鮮明な月

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第十六章 FlashBack2

199.

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あの慌ただしい様子のスーツの営業マンに書類や資料を準備して連絡をと了が口にしたのは、前日の午後、夕暮れも間際の時間帯の話。了は帰宅した後に直ぐ宏太にその話をしておいたのだが、その時は宏太はまだ『耳』の仕事をしていて今一反応が乏しかった。そうして朝と言うよりは昼近くに起きてきた宏太に、昨日の件どうする?と問いかけたのだ。

「金子……?」
「昨日言っ………………上の空だったもんな。…………聞いてなかったんだろ?」

悪いと素直に謝ったところを見ると事実了の話の一部聞き流していた部分もあったようで、まだ寝起きでボンヤリしていた風の宏太が頭を振って了の準備したマグカップを受け取りキッチンの傍の椅子に腰かける。芳しい薫りを燻らせる珈琲をお気に入りのマグカップでゆっくり味わいながら、宏太が息をついてからもう一度話せと了に向かって口にする。改めて昨日の話の詳細を説明したのだが、それに宏太がはかばかしくない反応を示したのに了は眉を潜めていた。
宏太のしていた『耳』の調査は前夜までである程度形が見えたらしくて、『耳』での仕事は一端終了した様子だ。それでも、まだその内容に関しては宏太は、了には説明しようとはしていないところでもある。まぁそこに関しては了の意思は既に宏太には伝えてあるので、了から最も嫌な対応をされると分かっていて宏太だって下手なことはしないだろうと思っているところだ。とは言え宏太がそれにかかりきりの最中での金子物流からの新しい仕事の依頼。本当に依頼が来るなら晴と自分がやろうかと問いかけたのだが、それに宏太は再び何やら考え込んでしまって、何か気に入らないと言いたげに宏太が問いかけてくる。

「金子物流で飲食店舗?…………そいつ、名前は?」
「あ、ごめん、名刺…………切らしたって…………。」

了はそういった瞬間暫く黙り込み、何かを思い出すように考え込む。
宏太よりは若いだろうが、痩せぎすのソワソワした感じを受ける中年の男。スーツを着なれていないわけではなさそうだが、少し体に合わない安物の既製品だろうスーツ。会社本体が物流関係とはいえ、販路の新規開拓や会社の顔になる営業職は身なりがととのっていないと。しかも顧客にアピールするものとして大事な名刺を切らしていて、しかも今後恐らく至急で依頼したい相手にワザワザ街中で声をかけて書類の一つも提示しなかった。何年か営業職で生活してきた了自身だったら、そんなことはあり得なかったし、そんなへまをしてたら営業は向いていないと思う。

「…………名前、……言わなかったな、あのスーツ。」

それに思い出そうにも相手が、名前を一度も本当に口にしていない。それに気がついてしまえば、了も違和感しか感じないから更に考え込む仕草を浮かべる。勿論こちらがただのコンサルティング会社のであれば相手が落ち着きがなく慣れていない営業マン風だからと大して気にかかる事ではないのかもしれないが、何しろここは宏太が経営するコンサルティング会社なのだ。しかも顧客はほぼあの久保田惣一の身内みたいな奴らか、久保田経由の人間ばかりで普通のコンサルティングと言うのは……正直信憑性が低い。そして宏太の方もこれには何か引っ掛かっているようだから、この引っ掛かりは何か裏があり得るのかもしれないわけで。

「………………一応、表の名刺だけ渡しといたけど?ヤバイ?」

表のなんて表現をしたら裏社会っぽくてあれかもしれないが、コンサルティング会社の表だっての名刺は《t.corporation》とされていて、実は《random face》のあった店舗の住所を部分抜粋して印字してあるものだったりする。

申し訳ないが、あの名刺から直接この仕事場を知ることはできないようにしてある。

そんな名刺何の意味がと思うだろうが連絡先はとしては先ずはちゃんと正規に機能しているわけで、知り合いの紹介でないものは名刺を渡され、名刺の連絡先を利用することで第一段階のパイプができる仕組みなのだ。当然連絡先も色々と経由して外崎邸にかかってくるようにしてあるし、本当の仕事場である自宅や何かは簡単には掴めないようにしてあって元《random face》店舗の方でも何かあれば直ぐ分かる手配もしてあるのは言うまでもない。
そんな必要性がなんであるのかって?
まぁそれは『耳』の存在があるのだから、あまり気にしないでもらいたい。ついでに言えば以前マンションでコンサルティングをやっていた時にマンションまで来ていた客は、久保田経由の客か元々の宏太の知人だけなのだ。初顔合わせでどんな相手か掴めないうちは、基本は相手の店舗に出向いているのは言うまでもない。それに本来なら久保田や知人経由の依頼であれば彼らから直接宏太に連絡が来るし、宏太が直接出逢って依頼を受けるのは言うまでもなく、以降の連絡先はその時に説明もするわけだ。

