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間章 ソノサキの合間の話
間話15.チェイン3
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世の中には一見何処にでもいるマトモな人間の顔をして、迷いもなく人を傷つける人間が呆れる位に山ほどいる。更にその中には人を差別したり人を奴隷のように扱う人間もいて、そういう奴は自分の認識がおかしいことすら知らない。しかもそういう奴の中には他人からそれを指摘されるとキレて怒りだしたかと思うと、暴力に走ったり性的な乱暴を働く人間までいる。これまでの自分の拙い経験で知ったのは、そういう人間に限って異常にプライドが高く馬鹿みたいなナルシストで、尚且怒ることで自分の立場を作るしか出来ない。その癖自分より相手が強いと、途端に何も出来なくなる小心者。それでもそういう奴らが一向に減らないのは、大概の人間は相手がキレるとそれを目にしたら先ずは怯えるものだからだ。そして怯えることで相手が自分より弱いと見計らえば、尚更暴挙に出るのがそいつらの目立った特性というもの。
そういうのは、一番良くないのよ。
そう声が頭を過る。虐待や虐め・DVなんかは、そんな根底から引き起こされていく。自分より相手が弱いとちゃんと分かっているからこそ、どれも繰り返し起きているんだ。
支配欲はね、人を狂わせるのよ。支配することで自分が支配されるの。
ならもし弱いと思っていた相手が、強さを隠した仮の姿ならどうなのだろう。弱かった筈の存在が突然反旗を翻し、強者だと持っていた方がコテンパンにされたとしたら。相手は羊だと思っていたのに一皮脱いだら虎だったとしたら?虎の口に頭を突っ込んでいるのに、その時に気がついたらどんな反応をするだろう。弱い者虐めをやってた奴等は、そんな風に手痛い目を見たら心底反省するんじゃないか。今ではそんな風に、傍目に世の中を見ていて思う。
誰も本当の自分の事を知らないし、誰も本当の自分を見もしない。
そんな不条理で理不尽な世の中で、弱い者虐めをしている人間を痛め付けるのは悪いことか善いことか?答えは一体どちらだろうか。何も知らずに街並みを和やかに群れて歩く人々を眺めながら、独りでそんなことをボンヤリと考え込む。
会社勤めの人間に、制服姿の若い学生達。
食材を片手に家路に急ぐ主婦らしき姿。
全て目の前にいる人間は普通に見えるのに。どうして一皮剥くだけで、あんなにも醜い部分が溢れだすのか正直なところ不思議でならない。
誰しもキレイな人でいたいのよ。でも理解できないものは気持ち悪いし、違う人と一緒にいると安心できない。気に入らない。そうなるのはむしろ当然なの。
頭の中で囁く声。そう言う意味では既に自分は、この世の中では完全な異端児になってしまった。余りにも異端過ぎる自分の感覚では、正常が何一つ分からなくなってしまう。それでも頭の中の声が言う『理解できないものを不快』だと思ったり、『自分と違うものと一緒にいるのは安心できない』と言うのは分かる。それは不快なものを排除したいと感じるのは、安心を求める生き物の本能なのだ。だから、弱い者を虐げる存在を自分は排除する。そしてそう言う行為を正義という理念のもとにするのを、この世界では『ヒーロー』って言うんだと公園の幼い子供達が口々にいっていた。
正しいの基準は………一つじゃないの。
そうヒヤリと冷えた声が、頭の中で当然と言わんばかりの口調でいう。丁寧に何度となく繰り返し自分を真っ直ぐに見つめて、噛んで含めるように説き続けるこの声が、誰のものなのかは言われなくても理解している。
怪我したら嫌です。
