鮮明な月

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第十六章 FlashBack2

221.

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帰宅した仁聖が真っ先に書斎に飛び込むようにして駆け込むと、仕事をしていた様子の恭平が少し疲れた表情で振り返りお帰りと声をかける。ただいまもソコソコに病院は?と詰め寄る仁聖の真剣な顔つきに、恭平は穏やかな声でちゃんと行ってきたからと告げた。それを耳にして疲れの滲む恭平の顔色に仁聖が、休んでなくていいの?と心配そうに問いかけながら傍まで歩み寄ってきたのに恭平は思わず苦笑いしてしまう。確かに疲れているのは事実だが、これに関してはまぁ後輩の宇佐川義人が余りにも先取りでなんでもかんでも矢継ぎ早に検査を詰め込んできたせいで、しかも老医師ときたらその検査結果を誰が指示したのか聞くこともせずに当然みたいに眺めている。そうして若いのになぁとホッホッと笑いながら呑気に恭平の診察をする老医師は、宇佐川に意見まで求める始末なのだ。思わず宇佐川は看護師じゃなく医者なんですかと問いかけそうになった恭平に、宇佐川の方は先生がしろというのを事前に予測しただけですし観察したみた意見を聞かれただけなんですなんて平然と言う。

昔から確かに宇佐川は、先取りして何でも察してたな…………

宇佐川の言葉に思い出したのは、高校時代には神童とまで呼ばれていた宇佐川義人という後輩の事。宇佐川は高校入学当初から学年での学力テストで主席を取り続け、一時その頭脳に嫉妬した同級生相手に虐められそうになったことがあったのだった。『られそう』といったのは、宇佐川という人間は結果としては虐めにあったと認定できるのはたった一度だけだったからだ。たった一度だけの最初の虐めの他は、宇佐川を虐めようとして成功した人間はいない。しかも有名人の従兄弟や幼馴染みとは違って宇佐川は、全く暴力を振るう事のない人間なのだ。それでも宇佐川が何故彼らに虐められなかったかについて知っているのかといえば、当時高校三年だった恭平が二度目になる筈だった虐めの現場に偶然鉢合わせたからなのだった。恐ろしいことに宇佐川義人がその時していたのは、自分を虐めようとする人間の行動の先取りというやつだったのだ。



※※※



「何やってるんだ?宇佐川。」

恭平の目の前の人間が何をしているのかといえば、何故か自分の下駄箱の靴を片手にしてもう一足を差し込もうとしているところ。何で今こんな場所で鉢合わせたかというと恭平も困るのだが、実際には目下どの学年も授業の真っ只中で、こうして三年と一年の生徒が昇降口にいる必然性は本来ない。
と言うのも恭平の方は教師がプリントミスで授業で利用するプリントの部数が足りなくて、教師に頼まれ急ぎ職員室にコピーに向かっているところ。三年一組は通例として一階の一番手前の教室で基本的には昇降口に一番近いし、職員室は昇降口の真上にあるので昇降口前を通り抜け階段を上る道程が最短だ。そんな矢先に通りかかった昇降口に一年の宇佐川がいたのだが、宇佐川はまるで今学校に来たとでもいう風に自分の下駄箱に向き合っている。

「先輩こそ、サボりですか?」

平然とした顔でそう答えながらスコンと音をたてて靴を置いた宇佐川義人は、何故か片手に持った方の靴をプラプラとさせ、これ僕の靴ですから心配しないでくださいと恭平に告げる。既に最近連続で学年トップをとっている宇佐川の学力を妬んだ奴らが、キナ臭い虐めの計画をたて始めているなんて噂は恭平も幼馴染みの村瀬篠が聞き付けていた。あからさまな攻撃をまだ奴らがしていないのは、宇佐川が伝説の三人組の一人土志田の従兄弟だからと言うのもあると思う。ただもし宇佐川に手を出して土志田が出てくるようなら、宇佐川自身の評価はその程度の人間と評価されるということでもあるのだが。
兎も角虐めの気配を噂では聞いていた。だから、その姿をみた時恭平はその仕返しに虐めている相手の靴に悪戯でも?と思ったのだが、宇佐川には早々にその考えは見透かされてしまっていたらしい。それにしてもそれなら何で自分の靴を片手にしていて、靴箱にはもう一足?と思ったら、宇佐川は外見ではまるで似ていないのに従兄弟である土志田悌順そっくりのニッという笑みを浮かべて言う。

「僕の靴にこれから生ゴミをかけようとしている人間がいるんで、靴をソイツのと交換したんです。後ビニール敷いて片付けやすくしとこうと思って、準備してたところなんですよ。」

これから?生ゴミ?かけようとしてる奴の靴と交換?しかもなんだって?片付けやすいように?