「…………やっぱり、怪しいかな?」
「そう感じるようなことあんのか?ん?」

あの時はそこまで深く考えなかったが、やはりあの時既に違和感はあったのだ。簡単にそう周囲から呼ばれるような状況にいるわけでもなければ、そうなるようにあえて行動しているわけでもないとは自分だって知っているからこその違和感。

「俺の事、…………後ろから外崎って呼んだ。」
「ん…………そうか…………何もされてねぇか?ん?」

飲み終わったマグカップを置き何気なく傍に引き寄せ抱き上げられてそんなことを聞かれるが、当然街中で了が何かされている訳ではないし、もし何かをされていたら宏太はただでは済まないと思う。それでも現実的に外崎と了を呼んだと言うことは少なくとも宏太と了の関係は既に調べている可能性があるわけで、実際のところ宏太の傍に了という外崎がもう一人いると知っている人間は案外少ないのだ。

「…………了の事を知ってる……か。」

二人の友人達か仕事の関係か、少なくとも既に外崎了として接している以外の人間が、それを知るのは密かに難しい事なのだ。事前に調べてあるとかでもなければ了が成田から外崎になっていると知らない人間の方が、実際にはまだ多い。そう断言できるのは過去の知人達にも養子縁組の件は、何一つ話していないせいでもある。当然成田の家系の人間なら了の事は分かるだろうが、成田哲があんな事態を引き起こして逮捕され妻もどこぞに逃げ隠れしている状態で半年も経っていて誰一人了の事を探そうとはしていない訳で。それを悲しいこととするか良しとするかは了次第だし、了としては縁を切ったから成田との関係は無しで構わない。

「…………もしかして、宏太が今やってる事と関係するか?」
「どうだろうな…………相手の出方にもよる。」

とは言え現状では金子物流の社内の動き迄は宏太には把握できるわけではないから、現実として本気でプロジェクトが立ち上がっていて、そそっかしいけど宏太の事を知っている人間から聞いて調べはしていた営業マンと言う可能性もないわけではない。

「…………金子物流のこと調べておく?」
「そうだな…………。」

そうするべきかと宏太が溜め息混じりに言おうとした瞬間、不意に普段は余り鳴らない方の着信音が響き渡ったのに二人は思わず眉を潜めていたのだった。



※※※



何故か唐突に呼び出されてキャンパスをノンビリと歩きながら、まるで過去の自分の姿を探すように周囲の和やかな喧騒を眺める。自分がここに通ったのはまだほんの数年前のことだけれど、まるでずいぶん昔のような気がして思わず周囲の光景に目を細めてしまう。以前に比べて格段に周囲の世界が鮮やかに見えるのは自分のおかれた状況が大きく変化しているからで、ここに通っていた頃の自分はまだ暗闇にいたようなものなのだとも思う。

だからか…………こんなに明るい場所だったとは思わなかったな…………

秋の気配を滲ませた樹木の並木を楽しげに歩く学生の和やかさに、奇妙な感動めいた驚きすら覚えてしまう自分に苦笑しながら目的の場所に向かって歩く肩を背後から掴まれたのはそんな時だった。

「恭平、なんだ?こんなところで。」

背後からそんな風に声をかけてきたのは何でか最近とみに交流の機会と時間の増えた鳥飼信哉で、肩を叩かれた方の恭平も想定外の驚きに目を丸くしてしまう。一応は二人ともこの大学の同じ学部の卒業生ではあるのだが、お互い学年も違うとはいえ数年前に卒業もしている。大体にしてこんな昼日中に、大学のキャンパスなんかで鉢合わせるような理由もない筈なのだ。

