両親ではなく親戚に育てられて来たという仁聖は、ほんの子供の頃から唯一無二の恋をしてきたという。しかも、その相手を射止めて恋人になるだけでなく、つい最近になってとうとう苗字まで変えた。つまり前に男同士だとも聞いていた意中の恋人と、養子縁組迄して既成事実の婚姻関係に持ち込んだわけだ。

そのとんでもないパワーは何処から来てるんだ

そう思った悠生に仁聖は、あの呑気な笑顔で『だって鬱々と考えてても悪くなるんだし、幸せになるなら明るく考えとかないと』ときた。そのポジティブさで何もかもが良くなるなら、悠生としてはそれをこれからは何とか見習おうと思うわけで。少なくとも誠自身の中にも普通と同じく感情の起伏があって、表にでないとはいえ葛藤だってあったのだと思うことにした。そして、これからは誠は自由にならない面を抱えていて嫌でも自分と2人で暮らすのだから、誠の事を少しずつでもちゃんと理解出来る男にならないと。それに文字通り悠生は誠に惚れてしまったのだから、誠のためになるなら何でもしてやるつもりだし少しでも誠が暮らしやすくしてやりたい。

「誠?起きる?もう少し寝る?」

身体を起こして問いかける悠生の腹の上に丸まるようになっていた誠が、まだトロンと寝ぼけ眼のまま顔を上げる。夜中に一度目覚めた時悪い夢でもみたのかモゾモゾとしていたけれど、その後は夢もみないでちゃんと眠れていたらしい。

「もう少し寝たい?誠。」
「ん…………ぅ?………ぉ…き、る……。」

少しまだ混乱しているような声で呟きモゾモゾと身体を起こそうと踠く可愛い誠を、思わず笑いながら悠生は軽々と引き上げ抱き起こしてやる。その動きにうんっと可愛い声を溢して誠がツンと唇を付き出す誘うような仕草をしたものだから、思わず唇を重ねてしまっていた。薄いけれど柔らかな唇に触れたのは、ほんの数秒の事だけれどハッとしたように唇を離すと目の前に熟れたトマトみたいな顔になった誠がいる。

可愛い…………
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