鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話62.増える2

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一瞬空気がヒヤリと冷たく背筋を撫でた気がしたが、それは絶対に外崎了の気のせいではない筈だ。1人仕事場に籠っていた外崎宏太を心配して珈琲を片手に了がやってくるのと、殆んど同時にその電話がかかってきていた。その電話口の相手と話している内に、チリチリと次第に宏太の纏う空気が冷たく仕事場の中の温度を下げていて。

「…………で?ヤツだったんだな?」

硬く低く、何処と無く訝しげでもある宏太の掠れた声。その声を宏太が放った瞬間、少し空気がヒヤリと刃物のように了の背筋を上から下へ撫でた気がする。宏太の電話の相手が誰なのかは了にはまだ分からないが、電話口の向こうからは何処か都会の喧騒が微かに聞こえていて相手が何処か屋外で話しているのが感じ取れる。それでもキシと椅子を軋ませて宏太が了に向かって身体を回したから、十中八九内容は『三浦和希』に関することなのだと分かった。本当は聞かせたくはないのだろうが、それでも宏太に近づいてくるよう手招きで促され了は素直に歩み寄る。

「で?相手は?また一部屋駄目になったわけか?」

淡々とした口調で問いかける言葉に、どうやらまた新たに三浦和希とラブホテルか何処かにしけ込んだ輩がいたらしいのに了も気がつく。つい先日も三浦に引っ掛けられてホテルまで我慢できずに路地裏で事におよび、結果として路地裏で無惨な姿で発見された男が出たばかり。それを刑事の風間祥太から音声として調査を持ち込まれ、三浦和希の確定だけでなく何かを話しているのまでは聞き取った。



三浦和希が新たに記憶に残している可能性のある『件』。その『くだん』がなんなのか、人の事なのか場所の事なのか、それとも行為自体を指す事なのか。それすら想定できてはいない。それは兎も角、三浦の目撃自体はそれ程増えてはいない筈なのに、活動している三浦が発見される期間が以前より遥かに短くなってきている。以前は数ヶ月が空いたりするのが当然で、忘れた頃にやってくる災厄程度な気分だったのに。
この短期間にこんなにも三浦が活動的になっているのは、もしかして一番最初のあの事件以来の事かもしれない。何しろあの時はほんの1ヶ月程度の間に三浦は同級生4人だけでなく無関係のサラリーマンを殺し、3人の重傷者を生み出した。
そんなことを膝に座らされながら考えていた了は、予想外の疑問符の着いた声をあげた宏太に気がつく。

「あ?」
『だーかーらー、普通にセックスだけして帰ってんの!!信じられるか?!』

電話口から漏れ聞こえる呆れ返った大きな声で、相手がラブホテル経営なんかをしている相園良臣だと了にも分かる。ホテル関係の情報源を多彩に操る相園は、以前自分が普段から経営者として表に出ているホテル『ブティックホテル・キャロル』の一室を和希に使われ事故物件にされてからというものの、近郊の自分の経営ホテルや他の経営者のホテル幾つかにも網を張っているそうだ。
勿論それが警察への協力のためではないのは、元来相園は久保田惣一の弟分でアンダーグラウンド側の人間だから言うまでもない。
そしてこれに関してはホテル業界だけでなく、居酒屋関係・飲食店関係の情報網を持つ浅木真二やチーマー連なんかも動かせる宮直行が兄弟分として協力していたりする。ただしこれらの活動は別に三浦和希を追い込もうとか仕返しをするための情報網ではなく、困った客の事前情報共有程度のつもり…………らしい。何故なら彼らの頭に当たる久保田から『あれは触るな。』と彼らは厳命されているからであって、直接何かをするわけではないという話だ。ただしホテル経営としては、中で毎回死体は流石に困るので網をはって早めに対処を狙っているという辺りだ。とは言え三浦は安定して容姿をキープする存在ではないので、探し出すのは難儀で気がつくと既に一室ご利用となっていて鼬ごっこ状態らしい。

「…………どういうことだ?…………あ?」
『俺が聞きたいよー!トノぉ!』

こいつは三浦だと発見した相園がホテルに駆けつけたのは、その男2人が3時間休憩で部屋にはいって暫く。何度か三浦の様々な姿を目にしてきた相園がそのホテルの出入口の監視カメラを確認したら、案の定3時間の休憩のうち2時間程で三浦らしき栗毛の青年はスルスルと周りを気にするでもなく立ち去っていた。これはもう駄目だろうなと覚悟を決めて一先ず見た目屈強なスタッフと一緒に使われた部屋に向かってドアを蹴破る勢いで開けてみたら、室内にはベットにポカーンとしている男が独り居たわけだ。