「は?」
「自分の靴に生ゴミなんか自分でかけたら、流石に心も折れますよね。」

にこやかに笑いながらそう言う宇佐川に唖然としたのは言う迄もないが、良く見ると靴の下には上手いこと見えないというか泥よけのように見えるビニールがキッチリと敷いてあるのだ。流石にこいつは何を言っているのかとは恭平も思ったのだが、試しにその日の昼過ぎにもう一度見に行った宇佐川の靴箱には生ゴミにまみれた靴が置かれていた。そして丁度その前に立っている宇佐川は飄々とした様子で、これまた準備してあったゴム手袋を嵌めて、彼曰く自分のものではないという靴を敷いていたビニール袋でサッとくるんで周囲を汚すことなく容易く取り出していたところだった。

「あれ?心配して見に来たんですか?先輩、心配性ですね。」

平然とそう言いながら周囲に臭いの被害が広がらないよう消臭スプレ-を撒いた宇佐川は今度は自分の靴を当然みたいに靴箱にいれて、ビニール袋に包み込んだ生ゴミまみれの他人の靴を福上先生に届けておきますという有り様。
そう宇佐川に嫌がらせをしようとしていた相手は、自分の靴だとは思わずに密かに準備した生ゴミをぶちまけていたのだ。お陰で帰ろうとして初めて自分の靴がないのに気がついた相手は、背後から貧乏神然とした黒いオーラを放つ福上教師に肩を叩かれて生ゴミまみれの自分の靴を見せられる。

しかもそれは一度きりのことではなくて、その後も何故か何度となく恭平はタイミングがあってしまったのかそんな光景に出くわしてきたのだ。恭平はその都度宇佐川に先輩は相変わらず心配性ですねと繰り返され続けて呆れ顔になりながら、同時にこの男絶対に敵には回さない方が良いタイプの奴だと内心密かに思ったのだった。



※※※



詰め寄る仁聖に恭平が何故かプチプチと胸元のボタンを開けて中を見せてきて、思わずつられて覗き込む仁聖の視界には見たことのない黒い機械とカラフルなコードが真っ白な肌に貼り付けられているのが見えた。それは誰につけて貰ったのと思わず問いかけたくなるが、そこが問題という事ではないだろうし、それよりはその機械自体が本当は問題なわけで。そんな見たものだけでは理解できない状況に、仁聖が戸惑いながら恭平の顔を見つめる。

「何?それ…………。」
「心電図だそうだ。二十四時間、心臓の動きを調べてる。だから普通の生活してろって。」

それはホルター心電図という検査だそうで、小型の心電図を二十四時間装着して一日の心臓の動きを検査するのだという。というのも恭平が若瀬クリニックで受けてきた十二誘導という心電図にも、採血や心エコーという検査にも、レントゲンにも明らかな異常はみつけられなかったのだ。つまりは今のところ疾患があるとは診断されなかった。それでも可能性として不整脈を起こして気を失ったのではとは考えられたのだというから、日常生活の中で不整脈を起こしているかどうかを調べるための検査が必要になったということだ。そして恭平がこうして付けているホルター心電図というものが、その検査なのだという。
宇佐川はつけていても全く普段と同じ生活で良いですけれど、機械はお風呂で濡らさないようにと話していた。精密機械なので濡らされると壊れますからということらしいが、普段していることは普通にして良いと説明されている。流石に激しい運動をするとテープが剥がれますし汗をかいてもお風呂には入れませんからねと釘を刺されもした訳だが、その発言から恭平が基礎体力を付けようとしているのを何で宇佐川は知っているのだろうかと内心では思ってしまう。

