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第十七章 鮮明な月
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明るい陽射しをを受ける第3講義室の窓辺で溜め息混じりに、頬杖をついて源川仁聖はボンヤリと考え込んでいた。その窓の外には鮮やかな青葉と共に既に夏の陽射しにユラユラと陽炎がたつのが見えている。それを眺めながら、今年の夏は訪れが早いのかもしれないなんてボンヤリと思う。
今の仁聖は昨夜の事もあって早く歳をとりたいのととりたくないのとが綯交ぜになっていて、一人そんな物憂げな顔をして溜め息なんかついているのである。お陰でキャンパス1番のイケメンの憂いの仁聖の様子に、誰もが(あれどうしたのかしら?あれどうしたんだ?)と気になって講義が終わったというのに動くに動けずチラチラしているのは言うまでもない。何しろ最近の仁聖はここにきて更に男の色気を増してきて、目に眩しいキラキラを身に付け始めていて時には同性すら目を惹き付けてしまう。その仁聖が一人憂いに沈んで考え事をしていては、周囲の人目を惹き付けないわけがない。が、当の仁聖自身はその周囲の視線には、実は相変わらず全く気がついていなかったりもする。
「なぁに憂いてんの?仁聖。」
講義の最後に集めていた課題のプリントを慌てて出して戻ってきたら、講義室内の妙な空気に佐久間翔悟は唖然とする。しかも誰もが良かった、早く何とかしてという目で翔悟を見てくるわけだから呆れてしまう。
そんなわけで呆れた翔悟の声に顔を上げた仁聖は、目の前に座った翔悟の姿に思わず口を開いていた。ここでこれを話してもどうにもならないのだけれど、いたたまれずにやり場のない感情が吐露できる場所を探しているのが自分でもよくわかる。
「どうしよう…………翔悟。」
「何が?」
「フラグたてちゃったかも…………俺…………。」
思う以上に情けない声になっている自分に気がついて仁聖は、自分が不安に押し潰されそうで泣きたくなっている事に気がつく。そこまで自分が情けないとは知らなかったと言うような仁聖の表情に、話題が何か察した翔悟は僅かに驚いたように眼を見開くと、流石にこの話題は周囲の聞き耳から場所を考えたのか講義室から彼を連れ出していた。
入り口から順に和やかな会話の犇めく学食の片隅は、まだ少し食事には早い時間のためか窓辺に腰かけた2人に近づく人間も少ない。そこでそれなりにまぁまぁの味わいだとは思える学食のアイスコーヒーを片手に2人は、目映く木立の合間から見える高い青空を窓辺から眺めつつ、さて?と顔を寄せる。
「で?どういうこと?仁聖。」
「……………昨日……夕食の時にさ……手続き始めても良い?って聞いたら……。」
言うまでもないが、仁聖のいう手続きとは仁聖が国籍を日本だけにして、しかも籍を源川から榊に移すための手続きだ。別段仁聖の誕生日が来てからで何も問題はないけれど、あえてあの時口にしたのは恭平の気持ちをハッキリ聞きたかったからだった。でもお陰で逆に恭平が躊躇っているのを知るわけになって、それじゃ約束が違うと仁聖は不貞腐れてしまったわけだ。
「だって……約束してたんだ、二十歳になったら戸籍も何もかもひっくるめて全部俺を貰ってくれるって…………。」
目の前で聞いていた翔悟があえて言葉を口にしなくても、うわぁやっちゃったよという感情が諸に顔に出ている。それに気がついている仁聖も、ションボリと項垂れてポソポソと呟いていた。
「分かってるよ、…………重いって。」
「重いって言うか…………俺達まださ?」
「それも分かってる……自分の身もたててないのにって。」
「分かってんなら…………。」
「だって……堪んなかったんだよ………、だから…。」
結局は一晩寝て冷静になれば、二十歳になったからと言って仁聖が自分の生計を自らの能力でたてているわけでもないし、まだ建築学部の一学生に過ぎない。そんな子供からちょっと抜け出しつつあるヒヨコみたいなものなのに、自分をまるごと貰って下さい・籍をいれてくださいなんて流石に烏滸がましいにもほどがある。