な、何事ですか、あ、お、男同士ではいったら駄目ってヤツですか、でもっもう彼は帰ったし

こっちはまだ何も聞いていないのだが、地味に自分でも何か罪悪感があったのか室内にいた男は勝手に独りでベラベラと言い訳を口にしてスミマセンと何度も頭を下げた。まぁ乗り込んだ私服の相園の見た目は完全にヤクザなので、それが大柄なスタッフを連れてきたらこうなるのは分からなくもない。それにしても開けたら血の海を想定していた筈の相園も毒気を抜かれて、目の前の何の怪我もないサラリーマンにしか見えない男を眺めてしまう。

「してなかったのか?」
『したんだと。ゴム付きで。』
「ほぉ?」

宮直行のカラオケボックス・エコーでの時にも一度あったが、三浦とセックスをしても生き残れる条件がないわけではない。完全にそうとは宏太には確定できないが、生で中に射精しない……つまりはコンドームなんかをしていると殺されない事もあるようなのだ。まぁエコーで一度それで死から逃れた筈の青年は、その後再びエコーで三浦と性行為に及び、その時はコンドーム未使用だった為見事に『トルソー』になって発見されたわけだが。そして今回のホテル連れ込みの輩も上手いことそれを乗り越えられたということか。でも、どうやらこれまでと違って次回の予定が組まれていたわけでもなく約束を取り付けたわけでもなく、しかも目の前の男は三浦に心酔している風でもない。相園の話に三浦の存在を誤魔化す訳でもなく、冷静に答えられる程度にはマトモだったようだ。ただ相園がもっとハッキリ言いたいのは、どうやらソコではなかったらしい。

『でさぁ?そいつ、ほら何年か前にさ?』

相園が続けた言葉に宏太は唖然とした顔になる。流石に了を抱きかかえながら受話器を持つのが面倒になったのか、宏太が電話をスピーカーに変えたから了にもその内容は丸聞こえで。

「…………茂木ぃ?茂木ってあの茂木か?」
『そうそう、矢根尾と一緒に女子高生の子猫ちゃん達とおいたしてた奴ら。』

もう数年前何て期間になるのには少し驚くが、当時都立第三高校の女子高生をカラオケボックス・エコーやら居酒屋・伊呂波やらに連れ込み不埒な行動をしていた矢根尾俊一の取り巻きに茂木公太と貞友晴一という輩がいた。しかも実際には宏太が矢根尾の取り巻きとして茂木や貞友を知ったのはもっとずっと以前の話で、まぁ古くからの知り合いと言えなくもない程度の知り合いだ。これに関しては面倒なので説明は割愛するが、久保田惣一や松理も矢根尾だけでなく茂木達のことも幾分知っているとすれば長い期間の知り合いなのは言わなくても分かるだろう。
その片割れが、今回三浦和希とホテルに入った男なのだという。
それにしても矢根尾が警察に捕まってからは茂木達はパタリと表だって行動が耳に入らなかったから、てっきり矢根尾の取り巻きという悪名から逃れてもう近郊にはいなくなったのかと思っていた。何しろ『茶樹』や街の商店街なんかで一緒にいることをよく見られていたから、顔を知っている人間も割合いる筈だ。その矢根尾が殺人犯として捕まったと来たら、自分達も同類と見られかねないと思うけれども。

『そんな悪名でもないっしょー、それくらいのヤツならゴロゴロしてるっての。』

カラカラ笑いながら相園が言うが、まぁ確かに都会で女子高生を回して堕胎までさせた程度ではということなのか。宏太としても都立第三高校の件は友人の宇野智雪からの依頼もあっての調査行動だったし、過去の多賀亜希子の件でも中心は矢根尾であって茂木や貞友ら取り巻きに関してはそれ程調べもしていない。少なくともどちらも矢根尾と同じようにバイトの綱渡り人生を送っていたようだから、同じ穴の狢程度にしか思ってもいないし。