「そ、れは…………俺が聞きたいです。」

しかもヒッソリと歩いていた恭平一人ならそれほど目立たなくても、それに系統は似ていても恭平と比べるとアピール力の強いイケメンの信哉が加わって、二人になってしまったらキャンパスでは何故か異様に目立つ。周囲の視線が肌にチクチクするのを感じながら恭平がそういうのに、信哉はたぶん理由は同じなんだろうなと呟く。

「お前、勅使河原に呼ばれたろ?」
「…………教授くらいはつけましょうよ…………。」

いらんと何故か断言する辺り、お互いにこれが初めての呼び出しではないのがアリアリと伺える。と言うのも極度の面倒臭がりというか、期日にルーズな勅使河原叡という教授は、たまに仕事と称して榊恭平個人に論文の英字翻訳をさせたりするのだ。勿論当人だって文学部教授という立場的にも英語は問題ない、というかそれ以外にも多言語を使いこなせる人間なのだ。ただし、期日を忘れていて本日中に400枚の論文を一気に英訳する必要が出てきたり、フィールドワークに出ていて数日行方不明なんて事もあって助手扱いの躑躅森雪から泣きつかれたりすることもあるわけなのだ。

「…………でも一緒に呼ばれるなんて…………初めてですよ?」

確かに互いの仕事の状況を見ていれば自ずと分かるが、以前からお互い勅使河原叡から個々に何らかの依頼されて仕事として関わってきていたのだ。だが、こうして一度に一緒に呼ばれるなんて、どんな無理難題を押し付けようとしているのかと不安でもある。それでも二人が呼び出しに関しては断れないのは、まだ駆け出しの翻訳家だった時分に勅使河原の論文を英訳したという箔のお陰で仕事が入るようになったとも言えるわけで。
当然分かるとは思うが、文学部教授の論文を本人の意図を無視して不用意に翻訳なんてしようものなら勅使河原が仕事を回してくれる訳もなく、文学史なんかに論文を多数論文を寄稿する勅使河原に気に入られればその関連から名前も売れる。ただし下手な仕事をしたら勅使河原からの仕事は来なくなるし、より地道に営業も行って仕事を探していくことになったに違いない。つまりは勅使河原の意図を十分翻訳に含められると言うのも翻訳の実力というわけなのらしく、それが指標になっていて関連がある仕事がはいり始めるという奇妙なからくりになっているのだ。

「悩んでも仕方ない、先ずは行くか?人目が面倒になってきた。」

信哉の方も周囲のチクチクする視線には気がついていたらしくさっさと大股で歩き始めるのに、慌てて恭平も後について歩き始める。そんな矢先とんでもない勢いで前も見ないでズカズカと歩いてくる女子大生の姿に、あっと思った時には少しだけ遅かった。前も見ないでその勢いは危ないなと思ったが、恭平達に目をとられていた他の女子大生に体当たりするみたいにぶち当たって盛大な悲鳴が上がったのだ。

「危ない!」

咄嗟に前のめりになる体当り女子大生の腕をとったのは恭平で、自分達を見ていて反応が遅れた方をそれぞれの手で抱えたのは信哉だ。というか、咄嗟に二人を抱えて踏みとどまれる辺り信哉に抱きかかえられた女性の目がハートになったのは言うまでもないが、恭平が転ばないように腕をとった女子の顔を見た信哉がおやと眉を潜めたのが分かる。

「大丈夫?怪我ないかな?」

にこやかにそう問いかけながら手を離す信哉の猫被りな紳士ぶりには、周囲が更に羨望に目を潤ませているが何分信哉の左の薬指にも恭平の左の薬指にもエンゲージリングがある訳で。それに気がつきあからさまな程に落胆している周囲に恭平としても笑いだしそうになってしまうのだが、ただ自分が腕をとった女性だけが呆気にとられたように自分の顔を上目遣いに見上げたのに気がついた。

「前見て歩かないと、危ないよ?」

そう微笑みながら口にして手を離した恭平の顔を視線は暫し見つめていたのだが、端と我に返ったように少しだけ頬を染めてスミマセンと呟くと慌てたようにバタバタと踵を返した。それを眺めていた信哉がおやおやと言いたげに、相変わらず落ち着かない子だなと何気なく呟くのが聞こえる。ぶつかられた方も怪我もない上に信哉に助けられたのにキャイキャイしながら立ち去るのを見送ってから、改めて二人は並んで再び歩きだしていた。
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