我にかえってそう思った仁聖なのだけど、朝の恭平はそれに関して何も口にしなかったからまだ良かった。それについて考えれば考えるほど恥ずかしくなって、もう完全に耳の垂れたワンコのようにシューンとしている仁聖なのだ。
「全くさぁ…………結構、暴走するタイプ?仁聖って。」
「…………昔から、幼馴染みの奴らには良く言われてる…………。」
あ、前から言われてるんだと、翔悟に迄呆れられてしまう。というのも仁聖は幼馴染みの村瀬真希にも宮内慶太郎にも、以前から仁聖はこと恭平のことになると全くもって歯止めの効かない暴走列車(しかも、逆上せて暴走するから蒸気機関車とすら)と呼ばれているのだ。
「で?…………なんでフラグ?」
少なくとも以前から既に籍の話しは2人の間では交わされていた事で、昨日急に仁聖が言い出したということではない。それなのに何故仁聖が、自分はフラグをたてたと感じたのかと翔悟は問いかけているのだ。
本来なら仁聖にしてみれば大人しく二十歳になって大学も卒業するかして、恭平が想定していた何かを済ませたら籍にいれて貰えるというのをジッと待っていれば良かった筈。それなのに自分からそれを無理矢理掘り返して、逆に恭平の躊躇っていた本音を引っ張り出してきてしまった。もしこれで既に仁聖が成人して就職もしていて自分で何もかも決められる状態なら話しは違った筈なのに、まだこんな子供のままで自分を今すぐ貰ってくれと猛烈にアピールされても。
正直自分が恭平の立場だったら………………ちょっと待って!?と言う気がする。
そう仁聖が言うと、俺もそう思うと素直に翔悟に肯定されてしまう。何しろこんなまだ不安定な状態で、養子縁組して相手に養って貰うみたいな形にしてくださいなんて男としてはどうなんだろう。
「………きょ………恭平さん、よく即時完全否定しなかったね。」
確かに以前話の流れでそんな約束していたとしても、ヤッパリちゃんとお前が大学を卒業してからなと答えられれば仁聖には素直に折れるしか手がない。そう言いたい翔悟に、仁聖は痛いところを突かれたと思わずウッ!!と言葉に詰まっている。
因みに榊恭平と翔悟が出逢ったのは、駅前で仁聖と帰途についていた最中。自分達より遥かに知的で穏やかな物腰の青年で、自分の能力を生かして翻訳とエッセイで生計をたてているのだと仁聖からは聞いている。しかも最近ではあの佐久間家でもアイドル的存在だった鳥飼澪の息子が再建した道場に通うのだと、ホクホク顔の仁聖から白袴姿の画像も見せられていた。(実際に合気道をしたことがない翔悟は知らなかったが祖父に聞いたら『榊』という名の天才がいたことは記憶にあって、こっちで会ったことと鳥飼道場の話をしたら爺は上京する、翔悟と暮らして通うだのと言い出してここでも呆気にとられたのは仁聖にもまだ話していない。でも、本格的に道場が開かれれば、そんな風に昔の事を記憶している面々が訪れるのは目に見えている。)そして、仁聖曰く自分とは全く違って、とても常識的で真面目な人柄なのだとも聞いている。大体にしてそう言う青年が性的マイノリティをこうして受け入れてくれると言うこと自体が凄い事だと仁聖は自ら言っているし、その性格で養子縁組にも行く行くとはいえ既に同意もしてくれているのだから。
「そうなんだよなぁ…………この時点で奇跡なんだよ、分かってる。」
「分かってるならさぁ。」
2度目の『分かってるなら』を翔悟から突きつけられて、仁聖が再びシュンとして項垂れている。
2人は昔からの顔見知りだったのだけれど、2年前に小さな切っ掛けからそれまでの関係性を崩壊させてしまったのは仁聖で、それでもこうして恭平が仁聖の事を受け入れてくれたから2人は恋人同士になれたのだ。それだけでもう途轍もない奇跡だと分かっていたのに、恭平が手を伸ばして抱き締めてくれるものだから仁聖はドンドン欲張りになってしまう。これまでだって仮同棲を強請ったり旅行をお強請りしたり、強請らなくても看病してくれたり文化祭にもきてくれたりもした。そんな風に自分を大切にしてくれる恭平なのだ。
「うう…………、ヤッパリ無理矢理して貰うことじゃないよね。」
「そうだよなぁ、俺だったらそう思う。」
サラリと迷いもなく答えている翔悟は、基本的に育ってきた土地柄なのか婚姻は自らが立派に一人立ちしてからという考えなのだ。自分の中でもやっばりそうだよなと思っているところなのだから、その答えにはもう項垂れるしかなくて。
