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間章 ソノサキの合間の話
間話74.ひととき
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そうして昨夜の余韻がありありと残る身体で、榊恭平はうっすらカーテンの合間から射し込む朝日の中で一人先に目覚めていた。まるで鍵でもかかっているように確りと自分を抱き締め、スヨスヨ眠り続けている恋人の腕からそっと彼を起こすことなく流れるように滑り出す。
「っ…………。」
漏れ出そうになった苦痛の声を必死に飲み込み、それを逃がすようにホォ……と深く吐息を吐いた恭平は、ベットの端に腰掛けて少しでも腰の痛みが少し遠退くのを待つ。腹の奥に灯る熱の熾火のようなチリチリとした感覚と、血液が流れにバクバクと拍動しているような鈍い痛みの強弱の波。それが何なのかは、既にこれまでにも何度も経験したから良く分かっている。
…………仕方ないな…………
情けないことだが昨夜は調子にのってしまって、自分もついやり過ぎてしまったが故の痛みなのだとちゃんと分かっている。これが同性で愛し合うからこその、痛みと言えなくはない。というよりも本来ならそこで受け止めるべきではない性行為という事実は、どんなに愛情かあるからと言っても覆せない性別と身体の作りというものだ。
……あの、一つ聞いても…………良いですか?
そう以前に一度恭平は『茶樹』のカウンターに並んで、外崎宏太に問いかけたことがあった。勿論外崎了もそこに居たには居たのだけれど、恭平の神妙な質問に対して了の方は先に『俺は良く分かんないなぁ』と呑気に答えたのだ。それを聞いていた宏太は呆れたように一瞬眉を上げはしたものの、一応本職だった知識も含めて丁寧に対処法迄(2人に)教えてくれた。所謂アナルセックスというやつは肛門に相手の陰茎を挿入し性交するのだが、その性行為に伴う痛みを感じるのは全体の7割に及ぶそうなのである。肛門は女性の膣とは違い挿入を前提とした臓器ではないし、腸内は擦ることを前提としていない粘膜組織だ。粘膜は当然挿入や注挿に伴う摩擦には弱く、粘膜は擦られると内出血や炎症、爛れを起こしやすい組織でもある。しかも直腸は入って直ぐに左側に向けて屈曲しており、そこに挿入された陰茎の先端が当たるだけで粘膜は更に傷つきやすくなってしまう。
痛みを起こさない方法って?あんの?
正確なことを言うと、完全な方法はない。というか最初もに言ったが、肛門や直腸は、女性器のように挿入されるための臓器ではないのだ。大腸粘膜には神経が繋がっていないから痛みを感じないとされているが、大腸の損傷は出血や腹腔内への裂肛を起こす危険がある。それに大腸を包む腹膜や筋層には神経が通っているので、腹部の緊張等で痛みは起こるのだから痛いものは痛い。
準備をちゃんとすんだよ、最初の時覚えてるだろ?
その言葉に了が何故かボォッと頬を染めたのに、『最初?』と首を傾げた恭平に了は気にすんなと泡をくって手をバタバタさせていたのはさておき。
腸内からも確かに腸液というものは分泌されているというが、女性器のように潤滑油の役目を果たすような分泌液は腸からは出てこない。だから、その変わりになるジェルなどの潤滑剤を、潤沢に利用するしかないということなのだ。
挿入のためのものかと思ってた
感心したように言う2人に、『まぁそういう意図もある』と宏太は苦笑いする。当然挿入をスムーズにする作用もあるが、不十分な粘膜保護や筋肉が裂けないために使うのだと言う。当然それに付加価値として温感や様々な効果を付けていたり、滑りを強くしたり粘度を強くしたりは好みだそうだ。
それに左に屈曲している直腸が真っ直ぐになるような体位で、直腸の奥に当たらないよう工夫するのも重要なのだという。屈曲が強くなるのは後背位だそうで、ロダンの考える人のような背を丸める体位が一番真っ直ぐになるとか。そんなことを密かに受け入れる側として教えて貰ったから、そういう時に困らないように日々恭平なりに準備はしているつもり。
とはいえ昨日みたいなのは……な
想定外に気持ちが高まって雪崩れ込んでしまったから十分には上手く対応できなかったし、結果的に少し快感に負けて榊仁聖が無理を遠そうとしているのを自分も容認してしまった。だから、こればかりは少し身体が自己回復してきて、次第に痛みが落ち着くのを待つしかない。そう思いながら横で満足気にグッスリと眠り続けている仁聖の顔を見つめて、思わずフニ……とその頬を指で押す。
「んに…………。」
夜のあの色気を漂わせた大人びた顔とは違う、子供らしい安堵の寝顔に反応に思わず微笑む。勿論男らしくて格好いい仁聖は愛しているけれど、こんな風に無防備に安堵の寝顔をさらしている仁聖も可愛い。抜け出した腕の中を開けたままの隙間から覗く均整のとれた見事な肉体美に、ふと自分の視線が無意識に吸い寄せられるのに恭平はホンノリと頬を染めてしまう。少し日焼けの色を落としつつあるけれど、滑らかなシミ一つ無い裸の男に見惚れて、少しだけ身体が疼くのを感じる。
いや、駄目だから、もう駄目だぞ?
