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間章 ちょっと合間の話3
間話55.覚えてなければ
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駅前の喫茶店に突然に連れ込まれケーキ10個をペロリと平らげた上に次々と運ばれてくるパフェも何事もないように平らげていく名前の思い出せない青年の姿に、結城晴は比較すれば少しずつケーキを口に運びながら何処で会ったんだっけ?と未だに首を捻っていた。痩せの大食いなのか何なのか生クリームだらけでも胸焼けのない健康体なのは事実だけど、余りにも大量をあっという間に食べてしまうのでテーブルの上の皿が回転寿司のようになっている。
「よく………………食うね…………。」
「んー、そうかなぁ?普通じゃないかなぁ。」
いやいや、生ケーキ10個(勿論晴が食べているのは更に追加注文したから、本日のケーキ10種類は言うまでもなくコンプリートだ。)にフルーツ、チョコバナナ、抹茶、季節のシトラスの4種類のパフェ。そして今食べているのはその4つのパフェの合体番というスペシャルジャンボパフェで、通常は5人程でシェアするとメニューには書いてあるのだ。それを平然と一人で食べ続けている青年は、生クリームも何のそのという様子でキロ単位の甘味を腹におさめようとしている。
それにしても何故か顔見知りのような気が互いにしているのだが、晴には相手の名前すら未だに思い出せないでいるのだった。そして相手の方も晴の事を覚えている訳ではなくて、誰かというか何故か有袋類に似ているなんて言い出していて。
あれ?これって完璧に知らない人って可能性もあんのか?
晴はケーキ一つと珈琲だけとは言え見ず知らずの人にたかってるんじゃと気が付いたけれど、相手は何故か自分の名前すら一向に口にしてこない。というより余りにも良い勢いで食べ続けていて話す暇がなさそうなので、晴の方も声のかけようがないのだ。
「あ、あの。」
「クオッカってのは、ここらに住んでる女子高生ね。友達なんだ。」
あ、そうなんだ。と帰してしまったが、聞きたいのは本当はそこじゃない。それにしても自分が似ているとか言われたクオッカは女子高生の事とはなおのこと唖然とするが、その子に似ているから知り合いだと思ったということなのだろうか。クオッカに似ている女子高生なんて余り想像も出来ないけれどなんて事を考えながら、女子高生の友達ってことは実は相手は若いのかと何気なく考える。
「んー、まぁまぁかなぁ。」
まぁまぁってなに?と思うがチリンと音をたてて器に滑り落ちたスプーンの音で、青年の前にあった大きな器の中身が完璧に空になったのが分かった。唖然としている晴をよそに青年は呑気に紅茶をすすり、一旦晴の顔を眺めるとニカッと笑う。
「何で元気なかったの?」
そう言われれば見ず知らずかもしれない青年に突然元気がないからと喫茶店に連れ込まれていたのだったと気が付いて、晴は残りのケーキを口に入れながら黙り込んでいた。確かに一人でウジウジしているの思い気分が吹き飛ばされたのは事実だけれど、名前も知らないままお茶しているというのはどうなんだろうかと思う。それなのに余りにも呑気で気楽な問いかけに、何故か嫌なことがあってと思わず呟いてしまう自分がいる。詳しいことは何一つ説明できないが、それでも自分が後悔している事があって落ち込んでいたと話すと青年は僅かに目を細めていた。
「後悔してる……かぁ。……………………いいねぇ。」
は?ここまで何聞いてたの?と思わず突っ込みたくなる。後悔するようなことをしてしまったと落ち込んでいると話したのに、何故か目の前の呑気な青年はニコニコと笑いながら「いいなぁ」なんて言い出したのだ。
「何?いいなって…………バカにしてる?」
「あー、違うよ。」
呑気な口調のまま青年は、不機嫌そうに頬を染めた晴に違うと繰り返す。それにしたって何で後悔しているのをいいなんて言えるのか説明しろと言いたげな晴に、青年は初めて苦笑して見せると紅茶を啜る。
「俺、凄い怪我したことあって頭ん中の記憶回路がイカれてんの。だから昔の事とかちょっとしか覚えてないんだよ。」
不意にそんな話をして来た青年に冗談かと思ったが、その顔は全く冗談を言っているようには見えなくて晴は戸惑う。酷い怪我という言葉に一瞬頭の中には外崎宏太が過るが、目の前の青年はあんな傷痕があるわけではない。それでも晴の視線に気が付いたのか青年は笑ってホラとハイネックを引き下ろして見せたのだが、そこには滑らかな肌とはまるで質感の違う肌のひきつれた傷痕が垣間見えていた。
