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第十六章 FlashBack2
217.
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外崎宏太は電話の音声をスピーカーにしたまま、幼馴染みで芸能事務所を経営している藤咲信夫との会話を続けている。
比護耕作が営業マンを語り外崎宏太とコンタクトをとろうとした金子物流の新規事業はさておき、金子物流自体は全うな経営で安定した事業を展開している会社である。が、その一人娘が何故か大学生になって直ぐに、今までの生活とは一変して男遊びをしたり夜な夜な街を遊び歩いている。
宏太の周囲に金子の名前が出るようになって密かに金子物流に関係する調査はされていて、社長夫妻だけではなく先代の社長夫妻や親戚、おまけに件の一人娘・金子美乃利の家系は既に宏太の中では網羅してある。ただし今のところ金子社長夫妻や親戚には表も裏も問題になりそうな事は起こっていないし、会社自体の経営もクリーンで緩やかな昇り調子で問題は生じていない。その中で唯一問題になる得る事と言えば、この一人娘の素行は問題になり得るのだろうか。
目立つ………………
高校生までの金子美乃利は、近郊のエスカレーター式のミッションスクールに通う完璧なお嬢様だった。駅から同じ学校に通う女子生徒やシスターと一緒に楚々と公共交通機関のバスに乗り、帰り道でも寄り道すらしない完璧なお嬢様でしかなかったのだ。金子が幼稚園から高校までのミッションスクール生活を終えて大学生になった途端、様変わりしたのは大学生活という今迄と異なる解放感のせいだろうか。あえて目立つように行動しているように見えると藤咲は言うし、仁聖の方は邪険にしているのにしつこく絡まれていて目立って困ると藤咲には話しているようだ。だが基本的に金子が騒ぎを起こしているのは大学構内とここいら近辺であって、それは他の繁華街とかでは起こっていない。ここいら近辺に金子美乃利に関係するのは金子物流のビルがある程度で、金子物流から駅の間には情報が入るワインバー・エキリブレがあるの。これには何か誰もが納得できる理由が生じる余地があるだろうか、と宏太は黙り込み眉を潜めて考えている。
「んー………………一人娘ねぇ……。経営関係には進まなかったんだね、この子。」
「そういわれればそうだな。」
背後でプチプチと書類を眺めながら先に呟いたのは結城晴で、その手にあるのは調べてきた金子家系に関する情報のシートだ。金子物流は先代から長男である今の社長に代替わりして既に二十年、現社長の手腕としても中々世情を鑑みて事業展開を行える人間のようだ。社内にごたつきもないし経営自体も安定しているから、社内での社長の信頼も厚いことだろう。何しろ社内情報を調べる時に晴がコンタクトを取った相手は、酒を飲ませながら社内自慢を延々と続けたらしく晴が珍しい会社かもーと呆れたくらいなのだ。
そんな中で現社長が、社長になる直前で産まれた娘が現状異様な程に夜遊び歩いている。それに関して両親はどう考えているかは分からないところではあるが、一人娘は経済学部やら何やらではなく文学部なのは事実だ。まあ、女児だからと世襲するつもりもない可能性もあるし、当人でなく当人の結婚相手とか、学業を終えてから実地で身に付けるとか色々手段はある。
「他に継ぐような年頃の人間いないんだね。社長の兄弟は他職種で、それぞれ安定してるもんね。」
「兄弟は公務員に医者…………確かに物流には来ないな。兄弟の子供も……か。」
了と晴がそんなことを情報シートを眺めて話しているのを横に、なんでここで仁聖なのかとは宏太も首を捻る。確かに他の奴らに比べれば頭一つか二つ分くらいハイスペックな人間だとは思うが、散々粉をかけても邪険に扱うような男を引き入れて得するのだろうか。しかも他にも何人も取り巻きを揃えていて、久世のようなかなり頭の切れるタイプの頭の良い男なんかもいたわけだ。
別に誰でも良いとも見えるんだがな…………
誰でも良いが、なるべくならハイスペックな方がいい?そんな適当な考えで、これまでに起きたようなこんな騒ぎを起こす必要性があるのだろうか。それは電話の向こうの藤咲にしても同様の考えで、ここまで派手な行動のわりに金子自身がそれを望んでいない節のあるのに強い違和感があるのだというのだ。ミッションスクールで厳格に育てられた反動の可能性はあるけれど、とは言え金子美乃利は取り巻きの誰一人と交際もしていないし性行為どころかキス一つすらしていないと思われるのだ。
