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間章 ちょっと合間の話3
間話42.最悪の相手
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正直なところ、あの時旅行先で竹田知奈に鉢合わせたのは、結城晴にとって最悪な事態だった。晴としても狭山明良と一緒の時に、竹田知奈は一番出逢いたくない相手だったのだ。
既に晴と竹田と別れてかなりの期間が経つし、以前の勤め先会社も晴は辞めて半年以上が経っている。だから出逢っても別に問題ないとも言えるけれど、今の自分が同性と交際していて、しかもその交際相手は元は自分の勤めていた会社の社員でもあるのだ。
元々晴が竹田知奈は晴の大学時代からの友人の一人の紹介で、その友人は恐らくは今も彼女の友人でもある上に現在は明良の職場の同僚でもある。明良は晴と違ってその友人とは交流がないから親しくはないが、それでも名前を言えば顔は勿論分かる程度の関係性はある。流石に彼女に明良の事まで筒抜けになるとは思ってはいないが自分の以前の交遊関係が彼女も承知のことなのが、これにどう作用するか不安な一面もある。
「もう何もしてこなきゃいいんだけど…………。」
そこまで竹田知奈に固執されるような要素を、晴はもう持っていないと思う。一見して分かる安定した会社員でもないし、安定した一般的な家庭も作れないし、なにしろ彼女のことを好きでもない。旅行先であんなことを言ってきたのは偶々出逢った晴が、知奈の思うよりずっと幸せそうだったから少しだけ意地悪をしたくなったのだと思いたい。そんな事を想定としたって考えたいわけでは晴だってないのだけれど、今の晴は誰よりも明良を大事にしたいのだ。
「…………まぁ、マイノリティはマイノリティだからな。」
そう静かな声で告げる外崎了は以前に晴と付き合っていた最中の竹田知奈と顔をあわせたこともあるし、少なくともここでは晴の味方であるからこの件に関しては相談がしやすい。それに先程までの惚気混じりの晴の話に呆れはしたものの、元彼女の出現に不安を感じもする晴の気持ちも分からなくはないのだ。世間的には大分認知されつつあるとは言え、社会の中の地位としては同性愛と括るとやはりマイノリティなのは事実で、大きな企業等では下手をすれば排除の可能性だってある。明良は秘書課から営業に移動になった有望株で仕事としては順調に大きなプロジェクトもこなしているのだが、性的マイノリティに関して会社がオープンであるとは中々言えない。
「俺…………明良の邪魔になっちゃうかなぁ…………?了…………。」
その言葉に了は少しだけ眉を潜めて溜め息をこぼしてしまうが、当然の事ながら了にだって晴の気持ちは分かるのだ。自分だけがマイノリティなのは別段問題ではなく、自分と交際することで相手が傷ついてしまうのかもしれない……それが問題なのだと。そんな不安に呑まれるのは理解できなくはない。ただ実際は性別が違おうが同じだろうがこの悩みについては余り変わらないのだけれど、ノーマルでないということはどうしても大きなハードルに見える。溜め息混じりの了がクシャクシャと晴の柔らかな猫っ毛の頭を手荒く撫で回して、あのなぁと低い声で言う。
「…………お前が明良の傍からいなくなる方が、とんでもないことになるぞ?言っとくけど。」
※※※
恐らく結城晴が狭山明良の事を思って別れたとして、結末は最悪な結果になるとしか了には思えない。
社会的なものとか勤め先の事とか二人にあるデメリットを考えて晴が別れを切り出したとして、今の明良は確実にそれを受け入れるキャパシティを持っていないのだ。そういう意味では狭山明良は外崎宏太と良く似ている一面を持っているけれど、宏太と比較しても明良の方が遥かに暴走しそうな気がする。というのは晴が二度目に倒れて宏太が明良にお灸をすえた後、宏太は何故か風呂で明良と交友を深めた様子だったのだ。そうしてその夜それぞれの寝室に引き上げて、宏太は了を抱き寄せながら呆れたようにありゃ駄目だなと苦笑いしていたのを見ているからだ。
