489 / 693
間章 ちょっと合間の話3
間話97.変わっていく5
しおりを挟む
その日の昼前頃から何となく身体が思うようにならなくて、昼食が普段のように喉を通らないのには自分でも気がついていたのだ。でも外崎宏太は何だか普段と違って食事が喉を通っていかないのを、外崎了に伝えるのが実は怖くて出来なかった。と言うのも喉を通らないのと同時に、少しだけ味覚も鈍く感じてしまっていたからだ。
もしかして…………
了のお陰で治癒した筈の味覚障害が、またここで起きたのだとしたら。これまでの1年ちょっとの時間をかけて様々な事を了から与えてもらうことに慣れてしまった宏太に、以前の暮らしに戻れなんて地獄に生きたまま堕ちるのと何も変わらない。そう心底思うから宏太には、了に自分の異変を素直に訴えることが出来なかったのだ。
熱がある。
そう了に改めて言われても、実は全く宏太にもピンときていない。というか実は自分が熱を出した記憶というものが、宏太のこれまでの人生で浮かばない。風邪一つ引いたことがないなんて大袈裟かと思われるだろうが、考えても確かに経験がないのでこれがそうなのか?とボンヤリする頭で考えた程度なのだ。
「熱?」
「分かってないのかよ?うわ、手ぇあっつい!」
そう了に言われて、ならこのボヤンとした感覚は熱のせいなのかと宏太も思う。何だか全身がフワフワしてるし思考が上手く纏まらないし、熱いと言われながら手を繋いで寝室まで歩きはしたものの、自分が何をしたらいいかが全くわからない。
何なんだ?これは…………
よく分からない状態のまま了に普段は大概着ない寝衣まで着せられて、布団の中に押し込まれた宏太は、よく分からないまま少し眠りに落ちたようだった。
※※※
「コータはさ?大器晩成なんだよ。」
「大器晩成ねぇ、これでまだ成長すんのかよ。」
瞬きする。視界は鮮やかな5月の青空。
見下ろした自分の手はまだ皺一つない子供の手で、持っていた文庫本の文字から視線を上げると通い慣れてきた高校の屋上が広がっている。ここは都立第三高校の屋上で、天気が良いとここにきて食事を皆でするのが最近の定番。弁当を食べ終わった自分は、他の面々と話をするわけでもなく読みかけの文庫本に集中していたようだ。
「晩成しきる前に終わったりしてー。」
「あー、あり得そう。コータだしね。」
人があえて何も言わないと思って、自分の事を好き放題言うのは言うまでもなく4人の幼馴染み達だ。昔から宏太は大事な感情の欠落したところがあると幼馴染みの任侠娘は言うし、宏太は命ってものの認識が正しく出来ないと幼馴染みの空手道場の息子とヤンキー紛いの幼馴染みも口を揃えて言う。
品行方正の文武両道、頭も運動神経も良くてスタイルも顔も良い
小学生の時からそういわれるのが当然みたいな存在の宏太に、散々悪態をつけるのはこの幼馴染み達だけだ。何しろ彼らは物心つく前からの付き合いで、宏太のことを善くも悪くも十分理解している。
この中でも一番身近な存在である見た目は完璧な大和撫子の癖に一皮剥くと人間兵器みたいな女だけが、自分は『大器晩成』なのだと常々言う。
「だからさ?コータは待ってんの。」
当たり前みたいに長い黒髪を靡かせスカートを翻し、真っ白な足を覗かせながら危険だからという面々を無視して一際高い貯水槽にスルスルと上がる。真っ青な空を眺めながらその女は幼馴染み達を見下ろして、まるでそれを見てきたか知っているような口ぶりで笑うのだ。
「コータはさ、きっと誰かを待ってんの。だから、その人に会えたら急に変わるんだよ。」
颯爽と靡く黒髪を押さえて彼女が言うのに、スカートの下の脚に頬を染める幼馴染みのヤンキー擬きが眩しそうに目を細める。好きなら早く告白しろと任侠娘が言っているが、彼女には既に心に決めた人がいるのを宏太だけは知っていた。でも何時までも密かに思うよりは、告白して玉砕して、新たな恋を探すって言うのもアリじゃないだろうか?まあ、自分にはよく分からない事なのだがと、密かに思ったりする。
「何でそれ、断言?」
「だってさぁ、コータいっつも誰かのこと探してるもん。」
