鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話78.悲しい恋の行方2

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痩せたと言う言葉では全然表現が足りなくて、強いて言うならその身体には『窶れた』と言う表現の方が当てはまる。そんなことを考えながら邑上誠の身体を風呂から掬い上げ、三科……邑上悠生は風呂場からその身体を壊れ物を扱うようにそっと運ぶ。元々が華奢で余り筋肉質ではない体つきの優男の印象の強い誠だが、意識不明となり生死の境をさ迷う内にその身体は更に一際痩せ細ってしまった。肋が浮く程に身体から全ての肉を削ぎ落として、もう脂肪なんてものは身体の何処にもない。しかも麻痺して上手く動かせなくなってしまった手足は、再び筋肉をつける余力すら取り戻せないままなのだ。そして元々誠より悠生は一回り体格としては筋肉質だ。元が違っていた上に、悠生はここのところ藤咲信夫の管理下で綿密にウェイトコントロールもしてる。そして定期的にジムで身体を鍛えていたから、痩せた誠を抱き上げるのは容易すぎる。

「凄い……ね。」

何が?と悠生はその言葉に思ったのだけれど、抱き上げた誠の表情を見れば何か言いたいのかは直ぐに分かってしまった。誠は流石に男の自分を、苦もなく軽々と湯から抱き上げた悠生の腕力に驚いているのだ。

それくらい誠が軽いんだよ…………

そう言いたくなったけれど、言ったからといって何か変わる訳じゃない。そんな考えに苦笑を浮かべている悠生に、抱き上げられている誠の方はキョトンとした顔で何かおかしかったの?といいたげに見つめている。

「安定しなくて怖かったら捕まってて?誠。」

所謂お姫様だっこの状態だから、不安定で怖ければ首に手を回してくれればいい。そう悠生が告げると逆上せたせいなのかホンノリ薔薇色の頬をしている誠は、素直に濡れた腕を首元に回して縋る。その瞬間自分の視界を支配した艶やかな光景に、悠生は息を詰めていた。

…………いや、ちょっと…………そう言う目で誠を見るな。

そこにあるのは透明と言いたくなるほどの真っ白な全裸。華奢すぎて触れたら折れてしまいそうな繊細で脆そうな四肢。自分に絡み付く腕の細さも、膝の下を持ち上げた脚の細さも、まるで硝子のようだ。全く脂肪の着かない胸や腹、それに隠すこともない股間。余すことなく全部が視界に入ったのに、思わず悠生は無理矢理視線を天井に押し上げる。
いや、悠生はこれまでそう言う意図の視線で誠のことを見たことなんかないし、誠は男で、あぁでも誠は市玄の調教のせいでバイセクシャルで。でも長い間の記憶がないから、今の誠はバイセクシャルではないのだろうか?いや既に市玄の影に怯えているのは知っている。だから、バイセクシャルにはもうなっている筈だ。でもそれは結局市玄の性的虐待の被害者なんだということで。つまりは誠は望んでそうなったわけではない筈だから、いや、なんで自分はこんないいわけじみた事をグルグルと考えているのか。誠がバイセクシャルだろうとヘテロセクシャルだろうと、自分は誠の義理の弟で誠は育ての親に当たるのだ。その誠を何で今突然にそんな視線で…………ちょっと待て、そんな視線ってなんなんだ?誠を自分はどう見ているって言うんだ。

「にぃさん?」

何時まで経ってもその場を動かないでいる悠生に、もしかして重いから動けないのかと心配している誠の問いかけに我に返る。それにしてもと気を取り直して考えるてみると、抱き上げている身体の軽さに面食らわずにはいられない。流石に以前の誠の体重なんて知らないが、下手すると今の誠の体重は50キロを切っているのかもしれない。そう気がついて悠生は、思わず誠を抱き上げたまま真っ直ぐに脱衣室の体重計に向かってしまう。突然に歩きだした悠生の動きに驚いて、首筋に縋りついた誠が目を丸くしている。

「な、何するの?にぃさん?」
「いや、誠の体重図ろうと思って。」
「え?!な、なんで?いいよ、そんなの。」
「良くない。誠の身体の管理してるのは俺。」

誠は独りでは立ち上がれないのだから、誠の身体を抱きかかえたまま体重計に乗って後から自分の体重を引けばいい。そう思ったからそう言ったのだけど、その言葉に何故か誠は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。その様子は少しだけ気にはなるが体重計に乗ってみて、やっぱり恐ろしい程に誠の体重が軽いことに悠生は思い切り眉を潜めてしまう。

