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間章 ちょっと合間の話3
間話78.天武の才能
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狭山明良はあの時から密かにある決意をしていた。
元々狭山家は記録に残っているだけでも、明治以前からその土地で空手道場を開いて暮らしてきた家系だ。狭山家で産まれた子供は大概空手を習得してきて、その中でも最も才能がある子供が家を継いできた。勿論明良自身も物心つく前から鍛練を始めて空手を習得していて、技能だけでいえば狭山家の四人の子供の中では断トツで高い才能があった子供だ。ただ誰よりも優れた技能と恵まれた身体を持っていても、祖父や母が言うには狭山の空手で一番大事なのは『心』なのだという。そして、他は断トツに優れている明良は、一番姉弟の中で『心』が劣るのだというのだ。
どう言うことなの?だって佐久良姉さんより、僕の方が強いよ?
そう子供の頃は何度も何度も母に聞いたこともあったけど、繰り返されるのは何時も同じで明良は心が弱いの言葉。何をすれば強くなれるのと問いかけても、『心』が揺れるのが分からない明良は脆すぎて危ないの一言。
弱いなら強くなる方法を教えてよ、じいちゃん。
そう懇願しても心が揺れる方法なんかないの一言ばかり。狭山の武道は守るためのもので戦い勝つためのものではないから、守るための感情がない明良は誰よりも脆く弱いのだと繰り返されてきたのだ。そうして道場の跡取りは長女・佐久良と婿の悠平となったのはもう言うまでもない。
晴…………
だが結城晴と恋人同士になってから、やっと明良にも自分に足りなかったものが何なのか理解できできた気がする。ただ強ければいいとしか思ってこなかったけれど、それだけで最初に晴を振り回してしまった明良は何度も晴を傷つけてしまうことになってしまった。ただひたすらに強ければ何とか出来ると思っていた事が晴を守るためには何も役にたたないし、晴が明良には何でも許してくれるのに甘えて滅茶苦茶なことをしたりしてしまう。
そんなことしてたら、晴が潰れてしまうぞ?
そう気がつかされたのは明良の実家の道場云々からではなく、実際には暫く前に最愛の結城晴の件で晴の勤め先の社長である外崎宏太とタイマン勝負をして明良が完敗したことにあった。
明良には確固たる自信があった…………
そう明良はどんなに道場の跡取りになれなくとも、技能としては狭山の中では最も強いと自負して誰にも負けない自信があった。狭山家は他の空手道場と比較しても格段に実戦に近い戦闘能力を有していて、自分のところと近郊で同等の実践力があるといわれるのは藤咲道場くらいだと思う。(そう言う藤咲道場では跡取り息子が空手を止めてしまってから、師範が師範代に道場を引き継がせるとかなんとか未だに先行きが決まらないでいる。跡取り息子は言うまでもない芸能会社社長の藤咲信夫の事だが、確かに身体はいいが『心』としてはオネエっぽいし戦闘向きではないんだろうと明良も内心では思う。)だから宏太なんかどんなに強いと噂されていても、大したことがないと思っていた。何しろ日常の宏太からは、祖父に感じるような威圧感もなければ身体から無意識に放たれる強さも感じ取れない。
誰でも身体を鍛えていれば、その身体からは無意識に強さを放つ
これまで対峙してきた相手には大概その気配が漂い、本気で自分が勝てないと感じたのはほんの数人でしかない。そして外崎宏太には、常にその強さは微塵も感じないのだ。それなのに幾ら過去に合気道やらなにかをしていても何年も何も手習いすらしていない、盲目で杖をつき脚にも障害のある中年男性に明良は何一つ手も脚も出ずに負けてしまったのだ。
そんなのあり得ない
そう思った明良はまた少し空手を再開したのだけれど、空手では宏太に勝てないのは十分過ぎる程に理解していた。何しろ宏太の使うものは、明良が今まで接してきた武道とは全く質が違う。いや、勿論宏太に勝てれば云々ということでもないし、宏太ともう一度再戦したいとか言うわけではないけれど。
「それで、宏太に勝ちたいってのなら私を呼んでも意味ないわよ?私、一度も宏太に勝ったことないんだからね?明良ちゃん。」