探している。女には宏太の視線が、いつも誰かを追っているように、誰かを探しているように見えているのだという。それが見ていても誰なのか分からないのは、まだ出会えていないからだ。だから、宏太はまだ完成しない未完の大器なのだという。
そんなの……知らない………………
自分でもよく分からないのに、何故誰かを探してるなんていえるのか。そう考えると彼女は幼い頃からずっと一人の男を追い続けていて、でも結局その男とは添い遂げなかったと頭の何処かが言う。何故こんな事を急に自分が思ったのか自分でも理解できないが、まるで彼女が言うように先を知っていて…………
違う…………これは
そう考えた瞬間、この世界が粉々に砕け闇に落ちていく。これはきっと夢なのだと思うと同時に、後悔が苦く口の中に広がっていく。そうだった、自分は添い遂げてほしいと願わていれたのに、相手を傷つけるしか出来なかったのだ。
でも、それでも…………
足掻いて、もがいて、必要だと願う存在を見つけたら
※※※
ヒヤリと冷たく心地よい感触に額を撫でられ、ふっと浅く寝苦しい不快な眠りから外崎宏太は意識を浮かび上がらせていた。熱というやつのせいなのか、例えようのない不快な気分になっていて、しかもそれが夢の後味を苦く舌の上に刻み込んでいる。思わず口の中の不快感に低く呻いた宏太に、ヒンヤリとした心地よい指先が撫でるように触れていた。
「こぉた?水分とか持ってきたけど、飲める?どう?」
柔らかで優しく耳に響く声に、宏太は戸惑いながら暗闇の中で辺りを見ようともがく。何とか瞬きしようとした自分の顔面が引き連れて奇妙な違和感が走ったのに、宏太はああそうかと思わず呟いていた。
「何?こぉた……?」
「そうだ………………傷だ…………見えない…………。」
過去に三浦の事件で怪我をして死にかけて、死の淵から目が覚めた後にも何度かこれと全く同じ感覚に陥ったことがある。目が覚めて世界を見ようと必死になるが、自分の顔は醜い傷跡に包まれ眼球すらもうなくて瞬きも出来ない。闇の中しかない世界に生きるのだと理解してみても、目が覚めた瞬間の我が身の認識までは、これに慣れないことには変わらないのだ。熱のせいで慣れた筈の見えない世界を忘れてしまったらしく、自分に触れる指先にすら一瞬戸惑ってしまう有り様だ。
「こぉた?」
「…………訳が、わかんねぇ…………。気持ちわりぃ…………。」
戸惑いながらそう呟くように言う宏太に、見えない世界の中でソッと優しくヒンヤリとした指が額を撫でてくれている。頭の下にタオルでくるんだ氷枕のようなものを敷き、ソッと頭を支えて枕を整え喉にヒンヤリと心地良い飲み物をストローをさしておいて飲ませてくれていた。そうして甲斐甲斐しく少しで良いからと、仄かに米と卵とホンノリ出汁の味もする粥を匙で口まで運んでくる。口の中に入るものの味はボンヤリしているけど、それでも味わえるのに少し安堵してしまう。
「味…………。」
「うん。」
頭の中が虚ろ過ぎて言いたいことも自分でよく分からないけれど、安心したと呟くと相手はどう言うことか分からない様子だ。
「また、分かんなくなったかと思った…………。」
そう呟く宏太に相手は、あぁと理解してくれたような呟きを溢す。そうしてそれ以外にも喉の痛みにいいからと、すりおろした果物のようなものを一匙ずつ口の中に運んでくれる。果物の味なのか何か混ぜているのか、舌の先にホンノリと甘味が広がっていく。何だと告げられるわけでもなく、口に入れられても味が分かるのに安堵してしまう。
「もう、…………いい。」
「そっか、薬飲むか?」
総合感冒薬なら飲めるかと問われるが、食事もとったし薬はのみたくないと宏太が告げる。それに相手は分かったと素直に折れてくれていた。まるで口の中に薬めいた味が広がるのを宏太が苦手にしているのを知っているみたいに、…………いや、みたいでなく知っているのかも、と疼くような頭で考える。何でこんなにも考えが纏まらないのか、こんな風に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのが誰で、何がどうなっていて
「少し……眠れるか?」
