鮮明な月

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間章 ちょっと合間の話3

間話12.お節介

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宏太、人はね、とても簡単に壊れてしまうんだよ。

そう遥か昔に外崎宏太に向けて穏やかな声音で諭すように話したのは、常に凛とした佇まいを崩すことのない孤高の人だった。その人は一人娘である我が子に通ずる艶やかな黒髪に黒曜石のような瞳、それにしなやかな手足。自分達より遥かに年をとっている筈なのに、所作は何時までも目に焼き付くほどに美しくて淀みがない。

私が教えているものは簡単に人を傷つけてしまいかねないけれど…………

その人は宏太に向かって、それを知ることで逆に守る方法も理解できるんだとも話してくれた。でも、その意味が現実として、宏太に理解できるようになったのが実はつい最近の事。そうだと彼に言ったら、宏太の師匠でも鳥飼澪の父でも鳥飼信哉の祖父でもある故・鳥飼千羽哉は呆れたように「宏太、そこに座りなさい」と艶然と微笑みながら説教の体勢で言いそうな気がする。
結城晴のここ最近の変化は、その音と時折ギクシャクとする動作で数日前から宏太も気がついていた。身体の何処かを痛めていて、同時に疲労の蓄積も顕著。とは言えこれ迄も時折晴がそんな風な状態になることはままあることだったし、一日か二日もすると落ち着いて回復に向かう気配がするので、あえて口は出さず何時もなら様子を見るのだ。ところが今回に関してはその状態が日に日に悪化していくばかりで、全く回復のための気配が見えないのに宏太も外崎了ですらも気がついていた。

宏太、調教ってのは緩急が大事なんだ。ずっと躾けても無駄。飴と鞭って言葉は利にかなってる。

自分が過去にSMの調教師なんてものになろうとした時、それに関しては師匠という立場になった久保田惣一は宏太に対してそう教えた。その意図は実際のところ千羽哉が宏太に説いた事とあまり大差がないが、人間はそれほど長い時間ストレスには耐えられないということなのだ。個々に耐えうるラインは違っても結局は永遠には耐え続けられないものなので、それを見極められないとならない。それが出来ない人間は、大概何時か何処かで大きな間違いを起こす。

矢根尾みたいにな…………

矢根尾俊一という男は昔からそれを全く見極められない人間で、それに若い時分に巻き込まれた多賀亜希子は一時苦悩にまみれ自殺未遂を繰り返していた。何度目かの自殺未遂でも死ねなかった彼女は、やっと矢根尾の元を去り全ては終わった筈だったのだ。ただ、多賀亜希子はせっかく逃れたのに過去の後遺症に引き寄せられたのか・何かを確かめるためだったのか、矢根尾の視界に舞い戻ってしまったのだ。そして結果として、遺体は見つからないが、恐らく矢根尾に命を絶たれるという結末に至る。
誰しも人を殺したいなんて考えてもいないだろうが、結果としてそんな間違いに至る危険性は実は誰しもが持っているのだ。でも大概の人間は、無意識にでも互いの耐えうるラインを測りながら生きていこうと努力する。ただ、そうできない人間も社会の中には確かに存在していて、そう言う人間が『人間擬き』の以前の宏太のように何も知らずに当然みたいに暮らしているのも事実だ。

自分がそうだって気がついてれば、兎も角な…………

そう言う意味では、自分だけでなく昔の外崎了も同じ。自分の限界も琴線もしらずに、こんなものかと世の中を覚めた目で見ているつもりで、人とは違う自分に気がついてもいる。きっとそんな風に感じたまま生きて、死に至る人間は数多くいるのに違いない。
そして宏太自身も含めて自分の周囲には割合、それに最近気がついて泡を食ってラインを探そうともがく人間が多い。恐らく世界は実は元からずっとそうだったのかもしれないけれど、自分自身もその渦の中にいてそれに気がつかなかったのかもしれないとは思う。そしてそれに気がついた宏太としては、今の結城晴に対する狭山明良の行動も、実のところは理解できなくもないのだ。

多分………………

そう考えながら何気なく宏太が頭を撫でていただけでストンと転がり落ちるように眠りに落ちた晴の気配に、暫し考え込んでいた宏太はやがて座っていたベットのスプリングを殆ど軋ませることもなく立ち上がる。そしてほんの微かな揺れに眠っている晴が全く反応がないのを確認するように暫く立ち止まっていた宏太は、更に滑るような音のない歩き方でゲストルームから出ると廊下に出てきて始めて深い溜め息をついていた。