目の前の青年は外崎宏太と同じように喉元に大きな怪我をしていて、どうやらその怪我のせいで頭に後遺症があるのだと言うのだ。でもそれと後悔がどう繋がるのかと戸惑う晴に、青年は賑やかに笑いながら口を開く。
「だって俺何も覚えてないから、後悔なんてしようがないんだよね。」
記憶してるからこそ後悔したり悲しんだり、喜んだりすることが出来るんだよと呑気に言われて晴は一瞬黙り込んでしまっていた。確かに自分の記憶にすらないことでは後悔も出来ないし、悲しむことも喜ぶことだって出来ない。
「だからさぁ、後悔できるって覚えてるってことだよね?いいなぁ。後悔するってことは、ここからさぁ何だって出来るってことでしょ?それってよくない?俺もそうなりたいなぁ。」
「後悔したいってこと……?」
「いや、俺ってさぁ、ここまで多分一杯悪いことしてんだよね、俺は一つも覚えてないけどさ。」
その言葉に再び晴は唖然としてしまうけれど、自分が悪事を働いたと思っているのにそれに関した記憶は何一つ持っていないのだと言う。そんな奇妙な事を言う青年は自分は記憶障害で、子供の頃の記憶全く持っていないのだと話した。
「覚えてないことじゃ、後悔しようにも出来ないわけ。」
確かに見に覚えのないことを後悔しろと言われても出来ない。でもまさか後悔するのを羨ましがられるなんて想像もしなかったから、言われた方の晴は困惑するしかないでいる。その様子を眺めていた青年は、晴を面白そうに笑い頬杖をつく。
「まぁ当人にしたら後悔なんてしたくないって方が当然なんだろうけどさ?俺にしてみたら、羨ましいなって話し。」
「記憶って……思い出せないのか?」
最近はいいけど昔の事はサッパリねと余りにも平然と青年が笑うから思わずからかわれたのかと思ってしまうが、青年は嘘をついている様子ではない。そうなると自分と同じ年くらいと感じていたが、もしここからの過去を自分が全て失うとしたら。
以前了が一過性の健忘なんて事になったけど、そうじゃなくて自分のしてきたこととか全部
話だけでは想像が出来ない状況だけれど、目の前の青年が本当にそれを経験しているのだとしたらなんて考えてしまう。それなら出逢っていても思い出せないなんてあり得るのかと考えて神妙な顔になる晴に、青年は突然可笑しそうに声をたてて笑いだした。
「な、なに?」
「あんた、ほんとに素直だねぇ。全部鵜呑み?」
腹を抱えて笑いだした相手にマンマとからかわれたのに気が付いて、晴は一瞬で頬を染めていた。真面目に話を信じきっていたけれど、何から何まで相手の言葉だけで証拠なんてない話し。しかも記憶に関しては何処かで会ったなんて思って話しているわけで、記憶のない相手ならそんなことあり得ないのだ。結局最初から最後まで晴をからかって面白がっているのだと気が付いて、腹立たしく言葉を失ったままの晴は席を立っていた。
「怒んなってー、まさか全部信じるなんて思わなかったんだよ。」
アハハと笑いながら店を出て追い付いてきた青年に即座に馬鹿にすんなと言ってやろうとしたのに、振り返った青年の真っ直ぐな視線に射ぬかれて一瞬晴は何処までが嘘なんだろうと考えている自分に気が付いていた。恐らくは嘘の筈なのに、何故か全て嘘だとは言いきれない気がする。しかも青年はそれを見抜かれているものだと思って話していて、
ヤッパリ…………どっかで会ってる
その視線や伺うような様子、それは何処かで見た気がする。人当たりは良くてそつがないけれど何処と無く了にも似た頭の回転の良さが垣間見えるし、かといって人を食ったような話し方は宏太にも似ていて完全なお人好しというわけではない。とはいえ初対面ではないというのに、ここまでフレンドリーに接して来るのはこの青年の特性かもしれないとは思う。
「でもさ、後悔してんならちゃんと向き合っといた方が幸せだよ?あんた。」
え?と思わず声が溢れ落ちる。相手の人となりをこうして判断していた筈なのに、いつの間にか相手の方に自分の事を指摘されていたのに気が付いたのだ。
「俺みたいになってからじゃ遅いからさ、なるべく逃げない方がいい。」
青年はそう言ってニカッと再び愛嬌の有る笑顔を浮かべると、「俺に何にも感じないんだから大丈夫」なんて訳の分からない言葉を放って踵を返す。声をかけようにも名前も知らない青年の背中が人混みに紛れていくのを眺め晴は暫く立ち尽くしたまま、青年の言葉の意味がなんだったのだろうと一人考え込んでいた。訳の分からない青年だったけど、もし話したことの半分が本当で記憶がないから後悔できないなんて事があったのなら…………いや、そんなことはあり得ないから考えるだけ無駄なのか……大体にして思い出せないでいるけど、本当に出逢ったことがあるのか…………
「晴?」
ボンヤリ考え込んでいた晴に唐突にかけられた声に、晴は思わずビクンと体が戦くのを感じていた。今は可能な限り会いたくない筈の声が肩越しにかけられて、振り返るのが途轍もなく怖い。住所はここ近郊ではないからそうそう会わない筈なのに、背中に感じる視線が針のように肌に刺さるのが分かった。
「晴、俺この間の事……謝りたくて…………。」
歩み寄る足音に向かって、何を謝るんだと叫びたくなる。あえてこうして謝りなんかされてしまったら、なおのこと自分がされたことを痛感するだけなのに。振り返れば一週間前には友達だった筈の白鞘知佳が、晴の記憶の中にある普段とかわりないスーツ姿で立っている。言葉にならずに立ち尽くしている晴に、知佳も僅かに言葉に詰まっていて晴はいたたまれなくて逃げたしたくなっていた。
何も聞きたくない…………
それなのに寸前にあの青年に言われた言葉が脳裏を過っていて、晴は言葉もなくただ知佳の顔を真っ直ぐに見つめている。
※※※
会いたいと思ってはいたけれど、それは意図した出会いではなくて。
狭山明良に晴がどうしているのか問いかけたのだけれど、狭山は知佳に対しての態度を変化させることもなく完全に笑顔で問いかけを無視した。しかもヤンワリと二度と近づくなと牽制することも忘れなかったし、近づいたら今度はドアじゃなくお前をやってやると言わんばかりだ。でもそう言われて当然の事を自分がしたのだと余計に突きつけられて、知佳もそれ以上問いかけることすら出来なかった。結局何も情報は得られず、そのせいでと言う訳じゃないのだが晴に会えるんじゃないだろうかと帰りに駅の近郊を手持ち無沙汰に歩く日々が続いていたのだ。
以前よりかなり痩せたのだろう華奢で線の細くなったシルエット。
それでも晴なのだと遠目に見ても分かる後ろ姿に思わず歩み寄って、町中で何故か立ち尽くしていた晴に声をかけていた。
「晴?」
その声に振り返りもしなかったのに、体がビクリと戦くのが見えて胸かチクンと痛む。以前の晴なら声をかけたら、弾かれたように笑顔で振り返って自分の事を呼んでくれた。冷えた冬の外気に白く滲む吐息が溢れていくのを見つめながら、ふと笑顔の晴しか記憶にない自分に気が付く。それを取り戻すのに一番いい言葉はなんなのだろうと知佳は、その背中を見つめながら必死に考えていた。ただ謝るつもりだったのだけれど、行為を謝ったらなおのこと晴を傷つけてもしまいそうで言葉が生まれてこない。
「晴、俺この間の事……謝りたくて…………。」
ホンの少し近づく足音に、晴は見たことのないような表情で振り返っていた。何も聞きたくないと言いたげなのに、それでも無視することも出来ない優しい晴の戸惑いに満ちた憂いの顔。それをさせていることに胸か痛むのに、同時に何故かそれをさせていると言うことにほんの少しの優越感すら感じる。自分のために苦悩している晴を見て喜ぶなんて、変態染みているなんて知佳は自分で自分を殴り付けたくなっていた。
「………………謝る……事なんかない…………。」
掠れて弱々しい晴の声が唇から溢れ落ちたのに、咄嗟に知佳はその目から視線を反らして最悪の嘘だと分かっていて嘘をついていた。
「ごめん、怒ってるよな…………俺、酔ってて…………あの時のこと何も…………。」
何も覚えていない。店からどうやって帰ったかも、晴と何処で分かれたかも、晴を送ったか放置したかも何もかも酔いのせいで記憶にないと嘘をつく。それで自分がした罪が拭えないのは知佳にだって当然分かっているし、自分の中のあの時の晴の媚態は鮮明過ぎて忘れられる筈もない。それでも目の前で微かに晴が安堵したのが分かる。
「覚えてない……?」
「よく………………食うね…………。」
「んー、そうかなぁ?普通じゃないかなぁ。」
いやいや、生ケーキ10個(勿論晴が食べているのは更に追加注文したから、本日のケーキ10種類は言うまでもなくコンプリートだ。)にフルーツ、チョコバナナ、抹茶、季節のシトラスの4種類のパフェ。そして今食べているのはその4つのパフェの合体番というスペシャルジャンボパフェで、通常は5人程でシェアするとメニューには書いてあるのだ。それを平然と一人で食べ続けている青年は、生クリームも何のそのという様子でキロ単位の甘味を腹におさめようとしている。
それにしても何故か顔見知りのような気が互いにしているのだが、晴には相手の名前すら未だに思い出せないでいるのだった。そして相手の方も晴の事を覚えている訳ではなくて、誰かというか何故か有袋類に似ているなんて言い出していて。
あれ?これって完璧に知らない人って可能性もあんのか?
晴はケーキ一つと珈琲だけとは言え見ず知らずの人にたかってるんじゃと気が付いたけれど、相手は何故か自分の名前すら一向に口にしてこない。というより余りにも良い勢いで食べ続けていて話す暇がなさそうなので、晴の方も声のかけようがないのだ。
「あ、あの。」
「クオッカってのは、ここらに住んでる女子高生ね。友達なんだ。」
あ、そうなんだ。と帰してしまったが、聞きたいのは本当はそこじゃない。それにしても自分が似ているとか言われたクオッカは女子高生の事とはなおのこと唖然とするが、その子に似ているから知り合いだと思ったということなのだろうか。クオッカに似ている女子高生なんて余り想像も出来ないけれどなんて事を考えながら、女子高生の友達ってことは実は相手は若いのかと何気なく考える。
「んー、まぁまぁかなぁ。」
まぁまぁってなに?と思うがチリンと音をたてて器に滑り落ちたスプーンの音で、青年の前にあった大きな器の中身が完璧に空になったのが分かった。唖然としている晴をよそに青年は呑気に紅茶をすすり、一旦晴の顔を眺めるとニカッと笑う。
「何で元気なかったの?」
そう言われれば見ず知らずかもしれない青年に突然元気がないからと喫茶店に連れ込まれていたのだったと気が付いて、晴は残りのケーキを口に入れながら黙り込んでいた。確かに一人でウジウジしているの思い気分が吹き飛ばされたのは事実だけれど、名前も知らないままお茶しているというのはどうなんだろうかと思う。それなのに余りにも呑気で気楽な問いかけに、何故か嫌なことがあってと思わず呟いてしまう自分がいる。詳しいことは何一つ説明できないが、それでも自分が後悔している事があって落ち込んでいたと話すと青年は僅かに目を細めていた。
「後悔してる……かぁ。……………………いいねぇ。」
は?ここまで何聞いてたの?と思わず突っ込みたくなる。後悔するようなことをしてしまったと落ち込んでいると話したのに、何故か目の前の呑気な青年はニコニコと笑いながら「いいなぁ」なんて言い出したのだ。
「何?いいなって…………バカにしてる?」
「あー、違うよ。」
呑気な口調のまま青年は、不機嫌そうに頬を染めた晴に違うと繰り返す。それにしたって何で後悔しているのをいいなんて言えるのか説明しろと言いたげな晴に、青年は初めて苦笑して見せると紅茶を啜る。
「俺、凄い怪我したことあって頭ん中の記憶回路がイカれてんの。だから昔の事とかちょっとしか覚えてないんだよ。」
不意にそんな話をして来た青年に冗談かと思ったが、その顔は全く冗談を言っているようには見えなくて晴は戸惑う。酷い怪我という言葉に一瞬頭の中には外崎宏太が過るが、目の前の青年はあんな傷痕があるわけではない。それでも晴の視線に気が付いたのか青年は笑ってホラとハイネックを引き下ろして見せたのだが、そこには滑らかな肌とはまるで質感の違う肌のひきつれた傷痕が垣間見えていた。
目の前の青年は外崎宏太と同じように喉元に大きな怪我をしていて、どうやらその怪我のせいで頭に後遺症があるのだと言うのだ。でもそれと後悔がどう繋がるのかと戸惑う晴に、青年は賑やかに笑いながら口を開く。
「だって俺何も覚えてないから、後悔なんてしようがないんだよね。」
記憶してるからこそ後悔したり悲しんだり、喜んだりすることが出来るんだよと呑気に言われて晴は一瞬黙り込んでしまっていた。確かに自分の記憶にすらないことでは後悔も出来ないし、悲しむことも喜ぶことだって出来ない。
「だからさぁ、後悔できるって覚えてるってことだよね?いいなぁ。後悔するってことは、ここからさぁ何だって出来るってことでしょ?それってよくない?俺もそうなりたいなぁ。」
「後悔したいってこと……?」
「いや、俺ってさぁ、ここまで多分一杯悪いことしてんだよね、俺は一つも覚えてないけどさ。」