柔らかな甘い声がそう問いかけて、宏太はどうだろうと戸惑う。眠りたいのは山々だけれど、またさっきみたいな昔の夢を繰り返してみたいとは正直宏太は思わない。いや、決して宏太が昔を拒絶しているわけではなくて、それでも昔の夢を見ると自分が何をしてきたか…………
キシッと軋むベットの軽い音に、咄嗟に手を伸ばしてヒンヤリと細いその手首を掴む。目が見えていないのにそこら辺にいると察した身体の無意識の動きで、宏太自身自分では意図しなかった動き。
「こぉた?」
「行くな。」
食器を下げに行こうとしただけなのだろう。それでも傍からいなくなるのが嫌で、掴んだままの手首を引き寄せる宏太に相手は慌てたように食器をもう一度サイドボードに置く。行くなと口にした自分が無理矢理その身体を引き寄せて、腕の中に納めると一気に気分が変わる。訳が分からない頭なのに、腕の中に抱き止めた途端一部の脳の回路が繋がっていく。
「さとる………………行くな。」
そうだ、甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれていたのは外崎了。誰でもない唯一の存在で、了が作ってくれた物なら目が見えなかろうが味は分かるに決まっているし、了なら宏太が何をどう感じて嫌がるか位は知っていて当然なのだ。その了の身体を抱き締めて傍にいろと繰り返すと、了は驚いたように息を飲んでいる。
「し、食器置いてくるだけだって。」
「嫌だ、行くな。」
「い、行かない、どこも行かないから。」
「ここにいろ。」
「いるから。」
離してとは言わないけれど体勢が落ち着かないのか、ジタバタするから改めて抱き上げて確りと抱き締め直す。逃げ出して何処かに行かないように半分のし掛かるようにして、細い身体を抱き締め了の柔らかな髪の毛に顔を埋める。
「こ、こら、こぉた。」
「さとる。」
腕の中の温度に安堵して宏太が強請るように名前を呼ぶと、了は戸惑いながらも仕方がないと大人しくしてくれて。そうしていつの間にか今度は夢も見ないほど深い眠りに、宏太はストンと落ちていったのだった。
※※※
驚くほど熱い身体に縋りつくようにして抱き締められ、何処にも行くなと懇願されてしまったら了だって拒絶しようにも出来る筈なんかない。かなり熱いとは思うけれど、宏太が嫌がるから仕方がないなと大人しく抱き締められたままでいる。すると普段より早い心臓の音が、ギュッと押し当てられる宏太の胸から響いてきて。コトコトコトコトと普段より割り増しで脈打っている。早鐘程ではないにしろ普段より早い音ではあるけれど、それでも宏太の心臓の音に聞き入っているとホンノリと了にも眠りが忍び寄ってくる。そんなことを感じながら大人しくしていると、先ほどの宏太の呟きが頭を過っていた。
味…………また、分かんなくなったかと思った…………
心細げにそう呟いた宏太は、きっともっと前から自分でも異変を感じていたのだろう。けれど、それを口にして自分に伝えるのが、宏太も怖かったんじゃないかと気がついた。
また
怯えを含む宏太の呟きは、宏太がもうあの時に戻りたくないと考えているということなのだ。昔のようにそれが当然だから仕方がないと、全てを諦めている訳じゃない。あの時の状態には戻りたくないから、宏太は怯えていたのだ。自分でも怖い事を言葉にして伝えたら、それが本当になるんじゃないかと怖がる気持ちは理解できる。
それに熱を出したりするっていうのは、自分でも訳の分からないことが起きたりするし、妙なことで心細くなったりするものだ。まぁそういうのは子供の時に経験して、親が傍にいてくれたりするのが普通の子供なのだけれど。自分も宏太もそういう点では、疎いし経験がないようなものだから仕方がない。そう一人考えながら抱き締めてくる宏太の背中をポンポンと子供にするようにさすってやる了に、眠り込んだ様子の宏太が無意識にスリスリ……と肌を寄せてくる。
「…………大丈夫、…………何処も行かない。」
小さな声でそう了が囁くとホッと安堵の吐息が宏太の口から溢れた気がして、ちゃんと寝てる?と心配になってしまう。それでも抱き締めた腕は緩むこともなく、当然みたいに上からのし掛かられたまま。それに少し自分も安堵したのに、了は思わず少し苦笑いしてしまった。
