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第十六章 FlashBack2
203.
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だから、余計に昔みたいに扱われるの…………嫌なんだろうな…………俺
ほんの一年半前までの仁聖は、恭平の代用品として女性と付き合ってきた。本心から好きなわけでもなくて一時の安らぎ程度に相手を代用品として使うのだから、仁聖の方もただの顔だけ身体だけの存在として使われても仕方がない、それで互いにギブアンドテイクなんだろう程度にしか感じなかったのだ。でも今の仁聖は愛しているという自覚を持っていて、その何よりも大事な恭平とこうして一緒に居られるようになったのだから、それがどんなに最低の行為なのかは言われなくても分かる。
相手が唯一だからこそ、自分のことも唯一の存在として扱って貰える…………。
それがどれだけ幸せなことか、今の仁聖にはちゃんと理解できるようになった。誰でも良いわけでなくて誰かの変わりでもなくて、仁聖を仁聖として認めて貰う事の出来る相手。そして相手にとってもそれは同じ事で、恭平だから誰よりも愛しくて大事な人なのだと仁聖が思っているのと同じなんだと恭平は教えてくれる。
もっと前からそれに気がつけていたら…………違ったのかな…………
それが本来なら親や兄弟からも少しずつ学んでいくのが普通の事なのに、仁聖はそれを知らなくて自分を認めて貰うこと自体も実は理解してこなかった。だからそれをこうしてユックリと丁寧に仁聖に教えてくれるのは全部恭平だけで、自分でなくても誰でもいいものと恭平が仁聖だから求めてくれる事は天と地程の差があるのだ。そしてそれを知ってしまったから自分をただの飾りとしてアイコンにされるのは凄く気分が悪くなる行動だと、仁聖の感じる感覚も塗り変わってしまった。
…………俺でなくてもいいことに、俺を巻き込むのはやめて。
そう金子美乃利に言いたくなるのは、金子が仁聖に求めているのは以前の仁聖がしてきたことと何も変わらないと思うからなのだ。誰でもいい顔だけの存在ならお面を被った誰かでもいい訳で、自分でなくても構わない。だからそんな扱いをされると分かっているのには当然拒絶するのだし、そうされる事を望みもしていないのに巻き込まれたくないのだ。仁聖が取り巻きになる必要だって、何一つ仁聖は持ち合わせないのだから、そうされたい人間だけを見繕って集めたらいいと思う。それに金子に従う男達が彼女の心が欲しい訳じゃなくて彼女の資金が欲しいからなのもハッキリ見えていて、高額バイトのある仁聖にはその資金は必要じゃない。不特定多数に好かれる必要もなければ、資金も自分で得られる方法をもっていて、誰かとセックスして快楽を求める必要もまるでないから。
だから、もうヘラヘラ愛想笑いする必要なんかないし
愛想をふって何かを得たい訳でもない仁聖が、男にチヤホヤされたいだけの金子に靡かず、更に彼女を面倒臭がるのは当然の結果なのだと理解して欲しい。同時に自分がこれを理解できるようになったのは恭平の存在があったからで、彼女にはそんな相手がいないのか知らないのかもとも思う。それでも、だからと言ってそれを自分が金子に教えてやる気にもならないし、それを自分がどうにかしてあげたい程の気持ちも浮かばないのだった。
だって、俺が嫌われたくないのは……一人だけ…………
その感情は狡いとは思うけれど、それが本音。以前みたいに誰か不特定多数に嫌われないための距離感なんてもう自分には要らないし、そんなことに費やすエネルギーは別なことに使うべきだ。そういうエネルギーは自分を一人前の男として、大人として成長させるために使う方が大事なのだと今は思う。ただ単に身体の成長や学力だけでなく、技能や経済力や、様々なこと。一人前の立派な大人の男の条件は山のようにあるのだから、今の仁聖にはまだまだ足りないものばかりでハードルは高い。