そう自分に一人突っ込んでから、仁聖の肩まで毛布を引き上げ包み込む。まだ心持ち普段の起きるには早い時間だから先に少し気分転換にシャワーでも浴びて、久々に朝食でも作っていたら丁度良いかもと恭平は視線をあげる。その視線がいつもの癖でふとドアの傍の壁に取り付けられるようになったカレンダーの日付を追い、恭平は少しだけ顔色を変えてしまう。無意識にいつもの癖で今日の日付を確認してしまって、今日の日付にあるスケジュールに気がついたのだ。
「…………参ったな…………」
ポツリと小さな声で呟くけれど予定を失念してしまったのは自分自身だし、その予定にはまだ午前中一杯というリカバリーのための時間がある。自業自得の結果なのだから、少しは取り戻せるところは取り戻すしかないだろう。
というのも最近の恭平は翌日に鳥飼道場での鍛練がある日は、意図して夜に愛を交わすのは避けるようにしていたのだ。何しろほんの少しでも身体の動きが鈍ったり腰を庇うような仕草をすると、一瞬で鳥飼信哉には見抜かれてしまう。大体にして道場に顔を出した瞬間にどんなに痛みがなくても僅かな違和感ですら、視線で射ぬかれ賑やかな笑顔で『程々にしとけよ?新婚。』と釘を刺されてしまうのだ。どんなに普通に歩けていても見抜かれるから、流石に恭平としても少し気を付けておかないと何だか気恥ずかしい。そういう意味では今日の鍛練が午前からでなくて幸いだったし、もしあれだったら申し訳ないが仁聖が大学に出たてから恭平は少し横になっていればいいのだし。
よし、シャワーを浴びて…………こよう……
一度愛しい恋人の頬に口づけてからユックリと音を立てないよう気をつけて立ち上がった恭平は、ソロソロと腰を労るように壁に手をつき歩きだしたのだった。
※※※
朝日の気配に一応は目が覚めたけれど、まだ瞼が重くて目が開かない。それでも瞼を閉じたまま腕の中にある筈の温度が感じられないのに気がついて、目を閉じたまま手探りでベットの中をパタパタと指先が確認していく。直ぐ隣にホンノリとした熱の残りが指先には僅かに感じ取れるけれど、その体温の主が一向に触れないのに眠気に逆らい必死にウッスラ瞼を抉じ開ける。
あれ………………?きょうへ…………どこ?
幾らベットがキングサイズで広いとはいえ、普段から抱き締めて眠っている甘い香りがそこに無いのは一目で分かる。何も身に付けていない素肌の上には柔らかな毛布がキチンと肩までかけられていて、毛布の中には恭平の綺麗で華奢な裸身は見当たらない。昨日は何度か激しい絶頂に恭平を失神させてしまったから、今朝は腕の中で気怠そうな色気駄々漏れで眠る恭平を見ながら目覚めるに違いないと正直思っていた。
恭平?
