鮮明な月

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間章 ちょっと合間の話3

間話64.魅惑の笑顔

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「晴ちゃーん!!はぁーるちゃあぁーん!!!」

それはミニサイズとはいえ空手の道着を着た数えきれない程に大勢のチビッ子空手家の群れの中、まだ身長的にも埋もれてしまうからピョンピョンと跳び跳ねながら途轍もない大きな声で叫んで手を降る姿。それが両親でもない自分を必死に呼んでいるというのに、結城晴は思わず苦笑いしてしまう。

「晴ちゃーぁん!!」

会場から観覧席迄はかなり距離があるというのに、あんなに遠くからよく人混みの中の晴を見つけるものだ。しかもその他大勢の子供達とその保護者の合間を抜けて駆け寄ってきたミニミニ明良…………もとい狭山明良の三番目の姉・高城由良の息子の光輝は、迷うことなく晴にミニ空手道着姿で飛び付いて抱きついてくる。

普通ママとかじゃないのかなー、こうやって真っ先に飛び付くのって…………

そうなのだろうけれど、何故か光輝は実の母より目下晴が一番のお気に入り。その晴に是非大会を見に来て欲しいと光輝が熱望してきたのに、晴の背後で憮然としている狭山明良と共に晴がこうして観覧にきたわけだ。そうしてこんな風に光輝に飛び付かれたお陰で、周囲のあの人誰?の視線が地味に晴の肌にも痛い。けれど、光輝はそんなことは気にならない様子で、約束通り見に来てくれた晴にご満悦で抱きつき太股に頭をグリグリしている。

「僕、晴ちゃん来たの見えてたんだよー!」

御多分にも漏れずなのか狭山の家系の子供達は須らく空手を学んでいく模様で、狭山道場を継ぐ長女佐久良の一人娘・優羽も同じく空手を学んでいるのだという。そんな家系の中では、大会でも知らない大人に囲まれる母や身内と違って晴は空手に関係ないので光輝がベッタリしても問題がない。ということがあるから光輝は、晴になおのこと甘えているのかもしれない。
因みに狭山佐久良の夫は婿養子で警察関係者なのだそうで現在は地方に出向しているが、優羽曰く『パパはね、熊さん』という巨漢の温厚な男性だそうだ。光輝の父である高城氏は近郊の建設会社勤務の所謂サラリーマンだそうだが、光輝いわく『パパは、昔ヤンチャしてたんだって』とのこと。空手もしているそうで、そこに加わるヤンチャからの土建……というと微妙にどこか某合気道のお兄さんの奥方の実家が過って気にかからないわけではないが、余りその点は相手から言われていないのだからと追求はしていない。ともあれ全くタイプも外見も違う夫との子供でも、全く揺るがない『狭山』の家系の遺伝子もなかなかのものだと思う晴に、まだ子供の出来ていない次女・吉良から賑やかに

だから晴ちゃん、子供が出来ないとか後ろめたく感じなくて大丈夫だから。

等ととんでもない事をどこまで本気なのか分からない真顔で言われた晴は、悩む前に外堀から埋められた感に苦笑いするしかなかった訳でもある。

「ねぇねぇ!僕が出てたのみてた?!晴ちゃん!」

それにしてもまだ幼稚園の年長組の光輝がキラキラと瞳を輝かせて、晴の太股に抱きつきながら勢いきって話しかけてくる姿はハッキリ言ってとても可愛い。こんな風に光輝に懐かれ甘えられているのは、兄姉の末っ子の晴としてはとっても嬉しい。何だか年の離れた小さい弟というか、そうでなければ兄姉の子供みたいな感じだったりもする。

「見てた、光輝かっこよかったー。」
「ほんとー?!やったー!!」

ナデナデと頭を撫でられてキャッキャしている光輝の姿に晴がホンワカと和んでいると、明良が無表情で光輝にくっつきすぎだと気配で牽制してくる。それに気がついた光輝は不満そうな顔で、晴の太股の辺りにしがみつきながら上目遣いに明良の事を睨み付けていた。

「明良にぃ、邪魔!」

邪魔ってなんだと明良があからさまに憮然とするのに、晴はまぁまぁとなだめながら人混みに紛れないようにと手を繋ごうと光輝に手を差し出す。ところがそれに光輝ときたら当然みたいに両手を伸ばして『抱っこ』をせがみ、晴も仕方ないなぁと笑いながら幼い光輝を抱き上げる。