「あれだな、明良は惚れると冗談抜きで完全に何も見えなくなるやつだな。」
宏太が言うには自分は計画を弄して策を練るし搦め手なんてものも当然のように使うけれど、明良はそんなものは何一つ考えられなくなるのだろうという。恐らく晴に手を離されれば晴を監禁してでも引き留めるか人生全て終わりという崩壊をするかどっちかだというのだが、どちらにしても社会的に明良は致命的な結末になるわけだ。
「それ、中間はないのかよ?」
フラれたら少しの期間は誰しも意気消沈するのはわかるが、両極端な上にされは何も解決にならない。両極端以外ないのかよ?とそう了は呆れたように言うのだけれど、宏太はたまにそんな風にたった一人に惚れ込みすぎて身を滅ぼすヤツはいるもんなんだと何処か寂しげに呟く。
「…………知ってるヤツに、そんなヤツいるの?」
それが何処か見覚えのある口調だったから、思わず了が問いかけると宏太は少し遠い目をしてみせる。過去に出逢ったことのある誰かを懐かしげに思い浮かべる口調は、時折ほんの僅かに宏太がみせることのあるもので、少しだけ了を不安にさせてしまう。
「…………昔の知り合いでな…………何度も死にかけるくらい酷い目に遭ってんのに、それでも一人の人間に尽くして限度を知らないってヤツがな…………。」
「………………女?」
少しだけ嫉妬を滲ませる了の声に、宏太は苦い笑みを敷いて見せる。確かに今の説明では男に尽くし続ける女にしか聞こえないのは事実だから了が指摘するのも分かるし、事実その知人は女性ではあった。ただもうこれは過去形でしか語れないのは彼女は既に何ヵ月も前に死んだとされているからだし、彼女は宏太には恋愛感情を持たなかった。彼女のことを好ましく思ってはいたけれど宏太自身も彼女に恋愛感情はないし、どちらかといえば彼女に対して抱いていた感情は鳥飼澪に抱いていたものに近い。
気に入っていたから、友人として助けてやりたかった
今になればその言葉が一番適切な感情だと分かるのは、了のように彼女を愛して保護する訳ではなかっただろうからだ。あの男から引き剥がし身の安全を保護してやったとしても、彼女がのぞまないまま共に暮らすとはならなかった筈ろう。そしてこんな風に彼女の事を思い出すと他に思い出す人間も何人かいて、その中には宏太が社会的に破滅させた人間もいるのを思い出してしまう。
誰かに惹かれて、その誰かのために何もかもを狂わせて…………か
そういう意味では人間というものは、人に惚れると誰もがおかしくなるのだ。良くも悪くもおかしくなって、その思いが辿り着く結果が成功なのか破滅なのかの差だけ。
「…………そのたった一人………………ってのが、な。」
「ん?たった一人?何?」
自分にだって今は、こうして唯一無二の存在が確かにある。こんな風に一度手にしたら二度と手放せないし、了が傍に居なくなったら自分は破滅するに違いない。それほどの愛情なんて相手には重すぎるかもしれないが、それ故に明良の気持ちも分かる。そしてこれは源川仁聖達だって同じ様に榊恭平に抱いているものとおなじで、自分もそれは変わらないものなのだろうと思う。
「…………俺にはお前がそうだな…………。」
「何?え?」
グイッと戸惑いの声をあげる了を抱き寄せて、ベットに押し付け覆い被さりながら宏太は乱暴なくらいに激しく唇を奪う。そうして意味が分からないからともがく了の動きを宏太は全て包み込んで、さっさと、自分の事以外は何も考えられないようにしてしまおうとしていた。
※※※
明良にとって自分がデメリットにしかならないのなら。
そう考えてしまったのは事実だし、現実的に元々がヘテロセクシャルの明良が自分と付き合う問題については理解しているつもりだ。それでも今ではお互いの家族も承知の上での交際ではあって、この先のことも含めた関係性。とは言え元彼女の存在のせいで明良が不利益を被るのは避けたいとも思う。
「でもさ、お前だって『それ』込みで、一緒にいるって決めたんだろ?」
了に問いかけられる言葉に思わず俯いてしまうのは、晴が明良といることを決めたのはその通りのことが含まれているから。それでも竹田知奈の行動で、少し不安に揺らいでしまった自分に晴は溜め息混じりに呟く。二人で生きていくにはこういうことがあり得ると覚悟したつもりだったけれど、実際に起こると対処のしかたなんて晴自身まるで想像もできない。