そのためには、遊んでなんかいられない…………
恭平とこれからずっと一緒に過ごしていられるための力が、仁聖にしてみたら自分に欲しいだけ。誰にも邪魔されない、恭平を傷つけさせないための力。言うなれば久保田惣一や外崎宏太や藤咲信夫、それに鳥飼信哉のような確固たる能力や存在感が欲しいだけ。
それに何よりも以前の自分に戻りたいなんて仁聖はもう考えられないし、大体にして前の自分に戻ったら恭平を失いかねない。そして恭平を失うような事は仁聖には絶対に耐えられる筈がないのだから、他の人間にどう見られるかなんて正直どうでもいい、自分を早く大人にしたいだけだ。
恭平だけが、大事
だから傷つけたくないし、泣かせたくないし、恭平に嫌われるようなことはしない。そうハッキリと心に誓っているのに、今みたいに、こんな風に年の差なんかを感じて寂しくなる。そんな風に変わった自分にも、本当は仁聖自身も戸惑いもしているのだ。何しろ以前の自分は寂しさなんて感じていなかった。この寂しさはここ数ヵ月で自覚して理解できるようになってしまったもので、恭平と一緒にいることが幸せであればあるほど寂しさは際立つ。
何でかな…………寂しい…………の
二人でいる時間が暖かくて幸せで満ち足りているのを知ったら、尚更のこと一人きりは寂しいのだと知ってしまった。楽しい事が一つ終わると奇妙な程にハッキリとした寂しさを胸に痛い程に感じてしまう自分に、こんな筈じゃない・ちゃんと幸せなのにと仁聖だって思っている。でも寂しさを感じるから、なおのこと一緒にいる時間もより幸せなのだとも。そんな戸惑う仁聖の心の声が聞こえたみたいに、不意に仁聖の視界の中で恭平が呼ばれたようにフワリと振り返り仁聖の方に視線を投げかけていた。
あぁ、凄く綺麗…………それに…………格好いい…なぁ……………
恭平の何気なく振り返る仕草ですら、仁聖の瞳には優雅に舞い柔らかに滑るような動きに見える。そして真っ直ぐに見詰めてくるキラキラと光る黒曜石の瞳が仁聖を視界に見つけてフッと緩み、その表情が綻ぶようにほどけて柔らかな微笑みに変わっていく。
遠目にも「仁聖」と名前を呟く口の動き。それと恭平の柔らかく甘い笑顔に惹かれて、思わずさっき迄の寂しさも忘れて歩み寄る仁聖に、恭平が何処と無くホッとした様子で「お帰り」と囁く。その反応に恭平と一緒にいた二人も仁聖に気がついたようで、和やかな様子で声をかけてくる。
「よぉ、仁聖だったよな?」
「………………どうも。」
そう少しだけ普段とは違う雰囲気で答えた仁聖に、恭平が少し不思議そうにパチパチと瞬きする。それは街中の喧騒のせいではなくて、基本的に仁聖は他人にはとても愛想がいい人間だから。少なくとも顔見知りの相手に、仁聖がこんな風に無愛想に挨拶することが恭平にもとても珍しいからだとは分かっていた。それでもやはり仁聖にしてみれば街中で恭平とこんな風に和やかに会話できる彼等に嫉妬心は拭えないし、自分だけがそれに加われないと寂しく感じるのに素直に納得は出来そうにもないのだ。
※※※
思う通りにいかない出来事が幾つも幾つも積み重なっていて、それに対する不満だけがみる間に膨らみ続けていく。その体で生活をするのが実は面倒だと言ったら今何人が自分の言葉を信じるだろうか、そう金子美乃利は頬杖をついて考える。
男を侍らせて、女王様のような傲慢な女。
今時そんな女がどれくらい本当にいると思っているのか、そう周囲に問いかけたくなる。それでも自分がそう言う女であると思わせておかないとならないし、それを周知させるのにはまだまだ足りない。
それにしても…………聞いてたのと違うわよ、源川仁聖。