もしかして…………
了のお陰で治癒した筈の味覚障害が、またここで起きたのだとしたら。これまでの1年ちょっとの時間をかけて様々な事を了から与えてもらうことに慣れてしまった宏太に、以前の暮らしに戻れなんて地獄に生きたまま堕ちるのと何も変わらない。そう心底思うから宏太には、了に自分の異変を素直に訴えることが出来なかったのだ。
熱がある。
そう了に改めて言われても、実は全く宏太にもピンときていない。というか実は自分が熱を出した記憶というものが、宏太のこれまでの人生で浮かばない。風邪一つ引いたことがないなんて大袈裟かと思われるだろうが、考えても確かに経験がないのでこれがそうなのか?とボンヤリする頭で考えた程度なのだ。
「熱?」
「分かってないのかよ?うわ、手ぇあっつい!」
そう了に言われて、ならこのボヤンとした感覚は熱のせいなのかと宏太も思う。何だか全身がフワフワしてるし思考が上手く纏まらないし、熱いと言われながら手を繋いで寝室まで歩きはしたものの、自分が何をしたらいいかが全くわからない。
何なんだ?これは…………
よく分からない状態のまま了に普段は大概着ない寝衣まで着せられて、布団の中に押し込まれた宏太は、よく分からないまま少し眠りに落ちたようだった。
※※※
「コータはさ?大器晩成なんだよ。」
「大器晩成ねぇ、これでまだ成長すんのかよ。」
瞬きする。視界は鮮やかな5月の青空。
見下ろした自分の手はまだ皺一つない子供の手で、持っていた文庫本の文字から視線を上げると通い慣れてきた高校の屋上が広がっている。ここは都立第三高校の屋上で、天気が良いとここにきて食事を皆でするのが最近の定番。弁当を食べ終わった自分は、他の面々と話をするわけでもなく読みかけの文庫本に集中していたようだ。
「晩成しきる前に終わったりしてー。」
「あー、あり得そう。コータだしね。」
人があえて何も言わないと思って、自分の事を好き放題言うのは言うまでもなく4人の幼馴染み達だ。昔から宏太は大事な感情の欠落したところがあると幼馴染みの任侠娘は言うし、宏太は命ってものの認識が正しく出来ないと幼馴染みの空手道場の息子とヤンキー紛いの幼馴染みも口を揃えて言う。
品行方正の文武両道、頭も運動神経も良くてスタイルも顔も良い
小学生の時からそういわれるのが当然みたいな存在の宏太に、散々悪態をつけるのはこの幼馴染み達だけだ。何しろ彼らは物心つく前からの付き合いで、宏太のことを善くも悪くも十分理解している。
この中でも一番身近な存在である見た目は完璧な大和撫子の癖に一皮剥くと人間兵器みたいな女だけが、自分は『大器晩成』なのだと常々言う。
「だからさ?コータは待ってんの。」
当たり前みたいに長い黒髪を靡かせスカートを翻し、真っ白な足を覗かせながら危険だからという面々を無視して一際高い貯水槽にスルスルと上がる。真っ青な空を眺めながらその女は幼馴染み達を見下ろして、まるでそれを見てきたか知っているような口ぶりで笑うのだ。
「コータはさ、きっと誰かを待ってんの。だから、その人に会えたら急に変わるんだよ。」
颯爽と靡く黒髪を押さえて彼女が言うのに、スカートの下の脚に頬を染める幼馴染みのヤンキー擬きが眩しそうに目を細める。好きなら早く告白しろと任侠娘が言っているが、彼女には既に心に決めた人がいるのを宏太だけは知っていた。でも何時までも密かに思うよりは、告白して玉砕して、新たな恋を探すって言うのもアリじゃないだろうか?まあ、自分にはよく分からない事なのだがと、密かに思ったりする。
「何でそれ、断言?」
「だってさぁ、コータいっつも誰かのこと探してるもん。」
探している。女には宏太の視線が、いつも誰かを追っているように、誰かを探しているように見えているのだという。それが見ていても誰なのか分からないのは、まだ出会えていないからだ。だから、宏太はまだ完成しない未完の大器なのだという。
そんなの……知らない………………