傍に大事な恭平がいないと分かったら、頭も目も一気に覚める。まるで置いてけぼりにされた子供みたいな反応だと自分でも思うけれど、恭平が傍にいないのを独りで我慢するのは実は苦痛だ。大人になろうと聞き分けの良いふりで独りを我慢したこともあったが、結局仁聖にはそれは向かないというのが以前の経験から痛感した。自分でも知らなかったのだが、『独り』は気持ち悪くなるし不安で泣きたくなる。
そんなのをずっと独りぽっちで我慢してた恭平は凄い……凄いけど…………
以前の恭平がそういう状態を独りで堪えていたのを思うと、凄いと思うと同時に今は仁聖には悲しくて寂しくて泣きたくなるのだ。言わないけれど、そんな気分になるのを我慢するくらいなら、鬱陶しいと思われても、なるべく恭平の気配を感じられる場所を常にキープしておきたい。ガバッと勢い良く身体を起こしてキョロキョロしながら、仁聖はまるで忠犬が飼い主の匂いを手繰るようにベットから滑り降りリビングに足早に向かう。
「恭平?」
キッチンは珈琲の匂いはしないし静かだし、リビングにも当の恭平の姿はない。ここにいないのならと、仁聖は耳を澄まして更に足を進める。扉の向こうに聞き取った微かなシャワーの音にピンッと見えない犬耳を立てて仁聖は、足早に駆けつけるようにしてサニタリーの扉から滑り込む。
わぁ…………
そこに見えるバスルームの扉越しに透けて見える白い肌をウットリと眺め、思わず立ち尽くす。扉の向こうにあの白磁の肌が飛沫を浴びているのは言われなくても分かっているし、その姿を想像するのに寝起きの本能が強く揺さぶられてしまう。
起こしてくれたら一緒に入ったのに
そう拗ねる気持ちも当然あるけれど、もし裸の恭平と戯れながら朝シャワーなんて事をしたら自分が暴走しそうなのも予想できなくないから、先に起きた恭平がソッと腕の中を抜け出したのだろうとは思う。
「きょうへー?おはよぉ?」
寝起きの声を作りコンコンと扉を叩くと、中で少しだけ驚いたような気配がして。
「つっ…………っ。」
想定外のバスルームに響く苦痛の声に、仁聖は驚いて勢い良く扉を開いていた。
※※※
想定より移動に時間がかかっていたのだと、その時になって気がついた。予定よりもシャワーを使い始めるのにすら時間がかかっていたから、目覚めた仁聖が探しにきてしまったのだ。そして心地よい温度の飛沫に暖められていくのにスッカリ気を抜いていたせいで、背後の磨りガラス越しのノックに無造作に腰を捻ろうとした瞬間鋭い痛みが腹に走って苦痛の声が漏れてしまっていた。しかも気密性の高いバスルームはその僅かな声すらよく響いて、心配をかけたくなかったのに仁聖にもバッチリと苦悩の聞かれてしまった。
「恭平?!!」
その声と共に勢い良く扉を開かれて、それを避けようとしたのが更に痛みに悲鳴を上げていた腰に追い討ちになってしまう。再び苦痛の声を溢して痛みによろけた身体を仁聖の腕が咄嗟に確りと抱き止めて、いつになく不安まみれの顔でグッと覗き込んで来るのが分かった。
「恭平?何処か痛むの?大丈夫?!」
「あ、あぁ、悪い。」
思わず謝った恭平に『そうじゃないでしょ?!』と噛みつくようにして問いかけてくる仁聖に、苦笑いしながら雫の落ちる身体を建て直そうと恭平が身動ぎする。それを容易くいなして抱き込み、更に労るように腕が包み込んできて恭平の身体を濡らし続けるシャワーに手を伸ばすのが見えていた。
「大丈夫だ、から。仁聖。」
何とか絞り出すように告げる声に、少し仁聖の顔が曇る。大丈夫には見えないと言いたげな顔でスルスルとバスルームから連れ出されフカフカのバスタオルで包み込まれて、甘やかしているみたいな手際で仁聖はもう一度真剣な顔で覗き込む。
「どこ痛む?どこ?」
それを説明するのは少しだけ恥ずかしくて恭平が頬を染めるけれど、仁聖にはそれどころではない。何処が痛いのか説明しないことには、このままベットに逆戻りして押し込められそうだと気がついた恭平が、タオルの下から上目遣いに見上げる。
「昨日の、少し腰が痛むだけ、だから。」
そう説明する声が何時もの伸びやかな声とは違って、酷く掠れて話しにくそうなのにも仁聖は眉をしかめて戸惑いの表情を浮かべる。普段なら先に起きた仁聖が喉に良い飲み物を準備したり身体を労るよう座る場所を整えたりしているところに、後から目覚めた恭平が起きてくるのだ。それが正当とは言わないし、実際には今日は仁聖の方が目が覚めなかったのも事実だし、それを今ここで恭平に言ったとしても更に恭平を困らせてしまう。それが分かっているから仁聖はその言葉を無理に飲み下して、労るようにバスタオルで丁寧に身体を拭き上げていく。
「…………声、掠れてる。何時もの……飲む?作るから。」
その言葉に少しだけホッとした顔を浮かべて子供のように綻ぶ笑顔で頷く恭平に、仁聖は愛おしそうに口づけていた。
「っ…………。」
漏れ出そうになった苦痛の声を必死に飲み込み、それを逃がすようにホォ……と深く吐息を吐いた恭平は、ベットの端に腰掛けて少しでも腰の痛みが少し遠退くのを待つ。腹の奥に灯る熱の熾火のようなチリチリとした感覚と、血液が流れにバクバクと拍動しているような鈍い痛みの強弱の波。それが何なのかは、既にこれまでにも何度も経験したから良く分かっている。
…………仕方ないな…………
情けないことだが昨夜は調子にのってしまって、自分もついやり過ぎてしまったが故の痛みなのだとちゃんと分かっている。これが同性で愛し合うからこその、痛みと言えなくはない。というよりも本来ならそこで受け止めるべきではない性行為という事実は、どんなに愛情かあるからと言っても覆せない性別と身体の作りというものだ。
……あの、一つ聞いても…………良いですか?