そんな2人は自分達の会話に盛り上がっていて、食堂が少しざわめいたのには気がついていない。そこに颯爽と風のように姿を表して、その人物は2人を見つけると迷いもなく真っ直ぐに歩み寄っていく。
「ジンセイ、ショーゴ!」
明るく華やかなその声に、え?と2人が視線を向ける。そこにいたのはアッシュブロンドの髪をサイドを編み込みにしてまとめ、しかも夏らしく見事な脚線美を晒すホットパンツ姿。
「「リリア?!」」
そこに突然姿を表したのは、昨年の冬場に文学部教授の勅使河原叡に招聘されて来日したリリアーヌ・オフェリア・フラウンフォーファー。その彼女が何故か再びここにいて見事なスタイルで辺りを釘付けにしながら、2人に向かって嬉しそうに駆け寄ってきたのだった。
※※※
熱気の覚めない夕日に染まる空気の中で、青年は1つ欠伸をして背筋を伸ばしペラリと薄い本のページを捲る。五十嵐海翔がこの仕事を始めたのは偶々モデルにスカウトされたからで、何故かそのモデルが上手く行って演技もしてみないかと勧められ俳優にもなったのだ。そのせいで高校時代には少し問題を起こしたりもしたのだけれど、この街に転居してからの海翔は大分変わって、今こうして読み勧めているのは新しいドラマの台本。今度の海翔は猟奇殺人の犯人役で、今迄とは毛色が違う。
「カイトーぉ。」
事務所の先輩である栄利彩花が入り口を通り抜けながら声をかけてきて、その片手に巨大なピザの箱が見える。タイミングよく事務所にいたから一緒に食べようと言い出したのは彩花の方で、彼女は最近の撮影が終わるまでハイカロリー絶ちをしていた反動だから一緒に付き合えというのだ。お互い体重なんかには仕事柄気を使わないとならないから基本的にはストイックな食生活だとは思うけれど、たまにはこんな楽しみも良いでしょと彩花は笑う。
「うっわ、超ハイカロリー。旨そう!!」
ラージサイズの12カットされたピザは、よくある4種類を1枚で楽しめるバラエティーに溢れたもの。しかもハイカロリーの代名詞みたいなトッピングチーズ増し増し。チーズが溢れるばかりにたっぷりの上に、それ以外にもサイドメニューのフライドポテトやらチキンナゲット迄ある。しかも飲み物には定番の炭酸ジュースときたら、某国のジャンクな夕飯そのままだと翔悟が笑って言う。
「たまには良いでしょ、ほら熱いうちに食べよ?」
彩花に促されて素直に台本を置いた翔悟も渡されたお手拭きで手を拭いながら、チーズたっぷりのシーフードピザの1切れを頬張る。ジャンクなものほど旨いんだよねーと笑う彩花は同じ様にピザを頬張りながら、最近どうなの?と何気なく翔悟に問いかけていた。
彩花はこの事務所ではかなり古株で、数年前翔悟がモデルを始めた時からよく面倒を見てくれている。1年一寸前まではモデルとしても彩花自身が余り上手くはいっていなかったのだけど、大手の化粧品会社の専属モデルを勝ち取ってからの最近は事務所の女性モデルでは断トツのトップモデルになった。方や翔悟の方もゴールデンではないけれどドラマ出演が立て続けに入って、順当な活動を続けている。
「んー、まぁまぁ、撮影も順ちょ……あちっ!」
「違うわよ、大学の方。」
そうだった。翔悟はドラマ撮影の傍ら進学もしていて、実は彩花の通っていた大学の後輩になったのだ。その文学部の卒業生には最近流行った小説家の『鳥飼澪』がいるとかいないとか噂は聞いたが、だからと言ってそれが自分の生活には関係するわけではない。何しろ教授が何か事情があって休講続きなのだと話すと、彩花は驚いたようで目を丸くする。
「え?叡センセ、休講してんの?」
「うん。一回しかまだ講義受けてない。」
同じ教授の事なので話しもしやすい2人が、ワイワイしながら食事をしていると突然ドアが叩きつけられるように開いていた。ピザを頬張りながら目を丸くしている2人を見た相手の方も驚いた様子で目を丸くしているが、相手は何を言うでもなくツカツカと奥に来て置いていたらしい荷物を肩にかける。そのまま踵を返して帰ろうとする背中に向かって、彩花は慌ててピザをのみ込み声をかけた。
「三科、あんたも一緒にピザどう?」
