鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

(たまにはこんなおまけ2) 

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「…………翔悟、お前、箸の持ち方少し変。」

陽射しに溢れ和やかなキャンパスの何時もの学食。本日のAランチ生姜焼き定食を食べていた佐久間翔悟に、面と向かってそんなことを指摘したのはBランチの冷やし中華を食べる文学部の久世浩久。箸?と不思議そうに眉を潜めている翔悟に向かって、浩久はチンチンと音を立て無作法ではあるが箸の先を音を立ててみせて動かす。とは言え浩久はこう持てと手本を見せているのだけれど、翔悟の方は何処吹く風で一向に持ち方を変える様子はない。実際には翔悟の持ち方というのもそれ程おかしい訳ではなく親指が箸先から逆にずれて、あくまでもちょっと変という程度だ。

「別に食うのには困らないし。」
「見てて気になるし、サムズアップしてるみたいに見えるって。」

まぁ、そう端から言われると親指がそう見えなくもない。が、気にかけなければ確かにそんなに気にはならない。直す直さないで二人の口論がヒートアップしそうなので、Aランチを食べていた榊仁聖がまぁまぁと間をとりなす。自分に賛同して翔悟の追撃に回らない仁聖に不満そうに視線を向けた浩久は、マジマジと仁聖の手元を眺めていたかと思うと深い溜め息混じりに目を細めた。

「イケメンアイドルは箸の持ち方が悪いことで話のネタになることもあるんだぞ、仁聖。」
「は?」

何でここでイケメンアイドル?と思ったが、箸の持ち方が悪いとかそんなことがネットで盛り上がることが多々あるらしい。箸の持ち方か汚いから親の躾が悪いとか、人柄が出るとか、箸の持ち方一つで何でそこまでと言わんばかりの盛り上がりかたをするそうである。つまり幾らイケメンでもそういう弱点があるということなのか?一先ずそれはさておき浩久が言いたいのは、残念ながら仁聖の手元はお手本動画のように優雅な箸使いなので、浩久としてもケチのつけようがないということのようだ。言われてみても気にしたこともないからなんだが、確かに仁聖は箸使いが綺麗だし小豆一粒くらい余裕で摘まめる。

「箸…………ねぇ…………。」

他人からそうそう言われる事がなかったから気にかけたことがなかったが、そういわれれば……とふと遠い目をして仁聖が思い出したのはもう何年も前の記憶。



※※※



気になる…………

中学生の榊恭平は、心の中で一人呟く。どうやらこの話題というものは日本人としては随分と共通の話題になりやすいもので、日本人に統計を取ると実に8割ほどが『気になる』と答えるそうだ。

というのもそれは箸の持ち方。

日本人と言うものは箸に関して持ち方が気になる人が山ほどいると言うわけだ。これがナイフとフォークなら、それほどの騒ぎにはならない。まぁたまにはパスタにスプーンの話とか、フォークの背に米を乗せるか乗せないかとかなんて話を聞いたことくらいはあるだろう。でもそれは大概一時の話題程度で論争には至らない。それなのに、こと箸となると日本人は目の色が変わる。というか、この箸の話題性は現実的には箸の持ち方が誰にも共通の話題にしやすく、誰もが理解できる、しかも反論もしやすいなんて単純な理由なのだそうである。お陰で何度も何度もネットなんかでも、箸の持ち方はネタとして取り扱われることがあるらしい。

とはいえ、この件に関しては……俺が言うことなのか?

テレビのモニター越しの有名人の四方山話ではない上に、例えば家族とか身内のことなら兎も角。これがただ自宅にたまに遊びに来ている顔見知りの子供となると話はどうなのか。それに最近ちゃんと身の上を知る機会があって、片親が元は海外国籍で一昨年までは当人自身が海外育ちだったとか。しかも最近になって知ったが両親が何の理由かで早逝していて親戚である叔父と暮らすことになっていて、しかもその叔父はわりと仕事で自宅を留守にしがちときていた。