別な声が脳裏を過るが、人のためにそんなことを言える人間は綺麗な人間なのだと思う。それは自分とは違う。違うとわかる。それは同時にそんなことを言えるのは、エゴだとも思えるからだ。何しろこの世の中の親切という基準すら個人的な判断に過ぎなくて、本当に親切なのかどうかは誰にも分からない。もしかしたら親切と思っても、結果としては迷惑の可能性だって多々あるのだ。
正しい基準が一つでないのと一緒で、親切も規準は一つではないからだ。
それでもあんな風に他人の事を心配できる人間は幸せなんだろうと、夜風の吹き始めた駅前を眺めながら考える。この中でどのくらいの人間が、そんな幸せな綺麗な人間なのだろう。同時にどれだけの人間が醜悪な本性を抱えた人間なのだろうかと、辺りを眺めつつ目を細める。それを知るには直接に話してみないと分からないし、それが醜い奴なら抹消していかないとならない。少しずつでも抹消していったら、何時かはそんな人間は少しずつでもこの世界から減っていくのではなかろうか?それともそんなのはたいした努力にも値せず、減るより増える方が多いだろうか。
そんなことをこうして独りで、何かを求めて彷徨い考え続けている。
※※※
あの一年前の騒乱の最中、違法薬剤の副作用で暴れる一般人を取り押さえようと花街の顔役・八幡万智の依頼で、高城宗輝を初めとした面々も街を駆けずり回った記憶がある。宗輝だけでなく勿論四倉の面々もだし、久久保田惣一の弟分でもある相園が連絡係りになって浅木真治達も密かに行動していた。
まぁ、確かにあれは地獄の沙汰だったしな………
そして当然のことだが、宗輝達のような裏社会側だけでなく警察の方だって同じ様に暴動の鎮圧に動いていた。ただ問題だったのは警察官の多くが、自分達みたいに暴力親父や酔っ払いなんかと喧嘩慣れしてるのとは違うと言うことだ。それはあの異常事態に対応しきれなかった者が、警察官の方に多かったと言うことでもある。一般人を力ずくで押さえ込むのに躊躇いがあったり相手の暴れかたが尋常ではなかったせいで、警察官の方がより怪我をする羽目になったのはここだけの話なのだった。
そんな怪我をした中の一人……それが庄司陸詞
目の前の庄司陸詞も恐らくは仕事帰りの最中に、あの騒乱に巻き込まれてしまったらしい一人だった。恐らくは暴れる一般人を取り押さえていた最中、逆に突き飛ばされアスファルトに頭を叩きつけられそのまま放置されたのではないかとされている。
何度もここで『恐らく』と繰り返したのは、真実を今のところは誰も知らないからだ。
結果としては彼が発見されたのは、既にあの騒動が終焉を迎えてから暫くした明け方過ぎで、人気のない駅の北側の路地裏に昏倒していたということだった。それでも場所は花街幅外れの区画で、(後日だがその薬の摘発が行われる事件が起きた場所のすぐ近くであったようだ。)周辺でも何人か昏倒して救急車で運ばれた人間も多い。少しでも意識があって助けをももめることが出来たらとは思うが、庄司陸詞は昏倒したまま倒れ続けていたのだ。街中が騒乱の最中だったせいで、庄司陸詞に関しては誰がやったのかは今も分かっていない。勿論何らかの手段で防犯カメラ等盗み見る術を知り尽くした情報源が何人かいたのなら話は別だろうが、世の中にはそんな人間は滅多にいないのが普通なのだ。
「………お嬢………目が覚める可能性って、どれくらいあるんすか?」
「さあ。」
怪我をして直ぐ発見され救急車で搬送されていたら、結果はまた違った可能性はある。それでも現実は庄司陸詞が倒れていたのは、運悪くかなり路地裏だった。そのせいで彼は倒れているのを発見されるまで、かなりの時間がかかってしまったのだ。
「魔法かなにか…………奇跡でも起きりゃぁな。」