実際のところ金子美乃利としては最初彼が取り巻きに入らないのは大学生活に慣れるので精一杯で、こういう楽しみ方をまだ知らないだけなのだと思っていた。何しろ事前に後輩達から入手していた前情報の源川仁聖は、後腐れのない女の誘いは断らない簡単に操れるお気楽タイプの超絶イケメン。それはかなり手駒に欲しいと思っていたのに、キャンパスで美乃利が顔をあわせたのは確かに超絶イケメンだけど身持ちの固い全く梃子でも動かない男だったわけで。しかも次第に現状の源川仁聖の情報を得る程にそれで自分の誘いを相手が拒絶しているのではないのも薄々分かりつつあるのだが、ここまで執拗に追いかけているのは半分美乃利が意地になってしまったせいもある。
自分がここまでしているのに
前年度のミスキャンパスで、今年もミスキャンパスになる予定の美人。しかもお金持ちのお嬢様で他にも何人も男を引き連れているなんて中々いない筈の存在として、自分は今の大学部内では断トツの逸材の筈だ。その点で美乃利がムキになって意地を張ってしまったのは確かに過ちだと認めるしかないが、ここまで目立ってしまったら逆にそれも利用する方が得策だと方向を変えたのはここだけの話し。
何せ向こうは建築学部の癖に、勅使河原教授のお気に入りだし
何しろ学力としてはそれほど特化していない自分が、アピール出来るポイントとして源川仁聖のその目立つ条件も使えるのなら利用しない手はない。元々自分には才女は無理だと知っているからこその、自分の唯一のセールスポイントを今のうちに磐石に強化しておきたいのは当然のこと。そして美乃利としては強化したアピールポイントをフルに有効利用して目的を果たしたいわけで、それには事実として源川仁聖を取り巻きに加えて箔をつけたかった。数も勿論必要だけど目立つということが美乃利としてはもっと重要で、有象無象が多数欲しい訳じゃない。
目立つ男が多数、その方がより自分も目立つし、尚且つ想定通りに見える筈
大学の構内で目立つだけでは不十分だから、良心的な価格帯ではあるが人目につくのを見越して人気のワインバーなんかも利用している。なるべく暴君のように我儘に振る舞って目立つなんて、ある意味では危険な賭けで失敗すれば逆効果になる可能性もあると自分でも思う。
でもそうすれば…………
自分の目的と方法とを考えてしまうと、自分のしていることは随分と回りくどい手間のかかる方法だとは美乃利だって思う。それでもこれを選ぶしかなかったのは今までも様々なことをしてきた結果で、遠回しでも今の美乃利の中ではこれでも一つの抵抗の形だからなのだ。
※※※
少しだけ不機嫌そうに見えている仁聖の横顔を眺めながら、恭平は何で不機嫌なのかとほんの少しだけ戸惑いながら並んで歩く帰途で爪先を見下ろす。そういえば元々は自分の方が仁聖がリリアーヌ嬢のことを教えてくれなかったと不機嫌だった筈なのに、何故かここに来て仁聖の反応が気になってしまっている。お陰で横に並んで街並みを外れ、住宅地の合間を歩きながらオズオズと恭平の方からどうかしたのかと問いかけてしまう。
「…………どうも、しないよ?なんで?」
それに対して仁聖の方は、何でそんなこと聞くのといいたげに更に不機嫌そうに視線を恭平からそらしたまま。大概は人に対してこんな対応をすることのない仁聖が、何故か最近特に不機嫌になるのはどうも鳥飼信哉の関係がある気がするのだ。
「何だか…………不機嫌そうに見えた……から。」
恭平が合気道をまたすることには反対しているわけでは無さそうだが、どうも信哉の話しとか信哉の友人なんて事を耳にしたり目にしたりした時に仁聖の不機嫌そうな様子をみている。それをどう問いかけたらいいのか分からないし、何でそこで不機嫌になるのかも今一つ判断しかねてしまう。
…………そういえば、篠と飲んで帰ってきた時も…………不機嫌だったっけ?