ワザワザ『茶樹』まで呼び出され、明良の横に腰かけているのは藤咲信夫。完璧なオネエ言葉ではあるが容姿はダンディなイケメンの藤咲が、少しあきれたように微笑みながら言う。確かに既に同じ空手では何も意味はないのは分かっているが、藤咲道場の跡取り息子だった筈の藤咲は実のところ宏太とは5歳頃からの付き合いの幼馴染みで宏太の事をよく知っている筈だ。
「そりゃ勿論知ってるけど、でもそれを聞いてどうするの?」
『茶樹』のカウンターに並んで腰かけ不思議そうに首を傾げる藤咲に、明良はいつになく素直に頭を下げて是非教えてくださいと懇願する。それは言うまでもなく外崎宏太が通った武術の道場の場所を教えてほしいということなのだが、藤咲は少し困ったように考え込む。何せ外崎宏太が通っていた鳥飼道場は既に30年以上も前にたたまれていて、跡地は何年も前に更地になり今は大きなファミリー型のマンション棟に変わってしまっている。素直にそれを教えると明良は、愕然としたようすで言葉を失ってしまった。どうやら今も道場が存続していたら、何らかの教えを請う気なのかもと藤咲も気がつく。
「そんな……何年も前とは言え、習っていたのであれほどの技能なら…………習いたい人間は山ほどいますよね?」
確かにそうだろうと藤咲だって思うが、鳥飼道場を澪がたたんだのは教える立場の人間が事故で急逝してしまって現実的に道場の経営が出来なくなってしまったからだ。それに他に親戚も居なかった澪は、近郊の同じ門下から生まれた別な道場に一時身を預けられていたくらいで………………
「あ、そうだわ…………、明良ちゃん。」
端とそれに気がついた藤咲が、ちょっと出掛けましょうと明良に声をかけてカウンター前から立ち上がったのに明良は何だろうと目を丸くしていた。
※※※
「はぁい、信哉、ベビーちゃんたち元気?」
突然来訪してきた手土産に『茶樹』のケーキを片手にした妙な二人連れに、産まれて2ヶ月を過ぎた双子の一人を片手に抱いた鳥飼信哉が目を丸くしている。言うまでもなくここは駅の北側の住宅地にある鳥飼家の新居で、リビングでもう一人の双子に授乳中の鳥飼梨央が何だ?と声をかけてきたのに信哉は一先ず中にどうぞと二人を中に促す。外崎宏太と了の組み合わせとか宇野智雪と宮井麻希子の組み合わせとか、想定できる組み合わせの来訪者なら兎も角、藤咲信夫と狭山明良の組み合わせは流石に想像も出来ないものだろう。藤咲は梨央の幼馴染みだから分からなくもないが、何せ明良とは外崎邸で顔を合わせた程度の知り合いに過ぎないのだ。当然何で明良を連れてきたのか藤咲から説明をされはしたのだけれど、で?何で家まで連れてこられたの?と頭っから明良は梨央に根掘り葉掘りされている。
「で?何、狭山君だっけ?コータとサシでタイマンはったわけ?」
これは目下三人には背を向けて我が子に授乳中である妻の梨央の肩越しの発言で、相変わらずの漢前発言は健在。何しろ産まれた頃は任侠一家の一人娘だった梨央は、通常の会話が完全に漢前だったりする。そしてスクスクと成長中の双子は2ヶ月にしてポチャポチャと肉付きがよくなって手足を盛んにバタつかせたり首を動かしたりしていて、余りの可愛らしさに思わず見いってしまっていた明良は梨央の言葉に慌てたように「はい」と頷いて答えた。あの時恋人である結城晴に無茶をさせているのに気がつけない程周りが見えなくなっていた明良に、宏太が正面から晴に会わせないと啖呵を切ってきて。その結果明良と宏太は直にタイマンとなったわけだが、明良はアッサリ宏太に完敗したのだと素直に説明する。
「え、外崎さんと?素手で?」
素手って何と明良は真っ先に思ったが、聞いていた信哉の方がそれは凄いなと素直な感想を言ってきたのに梨央も一緒にそりゃそうだなとカラカラと笑う。それはどういう意味かと聞いてみたら横で聞いていた藤咲にまで凄いななんて言われてしまった。しかも藤咲にはおまけのように、高校時代には宏太一人で鉄パイプを持った不良グループ10人程をものの数分で無傷で殲滅したことがあるのよね、なんて平然と恐ろしい事を口されてしまった。流石に明良にだって、武器をもった人間を10人も相手にして無傷で納められる自信はない。
「古武術もあるからなぁ、外崎さんも。」
「も?」
「信哉も高校の時にヤクザの事務所一個壊滅させてるからな、狭山君。」
「待て、あれは結果として潰れただけだろ?梨央!」