夜の路地裏で気を失ったまま頭の中に溢れだした血液が生きる根幹である脳髄をユルユルと締め上げて、やがてその脳漿を自らの血液で壊死させてしまうのには充分すぎるほどの時間。
言い換えれば、脳は既に死んでしまった…………
鳥飼梨央の気のない返事で目の覚める可能性のない事が分かったベットの上の男性を、宗輝は冷え冷えとした第三者の視線で眺める。脳髄が呼吸しろと指令を出さなくなってしまったから、その呼吸を人工呼吸器でひたすらに管理して、やがて一人で働き続けるのに草臥れた心臓が鼓動を止めるのを待つだけしかない。
目覚めないと分かっていて、身体を生かすために喉に人工的に切開し孔をあけ呼吸器接続のためにチューブを通して、鳩尾にも栄養剤を流し込むための瘻孔を開けて、尿道にも持続的に流出させるために管を通す。そして定期的な寝返りを他人が2時間おきに打たせる。それでも動かさない筋力が衰え、次第に目に見えて変形していく。今の医療にはその身体が、緩やかに死んでいくのを引き留める術はなにもない。
医療ってのは………何だろうな…………
身体の表に出来る目に見える傷はなんとかできる。でも、この脳死と呼ばれる状況から、快癒する術は今の医療には存在しない。それでも人工呼吸器を一度つけてしまったら本人が自発的な呼吸を再開する事でしか、今の日本には法律的に人工呼吸器を取り外すタイミングは与えられないのが現実だ。
その現実に一人で立ち向かい傍に居続けてきた妻は、数ヵ月で疲れきって倒れてしまった。3人の子供のうち一人娘は既に嫁いでいて婚家の人間となっていて、長男も地方で勤めていて稀に見舞いに来ることはあっても実家に戻る気配はない。そして最も傍に暮らす次男は父の後を追い刑事課に配属されたばかりで、家族のうちで最も父親の顔を見に来ることもないという。
…………正しいのはなんだろうな…………
自分のように父親を捨てて逃げ出した子供達と、立派な身分を確立した父親を見捨ててしまった子供達。そのつもりはなくても結果としては、ロクデナシの父親を捨てて逃げ出した自分と庄司陸斗には大差がないように感じてしまうのはどんなものだろうか。
「まぁ目覚めても、ここまで落ちてると地獄だろうな。」
溜め息混じりの梨央の言葉の意図は悪意ではなく、万が一意識が戻っても筋力が落ち廃用と呼ばれる全身の衰えの中で意識だけが戻る残酷さを指している。もしこの状態で意識だけが戻ったとしても、再び以前のように歩いたり物を食べたりは不可能なのだ。つまりはこの身体でただ只管に天井だけ見続けるなんて意識を持つことは、逆に彼にとっても家族にとっても地獄に等しい。だがそれを理解したとして、それで自分が何もかもを捨てるような行動を取るだろうか。宗輝には全くその感情が理解できない。
「………………こうなったからって、変わるもんかね……?」
ふと何気なく呟く宗輝の言葉に、梨央は目を細めて天地が引っくり返ったような気分にはなると呟く。でも父親が事故か事件でこうなったからといって、今までの生活を突き崩すような行動に走るのだろうかと宗輝はもう一度頭の中で考える。自分の価値観が崩れ落ちるような経験となりうるものなのか、そんなことはまるで想像つかないのは仕方がない。
「……良くわかんねぇすね、屑の親父しか居なかったんで。」
そう吐き捨てるように呟いた宗輝に、梨央がもう一度深い溜め息をついている。陸斗の中に何が起きたのだろうとは宗輝も思う。鎖で繋がれた運命のようなレールの敷かれた人生を生きていた青年が何を思ったのだろうとふっと思うけれど、何故かそれはどんなに考えても分からないだろうと思えるのだった。
※※※