光輝…………お前っ

本当にただの子供を抱き上げてるなら明良だってまだ気にしないが、光輝が抱っこされて『ドヤ』と言いたげに晴には見えないように明良に笑ってみせたのだった。それが明らかに明良に対するものだとわかっているから、明良としては途轍もなく面白くない。それにしても明良としても狭山の家系を悉く虜にする晴の天使の微笑みが、まだ6歳にしからならない光輝にまで有効だとは露ほども思ってもいなかった。晴の天真爛漫な笑顔は、何故か狭山の家系には抜群の破壊力があって一撃必殺で虜になってしまう。

「明良、心狭いわねー。」
「6歳児に嫉妬しないの。」
「ヤキモチ?」
「もう少し心を広く持ちなさいな。晴ちゃんが困るでしょ。」

人混みをすり抜け遅ればせながら歩み寄ってきた狭山家の実母・狭山かぐらと三人姉妹に口々に心が狭いと扱き下ろされて明良は憮然としているが、事実として相手が齢6歳の甥なのだから仕方がない。因みにいつの間にか明良の母までスッカリ晴と仲良くなってしまっていて、最近では真顔で実の息子より晴の方が素直で可愛いとか言い出す始末である。まぁ素直かどうかと言われると明良はひねくれている自覚がちゃんとあるので、母の言うのも分からないでもないとも思うが。おまけに今回は大会にはやってこない祖父・高良ですら普段は無愛想で作り笑い一つもしない癖に、晴には酒を酌み交わしつつ笑顔を見せたらしく、密かに晴のことが気に入ったらしいのは言うまでもない。

ある意味……魔性の……魅惑の笑顔…………

自分だけのものだと家族にどんなに宣言しても晴自身には自覚がないので、晴は狭山家一同にも常にあの可愛い笑顔で接している。お陰で優羽だけでなく光輝まで、晴を取り合う有り様なのだ。

「晴ちゃん、今日ジージの家くるよね?」
「えー、と、そだね?明良と一緒なら…………。」
「明良にぃはいいよ!僕と一緒にお泊まりしよ!お風呂僕と一緒はいろ!」

黙っていれば勝手な事を持ちかけ、隙あらば自分だけベッタリでいようと光輝が画策している。しかも明良は何とか排除しようとしている言動に、晴の方はノホホンと困ったなぁ程度にしか感じていないのだ。

「…………光輝……。」
「明良にぃは来なくていいよ!晴ちゃんは、僕のお布団で僕と寝るから!」

何でお前のだとあからさまに怒鳴りたくなっているのだが、ここは人前の上に家族一同がいるので明良もこれ以上の応戦しようがない。しかも幼児の癖にそれが分かっていてやっている光輝の小賢しさには舌を巻く。そんな明良の憤懣やる方ない心情を晴はどこまで気がついているかは兎も角、仕方ないなぁなんて光輝に絆されてしまいそうになっている。

「晴ちゃん、晴ちゃんは僕の事好き?」
「うん、光輝は可愛いもんなー。」
「可愛いじゃダメー!」

そんな明良の苛立ちを完全に無視しつつ、光輝は何一つ晴獲得への攻勢を緩めることもないのだった。



※※※



電話の向こうから溜め息混じりの声が淡々と最新情報を告げるのに、刑事の風間祥太は無言のまま聞き入っている。この電話の相手は、言うまでもなく外崎宏太。そして話は三浦和希が再び近郊で存在を確認されたという情報で、正直言うと風間としてもそろそろ電話がくるのではないかと薄々考えたいた。でも想定とは違ったのは風間の想定している事件の関連ではなく、目撃情報に含まれる人物も事件の被害者ではなかった事だった。

『…………うちの奴……が言うには、そういうことらしい…………。』
「お茶して、颯爽と…………ですか…………。」

事件と関わらない情報とは言えこうして宏太が三浦の情報を律儀に寄越すのは、風間が色々なことを遠坂喜一から引き継ぎ、そして今も三浦和希の事件を殆んど風間が担当しているからだ。

「駅前…………ですか…………。」

実のところ今もこうして外崎宏太が三浦のことを調べ続ける理由は、殆んど無くなってしまったのは風間の方も知っている。秋口の矢根尾俊一の脱走事件の時に、三浦自身が既に過去に自分を調教した外崎宏太のことを記憶していないのは風間も知っていることだったし、宏太自身も三浦のPTSDは乗り越えつつあるのだ。それでもこうして風間に情報提供を続けるのは、やはり宏太の幼馴染みで親友でもあった遠坂のためだろう。そう思うと胸の内でヒヤリと氷のような痛みを感じるが、その痛みについて宏太に何かを伝えるつもりは今のところ風間にはない。