目の前でサラリとした穏やかな顔をしている好青年にしか信哉は見えないのに、何故かとんでもない武勇伝がコロリと飛び出してきた。呆気にとられていた明良に、藤咲が長閑な口調でさっき話していた外崎宏太の通っていた道場の跡取り娘だった鳥飼澪の一人息子が目の前の信哉なのだと追加で説明してくれる。そして鳥飼澪は唯一宏太が一度も本気の喧嘩でも勝ったことのない人物で、その技能を全て受け継いでいる信哉は近郊で宏太が敵わないだろう唯一の人物になるだろうと藤咲は言うのだ。しかも信哉は新たに鳥飼道場を再興するつもりで、今まさに道場を家の敷地に建設中なのだというのに明良は目を丸くした。自分とそれほど歳の差はない筈なのに道場主になろうなんて正直破格過ぎるし、目の前の信哉も宏太と同じで全くその身体から強さの気配がしてこないのに目を丸くする。
「合気道と、…………何を身に付けているんですか?鳥飼さんは。」
「いや、たいしたもんじゃない、ちょっと古武術をね。」
「たいしたもんじゃないって言うけど、散々コータからも人間兵器呼ばわりされてるけどな?信哉は。」
「梨央、頼むから子供の前で兵器呼ばわりはやめてくれよ。」
妻から茶々を入れられても長閑にそんなことを言う信哉の動作を何気なく眺めていた明良は、ふと気がついたように少しだけ訝しげに首を捻って躊躇いがちに口を開く。
「でも、あの、空手もやってましたよね?」
その問いかけに珍しく信哉がよくわかるなと感心した声を出していて、藤咲と梨央もそれぞれに双子の片割れを抱き上げながら目を丸くする。どういうことかとよくよく聞けば子供の頃、身の回りのことで世話になることのあった人に合気道や古武術以外の幾つかの武道を習ったことがあると信哉は今更ながら言うのだ。
「ええ?あと何と何、やってるの?」
「空手とカポエラはある程度なら。」
「なんだそりゃ、古武術は全部なんだろ?無敵だなもう。信哉。」
「梨央、無敵って。段位があるわけでもないから手習い程度だからな?それにしても外崎さんには脚の運びの音でバレたけど、凄いな、狭山君は見てて分かるのか。」
大したことがないと信哉は謙遜しているけれど、正直宏太に散々人間兵器と呼ばれるのも分からなくないなと藤咲は染々思う。何せ鳥飼家に伝わる古武術は11種類あって、その内たった4つを習得しただけだと言う宏太は高校時代不良を相手にして無敵の無敗ぶりを披露していて、澪は表だって目立つ喧嘩はしなかったが任侠四倉一家を一人で恐怖に陥れた過去を持っている。しかも澪ですら11種類全ては習得していなかったが、澪自身が一度も宏太が本気でかかっても勝てなかった猛者。そして目の前の信哉はこの歳でその11種全てを習得しているのに、その上空手とカポエラまで身に付けていると言うのだ。柔も剛も、武器ですら使いこなす武術を完璧に身に付けて、しかも足技も打突もしてしまうなんて、それは宏太から人間兵器といわれてもおかしくないというか、霊長類ではほぼ無敵なんじゃないだろうか。それにしても実は身体の動きを見ていただけで、相手が空手を学んだことがあると見抜ける明良の技能もかなりのものなのだ。
「空手って誰から?道場はどこなんですか?」
それをまだなにも知らない明良が興味深そうな顔で聞いたのは、それほどの人間に対して武道を教えるならそれなりの腕でないと教えられないのに真っ先に気がついたからだろう。それに信哉は苦笑いしながら、いや教えてくれた人は道場には通ってなかったんだと口にする。
「お袋が懇意にしてた人で、氷室さんって言う人に少しだけな。」
その言葉に過剰反応したのは、実は誰でもない藤咲信夫。丁度寝付いた双子の片割れを布団に下ろしたところだった藤咲は、完全に素の漢の顔で信哉に勢い良く詰め寄っていた。
「ひ、氷室?!まさか氷室優輝?!!信哉!!氷室優輝と知り合いなのか?!!」
身を乗り出して藤咲から問いかけられた名前が、知り合いのものだったのか信哉は流石に驚いたように目を瞬かせていた。
元々狭山家は記録に残っているだけでも、明治以前からその土地で空手道場を開いて暮らしてきた家系だ。狭山家で産まれた子供は大概空手を習得してきて、その中でも最も才能がある子供が家を継いできた。勿論明良自身も物心つく前から鍛練を始めて空手を習得していて、技能だけでいえば狭山家の四人の子供の中では断トツで高い才能があった子供だ。ただ誰よりも優れた技能と恵まれた身体を持っていても、祖父や母が言うには狭山の空手で一番大事なのは『心』なのだという。そして、他は断トツに優れている明良は、一番姉弟の中で『心』が劣るのだというのだ。
どう言うことなの?だって佐久良姉さんより、僕の方が強いよ?