実際、…………俺がどうこうするもんじゃねぇんだろうが……な

確かに人の色恋沙汰に口出しするような立場にいる訳でもなければ、本来これは晴と明良の問題であって、ある意味首を突っ込むのは宏太の勝手なお節介。藤咲信夫のように源川仁聖の身の回りの安全確保なんて依頼があるわけでもないし、比護耕作にも言われたが宏太が何となく気になって首を突っ込む必要がないことでもある。確実にお節介だなとも自分でも内心では思うのだが、このまま放置すれば恐らく晴は色々な意味で潰れる。明良がどうこうではなく晴が確実に潰れると確信をもって宏太が断言出来るのは、どんな結果でも…………例えば明良がふられるとすれば晴が身体を壊して潰れてしまって別れるということだろうからで…………結局は晴が潰れるのは変わらないからだ。

「こぉた?」

そんなことを考えながら階段を下りつつある宏太にリビングから顔を出した了が少し心配そうに声をかけてきたのに、宏太は仕方がないと言いたげに軽く頭を掻きながら歩み寄っていった。



※※※



久世博久は最近一瞬でとある人に恋に落ち、そしてその日の内に失恋までして。正直余りの傷心に以前好きで見ていたドラマのボックスを何故か購入までして、同期の源川仁聖の伝で念願の『五十嵐カイト』のサインを入手した。自分がファンだった俳優と傷心の相手の苗字が同じだと気がついたのは、何故か源川仁聖にサインを書いて貰ったボックスを手渡された時。

「五十嵐………………あぁー………………。」
「え?何、海翔のサインだけど?そう言ったよね?久世。」

目の前で博久に珍妙な声を出されて、目の前の仁聖が呆気にとられている。間違ってないと呻きながら博久が、この間の失恋した子の名前が五十嵐だった……と呟くと、仁聖と横にいる佐久間翔悟がおやおやという顔に変わった。
五十嵐ハルという人に出逢ったのは本当に偶然で可愛らしくて楚々としていて博久は一目で恋に落ちてしまったのに、結局年上の優しさで食事を奢った程度の事を博久は自分に気があるのだと勘違いして。しかも、その後彼女が自分よりも整った顔立ちでシュッとしたイケメンと仲良く連れだって歩くのを見てしまったのだ。

「…………しかも、街中で男のコート着てて、手を繋いで、チューまでしてて。」
「あーそれは恋人だ、完璧。残念だな、久世。仁聖もそう思うだろ?」
「相手のコートに、手を繋いでチューか。いいなぁ、それ。ドラマみたい。」

言われなくても分かってるよと嘆く博久を学食で翔悟と一緒に仁聖も慰めながら、何でか仁聖はその人となりを聞き、『五十嵐』という苗字に引っ掛かりを感じていたりする。というのも仁聖の友人でもある結城晴の女装時の名前が『五十嵐ハル』なのを仁聖は知っているし、おまけに久世博久は金子美乃利の取り巻きでもあった人間だ。

何でかなー…………どう聞いてても、晴のことに聞こえるんだよなー…………。

晴の女装は仁聖でも驚く程の出来映えなのは事実で、もし夜の街で晴を知らずに出逢ったら仁聖だって女の子と勘違いしてもおかしくない。それを博久にいうことは出来ないけれど、内心狭山明良に晴と一緒のところを見つからなくて良かったねと言ってやりたい。何しろ明良は仁聖が榊恭平という大切な恋人がちゃんと居て一緒に暮らす仲と知っていても、仁聖の家でワイワイしていると仁聖には真っ黒なオーラが見えるような人間なのだ。

…………晴があんなに、ベタ惚れなのになぁ…………

晴が明良の事を好きで好きで仕方がないというのは行動とか晴の態度で駄々漏れなのに、何故か明良はそれがよく伝わっていないのか嫉妬心を隠せないでいる。それは恭平も感じるみたいで、また今日も捕獲されて帰ったなぁと呆れ半分で見てもいるのだ。

自分だったら、相手から好きって言って貰えたら有頂天だけどなぁ…………

あんなにお互い好きあっているようなのに、何故かお互いの気持ちがうまく伝わらないでいる二人。何が問題でそんなことになっているのかと思わず首を捻ってしまう仁聖に、なんかした?と翔悟と博久が不思議そうに問いかけていたのだった。



※※※



頭の中に浮かぶのは昨夜の晴の甘い声で、何度も何度も乳首だけを弄くられただけで足腰が立たないほどに感じさせられて泣きながら許しを乞う声が過る。他には何処にも触れられなくても、完全に絶頂に達しきって潤んで涙を一杯に湛えた大きな瞳。それが自分だけに懇願して、自分だけに縋りついていて、何もかも自分のものにしてしまっているのだという感覚。

……晴……早く会いたい…………。

焦れるような気持ちのまま肌に刺すような冬の夜風を感じながら、明良の足は先を急いでいる。普段なら駅前で待ち合わせとなりそうなものだが、今日はまだ仕事が終わったともなんとも連絡は入っていないから晴は外崎邸にまだいる筈だ。最近は仕事も落ち着いていたからと思っていたけれど、何か急ぎの仕事でも入ったのかもしれない。それでももしも晴がまた『五十嵐ハル』をするとしたら今度はちゃんと連絡するからと、晴は今回は今までと違って頬を染めて約束もしてくれた。

だから、そこは安心だけど…………

大事な晴を他の人間に触らせなくていいように、自分だけのものにしておきたい。そう明良が必死で願うのに、全てではないけれど晴はちゃんと約束してくれて。外崎邸の玄関前の扉を音を立てて押し開き玄関に向かって急ぎ足で駆け寄った明良が玄関扉前のインターホンに向かって手を伸ばした瞬間、まるで見計らっていたみたいに背筋に悪寒が走っていた。それに瞬時に明良は何故か手を思わず引っ込めて、数歩無意識に後退る。

何だ…………これ?

本能的で無意識の動きに気がついているのか、目の前でチャイムを押したわけでもないのに扉が開く。まるで自分が着たのを知っているみたいだと思うが、恐らくそれは間違いではなくて相手はちゃんと明良がここに着たことを知っている。エントランスにいたのか滑るような動きで出てきたのは言う迄もなく外崎宏太で、宏太は全身から威圧するような気配を漂わせていた。

「…………よぉ、明良。」

言葉とは裏腹に完全にその気配は明良を威圧していて、明良は無意識に自分の動悸が大きくなり始めたのに気がついていた。外崎宏太は外崎了の恋人で、結城晴は宏太にとっては了に気がある邪魔な存在なのだと以前の晴は明良に話していた。でも今は晴が明良のものになったから外崎の心配は消え、二人は社長と社員として良好な関係を築いているのだと明良は考えている。確かに宏太は普段から了一筋だし、晴のことは大概二の次のような顔つき。だから、晴の恋人の明良にも別段何もするわけではないし、通常こんな風に威圧されることなんてなかった。

「と…………ざきさん…………?………………晴……は?」

理由になりえるのは二人の共通するものとしては結城晴のことくらいしか浮かばないし、今まさにこんな状況になっている玄関先に外崎了も晴も姿を見せない理由が思い浮かばない。その問いかけに何故か白木の杖を片手に外に足を踏み出した宏太は、答えることもなく後ろ手に玄関を閉じてしまっていた。この家はオートロックになっているから、キーを持っているか内側から開けて貰わないと家の中には侵入できない。勿論何処かを破って入るにも、この家の防犯装置はとても優秀だから下手なことはしない方が正解だ。

「明良、お前以前俺が言ったこと覚えてるか?ん?」

柔らかく穏やかな低く響く声なのに、その全身から放たれる鳥肌が立つような威圧感がまるで引けない。つまりは宏太は意図して明良の事を威圧していて、それは何か明良がこの男の気に入らないことをしているということに他ならないと明良も気がつく。

前…………?

宏太と明良の接点は高橋至の事件からで、それからここまでは凡そだがたった数ヶ月の期間に過ぎない。このあいだに明良は晴と恋人同士になって様々な関わりを広げたし、ここに泊まったこともある関係だけど、宏太と直に会話をしたのは他の友人たちと比較したら格段に少ないに違いない。その中で宏太があえてこう口にするということは、明良の頭の中にはその答えは一つしか思い浮かばなかった。
記憶の中には自分とは違うしなやかな筋肉。大きな酷い傷痕はあるが、全身からは退廃的にも魅惑的にも感じる色気のある男、自分より以前から晴と長く付き合いがあってじゃれるように会話もする男。そしてハイスペックで調教師だった男が、薄着でまるでセックスした後のような空気を纏って自分を見下ろしている光景。
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