「俺ってさぁ、ほんと駄目なとこばっか……。」
溜め息混じりにそう言いたくなるのは、これまで自分がしてきたことのツケなのだと晴自身が理解しているからだった。これは全て適当に自分がいいようにしていたことのツケなのだ。好きな人が別にいるのに打算的に交際して来た自分、利益だけしか見ない関係で彼女の事も録に考えもしていなかった。そう自虐的に俯き呟く晴の頭を、了は僅かに頬を緩めてポンポンと撫でる。
「今出来ることで、誠実にやってくしかないよな?」
だよねと笑う晴にそう言うことと微笑みながら、二人は『茶樹』から出て帰途につく。宏太の方は自宅で仕事中だし、明良は用事があるけど終わったら家にいると話していた。だから、一先ずは外崎邸まで戻ってと考えていた矢先、不意に駆け寄ってくる足音に気がついて一足先に振り返ったのは了の方だ。
コートの裾を翻して駆け寄って来たのはスーツ姿の青年で、了の視線につられた晴も振り返り目を丸くしてしまう。それはその相手がつい今しがた晴の記憶の中で友人として掘り起こされたばかりの相手で
「晴!!超久々!!!」
白鞘知佳と書いて、しらさやはるか。大学時代に晴とは同じ学部で友人関係になって、竹田知奈の高校からの同級生。そして、現在は元晴達の勤めていた会社の営業。だから当然だが、
「あッれ?!!成田さん?!」
指導係ではなかったとは言え、同じ営業にいた成田了のことは白鞘だって知っている。しかもつい半年ほど前に他社からの出向で再び姿をみせた了を見てもいるから記憶は鮮明だし、晴の友人だけあって白鞘も人懐っこい面のある青年なのだ。
「はは、変わんないな、白鞘。」
「チカ……なんでこんなとこにいんの…………?」
その言葉に白鞘知佳は待ち合わせなんだよねと肩を竦めてみせたけれど、それが何故か凄くモヤモヤと不快感を感じさせてしまう。偶然?といいたいけれど白鞘はここらか数駅東側の会社に近い駅の傍に住んでいてここら辺に暮らしている訳じゃないし、ここら辺には晴以外に彼を呼び出すような友達はいない筈だ。しかもこの間の偶然の事が頭にちらついて、晴は何だか頭が重くなってしまう。
「あー、チカちゃん、早いねぇ。あれぇ?晴君…………あと、晴君の先輩さん……でしたよね?!」
そうして悪い予感通り。背後から偶然ですねと言いたげにかけられたその甲高い黄色い声に晴は重苦しい気分が、決定的な頭痛に塗り変わったのに気がついてしまう。
発端は確かに旅行先での偶然の再会だったのかもしれないけれど、これは多分違う筈だ。
自分と明良の旅行は期間がなくて今回は近場でと行き当たりばったりで決めたことだから、恐らくは本当に偶々旅先でた鉢合わせたのだと思う。調べることも出来なくはないけれど事前に決めてあったものではないし、代理店なんかを通したわけでもないから、そこは多分大丈夫な筈だ。でも、晴は以前からこの駅近郊に暮らしていたし、明良のマンションに移り住んでも生活圏は変わらない。流石に竹田知奈と別れて仕事を辞めてからは、白鞘とは少し連絡の感覚は遠退いていたけれど。
「えっと…………竹田さん、だったよね。」
ぎこちなく了が彼女の名前を口にすると、彼女は甘えた声ではいと高らかに返事をする。言うまでもないことだけど、竹田知奈の暮らすマンションは電車で西に二駅先で。ここいら近郊で待ち合わせする理由は正直言うと聞きたくない。けれど、振り返って友人である白鞘を見ている晴と了の視線の先には、意味深に微笑む竹田知奈が可愛らしいコートにマフラーを深く巻いて当然のように三人の姿を見上げているのに晴は強張った顔を浮かべていた。
「はい、竹田知奈です。晴君の彼女の。」
いや、別れたしと改めて訂正したいのに、なんで彼女がこんな行動に出たのかわからない。晴の顔にあからさまに張り付いた困惑に、友人である白鞘知佳もほんの少し戸惑いの表情を浮かべて晴と竹田知奈の事を交互に眺めている。恐らくは上手くダシに使われたのだろうけど、少なくとも竹田と晴が別れたのは白鞘だって知っているのだ。
「………………あ、ごめんなさい、今は元『彼女』でした。」
妙な程に賑やかに微笑みながらそう告げる竹田に、晴は信じられないモノでも見ているように言葉を失って立ち尽くしていた。
既に晴と竹田と別れてかなりの期間が経つし、以前の勤め先会社も晴は辞めて半年以上が経っている。だから出逢っても別に問題ないとも言えるけれど、今の自分が同性と交際していて、しかもその交際相手は元は自分の勤めていた会社の社員でもあるのだ。
元々晴が竹田知奈は晴の大学時代からの友人の一人の紹介で、その友人は恐らくは今も彼女の友人でもある上に現在は明良の職場の同僚でもある。明良は晴と違ってその友人とは交流がないから親しくはないが、それでも名前を言えば顔は勿論分かる程度の関係性はある。流石に彼女に明良の事まで筒抜けになるとは思ってはいないが自分の以前の交遊関係が彼女も承知のことなのが、これにどう作用するか不安な一面もある。
「もう何もしてこなきゃいいんだけど…………。」
そこまで竹田知奈に固執されるような要素を、晴はもう持っていないと思う。一見して分かる安定した会社員でもないし、安定した一般的な家庭も作れないし、なにしろ彼女のことを好きでもない。旅行先であんなことを言ってきたのは偶々出逢った晴が、知奈の思うよりずっと幸せそうだったから少しだけ意地悪をしたくなったのだと思いたい。そんな事を想定としたって考えたいわけでは晴だってないのだけれど、今の晴は誰よりも明良を大事にしたいのだ。
「…………まぁ、マイノリティはマイノリティだからな。」
そう静かな声で告げる外崎了は以前に晴と付き合っていた最中の竹田知奈と顔をあわせたこともあるし、少なくともここでは晴の味方であるからこの件に関しては相談がしやすい。それに先程までの惚気混じりの晴の話に呆れはしたものの、元彼女の出現に不安を感じもする晴の気持ちも分からなくはないのだ。世間的には大分認知されつつあるとは言え、社会の中の地位としては同性愛と括るとやはりマイノリティなのは事実で、大きな企業等では下手をすれば排除の可能性だってある。明良は秘書課から営業に移動になった有望株で仕事としては順調に大きなプロジェクトもこなしているのだが、性的マイノリティに関して会社がオープンであるとは中々言えない。
「俺…………明良の邪魔になっちゃうかなぁ…………?了…………。」
その言葉に了は少しだけ眉を潜めて溜め息をこぼしてしまうが、当然の事ながら了にだって晴の気持ちは分かるのだ。自分だけがマイノリティなのは別段問題ではなく、自分と交際することで相手が傷ついてしまうのかもしれない……それが問題なのだと。そんな不安に呑まれるのは理解できなくはない。ただ実際は性別が違おうが同じだろうがこの悩みについては余り変わらないのだけれど、ノーマルでないということはどうしても大きなハードルに見える。溜め息混じりの了がクシャクシャと晴の柔らかな猫っ毛の頭を手荒く撫で回して、あのなぁと低い声で言う。
「…………お前が明良の傍からいなくなる方が、とんでもないことになるぞ?言っとくけど。」
※※※
恐らく結城晴が狭山明良の事を思って別れたとして、結末は最悪な結果になるとしか了には思えない。
社会的なものとか勤め先の事とか二人にあるデメリットを考えて晴が別れを切り出したとして、今の明良は確実にそれを受け入れるキャパシティを持っていないのだ。そういう意味では狭山明良は外崎宏太と良く似ている一面を持っているけれど、宏太と比較しても明良の方が遥かに暴走しそうな気がする。というのは晴が二度目に倒れて宏太が明良にお灸をすえた後、宏太は何故か風呂で明良と交友を深めた様子だったのだ。そうしてその夜それぞれの寝室に引き上げて、宏太は了を抱き寄せながら呆れたようにありゃ駄目だなと苦笑いしていたのを見ているからだ。
「あれだな、明良は惚れると冗談抜きで完全に何も見えなくなるやつだな。」
宏太が言うには自分は計画を弄して策を練るし搦め手なんてものも当然のように使うけれど、明良はそんなものは何一つ考えられなくなるのだろうという。恐らく晴に手を離されれば晴を監禁してでも引き留めるか人生全て終わりという崩壊をするかどっちかだというのだが、どちらにしても社会的に明良は致命的な結末になるわけだ。
「それ、中間はないのかよ?」
フラれたら少しの期間は誰しも意気消沈するのはわかるが、両極端な上にされは何も解決にならない。両極端以外ないのかよ?とそう了は呆れたように言うのだけれど、宏太はたまにそんな風にたった一人に惚れ込みすぎて身を滅ぼすヤツはいるもんなんだと何処か寂しげに呟く。
「…………知ってるヤツに、そんなヤツいるの?」
それが何処か見覚えのある口調だったから、思わず了が問いかけると宏太は少し遠い目をしてみせる。過去に出逢ったことのある誰かを懐かしげに思い浮かべる口調は、時折ほんの僅かに宏太がみせることのあるもので、少しだけ了を不安にさせてしまう。
「…………昔の知り合いでな…………何度も死にかけるくらい酷い目に遭ってんのに、それでも一人の人間に尽くして限度を知らないってヤツがな…………。」
「………………女?」
少しだけ嫉妬を滲ませる了の声に、宏太は苦い笑みを敷いて見せる。確かに今の説明では男に尽くし続ける女にしか聞こえないのは事実だから了が指摘するのも分かるし、事実その知人は女性ではあった。ただもうこれは過去形でしか語れないのは彼女は既に何ヵ月も前に死んだとされているからだし、彼女は宏太には恋愛感情を持たなかった。彼女のことを好ましく思ってはいたけれど宏太自身も彼女に恋愛感情はないし、どちらかといえば彼女に対して抱いていた感情は鳥飼澪に抱いていたものに近い。
気に入っていたから、友人として助けてやりたかった
今になればその言葉が一番適切な感情だと分かるのは、了のように彼女を愛して保護する訳ではなかっただろうからだ。あの男から引き剥がし身の安全を保護してやったとしても、彼女がのぞまないまま共に暮らすとはならなかった筈ろう。そしてこんな風に彼女の事を思い出すと他に思い出す人間も何人かいて、その中には宏太が社会的に破滅させた人間もいるのを思い出してしまう。
誰かに惹かれて、その誰かのために何もかもを狂わせて…………か
そういう意味では人間というものは、人に惚れると誰もがおかしくなるのだ。良くも悪くもおかしくなって、その思いが辿り着く結果が成功なのか破滅なのかの差だけ。
「…………そのたった一人………………ってのが、な。」
「ん?たった一人?何?」
自分にだって今は、こうして唯一無二の存在が確かにある。こんな風に一度手にしたら二度と手放せないし、了が傍に居なくなったら自分は破滅するに違いない。それほどの愛情なんて相手には重すぎるかもしれないが、それ故に明良の気持ちも分かる。そしてこれは源川仁聖達だって同じ様に榊恭平に抱いているものとおなじで、自分もそれは変わらないものなのだろうと思う。
「…………俺にはお前がそうだな…………。」
「何?え?」
グイッと戸惑いの声をあげる了を抱き寄せて、ベットに押し付け覆い被さりながら宏太は乱暴なくらいに激しく唇を奪う。そうして意味が分からないからともがく了の動きを宏太は全て包み込んで、さっさと、自分の事以外は何も考えられないようにしてしまおうとしていた。
※※※
明良にとって自分がデメリットにしかならないのなら。
そう考えてしまったのは事実だし、現実的に元々がヘテロセクシャルの明良が自分と付き合う問題については理解しているつもりだ。それでも今ではお互いの家族も承知の上での交際ではあって、この先のことも含めた関係性。とは言え元彼女の存在のせいで明良が不利益を被るのは避けたいとも思う。
「でもさ、お前だって『それ』込みで、一緒にいるって決めたんだろ?」
了に問いかけられる言葉に思わず俯いてしまうのは、晴が明良といることを決めたのはその通りのことが含まれているから。それでも竹田知奈の行動で、少し不安に揺らいでしまった自分に晴は溜め息混じりに呟く。二人で生きていくにはこういうことがあり得ると覚悟したつもりだったけれど、実際に起こると対処のしかたなんて晴自身まるで想像もできない。
「俺ってさぁ、ほんと駄目なとこばっか……。」