そう子供の頃は何度も何度も母に聞いたこともあったけど、繰り返されるのは何時も同じで明良は心が弱いの言葉。何をすれば強くなれるのと問いかけても、『心』が揺れるのが分からない明良は脆すぎて危ないの一言。
弱いなら強くなる方法を教えてよ、じいちゃん。
そう懇願しても心が揺れる方法なんかないの一言ばかり。狭山の武道は守るためのもので戦い勝つためのものではないから、守るための感情がない明良は誰よりも脆く弱いのだと繰り返されてきたのだ。そうして道場の跡取りは長女・佐久良と婿の悠平となったのはもう言うまでもない。
晴…………
だが結城晴と恋人同士になってから、やっと明良にも自分に足りなかったものが何なのか理解できできた気がする。ただ強ければいいとしか思ってこなかったけれど、それだけで最初に晴を振り回してしまった明良は何度も晴を傷つけてしまうことになってしまった。ただひたすらに強ければ何とか出来ると思っていた事が晴を守るためには何も役にたたないし、晴が明良には何でも許してくれるのに甘えて滅茶苦茶なことをしたりしてしまう。
そんなことしてたら、晴が潰れてしまうぞ?
そう気がつかされたのは明良の実家の道場云々からではなく、実際には暫く前に最愛の結城晴の件で晴の勤め先の社長である外崎宏太とタイマン勝負をして明良が完敗したことにあった。
明良には確固たる自信があった…………
そう明良はどんなに道場の跡取りになれなくとも、技能としては狭山の中では最も強いと自負して誰にも負けない自信があった。狭山家は他の空手道場と比較しても格段に実戦に近い戦闘能力を有していて、自分のところと近郊で同等の実践力があるといわれるのは藤咲道場くらいだと思う。(そう言う藤咲道場では跡取り息子が空手を止めてしまってから、師範が師範代に道場を引き継がせるとかなんとか未だに先行きが決まらないでいる。跡取り息子は言うまでもない芸能会社社長の藤咲信夫の事だが、確かに身体はいいが『心』としてはオネエっぽいし戦闘向きではないんだろうと明良も内心では思う。)だから宏太なんかどんなに強いと噂されていても、大したことがないと思っていた。何しろ日常の宏太からは、祖父に感じるような威圧感もなければ身体から無意識に放たれる強さも感じ取れない。
誰でも身体を鍛えていれば、その身体からは無意識に強さを放つ
これまで対峙してきた相手には大概その気配が漂い、本気で自分が勝てないと感じたのはほんの数人でしかない。そして外崎宏太には、常にその強さは微塵も感じないのだ。それなのに幾ら過去に合気道やらなにかをしていても何年も何も手習いすらしていない、盲目で杖をつき脚にも障害のある中年男性に明良は何一つ手も脚も出ずに負けてしまったのだ。
そんなのあり得ない
そう思った明良はまた少し空手を再開したのだけれど、空手では宏太に勝てないのは十分過ぎる程に理解していた。何しろ宏太の使うものは、明良が今まで接してきた武道とは全く質が違う。いや、勿論宏太に勝てれば云々ということでもないし、宏太ともう一度再戦したいとか言うわけではないけれど。
「それで、宏太に勝ちたいってのなら私を呼んでも意味ないわよ?私、一度も宏太に勝ったことないんだからね?明良ちゃん。」
ワザワザ『茶樹』まで呼び出され、明良の横に腰かけているのは藤咲信夫。完璧なオネエ言葉ではあるが容姿はダンディなイケメンの藤咲が、少しあきれたように微笑みながら言う。確かに既に同じ空手では何も意味はないのは分かっているが、藤咲道場の跡取り息子だった筈の藤咲は実のところ宏太とは5歳頃からの付き合いの幼馴染みで宏太の事をよく知っている筈だ。
「そりゃ勿論知ってるけど、でもそれを聞いてどうするの?」