自分でもよく分からないのに、何故誰かを探してるなんていえるのか。そう考えると彼女は幼い頃からずっと一人の男を追い続けていて、でも結局その男とは添い遂げなかったと頭の何処かが言う。何故こんな事を急に自分が思ったのか自分でも理解できないが、まるで彼女が言うように先を知っていて…………
違う…………これは
そう考えた瞬間、この世界が粉々に砕け闇に落ちていく。これはきっと夢なのだと思うと同時に、後悔が苦く口の中に広がっていく。そうだった、自分は添い遂げてほしいと願わていれたのに、相手を傷つけるしか出来なかったのだ。
でも、それでも…………
足掻いて、もがいて、必要だと願う存在を見つけたら
※※※
ヒヤリと冷たく心地よい感触に額を撫でられ、ふっと浅く寝苦しい不快な眠りから外崎宏太は意識を浮かび上がらせていた。熱というやつのせいなのか、例えようのない不快な気分になっていて、しかもそれが夢の後味を苦く舌の上に刻み込んでいる。思わず口の中の不快感に低く呻いた宏太に、ヒンヤリとした心地よい指先が撫でるように触れていた。
「こぉた?水分とか持ってきたけど、飲める?どう?」
柔らかで優しく耳に響く声に、宏太は戸惑いながら暗闇の中で辺りを見ようともがく。何とか瞬きしようとした自分の顔面が引き連れて奇妙な違和感が走ったのに、宏太はああそうかと思わず呟いていた。
「何?こぉた……?」
「そうだ………………傷だ…………見えない…………。」
過去に三浦の事件で怪我をして死にかけて、死の淵から目が覚めた後にも何度かこれと全く同じ感覚に陥ったことがある。目が覚めて世界を見ようと必死になるが、自分の顔は醜い傷跡に包まれ眼球すらもうなくて瞬きも出来ない。闇の中しかない世界に生きるのだと理解してみても、目が覚めた瞬間の我が身の認識までは、これに慣れないことには変わらないのだ。熱のせいで慣れた筈の見えない世界を忘れてしまったらしく、自分に触れる指先にすら一瞬戸惑ってしまう有り様だ。
「こぉた?」
「…………訳が、わかんねぇ…………。気持ちわりぃ…………。」
戸惑いながらそう呟くように言う宏太に、見えない世界の中でソッと優しくヒンヤリとした指が額を撫でてくれている。頭の下にタオルでくるんだ氷枕のようなものを敷き、ソッと頭を支えて枕を整え喉にヒンヤリと心地良い飲み物をストローをさしておいて飲ませてくれていた。そうして甲斐甲斐しく少しで良いからと、仄かに米と卵とホンノリ出汁の味もする粥を匙で口まで運んでくる。口の中に入るものの味はボンヤリしているけど、それでも味わえるのに少し安堵してしまう。
「味…………。」
「うん。」
頭の中が虚ろ過ぎて言いたいことも自分でよく分からないけれど、安心したと呟くと相手はどう言うことか分からない様子だ。
「また、分かんなくなったかと思った…………。」
そう呟く宏太に相手は、あぁと理解してくれたような呟きを溢す。そうしてそれ以外にも喉の痛みにいいからと、すりおろした果物のようなものを一匙ずつ口の中に運んでくれる。果物の味なのか何か混ぜているのか、舌の先にホンノリと甘味が広がっていく。何だと告げられるわけでもなく、口に入れられても味が分かるのに安堵してしまう。
「もう、…………いい。」
「そっか、薬飲むか?」
総合感冒薬なら飲めるかと問われるが、食事もとったし薬はのみたくないと宏太が告げる。それに相手は分かったと素直に折れてくれていた。まるで口の中に薬めいた味が広がるのを宏太が苦手にしているのを知っているみたいに、…………いや、みたいでなく知っているのかも、と疼くような頭で考える。何でこんなにも考えが纏まらないのか、こんな風に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのが誰で、何がどうなっていて
「少し……眠れるか?」
柔らかな甘い声がそう問いかけて、宏太はどうだろうと戸惑う。眠りたいのは山々だけれど、またさっきみたいな昔の夢を繰り返してみたいとは正直宏太は思わない。いや、決して宏太が昔を拒絶しているわけではなくて、それでも昔の夢を見ると自分が何をしてきたか…………