声をかけられた三科悠生はチラリと2人を眺めたが、彩花に答えることもなくドアを叩きつけるように開けて立ち去る。その姿に何アイツと不満げにした海翔に、彩花は仕方ないのよと自嘲気味に苦笑いして見せた。
今の仁聖は昨夜の事もあって早く歳をとりたいのととりたくないのとが綯交ぜになっていて、一人そんな物憂げな顔をして溜め息なんかついているのである。お陰でキャンパス1番のイケメンの憂いの仁聖の様子に、誰もが(あれどうしたのかしら?あれどうしたんだ?)と気になって講義が終わったというのに動くに動けずチラチラしているのは言うまでもない。何しろ最近の仁聖はここにきて更に男の色気を増してきて、目に眩しいキラキラを身に付け始めていて時には同性すら目を惹き付けてしまう。その仁聖が一人憂いに沈んで考え事をしていては、周囲の人目を惹き付けないわけがない。が、当の仁聖自身はその周囲の視線には、実は相変わらず全く気がついていなかったりもする。
「なぁに憂いてんの?仁聖。」
講義の最後に集めていた課題のプリントを慌てて出して戻ってきたら、講義室内の妙な空気に佐久間翔悟は唖然とする。しかも誰もが良かった、早く何とかしてという目で翔悟を見てくるわけだから呆れてしまう。
そんなわけで呆れた翔悟の声に顔を上げた仁聖は、目の前に座った翔悟の姿に思わず口を開いていた。ここでこれを話してもどうにもならないのだけれど、いたたまれずにやり場のない感情が吐露できる場所を探しているのが自分でもよくわかる。
「どうしよう…………翔悟。」
「何が?」
「フラグたてちゃったかも…………俺…………。」
思う以上に情けない声になっている自分に気がついて仁聖は、自分が不安に押し潰されそうで泣きたくなっている事に気がつく。そこまで自分が情けないとは知らなかったと言うような仁聖の表情に、話題が何か察した翔悟は僅かに驚いたように眼を見開くと、流石にこの話題は周囲の聞き耳から場所を考えたのか講義室から彼を連れ出していた。
入り口から順に和やかな会話の犇めく学食の片隅は、まだ少し食事には早い時間のためか窓辺に腰かけた2人に近づく人間も少ない。そこでそれなりにまぁまぁの味わいだとは思える学食のアイスコーヒーを片手に2人は、目映く木立の合間から見える高い青空を窓辺から眺めつつ、さて?と顔を寄せる。
「で?どういうこと?仁聖。」
「……………昨日……夕食の時にさ……手続き始めても良い?って聞いたら……。」
言うまでもないが、仁聖のいう手続きとは仁聖が国籍を日本だけにして、しかも籍を源川から榊に移すための手続きだ。別段仁聖の誕生日が来てからで何も問題はないけれど、あえてあの時口にしたのは恭平の気持ちをハッキリ聞きたかったからだった。でもお陰で逆に恭平が躊躇っているのを知るわけになって、それじゃ約束が違うと仁聖は不貞腐れてしまったわけだ。
「だって……約束してたんだ、二十歳になったら戸籍も何もかもひっくるめて全部俺を貰ってくれるって…………。」
目の前で聞いていた翔悟があえて言葉を口にしなくても、うわぁやっちゃったよという感情が諸に顔に出ている。それに気がついている仁聖も、ションボリと項垂れてポソポソと呟いていた。
「分かってるよ、…………重いって。」
「重いって言うか…………俺達まださ?」
「それも分かってる……自分の身もたててないのにって。」
「分かってんなら…………。」
「だって……堪んなかったんだよ………、だから…。」
結局は一晩寝て冷静になれば、二十歳になったからと言って仁聖が自分の生計を自らの能力でたてているわけでもないし、まだ建築学部の一学生に過ぎない。そんな子供からちょっと抜け出しつつあるヒヨコみたいなものなのに、自分をまるごと貰って下さい・籍をいれてくださいなんて流石に烏滸がましいにもほどがある。
我にかえってそう思った仁聖なのだけど、朝の恭平はそれに関して何も口にしなかったからまだ良かった。それについて考えれば考えるほど恥ずかしくなって、もう完全に耳の垂れたワンコのようにシューンとしている仁聖なのだ。
「全くさぁ…………結構、暴走するタイプ?仁聖って。」
「…………昔から、幼馴染みの奴らには良く言われてる…………。」