あれはまだ一緒に暮らす前のことだが村瀬篠と飲んで帰ってきた時も少しだけ不機嫌というか反応がおかしかったことはあるし、家で了や篠と飲んでいたと話したら電話口で不機嫌になったこともある。恭平は気にしていなくても仁聖には気になるんだと面食らったことがあった筈で、それは今回のことも当てはまるのだろうかと恭平はふと考えてしまう。でも確かに仁聖がいうことも理解できなくはないとは思うし、了はあの時はまだ成田了だったから言い分も尚更理解できた。
でも、信哉さんは梨央さんがいて子供も産まれるんだし…………
鳥飼信哉の立場はどちらかといえば、成田了とは違って性的なものは何一つない。それに今後は師匠と弟子という間柄になる訳で下手すれば兄弟みたいな関わりになりかねないのだが、仁聖の不機嫌は慣れてきたら緩和されるのだろうか。
「…………不機嫌…………の理由、俺には聞かれたくないか?」
思わずそう問いかけたら、仁聖の顔が今まで見たことのないものに変わる。それを何と表現したらいいのか、自分が不機嫌そうにしているのにすら納得していないと言いたげな、それでいてとても指摘されたくないことを指摘されたという顔。そんな顔をした仁聖を見たことがなくて、恭平が再び戸惑うのに仁聖はハッと我に返ったように顔を背けていた。
ほんの一年半前までの仁聖は、恭平の代用品として女性と付き合ってきた。本心から好きなわけでもなくて一時の安らぎ程度に相手を代用品として使うのだから、仁聖の方もただの顔だけ身体だけの存在として使われても仕方がない、それで互いにギブアンドテイクなんだろう程度にしか感じなかったのだ。でも今の仁聖は愛しているという自覚を持っていて、その何よりも大事な恭平とこうして一緒に居られるようになったのだから、それがどんなに最低の行為なのかは言われなくても分かる。
相手が唯一だからこそ、自分のことも唯一の存在として扱って貰える…………。
それがどれだけ幸せなことか、今の仁聖にはちゃんと理解できるようになった。誰でも良いわけでなくて誰かの変わりでもなくて、仁聖を仁聖として認めて貰う事の出来る相手。そして相手にとってもそれは同じ事で、恭平だから誰よりも愛しくて大事な人なのだと仁聖が思っているのと同じなんだと恭平は教えてくれる。
もっと前からそれに気がつけていたら…………違ったのかな…………
それが本来なら親や兄弟からも少しずつ学んでいくのが普通の事なのに、仁聖はそれを知らなくて自分を認めて貰うこと自体も実は理解してこなかった。だからそれをこうしてユックリと丁寧に仁聖に教えてくれるのは全部恭平だけで、自分でなくても誰でもいいものと恭平が仁聖だから求めてくれる事は天と地程の差があるのだ。そしてそれを知ってしまったから自分をただの飾りとしてアイコンにされるのは凄く気分が悪くなる行動だと、仁聖の感じる感覚も塗り変わってしまった。
…………俺でなくてもいいことに、俺を巻き込むのはやめて。
そう金子美乃利に言いたくなるのは、金子が仁聖に求めているのは以前の仁聖がしてきたことと何も変わらないと思うからなのだ。誰でもいい顔だけの存在ならお面を被った誰かでもいい訳で、自分でなくても構わない。だからそんな扱いをされると分かっているのには当然拒絶するのだし、そうされる事を望みもしていないのに巻き込まれたくないのだ。仁聖が取り巻きになる必要だって、何一つ仁聖は持ち合わせないのだから、そうされたい人間だけを見繕って集めたらいいと思う。それに金子に従う男達が彼女の心が欲しい訳じゃなくて彼女の資金が欲しいからなのもハッキリ見えていて、高額バイトのある仁聖にはその資金は必要じゃない。不特定多数に好かれる必要もなければ、資金も自分で得られる方法をもっていて、誰かとセックスして快楽を求める必要もまるでないから。
だから、もうヘラヘラ愛想笑いする必要なんかないし
愛想をふって何かを得たい訳でもない仁聖が、男にチヤホヤされたいだけの金子に靡かず、更に彼女を面倒臭がるのは当然の結果なのだと理解して欲しい。同時に自分がこれを理解できるようになったのは恭平の存在があったからで、彼女にはそんな相手がいないのか知らないのかもとも思う。それでも、だからと言ってそれを自分が金子に教えてやる気にもならないし、それを自分がどうにかしてあげたい程の気持ちも浮かばないのだった。
だって、俺が嫌われたくないのは……一人だけ…………