溜め息混じりにそう言いたくなるのは、これまで自分がしてきたことのツケなのだと晴自身が理解しているからだった。これは全て適当に自分がいいようにしていたことのツケなのだ。好きな人が別にいるのに打算的に交際して来た自分、利益だけしか見ない関係で彼女の事も録に考えもしていなかった。そう自虐的に俯き呟く晴の頭を、了は僅かに頬を緩めてポンポンと撫でる。
「今出来ることで、誠実にやってくしかないよな?」
だよねと笑う晴にそう言うことと微笑みながら、二人は『茶樹』から出て帰途につく。宏太の方は自宅で仕事中だし、明良は用事があるけど終わったら家にいると話していた。だから、一先ずは外崎邸まで戻ってと考えていた矢先、不意に駆け寄ってくる足音に気がついて一足先に振り返ったのは了の方だ。
コートの裾を翻して駆け寄って来たのはスーツ姿の青年で、了の視線につられた晴も振り返り目を丸くしてしまう。それはその相手がつい今しがた晴の記憶の中で友人として掘り起こされたばかりの相手で
「晴!!超久々!!!」
白鞘知佳と書いて、しらさやはるか。大学時代に晴とは同じ学部で友人関係になって、竹田知奈の高校からの同級生。そして、現在は元晴達の勤めていた会社の営業。だから当然だが、
「あッれ?!!成田さん?!」
指導係ではなかったとは言え、同じ営業にいた成田了のことは白鞘だって知っている。しかもつい半年ほど前に他社からの出向で再び姿をみせた了を見てもいるから記憶は鮮明だし、晴の友人だけあって白鞘も人懐っこい面のある青年なのだ。
「はは、変わんないな、白鞘。」
「チカ……なんでこんなとこにいんの…………?」
その言葉に白鞘知佳は待ち合わせなんだよねと肩を竦めてみせたけれど、それが何故か凄くモヤモヤと不快感を感じさせてしまう。偶然?といいたいけれど白鞘はここらか数駅東側の会社に近い駅の傍に住んでいてここら辺に暮らしている訳じゃないし、ここら辺には晴以外に彼を呼び出すような友達はいない筈だ。しかもこの間の偶然の事が頭にちらついて、晴は何だか頭が重くなってしまう。
「あー、チカちゃん、早いねぇ。あれぇ?晴君…………あと、晴君の先輩さん……でしたよね?!」
そうして悪い予感通り。背後から偶然ですねと言いたげにかけられたその甲高い黄色い声に晴は重苦しい気分が、決定的な頭痛に塗り変わったのに気がついてしまう。
発端は確かに旅行先での偶然の再会だったのかもしれないけれど、これは多分違う筈だ。
自分と明良の旅行は期間がなくて今回は近場でと行き当たりばったりで決めたことだから、恐らくは本当に偶々旅先でた鉢合わせたのだと思う。調べることも出来なくはないけれど事前に決めてあったものではないし、代理店なんかを通したわけでもないから、そこは多分大丈夫な筈だ。でも、晴は以前からこの駅近郊に暮らしていたし、明良のマンションに移り住んでも生活圏は変わらない。流石に竹田知奈と別れて仕事を辞めてからは、白鞘とは少し連絡の感覚は遠退いていたけれど。
「えっと…………竹田さん、だったよね。」
ぎこちなく了が彼女の名前を口にすると、彼女は甘えた声ではいと高らかに返事をする。言うまでもないことだけど、竹田知奈の暮らすマンションは電車で西に二駅先で。ここいら近郊で待ち合わせする理由は正直言うと聞きたくない。けれど、振り返って友人である白鞘を見ている晴と了の視線の先には、意味深に微笑む竹田知奈が可愛らしいコートにマフラーを深く巻いて当然のように三人の姿を見上げているのに晴は強張った顔を浮かべていた。
「はい、竹田知奈です。晴君の彼女の。」
いや、別れたしと改めて訂正したいのに、なんで彼女がこんな行動に出たのかわからない。晴の顔にあからさまに張り付いた困惑に、友人である白鞘知佳もほんの少し戸惑いの表情を浮かべて晴と竹田知奈の事を交互に眺めている。恐らくは上手くダシに使われたのだろうけど、少なくとも竹田と晴が別れたのは白鞘だって知っているのだ。
「………………あ、ごめんなさい、今は元『彼女』でした。」
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