「今のところ、何もない。…………後はこれの結果次第らしい。」

コンと黒い機械を叩いた恭平に、仁聖は目を丸くしてから少し安堵の吐息を溢してしまう。少なくとも今のところ恭平は心臓に病気があると証明されたわけではないのだと理解出来たから、仁聖はヘニャとその場に座り込んで恭平の膝に頭をのせた。それくらい仁聖が恭平の身体の事をとても心配しているということだし、倒れた瞬間まで見てしまった仁聖の不安は恭平と同等に大きいのだ。

「悪かった…………心配かけて…………。」
「んん…………、今のところ病気が見つかってないんでしょ…………それで少し安心。」

そう呟く仁聖の頭を撫でながら恭平が少しだけ躊躇いを見せたのに、仁聖は頭を撫でられながら不思議そうに視線をあげる。医療に詳しくない人間ではここまでの検査が問題なしなら安堵するのは当然なのだけれど、このホルター心電図を付けた時に宇佐川に説明をされて初めて恭平も理解したことがあるのだ。

心臓疾患は、症状が出てないと判別できないんです。だから、ホルターは必須なんですよ。

そう宇佐川義人は恭平に説明した。
実は病気というものは症状がないと診断できない。つまり症状が出ている時でないと病気というものは診断できないということを、普通の人間は知らないのだという。一体何を当たり前の事を言っているのかと思うだろうが、本当に病気というものは何らかの症状が出てないと病気としては認定されないということなのだ。例えば風邪と診断されるには、診察の時に何らかの風邪の症状がないとならない。自分が風邪だと思っても、熱も咳も何も症状のない人間には風邪という診断は付かないのだ。それをいうと他の慢性的な病気を病名として持つということは、その症状か常時その人間には症状として自覚があるなしに関わらず身体には現れているということなのだという。

慢性的に症状があれば直ぐ病名がつけられるんですけど、調べた時に出てないと診断が付かないんです

その中でも人間には疾患が気がつかれにくい臓器というものが幾つかあって、実は心臓もその一つだという。心臓がその一つなのは症状が持続するような状態になる迄にはかなりの病状の進行が要することと、何らかの症状を感じた時に直ぐ心電図等をとれる訳ではないという事が大きな理由の一つなのだ。一瞬の動悸や不快感、そんなものを不意に感じたとしても、検査のために心電図を測れるようになった時には症状がもう消えている事が多々ある。そして症状がない時に検査をしても何も出なかったから、全く病気には気がつかないままでいってしまう人間も多いのだとか。なのでそれを調べるには恭平が今付けているホルター心電図等で、長時間かけて心臓の機能になにもないかどうかを調べないとならない。

「それって、これまでの検査で何ともなくても病気って可能性があるってこと?」
「うん、だけどこれでも何もない可能性も同じくらいある。」

それはちゃんと説明して理解しておかないと駄目ですねと宇佐川は話していて、目の前で倒れた相手には説明しておいてくださいとも言われていた。少なくとも意識を失う原因が何かは知らないと、意識消失を何度も繰り返すのは良くないと宇佐川はいう(同じように脳貧血を起こす外崎宏太も同じ検査はしているのだが、宏太の方はホルター心電図を何度かしても心臓は問題がない。外崎の失神は緊張感による血圧の急激な変動を自律神経か起こしていて気質的な臓器の問題ではないが、かといって繰り返していては倒れた時に怪我をする危険性もある。そうでなくてもし心臓が問題だとすれば、一時的に血流が停滞したりして血液が小さな塊になる可能性があるという。それが他の臓器や細かい血管に詰まると大きな別な病気を引き起こしてしまう)。つまりここにきて恭平の失神の原因は精密検査中ということで、今迄に問題が見つからないから何割かは安心というわけではないということなのだ。

「…………そうなんだ…………。」

膝の上に顔をのせた仁聖の表情が理解したからこそ落ち込むのを見つめ、恭平は心配かけてすまないと囁きながら優しい手付きで頭を撫でる。それでもちゃんと調べて安心するのが一番だとも宇佐川は話していて、放置するよりは知ってた方が対処できるものですと言われたのを恭平は素直に受け入れていた。宇佐川のいう通り、放置して怯えながら暮らす方がずっと仁聖にも不安を感じさせてしまうし、自分だって不安なまま。それよりは原因をハッキリさせて対応していくことの方が、ずっと気分だって楽になる筈だ。
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