「誰かにさぁ、私はこんなんだからって思われたいのかねー?」
不意にその言葉が耳に入って、頭の中には何故か過去に触れた人間が浮かぶ。
それは外崎宏太が助けようとして助けられなかった女性で、その人は自分の娘を助けるために自分を犠牲にしたのだった。犠牲にならずに自分が幸せになる道を選べと宏太は何度も忠告したのに、彼女……上原杏奈は自分を偽り続けていて、誰にも本当の自分を見せようとしなかった。そして、最後には寒い冬の夜に死んだ上原杏奈。それを思い出したのに戸惑いながら、宏太は黙り込んだままでいる。
『どう言うこと?』
「だからさ、自分はこんな人間だよってアピッてるように感じない?信夫さん。それってさー。」
藤咲の問いかけに晴が呑気な口調で書類を眺めながら口にした言葉に、宏太は改めて思い出したように眉を潜めていく。
※※※
学食の入り口で起こり始めた騒動は、誰もがゆったりと寛ぐ長閑な空気を一瞬で打壊してしまっていた。既に食事を始めていた三人とリリアの背後に立つヴァイゼは、何事かと言いたげな視線を入り口の方へと向けている。学食の入り口にはもう人垣が出来ていて、座っている三人には何が起こっているかは見えない。が、リリアの背後に立ったままでいる長身のヴァイゼには、そこで何が起きているか見えたらしい。
「The woman from yesterday.A woman who did something rude.」
昨日の無礼なことをした女性という彼の一言で、花街でリリアの手を払ってヴァイゼに手を捕まれた金子美乃利の事だと仁聖にもリリアにも分かる。金子の存在に相変わらず揉め事の種を持って来ようとしているのかとウンザリした顔になる仁聖に、視線を向けたままのヴァイゼは金子が他の誰かと揉めているようだと冷ややかに口にした。立ったまま顔を向けているヴァイゼにしてみても主人であるリリアに無礼な行動をとったという点では、彼女にいい感情はない様子なのが顔には全く出ないが様子からも分かる。つまりはこの喧騒は自分達と関係がない事らしいのは分かったが、それでも口論の声が学食の中に紛れ込んできて甲高い声で怒鳴っているのが響き出す。
「もう、終わりだって言ってるでしょ!?」
「そんな、話が違う!!」
「だから終わりよ、やめるって言ってるの!」
金子美乃利の苛立つ金切り声に食い下がっているのは、奇妙な程にヒステリックに響く男の声。恐らくは取り巻きになっていた内の一人の声だと分かるが、それは何時ものように猫なで声の金子へのご機嫌とりの声ではない。
「手伝ってくれるって言うから従ってきたんだろ?!」
「だから、終わりにするって言ってるでしょ!?」
二人の喧騒の声は更に大きくなって、学食にいる他の学生達も落ち着かない様子でその様を眺めている。金子が男に何を支援する約束だったのかは知らないが、少なくとも取り巻きの中には具体的に支援を対価に取り巻きに加わっていた人間もいるということだ。しかもここに来て突然だがそれが破綻して、こんなあからさまな口論が繰り広げられている。しかも、その声が大きくなりつつあるところをみると、二人が学食内に次第に移動してもいるのが分かるし、他の取り巻き連中は傍にいないらしい。
「しつこいわね!終わりって言ったら終わりなのよ!」
「自分勝手すぎるだろ!」
「元々手伝うなんて言ってない!自分が勝手にそう思ってたんでしょ?!」
「そんな…………っ!」
金子に何かを手伝わせる約束を反故にされた。それは確かに男には大きい変化なのかもしれないだろうが、だけどそれを執拗に求めるのは正直男としても格好がつかない話だと思わないのかと仁聖は思う。こんな風に女性に詰めよって強請るなんてどう言うことと誰もが眉を潜めているし、それをこんな風にあからさまに大声で叫ぶなんて尚更間の抜けた話だ。が、同時にここまで激昂するほど、切実な約束だったのかとも思うし、金子が決定したことを覆さなかったとも言える。何か大きな計画の変更を覆さなかったということなのだろうが、これほど大事にするほどの何かを金子達が実行してきたということかと仁聖も翔悟も眉を潜めてしまう。
高々学生の身分で、計画することってなんだ?