「いただきまぁす。」

それでも榊家に遊びに来るようになり、見よう見まねで自分や自分の母親のすることを真似て礼儀作法は身に付けつつある。そして目の前でペコリと可愛らしく小さな両手を合わせて食前の挨拶を口にして、そして箸を片手にして食べ始める姿を恭平はマジマジと眺めていた。

「…………なに?きょーへーさん。」

余りにもマジマジとその姿を見つめすぎていたせいで相手の方が視線に気がついてしまい、目の前で小首を傾げてキョトンとしたクリクリの真ん丸な大きな瞳を向けてくる。
正直言うと初めて出会った時に濃紺の男の子用ツーピースのスーツなんかを着てなかったら、女の子と間違ったんじゃないかと思う。いや、決して女の子が泣いてると思ったから助けたわけではない。

宵闇に仁聖が独りぽっちで、泣きじゃくっていたのを見つけたから。

それでも泣いているのを抱き上げあやしながら、自分も昔のそういわれたのを棚に上げ人形みたいな整った顔をした子だなぁと恭平が内心思っていたのはここだけの話だ。
その出逢いからは2年経つか経たないか。
スッカリ榊家に遊びに来ることに慣れて、時には汗だくで駆けてくることもあったりして結果風呂に入れてやることもあった。そんな訳だから当然目の前の仁聖が、どんなに可愛くても少年なのは恭平にだって分かっている。それでもこうして柔らかい栗毛を揺らして幸せそうに食事を頬張る顔立ちは、正直愛くるしい人形のようだ。黒目がちの瞳が少しだけ藍色めいて見えるように光り、ニコニコと笑う睫毛も少し栗毛で長く震えている。

「…………ぼく、何かおかしい?」

いや、顔立ちは全然可笑しくはない、全然可笑しくないし正直言えば可愛い。仁聖は下手に口を開かないと、女の子でも通りそうな位に見た目が可愛いのだ。それはさておき、目の前で自分が作って与えた簡単な食事を幸せそうに食べている源川仁聖6歳に、強いて言うなら榊恭平14歳としては気になってしかたがないことがずっと前からある。

「箸。」
「はし?」

可愛い手で恭平が子供の時に使っていた子供用の箸を握る仁聖が、再び戸惑うように首を傾げる。箸を持つではなく『握る』なのは、言葉のあやではなく仁聖が本当に箸を握って使うからだ。今の仁聖には普段から一緒に食事を食べて教える筈の立場の人間がいない。それは仕方がないことなのだろうけれど、流石に目の前で食事をする機会が増えてきたら気になる。別にフォークで食べれば問題ないという考え方もあるけれど、大人になる前には箸くらいキチンと持てるように教えるのは周囲の役割だと恭平は思う。だけど、仁聖の周りには直ぐにそれを実践してくれる人間がいない。そんな彼もそろそろ小学生になるのだから。

「俺の真似して持ってみろ。」

目の前で箸を差し出すようにして持ち、恭平が自ら箸の持ち方を直接指南する。それでも対面で見ているのだと上手く頭の中で反転して自分に当てはめられない仁聖は、眉をしかめて何度か真似しようとして箸を取り落としてしまう。

「…………むずかしい…………。」

泣き出しそうな顔で上目遣いに恭平を見上げて呟く。ちょっとそれが可愛いのだけど、そう言うわけにもいかない。幾ら年の割に器用だとは言え初めての事に対応できない仁聖に、それもそうかと考え直した恭平が立ち上がって仁聖の背後に回りこむ。

「きょーへーさん?」
「そのまま、してろ。」

肩越しに手を伸ばして子供の小さなフニフニした手を優しく取ると、指に箸を添えて包み込むようにして子供用の箸を持った。子供の指では中々箸を中指を添えて持ち上げるのは難しいものだが、添えられた大きな恭平の手が器用に仁聖の指ごと上下に動かす。

「こっちの箸はそれほど動かさないで、……こうして上の箸だけ指で挟むようにして。」

丁寧に教え込む声を聞きながら何でか仁聖がホンノリ頬を染めてウルウルしているように見えるのは、箸を教えて貰うのが恥ずかしいからだろうか。子供なりに自分が出来ていないことだと思うと恥ずかしいのかもしれないけれど、そこはもう自分と仁聖の間柄だし。まぁ仁聖は正直まだ日本語自体の語彙力が余り豊富ではない位だから、恭平に教えられている内容も今一つ理解しにくいのかもしれない。