キシッと軋むベットの軽い音に、咄嗟に手を伸ばしてヒンヤリと細いその手首を掴む。目が見えていないのにそこら辺にいると察した身体の無意識の動きで、宏太自身自分では意図しなかった動き。
「こぉた?」
「行くな。」
食器を下げに行こうとしただけなのだろう。それでも傍からいなくなるのが嫌で、掴んだままの手首を引き寄せる宏太に相手は慌てたように食器をもう一度サイドボードに置く。行くなと口にした自分が無理矢理その身体を引き寄せて、腕の中に納めると一気に気分が変わる。訳が分からない頭なのに、腕の中に抱き止めた途端一部の脳の回路が繋がっていく。
「さとる………………行くな。」
そうだ、甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれていたのは外崎了。誰でもない唯一の存在で、了が作ってくれた物なら目が見えなかろうが味は分かるに決まっているし、了なら宏太が何をどう感じて嫌がるか位は知っていて当然なのだ。その了の身体を抱き締めて傍にいろと繰り返すと、了は驚いたように息を飲んでいる。
「し、食器置いてくるだけだって。」
「嫌だ、行くな。」
「い、行かない、どこも行かないから。」
「ここにいろ。」
「いるから。」
離してとは言わないけれど体勢が落ち着かないのか、ジタバタするから改めて抱き上げて確りと抱き締め直す。逃げ出して何処かに行かないように半分のし掛かるようにして、細い身体を抱き締め了の柔らかな髪の毛に顔を埋める。
「こ、こら、こぉた。」
「さとる。」
腕の中の温度に安堵して宏太が強請るように名前を呼ぶと、了は戸惑いながらも仕方がないと大人しくしてくれて。そうしていつの間にか今度は夢も見ないほど深い眠りに、宏太はストンと落ちていったのだった。
※※※
驚くほど熱い身体に縋りつくようにして抱き締められ、何処にも行くなと懇願されてしまったら了だって拒絶しようにも出来る筈なんかない。かなり熱いとは思うけれど、宏太が嫌がるから仕方がないなと大人しく抱き締められたままでいる。すると普段より早い心臓の音が、ギュッと押し当てられる宏太の胸から響いてきて。コトコトコトコトと普段より割り増しで脈打っている。早鐘程ではないにしろ普段より早い音ではあるけれど、それでも宏太の心臓の音に聞き入っているとホンノリと了にも眠りが忍び寄ってくる。そんなことを感じながら大人しくしていると、先ほどの宏太の呟きが頭を過っていた。
味…………また、分かんなくなったかと思った…………
心細げにそう呟いた宏太は、きっともっと前から自分でも異変を感じていたのだろう。けれど、それを口にして自分に伝えるのが、宏太も怖かったんじゃないかと気がついた。
また
怯えを含む宏太の呟きは、宏太がもうあの時に戻りたくないと考えているということなのだ。昔のようにそれが当然だから仕方がないと、全てを諦めている訳じゃない。あの時の状態には戻りたくないから、宏太は怯えていたのだ。自分でも怖い事を言葉にして伝えたら、それが本当になるんじゃないかと怖がる気持ちは理解できる。
それに熱を出したりするっていうのは、自分でも訳の分からないことが起きたりするし、妙なことで心細くなったりするものだ。まぁそういうのは子供の時に経験して、親が傍にいてくれたりするのが普通の子供なのだけれど。自分も宏太もそういう点では、疎いし経験がないようなものだから仕方がない。そう一人考えながら抱き締めてくる宏太の背中をポンポンと子供にするようにさすってやる了に、眠り込んだ様子の宏太が無意識にスリスリ……と肌を寄せてくる。
「…………大丈夫、…………何処も行かない。」
小さな声でそう了が囁くとホッと安堵の吐息が宏太の口から溢れた気がして、ちゃんと寝てる?と心配になってしまう。それでも抱き締めた腕は緩むこともなく、当然みたいに上からのし掛かられたまま。それに少し自分も安堵したのに、了は思わず少し苦笑いしてしまった。
0
お気に入りに追加
249
あなたにおすすめの小説
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる