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間章 ちょっと合間の話3
間話63.範囲
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この世の中ではどんなに真実だとしても、詳細は殆んど表に出ない。勿論事件のあらましや状況については割合真実を伝えるけれども、被害の詳細や何かについてはオブラートに包まれている。それは一重にマスコミ側での自主規制に拠るところが大きいとされていると思う。というのも『社会的事件が起こるたびに、表現が犯罪者心理に及ぼす影響が取沙汰される』からだ。
昔はテレビの地上波放送でホラー映画なんてのは当然で、スプラッタ映画なんてものも深夜放送で見たりする機会があったものだ。でもここ数年地上波ではそんな映画を流すことは全くないし、ドラマでも早々スプラッタと呼べるものは流れない。これもその一例で、特にスプラッタ表現は犯罪を換気するなんて言われていて、常々やり玉に挙げられてきたのだ。その結果、ひとくくりに『悪』とみなされて残酷な描写のある作品は、テレビ放送から姿を消してしまった。また、テレビ局やスポンサーは幾ら視聴率が取れたとしても、クレームや抗議というものに過剰に反応する。そうなると、敢えてスプラッタ映画をテレビでやる意義が感じられないのかもしれない訳で、過去には何度も放映されていたものも現在は殆んど見られない。それは事件報道にも同じことが言えて犯行の詳細を報道して、所謂『模倣』した犯罪を引き起こしたと言われるのを避けているのだとも言える。
だから三浦和希の報道は殆んどオブラートに包まれて表に出た詳細はほんの僅かだったのだけれど、結城晴の話を聞けば人の口に戸は建てられないというのを証明した訳だ。外崎宏太の負った傷痕や、それ以外の被害者の傷痕は、結城晴が都市伝説と言っていたものそのものだった。スルリと自分の潰された目を指先でなぞりながら、宏太は偶々生きながらえた自分の幸運を思いもする。
…………運が良かっただけで…………俺も死んで当然…………
あの店の奥で繰り広げられた狂気の宴。
真っ赤な唇に冷笑を讃えて三浦和希を虫けらのように踏みにじり、自分に三浦が狂うほどの調教をさせた女。
暗くした室内に僅かに光るモニターの画面に浮かぶ女の冷淡な顔。
狂い落ちていく三浦の姿をモニター前の椅子に腰掛け眺めていた女は、普段の様相とは少し違ってアッサリとした薄い化粧しかしていないが深紅の口紅は常に変わらない。あれはどうする?と問いかけた傷のない昔の宏太の声に、女は画面の中の狂乱を何の感情も伺わせず眺めている。画面の向こうで三浦和希が男達にいいようにされている姿を他人事のように眺めながら無意識に爪を噛んでいた女は、ふとそれをやらせたのが自分だと思い出したように艶やかに柔らかく微笑んだ。
どうでもいいわ。あなたも飽きたんでしょ?
既に三浦に価値を見いだすことのない女は冷淡な口調でそう言い、あの時の宏太はその言葉に『直ぐなく雌には興味ない』と答えていた。
可哀想にね
本当は一つもそうは思っていない女の声が呟く。やがて画面を見飽きたように女が立ち上がり踵を返し立ち去って、暖まった椅子に今度は宏太が座ってモニターを眺める。遊び仲間だった男達にワインボトルを尻の穴に捩じ込まれ犯され続ける憐れな男を眺め、宏太は憐憫すら感じずに呆れて目を細めるだけ。
最近の若いものは手加減を知らないから、下手に放っておくと殺しかねないので面倒だ。内心その程度にしか感じない宏太は三浦を貶めておいて助けるつもりもなく、もう暫くただ画面を見ていただけだった。
あの時助けていたら…………いや、手遅れだな…………
もし三浦が狂うのを宏太が止めるチャンスがあったとすれば、『真名かおる』に調教を持ちかけられた時が最後の機会だったに違いない。途中で調教を止めることなんて宏太にしてみたらあり得ないことだし、宏太は堕ちた後の三浦和希には全く興味がなかったのだ。
右京が死んでなかったら…………了が傍にいたら…………
仮定の話を想像しても何も変えられない。片倉右京を宏太が調教した事実も右京が本懐を遂げて殺されてしまった事も、そしてあの時了が傍にいなかったことも、どれも全て今は過去の出来事にしか過ぎない。そんなことを一人考えながら、そして今は自分はどうするべきだろうと宏太は思案する。
まさか晴にだけ接触するとはな…………
ここで晴を辞めさせて身を隠すなんて方法も無いわけでもないのだが、それで根本的な解決ができているわけではない。それに話を聞く限り晴は三浦に何も感じていないし、三浦の方も晴をどうにかしようという気はなさそうに感じる。それについて外崎宏太は了にも実はまだ話していない事が一つあるのだが、久保田惣一は三浦は以前のような話の通じない相手ではないと言っていた。
つまり惣一はあの後三浦に会ってる…………だろうな…………
久保田惣一は身近な人間ではあるが、身近だからと言って全てをさらけ出しているわけではない。惣一には惣一なりの基準があって、宏太にしてもそれを全て理解できるとは思えるわけではなかった。ただし惣一が顔を会わせたということは、宮達にも何らかの指令が飛んでいてもおかしくはない。
見ても見ぬふりで過ごせとか、な。
『伊呂波』や『茶樹』、『カフェ・ナインス』なんかが点在している駅前をこれほどまでに容易く彷徨けてしまうとしたら、それはそれぞれの店舗だけでなく配下の情報網も三浦をスルーさせているということ。しかも現状では刑事の風間祥太からそれほど情報が入ってこないということは、三浦自身の犯行の頻度が減ったのか犯行自体が見つからないか。もしくは風間の管轄外……言い換えれば惣一達にとっても管理の管轄外……での犯行が増えたのかもしれない。
それに惣一としても、松理があの状態じゃ関わりたくもないだろうしな…………
久保田松理は現在臨月間近の妊婦。だから、もし三浦が危険人物と判断されるなら、惣一は危機回避には躍起になる筈だ。何しろ秋口の時に松理は直に一人で三浦と会っていて、惣一が流石に激怒していたのを宏太も知っている。それでも今こうしてさ迷っている三浦の状況を考えれば、恐らく惣一が黙認しているという一面はあるに違いない。
「こぉた?」
問いかけられた声に何気なく顔を向けると、少し心配そうな気配を漂わせて外崎了が覗き込む気配がしていた。一人悶々と考えに耽っていたのを了が心配していたのに気がついて、思わず苦笑いを浮かべながら了の頬に手を伸ばす。
「晴のこと考えてる?」
「…………まぁな…………。」
これまで宏太の特殊な事情が仕事に支障にならなかったのは、結局は宏太の生活の範疇が実際には限局された世界だったからなのだ。そこに了が傍にいるようになって、他にも関わりが増えてきて晴や狭山明良のような新たな関係性が生まれてしまった。そして新たな関係性に関して、宏太は凄く大切にしている面が浮き堀になってきているのだ。それを宏太が言葉にも出さずに思っていたら、唐突に胸の上に乗り掛かってきた了に子供にするみたいに頭を撫でられている。
「こぉたは自分で思ってるより、ずっと優しいもんな。」
「あ?」
了の言葉に訳が分からんと言いたげな不満顔の宏太の頭をナデナデと撫でながら、了が笑いながら前だったらそんなのどうでもいいって言ってたなんて言い出す。確かに以前の宏太なら晴が巻き込まれても、自分のことは自分でどうにかしろと放置したに違いない。
「でもさ、一人だけで背負うなよ?約束破んなよ?」
それでもヤンワリと釘を刺して来る了に苦笑いしながら、宏太は珍しく分かったと頭を撫でられながら素直に頷く。確かに選択間違いを繰り返して後悔してきたのは事実だけれど、これからは同じことを繰り返す訳にはいかないのだから。
※※※
視線を向けるとそこに立っていた青年の姿に息を飲む。日に透けるような鮮やかな金髪が、まるで夜のネオンに発光しているみたいにキラキラとしている。華奢な身体にスリムなコートを翻えしていて、髪の毛の明るい色味と対比してモノトーンな色味の服装は何処か寂しげにも見えて惹き付けられてしまう。思わず彼の事を頭から爪先までジロジロと眺めてしまった自分に、彼は不意に華の咲くような笑顔を浮かべて見せていた。
し、りあいだっけ?
余りにも柔らかく親密な関係の人に向けるような甘い微笑み。そして柔らかそうな形の言い唇から、ホロホロと真っ白な真綿の吐息を溢し口角を上げる。魅惑的な唇に目が惹き寄せられ、視線が離すことができなくなってしまう。まるでキレイな女性に出逢ってしまったような、そんな奇妙な気分に
いやいや、相手は男だ
服装も体格も間違う筈もない完全な自分と同じ性別。それに何故か異性に対する興味みたいな感覚を感じてしまった自分に思わず頭を激しく降って、その感覚がなかったものだと言いたげに振り払う。
「大丈夫?」
不意にハスキーで掠れた声がそう話しかけてきて、相手が自分のすぐ傍に音もなく歩み寄っていたのに気がついてしまった。頭を降るために視線を外したのはほんの一瞬だけだったのに、その気がついた時には直ぐ目の前にいて同じ高さの視線が真っ直ぐに自分を覗き込んでいる。
甘い…………
真冬の冷えた空気の中に相手の身体からフワリと甘い香りが漂って、その匂いが何か香水の類いなのかは分からないが視線と共に自分を捕らえ込んでしまう。甘くて花の蜜のようで、しかも何時までも傍で嗅いでいたくなるような不思議な匂いにあてられたのか急に喉が渇く。それを見透かしているように相手は、自分の目の前で花のような笑顔にパッと変わっていた。
惹き付けられる…………
そう無意識に考えた自分の頭の中に、何故か不意に浮かんだのは暫く前に見たテレビ番組の特集の『食虫植物』と『ブラックホール』のこと。無慈悲に強力な力に引き寄せられ、そこに入ったら最後。何故そんなことを思ったのか分からないでいるが、相手から目が離せなくなっている自分は客観的に見たらそれに等しい。誘い込まれ消化液で溶かされようとしている虫けらみたいに見えるのかもしれないし、巨体なブラックホールに引き寄せられようとしている引力の僕か何かのように、何も考えられないように引力で絡めとられてしまっている。
「あれ?何か感じたんだ?」
闇を縫うように響く穏やかで柔らかな甘い声。その時初めて自分に向けられる真っ直ぐな視線の瞳は、顔の笑顔の中で何一つ笑っていないのに気がついていた。
※※※
「こら。もう、今夜は駄目。」
事後の気怠さにウトウトと胸の上で微睡んでいる様子だった了の制止の言葉に、宏太は寝たふりを決め込む様子の癖に抱きかかえた了の腰に回した手を滑らせている。当たり前のようにあの後雪崩れ込まれ散々宏太に了が泣かされたのは言うまでもないこと。そうして事後に抱き上げて了を甘やかすようになった宏太に、了は笑いながら尻を撫でるなとペチペチと宏太の手を叩く。
「…………こぉた、あのさ。」
なんだと何気なく口を開いてしまった宏太に、了は顔を覗き込みながら寝たふりすんなと笑う。そうして胸の上で組んだ手の甲に顎を乗せた了が、宏太の顔色を眺めながら苦笑い混じりに問いかけてくる。
「惣一さんが三浦を自由に泳がせてると思ってんだろ?こぉた。」
想定していなかった指摘だったのか宏太は無言のままに、胸の上で自分を見つめている了が何を言おうとしているのか待っている。その無言が指摘通りに宏太が考えていたのだと示しているが、了の方だってここまで既に一年近く宏太や久保田惣一達の裏の技能や活動に触れてきたのだ。
「わざと見ていて放置かも?それとも他にも理由があるかも?」
「………前とは違うと言われた……多分、あの後惣一は奴に直に会ってんだろうな。」
自分が矢根尾俊一探しの時に鉢合わせたのはイレギュラーな事態だった筈で、あの時惣一は彼にしては珍しく本気で心配して激怒していた。だけど、それ以降の惣一を初めとした久保田派の行動は、あの時の激しい感情とは何処か相容れない。
「まぁ…………身内じゃ宮は死にかけてるし、相園も部屋を駄目にされてる。そこを考えりゃ……。」
「触るな、スルーしろと言われてても、可笑しくない?」
三浦をこの街で捕獲することが可能なのは、恐らく鳥飼信哉ただ一人位だと宏太も思う。次に自分が正面対決して渾身の抜刀術を使っても、きっと今度は初太刀から三浦には通用しない気がしている。
「誰も捕まえることができないなら、見ないふりするしかないかなぁ。」
言われればそうだとは思うし、あれに直接挑もうなんて考えている人間はどれくらいいるのかも分からない。少なくとも自分の守れる範囲だけは守れればいいよなと了が意図も容易く呑気な答えを出してきて、宏太は張り詰めていた気分がほどけて思わず笑ってしまうのだった。
昔はテレビの地上波放送でホラー映画なんてのは当然で、スプラッタ映画なんてものも深夜放送で見たりする機会があったものだ。でもここ数年地上波ではそんな映画を流すことは全くないし、ドラマでも早々スプラッタと呼べるものは流れない。これもその一例で、特にスプラッタ表現は犯罪を換気するなんて言われていて、常々やり玉に挙げられてきたのだ。その結果、ひとくくりに『悪』とみなされて残酷な描写のある作品は、テレビ放送から姿を消してしまった。また、テレビ局やスポンサーは幾ら視聴率が取れたとしても、クレームや抗議というものに過剰に反応する。そうなると、敢えてスプラッタ映画をテレビでやる意義が感じられないのかもしれない訳で、過去には何度も放映されていたものも現在は殆んど見られない。それは事件報道にも同じことが言えて犯行の詳細を報道して、所謂『模倣』した犯罪を引き起こしたと言われるのを避けているのだとも言える。
だから三浦和希の報道は殆んどオブラートに包まれて表に出た詳細はほんの僅かだったのだけれど、結城晴の話を聞けば人の口に戸は建てられないというのを証明した訳だ。外崎宏太の負った傷痕や、それ以外の被害者の傷痕は、結城晴が都市伝説と言っていたものそのものだった。スルリと自分の潰された目を指先でなぞりながら、宏太は偶々生きながらえた自分の幸運を思いもする。
…………運が良かっただけで…………俺も死んで当然…………
あの店の奥で繰り広げられた狂気の宴。
真っ赤な唇に冷笑を讃えて三浦和希を虫けらのように踏みにじり、自分に三浦が狂うほどの調教をさせた女。
暗くした室内に僅かに光るモニターの画面に浮かぶ女の冷淡な顔。
狂い落ちていく三浦の姿をモニター前の椅子に腰掛け眺めていた女は、普段の様相とは少し違ってアッサリとした薄い化粧しかしていないが深紅の口紅は常に変わらない。あれはどうする?と問いかけた傷のない昔の宏太の声に、女は画面の中の狂乱を何の感情も伺わせず眺めている。画面の向こうで三浦和希が男達にいいようにされている姿を他人事のように眺めながら無意識に爪を噛んでいた女は、ふとそれをやらせたのが自分だと思い出したように艶やかに柔らかく微笑んだ。
どうでもいいわ。あなたも飽きたんでしょ?
既に三浦に価値を見いだすことのない女は冷淡な口調でそう言い、あの時の宏太はその言葉に『直ぐなく雌には興味ない』と答えていた。
可哀想にね
本当は一つもそうは思っていない女の声が呟く。やがて画面を見飽きたように女が立ち上がり踵を返し立ち去って、暖まった椅子に今度は宏太が座ってモニターを眺める。遊び仲間だった男達にワインボトルを尻の穴に捩じ込まれ犯され続ける憐れな男を眺め、宏太は憐憫すら感じずに呆れて目を細めるだけ。
最近の若いものは手加減を知らないから、下手に放っておくと殺しかねないので面倒だ。内心その程度にしか感じない宏太は三浦を貶めておいて助けるつもりもなく、もう暫くただ画面を見ていただけだった。
あの時助けていたら…………いや、手遅れだな…………
もし三浦が狂うのを宏太が止めるチャンスがあったとすれば、『真名かおる』に調教を持ちかけられた時が最後の機会だったに違いない。途中で調教を止めることなんて宏太にしてみたらあり得ないことだし、宏太は堕ちた後の三浦和希には全く興味がなかったのだ。
右京が死んでなかったら…………了が傍にいたら…………
仮定の話を想像しても何も変えられない。片倉右京を宏太が調教した事実も右京が本懐を遂げて殺されてしまった事も、そしてあの時了が傍にいなかったことも、どれも全て今は過去の出来事にしか過ぎない。そんなことを一人考えながら、そして今は自分はどうするべきだろうと宏太は思案する。