「ど、どうしたの?にぃさん?」

数週間の昏睡の間に全く栄養摂取の出来なかった誠は、目覚めてからも食事は一度に雀の涙程度しか食べられない。それに食品によっては食べても上手く消化できないらしく、どうしても柔らかく味の薄い消化に良いものしか口にしない。神経の症状なのか他の被害者と同様に消化器自体の動きも悪くなっているから、どんなに飲み込もうとしても喉を通らないらしいし、下手に無理させると全て吐いてしまう。だから本当に小皿1つ分ずつだけ程度の量しか一度には食べられないから、後は食事の回数を増やす事で対応するしかない。

そんなに手間がかかることしなくていいから

そう誠は申し訳なさそうに言うけれど、そうでもして食べさせておかないと更に痩せて、末期の病の患者のように窶れ枯れ果てて死んでしまいかねない。そんな風に栄養もとれずに窶れ続けていくだけだとしたら、元に戻るものも戻らないと悠生は思う。

「誠、痩せすぎ。もっと食べなきゃ。いいね?」
「え、あ、…ぅん……………はい。」

戸惑いながらも素直に頷き返答してきた誠が可愛く見えて、思わず悠生は微笑んでしまう。その笑顔に誠は何故かボォッと見とれていた様子だが、誠用の椅子におろして座らせると慌てたように自分でやるからと口にする。それを悠生は完璧に聞かないふりでスルーして、誠の身体をバスタオルで包みこみ丁寧に水滴を拭いとっていく。

………………俺は…………何考えているんだろう…………

バスタオルで包みこんだまま抱き締めてしまいたいと考えている自分に気がついて、悠生は頬を染めて身体を拭われている誠のことを見つめていた。



※※※



「消化にいい食事…………?」

生活に慣れるために仕事を暫く休むと言っていた相手から久々にLINEしてきたと思ったら、話題は近況ではなく病院食みたいな栄養のある食事を作りたいからレシピを教えてくれときた。

「レシピ…………レシピ…………ね。」

その文面を眺めつつ榊仁聖は、邑上誠と暮らすつもりなのだと真剣な顔で告げた三科悠生の顔を思い出す。あの事件の後、仁聖と悠生の関係は急激に良好なものに変化した。互いの身の上の共通項に気がついてからは親のいない者同士の親近感なのか、わりと腹を割って話せるフランクな関係になっている。
悠生は邑上誠は親代わりとして自分を育ててくれた相手ではあるけれど、自分としてはマトモに育てられた記憶はないのだとも話していた。けれど、その割には悠生は一緒に暮らすなんて重大決断をして藤咲の伝で一軒家を借り、不自由な身体の邑上の世話は自分でするのだと告げたのだ。

色々悪かった……兄がしたこととはいえ…………

邑上はこれまでにも悠生が望みそうだと勝手に判断して、勝手に先に行動してしまうことが多々あったのだと言う。悠生曰くだが、邑上のその行動で自分には不相応な海外撮影の仕事が舞い込んだのだという。つまりは悠生が選んだ海外の方は邑上誠が裏工作して準備した仕事であって、元々江刺家八重子の方の仕事が悠生の自力で得た仕事だったと言うことなのらしい。それを後から知って悠生は邑上に怒りを覚え詰め寄ったけれど、邑上から『お膳立てしてやっても、才能がないからそれを生かせない』と嘲笑を浴びせられてしまって反論の余地を失ってしまっていたのだと言う。2人の関係性は何時もそんな感じで、勝手に邑上に動くなといっても邑上は聞く耳を持たず、気がついた時には既に何か終わった後という感じなのらしい。
そして、自分が自力で掴み取った仕事を取り戻そうと足掻いていた悠生に、邑上は仁聖に仕事が出来ないようにしてやろうとしたと言うことなのだ。ただあの時邑上は別な自分自身の意図で外崎宏太や外﨑了に接触を図ろうとしていたらしく、邑上にしてみたらタイミング悪く全てが重なってしまった。それにしても随分片寄った愛情表現だったんだなと仁聖が言ったら、愛情表現?!と悠生の方が面食らっていた。でも結局はやり方の分からない愛情表現だったんじゃないかな、と何となく仁聖としては思えてしまうのだ。

「消化にいい、かぁ。…………あれかな。」

そして事件は終わって外﨑宏太に右肩を砕かれ病院に担ぎ込まれた邑上は、他の被害者と同じく意識不明に陥ったということらしい。そうして再び気がついた時には、記憶障害と幾つかの障害を残しただけの邑上誠が残されたいた。