「それで……何かされなかったんですね?」
『………何もなく別れたとよ。画像は調べたが…………相変わらずだ……。』

相変わらずというのは、現在の三浦和希の特性というか奇妙な出来事というか。というのも現在の三浦は進藤隆平からその技術を学んだためなのか、街を行動する際に防犯カメラ等の記録媒体に何一つ映像として残らないようになっているのだ。一瞬映り込んでも顔を殆んど確認できない、顔が写りそうな時には自然に斜めや下を向いたりして顔が隠れる、時には物陰に顔だけが隠れて上手く見えない。まるで監視カメラや防犯カメラの場所を関知するセンサーでも持っているかのような完璧さで、映像には残らないのだ。因みに今回の喫茶店は店舗が中規模で、レジカウンターの上に一つだけ監視カメラがあるものの映像保管期間が一日しかなかった。つまり復元しようにも既に何日も重ね取りをしてしまっていて、画像も荒いものだから役に立ちそうにないという。他の媒体も組み合わせると音声はわりと残るから当然宏太は聞き分けられるし、稀に普通に聞き取れる音声は発見できる。それなのに現在の顔を確認できる画像が見つけられず、しかも過去の写真と今の三浦和希は全く印象が異なるのだ。数年前の三浦と今の三浦を同一人物だと一目で見抜けるのは恐らく幼馴染みである槙山忠志だけだと思われる程の変容ぶりなので、高校生当時や大学生当初の画像を使った手配写真ではまるで役に立たない。しかも事件後の病院での隔離生活で人相は更に変わり過去の手配写真は本当に無意味な上に、三浦は完璧な女装も身に付けてもいる。

「…………今は金髪ですか…………。」
『他の色の情報もあんのか……風間?』
「黒髪の男。」

電話でどうこうできる話でもないが、新たな事件とおぼしきものは既に起きていた。基本的にはここ近郊が三浦の活動区域なのだが、それは二駅程東へ移動していて風間の担当している区域ではない。それでも模倣犯ではなく三浦の仕業と協力要請が来たのは、犯人とおぼしき人物と被害者が出逢ったのが何処かが分かっていて、どう移動していたかも分かるからだった。被害者はこちらの駅前の繁華街・花街で意気投合して、電車に乗って移動していていったのが追跡できている。そして連れ帰った男が殺人鬼だなんて思いもせず、酔いにでも呑まれたのかして自宅で男は三浦を抱いてしまったのだろう。

隣の部屋の住民は、随分と激しい性行為だなと一晩中ただただ苛立ちながら過ごしていた…………

壁越しに聞こえてくる甲高く響く歓喜の呻き声。誰しも聞きなれた家具のギッギッという規則的な軋み。それに伴う感極まった喘ぎと悲鳴。それが夜半前に始まり、何時までも止まることなく一晩中続く。それは次第に大きくなって快感に狂うような吠える声が大きな軋みと重なり続けるのに、隣人はただ『リア充、はぜろ』と苛立ちながら聞いていた。
今更ながら、その激しさは本当は断末魔の叫びだった訳だが、それに隣人は気がついていた方が良かったのか気がつかなくて幸いだったのかは分からない。

翌朝、被害者の部屋の玄関は開け放たれていた。
苛立ち寝不足の隣人が通りかかると開け放たれたドアから覗く玄関の上り框には、ドス黒く変色した細長い物が一本、共通通路に投げ出されていたのだ。そのデロリとした物体が腸なのだとは誰も一目で見抜ける訳ではなかったし隣人も暫くなんだか分からず眺めるしかなかった。だが、それを辿ればそれが入っていた本体に辿り着いてしまう。人の大腸はかなり長い。それを生きたままジリジリと引きずり出された部屋の主は、リビングのテーブルの上に仰向けに拘束された体幹のみの遺体に成り果てていた。これ以上詳しくは言えないがホラー映画さながらの損壊遺体を目の前にして、壊れたように叫び続けるしか出来なくなった隣人の状況も分からないでもない。
三浦は最初の事件の時もかなり遺体を損壊していたのだが、現在の犯行現場はその比ではないのだ。結局遺体を発見することになった隣人は、発見後の余りの惨状に酷いショックを受けてしまい現在も入院している。

「どんどん化け物じみてきてますよ…………。早く捕まえないと…………。」
『…………情報が新しく入ったら連絡する。』

溜め息混じりにそういう宏太の声を耳にすると、あえて説明しなくても三浦が何を仕出かしたのは想像できているのだろうと風間は思う。それにしても風間には何故見ず知らずの男同士で性行為に及ぶのか想像も出来ないし、同時にその行為に走る者と全くその気配もなく…………今回の外崎の部下のように喫茶店でお茶をして世間話だけして友人と時間を潰すとでも言うような交流のみという場合もある人間の理由が分からないでいた。

この差はなんなんだろうな………………

そんなことを苦々しく考えながら、風間は一つ深い溜め息をついていた。
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