鮮明な月

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間章 ちょっと合間の話3

間話51.後悔。

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「狭山………………。」

本当はこうして狭山明良に近寄ることすら、白鞘知佳にしてみたって躊躇う。勿論いうまでもないが知佳に元々狭山と交流がないのもあるし、常に職場では狭山という人間は誰とも一線を引いているようで実は密かに近寄りがたい存在でもある。常々男同士で飲みにいこうと誘ってもほぼ乗ってこないし、夏頃まで高橋至という男が上司の時は幾分飲み会にも嫌々の顔で来ていたのだが最近では上司がいても殆ど顔を出すすらの付き合いもしない。それでも仕事は完璧過ぎる程にカッチリとこなす訳だから、実質部内の評価は格段に高い。そんな奴はプライベートの話しは全くもってしないから、普段どうして過ごして居るかも職場の人間は誰も知らないのだ。そこがミステリアスだとかなんとかいう女子社員もいるが、ここまで来ると社会人としてはどうかとも思う。けれど、結局は自分とは生きるベクトルの系統が違う人間なのだと知佳も思ってきた。しかも今の知佳の中には、それ以外にあの時の事も大きく存在をしめているのだ。

ラブホテルの建具ごと破壊して結城晴を助けに来たのは、言うまでもなく狭山明良だった。

あの後知佳は、何とはなしにネットで狭山の名前を検索してみた。そうしたら近郊の空手道場に『狭山』という苗字の道場を見つけてしまった上に、そこの道場主の名前が『狭山高良』とあったのだ。そこからもしかしてと空手に関連した項目で『狭山』と調べてみれば、狭山明良当人が面白い位に簡単に出てくるのを知ってしまった。何年か前の空手の大会に『狭山明良』という名前が何度か大きく表示されてあるのに加えて、そこに写真は無くても『狭山高良』と『狭山明良』なんて似通った語感の漢字の名前は早々みないだろう。しかも何をどう見たって狭山明良の家族だとしか思えない瓜二つの狭山の姉か妹と思われる女傑が、空手の有段者の師範代としてSNSをやっているのまで発見してしまった。しかも他の家族と思われる人物の見える画像を、時々だがアップロードしている。

どう…………見たって、おんなじ遺伝子だろ…………

その『狭山佐久良』という名前の空手の師範代の顔は、女性なのに言うまでもなく狭山明良と瓜二つ。しかもその子供とおぼしき幼児も瓜二つの上に他の姉妹らしい女性も瓜二つなのだった。その顔だけで十分すぎる程の証明力で、当人から何かを聞かなくとも十分すぎる説明だ。

姉か妹が師範代なら、狭山明良だって…………

何で知佳と結城晴が、あの時あそこに居たのかバレた理由は分からない。が、あの時知佳に威圧感タップリに詰め寄ったホテルのスタッフとヤクザ紛いの男二人が、狭山の実家とおぼしき空手道場の関係者なら分からなくもないとは思う。
とは言えそこまでの話しはさておきだ、知佳がこうして狭山に話しかけた目的はそこではない。知佳の目的は狭山ではなく、結城晴なのだ。だが、遠慮がちに近寄りかけてみた声に対して、向けられた氷の視線に貫かれて知佳としても思うように言葉がでない。目の前の狭山明良にしてみたら今の白鞘知佳は、結城晴の親友に等しい立場の存在だった癖に出刃亀と言う最悪の存在に違いないのだ。そうと分かっていて話しかけたのだから、こんな風に途轍もない冷ややかな反応をされても当然だと分かってはいる。

「何か?…………白鞘……さん。」

狭山の方も仕事場だから一応は礼儀をふまえて知佳の名前を口にはしているが、その視線が自分を敵として認識しているのは言われなくても分かる。それでもこうして声をかけるしかないのは、あれから一週間が経とうとしているけれど何とか知佳が情報を得たいのは言うまでもなく晴の事だけなのだった。

何が正しいのかなんて分かる筈もない。

好きなのかと聞かれたら好きだと答えられるけれど、その好きだという感情が恋愛感情だとはいえない。晴と自分は親密で、晴はいい奴で友達だったのに、その関係を握りつぶしたのは自分自身なのだ。そさて過ぎてしまってから後悔しても遅いし、犯したのなら謝ればいいなんて簡単な解決は現実には早々ない事なのだと分かっている。過ちにどれだけ謝罪しても元通りの関係になんて戻らない事なのだし、関係性というガラス細工を破壊して傷のない姿は二度と取り戻せない。それは言われなくてもちゃんと理解できているのだ。



※※※



たいした事じゃないんだ、あんなこと

そんな風に必死に考えようとすればするほど、自分が戸惑い袋小路のような真っ暗な心の闇の中に落ちていくみたいな気がする。しかも本当はそれが自分にとっては何よりも重大な問題であるということも、実はよく分かってもいてそれに自分が自力では足掻いても這い出せない。既に性別がどうとかいう問題ではなく、現実として起こったことを自分がどう受け止めればいいのか。

そして同時にそれを恋人である明良がどう感じて、どう考えているのか

知らない頃の晴と成田了もしくは外崎了の関係に対して、明良は今の晴がしたことではないと答えたことがある。でも目の前で起きた白鞘知佳と晴の事はどうなのかなんて、晴から聞ける筈もない。晴には怒っていないと告げたけど明良が半殺し前提で白鞘知佳を問い詰めるのは制止しているから、明良はあの後白鞘知佳には接触していないという。それ以降二人の間では白鞘知佳に関した会話は一つもないから、晴はあれからあの時の話しはしないままでいる。

………………明良は……あれから、俺の事を抱いてない…………

一緒のベットで抱き締めて眠ってはくれるのだけど、あの後明良は一度も晴の事を抱こうとしないでいるのだ。明良が何時ものように欲情して欲しがってもくれないこの状況では、晴だって自分から抱いてほしいなんて訴えることも出来ない。

俺のこと…………

嫌われてしまったのではないかと不安なのに、それを明良に問いかける事は怖くて出来ないまま。

「おい。」

まるで泥沼に嵌まってズブズブと深く呑み込まれてしまって、何もかもが見えなくなっていく気がしてしまうのに晴自身は頭を抱えるばかりで何も出来ない。何しろ全ての事が自分自身も一度ならず他人にしている過ちだと痛い程に理解していて、自業自得とか当然の報いなんて言われても可笑しくない事ばかりなのだと晴だって分かっている。

「晴。」

ポコンと柔らかく頭を叩かれて我に返った結城晴は、思わず見上げた視線の先に表情も変えずに立ち尽くす男の姿を見上げた。独りで家に籠っているより仕事していたいと明良に告げたのは晴自身で、その理由の半分は一人きりだと堪えきれそうにないと思ったからだ。
言うまでもなくここは自分の仕事場で目の前の男は社長の外崎宏太。そしてあの時何が起きたか知っている筈の宏太は晴には何一つそれに関しては触れてこないし、当然外崎了の方もそれに関しては何も問いかけても来ない。

それがいいのか悪いのか、わかんないけど。

明良の口から晴が白鞘知佳と一緒に居酒屋・伊呂波にいた辺りの話しは、『耳』で聞いていたのだと知っている。ということは宏太は一緒にここにいた筈だし、宏太の聴力なら明良だけがヘッドホンをかけていたとしても話しは知っているのだと晴は思う。それにラブホテルに入った辺りの事は晴は殆んど覚えていないが、どうやらブティックホテル・キャロルのようだった。あそこの支配人の相園は宏太の古くからの知り合いの一人で、実は『耳』の設置場所の一つだと知っている。とは言え自分の入った部屋がそうなのかは知らないが、だからこそあの短時間で自分達の足取りを的確に掴んだのだろう。その程度はここで働く晴にしてみたら、当人達に聞かなくても分かるというものだ。
目の前に立ち傷痕を隠すこともなく曝した顔を向けている宏太を、晴は見上げたままボンヤリと考える。元はSM調教師だったこの男は確かに怪我で酷い傷跡だらけだけど、外崎宏太は見事な経歴を持ったハイスペック男の上に今はとんでもない金持ちで、やると決めたことには迷いどころか躊躇いすら感じないような男。何しろこの男ときたら了の動向を知るためだけに、違法行為も何のそので了の生活圏を完全に調べあげ各所に『耳』を設置してまで、長年ストーカーしていた。

「………………しゃちょー……は、さ。」

そう口にしても本当は何が聞きたい訳でもないし、宏太みたいな人間が自分と同じ立場になる筈もないと思う。何しろこの男は愛しい了が他の男を抱いていたのも知っているし、たとえ目の前で外崎了が晴にレイプされているのを見たとしても……………いや、これはたとえでなく現実にあったことだけれど…………迷う事もなく了を自分のモノなのだと塗り替えてみせた。でもそれは執拗な迄の了への執着を含めた宏太の異常な程の強い愛情な訳で、それと自分や明良が等しい程とは

「後悔…………したことなんか、ないだろ…………。」

そんな男に自分程度の感じるような後悔なんてある筈もないし、大体にしてSMの調教師なんてとんでもない経歴の男に何を言おうと無駄なのに。そう分かっているつもりで晴がつい口にして聞いてしまった言葉に、何故かこれまで表情を崩しもしなかった宏太が今まで見たことのない微かな笑みを浮かべていた。

「……しゃちょ……?」

今まで見たことのない宏太のその笑みに、端と晴は自分の余りにも身勝手な発言に気が付いて息を詰める。どんな成功者でも後悔しない人間なんていないし、その尺度ですら人それぞれなのに。晴は了から外崎宏太は元は社会的に地位の確立した事のある、所謂成功者だったと聞かされてもいたのだ。

馬鹿だ…………俺

金融関係の有名一流企業に勤めていて、何かの切っ掛けで表舞台の真っ当な人生を放棄した男。確かにその後は胡散臭いこと限りない職業を渡り歩いたのは聞いたが、今のコンサルタント業としての能力としては盲目なんてハンディすら感じさせない。そして何より自分が了と性的な関係を持っていた頃に彼の姿を見たことがなかったのは、当時彼がかなりの期間入院しリハビリをしていたのも了から聞いて知っている。了は以前怪我をしていない頃からの付き合いだと笑っていたのだから、宏太のこの無惨な傷痕は古いものではなく、恐らくはほんの2年か3年前程度のものなのだ。
そんな相手に後悔する事がないなんて、途轍もない的外れであり得ない思考過程。自分の現状に苛立たしくて八つ当たりをしている自分に、晴は思わず言葉を失って唇を噛んでいた。

「うわっ!!な、なに!?わわ!」

フゥと不意に宏太が目の前で溜め息混じりに吐息を一つこぼしたかと思うと、唐突に宏太の手が晴の頭に乗せられてワシャワシャと頭を乱暴に撫で繰り回す。余りにも手荒くグシャグシャに髪を掻き回されて目が回りそうになった晴が避難の声をあげようとした瞬間、宏太は何かに気が付いた様子で視線を上げて振り返ると眉を潜めていた。

「…………しゃちょ……?」

それは宏太が何かに耳をすましている時の癖のようなもので、『耳』が取り込める物を逃さず聞き取ろうとする時によく見せる表情だった。ここで何ヵ月も同じ部屋の中で一緒に仕事をしていないと見ることも知る筈もない宏太の密かな癖のようなもので、恐らくは了と晴と数人しか見覚えのない顔なのだ。そしてスゥッと頭から手を下ろした宏太は一言も言葉を発することもなく身を翻して、まるで目が見えているみたいな滑らかさで仕事場のドアから音もたてずに姿を消す。

「しゃちょー…………?」

頭を乱暴に撫でて何時ものごとく憎まれ口の一つでも飛んでくると思ったのに、予想もしない行動をとられて思わず晴は宏太の後を追って歩き出す。宏太は仕事場から通路を抜けて、更に階段のあるエントランスに向かう。その足取りは本当ににも見えていないとは思えない滑らかさで、晴は何時もながらこの男がどんな世界で生きているのだろうと思ってしまう程だ。晴が何気なく見回すとキッチンもリビングにも人気はなくて、もしかして外出していた了が帰宅する音でも聞き付けたのかとも思う。でも、何故か宏太は玄関の扉までは行かないで、まるで何か聞こえてるみたいに眉を潜めたまま中空に顔を向けている。

「社長…………?」

戸惑いながら呼び掛ける晴の声が全く聞こえている様子はなく、宏太は何かに気をとられている風で歩み寄り横から顔を見上げている晴に何の反応もしない。何か晴には聞こえないものを聞いているように見える宏太に戸惑いながら晴がもう一度声をかけて手を伸ばした瞬間、不意に宏太の表情がガラスが砕けたように一瞬揺らいだ気がしたのだ。それに何か声をかけようとした刹那、晴より上背もあるその体が糸の切れた操り人形のように晴に向かって倒れ込んできていた。
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