目の前に立つ相手の冷え冷えとした視線を受け止めながら、目の前の相手が今は何を考えているのかを伺う。どうしてこうなったと問いかけられるのは正直困る。自由に呼び出せる相手ではないのだけれど、何故か相手がここいら近郊を寝城にしている様子で自分には簡単に出会うことの出きる相手。身の回りにはこの相手を血眼に名って探している人間も何人かいる筈なのに、それでもその捜索の目を掻い潜り自由を謳歌しているといえなくもない。
「何かよう?」
その問いを口にしながら目を細めて相手が自分の顔を冷えた感情のない瞳で眺めたのに、これまでに相手のこんな顔はみたことがないと気がつく。記憶障害があるせいか、暫く期間が開いたせいで自分の事を忘れてしまったのかもしれない。
「っていうか、何でこんな人気のない裏路地なんかで話しかけてくんの?危ないでしょ?クオッカのにぃさん。」
訂正。相手は自分の事は忘れていなかった。しかし何でクオッカなんて天然暢気な笑顔生物みたいなもので記憶されたんだろうか。まぁ確かに夜遅くに相手をこんな場所で捕獲したのはまごうことなく自分で、しかもここは人気のない裏路地の奥の奥。
「ここ、記憶にない?和希。」
「俺にそれ聞く?」
「人の顔じゃないから、覚えてるかと思って。」
目の前に立つ三浦和希はこの間のような黒髪のオネェさんではなく、自分と同じ男性の姿で今回は何でか髪の毛の色が緑ときている。随分頻繁に変えまくって髪の毛は大丈夫なんだろうかなんて、全く現状には関係のない心配をしてしまう。和希は過去に脳に大きな障害を負っていて、人間の顔が殆ど記憶できない。また様々な人間に関する記憶が次第に脱落していく症状もあったせいで、生まれてからこれまでに関わってきた多くの人間の顔と記憶、そしてそれらの人々との関係性を失った。それだけではなく和希は過去に何人もの人間を殺害した殺人鬼なのだけれど、結果としてだが殺した人間の事すら記憶を残せなかった。それが怪我のせいだけでなく何らかの薬の副作用なのも知ることになった結城晴なのだけれども、逆に和希が人に関してはまるでからきしゼロでも、機械やその他の記憶力に関しては超人的な面があるのをみせられてもいる。
「ん…?どういう事?」
「ここ、一寸前に起きた事件の現場。何か覚えてない?」
その問いかけかたに目の前の和希が目を細めて、何か思い出そうとでも言うように辺りを視線だけで見渡す。視界には何の変哲もないくすんだ灰色の雑居ビル郡の壁が直下立ち、建物の裏側を縫うように走る裏路地。
そういうのは、一番良くないのよ。
そう声が頭を過る。虐待や虐め・DVなんかは、そんな根底から引き起こされていく。自分より相手が弱いとちゃんと分かっているからこそ、どれも繰り返し起きているんだ。
支配欲はね、人を狂わせるのよ。支配することで自分が支配されるの。
ならもし弱いと思っていた相手が、強さを隠した仮の姿ならどうなのだろう。弱かった筈の存在が突然反旗を翻し、強者だと持っていた方がコテンパンにされたとしたら。相手は羊だと思っていたのに一皮脱いだら虎だったとしたら?虎の口に頭を突っ込んでいるのに、その時に気がついたらどんな反応をするだろう。弱い者虐めをやってた奴等は、そんな風に手痛い目を見たら心底反省するんじゃないか。今ではそんな風に、傍目に世の中を見ていて思う。
誰も本当の自分の事を知らないし、誰も本当の自分を見もしない。
そんな不条理で理不尽な世の中で、弱い者虐めをしている人間を痛め付けるのは悪いことか善いことか?答えは一体どちらだろうか。何も知らずに街並みを和やかに群れて歩く人々を眺めながら、独りでそんなことをボンヤリと考え込む。
会社勤めの人間に、制服姿の若い学生達。
食材を片手に家路に急ぐ主婦らしき姿。
全て目の前にいる人間は普通に見えるのに。どうして一皮剥くだけで、あんなにも醜い部分が溢れだすのか正直なところ不思議でならない。
