鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話14.チェイン2

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「ノブさん、久しぶり。」

不意に目の前に影を指した相手からかけられた声に、藤咲信夫は片眉を僅かにあげて相手を見上げ口角を緩ませる。目の前に立つのは昭和の任侠映画のチンピラ?と言いそうな派手な原色基盤のアロハシャツに、幼馴染みみたいに傷痕を隠す訳でもないのに瞳の見えない程濃いの黒のサングラス。相変わらず呆れる程にチンピラ紛いの姿をしているのは、過去には空手で顔見知りといえなくもない間柄の高城宗輝。とは言え年代としては一回り離れていて藤咲と宗輝は、同時期に大会等で顔を逢わせる機会はなかった。しかも宗輝の方は狭山道場の門下生なので、鍛練すら共にしたこともない。それでも二人が顔見知りなのは、どちらかと言えば久保田惣一絡みだったりする。それにしても繰り返すが相変わらずの時代外れの格好をして剣呑に見えかねない姿の癖に、呑気な人懐っこい笑顔をみせて藤咲のことを見下ろしている。

「あんた、もう少ししゃれっけないの?」

久々に顔を会わせての呆れ混じりの藤咲のオネェ言葉に、宗輝は賑やかな笑顔を崩すことなく当たり前みたいに彼の前に腰を下ろす。残念ながらここは行き付けの『茶樹』ではなく、駅の北側にある藤咲の事務所近くの純喫茶というやつだ。

「ずっとオミさんの真似してたら、もうこれじゃないとおちつかねぇんすよね。柄もんじゃないと防御力落ちてる感があって。」

宗輝の言う『オミ』は相園良臣のことで、宗輝としては相園とは2桁になる程に長い付き合いなのだ。宗輝がまだ子供の時分は、相園が花街の路地裏に屯していたのにくっついて歩くのが日常だった。やがて久保田の元で仕事を始めた相園が、何故か仕事中の黒服めいた服装の反動なのかチンピラ紛いの服装を始めた訳である。何故かその相園の真似をして四倉に拾われた宗輝まで、アロハシャツやらスカジャンを身に付けたりギラギラの金のネックレスや濃いサングラスなんかをつけ始めたりしたのだ。柄物の服は決して防御力が高い訳ではない。とは言え、そう感じるのは個人の感性と言うやつだ。

「今時そんなの着て歩くオミやあんたの気が知れないわ。どこで買うのよ?そんなの。」
「え?花街の裏で売ってっすよ?」

真剣な顔でそう告げる宗輝に、藤咲が愕然とした顔で何ですってと言いたげに眉を潜める。高校生からモデル業に携わり今では芸能会社の社長の藤咲としては、相変わらずのその格好に苦言を呈したいところなのだろう。けれど、どうせ言ってももう馴染みすぎてなにも変わらない。とは言え自分がテリトリーにしている花街の裏に、そんな店があるのを知らないと言うのも納得がいかないようだ。

「裏って何処よ?」
「えー、教えたらノブさん、視察に行きそうだから教えません。」

このスタイルを変える気がないと宣言するように、宗輝が断固とした顔付きで言う。そんな訳でこうして呼び出された理由でもある宗輝から頼まれていたものを差し出す藤咲に、宗輝は再び賑やかに呑気な笑顔を浮かべてみせた。

「それにしても、あんた狭山シスターズの片割れ、本気で嫁にしたの?」
「え?ノブさん。俺、言わなかったっけ?もう10年近いよ?子供小学生だし。」

言うも何も、こうして直接自分に連絡を寄越したのが数年ぶりだろうと藤咲に呆れ顔で指摘されて、そうなんだっけ?と宗輝は目を丸くする。一応身持ちを固めて堅気になったからと久保田絡みの仕事をすることが一気に減った宗輝にとっては、案外10年はあっという間の事だったらしい。藤咲の驚き顔で、なんとまぁ自分に子供が出来たのも相手に知らせてなかった事に気がつく。重ねて呆れたようにあんたに子供ねぇと笑う藤咲は、まぁ幸せそうだから良いけどと安堵に手を振ってみせてくれた。

「それにしたって何でソイツ調べる気になったの?あんた。」

幸せに堅気として暮らしていれば、人の素行調査紛いの行動は必要がない筈だ。藤咲のその指摘に提供されたアイスコーヒーのストローを軽く噛んで、宗輝は昔と変わらない冷え冷えとした眼光をサングラスの上から微かに覗かせた。

