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第十七章 鮮明な月
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コンクリートの味気ない壁に囲まれた廊下で、源川仁聖をなるべく相手に見せないよう背に庇うようにして立つのは三科悠生。そしてその悠生に『邑上』と声をかけた目の前にいた男が、音もなく背後から迫る人影の気配に振り返っていた。
そこにいたのは、その場に全くそぐわない冷え冷えとした月のように秀麗で華奢な人影。そしてユラリと陽炎が立つように怒気のような気配をその全身から滲ませているのに、音ひとつ立てず滑るように真っ直ぐに3人に向かってきていた。唖然とする間もなく、まるで水が流れ込むようにスゥッと近づいているのに、誰もが言葉1つすら放てないまま。ゴッという鈍い音が響き気がついた時には目の前の屈強そうな男は、当人も何が起きたか分からないままに白眼を向いていた。目の前で自分達よりガタイの良い男が、悲鳴すら上げずに昏倒して膝から力なく崩れ落ちていく。それは真正面から見ていた仁聖達にも、何が起こったのか一度には判別出来ない手際だった。
「え、あ…………。」
目の前で何が起きているのか理解する前に、スゥッと白魚のような指が真っ直ぐに延びてきていて悠生が戸惑いに満ちた声をあげる。それは本当にほんの数秒単位の出来事で、仁聖が我に返って悠生の前に飛び出しその腕を掴まなかったら、悠生も人影の背後に広がっている死屍累々と昏倒した男と同じ状態になっていたに違いない。そうその人影の進んできた廊下には、昏倒した男と同様の男が転々と壁に凭れるようにして気絶している。
「恭平!!!こいつは、俺の……友達!!!助けてくれたの!!」
声を上げた仁聖が慌てて制止するために、その悠生に向かって伸びてきていた腕に飛び付いていた。その白魚のような手の持ち主は、言うまでもなく仁聖の大切な榊恭平その人だ。
何故ここに恭平がいるの?
とは仁聖も思うけれど、インカムをつけていた外崎了と一緒に自分が拉致されたことを考えれば、外崎宏太の流れで恭平にも連絡がいったのだろうというのは言われなくても分かる。ギリッと飛び付いた仁聖の腕も妙な感じで軋むけれど、仁聖が声をあげて飛び付いたのに恭平は僅かに戸惑いながら視線を向けた。
「じん、せ。」
「恭平、迎えに来てくれたんだよね?!こいつ俺の友達なの、俺のこと助けてくれたんだ!ね?!こいつは大丈夫の人!!」
1年前の夏に起きた騒動の時のように恭平も我を忘れていて、まだ現状の把握が追い付いていないのだと仁聖にも分かる。けれど、あの時と違うのは仁聖を見つめた恭平の瞳が大きく揺れて、真っ直ぐに自分の事を意思の光の見える黒曜石の瞳で見つめ返したからだ。そして勢い良く伸ばされた手が仁聖を引き寄せて、それこそ容赦ない力で強く抱き締めてくる。
「恭っ…………平。」
ギュゥッと力一杯に抱き締められて息が詰まるほど苦しいけれど、それでも確かな恭平の体温に仁聖も思わず安堵の吐息を溢していた。
※※※
自宅にいた恭平にこの仁聖の拉致事件を知らせたのは、外崎宏太ではなく久保田惣一の妻・松理だった。恭平は松理とは電話番号を交換した覚えはなかったのだけれど、唐突にかかってきた上に恭平のスマホが何故か通話状態になってこの事態を知らされたのだ。
『了ちゃんと一緒に、仁聖君が拉致されたみたいなの!』
その電話口で何が起きているとか何なのかとかという説明は後!と叫ばれて、指示されるまま恭平は行動していた。そして指定の場所で顔を合わせたのが、言うまでまなく外崎宏太と鳥飼信哉と槙山忠志、そしてそこにもう一人・見知らぬ長身の外国人と思われる男性がいた。どうやらここまで他のメンツを先導して来たのは、その外国人のようだが、ここからの先導は概ね宏太と信哉に任せられるようだった。
早々に動き出して花街の通りから路地に入り、恭平でも今まで1度も入ったことのない地区に進む。この街にこんな暗く薄暗い場所があったなんてと思うけれど、そこにどうして仁聖が拉致されないとならないのかと問いかけたい。
「悪いな、俺も詳細までは聞いていない。」
信哉にも申し訳なさそうにそう言われ、聞けば信哉は宏太のストッパーとして松理に呼ばれたと言う。どうやらあの見知らぬ外国人経由で惣一と松理に連絡が行き、松理が地図や何かを調べてナビをしているというが…………詳しくは掘り下げるのは後からだとここでは恭平も諦める。結局そこになんで槙山も?とこのメンツは一体何なのかとかどういう事なのかを問いかける隙なんかある筈もなく、信哉から怪我をしないようにと相手を殺さないようにとだけ言われ、恭平達は揃ってここに乗り込んだのだ。
そんなのでいいのかって?