仁聖と翔悟が互いにそれを考えているのは言うまでもないが、少なくともここでのこの騒動は金子の本意ではない筈だ。その証拠に金子の方がいい加減にしてとか、もうやめてという制止の言葉を散々に口にしているのが聞こえる。それに反論して答えを変えさせようとしているのは相手の男の方なのは分かっているのだが、誰もが面倒臭いことに巻き込まれるのを避けて眉を潜めて遠巻きにするだけだ。
「やめてよ!もう!」
「なんだよ!自分が持ちかけたんじゃないか!!」
「だから、それは分かってるわよ!それで、私からやめるって言ってるんでしょ?!」
傍目にはこうなるとただの痴話喧嘩に聞こえなくもないが、流石に声の剣呑さにリリアが堪えきれなくなったように視線をあげて能面のままで立つ青年に顔を向けたのが見えた。そして短い言葉で執事の筈の青年に、主が命令を下すのが分かる。
「Weise.Stop a quarrel.」
え?あれをどうやって止めるの?と仁聖が思った時には、既にヴァイゼはリリアの背後から滑るように動き出していた。滑らかで音も立てない青年の動きに気がついているのはヴァイゼを正面にみていた仁聖だけで、翔悟ですら金子達に気をとられているのか青年の動きにまだ気がつかない。数多く並んだ学食の人の座る座席を、まるで椅子などないように気にもかけない滑る動きで歩いていく青年に仁聖は目を丸くしてしまう。
なんか…………鳥飼みたい
誰の目にも触れる前に言い合う二人に近づいたヴァイゼは、唐突に口論している男の方に手を伸ばしていた。その長身の長い腕の先の掌が突然男の顔を覆ったのは、当人にはまるで顔にハンカチでも被せたかのように見えた筈だ。突然に視界を遮られ大きな手で口元を覆われてしまった青年が驚きに声を詰まらせたのに、翔悟を初めとした周囲の何人もが今になってヴァイゼの存在に気がついて驚いたようにパチパチと目を瞬かせる。
「Sorry for interrupting you, but please be quiet.」
滑らかな抑揚のない口調で、すみませんが静かにしてくださいと告げるヴァイゼに、金子だけでなく男の方も少なくとも周囲の目があるのを思い出したように黙りこむ。見事に騒動を制御したヴァイゼは平然とした様子で男から手を離すと、再び音も立てずにスルスルとリリアの背後に戻って止めましたと淡々と報告する有り様。誰もがあっという間の出来事に唖然としているし、我に帰った金子達も流石にそのまま学食で食事とはいかないように気まずそうにそそくさとその場を立ち去るのが見えていた。
※※※
誰かにアピールして、自分がこういう人間だと思わせる。
それは宏太には、上原杏奈をどうしても思い起こさせる。上原杏奈は自分は悪女であって人を騙すのをなんとも思わない女だと、常に宏太や彼女を知る人間に対して装い続けていたのを思い出していた。男を騙して金品を手にいれる事で最終的に大きな目的を果たそうとした彼女は、本来は頭の良い真面目な人間だったのだ。それでも彼女は自分の境遇と最悪の経験を直隠しにしながら、目的のために高額の金銭を欲していて周囲を欺き続けた。自分だけでなく愛する人にすら自分を欺く彼女の事をこうして考えてしまうと、何故か金子美乃利にも同じことが言えるような気がしてしまう。
金子美乃利も何かのために自堕落で馬鹿なお嬢様を演じている可能性
それを晴に指摘されてみると確かにここまでの状況から考えるて、その可能性は強ち間違ってはいない気がする。それをすることで何か金子美乃利自身の目的を達しようとしているのだとしたら、その目的は騒動を頻回に起こしている場所に関係するのではないだろうか。
大学とここら近辺、そこに何か共通するものがあるのか
つまりはそこで騒動を起こすと何処かに伝わるとか?そう考えると、他では騒動を起こさないし豪遊も決まった場所でしかしてないのにも、そこでないと駄目なのではと思えてしまう。なら、源川仁聖を選んだ理由も、仁聖がその目的に適した場所にいる相手だったからか?