『茶樹』のカウンターに並んで腰かけ不思議そうに首を傾げる藤咲に、明良はいつになく素直に頭を下げて是非教えてくださいと懇願する。それは言うまでもなく外崎宏太が通った武術の道場の場所を教えてほしいということなのだが、藤咲は少し困ったように考え込む。何せ外崎宏太が通っていた鳥飼道場は既に30年以上も前にたたまれていて、跡地は何年も前に更地になり今は大きなファミリー型のマンション棟に変わってしまっている。素直にそれを教えると明良は、愕然としたようすで言葉を失ってしまった。どうやら今も道場が存続していたら、何らかの教えを請う気なのかもと藤咲も気がつく。
「そんな……何年も前とは言え、習っていたのであれほどの技能なら…………習いたい人間は山ほどいますよね?」
確かにそうだろうと藤咲だって思うが、鳥飼道場を澪がたたんだのは教える立場の人間が事故で急逝してしまって現実的に道場の経営が出来なくなってしまったからだ。それに他に親戚も居なかった澪は、近郊の同じ門下から生まれた別な道場に一時身を預けられていたくらいで………………
「あ、そうだわ…………、明良ちゃん。」
端とそれに気がついた藤咲が、ちょっと出掛けましょうと明良に声をかけてカウンター前から立ち上がったのに明良は何だろうと目を丸くしていた。
※※※
「はぁい、信哉、ベビーちゃんたち元気?」
突然来訪してきた手土産に『茶樹』のケーキを片手にした妙な二人連れに、産まれて2ヶ月を過ぎた双子の一人を片手に抱いた鳥飼信哉が目を丸くしている。言うまでもなくここは駅の北側の住宅地にある鳥飼家の新居で、リビングでもう一人の双子に授乳中の鳥飼梨央が何だ?と声をかけてきたのに信哉は一先ず中にどうぞと二人を中に促す。外崎宏太と了の組み合わせとか宇野智雪と宮井麻希子の組み合わせとか、想定できる組み合わせの来訪者なら兎も角、藤咲信夫と狭山明良の組み合わせは流石に想像も出来ないものだろう。藤咲は梨央の幼馴染みだから分からなくもないが、何せ明良とは外崎邸で顔を合わせた程度の知り合いに過ぎないのだ。当然何で明良を連れてきたのか藤咲から説明をされはしたのだけれど、で?何で家まで連れてこられたの?と頭っから明良は梨央に根掘り葉掘りされている。
「で?何、狭山君だっけ?コータとサシでタイマンはったわけ?」
これは目下三人には背を向けて我が子に授乳中である妻の梨央の肩越しの発言で、相変わらずの漢前発言は健在。何しろ産まれた頃は任侠一家の一人娘だった梨央は、通常の会話が完全に漢前だったりする。そしてスクスクと成長中の双子は2ヶ月にしてポチャポチャと肉付きがよくなって手足を盛んにバタつかせたり首を動かしたりしていて、余りの可愛らしさに思わず見いってしまっていた明良は梨央の言葉に慌てたように「はい」と頷いて答えた。あの時恋人である結城晴に無茶をさせているのに気がつけない程周りが見えなくなっていた明良に、宏太が正面から晴に会わせないと啖呵を切ってきて。その結果明良と宏太は直にタイマンとなったわけだが、明良はアッサリ宏太に完敗したのだと素直に説明する。
「え、外崎さんと?素手で?」
素手って何と明良は真っ先に思ったが、聞いていた信哉の方がそれは凄いなと素直な感想を言ってきたのに梨央も一緒にそりゃそうだなとカラカラと笑う。それはどういう意味かと聞いてみたら横で聞いていた藤咲にまで凄いななんて言われてしまった。しかも藤咲にはおまけのように、高校時代には宏太一人で鉄パイプを持った不良グループ10人程をものの数分で無傷で殲滅したことがあるのよね、なんて平然と恐ろしい事を口されてしまった。流石に明良にだって、武器をもった人間を10人も相手にして無傷で納められる自信はない。
「古武術もあるからなぁ、外崎さんも。」
「も?」
「信哉も高校の時にヤクザの事務所一個壊滅させてるからな、狭山君。」
「待て、あれは結果として潰れただけだろ?梨央!」