誰しもキレイな人でいたいのよ。でも理解できないものは気持ち悪いし、違う人と一緒にいると安心できない。気に入らない。そうなるのはむしろ当然なの。
頭の中で囁く声。そう言う意味では既に自分は、この世の中では完全な異端児になってしまった。余りにも異端過ぎる自分の感覚では、正常が何一つ分からなくなってしまう。それでも頭の中の声が言う『理解できないものを不快』だと思ったり、『自分と違うものと一緒にいるのは安心できない』と言うのは分かる。それは不快なものを排除したいと感じるのは、安心を求める生き物の本能なのだ。だから、弱い者を虐げる存在を自分は排除する。そしてそう言う行為を正義という理念のもとにするのを、この世界では『ヒーロー』って言うんだと公園の幼い子供達が口々にいっていた。
正しいの基準は………一つじゃないの。
そうヒヤリと冷えた声が、頭の中で当然と言わんばかりの口調でいう。丁寧に何度となく繰り返し自分を真っ直ぐに見つめて、噛んで含めるように説き続けるこの声が、誰のものなのかは言われなくても理解している。
怪我したら嫌です。
別な声が脳裏を過るが、人のためにそんなことを言える人間は綺麗な人間なのだと思う。それは自分とは違う。違うとわかる。それは同時にそんなことを言えるのは、エゴだとも思えるからだ。何しろこの世の中の親切という基準すら個人的な判断に過ぎなくて、本当に親切なのかどうかは誰にも分からない。もしかしたら親切と思っても、結果としては迷惑の可能性だって多々あるのだ。
正しい基準が一つでないのと一緒で、親切も規準は一つではないからだ。
それでもあんな風に他人の事を心配できる人間は幸せなんだろうと、夜風の吹き始めた駅前を眺めながら考える。この中でどのくらいの人間が、そんな幸せな綺麗な人間なのだろう。同時にどれだけの人間が醜悪な本性を抱えた人間なのだろうかと、辺りを眺めつつ目を細める。それを知るには直接に話してみないと分からないし、それが醜い奴なら抹消していかないとならない。少しずつでも抹消していったら、何時かはそんな人間は少しずつでもこの世界から減っていくのではなかろうか?それともそんなのはたいした努力にも値せず、減るより増える方が多いだろうか。
そんなことをこうして独りで、何かを求めて彷徨い考え続けている。
※※※
あの一年前の騒乱の最中、違法薬剤の副作用で暴れる一般人を取り押さえようと花街の顔役・八幡万智の依頼で、高城宗輝を初めとした面々も街を駆けずり回った記憶がある。宗輝だけでなく勿論四倉の面々もだし、久久保田惣一の弟分でもある相園が連絡係りになって浅木真治達も密かに行動していた。
まぁ、確かにあれは地獄の沙汰だったしな………
そして当然のことだが、宗輝達のような裏社会側だけでなく警察の方だって同じ様に暴動の鎮圧に動いていた。ただ問題だったのは警察官の多くが、自分達みたいに暴力親父や酔っ払いなんかと喧嘩慣れしてるのとは違うと言うことだ。それはあの異常事態に対応しきれなかった者が、警察官の方に多かったと言うことでもある。一般人を力ずくで押さえ込むのに躊躇いがあったり相手の暴れかたが尋常ではなかったせいで、警察官の方がより怪我をする羽目になったのはここだけの話なのだった。
そんな怪我をした中の一人……それが庄司陸詞
目の前の庄司陸詞も恐らくは仕事帰りの最中に、あの騒乱に巻き込まれてしまったらしい一人だった。恐らくは暴れる一般人を取り押さえていた最中、逆に突き飛ばされアスファルトに頭を叩きつけられそのまま放置されたのではないかとされている。
何度もここで『恐らく』と繰り返したのは、真実を今のところは誰も知らないからだ。