あ、前から言われてるんだと、翔悟に迄呆れられてしまう。というのも仁聖は幼馴染みの村瀬真希にも宮内慶太郎にも、以前から仁聖はこと恭平のことになると全くもって歯止めの効かない暴走列車(しかも、逆上せて暴走するから蒸気機関車とすら)と呼ばれているのだ。
「で?…………なんでフラグ?」
少なくとも以前から既に籍の話しは2人の間では交わされていた事で、昨日急に仁聖が言い出したということではない。それなのに何故仁聖が、自分はフラグをたてたと感じたのかと翔悟は問いかけているのだ。
本来なら仁聖にしてみれば大人しく二十歳になって大学も卒業するかして、恭平が想定していた何かを済ませたら籍にいれて貰えるというのをジッと待っていれば良かった筈。それなのに自分からそれを無理矢理掘り返して、逆に恭平の躊躇っていた本音を引っ張り出してきてしまった。もしこれで既に仁聖が成人して就職もしていて自分で何もかも決められる状態なら話しは違った筈なのに、まだこんな子供のままで自分を今すぐ貰ってくれと猛烈にアピールされても。
正直自分が恭平の立場だったら………………ちょっと待って!?と言う気がする。
そう仁聖が言うと、俺もそう思うと素直に翔悟に肯定されてしまう。何しろこんなまだ不安定な状態で、養子縁組して相手に養って貰うみたいな形にしてくださいなんて男としてはどうなんだろう。
「………きょ………恭平さん、よく即時完全否定しなかったね。」
確かに以前話の流れでそんな約束していたとしても、ヤッパリちゃんとお前が大学を卒業してからなと答えられれば仁聖には素直に折れるしか手がない。そう言いたい翔悟に、仁聖は痛いところを突かれたと思わずウッ!!と言葉に詰まっている。
因みに榊恭平と翔悟が出逢ったのは、駅前で仁聖と帰途についていた最中。自分達より遥かに知的で穏やかな物腰の青年で、自分の能力を生かして翻訳とエッセイで生計をたてているのだと仁聖からは聞いている。しかも最近ではあの佐久間家でもアイドル的存在だった鳥飼澪の息子が再建した道場に通うのだと、ホクホク顔の仁聖から白袴姿の画像も見せられていた。(実際に合気道をしたことがない翔悟は知らなかったが祖父に聞いたら『榊』という名の天才がいたことは記憶にあって、こっちで会ったことと鳥飼道場の話をしたら爺は上京する、翔悟と暮らして通うだのと言い出してここでも呆気にとられたのは仁聖にもまだ話していない。でも、本格的に道場が開かれれば、そんな風に昔の事を記憶している面々が訪れるのは目に見えている。)そして、仁聖曰く自分とは全く違って、とても常識的で真面目な人柄なのだとも聞いている。大体にしてそう言う青年が性的マイノリティをこうして受け入れてくれると言うこと自体が凄い事だと仁聖は自ら言っているし、その性格で養子縁組にも行く行くとはいえ既に同意もしてくれているのだから。
「そうなんだよなぁ…………この時点で奇跡なんだよ、分かってる。」
「分かってるならさぁ。」
2度目の『分かってるなら』を翔悟から突きつけられて、仁聖が再びシュンとして項垂れている。
2人は昔からの顔見知りだったのだけれど、2年前に小さな切っ掛けからそれまでの関係性を崩壊させてしまったのは仁聖で、それでもこうして恭平が仁聖の事を受け入れてくれたから2人は恋人同士になれたのだ。それだけでもう途轍もない奇跡だと分かっていたのに、恭平が手を伸ばして抱き締めてくれるものだから仁聖はドンドン欲張りになってしまう。これまでだって仮同棲を強請ったり旅行をお強請りしたり、強請らなくても看病してくれたり文化祭にもきてくれたりもした。そんな風に自分を大切にしてくれる恭平なのだ。
「うう…………、ヤッパリ無理矢理して貰うことじゃないよね。」
「そうだよなぁ、俺だったらそう思う。」
サラリと迷いもなく答えている翔悟は、基本的に育ってきた土地柄なのか婚姻は自らが立派に一人立ちしてからという考えなのだ。自分の中でもやっばりそうだよなと思っているところなのだから、その答えにはもう項垂れるしかなくて。
そんな2人は自分達の会話に盛り上がっていて、食堂が少しざわめいたのには気がついていない。そこに颯爽と風のように姿を表して、その人物は2人を見つけると迷いもなく真っ直ぐに歩み寄っていく。
「ジンセイ、ショーゴ!」