まさか晴にだけ接触するとはな…………
ここで晴を辞めさせて身を隠すなんて方法も無いわけでもないのだが、それで根本的な解決ができているわけではない。それに話を聞く限り晴は三浦に何も感じていないし、三浦の方も晴をどうにかしようという気はなさそうに感じる。それについて外崎宏太は了にも実はまだ話していない事が一つあるのだが、久保田惣一は三浦は以前のような話の通じない相手ではないと言っていた。
つまり惣一はあの後三浦に会ってる…………だろうな…………
久保田惣一は身近な人間ではあるが、身近だからと言って全てをさらけ出しているわけではない。惣一には惣一なりの基準があって、宏太にしてもそれを全て理解できるとは思えるわけではなかった。ただし惣一が顔を会わせたということは、宮達にも何らかの指令が飛んでいてもおかしくはない。
見ても見ぬふりで過ごせとか、な。
『伊呂波』や『茶樹』、『カフェ・ナインス』なんかが点在している駅前をこれほどまでに容易く彷徨けてしまうとしたら、それはそれぞれの店舗だけでなく配下の情報網も三浦をスルーさせているということ。しかも現状では刑事の風間祥太からそれほど情報が入ってこないということは、三浦自身の犯行の頻度が減ったのか犯行自体が見つからないか。もしくは風間の管轄外……言い換えれば惣一達にとっても管理の管轄外……での犯行が増えたのかもしれない。
それに惣一としても、松理があの状態じゃ関わりたくもないだろうしな…………
久保田松理は現在臨月間近の妊婦。だから、もし三浦が危険人物と判断されるなら、惣一は危機回避には躍起になる筈だ。何しろ秋口の時に松理は直に一人で三浦と会っていて、惣一が流石に激怒していたのを宏太も知っている。それでも今こうしてさ迷っている三浦の状況を考えれば、恐らく惣一が黙認しているという一面はあるに違いない。
「こぉた?」
問いかけられた声に何気なく顔を向けると、少し心配そうな気配を漂わせて外崎了が覗き込む気配がしていた。一人悶々と考えに耽っていたのを了が心配していたのに気がついて、思わず苦笑いを浮かべながら了の頬に手を伸ばす。
「晴のこと考えてる?」
「…………まぁな…………。」
これまで宏太の特殊な事情が仕事に支障にならなかったのは、結局は宏太の生活の範疇が実際には限局された世界だったからなのだ。そこに了が傍にいるようになって、他にも関わりが増えてきて晴や狭山明良のような新たな関係性が生まれてしまった。そして新たな関係性に関して、宏太は凄く大切にしている面が浮き堀になってきているのだ。それを宏太が言葉にも出さずに思っていたら、唐突に胸の上に乗り掛かってきた了に子供にするみたいに頭を撫でられている。
「こぉたは自分で思ってるより、ずっと優しいもんな。」
「あ?」
了の言葉に訳が分からんと言いたげな不満顔の宏太の頭をナデナデと撫でながら、了が笑いながら前だったらそんなのどうでもいいって言ってたなんて言い出す。確かに以前の宏太なら晴が巻き込まれても、自分のことは自分でどうにかしろと放置したに違いない。
「でもさ、一人だけで背負うなよ?約束破んなよ?」
それでもヤンワリと釘を刺して来る了に苦笑いしながら、宏太は珍しく分かったと頭を撫でられながら素直に頷く。確かに選択間違いを繰り返して後悔してきたのは事実だけれど、これからは同じことを繰り返す訳にはいかないのだから。
※※※
視線を向けるとそこに立っていた青年の姿に息を飲む。日に透けるような鮮やかな金髪が、まるで夜のネオンに発光しているみたいにキラキラとしている。華奢な身体にスリムなコートを翻えしていて、髪の毛の明るい色味と対比してモノトーンな色味の服装は何処か寂しげにも見えて惹き付けられてしまう。思わず彼の事を頭から爪先までジロジロと眺めてしまった自分に、彼は不意に華の咲くような笑顔を浮かべて見せていた。
し、りあいだっけ?