結果としては彼が発見されたのは、既にあの騒動が終焉を迎えてから暫くした明け方過ぎで、人気のない駅の北側の路地裏に昏倒していたということだった。それでも場所は花街幅外れの区画で、(後日だがその薬の摘発が行われる事件が起きた場所のすぐ近くであったようだ。)周辺でも何人か昏倒して救急車で運ばれた人間も多い。少しでも意識があって助けをももめることが出来たらとは思うが、庄司陸詞は昏倒したまま倒れ続けていたのだ。街中が騒乱の最中だったせいで、庄司陸詞に関しては誰がやったのかは今も分かっていない。勿論何らかの手段で防犯カメラ等盗み見る術を知り尽くした情報源が何人かいたのなら話は別だろうが、世の中にはそんな人間は滅多にいないのが普通なのだ。
「………お嬢………目が覚める可能性って、どれくらいあるんすか?」
「さあ。」
怪我をして直ぐ発見され救急車で搬送されていたら、結果はまた違った可能性はある。それでも現実は庄司陸詞が倒れていたのは、運悪くかなり路地裏だった。そのせいで彼は倒れているのを発見されるまで、かなりの時間がかかってしまったのだ。
「魔法かなにか…………奇跡でも起きりゃぁな。」
夜の路地裏で気を失ったまま頭の中に溢れだした血液が生きる根幹である脳髄をユルユルと締め上げて、やがてその脳漿を自らの血液で壊死させてしまうのには充分すぎるほどの時間。
言い換えれば、脳は既に死んでしまった…………
鳥飼梨央の気のない返事で目の覚める可能性のない事が分かったベットの上の男性を、宗輝は冷え冷えとした第三者の視線で眺める。脳髄が呼吸しろと指令を出さなくなってしまったから、その呼吸を人工呼吸器でひたすらに管理して、やがて一人で働き続けるのに草臥れた心臓が鼓動を止めるのを待つだけしかない。
目覚めないと分かっていて、身体を生かすために喉に人工的に切開し孔をあけ呼吸器接続のためにチューブを通して、鳩尾にも栄養剤を流し込むための瘻孔を開けて、尿道にも持続的に流出させるために管を通す。そして定期的な寝返りを他人が2時間おきに打たせる。それでも動かさない筋力が衰え、次第に目に見えて変形していく。今の医療にはその身体が、緩やかに死んでいくのを引き留める術はなにもない。
医療ってのは………何だろうな…………
身体の表に出来る目に見える傷はなんとかできる。でも、この脳死と呼ばれる状況から、快癒する術は今の医療には存在しない。それでも人工呼吸器を一度つけてしまったら本人が自発的な呼吸を再開する事でしか、今の日本には法律的に人工呼吸器を取り外すタイミングは与えられないのが現実だ。
その現実に一人で立ち向かい傍に居続けてきた妻は、数ヵ月で疲れきって倒れてしまった。3人の子供のうち一人娘は既に嫁いでいて婚家の人間となっていて、長男も地方で勤めていて稀に見舞いに来ることはあっても実家に戻る気配はない。そして最も傍に暮らす次男は父の後を追い刑事課に配属されたばかりで、家族のうちで最も父親の顔を見に来ることもないという。
…………正しいのはなんだろうな…………
自分のように父親を捨てて逃げ出した子供達と、立派な身分を確立した父親を見捨ててしまった子供達。そのつもりはなくても結果としては、ロクデナシの父親を捨てて逃げ出した自分と庄司陸斗には大差がないように感じてしまうのはどんなものだろうか。
「まぁ目覚めても、ここまで落ちてると地獄だろうな。」
溜め息混じりの梨央の言葉の意図は悪意ではなく、万が一意識が戻っても筋力が落ち廃用と呼ばれる全身の衰えの中で意識だけが戻る残酷さを指している。もしこの状態で意識だけが戻ったとしても、再び以前のように歩いたり物を食べたりは不可能なのだ。つまりはこの身体でただ只管に天井だけ見続けるなんて意識を持つことは、逆に彼にとっても家族にとっても地獄に等しい。だがそれを理解したとして、それで自分が何もかもを捨てるような行動を取るだろうか。宗輝には全くその感情が理解できない。