そう以前に一度恭平は『茶樹』のカウンターに並んで、外崎宏太に問いかけたことがあった。勿論外崎了もそこに居たには居たのだけれど、恭平の神妙な質問に対して了の方は先に『俺は良く分かんないなぁ』と呑気に答えたのだ。それを聞いていた宏太は呆れたように一瞬眉を上げはしたものの、一応本職だった知識も含めて丁寧に対処法迄(2人に)教えてくれた。所謂アナルセックスというやつは肛門に相手の陰茎を挿入し性交するのだが、その性行為に伴う痛みを感じるのは全体の7割に及ぶそうなのである。肛門は女性の膣とは違い挿入を前提とした臓器ではないし、腸内は擦ることを前提としていない粘膜組織だ。粘膜は当然挿入や注挿に伴う摩擦には弱く、粘膜は擦られると内出血や炎症、爛れを起こしやすい組織でもある。しかも直腸は入って直ぐに左側に向けて屈曲しており、そこに挿入された陰茎の先端が当たるだけで粘膜は更に傷つきやすくなってしまう。
痛みを起こさない方法って?あんの?
正確なことを言うと、完全な方法はない。というか最初もに言ったが、肛門や直腸は、女性器のように挿入されるための臓器ではないのだ。大腸粘膜には神経が繋がっていないから痛みを感じないとされているが、大腸の損傷は出血や腹腔内への裂肛を起こす危険がある。それに大腸を包む腹膜や筋層には神経が通っているので、腹部の緊張等で痛みは起こるのだから痛いものは痛い。
準備をちゃんとすんだよ、最初の時覚えてるだろ?
その言葉に了が何故かボォッと頬を染めたのに、『最初?』と首を傾げた恭平に了は気にすんなと泡をくって手をバタバタさせていたのはさておき。
腸内からも確かに腸液というものは分泌されているというが、女性器のように潤滑油の役目を果たすような分泌液は腸からは出てこない。だから、その変わりになるジェルなどの潤滑剤を、潤沢に利用するしかないということなのだ。
挿入のためのものかと思ってた
感心したように言う2人に、『まぁそういう意図もある』と宏太は苦笑いする。当然挿入をスムーズにする作用もあるが、不十分な粘膜保護や筋肉が裂けないために使うのだと言う。当然それに付加価値として温感や様々な効果を付けていたり、滑りを強くしたり粘度を強くしたりは好みだそうだ。
それに左に屈曲している直腸が真っ直ぐになるような体位で、直腸の奥に当たらないよう工夫するのも重要なのだという。屈曲が強くなるのは後背位だそうで、ロダンの考える人のような背を丸める体位が一番真っ直ぐになるとか。そんなことを密かに受け入れる側として教えて貰ったから、そういう時に困らないように日々恭平なりに準備はしているつもり。
とはいえ昨日みたいなのは……な
想定外に気持ちが高まって雪崩れ込んでしまったから十分には上手く対応できなかったし、結果的に少し快感に負けて榊仁聖が無理を遠そうとしているのを自分も容認してしまった。だから、こればかりは少し身体が自己回復してきて、次第に痛みが落ち着くのを待つしかない。そう思いながら横で満足気にグッスリと眠り続けている仁聖の顔を見つめて、思わずフニ……とその頬を指で押す。
「んに…………。」
夜のあの色気を漂わせた大人びた顔とは違う、子供らしい安堵の寝顔に反応に思わず微笑む。勿論男らしくて格好いい仁聖は愛しているけれど、こんな風に無防備に安堵の寝顔をさらしている仁聖も可愛い。抜け出した腕の中を開けたままの隙間から覗く均整のとれた見事な肉体美に、ふと自分の視線が無意識に吸い寄せられるのに恭平はホンノリと頬を染めてしまう。少し日焼けの色を落としつつあるけれど、滑らかなシミ一つ無い裸の男に見惚れて、少しだけ身体が疼くのを感じる。
いや、駄目だから、もう駄目だぞ?