その感情は狡いとは思うけれど、それが本音。以前みたいに誰か不特定多数に嫌われないための距離感なんてもう自分には要らないし、そんなことに費やすエネルギーは別なことに使うべきだ。そういうエネルギーは自分を一人前の男として、大人として成長させるために使う方が大事なのだと今は思う。ただ単に身体の成長や学力だけでなく、技能や経済力や、様々なこと。一人前の立派な大人の男の条件は山のようにあるのだから、今の仁聖にはまだまだ足りないものばかりでハードルは高い。
そのためには、遊んでなんかいられない…………
恭平とこれからずっと一緒に過ごしていられるための力が、仁聖にしてみたら自分に欲しいだけ。誰にも邪魔されない、恭平を傷つけさせないための力。言うなれば久保田惣一や外崎宏太や藤咲信夫、それに鳥飼信哉のような確固たる能力や存在感が欲しいだけ。
それに何よりも以前の自分に戻りたいなんて仁聖はもう考えられないし、大体にして前の自分に戻ったら恭平を失いかねない。そして恭平を失うような事は仁聖には絶対に耐えられる筈がないのだから、他の人間にどう見られるかなんて正直どうでもいい、自分を早く大人にしたいだけだ。
恭平だけが、大事
だから傷つけたくないし、泣かせたくないし、恭平に嫌われるようなことはしない。そうハッキリと心に誓っているのに、今みたいに、こんな風に年の差なんかを感じて寂しくなる。そんな風に変わった自分にも、本当は仁聖自身も戸惑いもしているのだ。何しろ以前の自分は寂しさなんて感じていなかった。この寂しさはここ数ヵ月で自覚して理解できるようになってしまったもので、恭平と一緒にいることが幸せであればあるほど寂しさは際立つ。
何でかな…………寂しい…………の
二人でいる時間が暖かくて幸せで満ち足りているのを知ったら、尚更のこと一人きりは寂しいのだと知ってしまった。楽しい事が一つ終わると奇妙な程にハッキリとした寂しさを胸に痛い程に感じてしまう自分に、こんな筈じゃない・ちゃんと幸せなのにと仁聖だって思っている。でも寂しさを感じるから、なおのこと一緒にいる時間もより幸せなのだとも。そんな戸惑う仁聖の心の声が聞こえたみたいに、不意に仁聖の視界の中で恭平が呼ばれたようにフワリと振り返り仁聖の方に視線を投げかけていた。
あぁ、凄く綺麗…………それに…………格好いい…なぁ……………
恭平の何気なく振り返る仕草ですら、仁聖の瞳には優雅に舞い柔らかに滑るような動きに見える。そして真っ直ぐに見詰めてくるキラキラと光る黒曜石の瞳が仁聖を視界に見つけてフッと緩み、その表情が綻ぶようにほどけて柔らかな微笑みに変わっていく。
遠目にも「仁聖」と名前を呟く口の動き。それと恭平の柔らかく甘い笑顔に惹かれて、思わずさっき迄の寂しさも忘れて歩み寄る仁聖に、恭平が何処と無くホッとした様子で「お帰り」と囁く。その反応に恭平と一緒にいた二人も仁聖に気がついたようで、和やかな様子で声をかけてくる。
「よぉ、仁聖だったよな?」
「………………どうも。」
そう少しだけ普段とは違う雰囲気で答えた仁聖に、恭平が少し不思議そうにパチパチと瞬きする。それは街中の喧騒のせいではなくて、基本的に仁聖は他人にはとても愛想がいい人間だから。少なくとも顔見知りの相手に、仁聖がこんな風に無愛想に挨拶することが恭平にもとても珍しいからだとは分かっていた。それでもやはり仁聖にしてみれば街中で恭平とこんな風に和やかに会話できる彼等に嫉妬心は拭えないし、自分だけがそれに加われないと寂しく感じるのに素直に納得は出来そうにもないのだ。
※※※
思う通りにいかない出来事が幾つも幾つも積み重なっていて、それに対する不満だけがみる間に膨らみ続けていく。その体で生活をするのが実は面倒だと言ったら今何人が自分の言葉を信じるだろうか、そう金子美乃利は頬杖をついて考える。
男を侍らせて、女王様のような傲慢な女。
今時そんな女がどれくらい本当にいると思っているのか、そう周囲に問いかけたくなる。それでも自分がそう言う女であると思わせておかないとならないし、それを周知させるのにはまだまだ足りない。
それにしても…………聞いてたのと違うわよ、源川仁聖。
実際のところ金子美乃利としては最初彼が取り巻きに入らないのは大学生活に慣れるので精一杯で、こういう楽しみ方をまだ知らないだけなのだと思っていた。何しろ事前に後輩達から入手していた前情報の源川仁聖は、後腐れのない女の誘いは断らない簡単に操れるお気楽タイプの超絶イケメン。それはかなり手駒に欲しいと思っていたのに、キャンパスで美乃利が顔をあわせたのは確かに超絶イケメンだけど身持ちの固い全く梃子でも動かない男だったわけで。しかも次第に現状の源川仁聖の情報を得る程にそれで自分の誘いを相手が拒絶しているのではないのも薄々分かりつつあるのだが、ここまで執拗に追いかけているのは半分美乃利が意地になってしまったせいもある。