「んー、ソイツが家の弟の嫁に怪我させたんだよねぇ。」

狭山家の家族構成は道場主の祖父と祖母、そしてその娘と娘婿。そして孫に当たる道場の後継者の長女に夫、それ以外に他家に嫁いだ双子の孫娘と直系の孫息子。双子の孫娘の一人を嫁にしたのが目の前の宗輝は血縁者は姉のみの姉弟なので、『家の弟』というと言うまでもなく狭山家の孫息子のこと。しかも、言うまでもないことだが………

「はぁ?弟の嫁?…………狭山道場の男って…………。」

あれ?何だかそこら辺の事情を詳しく知ってる?と藤咲に言いたげな宗輝の様子に、まぁ色々関係があって狭山明良と結城晴のことを知る藤咲が微妙な顔をしてみせたのだった。



※※※



何もかも他人任せでいいと思っている訳じゃない。

自分だって自分として確固たる矜持がある。自分の身の回りの事くらい自分でかたをつけるべきだって思う。でも、同時に世の中にはそうは思っていても、不条理で不可能でしたなんて事だって山のようにあるものだ。そういうことは最近になって、色々と経験したから良く分かった。でも誰かに全部任せて投げ出して、それで何もかもが上手く転がるなんて思っている訳じゃない。

自分が選んだんだ…………俺が選んだんだ

相手に何とか感情を気取られまいと仮面のように取り繕った顔。端から一見すれば冷え冷えとした表情を取り繕い、内面の不安や泥々した感情を表に出さないように。少しでも自分が揺らぐのに気がつかれてしまったら、相手の悪意に取り込まれてしまうのだと知っている。

何でこんな事になってしまったのか

心の底からそう思う。でも、こんな風にここまで来てしまったのは自分が無意識にとは言え、それからずっと目を背けてきたからなのかもしれない。そう今になってだけれど理解してしまったから、なんとか自分なりに出来ることをしようと足掻こうとしている。

「そっちから呼び出すなんて、…………驚いた。」

自らがワザワザ呼び出しておいてなんなんだが、目の前に現れた相手の剣呑の視線に思わずその場から後退りたくなってしまう。表面上の仕事では兎も角、マトモには日頃の行動すら知らない相手をどうやって呼び出したかなんて聞かないでいただきたい。何しろ世の中は案外簡単に連絡先は調べられるものなのだし、こうして連絡を取り付けられてしまうものなのだ。世の中なんてモノはこんな風に、知らないだけですぐ近くに手を伸ばせば触れられる範囲で様々なものが簡単に繋がっている。

そう、まるで強固な鎖に繋がれているみたいに



※※※



忍び込んだ室内で冷え冷えとした視線でそれを見下ろし、だからと言ってそれが何なのだろうと冷たい心の声が呟く。止めどなく続く規則的な機械音。たまに揺らぐモニタリングの信号音。こういう状況においては当事者は兎も角、第三者の自分としてはブラウン管越しの世界を眺めるような作り物めいた感覚を覚えてしまう。

「…………しかし、何でこんなことになってんのかねぇ。」

思わず冷え冷えとした声でそう呟いてしまうのは、結果論として言えば高城宗輝には目の前の存在に対して何も意図的な感情が存在しないからだ。

庄司陸斗のことを調べていく内に辿り着いたのがここだ。

とは言え世の中にはどれくらいこんな状況の存在がいるのだろうかとは、世の儚さをふと嘆いてみたくなる状況ではあるなと視線を外さずに思う。

「頭部外傷によるくも膜下出血。それでベジだよ。」

背後からヒヤリと氷のような声がしたのに驚きを隠せずに振り返ると、背後の戸口に腕組みしながら気配を消して立つ漢前な口調の見慣れた顔の看護師がいる。
そう、ここは都立総合病院の個室の病室の一つ。
ただし救急処置を必要とするような彼女が勤務している急性期病棟ではなく、少なくとも数週間の経過を過ぎて疾患自体が慢性期に差し掛かりかけた状態の患者が集められる病棟だ。あえて慢性期に差し掛かりかけたと表現したのは、本来何分ここは総合病院なので長い期間の入院は不可能なのが昨今の社会情勢である。本来なら目の前の人物も疾患に対応して3ヶ月程を目処に転院なり施設なりを選択することになる筈なのだが、当人のこれまでの社会歴やら職業柄やらへの忖度と、状況的な転院の困難さ、おまけにそろそろ命が潰えてもおかしくないのではと医師から診断され、ここに住まう期日はジリジリと引き延ばされてきた。因みに彼女の口にした『ベジ』とは、『脳死状態にある患者』をさす医療従事者の使う隠語である。