明るく華やかなその声に、え?と2人が視線を向ける。そこにいたのはアッシュブロンドの髪をサイドを編み込みにしてまとめ、しかも夏らしく見事な脚線美を晒すホットパンツ姿。
「「リリア?!」」
そこに突然姿を表したのは、昨年の冬場に文学部教授の勅使河原叡に招聘されて来日したリリアーヌ・オフェリア・フラウンフォーファー。その彼女が何故か再びここにいて見事なスタイルで辺りを釘付けにしながら、2人に向かって嬉しそうに駆け寄ってきたのだった。
※※※
熱気の覚めない夕日に染まる空気の中で、青年は1つ欠伸をして背筋を伸ばしペラリと薄い本のページを捲る。五十嵐海翔がこの仕事を始めたのは偶々モデルにスカウトされたからで、何故かそのモデルが上手く行って演技もしてみないかと勧められ俳優にもなったのだ。そのせいで高校時代には少し問題を起こしたりもしたのだけれど、この街に転居してからの海翔は大分変わって、今こうして読み勧めているのは新しいドラマの台本。今度の海翔は猟奇殺人の犯人役で、今迄とは毛色が違う。
「カイトーぉ。」
事務所の先輩である栄利彩花が入り口を通り抜けながら声をかけてきて、その片手に巨大なピザの箱が見える。タイミングよく事務所にいたから一緒に食べようと言い出したのは彩花の方で、彼女は最近の撮影が終わるまでハイカロリー絶ちをしていた反動だから一緒に付き合えというのだ。お互い体重なんかには仕事柄気を使わないとならないから基本的にはストイックな食生活だとは思うけれど、たまにはこんな楽しみも良いでしょと彩花は笑う。
「うっわ、超ハイカロリー。旨そう!!」
ラージサイズの12カットされたピザは、よくある4種類を1枚で楽しめるバラエティーに溢れたもの。しかもハイカロリーの代名詞みたいなトッピングチーズ増し増し。チーズが溢れるばかりにたっぷりの上に、それ以外にもサイドメニューのフライドポテトやらチキンナゲット迄ある。しかも飲み物には定番の炭酸ジュースときたら、某国のジャンクな夕飯そのままだと翔悟が笑って言う。
「たまには良いでしょ、ほら熱いうちに食べよ?」
彩花に促されて素直に台本を置いた翔悟も渡されたお手拭きで手を拭いながら、チーズたっぷりのシーフードピザの1切れを頬張る。ジャンクなものほど旨いんだよねーと笑う彩花は同じ様にピザを頬張りながら、最近どうなの?と何気なく翔悟に問いかけていた。
彩花はこの事務所ではかなり古株で、数年前翔悟がモデルを始めた時からよく面倒を見てくれている。1年一寸前まではモデルとしても彩花自身が余り上手くはいっていなかったのだけど、大手の化粧品会社の専属モデルを勝ち取ってからの最近は事務所の女性モデルでは断トツのトップモデルになった。方や翔悟の方もゴールデンではないけれどドラマ出演が立て続けに入って、順当な活動を続けている。
「んー、まぁまぁ、撮影も順ちょ……あちっ!」
「違うわよ、大学の方。」
そうだった。翔悟はドラマ撮影の傍ら進学もしていて、実は彩花の通っていた大学の後輩になったのだ。その文学部の卒業生には最近流行った小説家の『鳥飼澪』がいるとかいないとか噂は聞いたが、だからと言ってそれが自分の生活には関係するわけではない。何しろ教授が何か事情があって休講続きなのだと話すと、彩花は驚いたようで目を丸くする。
「え?叡センセ、休講してんの?」
「うん。一回しかまだ講義受けてない。」
同じ教授の事なので話しもしやすい2人が、ワイワイしながら食事をしていると突然ドアが叩きつけられるように開いていた。ピザを頬張りながら目を丸くしている2人を見た相手の方も驚いた様子で目を丸くしているが、相手は何を言うでもなくツカツカと奥に来て置いていたらしい荷物を肩にかける。そのまま踵を返して帰ろうとする背中に向かって、彩花は慌ててピザをのみ込み声をかけた。
「三科、あんたも一緒にピザどう?」
声をかけられた三科悠生はチラリと2人を眺めたが、彩花に答えることもなくドアを叩きつけるように開けて立ち去る。その姿に何アイツと不満げにした海翔に、彩花は仕方ないのよと自嘲気味に苦笑いして見せた。
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