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第十六章 FlashBack2
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以前にもこれと同じようなことが一度あった。
それをこうして今になって考えてみれば、あの時も確か丁度今くらいの時期だった筈なのだと気がつく。あれはまだ仁聖が高校生になるかならないかの頃のことで、恭平はろくに食事もせず眠りもせず仕事にひたすらに没頭していたのだ。当時はそれ程に仕事が忙しいのかと思いもしていたのだが、定期的に訪れていた仁聖が偶々やって来たら恭平が書斎で倒れているのを見つけたのだった。当時まだ子供だった仁聖はそれにどう対応していいか全く分からなくて、慌てて村瀬真希(勿論当時はまだ坂本真希だったが)に助けを求める電話を掛けていたのだ。そして救急車で運ばれて病院で目を覚ました恭平に、仁聖は訳が分からず怯えていて今日よりも更にベソベソと泣いていたように思う。
「ん…………じ、んせ…………?」
唐突に強く仁聖に抱き寄せられて腕に納められたのに、ふと意識を揺り起こされた恭平が腕の中で意識を取り戻して弱い声で呟く。まだ血の気のない蒼白な顔で恭平は自分に何が起こったのか理解できていないままの視線を上げていて、仁聖は思わず唇を噛みながら抱き締めた恭平の表情を見つめている。戸惑い揺れながらここが何処なのか確認するように辺りに視線を向けて、恭平は何が起こったのかと問いたげな声を出す。
「お、れ…………?」
やがてユルユルと辺りを見渡す視線は、そこが書斎で自分がどうなったのか少しずつ理解できてきたみたいにパチパチと瞬きを繰り返す。そして恭平が何が起きたか理解してなんとか体を自力で起こそうとしていて、仁聖は思わず抱き締める動作でその動きをいなし再び確りと腕の中に包み込んでしまう。抱き締められた方の恭平は、自分が倒れたのだと気がついた様子で躊躇い勝ちに自嘲気味に弱々しく呟く。
「悪い…………、ちょっと……気が緩んだ…………だけ……なんだ。」
そう囁く恭平に仁聖は言葉が繋げず、強く恭平の体を抱き締めたまま。恭平に何が起きたか仁聖だって分かっているし、同時に何故こんなことが起きるのかもちゃんともう理解していた。去年の今頃も恭平は少しずつ様子がおかしくなっていて、丁度恭平の誕生日からあの日の辺りには夜に眠れないと一人でリビングで酒を飲んでいたのを思い出す。
仁聖と一緒に暮らすようになって大概は一緒にベットに横にはなっているし、仁聖が傍にいるようになって自分の体に気を付けるようにもなった恭平。けれど今年にはいってというか、自分と過ごすようになってからというものの、恭平にも色々なことが起こりすぎているのだ。自分が傍にいることで起こった沢山の事、それに何とか自分で納得させながら恭平自身が気持ちと折り合いをつけて来た出来事。
マトモに考えたら、心が折れてしまいそうなことばっかり…………
しかもこの夏以降は仁聖自身の方も、自分の事ばかりに目を向けすぎていた気がする。モデルのバイトの事もそうだったが、南尾のストーカーやら高橋至の件やら仁聖の事ばかりで恭平には心配をかけていて、恭平に負担ばかりかけてしまっていた。それに恭平自身にも三月には成田了に襲われたり、その時の余波で花街の外れで倒れたりもしている。そして何よりもこの時期になると恭平は精神的にも体調も不安定になるのが分かっていて、こんなにも今は負担がかかっているのだから恭平がより不安定になる可能性が高まっていることを完全に失念していた。
ごめん…………俺、自分の事ばっかり…………
毎年この時期はそうなるのだと、去年既に恭平は自分から仁聖に話していたのだ。自分の誕生日がきて母親の命日が近づくと、悪夢を見るから眠れなくなるのだと頼り無げな表情で囁いていた恭平の顔。それが鮮明なフラッシュバックのように頭に過って仁聖は唇を噛んだまま、恭平のことをもう一度確りと抱き締めていた。何か引っ掛かっていると感じていたのはそれだ、毎年なっていたのに今年はないなんて何故過信していたのだろう。
「じん、せ?」
「…………気持ち、悪くない?…………横に……なる?」
意識を僅かの時間失っていたのだと自分でも気がついた恭平が大丈夫だと立ち上がろうとするのに、仁聖は迷わずその動きを遮り恭平を抱き上げる。そうして抱き上げてしまえば、分かっていて目を瞑って来たことが尚更直に仁聖にも感じ取れてしまう。
凄く…………軽くなってる…………
夏頃花街で倒れた時にガタガタと体重を落としてしまった恭平を、何とか太らせようと外崎了と二人で画策して来たし幾分体重を戻しもしたのだ。それでも今こうして抱き上げてしまえば、恭平の体はハッキリ言えば仁聖には羽根のように軽い。同時につい先日結城晴に細いと腰を掴まれていた時には、既に体重は減り始めていた筈なのも見過ごしてしまっていた。幾ら恭平が華奢だからって身長では晴の方が十センチ近く低いのに、体重や腰回りが晴より細いなんてあり得ない。
抱き上げられてしまった恭平が苦笑いで平気だからと繰り返すのに、仁聖は少し怒ったように駄目と宣言して歩き出していた。ここで病院に行った方がいい?と仁聖が問いかけても、きっと当然のように恭平は一寸眩暈がしただけだからと拒絶するに違いない。それが分かっているから、仁聖は恭平を抱き上げたまま迷わずベットに足を向ける。
「………………俺……少しいい気になってた…………。」
「え…………?」
「ごめん、恭平。」
ポツリと呟いた唐突な仁聖の言葉に恭平は訳が分からずキョトンとしているが、自分の事ばかりで何より気にかけておかないとならなかったことを仁聖は幾つも見逃していたのだ。自分の周囲の変化と自分自身の変化は確かに大きいし、様々な感覚は生まれて初めての経験でもある。それでも何より優先するのは恭平であって、恭平を疲弊させるだけなんて有り得ないとあんなに思っていたのに。
何やってるんだよ…………俺は…………
そっとベットに寝かせた恭平の額の髪を、傍に膝まづいた仁聖の指がサラリと撫でていく。恐らく自分が大学に行ったりバイトをしていたりして傍にいない間、恭平は以前の独り暮らしだった頃と殆ど大差のない生活をしていたに違いない。こうして考えてしまえば、それは明らかなこと。食事もソコソコにまだ締め切りの期日まで余裕がある仕事を詰め込んでいたのはそのせいだろうし、恭平が最近朝一緒に起きれなくなっていたのは自分との性行為だけが問題ではなくて恐らくちゃんと夜眠っていなかったのだ。ほんの少し気を付けていれば仁聖なら直ぐに分かった筈のことを、自分の事ばかり気にしていたから見ていたのに見逃してしまっていた。
「仁聖…………?」
でも今更それを仁聖が指摘したからといって、恭平だってわざとそうしているわけではない。この時期になると恭平は様々な恐怖心から、無意識にそうしてしまうのだと自分でも分かっていて、ちゃんとそう話していたのだ。サラリと撫でていく仁聖の指が心地いいのか既にウトウトし始めた恭平の様子に、仁聖は仄かに笑みを浮かべて眠っていいよと柔らかな声で囁きかける。
「で、も………じん、せ…………。」
「俺が……こんなに心配かけたから………疲れたんだよ、ね?ごめんね?……俺、傍にいるから、寝て?」
そう言い聞かせるように優しく仁聖が囁くと、まるで電池が切れたようにあっという間に恭平がコトンと眠りに落ちて行くのが分かる。それが尚更仁聖が感じている通りなのだと証明しているのに気がつきながら、仁聖は思い詰めたように恭平の寝顔を見つめたままでいた。
※※※
源川仁聖を取り巻きにしたい理由。
それを一言で言えば、源川仁聖は途轍もなく目立つからだ。顔も頭もよくて、スタイルも抜群でハイスペックで目立つ人間。それが何よりも必要な事でそれを多数侍らせて、豪遊し街中を歩き回ることで自分がそうしていると噂になる必要があった。
「で?何が目的なのかなぁ?金子物流のおじょーちゃん。」
それでも源川仁聖は思う通りにならなくて自分を拒絶したが目立つのには役に立ったし、街中で出会って思う通りでなくても会話を交わしている姿を何度か見せることで一先ずは必要な程度の噂はたちつつあったように思っている。それなのに今ここで妙に威圧感のある男女に詰め寄られ、自分の行動の疑問点をあげられているのは何故かと思う。しかも目の前の威圧感のある男女が、自分の身元も認識しているのは金子物流を持ち出されたので明らかだ。
「別に?イケメンを彼氏にしたいのに理由なんて他にないわよ?」
当然のように口にする言葉は傍目には違和感がない筈なのは、大学生になって一年目のミスキャンパスになった時からそういう風に見えるように金子美乃利自身が努めて振る舞ってきたからだ。イケメンやスタイルの良さそうな取り巻きを引き連れて歩く金持ちで美人の女子大生、しかも少し我儘で男を振り回すような世間知らずのお嬢様。そんなタイプの人間が源川仁聖とか佐久間翔悟のような見た目のいい男を、簡単にスルーする筈がない。それだけの理由を押し通してもおかしくない筈の行動を、美乃利は一年も続けてきた。
「彼氏…………かーれしねえ?」
ニッコリと笑う女の方はジロジロと美乃利の顔を覗き込むように見て何か気に入らない気配を醸しているし、ソファーの後ろにたつがたいのいい少し渋い感じの長身の男も美乃利の言葉には納得していない気配を滲ませている。イケメン彼氏を欲しがる理由なんて、難しいものなんかあり得ない筈なのに何でこの二人は納得しないのだろうと美乃利も不審に思う。
「でーもさ?お嬢様、割合イケメンなのも多数侍らせてて、彼氏いないわよね?」
「関係ないでしょ?何人男がいたって。」
全部を彼氏にしたいなんて言ってないしとソッポを向く美乃利に、ソファーの後ろに腕を組んで立っていた男の方が目を細める。子供染みた言い訳は筋が通っているように見えるが、実質誰か一人と付き合いたくてやっているわけでもなければ誉めそやされるのが楽しそうには見えないのは八幡万智にも藤咲信夫にも共通の見解。何故なら金子美乃利は源川仁聖に声をかけている時、取り巻きを完全に無視している。普通取り巻きにチヤホヤされるのが目的なら、常に他の相手にも意識は向くもので、あんな風に知らぬ間に取り巻きが逃げ出すのを許す筈がない。
女王蜂が働き蜂が逃げ出すの赦すなんておかしいわよねー
それが万智の意見で、夜の蝶の御姉様方をよく知る万智の見解は正しい。どう考えても取り巻きを増やしたい人間の行動としては辻褄が会わないし、仁聖を本当に取り巻きにしたいなら毛虫のように嫌がられている今の状況を全く正そうとしないのもおかしいのだ。
「イケメン彼氏がほしいなら、もっとやりようがあるわよねー。」
「そんなの関係ないわよ、私が欲しいの、イケメンが。それだけ。」
そう押しきろうとしている美乃利の言動を眺めていた藤咲は、美乃利が無意識に手を口元に上げながら僅かに視線を左に動かすのに気がつく。モデルなんて仕事柄多数の人間に接する機会が多かった藤咲の特技は人の顔を記憶することと、もう一つ。因みに人の顔の記憶に関しては、外崎宏太ですら敵わない特殊な認識力なので化粧なんかで印象を変えても骨格で見分けるなんて技能がある。そして、もう一つは心理学者でもなければ心理学を勉強したこともないのだが、相手が嘘をいったりすると大概のことは見抜くことができるのだ。
そして今目の前の金子美乃利は確実に一つ嘘をついていて、欲しいものはイケメン彼氏ではないと言うことだ。人間というものは嘘をつく時に顔を触りだす傾向がある生き物で、顔のどの部分を触りだしても怪しいのだが、特に口や鼻、アゴなど口元を触りだす傾向が強い。人は本能的に相手の口元を見て会話するので、無意識のうちに嘘をついている自分の口を隠そうという心理が働くからだと考えらるらしい。無意識とは言え口だけを隠すでは不自然なので、鼻を掻いたり、アゴを触ったりすることで自然に口元が隠れるようにしているとも考えらるし、タバコに火をつける仕草なんかも口元を隠している可能性があるわけだ。そして同時に視線も嘘をつく時に右利きの人間は、相手から見て右上を見上げるような視線になるものだ。これは言語を司るのは左脳なので、嘘の言葉を考えている時には左脳が支配している右半身、右上に視線がいくものらしい。逆に本当のことを言っている時には、右脳を働かせるので、相手から見て左上を見上げるような視線になる。ただし、これは右利きの人の場合で、左利きだとパターンが違うので左利きの嘘を目で見破ることは難しいと思われている。
ただし金子美乃利は右利き。しかも金子美乃利は直情型だから、イケメンがほしいという言葉は嘘だな。
それをこうして今になって考えてみれば、あの時も確か丁度今くらいの時期だった筈なのだと気がつく。あれはまだ仁聖が高校生になるかならないかの頃のことで、恭平はろくに食事もせず眠りもせず仕事にひたすらに没頭していたのだ。当時はそれ程に仕事が忙しいのかと思いもしていたのだが、定期的に訪れていた仁聖が偶々やって来たら恭平が書斎で倒れているのを見つけたのだった。当時まだ子供だった仁聖はそれにどう対応していいか全く分からなくて、慌てて村瀬真希(勿論当時はまだ坂本真希だったが)に助けを求める電話を掛けていたのだ。そして救急車で運ばれて病院で目を覚ました恭平に、仁聖は訳が分からず怯えていて今日よりも更にベソベソと泣いていたように思う。
「ん…………じ、んせ…………?」
唐突に強く仁聖に抱き寄せられて腕に納められたのに、ふと意識を揺り起こされた恭平が腕の中で意識を取り戻して弱い声で呟く。まだ血の気のない蒼白な顔で恭平は自分に何が起こったのか理解できていないままの視線を上げていて、仁聖は思わず唇を噛みながら抱き締めた恭平の表情を見つめている。戸惑い揺れながらここが何処なのか確認するように辺りに視線を向けて、恭平は何が起こったのかと問いたげな声を出す。
「お、れ…………?」
やがてユルユルと辺りを見渡す視線は、そこが書斎で自分がどうなったのか少しずつ理解できてきたみたいにパチパチと瞬きを繰り返す。そして恭平が何が起きたか理解してなんとか体を自力で起こそうとしていて、仁聖は思わず抱き締める動作でその動きをいなし再び確りと腕の中に包み込んでしまう。抱き締められた方の恭平は、自分が倒れたのだと気がついた様子で躊躇い勝ちに自嘲気味に弱々しく呟く。
「悪い…………、ちょっと……気が緩んだ…………だけ……なんだ。」
そう囁く恭平に仁聖は言葉が繋げず、強く恭平の体を抱き締めたまま。恭平に何が起きたか仁聖だって分かっているし、同時に何故こんなことが起きるのかもちゃんともう理解していた。去年の今頃も恭平は少しずつ様子がおかしくなっていて、丁度恭平の誕生日からあの日の辺りには夜に眠れないと一人でリビングで酒を飲んでいたのを思い出す。
仁聖と一緒に暮らすようになって大概は一緒にベットに横にはなっているし、仁聖が傍にいるようになって自分の体に気を付けるようにもなった恭平。けれど今年にはいってというか、自分と過ごすようになってからというものの、恭平にも色々なことが起こりすぎているのだ。自分が傍にいることで起こった沢山の事、それに何とか自分で納得させながら恭平自身が気持ちと折り合いをつけて来た出来事。
マトモに考えたら、心が折れてしまいそうなことばっかり…………
しかもこの夏以降は仁聖自身の方も、自分の事ばかりに目を向けすぎていた気がする。モデルのバイトの事もそうだったが、南尾のストーカーやら高橋至の件やら仁聖の事ばかりで恭平には心配をかけていて、恭平に負担ばかりかけてしまっていた。それに恭平自身にも三月には成田了に襲われたり、その時の余波で花街の外れで倒れたりもしている。そして何よりもこの時期になると恭平は精神的にも体調も不安定になるのが分かっていて、こんなにも今は負担がかかっているのだから恭平がより不安定になる可能性が高まっていることを完全に失念していた。
ごめん…………俺、自分の事ばっかり…………
毎年この時期はそうなるのだと、去年既に恭平は自分から仁聖に話していたのだ。自分の誕生日がきて母親の命日が近づくと、悪夢を見るから眠れなくなるのだと頼り無げな表情で囁いていた恭平の顔。それが鮮明なフラッシュバックのように頭に過って仁聖は唇を噛んだまま、恭平のことをもう一度確りと抱き締めていた。何か引っ掛かっていると感じていたのはそれだ、毎年なっていたのに今年はないなんて何故過信していたのだろう。
「じん、せ?」
「…………気持ち、悪くない?…………横に……なる?」
意識を僅かの時間失っていたのだと自分でも気がついた恭平が大丈夫だと立ち上がろうとするのに、仁聖は迷わずその動きを遮り恭平を抱き上げる。そうして抱き上げてしまえば、分かっていて目を瞑って来たことが尚更直に仁聖にも感じ取れてしまう。