そう自分に一人突っ込んでから、仁聖の肩まで毛布を引き上げ包み込む。まだ心持ち普段の起きるには早い時間だから先に少し気分転換にシャワーでも浴びて、久々に朝食でも作っていたら丁度良いかもと恭平は視線をあげる。その視線がいつもの癖でふとドアの傍の壁に取り付けられるようになったカレンダーの日付を追い、恭平は少しだけ顔色を変えてしまう。無意識にいつもの癖で今日の日付を確認してしまって、今日の日付にあるスケジュールに気がついたのだ。
「…………参ったな…………」
ポツリと小さな声で呟くけれど予定を失念してしまったのは自分自身だし、その予定にはまだ午前中一杯というリカバリーのための時間がある。自業自得の結果なのだから、少しは取り戻せるところは取り戻すしかないだろう。
というのも最近の恭平は翌日に鳥飼道場での鍛練がある日は、意図して夜に愛を交わすのは避けるようにしていたのだ。何しろほんの少しでも身体の動きが鈍ったり腰を庇うような仕草をすると、一瞬で鳥飼信哉には見抜かれてしまう。大体にして道場に顔を出した瞬間にどんなに痛みがなくても僅かな違和感ですら、視線で射ぬかれ賑やかな笑顔で『程々にしとけよ?新婚。』と釘を刺されてしまうのだ。どんなに普通に歩けていても見抜かれるから、流石に恭平としても少し気を付けておかないと何だか気恥ずかしい。そういう意味では今日の鍛練が午前からでなくて幸いだったし、もしあれだったら申し訳ないが仁聖が大学に出たてから恭平は少し横になっていればいいのだし。
よし、シャワーを浴びて…………こよう……
一度愛しい恋人の頬に口づけてからユックリと音を立てないよう気をつけて立ち上がった恭平は、ソロソロと腰を労るように壁に手をつき歩きだしたのだった。
※※※
朝日の気配に一応は目が覚めたけれど、まだ瞼が重くて目が開かない。それでも瞼を閉じたまま腕の中にある筈の温度が感じられないのに気がついて、目を閉じたまま手探りでベットの中をパタパタと指先が確認していく。直ぐ隣にホンノリとした熱の残りが指先には僅かに感じ取れるけれど、その体温の主が一向に触れないのに眠気に逆らい必死にウッスラ瞼を抉じ開ける。
あれ………………?きょうへ…………どこ?
幾らベットがキングサイズで広いとはいえ、普段から抱き締めて眠っている甘い香りがそこに無いのは一目で分かる。何も身に付けていない素肌の上には柔らかな毛布がキチンと肩までかけられていて、毛布の中には恭平の綺麗で華奢な裸身は見当たらない。昨日は何度か激しい絶頂に恭平を失神させてしまったから、今朝は腕の中で気怠そうな色気駄々漏れで眠る恭平を見ながら目覚めるに違いないと正直思っていた。
恭平?