…………でも、俺、誠と一緒に暮らそうと思う

悠生がそう言ったあの時の顔に浮かんでいた感情の片鱗に、仁聖は密かにだけれど見覚えがあるんだと心の中で思っていた。悠生自身の顔に見覚えがあるのでなく、同じような顔つきをして、心の中に無理矢理押し込めようとしている押さえきれない感情の存在を知っている。それがいいとか悪いとかじゃない。正しいとも間違っているとも言えない。そして他人には決して分からないだろう、言葉にして伝えることの出来ない思いの存在。それは仁聖だからこそ、絶対に口出しなんか出きる筈がない切実な思いだ。

だって、俺も同じような顔をして傍に居たいだけなんて前に言ってたから

相手が相手だと分かっているから、自分とは少し違うかもしれないとは思う。けれど同時に、それでもたぶん仁聖の考えは間違ってはいないとも思っている。そうでなければ幾ら育ての親だからとはいえ、マトモに育てられていないなんて思う相手を自分の生活を犠牲にしてまで尽くそうとは思わない筈だ。悪いけれど自分が源川秋晴のためにそこまで出来るか?と問いかけられたら、叔父には申し訳ないがたぶん無理だ。どんなに長年育ててくれた(?)相手でも、仁聖は秋晴のために自分の暮らしを変えてまで世話をすることは出来ない。勿論それが榊恭平だったら話しは全然違う。恭平のためだったら仁聖は何もかも捨てても構わないと思っているし、恭平のためだったら身の回りの世話だって嬉々としてやるに違いない。

そう、そういうことなんじゃないかな…………

ポチポチとレシピを打ち込みながら、仁聖は悠生にとっては何がどうなるのが一番の幸せなのかなとふと思う。相手が邑上誠だから、でも悠生にとっては唯一の相手でもあるだろうから。



※※※



「にぃさん、これ美味しいね。」

1匙を口にして綻ぶように微笑む誠に、思わず悠生も微笑んでしまう。自炊した期間はあるとはいえ悠生の料理の腕はまだまだ男料理の範疇で、療養に適した食事をそつなく作れるほどではない。そう言う意味では仁聖のように、『言われれば何でも作れちゃうよ?』的なパーフェクトな料理の腕前は羨ましい限り。とは言え羨んでも直ぐ身に付くわけではないし、少しずつ少しずつ腕を上げていくしかないのだ。
それでも悠生だってレシピを見て作ることは出来るのだから、仁聖に何か簡単に作れる消化のいい食事はないかと問いかけたら『これはどう?』と幾つかレシピを教えてくれた。その中の1つの麩を使った卵とじを作ってみたら、誠の口に合ったみたいで嬉しそうに食べているところ。

「良かった、口に合うなら。」
「ごめんね、何時も作ってくれるのに、中々食べきれなくて。」

シュン……と萎れてしまった誠に気にしないでと微笑みかけると、誠は少しだけ不思議そうに目を細めて悠生の微笑みを眩しそうに見つめる。何故だろうか一緒に暮らし始めて、こんな風に悠生の顔を見つめる誠が増えた気がしていた。もしかして何か悠生のことに関して記憶が戻ろうとしているのかと、少しだけ不安になったりする。何しろ誠の中にある筈の悠生を育てていた辺りの記憶は、きっとあの暴君に変わっていく過程でもあるのだから。

「誠?」
「あ、ごめんなさい、少し考え事しちゃってた……。」

カチャカチャと食器を使う音が再開して、少しずつ重くなっていく匙を必死に口に運ぼうとしているのが分かる。皿にあるのは普通の人間なら味見程度から、少し多いくらいの量しかない。それでもここに来て一番量はとれているなと思うと、悠生の表情はまた自然と微笑みに変わっていく。

「…………に、ぃさん?」
「ん?何?誠。」
「えと…………何で…………そんな、うれし、そ………………なの?」

そんなに顔に出ていたのかと少し恥ずかしくなってしまうが、素直に誠がちゃんと食事を食べれてるからと答える。そう答えた途端ボフンッと後が聞こえそうな程勢いよく誠の首から上が真っ赤に染まったのに、悠生は驚いて目を丸くしてしまっていた。こんな風に真っ赤になってしまったのは、何故なんだろうか。そんなこと考えたくてもいいことなのに、誠の姿をみていると悠生はここのところそんなことばかり考えてしまっている。
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