「俺の言うのは、その話じゃねぇすよ?お嬢。」

目の前に立つ鳥飼梨央は産休後に元いた急性期病棟に戻って勤務している筈だから、たとえ勤務で院内に居たとしても本来ならここにまでは目が届く筈がない。

「ノブから聞いた。お前、何に首突っ込んでんだよ。バカ輝。」

昔から叱責の時だけに梨央に使われる呼び方に、思わず宗輝の口元にも苦笑が浮かぶ。子供が出来たばかりの梨央にしてみたら、妻も子供もいる自分が久々に以前のような活動を密かにしたのは腹立たしいに違いない。それにしても以前からその気合いは多少あったけれども、武術の経験もないのに結婚した途端まるで虎みたいに足音もなく背後から近寄るなんて。母親になると女というものは大概大きく変化すると思うけれど、梨央は格段に恐ろしい変化をした気がする。

まぁあの恐怖の大魔王の息子が旦那じゃ納得できなくもないな

あの四倉恐怖の伝説の『鳥飼澪討入り事件』の時には、まだ宗輝は四倉にはいなくて花街であてもなく彷徨いていた。とは言え後に四倉家に拾われることになった宗輝は、何年も津田宗治と共に四倉家の宝物・梨央の御用聞き………所謂召使か舎弟みたいな立場で過ごしてきたのだ。当然だが宗輝にも『お嬢の(何よりも女性の)御友人には逆らうな』の厳命はくだされていたし、一度それに反して(まぁ宗輝の逆らったのは女性ではなく目の前の藤咲信夫と言う男だった訳だが)とんでもなく痛い目をみた経験があるのはここだけの話。

お嬢の友人は稀有な才能持ちばかり。

その最高峰といえる大魔王の息子に嫁いだ梨央は、ある意味ではあの面々の中でも誰よりも稀有な才能を持っていたのかもしれない。

「嫁にいったら尚更、姐さんみたいになりましたね。」

嫁を貰うためには家庭を持つ基盤を持たねばならぬと、十年ほど前に宗輝は御用聞きから本家が経営する土建屋の部署に移った。それ以前に自分がこうして言う『姐さん』は四倉関係の人間というよりは、最初に高城姉弟を助けて生きるための道筋をつけてくれた久保田惣一の妻になった松理のことを指していることが多い。何せ梨央は『姐さん』というよりは、同じく御用聞きで今は実質的には四倉の若頭と……まぁ表立っては四倉は任侠は辞めているわけなのだが……なりつつある津田と自分の口癖の『お嬢』の方が馴染みがある。

「それここに不法侵入した理由になってないぞ、宗輝。」
「まぁそうっすね。」

宗輝にすれば、全く縁のない患者の病室。そこに立ち尽くしているのを咎められて答えるには、確かに不十分な内容の返答だ。ここに梨央がいるのは、藤咲が宗輝がここに繋がることを調べていた事実を梨央に伝えたからで、恐らくは内容もある程度は伝えたに違いない。

「………弟の嫁が怪我したんで、調べてきました。」

義弟の恋人というか、ある意味では自分の新たな義弟になった結城晴を傷つけた庄司陸斗。幾ら晴が言うように狭山明良の周囲に以前からウロチョロしていたとしても、これまでにはなかったような不審な行動を起こすには庄司の職業は間が悪い。何しろ念願かなって警察官から刑事になって、表立っては順風満帆、悪い変化は何一つないように見える庄司の生活。

それすら捨て去っても構わない理由は何だ?

ふと庄司自身に何もないのなら、庄司の身辺にも何か大きな変化があるのではないかと思い立った。そうなると庄司は確かに過去には狭山道場に通っていたとは言え今は別な道場の門下生になっていて、最近の近況までは宗輝の知る範疇だけでは分からない。そうしてもう少し伝を頼って警察官が通い門下生に多い藤咲道場に探りを入れて、そうして得られた結果が目の前のベットの主なのだ。

庄司陸詞(たかし)

宗輝の目の前には薄く半眼を虚ろに開いたまま、ほぼ1年近く意識不明の植物状態が続いている中年の男性がいる。
1年前の夏に起きたとある事件。
闇ルートで出回った薬剤(出本が闇ルートのわりには薬剤自体は健康食品としても出回っていたらしいし、精力剤としても出回っていたらしいと言うのは世も末だけれども。)による副作用で街が騒乱に陥ったのだった。
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