良いも悪いもない、恭平は信哉に言われた言葉は一応は理解したつもりだが、宏太の方は全くもって信哉の言葉を聞いてすらもいない。何しろ真っ先にこの建物の扉を開けて突入したのは盲目の筈の宏太で、扉のすぐ傍にいたアロハの大男は『誰だ?』の言葉を言い終える前に昏倒し膝から崩れ落ちていた。
「宏太さん!!ちょっと!待って!!」
ズカズカと言う表現が適した勢いで目が見えていないとは思えない速度で進む宏太を抑えられるのは確かに信哉だけだろうし、同じ意味合いで恭平の方のお守り役が槙山忠志と言うことらしい。
とは言え突入からは言うまでもないが、何しろ集まっているメンツがメンツだ。
ともすれば一見優男の集団に見えるだろうが、人間兵器呼ばわりされている信哉を筆頭に(見ず知らずの外国人男性は自己紹介をする隙もなく、他に目的があるらしく早々に別れたが一人でも平気だということなのだろう。それにそんなことに気を向ける余裕なんか恭平にだって正直ない。)古武術に抜刀術まで使える宏太と、そして最近古武術を順次鍛練を再開している恭平。容赦はしなくていいから殺すなよと再三信哉に言われるが、まるで暴走トラックみたいに突き進む宏太の方が確実に我を忘れているのを見ていると逆に恭平の方が冷静になるくらいだ。
「拉致…………った……の、…………は…………。」
容赦なく吊し上げられ半分泡を吹いている状態の男2人が、それぞれ別の方向を示したからここから別れて探すと宣言したのは言うまでもなく宏太だった。
※※※
「恭平さん!仁聖いた?!」
今更のように呼吸をすることを思い出したみたいに、仁聖が喘ぐようにもう一度恭平の名前を呼ぶ。その恭平の背後から槙山忠志が、早いよと呆れ声半分に昏倒している男を跨ぎ駆けてくる。それでやっと暫く震えながら仁聖を抱き締めていた恭平も我に返ったように、腕の中の仁聖の顔を見つめていた。そして目の前で自分より一回りも大きい身体の男を一瞬で昏倒させたというのに、まるで子供のように震えながら仁聖を抱き締めている恭平の姿に傍にいた悠生も呆然としている。
「仁聖、頭…………怪我してる……っ。」
泣き出しそうな声で手を伸ばしてそう言いソッと額に触れる恭平に、仁聖は安堵に緩み始めているせいか気が遠くなりつつある自分に気がついていた。頭の傷云々ではないと思うがここまでの緊張感とか何かで張り詰めていたのか、一気に気が緩んでいくのだろう。けれど、ここで気を失ったりしたら、恭平が完全にパニックになりそうな気もする。
「恭平…………疲れた…………。」
恭平に甘えたように抱きつきながらそう口にしたけれど、何か自分が大切なことを忘れているのに仁聖も気がつく。少し安堵したように頭を撫でてくる恭平の黒髪をじっと見下ろしていた仁聖は、端とその髪の色でその忘れていたことがなんなのか思い出していた。
「晴。」
仁聖がここにつれてこられた発端は結城晴が、どこかで見た記憶のある男と一緒に花街の路地を歩いていたからだ。
「え?結城君がどうした?」
思い詰めた顔で狭山明良ではない人物と歩く晴なんて、あり得ないと思ったから仁聖は後をつけて歩き出したのだった。