「むずかしい、から、また……もちかた教えてくれる?」

目の前の仁聖は、頬を染めただけでなく耳までスッカリ赤い。そんな可愛らしい顔でポソポソとそう上目遣いに懇願した仁聖が、まるで少女のようにとっても可愛らしくて。思わず返す言葉を失ってしまった恭平を、仁聖は不思議そうに瞬きしながら見つめていた。

ロリコン………いや、仁聖は男だからショタコン?いやいや、そんなつもりじゃない。

必死にそんな言い訳を自分にしながら、これは仁聖のためだからと頭を切り替える。そうしてそれから暫くは何故か仁聖を膝に座らせて、背後から恭平が自ら率先して手をとって『お箸特訓』が続けられたのだった。



※※※



夕食が終わって、リビングソファーでの二人の寛ぎ時間。最近は仁聖がモデルバイトを控えて時間が自由になることが増えたので、自然とこんな時間を多くとるようになっていた。勿論仁聖が榊になって、二人が完全に家族として過ごしている証拠でもあるけれど、どちらかと言うと仁聖がただ単に甘えたい…………というか、この点ではここ最近の恭平も内心では同じなのかもしれない………が故の二人の時間だ。話す内容はそれ程難しいわけではなく、今日あったこととかこれからの仕事の事とか、本当にたわいもない話をしながら、こうして二人でくっついて過ごす。所謂スキンシップタイムで、これを他の誰かに知られたら『バカップルか!!』と呆れられそうだと、内心では恭平は思っていたりする。
 
「…………でね、話してて、そんなこと思い出して、さ。」

エヘヘと照れたように肩越しに笑う仁聖の膝の上には、今では逆に抱きかかえられることの方が多くなった恭平が当然のように座らされている。そう言われればそんなこともあったなと昔のことに苦笑いしている様子の恭平に、仁聖は心底満ち足りた微笑みでスリスリと肩に頬を擦り寄せていた。

「考えると、そういうの全部恭平が気にかけてくれたなって。」

昔のことを思い起こすと子供の頃のそういう常識的なマナーやルールは、何気なく気にかけていた恭平がそれとなく教えてくれていたのに今更ながらに気がつく。恭平のことを抱き締めて大型犬のようにスリスリと肌を擦り寄せながら、仁聖が幸せそうにウットリと微笑む。じゃれついてくる仁聖の様子を眺めながら、ふと恭平は昔とは違う大人びてスラリとした仁聖の指を何気なく持ち上げていた。

「…………昔は、紅葉みたいな手だった……。」
「ん?」

小学生以降何年もバスケをしていたせいもあるのだろうし、何しろ既に箸の特訓自体が十何年も前の事。あの頃のプクプクと可愛らしかった紅葉のお手ては今ではスッカリ筋張って大人の男の手に変わっていて、どちらかと言えば恭平の方が華奢で指も白魚のように細い。

「何?恭平。」
「昔のお前の手。」

眺めていた恭平が包み込んで箸の持ち方を教えてやった時の事を言っているのだと気がついて、仁聖は自分の手を眺めている恭平を見つめる。その視線に苦笑いしながら仕方ないといいたげに恭平が手を眺め続けるのに、仁聖が溜め息混じりに目を細めて見せた。

「………なあに?今の手は、や?」

包み込むようにして指を絡めてくる仁聖の器用な指先に、恭平はそういう意味じゃないと少しだけ頬を染める。なら何?と覗き込んでくる仁聖の瞳は、あの頃より少しだけ青味を増して透き通ってキラキラと光っていて。前とは違いその視線に違う熱を感じとるようになってしまった自分に、恭平としても少しだけ羞恥心が沸き上がる。仁聖の昔の紅葉のような手は可愛くていつまでも愛でていたくなるものだったけれど、今のこの手は自分の愛しい恋人の手。