凄く…………軽くなってる…………
夏頃花街で倒れた時にガタガタと体重を落としてしまった恭平を、何とか太らせようと外崎了と二人で画策して来たし幾分体重を戻しもしたのだ。それでも今こうして抱き上げてしまえば、恭平の体はハッキリ言えば仁聖には羽根のように軽い。同時につい先日結城晴に細いと腰を掴まれていた時には、既に体重は減り始めていた筈なのも見過ごしてしまっていた。幾ら恭平が華奢だからって身長では晴の方が十センチ近く低いのに、体重や腰回りが晴より細いなんてあり得ない。
抱き上げられてしまった恭平が苦笑いで平気だからと繰り返すのに、仁聖は少し怒ったように駄目と宣言して歩き出していた。ここで病院に行った方がいい?と仁聖が問いかけても、きっと当然のように恭平は一寸眩暈がしただけだからと拒絶するに違いない。それが分かっているから、仁聖は恭平を抱き上げたまま迷わずベットに足を向ける。
「………………俺……少しいい気になってた…………。」
「え…………?」
「ごめん、恭平。」
ポツリと呟いた唐突な仁聖の言葉に恭平は訳が分からずキョトンとしているが、自分の事ばかりで何より気にかけておかないとならなかったことを仁聖は幾つも見逃していたのだ。自分の周囲の変化と自分自身の変化は確かに大きいし、様々な感覚は生まれて初めての経験でもある。それでも何より優先するのは恭平であって、恭平を疲弊させるだけなんて有り得ないとあんなに思っていたのに。
何やってるんだよ…………俺は…………
そっとベットに寝かせた恭平の額の髪を、傍に膝まづいた仁聖の指がサラリと撫でていく。恐らく自分が大学に行ったりバイトをしていたりして傍にいない間、恭平は以前の独り暮らしだった頃と殆ど大差のない生活をしていたに違いない。こうして考えてしまえば、それは明らかなこと。食事もソコソコにまだ締め切りの期日まで余裕がある仕事を詰め込んでいたのはそのせいだろうし、恭平が最近朝一緒に起きれなくなっていたのは自分との性行為だけが問題ではなくて恐らくちゃんと夜眠っていなかったのだ。ほんの少し気を付けていれば仁聖なら直ぐに分かった筈のことを、自分の事ばかり気にしていたから見ていたのに見逃してしまっていた。
「仁聖…………?」
でも今更それを仁聖が指摘したからといって、恭平だってわざとそうしているわけではない。この時期になると恭平は様々な恐怖心から、無意識にそうしてしまうのだと自分でも分かっていて、ちゃんとそう話していたのだ。サラリと撫でていく仁聖の指が心地いいのか既にウトウトし始めた恭平の様子に、仁聖は仄かに笑みを浮かべて眠っていいよと柔らかな声で囁きかける。
「で、も………じん、せ…………。」
「俺が……こんなに心配かけたから………疲れたんだよ、ね?ごめんね?……俺、傍にいるから、寝て?」
そう言い聞かせるように優しく仁聖が囁くと、まるで電池が切れたようにあっという間に恭平がコトンと眠りに落ちて行くのが分かる。それが尚更仁聖が感じている通りなのだと証明しているのに気がつきながら、仁聖は思い詰めたように恭平の寝顔を見つめたままでいた。
※※※
源川仁聖を取り巻きにしたい理由。
それを一言で言えば、源川仁聖は途轍もなく目立つからだ。顔も頭もよくて、スタイルも抜群でハイスペックで目立つ人間。それが何よりも必要な事でそれを多数侍らせて、豪遊し街中を歩き回ることで自分がそうしていると噂になる必要があった。
「で?何が目的なのかなぁ?金子物流のおじょーちゃん。」
それでも源川仁聖は思う通りにならなくて自分を拒絶したが目立つのには役に立ったし、街中で出会って思う通りでなくても会話を交わしている姿を何度か見せることで一先ずは必要な程度の噂はたちつつあったように思っている。それなのに今ここで妙に威圧感のある男女に詰め寄られ、自分の行動の疑問点をあげられているのは何故かと思う。しかも目の前の威圧感のある男女が、自分の身元も認識しているのは金子物流を持ち出されたので明らかだ。
「別に?イケメンを彼氏にしたいのに理由なんて他にないわよ?」