目の前でサラリとした穏やかな顔をしている好青年にしか信哉は見えないのに、何故かとんでもない武勇伝がコロリと飛び出してきた。呆気にとられていた明良に、藤咲が長閑な口調でさっき話していた外崎宏太の通っていた道場の跡取り娘だった鳥飼澪の一人息子が目の前の信哉なのだと追加で説明してくれる。そして鳥飼澪は唯一宏太が一度も本気の喧嘩でも勝ったことのない人物で、その技能を全て受け継いでいる信哉は近郊で宏太が敵わないだろう唯一の人物になるだろうと藤咲は言うのだ。しかも信哉は新たに鳥飼道場を再興するつもりで、今まさに道場を家の敷地に建設中なのだというのに明良は目を丸くした。自分とそれほど歳の差はない筈なのに道場主になろうなんて正直破格過ぎるし、目の前の信哉も宏太と同じで全くその身体から強さの気配がしてこないのに目を丸くする。
「合気道と、…………何を身に付けているんですか?鳥飼さんは。」
「いや、たいしたもんじゃない、ちょっと古武術をね。」
「たいしたもんじゃないって言うけど、散々コータからも人間兵器呼ばわりされてるけどな?信哉は。」
「梨央、頼むから子供の前で兵器呼ばわりはやめてくれよ。」
妻から茶々を入れられても長閑にそんなことを言う信哉の動作を何気なく眺めていた明良は、ふと気がついたように少しだけ訝しげに首を捻って躊躇いがちに口を開く。
「でも、あの、空手もやってましたよね?」
その問いかけに珍しく信哉がよくわかるなと感心した声を出していて、藤咲と梨央もそれぞれに双子の片割れを抱き上げながら目を丸くする。どういうことかとよくよく聞けば子供の頃、身の回りのことで世話になることのあった人に合気道や古武術以外の幾つかの武道を習ったことがあると信哉は今更ながら言うのだ。
「ええ?あと何と何、やってるの?」
「空手とカポエラはある程度なら。」
「なんだそりゃ、古武術は全部なんだろ?無敵だなもう。信哉。」
「梨央、無敵って。段位があるわけでもないから手習い程度だからな?それにしても外崎さんには脚の運びの音でバレたけど、凄いな、狭山君は見てて分かるのか。」
大したことがないと信哉は謙遜しているけれど、正直宏太に散々人間兵器と呼ばれるのも分からなくないなと藤咲は染々思う。何せ鳥飼家に伝わる古武術は11種類あって、その内たった4つを習得しただけだと言う宏太は高校時代不良を相手にして無敵の無敗ぶりを披露していて、澪は表だって目立つ喧嘩はしなかったが任侠四倉一家を一人で恐怖に陥れた過去を持っている。しかも澪ですら11種類全ては習得していなかったが、澪自身が一度も宏太が本気でかかっても勝てなかった猛者。そして目の前の信哉はこの歳でその11種全てを習得しているのに、その上空手とカポエラまで身に付けていると言うのだ。柔も剛も、武器ですら使いこなす武術を完璧に身に付けて、しかも足技も打突もしてしまうなんて、それは宏太から人間兵器といわれてもおかしくないというか、霊長類ではほぼ無敵なんじゃないだろうか。それにしても実は身体の動きを見ていただけで、相手が空手を学んだことがあると見抜ける明良の技能もかなりのものなのだ。
「空手って誰から?道場はどこなんですか?」
それをまだなにも知らない明良が興味深そうな顔で聞いたのは、それほどの人間に対して武道を教えるならそれなりの腕でないと教えられないのに真っ先に気がついたからだろう。それに信哉は苦笑いしながら、いや教えてくれた人は道場には通ってなかったんだと口にする。
「お袋が懇意にしてた人で、氷室さんって言う人に少しだけな。」
その言葉に過剰反応したのは、実は誰でもない藤咲信夫。丁度寝付いた双子の片割れを布団に下ろしたところだった藤咲は、完全に素の漢の顔で信哉に勢い良く詰め寄っていた。
「ひ、氷室?!まさか氷室優輝?!!信哉!!氷室優輝と知り合いなのか?!!」
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