そして今更だけど、仁聖はその男を何処で見たのか思い出してしまったのだ。前はもっと金髪に近い色の時もあったし、恭平と同じ艶やかな黒髪の事もあった筈の男。そう黒髪の時には一瞬だけど恭平に似ている気がして仁聖が見つめていたら、『自分に何か感じたの?』と不思議そうに問いかけてきた中性的といえなくもない青年。その青年と晴が知り合いだとしても、晴は何であんな暗い顔で歩いていたのだろう。そう呟く仁聖に、昼間に信哉から晴が行方不明でさがされていると聞いていた恭平が目を丸くしている。
「…………それ、俺と同じような髪の色の時もあったのか?」
不意に話を横で聞いていた槙山忠志が訝しげに問いかけてきて、仁聖がそう言われれば確かにその色だったと粒やく。今日見たのは栗色だったけど最初にあった時は忠志のような髪色だったと話した仁聖に、忠志はまるで壁を透過して見ているようにグルリと辺りを見渡す。そして3人の会話には全くついていけていない悠生が、どうしたものやらと言いたげな顔をした瞬間、不意に廊下の更に奥で大きなザワメキが起きていた。
※※※
甘ったるく吐き気がする程の匂いの充満した部屋の扉を一撃で蹴りで粉砕したのは言うまでもなく三浦和希で、ついて歩いている結城晴は既に半分諦めモードでそれを眺める。何しろ三浦を止めようにも晴には何も止める術がない。それにここで止めてもどうしようもないし、この匂いの元を追跡しながら歩くのだけで晴には精一杯だ。
甘ったるいし、臭い…………
ハンカチ越しでも分かるほど吐き気がしそうな程濃い匂いなのだが、口元を覆うハンカチが何故か上手いこと作用するのか体調は変わらない。それに前を歩く三浦が微細に空気を払ったり見かけた窓も粉砕しているのも作用しているのかもしれないが、少なくとも不快感は臭いだけだ。
「ねぇ、…………三浦さん。」
「んん?和希でいいよ、晴。」
確かに三浦と自分は同じ年。普通ならタメで名前呼びくらいは当然なのかもしれないが、何分相手は稀代の殺人鬼として有名な三浦和希。少しでも気に入らなければ手足を引きちぎり腹をかっさばかれるなんて聞いているのに、全くもってその気配もない三浦は気にした風でもなく呑気にこちらを見ている。こう呑気で普通に接している相手を見ていると、あのドアを粉砕するとんでもない破壊力のある蹴りを見てなかったら三浦の都市伝説は嘘だったと思いかねないだろう。
「この匂い、…………和希は吸っても平気なの?」
「心配してくれてんの?」
そりゃそうだというと、和希は何でか楽しそうに笑うけれども。吸ったらラリっちゃうからね?と三浦から口を覆うように晴は言われたのだけれど、当の三浦の方は口も覆わずジャンジャン前に進むのだ。
「俺、この匂いのする薬前から散々飲んでるから、別にこの程度なら平気。」
つまりは三浦は、この匂いには耐性があるということらしい。それにしても香りが強くなればなる程確かに酩酊したみたいな奴ばかりグダグダ床に転がっていて、録な反応もなく三浦が窓を壊そうがドアを粉砕しようが制止すらしてこなくなっている。こんなんでここは良いの?と不思議そうに首を傾げる晴に、三浦は微かに耳を済ますような仕草をして見せた。
「何か、他にも起きてるみたいだよ、手前の方で騒いでる声がする。」
晴には何も聞こえないけれど廊下伝いに三浦には、何か騒ぎが起きているのが聞こえるという。その隙に白鞘千佳を探せば良いよねと三浦が言いながら、更に開け放ったドアの向こうの光景に晴は呆然としてしまっていた。
酒池肉林?
とでも言えばいいのか。そこには男女構わず何人もの人間が、殆どが全裸で部屋の中に押し込められていた。室内は換気をわざと止めているのだろう一段と強い臭いが満たされて誰もが虚ろで焦点の合わない目をしていて、ドアを半分粉砕して入ってきた三浦と晴を見ることすらしない。トロンと遠くを見る目で虚空を眺め一人でヘラヘラと笑い続けている者もいるし、何かを壁に向かってブツブツと呟き続けている者もいる。酒池肉林の言葉のように何人かで獣のように性行為に耽っている者もいるのだけれど、それが普通でないのは酩酊した焦点の合わない目をした者同士が半開きの口をして我を忘れて腰を振り続けているのが見て分かるからだ。
ゾッとするような狂気に満ちた室内。
この人達なんなの?と思わずそう呟きそうになった晴は、そのおぞましい性行為の塊の中に探していた筈の姿を見つけてしまっていた。白痴のようなヘラヘラという笑いを浮かべた男に組み敷かれ、その男の逸物を捩じ込まれながら笑っているのは探していた青年だ。
「チカ…………。」
「……どこ?」
晴が震える指で示す先に三浦は視線を向けた瞬間、三浦の視線の色が変わったのを晴はハッキリと見つめていた。
そこにいたのは、その場に全くそぐわない冷え冷えとした月のように秀麗で華奢な人影。そしてユラリと陽炎が立つように怒気のような気配をその全身から滲ませているのに、音ひとつ立てず滑るように真っ直ぐに3人に向かってきていた。唖然とする間もなく、まるで水が流れ込むようにスゥッと近づいているのに、誰もが言葉1つすら放てないまま。ゴッという鈍い音が響き気がついた時には目の前の屈強そうな男は、当人も何が起きたか分からないままに白眼を向いていた。目の前で自分達よりガタイの良い男が、悲鳴すら上げずに昏倒して膝から力なく崩れ落ちていく。それは真正面から見ていた仁聖達にも、何が起こったのか一度には判別出来ない手際だった。
「え、あ…………。」
目の前で何が起きているのか理解する前に、スゥッと白魚のような指が真っ直ぐに延びてきていて悠生が戸惑いに満ちた声をあげる。それは本当にほんの数秒単位の出来事で、仁聖が我に返って悠生の前に飛び出しその腕を掴まなかったら、悠生も人影の背後に広がっている死屍累々と昏倒した男と同じ状態になっていたに違いない。そうその人影の進んできた廊下には、昏倒した男と同様の男が転々と壁に凭れるようにして気絶している。
「恭平!!!こいつは、俺の……友達!!!助けてくれたの!!」
声を上げた仁聖が慌てて制止するために、その悠生に向かって伸びてきていた腕に飛び付いていた。その白魚のような手の持ち主は、言うまでもなく仁聖の大切な榊恭平その人だ。
何故ここに恭平がいるの?
とは仁聖も思うけれど、インカムをつけていた外崎了と一緒に自分が拉致されたことを考えれば、外崎宏太の流れで恭平にも連絡がいったのだろうというのは言われなくても分かる。ギリッと飛び付いた仁聖の腕も妙な感じで軋むけれど、仁聖が声をあげて飛び付いたのに恭平は僅かに戸惑いながら視線を向けた。
「じん、せ。」
「恭平、迎えに来てくれたんだよね?!こいつ俺の友達なの、俺のこと助けてくれたんだ!ね?!こいつは大丈夫の人!!」
1年前の夏に起きた騒動の時のように恭平も我を忘れていて、まだ現状の把握が追い付いていないのだと仁聖にも分かる。けれど、あの時と違うのは仁聖を見つめた恭平の瞳が大きく揺れて、真っ直ぐに自分の事を意思の光の見える黒曜石の瞳で見つめ返したからだ。そして勢い良く伸ばされた手が仁聖を引き寄せて、それこそ容赦ない力で強く抱き締めてくる。
「恭っ…………平。」
ギュゥッと力一杯に抱き締められて息が詰まるほど苦しいけれど、それでも確かな恭平の体温に仁聖も思わず安堵の吐息を溢していた。
※※※
自宅にいた恭平にこの仁聖の拉致事件を知らせたのは、外崎宏太ではなく久保田惣一の妻・松理だった。恭平は松理とは電話番号を交換した覚えはなかったのだけれど、唐突にかかってきた上に恭平のスマホが何故か通話状態になってこの事態を知らされたのだ。
『了ちゃんと一緒に、仁聖君が拉致されたみたいなの!』
その電話口で何が起きているとか何なのかとかという説明は後!と叫ばれて、指示されるまま恭平は行動していた。そして指定の場所で顔を合わせたのが、言うまでまなく外崎宏太と鳥飼信哉と槙山忠志、そしてそこにもう一人・見知らぬ長身の外国人と思われる男性がいた。どうやらここまで他のメンツを先導して来たのは、その外国人のようだが、ここからの先導は概ね宏太と信哉に任せられるようだった。
早々に動き出して花街の通りから路地に入り、恭平でも今まで1度も入ったことのない地区に進む。この街にこんな暗く薄暗い場所があったなんてと思うけれど、そこにどうして仁聖が拉致されないとならないのかと問いかけたい。
「悪いな、俺も詳細までは聞いていない。」
信哉にも申し訳なさそうにそう言われ、聞けば信哉は宏太のストッパーとして松理に呼ばれたと言う。どうやらあの見知らぬ外国人経由で惣一と松理に連絡が行き、松理が地図や何かを調べてナビをしているというが…………詳しくは掘り下げるのは後からだとここでは恭平も諦める。結局そこになんで槙山も?とこのメンツは一体何なのかとかどういう事なのかを問いかける隙なんかある筈もなく、信哉から怪我をしないようにと相手を殺さないようにとだけ言われ、恭平達は揃ってここに乗り込んだのだ。
そんなのでいいのかって?
良いも悪いもない、恭平は信哉に言われた言葉は一応は理解したつもりだが、宏太の方は全くもって信哉の言葉を聞いてすらもいない。何しろ真っ先にこの建物の扉を開けて突入したのは盲目の筈の宏太で、扉のすぐ傍にいたアロハの大男は『誰だ?』の言葉を言い終える前に昏倒し膝から崩れ落ちていた。
「宏太さん!!ちょっと!待って!!」
ズカズカと言う表現が適した勢いで目が見えていないとは思えない速度で進む宏太を抑えられるのは確かに信哉だけだろうし、同じ意味合いで恭平の方のお守り役が槙山忠志と言うことらしい。
とは言え突入からは言うまでもないが、何しろ集まっているメンツがメンツだ。
ともすれば一見優男の集団に見えるだろうが、人間兵器呼ばわりされている信哉を筆頭に(見ず知らずの外国人男性は自己紹介をする隙もなく、他に目的があるらしく早々に別れたが一人でも平気だということなのだろう。それにそんなことに気を向ける余裕なんか恭平にだって正直ない。)古武術に抜刀術まで使える宏太と、そして最近古武術を順次鍛練を再開している恭平。容赦はしなくていいから殺すなよと再三信哉に言われるが、まるで暴走トラックみたいに突き進む宏太の方が確実に我を忘れているのを見ていると逆に恭平の方が冷静になるくらいだ。
「拉致…………った……の、…………は…………。」
容赦なく吊し上げられ半分泡を吹いている状態の男2人が、それぞれ別の方向を示したからここから別れて探すと宣言したのは言うまでもなく宏太だった。
※※※
「恭平さん!仁聖いた?!」
今更のように呼吸をすることを思い出したみたいに、仁聖が喘ぐようにもう一度恭平の名前を呼ぶ。その恭平の背後から槙山忠志が、早いよと呆れ声半分に昏倒している男を跨ぎ駆けてくる。それでやっと暫く震えながら仁聖を抱き締めていた恭平も我に返ったように、腕の中の仁聖の顔を見つめていた。そして目の前で自分より一回りも大きい身体の男を一瞬で昏倒させたというのに、まるで子供のように震えながら仁聖を抱き締めている恭平の姿に傍にいた悠生も呆然としている。
「仁聖、頭…………怪我してる……っ。」
泣き出しそうな声で手を伸ばしてそう言いソッと額に触れる恭平に、仁聖は安堵に緩み始めているせいか気が遠くなりつつある自分に気がついていた。頭の傷云々ではないと思うがここまでの緊張感とか何かで張り詰めていたのか、一気に気が緩んでいくのだろう。けれど、ここで気を失ったりしたら、恭平が完全にパニックになりそうな気もする。
「恭平…………疲れた…………。」
恭平に甘えたように抱きつきながらそう口にしたけれど、何か自分が大切なことを忘れているのに仁聖も気がつく。少し安堵したように頭を撫でてくる恭平の黒髪をじっと見下ろしていた仁聖は、端とその髪の色でその忘れていたことがなんなのか思い出していた。
「晴。」
仁聖がここにつれてこられた発端は結城晴が、どこかで見た記憶のある男と一緒に花街の路地を歩いていたからだ。
「え?結城君がどうした?」
思い詰めた顔で狭山明良ではない人物と歩く晴なんて、あり得ないと思ったから仁聖は後をつけて歩き出したのだった。
そして今更だけど、仁聖はその男を何処で見たのか思い出してしまったのだ。前はもっと金髪に近い色の時もあったし、恭平と同じ艶やかな黒髪の事もあった筈の男。そう黒髪の時には一瞬だけど恭平に似ている気がして仁聖が見つめていたら、『自分に何か感じたの?』と不思議そうに問いかけてきた中性的といえなくもない青年。その青年と晴が知り合いだとしても、晴は何であんな暗い顔で歩いていたのだろう。そう呟く仁聖に、昼間に信哉から晴が行方不明でさがされていると聞いていた恭平が目を丸くしている。
「…………それ、俺と同じような髪の色の時もあったのか?」
不意に話を横で聞いていた槙山忠志が訝しげに問いかけてきて、仁聖がそう言われれば確かにその色だったと粒やく。今日見たのは栗色だったけど最初にあった時は忠志のような髪色だったと話した仁聖に、忠志はまるで壁を透過して見ているようにグルリと辺りを見渡す。そして3人の会話には全くついていけていない悠生が、どうしたものやらと言いたげな顔をした瞬間、不意に廊下の更に奥で大きなザワメキが起きていた。
※※※
甘ったるく吐き気がする程の匂いの充満した部屋の扉を一撃で蹴りで粉砕したのは言うまでもなく三浦和希で、ついて歩いている結城晴は既に半分諦めモードでそれを眺める。何しろ三浦を止めようにも晴には何も止める術がない。それにここで止めてもどうしようもないし、この匂いの元を追跡しながら歩くのだけで晴には精一杯だ。
甘ったるいし、臭い…………
ハンカチ越しでも分かるほど吐き気がしそうな程濃い匂いなのだが、口元を覆うハンカチが何故か上手いこと作用するのか体調は変わらない。それに前を歩く三浦が微細に空気を払ったり見かけた窓も粉砕しているのも作用しているのかもしれないが、少なくとも不快感は臭いだけだ。
「ねぇ、…………三浦さん。」
「んん?和希でいいよ、晴。」
確かに三浦と自分は同じ年。普通ならタメで名前呼びくらいは当然なのかもしれないが、何分相手は稀代の殺人鬼として有名な三浦和希。少しでも気に入らなければ手足を引きちぎり腹をかっさばかれるなんて聞いているのに、全くもってその気配もない三浦は気にした風でもなく呑気にこちらを見ている。こう呑気で普通に接している相手を見ていると、あのドアを粉砕するとんでもない破壊力のある蹴りを見てなかったら三浦の都市伝説は嘘だったと思いかねないだろう。
「この匂い、…………和希は吸っても平気なの?」
「心配してくれてんの?」
そりゃそうだというと、和希は何でか楽しそうに笑うけれども。吸ったらラリっちゃうからね?と三浦から口を覆うように晴は言われたのだけれど、当の三浦の方は口も覆わずジャンジャン前に進むのだ。
「俺、この匂いのする薬前から散々飲んでるから、別にこの程度なら平気。」
つまりは三浦は、この匂いには耐性があるということらしい。それにしても香りが強くなればなる程確かに酩酊したみたいな奴ばかりグダグダ床に転がっていて、録な反応もなく三浦が窓を壊そうがドアを粉砕しようが制止すらしてこなくなっている。こんなんでここは良いの?と不思議そうに首を傾げる晴に、三浦は微かに耳を済ますような仕草をして見せた。
「何か、他にも起きてるみたいだよ、手前の方で騒いでる声がする。」
晴には何も聞こえないけれど廊下伝いに三浦には、何か騒ぎが起きているのが聞こえるという。その隙に白鞘千佳を探せば良いよねと三浦が言いながら、更に開け放ったドアの向こうの光景に晴は呆然としてしまっていた。
酒池肉林?
とでも言えばいいのか。そこには男女構わず何人もの人間が、殆どが全裸で部屋の中に押し込められていた。室内は換気をわざと止めているのだろう一段と強い臭いが満たされて誰もが虚ろで焦点の合わない目をしていて、ドアを半分粉砕して入ってきた三浦と晴を見ることすらしない。トロンと遠くを見る目で虚空を眺め一人でヘラヘラと笑い続けている者もいるし、何かを壁に向かってブツブツと呟き続けている者もいる。酒池肉林の言葉のように何人かで獣のように性行為に耽っている者もいるのだけれど、それが普通でないのは酩酊した焦点の合わない目をした者同士が半開きの口をして我を忘れて腰を振り続けているのが見て分かるからだ。
ゾッとするような狂気に満ちた室内。
この人達なんなの?と思わずそう呟きそうになった晴は、そのおぞましい性行為の塊の中に探していた筈の姿を見つけてしまっていた。白痴のようなヘラヘラという笑いを浮かべた男に組み敷かれ、その男の逸物を捩じ込まれながら笑っているのは探していた青年だ。
「チカ…………。」
「……どこ?」
晴が震える指で示す先に三浦は視線を向けた瞬間、三浦の視線の色が変わったのを晴はハッキリと見つめていた。
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