「今は……別な意味で『好き』な、だけ。」

想定外にホンノリ頬を染めてそんなことを言う恭平に思わず頬を緩ませてしまう仁聖が、それでも少しだけ意地悪く目を細めたまま指を絡めた恭平の手に色っぽく口づける。恭平に子供の頃の方が良かったと言われているのだと少しだけ拗ねた様子の仁聖に恭平も気がつく。

「前と違って沢山気持ちいいことする手だよ?」
「…………そんなこと、………言うな……。」
「でも、好き………でしょ?俺の手が、する………キモチ、いい、の。」

少し意地悪いのに蕩ける程に甘い声が、音を句切るように耳元に熱と一緒に落とされていく。未だに指をからめられて持ち上げられたままの恭平の手に、柔らかく肉感的な唇がなぞるように這う。背後から抱きすくめられたまま耳元で甘く囁かれながら、そして指先までが吐息と共に唇に愛撫されて囚われていく。

「………ね、好き、でしょ?俺の、手。」

何気ない日常の箸の持ち方の話だった筈なのに、いつの間にやら仁聖に手玉にとられて甘い空気に塗り替えられつつあるのに気がついた時には既に遅い。

「………そ、そういう、………ばか……。」

既に完全に悪戯するつもり満載の手が、まるで箸の持ち方を教えるように華奢な恭平の手を熱く包み込み、わざとらしく肌をツルリと擦り滑っていく。その刺激に頬を染めて睨み付けてしまう恭平に、昔と変わらない黒目がちの瞳がキラキラと迎え撃っていた。

「そういう?どういうこと?嫌い?……キモチ、いいの。」
「ひゃぅっ!」

耳元で低く熱っぽく囁かれた甘い声が擽ったくて、思わず恭平は声をあげて全身を戦かせ身をすくませてしまう。そんな反応をあからさまに仁聖の前でしてしまったら、自らその先を望んで許したようなもので一瞬で頬が熱を放っていた。チュ…と柔らかな唇が背後から耳朶を擽りながら、指先を絡めたままの手がユルユルと肌を擦る。

「じ、んせぇ………。」
「可愛い………恭平。」

昔はお前の方が可愛かったんだと言いかけた恭平の唇がそれを完全に言葉に出す前に、押し付けられた下半身の熱い感触が言葉を遮るように硬く浮き上がる。意地悪くわざとそれを主張するみたいに押し付けながら、丹念に耳朶と指を愛撫する仁聖が肩越しに熱のこもる視線を投げかけてみせていた。

「ね、昔より今の俺の方が、断然好きだよね?ね?恭平。」

ここまでの流れを分断してまで確認してきた仁聖の珍妙な問いかけに、愛撫に蕩けさせかけられていた恭平が呆気にとられてポカンとする。
この場合流れ的にはキモチいいことが好きか嫌いか?なんてことになって、なし崩し的にエッチに雪崩れ込む。それが定石と言うものではなかろうか?それすら放棄してでも確認したいのが、子供の自分より今の自分が好きかどうか?

子供か?いや、この間成人したばかりなんだが…………

何を言ってるんだかと思わず吹き出した恭平の様子に、抱きかかえたままの仁聖が肩越しに子供のように不満そうにプクッと頬を膨らませる。

「何で笑うの?大事なとこでしょ!?今の俺が一番かどうかだよ?」
「くく、子供の自分に嫉妬してどうするんだ?」

自分に嫉妬したって本末転倒だろと膝の上で腹を抱えて笑う恭平に、仁聖がだって子供の時の方が良かったって言われた気がしたんだもんと不貞腐れ顔をする。その姿に恭平は苦笑を浮かべた口元で仁聖を見上げて、未だに仁聖が指を絡めたまま離そうとしていない手を引きよせた。

「全く……子供の頃と今じゃ比較しようがないだろ。馬鹿だな……。」

そうして先程のお返しとばかりに恭平が仁聖の引き寄せた指先に柔らかく唇を押しあててみせるのに、肩越しに見つめていた仁聖は嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
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