自分がここまでしているのに
前年度のミスキャンパスで、今年もミスキャンパスになる予定の美人。しかもお金持ちのお嬢様で他にも何人も男を引き連れているなんて中々いない筈の存在として、自分は今の大学部内では断トツの逸材の筈だ。その点で美乃利がムキになって意地を張ってしまったのは確かに過ちだと認めるしかないが、ここまで目立ってしまったら逆にそれも利用する方が得策だと方向を変えたのはここだけの話し。
何せ向こうは建築学部の癖に、勅使河原教授のお気に入りだし
何しろ学力としてはそれほど特化していない自分が、アピール出来るポイントとして源川仁聖のその目立つ条件も使えるのなら利用しない手はない。元々自分には才女は無理だと知っているからこその、自分の唯一のセールスポイントを今のうちに磐石に強化しておきたいのは当然のこと。そして美乃利としては強化したアピールポイントをフルに有効利用して目的を果たしたいわけで、それには事実として源川仁聖を取り巻きに加えて箔をつけたかった。数も勿論必要だけど目立つということが美乃利としてはもっと重要で、有象無象が多数欲しい訳じゃない。
目立つ男が多数、その方がより自分も目立つし、尚且つ想定通りに見える筈
大学の構内で目立つだけでは不十分だから、良心的な価格帯ではあるが人目につくのを見越して人気のワインバーなんかも利用している。なるべく暴君のように我儘に振る舞って目立つなんて、ある意味では危険な賭けで失敗すれば逆効果になる可能性もあると自分でも思う。
でもそうすれば…………
自分の目的と方法とを考えてしまうと、自分のしていることは随分と回りくどい手間のかかる方法だとは美乃利だって思う。それでもこれを選ぶしかなかったのは今までも様々なことをしてきた結果で、遠回しでも今の美乃利の中ではこれでも一つの抵抗の形だからなのだ。
※※※
少しだけ不機嫌そうに見えている仁聖の横顔を眺めながら、恭平は何で不機嫌なのかとほんの少しだけ戸惑いながら並んで歩く帰途で爪先を見下ろす。そういえば元々は自分の方が仁聖がリリアーヌ嬢のことを教えてくれなかったと不機嫌だった筈なのに、何故かここに来て仁聖の反応が気になってしまっている。お陰で横に並んで街並みを外れ、住宅地の合間を歩きながらオズオズと恭平の方からどうかしたのかと問いかけてしまう。
「…………どうも、しないよ?なんで?」
それに対して仁聖の方は、何でそんなこと聞くのといいたげに更に不機嫌そうに視線を恭平からそらしたまま。大概は人に対してこんな対応をすることのない仁聖が、何故か最近特に不機嫌になるのはどうも鳥飼信哉の関係がある気がするのだ。
「何だか…………不機嫌そうに見えた……から。」
恭平が合気道をまたすることには反対しているわけでは無さそうだが、どうも信哉の話しとか信哉の友人なんて事を耳にしたり目にしたりした時に仁聖の不機嫌そうな様子をみている。それをどう問いかけたらいいのか分からないし、何でそこで不機嫌になるのかも今一つ判断しかねてしまう。
…………そういえば、篠と飲んで帰ってきた時も…………不機嫌だったっけ?
あれはまだ一緒に暮らす前のことだが村瀬篠と飲んで帰ってきた時も少しだけ不機嫌というか反応がおかしかったことはあるし、家で了や篠と飲んでいたと話したら電話口で不機嫌になったこともある。恭平は気にしていなくても仁聖には気になるんだと面食らったことがあった筈で、それは今回のことも当てはまるのだろうかと恭平はふと考えてしまう。でも確かに仁聖がいうことも理解できなくはないとは思うし、了はあの時はまだ成田了だったから言い分も尚更理解できた。
でも、信哉さんは梨央さんがいて子供も産まれるんだし…………
鳥飼信哉の立場はどちらかといえば、成田了とは違って性的なものは何一つない。それに今後は師匠と弟子という間柄になる訳で下手すれば兄弟みたいな関わりになりかねないのだが、仁聖の不機嫌は慣れてきたら緩和されるのだろうか。
「…………不機嫌…………の理由、俺には聞かれたくないか?」
思わずそう問いかけたら、仁聖の顔が今まで見たことのないものに変わる。それを何と表現したらいいのか、自分が不機嫌そうにしているのにすら納得していないと言いたげな、それでいてとても指摘されたくないことを指摘されたという顔。そんな顔をした仁聖を見たことがなくて、恭平が再び戸惑うのに仁聖はハッと我に返ったように顔を背けていた。
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