余りにも柔らかく親密な関係の人に向けるような甘い微笑み。そして柔らかそうな形の言い唇から、ホロホロと真っ白な真綿の吐息を溢し口角を上げる。魅惑的な唇に目が惹き寄せられ、視線が離すことができなくなってしまう。まるでキレイな女性に出逢ってしまったような、そんな奇妙な気分に
いやいや、相手は男だ
服装も体格も間違う筈もない完全な自分と同じ性別。それに何故か異性に対する興味みたいな感覚を感じてしまった自分に思わず頭を激しく降って、その感覚がなかったものだと言いたげに振り払う。
「大丈夫?」
不意にハスキーで掠れた声がそう話しかけてきて、相手が自分のすぐ傍に音もなく歩み寄っていたのに気がついてしまった。頭を降るために視線を外したのはほんの一瞬だけだったのに、その気がついた時には直ぐ目の前にいて同じ高さの視線が真っ直ぐに自分を覗き込んでいる。
甘い…………
真冬の冷えた空気の中に相手の身体からフワリと甘い香りが漂って、その匂いが何か香水の類いなのかは分からないが視線と共に自分を捕らえ込んでしまう。甘くて花の蜜のようで、しかも何時までも傍で嗅いでいたくなるような不思議な匂いにあてられたのか急に喉が渇く。それを見透かしているように相手は、自分の目の前で花のような笑顔にパッと変わっていた。
惹き付けられる…………
そう無意識に考えた自分の頭の中に、何故か不意に浮かんだのは暫く前に見たテレビ番組の特集の『食虫植物』と『ブラックホール』のこと。無慈悲に強力な力に引き寄せられ、そこに入ったら最後。何故そんなことを思ったのか分からないでいるが、相手から目が離せなくなっている自分は客観的に見たらそれに等しい。誘い込まれ消化液で溶かされようとしている虫けらみたいに見えるのかもしれないし、巨体なブラックホールに引き寄せられようとしている引力の僕か何かのように、何も考えられないように引力で絡めとられてしまっている。
「あれ?何か感じたんだ?」
闇を縫うように響く穏やかで柔らかな甘い声。その時初めて自分に向けられる真っ直ぐな視線の瞳は、顔の笑顔の中で何一つ笑っていないのに気がついていた。
※※※
「こら。もう、今夜は駄目。」
事後の気怠さにウトウトと胸の上で微睡んでいる様子だった了の制止の言葉に、宏太は寝たふりを決め込む様子の癖に抱きかかえた了の腰に回した手を滑らせている。当たり前のようにあの後雪崩れ込まれ散々宏太に了が泣かされたのは言うまでもないこと。そうして事後に抱き上げて了を甘やかすようになった宏太に、了は笑いながら尻を撫でるなとペチペチと宏太の手を叩く。
「…………こぉた、あのさ。」
なんだと何気なく口を開いてしまった宏太に、了は顔を覗き込みながら寝たふりすんなと笑う。そうして胸の上で組んだ手の甲に顎を乗せた了が、宏太の顔色を眺めながら苦笑い混じりに問いかけてくる。
「惣一さんが三浦を自由に泳がせてると思ってんだろ?こぉた。」
想定していなかった指摘だったのか宏太は無言のままに、胸の上で自分を見つめている了が何を言おうとしているのか待っている。その無言が指摘通りに宏太が考えていたのだと示しているが、了の方だってここまで既に一年近く宏太や久保田惣一達の裏の技能や活動に触れてきたのだ。
「わざと見ていて放置かも?それとも他にも理由があるかも?」
「………前とは違うと言われた……多分、あの後惣一は奴に直に会ってんだろうな。」
自分が矢根尾俊一探しの時に鉢合わせたのはイレギュラーな事態だった筈で、あの時惣一は彼にしては珍しく本気で心配して激怒していた。だけど、それ以降の惣一を初めとした久保田派の行動は、あの時の激しい感情とは何処か相容れない。
「まぁ…………身内じゃ宮は死にかけてるし、相園も部屋を駄目にされてる。そこを考えりゃ……。」
「触るな、スルーしろと言われてても、可笑しくない?」
三浦をこの街で捕獲することが可能なのは、恐らく鳥飼信哉ただ一人位だと宏太も思う。次に自分が正面対決して渾身の抜刀術を使っても、きっと今度は初太刀から三浦には通用しない気がしている。
「誰も捕まえることができないなら、見ないふりするしかないかなぁ。」
言われればそうだとは思うし、あれに直接挑もうなんて考えている人間はどれくらいいるのかも分からない。少なくとも自分の守れる範囲だけは守れればいいよなと了が意図も容易く呑気な答えを出してきて、宏太は張り詰めていた気分がほどけて思わず笑ってしまうのだった。
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