その言葉に再び晴は唖然としてしまうけれど、自分が悪事を働いたと思っているのにそれに関した記憶は何一つ持っていないのだと言う。そんな奇妙な事を言う青年は自分は記憶障害で、子供の頃の記憶全く持っていないのだと話した。
「覚えてないことじゃ、後悔しようにも出来ないわけ。」
確かに見に覚えのないことを後悔しろと言われても出来ない。でもまさか後悔するのを羨ましがられるなんて想像もしなかったから、言われた方の晴は困惑するしかないでいる。その様子を眺めていた青年は、晴を面白そうに笑い頬杖をつく。
「まぁ当人にしたら後悔なんてしたくないって方が当然なんだろうけどさ?俺にしてみたら、羨ましいなって話し。」
「記憶って……思い出せないのか?」
最近はいいけど昔の事はサッパリねと余りにも平然と青年が笑うから思わずからかわれたのかと思ってしまうが、青年は嘘をついている様子ではない。そうなると自分と同じ年くらいと感じていたが、もしここからの過去を自分が全て失うとしたら。
以前了が一過性の健忘なんて事になったけど、そうじゃなくて自分のしてきたこととか全部
話だけでは想像が出来ない状況だけれど、目の前の青年が本当にそれを経験しているのだとしたらなんて考えてしまう。それなら出逢っていても思い出せないなんてあり得るのかと考えて神妙な顔になる晴に、青年は突然可笑しそうに声をたてて笑いだした。
「な、なに?」
「あんた、ほんとに素直だねぇ。全部鵜呑み?」
腹を抱えて笑いだした相手にマンマとからかわれたのに気が付いて、晴は一瞬で頬を染めていた。真面目に話を信じきっていたけれど、何から何まで相手の言葉だけで証拠なんてない話し。しかも記憶に関しては何処かで会ったなんて思って話しているわけで、記憶のない相手ならそんなことあり得ないのだ。結局最初から最後まで晴をからかって面白がっているのだと気が付いて、腹立たしく言葉を失ったままの晴は席を立っていた。
「怒んなってー、まさか全部信じるなんて思わなかったんだよ。」
アハハと笑いながら店を出て追い付いてきた青年に即座に馬鹿にすんなと言ってやろうとしたのに、振り返った青年の真っ直ぐな視線に射ぬかれて一瞬晴は何処までが嘘なんだろうと考えている自分に気が付いていた。恐らくは嘘の筈なのに、何故か全て嘘だとは言いきれない気がする。しかも青年はそれを見抜かれているものだと思って話していて、
ヤッパリ…………どっかで会ってる
その視線や伺うような様子、それは何処かで見た気がする。人当たりは良くてそつがないけれど何処と無く了にも似た頭の回転の良さが垣間見えるし、かといって人を食ったような話し方は宏太にも似ていて完全なお人好しというわけではない。とはいえ初対面ではないというのに、ここまでフレンドリーに接して来るのはこの青年の特性かもしれないとは思う。
「でもさ、後悔してんならちゃんと向き合っといた方が幸せだよ?あんた。」
え?と思わず声が溢れ落ちる。相手の人となりをこうして判断していた筈なのに、いつの間にか相手の方に自分の事を指摘されていたのに気が付いたのだ。
「俺みたいになってからじゃ遅いからさ、なるべく逃げない方がいい。」
青年はそう言ってニカッと再び愛嬌の有る笑顔を浮かべると、「俺に何にも感じないんだから大丈夫」なんて訳の分からない言葉を放って踵を返す。声をかけようにも名前も知らない青年の背中が人混みに紛れていくのを眺め晴は暫く立ち尽くしたまま、青年の言葉の意味がなんだったのだろうと一人考え込んでいた。訳の分からない青年だったけど、もし話したことの半分が本当で記憶がないから後悔できないなんて事があったのなら…………いや、そんなことはあり得ないから考えるだけ無駄なのか……大体にして思い出せないでいるけど、本当に出逢ったことがあるのか…………