「…………了。」
「ん?」
手招かれて宏太に歩み寄った了に、宏太は気がついたことについて徐に口を開いていた。
比護耕作が営業マンを語り外崎宏太とコンタクトをとろうとした金子物流の新規事業はさておき、金子物流自体は全うな経営で安定した事業を展開している会社である。が、その一人娘が何故か大学生になって直ぐに、今までの生活とは一変して男遊びをしたり夜な夜な街を遊び歩いている。
宏太の周囲に金子の名前が出るようになって密かに金子物流に関係する調査はされていて、社長夫妻だけではなく先代の社長夫妻や親戚、おまけに件の一人娘・金子美乃利の家系は既に宏太の中では網羅してある。ただし今のところ金子社長夫妻や親戚には表も裏も問題になりそうな事は起こっていないし、会社自体の経営もクリーンで緩やかな昇り調子で問題は生じていない。その中で唯一問題になる得る事と言えば、この一人娘の素行は問題になり得るのだろうか。
目立つ………………
高校生までの金子美乃利は、近郊のエスカレーター式のミッションスクールに通う完璧なお嬢様だった。駅から同じ学校に通う女子生徒やシスターと一緒に楚々と公共交通機関のバスに乗り、帰り道でも寄り道すらしない完璧なお嬢様でしかなかったのだ。金子が幼稚園から高校までのミッションスクール生活を終えて大学生になった途端、様変わりしたのは大学生活という今迄と異なる解放感のせいだろうか。あえて目立つように行動しているように見えると藤咲は言うし、仁聖の方は邪険にしているのにしつこく絡まれていて目立って困ると藤咲には話しているようだ。だが基本的に金子が騒ぎを起こしているのは大学構内とここいら近辺であって、それは他の繁華街とかでは起こっていない。ここいら近辺に金子美乃利に関係するのは金子物流のビルがある程度で、金子物流から駅の間には情報が入るワインバー・エキリブレがあるの。これには何か誰もが納得できる理由が生じる余地があるだろうか、と宏太は黙り込み眉を潜めて考えている。
「んー………………一人娘ねぇ……。経営関係には進まなかったんだね、この子。」
「そういわれればそうだな。」
背後でプチプチと書類を眺めながら先に呟いたのは結城晴で、その手にあるのは調べてきた金子家系に関する情報のシートだ。金子物流は先代から長男である今の社長に代替わりして既に二十年、現社長の手腕としても中々世情を鑑みて事業展開を行える人間のようだ。社内にごたつきもないし経営自体も安定しているから、社内での社長の信頼も厚いことだろう。何しろ社内情報を調べる時に晴がコンタクトを取った相手は、酒を飲ませながら社内自慢を延々と続けたらしく晴が珍しい会社かもーと呆れたくらいなのだ。
そんな中で現社長が、社長になる直前で産まれた娘が現状異様な程に夜遊び歩いている。それに関して両親はどう考えているかは分からないところではあるが、一人娘は経済学部やら何やらではなく文学部なのは事実だ。まあ、女児だからと世襲するつもりもない可能性もあるし、当人でなく当人の結婚相手とか、学業を終えてから実地で身に付けるとか色々手段はある。
「他に継ぐような年頃の人間いないんだね。社長の兄弟は他職種で、それぞれ安定してるもんね。」
「兄弟は公務員に医者…………確かに物流には来ないな。兄弟の子供も……か。」
了と晴がそんなことを情報シートを眺めて話しているのを横に、なんでここで仁聖なのかとは宏太も首を捻る。確かに他の奴らに比べれば頭一つか二つ分くらいハイスペックな人間だとは思うが、散々粉をかけても邪険に扱うような男を引き入れて得するのだろうか。しかも他にも何人も取り巻きを揃えていて、久世のようなかなり頭の切れるタイプの頭の良い男なんかもいたわけだ。
別に誰でも良いとも見えるんだがな…………
誰でも良いが、なるべくならハイスペックな方がいい?そんな適当な考えで、これまでに起きたようなこんな騒ぎを起こす必要性があるのだろうか。それは電話の向こうの藤咲にしても同様の考えで、ここまで派手な行動のわりに金子自身がそれを望んでいない節のあるのに強い違和感があるのだというのだ。ミッションスクールで厳格に育てられた反動の可能性はあるけれど、とは言え金子美乃利は取り巻きの誰一人と交際もしていないし性行為どころかキス一つすらしていないと思われるのだ。