当然のように口にする言葉は傍目には違和感がない筈なのは、大学生になって一年目のミスキャンパスになった時からそういう風に見えるように金子美乃利自身が努めて振る舞ってきたからだ。イケメンやスタイルの良さそうな取り巻きを引き連れて歩く金持ちで美人の女子大生、しかも少し我儘で男を振り回すような世間知らずのお嬢様。そんなタイプの人間が源川仁聖とか佐久間翔悟のような見た目のいい男を、簡単にスルーする筈がない。それだけの理由を押し通してもおかしくない筈の行動を、美乃利は一年も続けてきた。
「彼氏…………かーれしねえ?」
ニッコリと笑う女の方はジロジロと美乃利の顔を覗き込むように見て何か気に入らない気配を醸しているし、ソファーの後ろにたつがたいのいい少し渋い感じの長身の男も美乃利の言葉には納得していない気配を滲ませている。イケメン彼氏を欲しがる理由なんて、難しいものなんかあり得ない筈なのに何でこの二人は納得しないのだろうと美乃利も不審に思う。
「でーもさ?お嬢様、割合イケメンなのも多数侍らせてて、彼氏いないわよね?」
「関係ないでしょ?何人男がいたって。」
全部を彼氏にしたいなんて言ってないしとソッポを向く美乃利に、ソファーの後ろに腕を組んで立っていた男の方が目を細める。子供染みた言い訳は筋が通っているように見えるが、実質誰か一人と付き合いたくてやっているわけでもなければ誉めそやされるのが楽しそうには見えないのは八幡万智にも藤咲信夫にも共通の見解。何故なら金子美乃利は源川仁聖に声をかけている時、取り巻きを完全に無視している。普通取り巻きにチヤホヤされるのが目的なら、常に他の相手にも意識は向くもので、あんな風に知らぬ間に取り巻きが逃げ出すのを許す筈がない。
女王蜂が働き蜂が逃げ出すの赦すなんておかしいわよねー
それが万智の意見で、夜の蝶の御姉様方をよく知る万智の見解は正しい。どう考えても取り巻きを増やしたい人間の行動としては辻褄が会わないし、仁聖を本当に取り巻きにしたいなら毛虫のように嫌がられている今の状況を全く正そうとしないのもおかしいのだ。
「イケメン彼氏がほしいなら、もっとやりようがあるわよねー。」
「そんなの関係ないわよ、私が欲しいの、イケメンが。それだけ。」
そう押しきろうとしている美乃利の言動を眺めていた藤咲は、美乃利が無意識に手を口元に上げながら僅かに視線を左に動かすのに気がつく。モデルなんて仕事柄多数の人間に接する機会が多かった藤咲の特技は人の顔を記憶することと、もう一つ。因みに人の顔の記憶に関しては、外崎宏太ですら敵わない特殊な認識力なので化粧なんかで印象を変えても骨格で見分けるなんて技能がある。そして、もう一つは心理学者でもなければ心理学を勉強したこともないのだが、相手が嘘をいったりすると大概のことは見抜くことができるのだ。
そして今目の前の金子美乃利は確実に一つ嘘をついていて、欲しいものはイケメン彼氏ではないと言うことだ。人間というものは嘘をつく時に顔を触りだす傾向がある生き物で、顔のどの部分を触りだしても怪しいのだが、特に口や鼻、アゴなど口元を触りだす傾向が強い。人は本能的に相手の口元を見て会話するので、無意識のうちに嘘をついている自分の口を隠そうという心理が働くからだと考えらるらしい。無意識とは言え口だけを隠すでは不自然なので、鼻を掻いたり、アゴを触ったりすることで自然に口元が隠れるようにしているとも考えらるし、タバコに火をつける仕草なんかも口元を隠している可能性があるわけだ。そして同時に視線も嘘をつく時に右利きの人間は、相手から見て右上を見上げるような視線になるものだ。これは言語を司るのは左脳なので、嘘の言葉を考えている時には左脳が支配している右半身、右上に視線がいくものらしい。逆に本当のことを言っている時には、右脳を働かせるので、相手から見て左上を見上げるような視線になる。ただし、これは右利きの人の場合で、左利きだとパターンが違うので左利きの嘘を目で見破ることは難しいと思われている。
ただし金子美乃利は右利き。しかも金子美乃利は直情型だから、イケメンがほしいという言葉は嘘だな。
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