「晴?」
ボンヤリ考え込んでいた晴に唐突にかけられた声に、晴は思わずビクンと体が戦くのを感じていた。今は可能な限り会いたくない筈の声が肩越しにかけられて、振り返るのが途轍もなく怖い。住所はここ近郊ではないからそうそう会わない筈なのに、背中に感じる視線が針のように肌に刺さるのが分かった。
「晴、俺この間の事……謝りたくて…………。」
歩み寄る足音に向かって、何を謝るんだと叫びたくなる。あえてこうして謝りなんかされてしまったら、なおのこと自分がされたことを痛感するだけなのに。振り返れば一週間前には友達だった筈の白鞘知佳が、晴の記憶の中にある普段とかわりないスーツ姿で立っている。言葉にならずに立ち尽くしている晴に、知佳も僅かに言葉に詰まっていて晴はいたたまれなくて逃げたしたくなっていた。
何も聞きたくない…………
それなのに寸前にあの青年に言われた言葉が脳裏を過っていて、晴は言葉もなくただ知佳の顔を真っ直ぐに見つめている。
※※※
会いたいと思ってはいたけれど、それは意図した出会いではなくて。
狭山明良に晴がどうしているのか問いかけたのだけれど、狭山は知佳に対しての態度を変化させることもなく完全に笑顔で問いかけを無視した。しかもヤンワリと二度と近づくなと牽制することも忘れなかったし、近づいたら今度はドアじゃなくお前をやってやると言わんばかりだ。でもそう言われて当然の事を自分がしたのだと余計に突きつけられて、知佳もそれ以上問いかけることすら出来なかった。結局何も情報は得られず、そのせいでと言う訳じゃないのだが晴に会えるんじゃないだろうかと帰りに駅の近郊を手持ち無沙汰に歩く日々が続いていたのだ。
以前よりかなり痩せたのだろう華奢で線の細くなったシルエット。
それでも晴なのだと遠目に見ても分かる後ろ姿に思わず歩み寄って、町中で何故か立ち尽くしていた晴に声をかけていた。
「晴?」
その声に振り返りもしなかったのに、体がビクリと戦くのが見えて胸かチクンと痛む。以前の晴なら声をかけたら、弾かれたように笑顔で振り返って自分の事を呼んでくれた。冷えた冬の外気に白く滲む吐息が溢れていくのを見つめながら、ふと笑顔の晴しか記憶にない自分に気が付く。それを取り戻すのに一番いい言葉はなんなのだろうと知佳は、その背中を見つめながら必死に考えていた。ただ謝るつもりだったのだけれど、行為を謝ったらなおのこと晴を傷つけてもしまいそうで言葉が生まれてこない。
「晴、俺この間の事……謝りたくて…………。」
ホンの少し近づく足音に、晴は見たことのないような表情で振り返っていた。何も聞きたくないと言いたげなのに、それでも無視することも出来ない優しい晴の戸惑いに満ちた憂いの顔。それをさせていることに胸か痛むのに、同時に何故かそれをさせていると言うことにほんの少しの優越感すら感じる。自分のために苦悩している晴を見て喜ぶなんて、変態染みているなんて知佳は自分で自分を殴り付けたくなっていた。
「………………謝る……事なんかない…………。」
掠れて弱々しい晴の声が唇から溢れ落ちたのに、咄嗟に知佳はその目から視線を反らして最悪の嘘だと分かっていて嘘をついていた。
「ごめん、怒ってるよな…………俺、酔ってて…………あの時のこと何も…………。」
何も覚えていない。店からどうやって帰ったかも、晴と何処で分かれたかも、晴を送ったか放置したかも何もかも酔いのせいで記憶にないと嘘をつく。それで自分がした罪が拭えないのは知佳にだって当然分かっているし、自分の中のあの時の晴の媚態は鮮明過ぎて忘れられる筈もない。それでも目の前で微かに晴が安堵したのが分かる。
「覚えてない……?」
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