まぁ、茂木の方は普段は暴力性は高くないか

仲間がいるからこその享楽の中の暴力性のようで、茂木に関しては普段は余り貞友と違って暴力性があるとは言えない。仲間のすることを面白がって自分もという感じであって、自発的にそういう行動をしたがるタイプではなさそうに見えた。
兎も角その茂木の方が、今回ギリギリの線で惨殺されずに生き残った男だったということだ。少なくとも室内には使用済みコンドームが1つあったから一回はやっていたようだけれど、何があったのか既に三浦のいない部屋で独りでボンヤリ缶ビールを飲んでいたらしい。

「倉橋和希?」
『そ、名前を聞かれてそう答えて姿を消したって。』

三浦和希の名前は知られているから別名を名乗る可能性は高いが、随分分かりやすい名前を告げたんだなと思ってしまう。倉橋は言うまでもないが自分の血縁として名乗ったのではなく、『倉橋亜希子』の倉橋に違いない。彼女を探していると告げた和希らしいと言えば、らしい事だ。それにしても女装の時には『倉橋亜希子』と名乗ったこともあるし、随分と倉橋だけに執着していると宏太は眉を潜める。

死んだ筈の倉橋亜希子

遺体は未だに遺棄されたとされる竹林からは見つかっていないが、あれから随分とたってあの竹林の周囲もかなり変容してしまった。勿論自分達がよく通うようになった鳥飼道場の広大な区画もその一部であって、それ以外にも竹林は大分切り開かれ住宅地がジワジワと侵食を始めている。

『少なくともまたすぐに会いそうな雰囲気じゃないけどさぁ、これってなんなのかね。』

抱き締めたままの了の身体の暖かさを確かめるようにして、宏太は分からん……とだけ呟く。これまでの三浦和希の行動はある意味では分かりやすかったのかもしれないが、ここに来て近郊で結城晴や宮井麻希子といったこれまでも頻回に接触があった面々との交流が増えつつある。もしかしてまた新たな何かが起きつつあるのかもしれないが、何しろ想像のつかない事を起こすのが三浦でもあるのだ。
それにどんなに最近の行動が善行に傾いたとしても、三浦が未だに街中で男を殺し続けているのも事実でそれは変えようがない。ただ今回のようにトリガーを引かないで接触する人間だけが増えれば、それすら変わっていくのだろうかとも思う。ここまで全く警察に捕まる気配すらない三浦が、人に紛れて人を殺さずに生きていくようになるなんて事はあり得るだろうか。

勿論これまでの罪が消えるわけでもないが…………

既に2桁を越す人間を殺してきた和希を警察が諦める筈がないのは当然で、和希は当に死刑確定の殺人鬼なのは覆せない。それでも少なくとも今回はホテルの部屋を駄目にされなくて良かったよと相園が言い電話を切った後に、宏太は深々と溜め息を着いて了の肩に顔を押し当てる。

「宏太。」

不安そうに声をかけた了に気がついて、宏太は苦く微笑みながら了の事を抱き寄せる。相手と面と向かって直にお前は何を考えているのかと聞けてしまえば、実はずっと楽なのかもしれないが宏太にはそれは不可能だろう。

「大丈夫か?宏太。」
「…………全く……混乱するな、情報過多だ。」

そんなことは思っていない風に普段は見えて、相園からもたらされた情報は確かにこれまでとは違いすぎるから宏太も纏めきれないのだろう。流石に宏太がゲンナリしているのが分かって、了も思わず苦笑いをしながらその頭を撫でてやる。それをおとなしく受け入れながら宏太は、それにしてもと頭の中で呟く。

死んだ筈……死んだと知っている…………

それなのに後から後から何度も名前を聞くことになる人間が、最近何故か増えている気がする。
進藤隆平は勿論だが、倉橋亜希子や矢根尾俊一まで。当に死んでいる筈、死んだことをちゃんと知っている筈の人間の名前が、まるでネオンサインのようにチカチカ弱々しく何度も何度も瞬いている。それが三浦が関与しているからなのか、それとも別な何かのせいなのかが読み取れない。そしてそこに『くだん』はどう関わってくるのかとも思う。

件………………

何か影で蠢いているような不快な気分がするけれど、それに触れていいかどうかも分からない。まさに風間に説明した『件』のごとく、人外のような存在を何処かに感じてしまうのに宏太は更に強く了の身体を抱き締めていた。
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