「………………こうなったからって、変わるもんかね……?」
ふと何気なく呟く宗輝の言葉に、梨央は目を細めて天地が引っくり返ったような気分にはなると呟く。でも父親が事故か事件でこうなったからといって、今までの生活を突き崩すような行動に走るのだろうかと宗輝はもう一度頭の中で考える。自分の価値観が崩れ落ちるような経験となりうるものなのか、そんなことはまるで想像つかないのは仕方がない。
「……良くわかんねぇすね、屑の親父しか居なかったんで。」
そう吐き捨てるように呟いた宗輝に、梨央がもう一度深い溜め息をついている。陸斗の中に何が起きたのだろうとは宗輝も思う。鎖で繋がれた運命のようなレールの敷かれた人生を生きていた青年が何を思ったのだろうとふっと思うけれど、何故かそれはどんなに考えても分からないだろうと思えるのだった。
※※※
目の前に立つ相手の冷え冷えとした視線を受け止めながら、目の前の相手が今は何を考えているのかを伺う。どうしてこうなったと問いかけられるのは正直困る。自由に呼び出せる相手ではないのだけれど、何故か相手がここいら近郊を寝城にしている様子で自分には簡単に出会うことの出きる相手。身の回りにはこの相手を血眼に名って探している人間も何人かいる筈なのに、それでもその捜索の目を掻い潜り自由を謳歌しているといえなくもない。
「何かよう?」
その問いを口にしながら目を細めて相手が自分の顔を冷えた感情のない瞳で眺めたのに、これまでに相手のこんな顔はみたことがないと気がつく。記憶障害があるせいか、暫く期間が開いたせいで自分の事を忘れてしまったのかもしれない。
「っていうか、何でこんな人気のない裏路地なんかで話しかけてくんの?危ないでしょ?クオッカのにぃさん。」
訂正。相手は自分の事は忘れていなかった。しかし何でクオッカなんて天然暢気な笑顔生物みたいなもので記憶されたんだろうか。まぁ確かに夜遅くに相手をこんな場所で捕獲したのはまごうことなく自分で、しかもここは人気のない裏路地の奥の奥。
「ここ、記憶にない?和希。」
「俺にそれ聞く?」
「人の顔じゃないから、覚えてるかと思って。」
目の前に立つ三浦和希はこの間のような黒髪のオネェさんではなく、自分と同じ男性の姿で今回は何でか髪の毛の色が緑ときている。随分頻繁に変えまくって髪の毛は大丈夫なんだろうかなんて、全く現状には関係のない心配をしてしまう。和希は過去に脳に大きな障害を負っていて、人間の顔が殆ど記憶できない。また様々な人間に関する記憶が次第に脱落していく症状もあったせいで、生まれてからこれまでに関わってきた多くの人間の顔と記憶、そしてそれらの人々との関係性を失った。それだけではなく和希は過去に何人もの人間を殺害した殺人鬼なのだけれど、結果としてだが殺した人間の事すら記憶を残せなかった。それが怪我のせいだけでなく何らかの薬の副作用なのも知ることになった結城晴なのだけれども、逆に和希が人に関してはまるでからきしゼロでも、機械やその他の記憶力に関しては超人的な面があるのをみせられてもいる。
「ん…?どういう事?」
「ここ、一寸前に起きた事件の現場。何か覚えてない?」
その問いかけかたに目の前の和希が目を細めて、何か思い出そうとでも言うように辺りを視線だけで見渡す。視界には何の変哲もないくすんだ灰色の雑居ビル郡の壁が直下立ち、建物の裏側を縫うように走る裏路地。
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