傍に大事な恭平がいないと分かったら、頭も目も一気に覚める。まるで置いてけぼりにされた子供みたいな反応だと自分でも思うけれど、恭平が傍にいないのを独りで我慢するのは実は苦痛だ。大人になろうと聞き分けの良いふりで独りを我慢したこともあったが、結局仁聖にはそれは向かないというのが以前の経験から痛感した。自分でも知らなかったのだが、『独り』は気持ち悪くなるし不安で泣きたくなる。
そんなのをずっと独りぽっちで我慢してた恭平は凄い……凄いけど…………
以前の恭平がそういう状態を独りで堪えていたのを思うと、凄いと思うと同時に今は仁聖には悲しくて寂しくて泣きたくなるのだ。言わないけれど、そんな気分になるのを我慢するくらいなら、鬱陶しいと思われても、なるべく恭平の気配を感じられる場所を常にキープしておきたい。ガバッと勢い良く身体を起こしてキョロキョロしながら、仁聖はまるで忠犬が飼い主の匂いを手繰るようにベットから滑り降りリビングに足早に向かう。
「恭平?」
キッチンは珈琲の匂いはしないし静かだし、リビングにも当の恭平の姿はない。ここにいないのならと、仁聖は耳を澄まして更に足を進める。扉の向こうに聞き取った微かなシャワーの音にピンッと見えない犬耳を立てて仁聖は、足早に駆けつけるようにしてサニタリーの扉から滑り込む。
わぁ…………
そこに見えるバスルームの扉越しに透けて見える白い肌をウットリと眺め、思わず立ち尽くす。扉の向こうにあの白磁の肌が飛沫を浴びているのは言われなくても分かっているし、その姿を想像するのに寝起きの本能が強く揺さぶられてしまう。
起こしてくれたら一緒に入ったのに
そう拗ねる気持ちも当然あるけれど、もし裸の恭平と戯れながら朝シャワーなんて事をしたら自分が暴走しそうなのも予想できなくないから、先に起きた恭平がソッと腕の中を抜け出したのだろうとは思う。
「きょうへー?おはよぉ?」
寝起きの声を作りコンコンと扉を叩くと、中で少しだけ驚いたような気配がして。
「つっ…………っ。」
想定外のバスルームに響く苦痛の声に、仁聖は驚いて勢い良く扉を開いていた。
※※※
想定より移動に時間がかかっていたのだと、その時になって気がついた。予定よりもシャワーを使い始めるのにすら時間がかかっていたから、目覚めた仁聖が探しにきてしまったのだ。そして心地よい温度の飛沫に暖められていくのにスッカリ気を抜いていたせいで、背後の磨りガラス越しのノックに無造作に腰を捻ろうとした瞬間鋭い痛みが腹に走って苦痛の声が漏れてしまっていた。しかも気密性の高いバスルームはその僅かな声すらよく響いて、心配をかけたくなかったのに仁聖にもバッチリと苦悩の聞かれてしまった。
「恭平?!!」
その声と共に勢い良く扉を開かれて、それを避けようとしたのが更に痛みに悲鳴を上げていた腰に追い討ちになってしまう。再び苦痛の声を溢して痛みによろけた身体を仁聖の腕が咄嗟に確りと抱き止めて、いつになく不安まみれの顔でグッと覗き込んで来るのが分かった。
「恭平?何処か痛むの?大丈夫?!」
「あ、あぁ、悪い。」
思わず謝った恭平に『そうじゃないでしょ?!』と噛みつくようにして問いかけてくる仁聖に、苦笑いしながら雫の落ちる身体を建て直そうと恭平が身動ぎする。それを容易くいなして抱き込み、更に労るように腕が包み込んできて恭平の身体を濡らし続けるシャワーに手を伸ばすのが見えていた。
「大丈夫だ、から。仁聖。」
何とか絞り出すように告げる声に、少し仁聖の顔が曇る。大丈夫には見えないと言いたげな顔でスルスルとバスルームから連れ出されフカフカのバスタオルで包み込まれて、甘やかしているみたいな手際で仁聖はもう一度真剣な顔で覗き込む。
「どこ痛む?どこ?」
それを説明するのは少しだけ恥ずかしくて恭平が頬を染めるけれど、仁聖にはそれどころではない。何処が痛いのか説明しないことには、このままベットに逆戻りして押し込められそうだと気がついた恭平が、タオルの下から上目遣いに見上げる。
「昨日の、少し腰が痛むだけ、だから。」
そう説明する声が何時もの伸びやかな声とは違って、酷く掠れて話しにくそうなのにも仁聖は眉をしかめて戸惑いの表情を浮かべる。普段なら先に起きた仁聖が喉に良い飲み物を準備したり身体を労るよう座る場所を整えたりしているところに、後から目覚めた恭平が起きてくるのだ。それが正当とは言わないし、実際には今日は仁聖の方が目が覚めなかったのも事実だし、それを今ここで恭平に言ったとしても更に恭平を困らせてしまう。それが分かっているから仁聖はその言葉を無理に飲み下して、労るようにバスタオルで丁寧に身体を拭き上げていく。
「…………声、掠れてる。何時もの……飲む?作るから。」
その言葉に少しだけホッとした顔を浮かべて子供のように綻ぶ笑顔で頷く恭平に、仁聖は愛おしそうに口づけていた。
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