「誰かにさぁ、私はこんなんだからって思われたいのかねー?」
不意にその言葉が耳に入って、頭の中には何故か過去に触れた人間が浮かぶ。
それは外崎宏太が助けようとして助けられなかった女性で、その人は自分の娘を助けるために自分を犠牲にしたのだった。犠牲にならずに自分が幸せになる道を選べと宏太は何度も忠告したのに、彼女……上原杏奈は自分を偽り続けていて、誰にも本当の自分を見せようとしなかった。そして、最後には寒い冬の夜に死んだ上原杏奈。それを思い出したのに戸惑いながら、宏太は黙り込んだままでいる。
『どう言うこと?』
「だからさ、自分はこんな人間だよってアピッてるように感じない?信夫さん。それってさー。」
藤咲の問いかけに晴が呑気な口調で書類を眺めながら口にした言葉に、宏太は改めて思い出したように眉を潜めていく。
※※※
学食の入り口で起こり始めた騒動は、誰もがゆったりと寛ぐ長閑な空気を一瞬で打壊してしまっていた。既に食事を始めていた三人とリリアの背後に立つヴァイゼは、何事かと言いたげな視線を入り口の方へと向けている。学食の入り口にはもう人垣が出来ていて、座っている三人には何が起こっているかは見えない。が、リリアの背後に立ったままでいる長身のヴァイゼには、そこで何が起きているか見えたらしい。
「The woman from yesterday.A woman who did something rude.」
昨日の無礼なことをした女性という彼の一言で、花街でリリアの手を払ってヴァイゼに手を捕まれた金子美乃利の事だと仁聖にもリリアにも分かる。金子の存在に相変わらず揉め事の種を持って来ようとしているのかとウンザリした顔になる仁聖に、視線を向けたままのヴァイゼは金子が他の誰かと揉めているようだと冷ややかに口にした。立ったまま顔を向けているヴァイゼにしてみても主人であるリリアに無礼な行動をとったという点では、彼女にいい感情はない様子なのが顔には全く出ないが様子からも分かる。つまりはこの喧騒は自分達と関係がない事らしいのは分かったが、それでも口論の声が学食の中に紛れ込んできて甲高い声で怒鳴っているのが響き出す。
「もう、終わりだって言ってるでしょ!?」
「そんな、話が違う!!」
「だから終わりよ、やめるって言ってるの!」
金子美乃利の苛立つ金切り声に食い下がっているのは、奇妙な程にヒステリックに響く男の声。恐らくは取り巻きになっていた内の一人の声だと分かるが、それは何時ものように猫なで声の金子へのご機嫌とりの声ではない。
「手伝ってくれるって言うから従ってきたんだろ?!」
「だから、終わりにするって言ってるでしょ!?」
二人の喧騒の声は更に大きくなって、学食にいる他の学生達も落ち着かない様子でその様を眺めている。金子が男に何を支援する約束だったのかは知らないが、少なくとも取り巻きの中には具体的に支援を対価に取り巻きに加わっていた人間もいるということだ。しかもここに来て突然だがそれが破綻して、こんなあからさまな口論が繰り広げられている。しかも、その声が大きくなりつつあるところをみると、二人が学食内に次第に移動してもいるのが分かるし、他の取り巻き連中は傍にいないらしい。
「しつこいわね!終わりって言ったら終わりなのよ!」
「自分勝手すぎるだろ!」
「元々手伝うなんて言ってない!自分が勝手にそう思ってたんでしょ?!」
「そんな…………っ!」
金子に何かを手伝わせる約束を反故にされた。それは確かに男には大きい変化なのかもしれないだろうが、だけどそれを執拗に求めるのは正直男としても格好がつかない話だと思わないのかと仁聖は思う。こんな風に女性に詰めよって強請るなんてどう言うことと誰もが眉を潜めているし、それをこんな風にあからさまに大声で叫ぶなんて尚更間の抜けた話だ。が、同時にここまで激昂するほど、切実な約束だったのかとも思うし、金子が決定したことを覆さなかったとも言える。何か大きな計画の変更を覆さなかったということなのだろうが、これほど大事にするほどの何かを金子達が実行してきたということかと仁聖も翔悟も眉を潜めてしまう。
高々学生の身分で、計画することってなんだ?
仁聖と翔悟が互いにそれを考えているのは言うまでもないが、少なくともここでのこの騒動は金子の本意ではない筈だ。その証拠に金子の方がいい加減にしてとか、もうやめてという制止の言葉を散々に口にしているのが聞こえる。それに反論して答えを変えさせようとしているのは相手の男の方なのは分かっているのだが、誰もが面倒臭いことに巻き込まれるのを避けて眉を潜めて遠巻きにするだけだ。
「やめてよ!もう!」
「なんだよ!自分が持ちかけたんじゃないか!!」
「だから、それは分かってるわよ!それで、私からやめるって言ってるんでしょ?!」
傍目にはこうなるとただの痴話喧嘩に聞こえなくもないが、流石に声の剣呑さにリリアが堪えきれなくなったように視線をあげて能面のままで立つ青年に顔を向けたのが見えた。そして短い言葉で執事の筈の青年に、主が命令を下すのが分かる。
「Weise.Stop a quarrel.」
え?あれをどうやって止めるの?と仁聖が思った時には、既にヴァイゼはリリアの背後から滑るように動き出していた。滑らかで音も立てない青年の動きに気がついているのはヴァイゼを正面にみていた仁聖だけで、翔悟ですら金子達に気をとられているのか青年の動きにまだ気がつかない。数多く並んだ学食の人の座る座席を、まるで椅子などないように気にもかけない滑る動きで歩いていく青年に仁聖は目を丸くしてしまう。
なんか…………鳥飼みたい
誰の目にも触れる前に言い合う二人に近づいたヴァイゼは、唐突に口論している男の方に手を伸ばしていた。その長身の長い腕の先の掌が突然男の顔を覆ったのは、当人にはまるで顔にハンカチでも被せたかのように見えた筈だ。突然に視界を遮られ大きな手で口元を覆われてしまった青年が驚きに声を詰まらせたのに、翔悟を初めとした周囲の何人もが今になってヴァイゼの存在に気がついて驚いたようにパチパチと目を瞬かせる。
「Sorry for interrupting you, but please be quiet.」
滑らかな抑揚のない口調で、すみませんが静かにしてくださいと告げるヴァイゼに、金子だけでなく男の方も少なくとも周囲の目があるのを思い出したように黙りこむ。見事に騒動を制御したヴァイゼは平然とした様子で男から手を離すと、再び音も立てずにスルスルとリリアの背後に戻って止めましたと淡々と報告する有り様。誰もがあっという間の出来事に唖然としているし、我に帰った金子達も流石にそのまま学食で食事とはいかないように気まずそうにそそくさとその場を立ち去るのが見えていた。
※※※
誰かにアピールして、自分がこういう人間だと思わせる。
それは宏太には、上原杏奈をどうしても思い起こさせる。上原杏奈は自分は悪女であって人を騙すのをなんとも思わない女だと、常に宏太や彼女を知る人間に対して装い続けていたのを思い出していた。男を騙して金品を手にいれる事で最終的に大きな目的を果たそうとした彼女は、本来は頭の良い真面目な人間だったのだ。それでも彼女は自分の境遇と最悪の経験を直隠しにしながら、目的のために高額の金銭を欲していて周囲を欺き続けた。自分だけでなく愛する人にすら自分を欺く彼女の事をこうして考えてしまうと、何故か金子美乃利にも同じことが言えるような気がしてしまう。
金子美乃利も何かのために自堕落で馬鹿なお嬢様を演じている可能性
それを晴に指摘されてみると確かにここまでの状況から考えるて、その可能性は強ち間違ってはいない気がする。それをすることで何か金子美乃利自身の目的を達しようとしているのだとしたら、その目的は騒動を頻回に起こしている場所に関係するのではないだろうか。
大学とここら近辺、そこに何か共通するものがあるのか
つまりはそこで騒動を起こすと何処かに伝わるとか?そう考えると、他では騒動を起こさないし豪遊も決まった場所でしかしてないのにも、そこでないと駄目なのではと思えてしまう。なら、源川仁聖を選んだ理由も、仁聖がその目的に適した場所にいる相手だったからか?
「…………了。」
「ん?」
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